<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


 弱肉大食?!

 絶対絶命、孤立無援。
 否、今現在最も自身に相応しい言葉は、そんな緊迫を極めた物では無い筈だ。
 そんなささやかな懇願を、まるで直接槌で脳を叩かれたかの様な頭痛と共に、アレスディアは胸中で断言した。

 ヴ・クティス教養寺院でツヴァイが精製した未知の薬品。
 偶然にもそれをまともにかぶり、今や小鳥も彼女を見下げる程の大きさにまで縮んでしまったアレスディアは彼の言い付け通り、(そもそも彼が事の原因であるのだが)彼の受け持つ植物栽培園で、大人しく身を潜めて居た筈であった。

 そう。筈であった、のに。

『――……美味そう』

 強固な壁すら風水を思わせる緩やかさで通り抜け、遊び相手を求め現れた、ヴァ・クル。
 彼のそら恐ろしい呟きを耳に入れ、それを踏まえた上でアレスディアは、眼前で無邪気に瞳を輝かせ、あまつさえ彼が喉を鳴らす音さえ届きそうな距離で、ヴァ・クルと対峙して居た。

「――ヴァ・クル殿……?」

 味覚の類で評された時点で、既に望みは絶たれている気もするが、それでも一縷の希望に賭けて恐る恐る、アレスディアはヴァ・クルに語り掛ける。
 自身の身が縮む以前、寺院のマスコット的存在である彼のフォルムはその扱いに違わず微笑ましい物だと感じて居た物だが、今となっては勝手が違う。
 我が身の何倍もある、獣の形状にも似た彼に見下ろされる、何とも言えぬ圧迫感。
 アレスディアの声は矢張り届いて居ないのか、彼女が自身の知る人物だとは認識する事も無く、アレスディアの逡巡を他所に遂にヴァ・クルが行動を起こした。

「っ!?」

 先まで滞空していたヴァ・クルの身体がアレスディアへと急速に降下し、着地から興味本位で伸ばされた前脚と共に、巻き起った突風が無慈悲に彼女を襲う。
 すんでで脇へ飛び我が身を捕らえようとする脚から逃れた物の、風に煽られ体勢を崩し掛けた身体を何とか持ち直し。風が運ぶその流れに任せ、アレスディアは植物栽培園からの脱出を試みた。
 兎にも角にも、今。ヴァ・クルの傍らに無防備にこの身を晒して置く事なぞ、危険極まりない。

「うおぉ!! 飛んだ! 待てっ、俺のおやつー!!」

(飛んだのは、ヴァ・クル殿の所為なのだが……)

 逃げる獲物を追うのはどこぞの獣の習性では無かったか。ご丁寧に一際好奇心を燃え滾らせたヴァ・クルは果てにアレスディアをおやつと呼ばわり、彼女の胸中を他所にアレスディアの背を追い掛け出した。

「ヴァ・クル殿! 私だ、気付いてくれ――!!」

 ツヴァイは薬の中和法を調べる為、図書館に行くと言って居た。自身の今の尺で人波を掻い潜り、更にヴァ・クルの追跡を振り切った上で、無事に彼の下まで辿り着く――些か無謀な策ではあるが、背に腹はかえられない。
 息を継ぐ合間にも、ヴァ・クルに語り掛ける事を欠かさず。大広間へと続く庭園を駆け、図書館までの回廊を道を違わず進む事が出来れば、きっと、助かる。

 尺が縮んだ事が今は幸いし、悠々と宙をたゆたうヴァ・クルには庭園の草花の陰に紛れ。地を踏み締め駆ける悪戯な猛攻には、小石や脇道に身を潜め、追いつ抜かれつの攻防は熾烈を極めた。

 アレスディアの幸と不幸は、ヴァ・クルの五感が、外見である獣としての機能を果たしていない事、であろうが、逃亡の最中も頭の隅で何処か冷静にそんな事を考え、無事元の姿に戻れた暁には、ツヴァイにヴァ・クルの健康診断を薦めた方が良いのではないだろうか、等と、些か的の外れた事を考える。

「この先の廊下を渡り切れば、館内にツヴァイ殿が居る筈――か」

 通常であれば瞬く間に荘厳な扉が見える寺院の図書館も、今はどうした事か、ちょっとした小旅行にでも赴いて居るかの様な錯覚をアレスディアへと感じさせる。
 辺りにヴァ・クルの気配が無い事を確認し、僅かに乱れた息を数度の呼吸で整える。
 図書館の扉を見据え、物陰の無い一本道。後はスピード勝負とばかりに、アレスディアが廊下を駆け出した。

