<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


知らぬは天使ばかりなり







 起きた早々フィリオ・ラフスハウシェは言葉を失った。
 男物のパジャマの襟首がずるりと落ちて、肩が大きく開かれ、裾をたくし上げるように背には白い翼が。
 フィリオははぁっと溜息をついて、女物の服が纏めてあるタンスに手をかけた。
 幸い(?)なことに、女天使化すると性格も女性よりになるせいか、着替え途中で微妙な気分に陥ることもない。
 フィリオは慣れた手つきでワンピースを着込み、部屋から出た。
 今日は非番だ。こんな日はノンビリと過ごすのもいい。
 食堂ホールを抜けて、両扉の玄関を開け放つ。カランとドアベルが大きく鳴り響いた。
 玄関の外、箒を手に光を含んだ銀の髪で振り返った青年。
 フィリオは笑顔を浮かべ青年の下に歩み寄る。
「おはようございます、ルミナスさん」
「おはよう…ございます?」
 困惑気な表情をしているルミナスに、フィリオは首を傾げるが、直ぐに合点がいったのか、
「……あ、そうでした。この姿でお会いするのは初めてですね。フィリオです。1階に部屋をお借りしている」
 フィリオがそう告げれば、ルミナスは安心したようにほっと息を吐き、そのまま破顔する。
「やはりフィリオさんで良かったのですね。似ていますが、違う“気”だったので、人違いだったらどうしようかと」
 そういえば、あおぞら荘の鍵を貰ったときも、ルツーセに“あなた”を認識して云々と言われた記憶がある。ルミナスが大家ならば、そのシステムを考慮してそう言ったとしても不思議ではない。
 フィリオがそんな事を考えていると、ルミナスはきょとんとして小首をかしげた。
「でも、昨日は男性の姿でしたよね?」
 流石にこの質問にはフィリオも苦笑いを浮かべるしかない。
「寝ているうちに暴走が始まっちゃったみたいで、朝起きたら……このとおりです。何日間かはこのままですので、よろしくお願いしますね」
 毎度のことなのであまり好ましくはないが、もう勝手知ったる女天使化だ。
 ははっと笑ったフィリオに、ルミナスは「はい」と頷き、
「大幅な狂いではないので、大丈夫ですよ」
 と、にっこりと微笑む。つられてフィリオも笑顔を浮かべ、そのまましばしほわほわとした時が流れた。
 フィリオはルミナスの手に持たれた箒を眼に留め、はっと我を取り戻す。
「――あ、今掃除中ですか?」
「はい。玄関前のお掃除中です」
 やはり、中だけではなく周りを綺麗にしておくことも大切だろうとルミナスは語る。
 フィリオは今日が非番だったことを思い出し、しばし考えると、決意を込めた瞳でルミナスにぐいっと身を乗り出した。
「今日は私にもここの仕事、手伝わせてもらえませんか?」
 ルミナスは一瞬きょとんと眼を瞬かせ、
「お心だけ頂いておきますね」
 と、優しい笑顔で礼を言う。だが、まさか手伝うと言って断られるとは思わず、フィリオは困惑げに尋ねた。
「お邪魔でしょうか?」
「邪魔とか、そういう訳ではなく、フィリオさんにはフィリオさんの仕事があり、僕には僕の仕事があります」
 フィリオは自警団として働き、その収入から家賃を納めているのだから、下宿の雑務は大家の仕事だ。だから気にしないでほしいと、遠まわしでやんわりとではあるが、ルミナスはそう告げている。
「今日お仕事がお休みならば、むしろゆっくりと身体を休めてください。休日に疲れてお仕事に差しさわりがあってはいけません」
 ルミナスはそう言うものの、大家という仕事には、自分のように非番…休日は無いように思える。だからこそ自分がノンビリしている時も、仕事をしている時も働いているルミナスを手伝いたいとそう思った。
「手伝いくらいで疲れませんよ。これでも自警団員。身体が資本ですから」
 ぐいっと、女天使の細い腕ではあるが、腕まくりしてみせる。
「むしろ非番でノンビリしすぎて身体が鈍ってしまうほうが怖いです」
 これは自分のためでもあるのだから、と言い募れば、ルミナスは嬉しそうに笑って、
「ありがとうございます」
 と、軽く頭を下げた。







