<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


綾は心の中に

 精霊の森、と呼ばれる場所がある。
 その名の通り、「精霊」と呼ばれる存在がいる場所だ。
 そしてその森には、ひとりの青年が住んでいた。

 精霊の森の守護者、クルス・クロスエア。

 彼は魔術師である。魔術によって精霊たちにも影響を与え、さまざまな効果をもたらしている。
 この森には主に精霊たちに会いに人がやってくるのだが、
 たまには青年のそんな能力を見込んで飛び込んでくる存在も。

 ■■■

「こんにち、は!」
 森に唯一ある小屋の戸口で、元気よく挨拶したのは、ウィノナ・ライプニッツだった。
「やあ、ウィノナ」
 と戸を開けて出迎えたクルスは微笑んだ。「また郵便かい?」
 ウィノナの普段の仕事は郵便配達屋。森に来る時は、今まで大抵その仕事のためだった。
 しかしクルスはウィノナの姿を見て少し困惑する。
 ウィノナはいつも持っている郵便物を入れる袋を、かついでいなかった。
「クルス」
 そろそろクルスとも馴染みになったので、気軽に話しかけてくるようになったウィノナは、急に真剣な顔になった。
「頼みがあるんだけど」
「何だい?」
「――ボクに、この間教えてくれた魔術をもう一度おさらいとして教えて」
 彼女の右手で銀の腕輪が光る――

