<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


失敗作の仮装(?)ハロウィン

「……さすがに疲れたな」
 連日の徹夜で疲れ果て、眼鏡をはずし目元を揉んだクルス・クロスエアは、
「……休もう」
 そう決めて、椅子に腰かけた。
 連日の徹夜が効いて、すぐに眠りに落ちる。
 その間に――
 スライムが、うねんとやってきた。
 うねうねとクルスの調合した薬を置く棚へと這い登ると、うねんと戸を開け、うねんと中にある薬色々を外に放り出した。
 がしゃんがしゃんとガラスの割れる音がして、クルスははっと目を覚ました。
 床に、さまざまな薬が混ざった跡。
 そしてスライムは、ある薬に浸かっていた。
 その薬にはスライムの成分が染み出して……

     **********

 時は、ある国で言う『ハロウィン』まっさかり。
「ああ、来てもらって悪いね」
 クルスは丁寧に小屋の椅子に客人を座らせた。
「実は頼みがあるんだけど……」
 ? と首をかしげると、
「あのスライムに、触ってくれないかい」
 指を指すのは、床をうねんうねんと這っているスライム。
 いつも見る、白いスライムとは違う――なんだか赤くなっている。
「薬に浸かってね……あんな姿になったんだ。それだけならいいんだが……」
 あれが触るもの触るものがね――
「違う姿になってしまってね……」
 見ればスライムが這った後の床が、石に変わっていく。
「無生物が触ってもあのスライムに染みこんだ薬の成分はほとんど消えない。だから人に触ってもらうしかなくて」
 ぽりぽりと申し訳なさそうに額をかきながら、
「……多分仮装に近いだろうと思う。何に変身してしまうかは分からないけれど、効き目はちゃんと一定時間で切れるから。試しに触ってやってくれないかな。スライムを元に戻すために……」
 クルスは頭を下げた。

     **********

「これって本当に触っても大丈夫なのか?」
 と訊いたのは、金の瞳のユーアだった。
「いっその事、そこらに残っている薬をこいつにかけた方が良いような気がするんだが……」
「それこそ何が起こるか分かったもんじゃない」
「へんなモンばっかり作りやがって!」
 憤然としたのは青い瞳のグランディッツ・ソート――通称グランである。
「いやこのスライムに関して言えば……薬品かけたのは僕でもそもそも作ったのは……」
 クルスがじとっとユーアを見る。ユーアはそっぽを向いている。
「……とにかく残っている薬をかけるなんてことをしたら、キミが作ったスライムのことだ、どんな特殊変化をするか分からない」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味なんだが」
「お前時々度胸あるよな。ちょっと俺の剣の餌食になってみるか?」
 ユーアはにっこりと腰の剣に手をかけた。
「おい待て。クルスと勝負すんのは俺が先だ!」
 グランが変なところで対抗心を出す。
 まあそれは置いといて、とユーアは剣から手を離し、
「ソレが嫌なら俺が直々に新しい薬を作ってこいつに振りかけてやってもいいぞ。そろそろ何か目新しい薬を使ってみたいと思っていたんだよ」
 ちらりと見るのは、クルスの薬品棚。
 薬作りも一種の趣味であるユーアにとって、宝の山である。
「いややめて。やめてください。お願いします」
 クルスが人格まで変わったような言い方をした。
「私、触ってみるー!」
 元気な声で宣言し、変化スライムにタックルをかましたのは緑の瞳の輝く小柄な少女、ミルフィーユ=アスラだった。
 タックルした後床にしゃがみこみ、ぽよんぽよんぽよんと変化スライムを叩いていたミルフィーユは――