 買出しで買い込んできた食材を保存庫にしまいながら、フィリオはふと思いついたように顔を上げた。
 この下宿の従業員(と、言ってもいいのか分からないが)は休日を持ちまわせるほど多くない、それ即ち、コックも同じように毎日働いているのだ。
 フィリオはいいことを思いついたとばかりに顔を輝かせた。
「今日は私たちで夕食を用意しませんか?」
 コックさんもたまには休んでもいいだろう。私が作りますと言ってもルミナスは納得しないことは分かったので、あえて私たちと口にする。
 が、そんなフィリオの言葉に、ルミナスは固まるように動きを止めた。
「いいのですか?」
「???」
 フィリオにはルミナスの言葉の意味が分からない。
「料理をすることに何か差しさわりがあるんですか?」
 逆に問い返してみれば、真剣な眼差しでルミナスは答えた。
「僕自身には何も差し障りはないと思っています」
「なら、何も問題は無いじゃないですか」
 自分は多少(?)調味料間違いを起こすが、そんなものはご愛嬌。
 フィリオの言葉を聞いて、見る見るうちに顔が輝いていくルミナス。
「ありがとうございます。フィリオさん! そんな事を言ってくれたのはフィリオさんが初めてです!」
「そ…そうなんですか?」
 思いのほか感動しているルミナスにたじろぎつつ、フィリオは夕食のための材料を台に並べ始めた。
 そう――…フィリオは知らなかった。
 ルミナスが救えないほど絶望的な料理音痴だということを……



 幾らなんでもそろそろフィリオも気がついただろうか。
 フィリオの調味料間違いのミスなんて可愛いほどに、ルミナスは料理が出来ない。
 しかも出来ていないと自覚していない。
 “多少”違うと思ってはいるようだが、その違いは“少”であって“多”ではない。自称…自分眼鏡とは何とも恐ろしいものである。
 見た目はいいが、味はまずい。もしくは見た目は悪いが、味はいい。どうしてそうなるんだろうなんて、そんな言葉は嘘だろう。
 見た目が良くて味が不味いなら、途中の味付けに何かしらの不備があったと分かるし、逆ならば、調理の腕が悪いと分かる。
「ルミナスさん。ここは、こうフライパンを返して……」
 そんな腕の悪いルミナスに、フィリオは根気よく調理方法を教える。
「はい。ありがとうございます、フィリオさん」
 ルミナスも何とかがんばって、最初の炭造りと比べれば、人に出せるほどではなくても、一般家庭の食卓で出される程度には体裁が整うほどになった。
「皆…食べてくれるでしょうか」
「大丈夫です。ルミナスさん、がんばりったんですから、もっと自信持ちましょう」
「…はい」
 ルミナスが頷いた瞬間、カランとドアベルの音が響く。
 カウンター越しに身を乗り出して確認すれば、あおぞら荘の食堂を預かるコックが、厨房のルミナスを見て驚愕に目を見開いた。
 あまりの表情にフィリオは一度首をかしげ、色々と理由をつけて断ろうとするコックに、自分たちが作った料理も一品に加えてほしいと頼み込む。
「お願いします。一生懸命作ったんです」
 最後には、どうなっても知りませんから、という一言で決着がついたが、やはりフィリオにはその理由が分からなかった。











 その夜、食堂は静寂に包まれた。
 ある者は青ざめ、またある者は薄ら笑いを浮かべ、そしてまたある者は天を仰いだ。
 食堂ホールは死屍累々。
「……えっと…」
 何かとんでもない事をしでかしてしまったのだろうかとフィリオは冷や汗を流して立ち尽くす。
 フィリオはちょんちょんと肩を叩かれ振り返った。そこに居たのは、ルミナスの兄のコールだ。
 フィリオは何だろうと軽く首を傾げる。
 コールの笑顔は何時も朗らかだ。
「はい、口開けて」
 フィリオの口に、ぽいっといれられた、ルミナスの料理。
「……………」
 思わず口を押さえて座り込む。
 そして、フィリオはもう二度とルミナスを料理に誘うまいと誓ったのだった。
















☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【3510】
フィリオ・ラフスハウシェ(22歳・両性)
異界職【自警団員】


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


 あおぞら荘にご参加ありがとうございます。ライターの紺藤 碧です。
 ルミナスを料理に誘っていただきありがとうございました。下宿の人々ならば、うっかり食べて魂ドロップはありえても、大家ズは食べる前に気が着く可能性大だったので、こんなオチとなってしまいました。
 それではまた、フィリオ様に出会えることを祈って……