 ■■■

 以前、とある事情でウィノナは魔物に囲まれたことがある。
 その時、とっさにクルスに習った魔術があった。
「その復習」
 森では一番開けた場所である、小屋の前の小さな庭のような場所で、2人は話していた。
 初めて出会った時、クルスはウィノナがその小さな体に膨大な魔力を秘めていることを看破した。
 そして、どこかで魔術を習っているのだろうということも。
「でも、クルスの魔術ってクルスの我流でしょ。どこの本にも、同じようなやり方載ってなかったんだよね」
「そうかい?――そうか」
 クルスは自分でも意外といった様子でその言葉を聞いていた。
「だからさ、一応あの時習得はしたんだけど、魔物と会って戦うことって自分からつっこまない限りあまりないから、実践もあまりできなくて――あの魔術で影響を及ぼせる範囲とか、効果とか、おさらいしたい」
 ウィノナは言いながら、空中で何か模様を描いている。印である。クルスが教えた魔術の基礎だった。
「そうだなあ、それは構わないんだけど……」
 クルスは軽く腕を組んだ。「その前に、キミが本来誰に従事しているのか――何故魔術を習得しようとしているのか、教えてもらってもいいかな?」
 ウィノナははっとして、口をつぐむ。
 ああいや、とクルスは手を振った。
「別に深く介入するつもりはないよ。ただ元々キミが学ぼうとしていた体系が分かれば、よりキミの体に馴染みやすいように魔術が教えられるし、キミが本当に学びたい魔術を知ることができれば、キミに役立つように改良できるかもしれない」
「………」
 ウィノナは考えた。深く考えた。
 本来赤の他人に過ぎない目の前の青年に、どこまで言っていいものか悩んだ。
 しかしウィノナは、あまり隠し事はできないことを悟っていた。
 ――先ほどから、クルスの視線はウィノナの右手首にはまっている銀の腕輪にいっている。
「―――」
 そっと、右手首を抑えて。
 「あの方には、筒抜けなんだろうな」と思いながら。
「普段……学んでいる場所は、魔女のところ」
 ウィノナは落ち着いた声で言った。
「魔術は、友達のため」
 胸を張る。堂々とクルスを見る。
 クルスはうなずいた。「ちょっと失礼」とウィノナの右手首に手を伸ばす。
 ウィノナは一瞬避けようとしたが、クルスも一応師ということになる。我慢した。
 クルスが腕輪に触れようとした瞬間――
 ばちっと、弾けるような音がして、煙がもくもくと上がった。
「――ああ、さすが魔女の魔力だな。僕の魔力とは性質が違いすぎて反発する」
 クルスが笑いながら言った。
 人間の魔力と魔女の魔力――
 それが透視魔術では目に見えて違うものだと、ウィノナは知っていた。
「察するにその腕輪がある限り、キミにその腕輪をはめた人物にはこれは筒抜けになるんだろうな」
「クルス」
「いや、不安がらなくていいよ。キミが学びたいと言いに来たんだ、拒絶する気はない」
「ありがとう……!」
 ウィノナはほっとした。
 実際魔女の報復は半端ではない。しかし、ウィノナの師である魔女は必要以上に干渉しないタイプでもある。基本的には、「勝手にしろ」というスタイルだ。
「さて」
 クルスは手をぱんと叩いた。ウィノナはどきっとして、思わず背筋を伸ばした。
「まず確認だ。キミの魔力は――性質としては人間、つまり僕に近いね」
「うん。多分、そう」
「キミはちゃんと基礎から学んでいる」
「そう思ってる」
「自分自身、キミの本来のレベルからいって、この間僕が教えた魔術はどんなレベルだったと思っている?」
 ウィノナは少し考えた。
 冷静に分析し、そして回答を出す。
「多分、相当レベルが高かった。あんな緊迫した状況じゃなきゃコツなんてあっさりつかめてなかった」
「よし」
 満足の行く回答だったらしい、眼鏡の青年はうなずく。
「確かにあの時教えた魔術は、キミのレベルとは程遠いものだった。けれど環境が習得を可能にした。キミは間違いなくあれらの魔術を会得している。けれど」
「なに?」
 緊張しながらウィノナは耳を傾ける。
 クルスは穏やかな声音で続けた。
「ぶっつけ本番だったから、その魔術の本質をまだ見抜いていないね」
「そうだよ」
 ウィノナは首を縦に振った。「だから本とかあさった。だけど載ってなかったんだ」
「分かった」
 クルスはあごに手をやって、空中に視線をやった。
「――僕の魔術はあらかた本にまとめてあるけれど、いちいち読めというのも面倒だ」