 ぽわわわわん

 突然煙に包まれ、
 煙が晴れた時には、動物の着ぐるみを着ている彼女がいた。
「うお」
 グランが一歩退く。
 ミルフィーユがぺたぺたと着ぐるみの手で体を触り、
「私、何になってるー?」
 内側からじゃ分からないらしい、訊いてきた。
「……猫じゃねえの」
 ユーアが淡々と告げる。
 ミルフィーユは嬉しそうに飛びあがった。
「わーい、わーい、猫さんかわいい。猫さん猫さん猫さんー!」
 近くの窓を見て、自分の着ぐるみ状態を確かめ喜ぶ。
 着ぐるみの状態のまま再度変化スライムにタックルしたり、上に乗ってぼよんぼよんしたり、うんしょと持ち上げて、
「てーい!」
 楽しそうに投げつけた――クルスに。
「うわっ」
 クルスは避けた。台所に当たった。
 台所が砂に変わって、ざらざらざらと崩れ落ちた。
「………」
 クルスが青くなる。
「避けちゃだめだよう」
 とことこと変化スライムを取りに来たミルフィーユは再度、「えーい!」とクルスに投げつける。
 さっと避けると今度は窓に当たった。
 窓が、カキンと氷になった。
「ミルフィーユ、こっちに投げないで――ってユーア何してるんだい!」
「え? 新薬の開発」
 クルスの薬品戸棚を勝手に開けて、ユーアが吟味している。
「ちなみに俺に無理やりそいつを触らせようとしたらもれなくお前らの顔面にそいつをぶち当ててやる」
 お前ら、とは――
 グランだけではない。他にも虎王丸[こおうまる]という少年がいた。彼は椅子で高く足を組んでミルフィーユとスライムを見ながら、
「祈る神様もいないのに、お祭りってのは変わったモンだな」
 などとのんびり言っていた。
 まあ楽そうな依頼だし参加してもいいや、ととても軽い気持ちで彼はそこにいた。
 グランはミルフィーユに協力して――自分は触りたくないので、クルスで試そうと考え――クルスの足を引っかけようとしたり、背後からどんと押したり。
「変身したら、斬ってやろうかな」
 彼はにやりと笑って冗談を言う。
「おーそりゃいい。動物園の主ー。大人しく変身して斬られろー」
 ユーアが薬品を手に取りながら気の抜けた声を出した。
「ちょっとユーア! キミね、僕がいなくなったら誰がスライムの面倒看ると思ってるんだ!」
「ん? お前不老不死だろ。斬られたくらいじゃ死なねーじゃん」
「そういう問題じゃない!」
 ミルフィーユとグランがクルスの動きを止めようと必死になる。
 その間に――
「………?」
 小屋が開いて、千獣[せんじゅ]がちょこんと顔を出した。
 彼女は小屋の外にいた。ちょっと小屋の中が騒がしいので様子を見てみようと思っただけだった、のだが。
 ぺたっ。
 ミルフィーユが投げ飛ばした変化スライムが、見当違いの方に飛んで千獣の胸にくっついた。
「………? スライ、ム?」

 ぽわわわわん

 煙に包まれ、
 次の瞬間、そこにいたのは――
「千獣……」
 クルスが目を見張って少女を見る。
「………?」
 その視線の意味に気づかず、千獣は小首をかしげた。
 ――普段千獣は、その体の内に『飼って』いる魔物獣類を抑えるために、符を織り込んだ包帯を全身に巻いている。
 だが、今の千獣はごく普通の姿だった。シルクの薄紫のロングドレスの上に白衣を重ね、その上にさらに薄青い布を重ね着し、腰紐で軽く留めた――どこかの令嬢然としたたたずまい。
 千獣も自分の変化に気づいてきょとんとした。
「なん、だろ? これ……」
 呪符帯の気配自体は彼女自身が感じている。身の内の獣たちを抑えることはまだ可能だ。
 けれど今の彼女は、外見どこからどう見ても普通のかわいい女性で。
 女好きの虎王丸などは鼻の下を伸ばした。
「うっわ、千獣って美人だったんだな。なあその姿のまんまでこれからお茶しにいかね?」
「ナンパするな虎王丸!」
 クルスが怒鳴った。それから千獣を見て、
「いや、千獣。そのスライムが――ええと、触るものを全部変化させていくもので。その効果を消そうと目下努力中……」
 千獣は小屋の中を見た。
 床が石化している。
 台所が砂になっている。
 窓の1つが氷になっている。
 ……最近特に騒がしくなった精霊の森だ。千獣もいい加減慣れてきて、何となく事態を把握できるようになった。
 きょろきょろと小屋内を見渡す。
 いた。端っこのベッドの上。
 赤いスライム――変化スライムではない、純粋に赤いスライムをぎゅっと抱きしめて、白い長い髪に赤い瞳をした少女がぼんやりと騒ぎを見つめている。その傍にはミニドラゴンも。
「………」
 千獣はおもむろに砂になった台所の中から、無事だった鍋蓋を取り上げ、少女――セレネーと、ミニドラゴン、ルゥのところへ行った。
 一緒にベッドに座り、セレネーたちの盾になるように構える。
 また見当違いのところに変化スライムが飛んできた。まさしく千獣の目の前――
 千獣は冷静に、べちっと鍋蓋ではたき落とした。
 ぽわわわんと鍋蓋が鋼鉄に変わる。これは運のいい変化の仕方だ。
「お姉ちゃん……」
 セレネーが千獣の服をついついと引っ張った。
 千獣が振り向くと、
「スライム……いじめないで……」
 千獣は微笑んだ。
「大、丈、夫……スライ、ム、楽しんで、る、から」
 ……本当かどうか甚だ疑問だ。
 さて、今のところミルフィーユの猫の着ぐるみと千獣の人間変化しか、生物には変化がない。
 大して危険じゃない。ならまあいいかと判断し、
「おいクルスー」
 虎王丸は言った。「報酬、たくさんくれよな」
「報酬? あ、ああ。最近薬と交換で砂金をいっぱいもらったから」
「砂金……せこいな。まあいいや」
 そして虎王丸は椅子から立ち上がり、ぺとっと自分から変化スライムに触った。

