<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


小さな村に救いを


「さてさて、良い子でおるかの」
 朝げの後に観賞が恒例となりつつあった。偶然入手した、希少な花から抽出した香水。それを満足気に眺めるのだ。いつも通り金庫を開け――
「っ!」
 小刻みに膝と手が震える。見間違いかと頭を振って、もう一度金庫の中を凝視した。
「ない! そんなバカな!」

 金庫の周囲、部屋の中を探し回っても見つけられない。あの小ぶりのガラス容器に満たされた紫の香水が。
 村中に村長の雄たけびがあがった。

  *

 チリンと店の扉に付けられた鈴が鳴る。
「いらっしゃーい」
 白山羊亭からルディアの元気な声がかかった。
 一歩店内に入った客に瞳が輝く。
「誰かと思ったらレナさんじゃない。久し振りだね」
 だがため息を一つ零したレナに顔が曇る。
「どうしたの?」
 気を利かせて水入りのグラスを渡す。レナは一気に飲み干すと、カウンターの上に上半身を寝かせた。
「村長が持ってた香水が、盗まれたみたいで……」
「ああ、あの変わった村長さんね」
 レナの暮らすフィアノの家からそれほど離れてない村を思い出す。村長は顎ひげを優雅に揺らして、貴重な物をコレクションするのが趣味だった。それは他人が理解できない範囲まで及ぶ。例えば、数少ない某怪物の毒入り角など。
「でも、サーディスさんに頼めば……」
「それが今、不在なの。だからこうして来たってわけ。しかも、その香水がやっかいなのよ」
「どうゆうこと?」
 無意識に喉を鳴らす。レナがこう言う時は大抵、深刻なことに発展するのだ。
「睡眠作用があるらしくて」
「……じゃあ、ふたを取ったら」
 うん、とレナは頷く。
 ルディアは一瞬、眩暈がした。そんな物を村長が手にしていたとは。
「睡眠を解くには対となっている透明の香水が必要なんだけど、それも……盗まれたみたい」

  *

 白山羊亭の掲示板に解決してくれる人を緊急募集する。
 しかし、村に帰るとすでに異変が起きていた。予想していたとはいえ、そうならないでほしい――その想いが強かった。
「うそでしょ!?」
 村の入り口でその悲惨さに血の気が引いた。
(そんな……)
 レナは、がっくりと肩を落とした。打ちひしがれた体は支えることができなくて、膝を折ってしまう。いつもは壁を突き破るほどのポジティブさも影をひそめる。
 村人が全員、眠りについてしまったのだ。村長までも。
 盗んだ張本人、怪盗から残されたカードには「第二の災い」と記され、現実になってしまった。


  ***


 太陽が天高く上がろうと、地上を満遍なく照らす。小さな村を襲った事件を嘲笑うかのように。
 そこへ、一人の少女がレナの背後から近づいてくる。
「あなたがレナ?」
 鈴のように奏でた声に、ゆっくりと振り返る。
 そこには、限りなく純白に近い銀の髪が揺らめく。羽耳が髪の間から顔を出していた。
 生きて動く者がそばにいる。それだけで安心感が駆け巡った。村中が眠らされたという事実は、レナに絶望を与えたから。少し元気を取り戻すと、震える足で立ち上がった。
「ええ。……もしかして」
「うん、そう。あたし、ミルカよ。掲示板を見てきたの」
「私も……来た」
 ミルカよりも遅れて艶やかな長い黒髪をなびかせ、隣に立つ。呪符を織り込んだ包帯を体に巻きつけた少女――千獣。
「ありがとう、二人とも。助かるわ」
 二人の片手同士を合わせて、ぎゅっと握り締める。
「そんなに落ち込まないで」
「解決、方法……さがそう……」
 意気消沈だったレナも二人その言葉のおかげで、自分のやるべきことを思い出す。
「そうね、そうよね!」

  *

 三人は無闇に入らない。村の外から状況を確認した。
 昼前とあって、屋外で人が数人倒れている。きっと家の中でも同じだろう。試しに叫んで呼んでみても、誰からも反応はなかった。
 睡眠作用のある香水とはいえ、小さな村を包み込む力を持つことに不審の念を抱く。
「香水なのよね?」
「ええ」
 いつ覚めるともしれない村人たちを遠く痛々しく見つめる。
「香りを効率よく広めるには、何らかの力を借りる必要があると思うのよね。例えば、風とか」
「風……。私、風属性の魔法を使えるけど、まだ風の精霊とちゃんと会話が出来なくて、いつ運ばれたかとか分からないわ」
 レナはぎゅっと拳を作った。自分が半人前なことを。役に立ちそうな場面で役立たずなのだから。悔しくてたまらない。