「真剣な話、ボクも直接教えてもらいたいんだけどな」
「そうだろうね」
 ふむ、とつぶやいたクルスはようやく視線をウィノナに移した。
 ウィノナは真剣そのものだ。彼女には強制的に決めた期限があった。時間がないのである。
「よし、まずあの時教えた魔術の本質からだ。――魔物を消した魔術と、動きを止めた魔術だね。先に動きを止めた方に行こうか」
 そっちの方がレベルとしては低い――と彼は言った。
「ウィノナ。キミは、あの魔術は魔力で誰に働きかけることで完成する魔術だと判断した?」
 ウィノナは再び考える。思考する。
 魔術を学ぶ上で、思考は重要だ。難しいことを考えれば考えるほど充実感がある。
 けれど今回の問いは簡単だった。
「あの時クルスが言ったよ。動きを止める印を、時間を止めたい対象にぶつけて――」
「正確には違うんだよ」
 あの時教えた印はね――と、彼はすいっと指先を空中に走らせた。
 瞬間、
 ウィノナは全身に違和感を感じた。いや、自分の刻が止まったわけではない、空気が変わった――
 慌てて周囲を見回してみると、
 木々が。
 この森では絶えず梢の音を鳴らしている木々が、その動きを完全に止めていた。
「……悪かったね、ファード」
 青年はすいっともう一度違う印を空中に描く。途端にざわざわといつもより大きく聞こえる葉擦れの音が、ウィノナの耳に飛び込んできた。
 ウィノナは息をつめる。――対象に印をぶつけた、なんて方法じゃ、今のようなことはできない。
「あの印はね、ウィノナ。正確には『対象の周囲の空気の動きを止める』魔術だ。そしてその刻が止まった空気の中では、物は動けない」
「……じゃあ魔物に当てた時は、魔物自体じゃなくて、魔物の周囲の刻が止まっていたってこと?」
「そうだ」
 それはつまり――
「じゃ、じゃあ。その場の刻をまとめて止めたらその場に存在するものすべてが動かなくなるってこと?」
「そういうことになるね」
 効果範囲は――と青年は語りだす。
「キャパシティ内で、使い手の自由自在だ。意識しさえすればほんの小さな空間内だけの刻も止められるし、また今のようにここら辺一帯を止められる」
「意識……」
「そう、意識。そこが重要」
 クルスは微笑んだ。
「キミも基礎を学んだなら分かるだろう。魔力は自分の魔力を感じながら扱うのが重要だ。意識とはつまりそういうことだよ」
「魔力を、感じる」
 ウィノナは両手を見下ろす。
「魔力がどんなものか、知っているね?」
 ウィノナは強くうなずく。
「血管のように、体の中を循環してる力」
「そう。印なんてものは、要するに魔力を具現化させるための仲介役だ。魔力のストッパー代わりにもなる。詠唱とかも同じ役目だろうね」
「……詠唱は、効果を引き出すためのものだと思っていたんだけど」
「それも含む。印や魔法陣や詠唱はとどのつまりそういうものさ」
 そこまで聞いて、ウィノナは引っかかった。
「あのさ」
「ん?」
「今、木は止まったのに、ボクは止まらなかったよ? ここの空間を止めたんでしょ?」
 クルスは微笑して、首を横に振った。
「違う。この庭から『外側』に向けたある一定の空間の刻を止めた。形にすればドーナツ状だ」
 ウィノナは目を見張る。そんな応用技まであるのか。
「どう――どう意識すればいい? ボクがこの間魔物を止めた時は、全然考えてなかった……!」
 急に焦りを感じて、彼女はクルスに迫った。コツをつかんだと思っていたのに、自分はまるでこの魔術を理解していない。そう悟って。
 クルスは「焦らないで」とゆっくり言った。
「キミには知識を吸収する頭がある。柔軟性がある。落ち着いて聞くんだ。――まずキミは、もう印に魔力を載せる方法を識っている」
「印に魔力を載せる……本当に知っているの、かな」
 自信を失っていくウィノナを目にして、クルスはパンと手を叩く。
 びくっとしたウィノナの視界に、この森では落ちることがないはずの木々の葉が一枚、ひらりと落ちてくるのが見えた。
「ファード、ありがとう」
 クルスはそれを拾いに行く。
 そしてそれを、ウィノナの目の前につきつけた。
「――これをこの間の魔物だと思って。この間と同じようにやってごらん」
 最初は混乱したウィノナだったが――
 やがて決意して、じっと落ち葉を見つめる。
 指先を空中に走らせた。すいっと――
 クルスが、落ち葉から手を放した。

