<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


戯れの精霊たち〜魅了されし者たち〜

 今どんな心であれ、この森は害意がない者を拒絶しない。
「冬は、どうしても人恋しくなるわね……」
 とその美しき存在は、どこか憂いを帯びながら森の木々を見上げた。
 この常緑樹の森の中では、気温も一定で、外ほど寒くはない。
 吐く息が白くなることはない、刻の止まった世界の中で。
「お久しぶり、クロスエアくん」
 小屋から出てきたこの森の守護者に、蟠一号は柔らかく微笑んで見せた。
「久しぶり」
 クルス・クロスエアは微笑して返す。――蟠の肩までの金髪と赤い瞳が、今日はいっそう映える。
 なぜだろうか。
 ……ああ、彼の周りに風の精霊がまとわりついて、彼の髪や服がわずかになびいているからだろうか。
「迷惑でなければ、またお邪魔させていただきたいのだけれど」
 と蟠は服の裾を払う。
「邪魔どころか、大歓迎しているよ。精霊が」
「え?」
「風を感じるだろう?」
 蟠はさっきから無意識に髪の毛を手で押さえていたことに気づいた。
「あらほんと……この森にはいつも微風が吹いているから気にしなかったけれど」
「風の精霊の片割れが、キミにまとわりついてる」
 とクルスは蟠に、樹の切り株をすすめながら言った。「フェーと言ってね。音楽好きなんだよ」
「あら」
 蟠は嬉しそうに笑った。
 彼は吟遊詩人。楽器を持たせたら扱えないものはないし、歌も人を魅了する。
「よかったら、姿を見せてくれないかしら?」
 蟠は小首をかしげていたずらっぽく森の守護者に頼んだ。そう、この守護者になら――精霊という、普通には見ることも声を聞くこともできない存在を、擬人化できる。
「いいけど……風の精霊に礼儀って言葉はないからね。粗相をするかもしれないが、いいかな」
「構わないわ」
 かわいいじゃない、と蟠は笑う。
 クルスは苦笑して、パチンと指を鳴らした。
 光の粒子がある一点に集まり、人の形を取り――そして弾ける。
 やがて光の代わりにその場に現れたのは、
 10歳ほどの、ひらひらしたスカートを履いた、女の子だった。
『きゃはっ! きゃはっ! わ、だ、か、ま?』
 おそらく以前来た時に名前を覚えたのだろう。
「まあ。ボクの名前を覚えていてくれたのね」
「フェーにしては驚異的な記憶力だな。よほど気に入っていたんだろう」
「フェーちゃんっていうのね」
「そう。歌と踊りが大好きな風の精霊だよ」
 蟠は、きゃはきゃは言いながら自分にまとわりついてくるフェーを受け入れた。
 風を感じる。とても心地いい風だ。何というか……爽やか、なんて言葉にするのとは違い。
(何て言うのかしら……そう、波長が合う?)
『わだかま! わだかま! 歌って楽器弾いて!』
 首に抱きつきながら、わがままな風の精霊は早速要求してくる。
 ――風が、音楽を好き。
 蟠は考える。
 音、とは……空気を震わせて起こすもの。
 風、とは……空気が動いて起きるもの。
 そこに、どんな違いがあるのだろう?
「そう。フェーちゃんは音の兄弟なのね」
 蟠が囁くと、フェーは不思議そうな顔をした。
『そうなの? きょうだいってなあに? でもそうだったら嬉しいな、音、だーいすき!』
「そう」
 風とは素直なものだ。それを思って、蟠は笑みを深くした。
 さあこの小さな精霊のために何か音楽を。何がいいだろうか。
「フェーちゃんはどんな音楽がいい? 好きな楽器はある?」
『ん? ん、ん、ん、えーと、ちぇろ! えーと、踊れる曲!』
「チェロ……何だか精霊の森の精霊の口から出るとは思わなかったわねえ」
 少しばかり驚いた蟠に、「以前フェーにチェロを披露してくれた方がいたんだよ」とクルスが解説する。
 うなずいた蟠は、
「じゃあボクはそれ以上に素晴らしいチェロを弾いてあげるわ」
 広げた手。ふわりと登場したチェロ。
『ちぇろ! ちぇろ!』
 くるんくるんとフェーが回る。
 蟠は弓を構える。弓を持つ指は親指に人差し指、そして薬指の3本。弦にそっと当てる、その構えさえも彼は美しい。
 なめらかな指に、艶やかなチェロの輝き。
 やがて弦が動き出した。ゆっくりと。
 低めの音が、流れ出した。
 森を震わせて――梢が揺れている。あれは風の精霊のせいか?
 チェロを響かせながら、木々がかすかに揺れているのを見ていた蟠は、しばらくして「違う――」と感じた。
 あれは、風で揺れているのではない。
(確か、この森は樹の精霊が司っているって聞いたかしら……)
『ちぇろ! 踊れない!』
 フェーがぷんぷんした表情で蟠の眼前に来た。腰に手を当ててむっくり膨れる。
「ごめんなさいね、少しだけ考え事をしてしまったわ。――今から、音楽に集中するから」
『歌って!』
「はいはい。もう……」
 蟠の代わりにクルスが苦笑してくれた。
 蟠は歌いだした。