 ぽわわわわん

 煙に包まれ、
 次に現れたのは――

 ぶっ、と振り向いたユーアが噴き出した。
「ぶはっはははははははは!!!」
「あははは、あははははは!!」
 グランまでクルスのことを忘れて笑い出す。
 虎王丸は自分の身を見下ろして――わなわなと震えた。
「なんだーーーーこの格好ーーーー!!」
「ええと」
 クルスが冷静に分析した。「おとぎ話で言うところの、赤ずきんちゃんというやつに、さらに猫耳と狐尻尾がオプションでついた感じかな」
 赤い頭巾。そこから突き出る猫耳。
 お尻からはふわりふわりと揺れる銀の狐尻尾。
 虎王丸は完全に意味不明な仮装と化した。
「かわいー!」
 そんな虎王丸の銀尻尾に飛びついたのはミルフィーユである。
「邪魔だ小娘!」
「えー。触らせて?」
「や・め・ろ・つったらやめろ!」
「気持ちいいのに……」
 ミルフィーユが意気消沈する。虎王丸は顔を真っ赤にして、
「クルス! 報酬が足りねえ! もっと増やせ!」
「そんなことを言われてもなあ……ええと後払いじゃだめかな」
 クルスとしても、こんな奇妙な変身をされてしまっては虎王丸に悪い。報酬を増やせという彼の願いを無下に断ることはできなかった。
「こんなスライム……っ!」
 と虎王丸が持ち上げて、ぺいっと適当な方向へ投げた時。

「邪魔するぞ」

 と小屋を勝手に開けて入ってきた人物が――反射的にスライムを受け取った。

 ぽわわわわん

 煙に包まれ、
 煙が晴れた時、そこに立っていたのは片手にかぼちゃランタンを持っている、巨大「リス」だった。
 これは着ぐるみではない。真剣にリスだ。
「え、ええと……キミ、ラエルだよ、ね?」
 精霊の森に入ってきた人物のことは大抵把握できるクルスが、確かめるように「リス」に言う。
 「リス」はしばらく無言でしげしげと自分の体を観察し――
 第一声。
「これは……お前の趣味なのか?」
 他人を動物化させる趣味? そんなん持ってたら色んな意味で珍人だ。
 それはそれとして山桜ラエル[やまざくら・―]は、リスなのに人語をしゃべりながら、テーブルにことんとかぼちゃランタンを置いた。
「せっかくなのでかぼちゃのケーキやパイを作ろうと思っていたんだが、弟に先をこされてな……残った皮でランタンだ」
 クルスは心底ラエルの弟に感謝した。ラエルの作るものといったらそれはもう、ケーキのはずがレンガのようだったり、炭のようだったり。
 リスは窓を見てもう一度自分の姿を確かめ、「ふむ」と言い、
「この尻尾は動くのか」
 ひらひら、と小さな尻尾を振ってみたりする。
 てとてとと歩くリスを、ミルフィーユは大変お気に召したらしい。
「かわいいよーーーー!!!」
 巨大リスに抱きつく着ぐるみ猫。一種異様な風景だった。
「私も……触りたい……」
 セレネーがつぶやくので、千獣は少し考えた後、
「気を、つけて……」
 とセレネーがベッドから降りるのを手伝った。
 とてとてとセレネーは裸足でリスと着ぐるみ猫のところへ行く。
「あ、かわいいお姉ちゃん!」
 着ぐるみ猫がセレネーに抱きつく。セレネーは手を伸ばして、リスの手をふにふにと触った。
「うむ。故郷に置いてきた我が子を思い出す……」
 ラエルは変な感慨にかられているようだ。
 そんなラエルのひら、ひら、ひら、と動く尻尾に引かれて、セレネーのベッドからミニドラゴンのルゥが飛び立った。
「あ……ルゥ……」
 千獣が止める間もなかった。ルゥはリスの尻尾にぐりぐりと頭をこすりつけその感触を楽しんでいる。
 と、そんなルゥに変化スライムの魔の手が迫った。