(精……霊……)
 千獣はあの森が脳裏に蘇る。
「どのくらい睡眠作用が続くのかしら?」
 ミルカの疑問に答えは出ない。レナは静かに頭を左右に振る。
「それに、人がたくさん集まる場所の方が、より早く香りを広められると思うの。だから、そうゆう場所に隠されてるような気がするんだけど……」
「それなら……、!」
 はっと気づく。
「名所になってる花時計と時計塔があるわ」
「花、時計……と……時計、塔」
 千獣は見上げた。村の入り口から、遠くに抜きん出た時計塔が垣間見える。
「そうねえ。花時計なら香水の香りがお花の香りに紛れて気づかれ難いでしょうし、時計塔なら風の力を借りるなら申し分ないわ」
 うん、と頷いて。
「あたしはまず、そこから探してみようと思うの」
「分かった。でも、どうやって探す?」
「うーん」
 しばらく考え込んで。
「注意深く見てみるくらいしか思いつかないわ」

「千獣はどうする?」
 レナは時計塔を見つめていた黒髪の少女に、視線を向ける。
「……私。私、は……」
 その時、風の匂いが千獣の鼻をくすぐる。
「……森に、行き……たい」
 風の中に、森の神秘的な清々しい香りが混ざっていた。
「森に? でも、あそこは迷いの森よ。入れば深くて出てこれなくなる」
 千獣の紅玉の瞳は村を通り越し、その先の森を見据えていた。
「それ、でも……」
「じゃあ、千獣が迷わないよう、私が案内するわ」
 千獣は「あり……が、とう」と添えて、ふわりと微笑する。

「これで決まったわね」
 ミルカは金の強い瞳で微笑む。
「あとはせめて残り香にやられないよう、ハンカチで鼻と口を覆うとか、或いはマスクくらいした方がいいのかしらねえ」
「そうね。でも」
 三人は目線を合わせ。ミルカが後を続ける。
「……花も恥らうヲトメとしては、マスクなんて見た目がイマイチで嫌だわ」
「そうなのよ、ね……」
 うなだれるが、今そんなことを気にする時ではない。一刻も早く、香水を見つけなければいけない。
 その時、レナが両手をパチンと叩く。
「あ、じゃあ。これならどう? 私が二人の体に風の膜を張るわ。それだったら、残り香があっても大丈夫」
「できるの?」
「ええ!」
 早速、レナは拙いながらも、自分を含めた三人に魔法を施した。
「これでいいわ。私が離れても、効力が切れることがないからミルカも安心よ」

  *

■香水さがし

 千獣とレナは森の入り口、村との境界で立ち止まった。ここから先は迷いの森――。
 森のことを充分知った者を引き連れていなければ、必ず迷ってしまう。まるで樹海のように手招きしていた。

 千獣はすうっと息を吸う。
 清澄で無垢な光と空気が体を癒すように満たされていく。内に宿る獣たちも大人しい。
 いつかの森のような、同じ匂い。あの人と出会えるような、面影。

「レナ、この……森、きれい」
「ありがとう。そう言ってくれると森の精霊たちもご機嫌ね。きっと、千獣を助けてくれる」
「そう、なの?」
「ええ」
 あなたに気まぐれでいたずらなんてしないわ、と片目をウインクした。

 千獣はいつもなら笑い声が絶えないだろう、静まりかえった村を一瞥して。森を見渡す。
「この、森に、……人は……入る? ……いつも?」
「う〜ん……。村人たちは迷いの森を熟知してるから、目をつぶっても歩けるわ。でも、……そんなに何度も入らないと思う。この先に教会があるけど、それはある秘密の道を通っていくし」
「ジュク、チ?」
 千獣は瞳を一度瞬く。
「よく知ってるってことよ」

 レナの情報で千獣は、何かが少し見えた気がした。
 足元には人間らしき靴跡がある。それは森の奥深くまで続く。
「レナ……魔法、解いて」
「魔法って、風の魔法?」
 レナは自分を含めて、三人の体に風の膜を張っている。睡眠作用のある香水の残り香に惑わされないために。
「……うん」
「出来ないわ! そんなこと」
 レナは彼女の申し出に頭を左右に振る。
「この、足跡。ここに、残る……匂いを、確かめ……たい」
「そんな」
「一瞬……で、いい」
 真っ向から見つめられる紅い瞳。レナは折れるしかなかった。
「一瞬よ、それ以上はできない」
「うん」
 千獣は膝を曲げて、その痕跡に鼻を近づけた。
 レナは千獣だけに解呪の呪文をかける。
「散!」
 続けて、再び風の魔法を発動する。
 だが、千獣の体が傾いた。
「千獣!」
 とっさに、レナは両腕を掴んで支える。顔を覗き込んだ。
「大丈夫?」
「心配、ない……よ」
 あと少しで眠りに意識が奪われるところだった。めまいを振り切って立ち上がる。
 時間が経ち、ほとんどの香りが風に運ばれ消えつつあっても強力な香水。鼻がいい千獣だからすぐに反応が現れたが、普通の嗅覚でも長居するとまずい。