 姫の踊りの相手はだあれ 今宵はかの国の王子様
 姫の踊りの相手はだあれ 今宵は厩の働き者
 姫はなぜ踊る 小さき姫はなぜ
 姫はなぜ踊る 人々を魅了する姫はなぜ
 踊る楽しみを知らないの と姫は言った
 手を取り合う楽しみを知らないの と姫は言った

 今宵も姫は踊る 誰かの手を取って
 今宵も姫は踊る ドレスを翻し
 誰もが 誰もが その姿に魅了され
 誰もが 誰もが 一緒に踊りたくなって

 みなが踊る みなが踊る 姫の踊りにつられて
 みなが踊る みなが踊る 美しい音楽にのまれて
 姫は笑う そう踊るのは楽しいでしょう
 姫は笑う そう踊るのは美しいことでしょう

 踊る踊る踊る 彼らたちの輪舞(ロンド)


 蟠の弾むような歌声に、チェロは影のようにぴったりと寄り添い歌を盛り上げる。
 フェーが空中でひらりひらりと踊っていた。
『たのしーい! わだかまの声、きれい、ちぇろの音、きれい』
 ふふと微笑みチェロの演奏だけで間をもたせていた蟠はふと、クルスが別の方向を見ていることに気づいた。
「どうしたの? クロスエアくん」
「ああいや、あそこにいる精霊が……ね」
 示した先、大きな大きな岩。
「ああ、岩にも精霊さんがいらっしゃったわね」
 ただし岩だけに、動きが硬い。恐ろしく硬い。踊るなどもってのほかだ。
 だが……
「聴いてくれているの?」
「ああ。ザボンが聴き惚れてる」
「ザボンくん……いえ、さん、かしら」
 擬人化した岩の精霊ザボンに会ったことがある。ザボンは四十代半ばの男性の形を取る。くん付けは似合わない。
「フェーちゃん、ちょっといいかしら?」
『ふぇ? なあに?』
「美しい音楽をね、ザボンさんに聴かせてあげたいのよ。もっと近くで……」
『う〜』
 踊れる? 踊れる? とフェーはそれだけを気にして演奏の止まってしまったチェロにまとわりつく。
「ええ、踊れるようにするわ。ボクに任せなさい」
 蟠は微笑んで、樹の切り株から立ち上がり、岩へと近づいていった。