 落ち葉は空中で止まったまま、浮かんでいた。

「キミは今、この落ち葉の周囲――それも僕の手を巻き込まずに、薄皮一枚の空間の刻を止めた」
 クルスはゆっくりと解説する。「ひとつのもの、狭い空間に集中してこの魔術を放つと、こうやって細かいことができる」
「印に――魔力を載せたっていう、意識がなかった」
 ウィノナはぼんやりとしながら言う。
「それはもうコツをつかんでいるからだよ。まあ暇がある時にでも、自分がどう意識して印に魔力を載せているのか確かめてみるといい」
 ウィノナは強くうなずく。復習は大事だ。それにそれを分かっていなければ、「印」という魔術体系はしっかりと習得できないだろう。
「逆に、そうだな、目をつぶってごらん」
 青年に言われるまま目を閉じる。
 声は続く。
「この森の空間を思い浮かべてごらん。単調だから分かりやすいだろう。そして近場の木々を1本ではなく数本まとめて、意識してごらん」
 ――暗い世界の中に、数本の森の木が思い浮かんだ。5本ほど。
 5本だけでも、とても広い空間だということが、思い知らされる。
「それをひとつの魔物だと思って、印を描いてごらん」
 言われるままに――
 すいっと指先を走らせると――
「はい、目を開けて」
 ウィノナはゆっくりと瞼を上げた。
「キミが意識した場所の木を見て」
 緊張した。緩慢な仕種でそちらを向く。
 さわさわと微風に吹かれて常に動いている木々の中で――
 ウィノナが思い浮かべていた5本だけが、まったく動いていない。
「成功したな」
 拍手をしてから、指を鳴らしてクルスはその5本の緊縛を解いた。木々が再び揺れ始める。
「キミはこの間の戦いの影響で、意識した物体の薄皮一枚の空間だけを止めることに特化したな。今のように、キミが意識したものはすべて刻を止めていく。キミのキャパシティの限界はあるが、キミなら相当範囲いけるだろう」
「目を閉じなきゃダメかな?」
 ウィノナはわずかな感動を覚えながら、真顔で尋ねる。
「まさか。慣れればどんどん自然な動きでできるようになる」
 クルスは笑った。「まあまずは目を閉じて強く意識することから始めて。それから、目を開けて意識したものを見つめて止める練習。視界を『開く』練習。そして最後には」
 体全部で――と。
「体、全体で、周囲の空間を意識して。そこから選び出して、見ていなくてもそちら側に魔力を飛ばせるようになる」
「待って、視界を『開く』って?」
「意識している場所、感じている場所を広げることだ。目で見える範囲のことじゃない。例えば僕はこの森のすべてを知っている。だから、キャパシティさえ足りていれば特に見ていなくても森全体の刻を止められる」
「この森……全体、まで?」
「僕は試してみたことはないけど――」
 クルスはあごに手をかけてウィノナをまじまじと見、
「キミぐらいの魔力だと、この森なら止められるかもしれないな」
「………!」
「さて、次にはこの止刻魔術の弱点だけど――」
「ま、待って。ちょっと、深呼吸させて」
 クルスがどうぞと微笑む。
 ウィノナは大きく息を吸った。
 とても気持ちのいい空気が、この森の中にはある。
 体中にそれを染み渡らせて、それから吐き出した。
 ――頭が澄み切る。膨らんだ知識欲。
「弱点。弱点教えて」
 青年は口を開いた。
「まずこれは、空間の刻を止める魔術だ。従って、空間を破壊する――もしくは刻に干渉できる存在には簡単に突破されてしまう」
 ウィノナはうなずく。しっかりと頭の中に入れる。
「そして、やはり激しく動く存在にはかなり集中しないとうまく発動しない」
 うなずき、ふたつめ。
「そして、相当対象を意識しなくてはならないから、印を発動させた後隙が出来やすい。特に効果を及ぼそうとしている範囲が広ければ広いほど」
 うなずき、みっつめ。
「とりあえずふたつめとみっつめは訓練を積めば大分軽減されると思うよ。気をつけるのはひとつめだな」
「うん」
 ウィノナは返事をしながら、自分の本来の師ならばどうなのだろう――と考えていた。
 とにかく、帰ったら訓練だ。対象が魔物でなくても訓練できることが分かった。かなり有難い。