 一メートル、二メートル。

(遠い……。だが、まだ勘付かれては――居ない)

 三メートル、四メートル。

 冷静であれ、この一歩を逃してはならない、と、周囲の気配を探りつつ駆け抜ける廊下の、中程。不意に上方が陰り、天井を仰ごうとしたアレスディアの眼前に映った物は、透き通る水面に似た彩光――否、ヴァ・クルだった。

「見、つ、け、た、ぜー!!!」

「っ!! ヴァ・クル殿、待て……!!」

 失念をして居た。この寺院の付喪神特有の、実体ならざる通過の力。
 思えばどれだけ物品を隠れ蓑にしようと、寺院その物から為るこの存在に。寺院の中で隠れん坊を挑む事こそ、元より無謀な試みであったのではと思える程。
 ――……その上でこの逃亡劇が此処まで成り立ってしまったのは、偏にヴァ・クルの幼い心根故か。

「つっかまえたぁあ〜!!」

 上方から飛び込んだ勢いで、アレスディアを両脚で掴んだ儘十数メートル先へと滑り進んだヴァ・クルの満足げな笑みと、声色。普段まみえるならば、申し分ないその様子も獣の毛ともまた異なる、何とも言えない彼の前脚に捉えられた今となっては、悠長にそんな事も言って居られない。

「いっただっきま〜す♪ 俺のおやつ〜っ!!」

 元気良く開かれた口にいよいよ、我が人生の何と滑稽な窮地かと、それでも水の膜に形作られた獣の口内を見据え。

(呑み込まれる――!!)

 そう過ぎった、刹那。

 ――……はむっ。

 恐れていた感触は幾等待てども襲っては来ず、アレスディアが反射的に閉じた目蓋を緩々と開けば、其処には。

「…………ねぇひゃん?」

 元の尺に戻ったアレスディアの懐で、彼女の指を食みきょとんと瞳を瞬かせるヴァ・クルと。

「…………何やってんの?」

「「「………………」」」

 扉の前の滑稽な状況に、調べ物を終え今正に植物栽培園へ戻らんとするツヴァイが、何とも微妙な面持ちで立ち尽くして居た。

「――……終わった、のか……」

「みたい? だねぇ」

 先までと異なる、正常なる視界に辺りを見渡し。独白めいた呟きを漏らしたアレスディアへと、愛用する白衣のポケットに両手を突っ込み、一つ。労いの籠もった声色に添え、ツヴァイが肩を竦めて見せた。


 あれから、ツヴァイの精製した薬は、その後彼によって作られた中和の薬と。アレスディアの体験した、時間の経過によって浄化される、と言う結論に至った訳であるが。

「……ひとまず、こうして元に戻れて事なきを得たが……ツヴァイ殿、そのような人に影響を及ぼす薬品はもっと厳重に、易々とこぼれたりせぬよう管理を頼む」

「はい、済みません……」

「……それに、ヴァ・クル殿……食べ物かどうか確認できないものを、むやみやたらに口に入れようとしてはいけない……誤飲で喉を詰まらせることもあるし、食べれたとしても腹を壊したらどうする……?」

「うう〜……、ごめんなさぁあい……」

 図書館の扉の前で行われるささやかなお説教は、何故か関わる者全員が正座、若しくはお座りをし、何れの声にも一分の覇気も無い事は明らかで。
 偶然通りがかった目撃者によれば、経緯は分からぬが、その表情から各々何かしら、並々ならぬ疲労の色が濃く見て取れた、とか。

 了

〔登場人物(この物語に登場した人物の一覧)〕

【2919 / アレスディア・ヴォルフリート (あれすでぃあ・う゛ぉるふりーと) / 女性 / 18歳(実年齢18歳) / ルーンアームナイト】
【NPC / ツヴァイ (つう゛ぁい) / 男性 / 23歳 / 寺院師長】
【NPC / ヴァ・クル (う゛ぁ・くる) / 無性 / 999歳 / 付喪神】

〔ライター通信〕

《アレスディア・ヴォルフリート様》

 この度は「弱肉大食?!」へのご参加、誠に有難うございます。
 今回、ツヴァイの薬品によって尺が縮んでしまわれたアレスディア様ですが、コミュニケーションの一環として、又、こんな一幕があれば微笑ましいなぁと、ヴァ・クルにアレスディア様の指をはむはむさせて頂きました。
 年長の二人を撓らせる事の出来る、トップブリーダーを思わせるアレスディア様のプレイング、楽しく拝見させて頂きました。

 こちらのノベルが、アレスディア様の魅力に華を添えられる事を祈って。
 またのお越しを、心よりお待ちしております。