 クルスはフェーの擬人化を解き、次にザボンを擬人化させる。
 どしっと現れたのは、背が低く肩幅の広い、硬そうな体の壮年の男だ。
『む。蟠殿と申したな。久しゅう』
 素晴らしい演奏であった――とザボンはごきごき首を鳴らしながら頭を下げた。
「ありがとう」
 岩なのに心優しい精霊だったと記憶している。
 直接こうやってじっくり話すのは、初めてだけれど。
「ザボンさん。あなたは岩ね……岩にとって、音楽とは何かしら」
 服の裾を払ってそっと両膝を地面につけ、ザボンと視線を同じ高さにすると、ザボンは『むむう?』と難しい顔をした。
『音楽……音楽とは何か……』
「ぜひ聞いてみたいわ。あなたの心を」
『わしの心……』
 その言葉を反芻したザボンは、破顔した。
『ありがとう、蟠殿』
「え?」
『あなたも、我々精霊には心があると認めてくださるのだな』
「―――」
 蟠は目をぱちくりさせる。
 何を当たり前のことを言っているのだろう――と思った。
 確かにフェーはちょっと変わった感覚を持っているかもしれないが、
「ボクが最初に出会った精霊は暖炉のグラッガくんだったわ。グラッガくんは……まるで人間のような心を持っていた」
 わがままでぶっきらぼうで素直じゃなくて。
 けれど寂しがりやで甘えん坊で、大切で大切で仕方ない人に、素直にそう告げることができない。
 最初に会ったグラッガがそんな風だったから、蟠は精霊と人間に境目など見出していない。
 人間ではない蟠の方が、逆に精霊とは遠い存在のような気がしたくらいだ。
『そうか、グラッガか……』
 うんうんとザボンはうなずいた。
「ええと……グラッガくんに会ったことはあるのよね」
『うむ。クルスが精霊宿りの技を会得してからはしばしば。それ以前にも、風の精霊たちがたまに噂を運んできた』
 ザボンは静かに微笑む。
『“人間らしい”というものは、正直言って分からぬ。が、グラッガは精霊らしくないのは知っていた。だから我々小屋の外にいる精霊たちは、少々羨ましく思っていたものじゃよ』
「精霊……らしくない……」
 蟠は考え込んでしまった。
「馬鹿を言うな」
 とクルスが背後から口を挟んだ。
「精霊たちは精霊たちで立派な心を持った存在だよ。今も昔も……」
 蟠はクルスを見上げる。クルスは困ったような微笑で返す。
 少しためらってから、蟠はザボンに向かって口を開いた。
「……人間らしく、なんてなる必要はないわ。いくら人間とたくさん接するようになったからって……。ボクはたった今、フェーちゃんのような心もかわいいと思ったし、キミたちはキミたちでいいのよ」
『蟠殿……』
 ザボンは瞳をうるませるかのような表情をした。実際には涙は流れないようだが。
「心は、あるのよ」
 蟠はチェロを消し、フルートを取り出した。
「……音楽に聴き惚れるような、感覚があるならね」
 そしてそっと、フルートに下唇を添える――


 空気をひゅるりと震わせる音は、フェーの体にぴりぴりと心地よい刺激を与えた。
 不思議なことだ。風は――刺激など受けないはずなのに。
 岩の精霊へ捧ぐ音。それは何ともか細くて、けれど存在を主張する音。
 ピンと張った糸のように、張り詰めているけれど強い。
 ――森に広がっていく音はまるで泉に小石を放り込んだかのように静かで、
 波紋を広げて、
 広く広く広げて、
 フェーはスカートの裾をつまんでくるん、くるんとワルツのように踊る。
 耳に心地いい横笛の音は、まるで風の中さえ吹き抜けていくような。
 木々に響き、梢の音と混ざり合い溶けて揺れる。
 波紋。
 ――あえて、響くことがない岩のために選んだ楽器。
 それでも心ある岩には、見えない穴も穿たれようと。
 そこから沁み入る何かがあるだろうと――


 ザボンはうつむいて聴いていた。
 やがてすうと空気に溶けるように、フルートの音はやんだ。
 ザボンはぎしぎしと両手をあげる。蟠がしばらく待っていると、やがて硬い岩の精霊の手はごん、と掌同士を打ち合わせた。
 拍手のつもりなのだ。
「ありがとう、ザボンさん」
 にっこりと笑って蟠は告げる。「フェーちゃんも踊ってくれたかしら?」
「ああ、まるで水に浸るように」
 見えない蟠の代わりに、クルスが伝えてくれた。
 蟠は満足して、
「ねえフェーちゃん、ザボンさん。ボクは素晴らしい楽士だけれど、本当は音楽というものは、感じる者次第なのよ」
『感じる者、次第……』
「そう。音楽に興味のない者は、どんなに素晴らしい曲にだって心を動かされはしない」
 少し悲しげにつぶやいた後、にっこりと笑って、
「その点、フェーちゃんもザボンさんも、とてもよい聴衆だったわ。楽士もやりがいがあるってものよ」
『わしは、“感じる”ことが出来たのか……』
 しみじみとザボンがつぶやく。
「そう」
『岩。岩とは動かぬもの』
「けれど小さな水に何十年何百年と打たれれば穴も穿たれる。岩は永遠ではない。……動いたって構わないのよ」
『………』
「本当はザボンさんにも踊ってもらえればよかったのだけれど」
 それはさすがに無理そうね、と言って、蟠は笑った。