 ぽわわわわん

 煙に包まれ、
 晴れた時には、ルゥはきつそうな――貴族服を着、頭に冠を載せていた。
「かわいいかわいいーーー!」
 ミルフィーユ、突進。ルゥ、突き飛ばされ。
 素早く千獣が動き、ルゥがどこかに衝突することだけは避けた。
 冠がからんと落ちる。
 るぅ るぅ
 ルゥが何かを訴えている。ルゥを抱いた千獣が首をかしげていると、セレネーが近づいてきて冠を広い、ルゥの頭に載せた。
 少しでもルゥが動くと、冠は落ちる。そのたびにルゥは鳴く。セレネーが載せる。ルゥが嬉しそうに鳴く。
 ……気に入ったらしい。
 そこへまた、小屋に来客――

「失礼。……ええと、何だか面白いことになっているね?」
 と黒い帽子をかぶった黒尽くめ服装のエル・クロークは、小屋を見渡して言った。
 巨大なリスがいれば、着ぐるみの猫がいる。いつもと違う様子の千獣がいれば、赤ずきんちゃんにオプションがついた感じの少年がいる。
 台所は砂になり、床は石になり。窓の1つは氷になり。
 クロークはさして驚かなかった。ただ床をうねんとうねっている変化スライムを見つけ、
「あれ、確かそのスライムは、先日セレネー嬢が抱きしめていた……」
「いや、違うんだ」
「え、違う? そのスライムじゃない、と。ふむ、君の家には沢山スライムがいるのだねぇ」
 よく見ると、セレネーのベッドのところで、我関せず風味で赤スライムが鎮座している。
「き、キミも、こんなのを見た後で悪いけれど……よかったら、触ってくれないかな」
 クルスが引きつった笑顔で言う。
「うーん、触れるのは別に構わないのだけれども、果たして僕が君のお役に立てるかどうか……」
 クロークは口元に手を当てた。
「ほら、僕は精霊だから。あまり成分を消すことは出来ないんじゃないかなと思って」
 クルスはようやく、普通の笑顔を見せた。
「精霊も立派な『1人』だ。……頼むよ」
 クロークはその言葉に微笑んだ。そして、
「まぁ、取り合えず触ってみようか。案ずるより産むが易しとも言うしね」
 それからいたずらっぽくにこっと笑ってクルスを見、
「ところで、クルス氏は触らないのかい?」
「………」
「そーだよなー。飼い主のくせに無責任だよなあ」
 ユーアが言った。テーブルの上でクルスの実験薬をかき混ぜながら。
「ユーア! キミいつの間に何始めてるんだい!」
「だから新薬の開発」
「やめてくれ……!」
 その間に、クロークは大分赤い色素が薄くなっている変化スライムに触れた。

