＜聖獣界ソーン・ＰＣゲームノベル＞
【楼蘭】蘭・遁役
おかしい。
冬は確かに畑を休ませることもある。しかし、土地というものは何も作物を育てなければだんだん枯れていくものだ。
「今年は不作でねぇ」
この村特産の大根が、そろそろ美味しい切干大根になっているころだと踏んで訪れたのだが、今年は分けられるほど大根が取れず、収入を得るために市場に出荷するだけで精一杯だったらしいのだ。
おかしい。
視線を移動させれば立派な伯公廟があるというのに。
「…まさか……」
瞬・嵩晃はカタンと薬箱を背負いなおして伯公廟へと向かう。
「薬師さん！？」
驚く村人を背に、瞬は御堂の階段を上がり、その扉に手をかけた。
普通の人の眼には、御堂の中は擬似的な生活空間を模しただけの祭具が収められた建物にしか見えないだろう。
だが、ここには確かに“何か”が住まうのだ。
「…………」
“何か”とは土地神となり、伯公の名を貰ったモノ。
それが物であるのか、者であるのかは分からないが、このまま伯公が居ない状態が続けば、いずれこの土地は枯れはて、不毛の土地と化してしまう。
瞬は考え込むように口元に手を当てて、微かに顔を伏せる。
その前を、ひらひらと蝶が飛び去っていく。
「この廟の伯公は代替わりしたばかり…」
瞬は廟から外へ出る。
御堂の扉を開けるなどという行為をしでかした瞬に、おろおろと集まった村人の中、偶然訪れていた異国の旅人に眼をつけ、瞬はちょいちょいっと手招きする。
あまり、村人に聞かれていい話ではない。
「逃げ出した伯公を捕まえてほしい」
瞬は飛ぶ蝶をそっと捕まえ息を吐く。
伯公の居場所はこの蝶が教えてくれるだろう。
「ご丁寧なことに、供え物はしっかり頂いているようだからね」
伯公の役割は地味な仕事だ。
だが、それこそが、田畑を耕す人々にとって一番重要であるのに―――
分かりました。と頷いて、シルフェはほぅっと頬に手を当てた。
「村人さんにお願いして、罠を張るというのはどうでしょう」
逃げる伯公を見つけたら、廟の方向に追い込み、罠へと落とす。だいぶ捕まえやすくなるはずだ。
「罠を用意しておくのはいいけれど、村人には手伝いを頼めないよ」
「なぜです？」
シルフェは小首をかしげ問いかける。瞬は、軽く肩をすくめ、視線を落として苦笑した。
伯公はその土地の栄を司る。廟はその伯公が住まう家だ。
もし、廟から伯公が消えたことが村人に知れれば、村人は伯公を取り戻そうとするよりも、土地が見捨てられてしまったと捕らえる。
だからこそ、何かしらやるならば、村人に極力知られないようにやるしかないのだ。
「この廟の伯公がどんな姿をしているか分からないが、獣罠を張る程度ならば誤魔化せられるだろうね」
先ほど御堂の扉を開けたときに、不届きな獣の毛でも拾ったと偽って、その不届きな獣を捕まえるために罠を張りたいとでも言えば――…
「では、その案でお願いしてみます」
シルフェはにっこりと微笑む。そして、いまだ近くに残っている村人に、大変なことが起きたとでも言うように眉根を落としてこの嘘を言えば、村人は大きく頷き簡単に協力してくれた。
「さて…、準備は出来た。伯公を頼んだよ」
人の中に紛れているとはいえ、瞬はまかりなりしも仙人だ。伯公レベルであれば、その気が近づいたらばれる可能性もある。
瞬は捕まえていた蝶から何かを引き出すようにすっと指先を動かした。
「何か光りましたか？」
蝶から伸びる光の筋。
瞬の手から離れ、細い木綿の糸でくくられた蝶は、ひらひらと主の下へと飛び始める。
糸の先はシルフェの指とつながり、ノンビリと蝶の動きを目線で追いかけながら歩き始めた。
糸でつながれて、蝶は動き辛くないのだろうかと思うが、木綿の糸自体に特別な気がよりこまれているらしく、結ぶのではなく違う方法で捕らえているらく、走行に問題は無いらしい。
蝶は暫く林の中をふわふわと飛び進み、落ち葉が積まれた一箇所でゆっくりと弧を描くように飛び回った。
「こちらに伯公様がいらっしゃるのですね」
シルフェはきょろきょろと辺りを見回すが、それらしい誰かが見つからない。
「おい」
蝶はここだと言わんばかりに旋回している。
「本当にこちらにいらっしゃるのですか？」
少し先へ進み、また大きく旋回した蝶を追いかけ、その先に視線を投げかけるが、やはり何も見つからない。
「おい」
また何処かから声がかかる。
「先ほどからどなたでしょう？」
シルフェはほうっと、困ったといわんばかりに頬に手を当ててため息一つ。
「下だ下ぁ！！！」
声のするままにシルフェはゆっくりと視線を下に向ける。
「あらまあ」
足元に居たのは――……
「まぁ、なんてお小さ……お可愛らしい」