 そして。敏感に匂いを嗅ぎ分ける鼻は確かに人間の匂いを主張していた。この足跡に残るものを。
 村人は頻繁に立ち入ってない――ということは外部の者かもしれない。
「森の奥まで続いているわ」
 二人はじっと森の最深部へと神経を集中する。

 葉に揺られて木漏れ日がさんさんと降りそそぐ。梢がさわさわとささやいていた。
 深緑は奥に行けば行くほど暗闇へと変わっていく。

 足跡をはっきりと残したことからみて、罠かもしれない。でも行かなければいけない。
 この先に何が待つのか――

 レナはごくりと喉を鳴らす。
「行こう……」
 千獣が一歩踏み出した。

  □□□

 しばらく周囲を警戒するように、無言で歩いていた。後ろを振り返っても、もう村の姿はない。森の中にいるのは、たった二人だけ。

 パキッと枝が鳴る。
 最初は二人のどちらかが踏みつけた音だと思った。だが違う。
 千獣はそっと立ち止まる。
「あの、先に……何か……いる」
 レナにだけ聞こえる声で呟く。
 二人からは何も見えない。うっそうと茂る草と落ち葉ばかりで。
 目を凝らそうとも映らない姿。だけれど確実に、気配を殺した者がそこにいた。

 千獣は大きく息を吸って。
 森中を震撼させるほどの、体からほとばしる咆哮。それは凄まじく、怒りの轟きともとれる響き。
 千獣は体の内に千からの魔と獣を宿している。千の獣が千獣という体――檻の向こうでひしめく。その姿は見えないのに、いくつもの影が千獣の背後に見え隠れしていた。今にも飛びかかりそうだ。

 身を隠していた者はうろたえた。じりじりと後退する。けれど、ある者の命令は『絶対』。引き下がるわけにはいかない。
 しかし。
「チュ、チュー」
 ねずみのような声がいくつかあがったかと思うと、耐え切れず泣くように遠くへ行ってしまう。
 逃げたのか――でも、まだ敵はいる。千の獣の気配で威嚇しても一向に引かない。それどころか、敵は徐々に間合いをつめてきた。
 その時、目の前の敵の姿が見える。
 小さないのしし、ウリ坊だ。
「!? ……でも」
 その瞳は明らかに正気を失っていた。

 元々、彼らの縄張りだ。侵入したのは千獣たち。相手が引きさえすれば、それ以上手出ししないつもりだった。けれど、ウリ坊は戦意を無くしていない。その瞳に何も映さなくても、そこに敵がいることは理解していた。
 香水にやられていないのも、何かあるのだろう。

 前足を蹴り上げ、土埃をたてる。
 一瞬の間――
 千獣に突進してきた。がむしゃらに、そのまま打ち落とすかのように。
 体が小さくても、当たり所が悪ければ骨折するかもしれない。大人のいのししより劣るが力は強い。
 黒髪の少女は軽やかにそれを避ける。一陣の風も手伝って。ウリ坊を正気に戻したい森の精霊たちも手を借してくれる。
 ウリ坊は急停止して、体の向きを変えた。
 千獣を倒すまで引かない気迫。
 今度は突進を避けなかった。突っ込んでくる足に自分の足を引っ掛ける。ウリ坊の重心を傾け、姿勢を崩したところで思いっきり、拳で殴った。
 ウリ坊は地面に伏せ、ピクリと足をけいれんさせたかと思うと、動かなくなる。

 微動だにしないウリ坊を覗き込み。
「死んだの……?」
 千獣は頭を左右に振る。黒髪がゆるやかに踊った。
「ただ……、気絶、させた、だけ」
 殺したくはなかった。獣を”飼っている”千獣だからこそ、いたずらに傷つけたくはない。
「優しいのね、千獣。そんなあなた、好きよ」
「す、き?」
 その言葉になぜか胸が温かくなる。自分は間違っていないのだと、そう言われた気がして。