 ぽわわわわん

 煙に包まれ、
 やがて晴れた時――そこには。
 金の光を散りばめたような薄衣を身にまとい、金髪がいつもより長く腰まで伸び、細い杖を持つ女性が――立っていた。
 赤い瞳に長いまつげの影が落ちて憂いを帯びている。さらりと、金糸のような髪が揺れる。
 杖を揺らすと、しゃん……と耳に心地いい音がして、きらきらと星屑のような何かが辺りいっぱいに広がった。
「……これは」
 クロークが自分の姿を見下ろしてきょとんとする。
「……さながら、星の王女か女王か……」
 クルスも感心してうなった。
 虎王丸がごくんとのどを鳴らした。
「な、なあ。これから、俺とデートしねえ?」
 星の女王に迫る赤ずきんちゃん(オプション付き)。これも異様な風景である。
「これはすごい」
 この小屋には鏡がないので窓に自分の姿を映し、クロークはさも興味深そうに目をしばたきながら観察していた。
 好奇心いっぱい。ついつい持っている杖にはどんな効果があるのだろうと、思い切り振ってみると、小屋中に金が散りばめられきらきらして目が開けられなくなった。
「く、クローク。ちょっと、これはどうにかして……」
「え? どうすればいいんだい? うーん」
 考えて、単純な理屈で逆向きに振ってみると金の輝きはすべて消えた。
 次に杖を回転させてみる。
 ……天井からさらさらと、金の輝きが降ってきた。
 雪のような輝きだった。掌に落ちると溶けるように消えてしまう。
 次に自分自身がくるっと回ってみた。
 ひらりと衣が広がって、虎王丸あたりの目を釘付けにしていたのは、性別がないクロークにしてみれば大して気になることではない。
 一回転すると。
 辺りが真っ暗になった。
「……ああ、そうか」
 クロークは納得して、その状態で杖を振る。
 暗闇に金の輝きがあふれ、幻想的な世界になった。
「なかなか綺麗だ」
 リスの声がする。
「ほんと……素敵……」
 うっとりと、着ぐるみ猫の声がする。
「み、見えねえ。麗しの女王様のお姿が見えねえ!」
 赤ずきんちゃんはそっちの方が大事らしい。
 るぅ
 ルゥが一声鳴いて――
 やがてクロークが逆向きに一回転すると、辺りに光が戻った。
「ああやっぱ女王様のが綺麗だぜ……」
 虎王丸がうっとりとクロークに見とれている。
「面白いなあ。色々試したいな」
 クロークが少しはしゃいだ様子でそんなことを言った。
 るぅ
 ルゥの鳴き声は、上機嫌の時のそれになっていた。
 セレネーがとてとてとクロークに近づいていき――
「やあ、セレネー嬢――」
 クロークが挨拶をするより早く、クロークに抱きついた。
「クローク、綺麗……」
「………」
 クロークがさらりとセレネーの頬に手を当てると、光がセレネーの白い頬に当たった。
「……星さん、毎日動いてるんだって……長い時間をかけて、ゆっくり……動いてるんだって……」
 セレネーは目を細めて、クロークの今は女性の手を取った。
「刻を刻むクロークに、ぴったり……」
 クロークは微笑んで、しばらく抱きつかれたままになっていた。
 ――それを呆然と見ていたのはグラン。
 隙を作りすぎた。甘かった。
 いつの間にかほとんど色素のなくなっている変化スライムが足元にいて、ぺろんちょ、とグランの足に触った。
「げっ!」
 と声を上げるのを最後に――

 ぽわわわわん

 煙に包まれ。
 晴れた時には。
 ユーアが気配を感じて振り向き、ぶっとまた噴き出した。
 虎王丸も笑った。クロークも面白そうに笑っている。
「あはははははは!」
 ユーアはテーブルをばんばん叩きながら笑う。
 そう、煙が晴れた後には――
 かぼちゃ。
 かぼちゃ頭にマントをつけた、まさしくパンプキンマンがいた。
「うぎゃあああ!?」
 グランは重い頭をぐらぐらさせながら、「クルス! てめえ!」
「僕のせいかい!?」
「てめえのせいだ!」
「うんうん、飼い主の監督不行き届き」
「だからユーア、そもそもキミがね!」
「いつまでも過去に執着しない。こうして俺のように新薬作りに励め」
「新薬をここで作るなーーー!」
「クルスっ! てめ、無視すんな!」
 頭が重くてうまく動けない。しかしグランは本当に剣を抜いた。
 ところがその剣をひょいと取り上げた存在がいて、
「うまそうなかぼちゃだな」
 ……巨大リスが、グランの剣を手にぼそりと言った。「これから調理するのもいいかもしれん……」
「ひ、ひいいいいい!?」
「ダメだようリスさん。パンプキンマンさんはね、困った人にだけしか顔を食べさせてあげないの」
 ミルフィーユがリスに抱きつきながら、「それに、パンプキンマンさん、かわいい!」
「む……しかし、せっかく斬るものがあるというのに……」
 リスの手でどうやって調理するのか知らないが、ラエルは真剣に迷っているようだった。
 クルスはそんな彼らの隙をぬって変化スライムの様子を見ると、
「よし……あと1人か2人分で完全に成分が抜ける」
「1人はお前だああああ!」
 グランが重い頭に必死に耐え、変化スライムを持ち上げクルスに投げつける。
 クルスは慌てて避けた。
 スライムはべちょっと小屋の扉に当たり、扉を薄い鉄に変えてしまった。
「うわ……ちょっと出入りが」
「すいませーん」
 こんな時に、外から来客の声。
 外の客は、一生懸命ドアを引っ張ろうとしているようだった。
「う……ぐぐぐ」
 手伝おうにも足元にスライムがいてクルスは身動きができない。
 やがて、
「……っ! すいませーん!」
 根性で鉄扉を開けたらしい、少年がぜえ、ぜえと肩で息をしながらそこにいた。
「あれ……リュアル?」
 リュウ・アルフィーユの姿を全員で認めて、彼が一応手土産を手にやってきたことを知る。
 だがリュウは、そんなことは忘れてしまったようだった。
「………! スライム!」
 クルスの話を聞くより前に、魔物と認識してリュウは変化スライムに斬りかかった。