 他の精霊さんで、音楽に興味がある人はいる? と蟠は訊いた。
 するとザボンが、
『ぜひ、水のマームとセイーに聴かせてやってくれ』
 と言った。
「あら……樹のファード……さんではなくて?」
『ファードにはどの道すべての曲が聴こえている。蟠殿とも話したいだろうが……しかしファードよりもマームとセイーの方が、森の外の存在と会う機会が少ない』
 蟠は目を見張って、「そうなの?」とクルスに尋ねた。
 クルスは困ったように頬をかいて、
「ファードは人々になつかれやすいんだが、水はなかなか……火のウェルリはこの間キミが相手をしてくれて満足しているんだが、水の2人はね」
「……寂しがって、いる?」
「いや、精霊に寂しいという概念はほとんどない。……ひょっとしたら僕が作ってしまったかもしれないが」
 人と会えるようにしたことで。
 「寂しい」という心を知ることになって、しまったかもしれない。
 最初から「寂しい」という心を持っていたグラッガとは違って。
 そのことを思い、蟠はうなずいた。
 水の精霊の元へ行こう――と、そう決めて。


 水の精霊――泉のマームと、川のセイー。
 2人を同時に擬人化させることは無理だったので、1人ずつ擬人化させてもらい、そして2人共に姿を消してもらって、蟠は目を閉じた。
 脳裏に、今見たばかりの2人を思い起こす。
 水のように透き通った2人。
 ならば彼らのように、透き通った音色を……
 地面に置くタイプの、大きなハープを生み出した。
 ポロン……つまびく音は、まるで泉に水滴が落ちるかのよう。

 ポロン……ポロポロポロポロポロロロン……

 森に広げるのではなく。
 泉と川に、落とすかのように。
 一本の弦を美しい爪がつまびくたび、川はさざなみを起こした。泉は波紋を広げた。

 ポロポロポロポロ――

 この透き通る音は、そう、涙ではなく。
 雫。
 歓びの、雫。
 ――キミたちがそこにいることへの、感謝。

 ポロン……


「……2人共、感想を口に出来ないみたいだ」
 とクルスが言った。
「いいのよ」
 蟠は微笑んだ。「言葉に出来ないもの。それでも、心に残るものもある」
 今弾いた曲は――と、蟠は泉と川を交互に見て言った。
「ボクから、キミたちへ贈ったもの」
 水面が揺れる。それだけで充分な返事。
 そしてクルスを振り仰いで、
「そもそも、精霊に言葉がある方が素敵なことでしょう」
 クルスは、そうだね、と柔らかく笑った。


 ああ、今日は素晴らしい日だ。
 音楽をこんなにも愛する存在が増えた。
 蟠は小屋で夕食をクルスとともにしながら、最後に暖炉の精霊グラッガに向かって言った。
「精霊たちがいれば……クロスエアくんはきっと笑顔だわ」
 クルスは不思議そうな顔をして、「当然だよ」と言った。
 グラッガの炎が激しく揺れ、蟠にはそれが照れている証拠だと分かって、声を立てて笑った。
 美味しい料理。グラッガの炎で作ったそうだ。
 今日は1日、精霊たちに包まれて。
「人恋しい……けれど精霊たちのおかげで心が暖まる」
 そっと囁いた。
「ここは、素晴らしい森ね」
 そしてきっと、そこに住むクルスは幸せなのだろう――と。
 しかしクルスは、ことんと淹れたての紅茶を蟠の前に置きながら囁いた。
「精霊たちに幸福を呼んでくれて……ありがとう」

 魅了されし者たち。
 彼らの心に、また。
 吟遊詩人も心惹かれて。
 互いに、互いに、惹かれあって、そうして心を交わしてゆくのだろう。

 音楽という、ひとつの輝かしい光が糸をつないで――


 ―FIN―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3166/蟠一号/無性/26歳/吟遊詩人】

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■         ライター通信          ■
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蟠一号様
こんにちは、笠城夢斗です。
前回に引き続きのご発注、ありがとうございました。
そしてこちらも遅れに遅れてのお届け、まことに申し訳ありません;
今回は色んな精霊と交流とのことで、これだけの精霊たちと関わって頂きました。
何より蟠さんが一番、魅力的な方だと思います。そうでなければ精霊はなつきませんので……
よろしければまた、森に遊びにいらしてくださいね。