 始めに辿ってきた足跡は今、この場所で無くなっていた。帰った形跡もない。やはり、罠だったのだと二人は思う。
 戦いの爪痕が残った場所。
 もしかしたら罠以外にも何かあるかもしれない。周辺を調べてみた。

「あった!」
 樹の枝に挟まるように小瓶が置かれていた。
 レナは喜びの声をあげて涙を流す。
「よかった……」と、千獣の手を取って握りしめた。

 二人が持つ小瓶には紫の液体。ほんの僅かに残っているだけの。
 使用されたそれは、村人に振りまいた香水かもしれない。

  *

 ここは村の入り口。三人の合流地点。村のどこかを指定するよりも、入り口が一番分かりやすい。
 三人はそれぞれ報告した後、首を傾げる。

「これで出てきたのは二つ」
 手元には、二つの香水。紫と透明の液体。千獣とミルカが見つけた。
 けれど気になるのは、時計塔に残されていたカード。
「『我の預かりし物を探す旅人よ。手にする香り立つ欠片は、――真実なのか』、か……」

 三人でカードを凝視しながら。
「この『我の預かりし物を探す旅人』というのは、私たちよね?」
 レナは二人に問うと、ミルカが頷く。
「『手にする香り立つ欠片』は……、香水かしら」
「『真実』は……”本、当”」

 三人は同時に気づく。
「この二つの香水がフェイク、かもしれないってこと?」
 レナの顔が蒼くなっていく。
「でも……、フェイク、という……証……も、ない」
「……そう、よね」
「でもフェイクであれば、どんな効果をもたらすのか分からないわよう」
「そう、そこなのよ! 問題はっ」
 一気にレナの体から何かが噴出した。
「きっと、この状況を見て怪盗は嘲笑っているんだわ! 出てきなさいよ! このっ盗人!」
 後半の台詞を大声で叫ぶ。たまった悲しみが激昂として爆発した。
 二人はレナの切れぶりにぎょっとする。

「盗人は聞き捨てなりませんなあ」
 三人の背後から、タキシードにマント姿の壮年の男性が現れた。

「「「!!」」」

 突如、姿を見せた怪盗に息をのむ。
「私はご存知の通り、怪盗。しかし、またの名を”暁のしもべ”と申します。お見知りおきを」
 優雅にお辞儀をしてみせた。
「「「”暁のしもべ”?」」」
「”暁のしもべ”……ですって?」
 その名は、このソーンの世界で賑わす怪盗の名。明け方に犯行を行うために、こう付けられた。
「その通り」
「ふざけないで! なんで、そんな怪盗が香水を」
「魅惑の香りに惹かれて参った次第」
「これはフェイクなのかしら?」
 押し問答になりつつある会話に割り込むミルカ。可憐な花のような笑顔で怪盗を促す。
「……」
 笑顔なのに、気迫と威圧感が伝わって。
 瞬時に抜け目がない娘と判断した怪盗は逆に質問する。
「お嬢さんはどうお思いかな?」
「あたしは、本物だと思うわ」
「ほお」
 感心したように頷く。
「フェイクなら、小瓶をいくつも置いていたんじゃないかしら」
 その言葉に、レナと千獣はミルカに振り返った。
「なかなか勘が鋭い。しかし、このままでは終われませんな」
 その時、千獣が獣の唸り声をあげた。
 姿は変わらぬのに、その影でいくつもの獣がざわめく。今にも怪盗に飛び掛りそうだ。 
「……分かった。お嬢さん方には負けたよ」
 お手上げだという仕草をする。
「だがしかし、捕まりはせぬ。また会おう」
 そう言うとマントをひるがえし、その姿は一瞬で掻き消えた。空蝉だったのか、魔法で消えたのか、それは永久に分からない。

「これで村人たちを助けられるわ。ありがとう!」
 レナは二人に感謝した。

 お礼にと眠りから開放された村人たちから夕げに招待され、宿も提供された。
 そして朝。

 二人は、またそれぞれの路(みち)に帰っていく。



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■     登場人物(この物語に登場した人物の一覧)    ■
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【整理番号 // PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

 3457 // ミルカ / 女 / 17 / 歌姫/吟遊詩人
 3087 // 千獣 / 女 / 17(999) / 獣使い

 NPC // レナ・ラリズ / 女 / 16 / 魔導士の卵(見習い)

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■             ライター通信               ■
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千獣様、発注ありがとうございます。
「■香水さがし」のところは個別描写となっています。読み比べてみるのもいいかもしれません。

少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
リテイクなどありましたら、ご遠慮なくどうぞ。
また、どこかでお逢いできることを祈って。


水綺浬 拝