 ぽわわわわん

 煙に包まれ。
 晴れた時には、――誰もいなかった。
「おや?」
 クルスがぽりぽりと頬をかく。「リュアルー?」
「ここです、ここー!」
 ほんの小さな声がした。
 まさかと思いしゃがみこむと、今までリュウがいた場所に、小さなリュウがいた。親指大の大きさだ。
 クルスは手に乗せてやった。
 よく見るとリュウは服装まで変化している。ルゥと同じような貴族服だ。ただしかぼちゃパンツの。
 剣もレイピアに変わっている。
「うっうっ……来るなりなんなんですか、これ……」
 リュウは泣きそうな声で言った。すっごいかわいーとミルフィーユが飛んできて、つんつんつんつんする。
 事情を聞いて、リュウは泣き声ながらも「元に戻れるんですねー?」と少し安心したような声を出す。
 リュウをテーブルの上に置いてやると、
「……まだ床の石も元に戻ってねえな。もう少し時間がいるんじゃねえか」
 ユーアが、変化スライムが石に変えた部分の床を見ながら言った。
 1人ゆうゆうと新薬作りに精を出すユーア。しかし誰も彼女を狙おうとはしない。
 狙う相手はただ1人。
「くらえー! クルスーーー!」
「畜生ウサ晴らしだ、くらえクルスー!」
「逃げちゃダメなのっ。皆お仲間さんなのっ」
「美味しいものに変身できるかもしれんな。邪魔はしないでおこう」
「クルス……」
「るぅ」
 パンプキンマンに足を引っかけられ、赤ずきんちゃんに渾身の力でスライムを投げつけられ――
 とうとう、クルスも変化スライムに引っかかった。

 ぽわわわわん

 煙に包まれ。
 晴れた時にそこにいたのは――鷲だった。
 顔だけクルス。ただし、くちばしがある。
 ぶっは、とまたユーアが噴き出した。今度は虎王丸も、グランも、全員揃って。
「あーははははははははははは!!!」
 クルスは悔しそうにばさばさばさと翼をはためかせる。
「クル、ス……」
 千獣が近くまでやってきて、さすがにこんな姿は恥ずかしいと逃げるクルスをつかまえ、ぎゅっと抱きしめた。
 千獣の抱擁は愛情がこもっていた。
 ――愛は種族を越える。
 なんてことをやっている場合ではない。
「よーっしゃ、できた!」
 ユーアの楽しそうな声がした。
 がたっと椅子の音をさせて、彼女は立ち上がった。フラスコを手にしている。
「こいつを、そのスライムにぶっかけてっと」
「グガー! グガー!」
 なぜか1人人語を話せないクルスが、必死で止めようとばさばさと翼をはためかせる。
 しかしユーアは鼻歌を歌いながら、ようやくほぼ白スライムに戻りかけていた変化スライムにじょぼじょぼと新薬をかけた。
 すると。
 ……なぜか、変化スライムは再び赤く染まり。
「……あ?」
 一瞬硬直してしまったユーアの、その隙を狙って、変化スライムはユーアに触れた。

 ぽわわわわわわわわわわわわわわわん

 今までで一番大きく盛大な煙が湧き起こった。
 ユーアは完全に包まれ、姿が消えた。
 周囲の人間はごくっと唾を飲み込む。果たしてユーアはどうなってしまうのか――
 そして、
 煙が晴れる――