シルフェの掌に乗せてしまえそうなほど小さな子狐。
「お前、わざとだろ！ そうだよな！？ 絶対そうだ！！」
子狐はぐっと口をへの字に曲げて、ぷるぷると震えている。
そんな子狐を見て、シルフェは思わず口元に手を当てて笑ってしまう。
「無礼な奴だな！ これでも伯公…か、神様なんだぞっ！」
「お供え物だけ頂く神様なんて始めてお聞きしました。それじゃ、泥棒さんと同じですねぇ。うふふ」
「神様がお供えものをどうしたって勝手だろ！ もうほっとけよ」
子狐はぴょんっと飛び上がり、蝶にくくりつけてある糸を切る。
シルフェの眼には蝶の動きに何かしらの変化があったようには見えないが、蝶は明らかに自由を取り戻したらしく、一度天へと昇ると走り出した子狐を追ってひらひらと舞う。
「あ、お待ちくださいな」
瞬に伯公を捕まえてきてほしいと頼まれ、折角見つけたのに逃がすわけにはいかない。
シルフェはよたよたと走り始める。
元々あまり走るということはしない性質だが、ぴょこぴょこ走って逃げていく子狐を追いかけようと思うと、ノンビリ駆け足といえど走らなければその距離は開いていくのみ。
しかし、幸いなことに、子狐の足の長さと、人であるシルフェの足の長さは激しいまでの差がある。
「くぅうう」
自分が小さいがために全力疾走でもそこまで距離が稼げていないことに、子狐はぷくっと頬を膨らませると、ばっと振り返り瞳を光らせた。
シルフェの足がもつれる。
寸でで踏ん張ると、目の前に木で出来た小さな背負い箪笥がちょこんと置かれていた。
「あら？」
シルフェは眼を瞬かせる。
駆け足を緩め足を止めると、シルフェは箱を見下ろした。
この箱は、瞬が背負っていたあの薬箱では無かろうか。
仙人であることを隠して街中を歩くために用意している薬箱。
これが薬師と見せるための偽者か、本当に薬が入っているかは分からない。
だが、シルフェは眼をぱちくりさせつつも、何の感慨も無く箪笥の引き出しを引いた。
「真っ暗でございますねぇ」
ぐるぐると引き出しの中で渦巻く小宇宙。
そうか、瞬の薬箱の中には小宇宙が……
ただの薬が入っているという尤もな結果よりも、この方が実に真実味を帯びているような気がして、シルフェは無駄に大きく頷く。
気にはなっていたものの、余りにも未知過ぎて過度の期待も持てず、純粋な興味は簡単に満たされてしまった。
ポポン。ポン！
突然のことにシルフェは思わず小さな悲鳴を漏らす。目の前の薬箱は弾け白い煙を辺りに撒き散らした。
「え？ ち…ちくしょぅ…」
得意の幻術が解かれてしまい、子狐は大きな耳を落胆に落として、その場に蹲る。その上を蝶が心配そうにひらひらと舞った。
伯公を連れて、シルフェは瞬が居る伯公廟へと戻った。
罠を使わずに済んだのは良かったと思う。
「どうして伯公廟から逃げ出したのですか？」
逃げ出した理由が解決しなければ、また同じことの繰り返しだ。
「帰ろうと思ったんだ…母上のところに」
どうやらこの伯公、姿だけではなく、本当に幼いらしい。
「母上は伯公だったけど、別に廟に住んでなかった」
「それは君の母上にそれだけ力があったということだろう」
土地に住まわずとも、土地を潤す力を送り届けられる。だが子狐には、まだそれだけの力が無い。
「その蝶を受け継いだ時点で、君だけがここの伯公なのだよ」
「受け継ぎたかったわけじゃない！」
蝶はこの廟の主に代々受け継がれる神使（みさきがみ）。
子狐の瞳が潤んでいく。シルフェはそれを見て取り、優しく微笑んだ。
「お寂しかったのですね」
いきなり知らない場所に一人（一匹？）放り出され、今日から伯公だと言われても、受け入れられなかった。
「伯公様は見た目は可愛らしい子狐さんですから、どなたかのお家でお世話になってしまっては？」
土地を離れることは出来なくても、土地に居るならば必ずしも廟で暮らす必要は無いはずだ。
「ふふ…それは面白い！」
思いのほかつぼに入ったらしい瞬の笑い声と、驚きに眼を見開いている子狐を見て、当のシルフェはただ頬に手を当てて軽く首をかしげたのだった。
☆―――登場人物（この物語に登場した人物の一覧）―――☆
【2994】
シルフェ（17歳・女性）
水操師
☆――――――――――ライター通信――――――――――☆
【楼蘭】蘭・遁役にご参加ありがとうございます。ライターの紺藤 碧です。
お久しぶりでございます。参加不参加等は余り気になさらないでくださいませ。こちらはこうしてまたシルフェ様に出会えたことが純粋に嬉しいです。
それではまた、シルフェ様に出会えることを祈って……
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