「ちっくしょう!!!」

 怒鳴ったのは、ひらりと黒いロングスカートをひらめかせた女性だった。
 胸元が大きくカットされたワンピース。斜めに金の刺繍の1本線が入っている。手には木製の杖、さらに黒い魔女っこ帽子。裾がぼろぼろの黒いマント。
 いつも適当に結ばれた黒髪がさらさらに下ろされ。
 金色の瞳が、おあつらえむきに魔女のように光っていた。
 ――間違いない。
 彼女こそが、ハロウィンの魔女だ。
 星の女王になったクロークに負けないほど、けぶるようなまつげに紅を乗せた唇。文句なしの美女――
 赤ずきん虎王丸がへたっと腰をぬかし、
「ま、魔女様……俺とお茶……」
 腰をぬかしたままそれでもナンパした。
「素敵……お姉ちゃん」
 ミルフィーユがおとぎ話の魔女を見たかのように、うっとりと見つめている。
 しかし当のユーアは、ちくしょうちくしょうと地団駄を踏んだ。
「風邪薬を作るつもりだったのによ!」
 ――え、風邪薬?
 作ったとしても、なぜスライムにかけた?
 ユーアの行動原理が分からずに、クルスは遠い目をする。
「こうなったら……」
 ユーアはテーブルの上の、もう1つのフラスコを手に取った。
「もう1つ作ったユーアの『びっくり☆ランダム薬』! 誰か実験台になれ!」
 ひいいい、と全員が退いた。ユーアの目がすわっている。もういい皆開けっ放しの小屋から外に出て逃げろ――ってええ、なんで扉がまた閉まってるの!?
「扉の開けっ放しはよくない」
 リスラエルが真顔で言った。
 もう逃げ場はない――

 うにょん
 変化スライムが……動いた。
 その一部分がぷちんとちぎれて、そして。
 形を変える――

 黒茶色羽根の、虫に――

 それを見た瞬間。
「……っ……っ!!!」
 きゃあああああ! とユーアが甲高い悲鳴を上げた。
「いや、ゴ、ゴ、ゴ、ゴ〜〜〜!」
 勢いのままに派手に炎の術を放つ。慌ててクルスが鷲の姿のまま抑制魔術を使ったが、小屋の一部が燃えた。
「いやあ、いやあ、いやあ〜〜〜〜!」
 剣の代わりに木製の杖を振り回して、ユーアはそれを攻撃しようとする。
「何だい、彼女はこの生物が苦手なのかい?」
 クロークがちらちらと輝きを振りまきながら興味深そうにユーアの動きを見る。
「そう、みたい……」
 千獣は以前見たことがある。この生物を前にして、ユーアが半狂乱になったのを。
 魔女の姿――つまり女性らしい姿をしているだけに、ヲトメな姿が何だかよく似合っていた。
 クルスが魔術を放つ。ゴのつく生物が消え去った。
 鷲の姿でもそれなりにいけるのだった。
 へなへなと、ユーアがその場に座り込む。泣きそうな顔をしていた。……かわいい。
「魔女さん元気だしてっ!」
 着ぐるみ猫ミルフィーユが抱きついた。それを振り払う元気もない。
「ガガ?」
 クルスはふと、精霊の森に誰かが入ってきた気配を感じて顔を上げた。
「グアッグアッ。ガァ」
 まるでアヒルのような鳴き声だが。誰にも通じない――と思いきや、
「クルス……?」
 セレネーがクルスの前にちょこんとしゃがんで、
「森に、誰か、来たって、言ってるの?」
 ――何故分かるのだろう。
「森に……」
「誰か来た……?」
 きらりん、と数名の目が怪しく光った。
「知り合い……?」
「グガ……」
 クルスはつまった。知り合い、と――言いたくなくて。
「知り合いじゃない……?」
「それはつまり、森の敵だということだなっ!」
 虎王丸がむんずと変化スライムをつかんだ。
 グランが、ラエルから剣を取り戻した。
「む? 新しいやつならまた変身させれば美味しい具材に」
「僕も参加させてください〜〜〜!」
 リュウは小さな声で訴えた。
「今度はどんな変身するのかなっ!?」
 ミルフィーユはわくわくしているように飛び跳ねている。
 ユーアはゆらりと立ち上がり、
「こうなったら……そいつにこの薬をかけてくれる……」
「皆さん、一応相手をよく見てからにした方がいいよ」
 クロークの言葉はどこ吹く風。
 突撃する気まんまんの人々は、力を合わせて鉄製の扉を蹴破った。
 苦笑したクロークはその後をついていく。セレネーの手を取って、ゆっくりと。
 千獣はクルスが飛ぶのに合わせて走った。

 精霊の森の入り口で待っていたのは――
「クルスー!」
 仁王立ちした、いかにもお金持ちのお坊ちゃま然とした青年だった。
「今日こそ全力じゃん――!」
 びしっと指を指そうとして――向こう側から大量の人間が向かってくることに気がついた。
 赤ずきんちゃん(耳と尻尾のオプションつき)、着ぐるみ猫、巨大リス、パンプキンマン、麗しいハロウィンの魔女、何故か鷲に、いつもと様子が違う千獣、その後ろを光輝く美しい女性と、それに手を引かれた白い髪の少女。
「てめえが敵か、くらええええええ!」
 赤ずきんちゃんが変化スライムを思い切りこちらに向かって投げつけてきた。
「へ?」
 べっちょん。

 ぽわわわわわん

 煙に包まれ。
 晴れた時には、そこにはピエロがいた。

「こいつもくらえ……っ!」
 魔女が妙なフラスコを投げつけてくる。

 もうもうもうと煙が上がり、
 晴れた時には――

「……ガア」
 クルスがため息をつく。
 周囲の妙な仮想軍団が、黙ってそれを見下ろしている。
 ユーアの薬は……強力だった。
「これ……トール?」
 セレネーが千獣に訊いている。
「分から、ない、けど……匂い、が、一緒……」
 千獣は戸惑いながら答えた。
 トール・スノーフォール。
 最近森によく来るようになった、自称「クルスのライバル」。
 それが今――
 うねんうねんとスライムになっていた。
 しかも人面つき。ピエロの顔が引っ付いている。
「……気色悪」
 虎王丸がつぶやいた。
「なんだとーーー!」
「あ、口利けるんだ」
 クロークがつんつんとトールスライムをつつく。
「えー、これだってかわいい」
 ミルフィーユがすりすりと人面の部分をさする。
「やめろくすぐってえ!」
「あ、くすぐったいんだ」
 クロークがうんうんとうなずいた。
 リュウがすとんとトールスライムの上に降り立ち、
「えい」
 ちっこいレイピアをぷすっと刺した。
「痛ェ!」
「あ、やっぱり痛いんだ」
 クロークはメモ帳でも取り出したそうな顔をしていた。
「人面ゼリー……どうだろうか」
 リスラエルがぶつぶつ言っている。
 クルスは迷った末に、セレネーの通訳で皆に教えた。トールが大金持ちの子息であることを。
 虎王丸やユーアが目を輝かせた。
「よっしゃよっしゃ報酬上乗せできるな!?」
「俺も新薬作った甲斐があったぜ!」
「ガア」
「ユーアさんは何か仕事したのか、って」
「うるせえぞ人外」
 ユーアに蹴飛ばされて、あえなく千獣の腕の中にノックダウン。
「元の姿に戻ったら見てろよクルス」
 パンプキンマン――もといグランは頭を支えながらにらみをきかせた。くぼみの奥からの瞳の光はなかなか怖い。
「ところで」
 ハロウィンの魔女は、にっこり笑って飴玉を差し出した。
「さっきひそかに作った飴がここにあるんだけれども」
 いつの間に作った!? というつっこみは彼女には通用しない。
「ぜひ食べてみろ? もしくは俺に蹴飛ばされるか、好きな方を選べ」
 帽子をかぶった魔女は誘惑――ではなく脅迫の笑みを浮かべる――

 trick or...danger?

 金色の瞳の魔女は飴玉を手に、人々を甘い世界へと……誘う……かも?


 ―FIN―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1070/虎王丸/男/16歳/火炎剣士】
【2542/ユーア/女/18歳(実年齢21歳)/旅人】
【3087/千獣/女/17歳(実年齢999歳)/獣使い】
【3108/グランディッツ・ソート/男/14歳(実年齢20歳)/鎧騎士。グライダー乗り】
【3117/リュウ・アルフィーユ/男/17歳/風喚師】
【3177/山桜 ラエル/女/28歳(実年齢36歳)/刑事】
【3295/ミルフィーユ=アスラ/女/10歳(実年齢13歳)/アコライト】
【3570/エル・クローク/無性/18歳(実年齢182歳)/調香師】

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■         ライター通信          ■
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グランディッツ・ソート様
お久しぶりです、笠城夢斗です。
ハロウィン祭りにご参加くださりありがとうございました。
……どうにもクルスを恨む運命にあるようです。お手柔らかにお願いします;

このノベルは向日葵絵師とのコラボレーションです。
向日葵絵師の方で異界ピンなどを受け付けておりますので、ぜひご利用ください。
では、またお会いできますよう……