 訓練と言えば、今回はこの魔術だけを学びにきたのではなかった――
「もうひとつ、魔物を消した方の印は?」
 ウィノナは自分から尋ねた。
 クルスは「そうだな」とつぶやき、また手を叩いた。
 ひらりひらりと落ち葉が、今度は数枚。
「ファード、たびたびすまないな」
 ――ファードって確か精霊の名前だったような――
 今更ながら、おぼろげに思いながらウィノナは落ち葉をどうするのかとクルスの動きを見つめる。
「ちょっと、こっちを持っていてくれるかな」
 合計5枚の内、4枚をウィノナに渡し、1枚を彼は自分の手で持った。
 そして空中に印を描く。
 一瞬後には、彼の手の中の落ち葉はなくなっていた。
「刻を止める魔術とは正反対で――」
 彼は腰に手を当ててウィノナを見た。「こっちは、対象の『内側』に干渉する」
「内側? 中身?」
「そう」
 そしてクルスはウィノナの手の中から3枚を受け取り、残り1枚を「消してごらん」と言った。
 ウィノナは当惑しながらも、おそらく魔物を相手にした時と同じ感覚でいいんだ――と気合を入れて印を描いた。
 案の定、それだけで落ち葉は消え去った。
「印を描いている感覚としては、止刻魔術と変わりはないだろうけど」
 クルスは言葉を紡ぐ。「実際には、魔力消費が遥かに違う。今は小さな落ち葉だったから、分からないだろうけどね」
「魔力消費……」
「この消滅魔術は相手の表面を通り越し、内側で発動する」
 クルスは真顔で言った。「物理的に存在するものには問答無用だ。威力を改めて考えてみると物凄いことになる」
「物理的に存在……問答無用……?」
「例えばここにある森の木々。消そうと思えばいくらでも消せる。さっきの止刻魔術と同じ要領で効果範囲も広げることができる。だから、言ってみればキャパシティが足りている者なら一度にこの森ごっそり消せる」
「………!」
 そんな威力の魔術だったのか。
 考えてみれば、ウィノナがこの魔術で初めて消した魔物も相当な大きさだった。
 クルスは3枚の落ち葉を持って歩き出した。
 庭に、1、2、3枚と広く距離を持たせて置く。
「この3つ全部を意識して、印を描いてごらん」
「え、えっと」
 ウィノナは必死に広く位置している3枚を同時に意識しようとする。
 けれどそれは、かなり難しいことだった。
 必死で印を描いてみても、消えたのは2枚だけだったり、1枚も消えなかったり、まちまち。
 そのたびにクルスは周辺の木々から落ち葉をもらって、ウィノナに3枚を挑戦させる。
 めげる気はなかった。
 やってのける気持ちに溢れていた。
 やがて彼女は――
 おそらく、クルスの言う「視界を『開く』」ことに成功し、
 3枚を同時に消し去った。
「はい、お疲れ様。よく出来たね」
 拍手でねぎらわれたが、ウィノナはそれが耳に入らないほど疲労していた。
 ――魔力の消費量が遥かに違う。
 ただ落ち葉を3枚同時に消そうとしていただけなのに。
 体力と精神力も同時に使った。視界を開くとはそういうことだ。
 疲れた。
 けれど、ウィノナはそんな思いを頭を振って振りきる。
「もう、この魔術が何たるかは分かったかな。物質の中心を見極め、そこに印を仲介として魔力を送り込む。発動、物質の存在消滅」
「……物質の中身を、理解していなくてもいいんだ」
 ウィノナは思わず言った。「ボク、一時友達のために生態学を学んでいたことがある。体の仕組みを知らなきゃいけないと思って」
「そうだね、最初から仕組みを知っている方が消滅させやすいだろう」
 彼は視線を虚空にやって、考えるような仕種をした。
「この魔術の場合はそうだな……消滅させようと意識した瞬間に、見極める観察力洞察力もフルに働き出してしまうからな。その分精神力の疲労も並じゃないが」
 ――そう言えば、とウィノナは思い至った。
 自分は特に植物に詳しくない。なのに、今自然と落ち葉の組織が見えていた気がする。
 以前魔物を消滅させた時。あれは魔力の塊だった。だから組織ではなく魔力の流れが視えていた。それだけで充分だった。
「この魔術……消滅魔術? これも、視界を開くことで効果範囲を広げられるんだね」
「その通りだけど、無理をすると一発でダウンだ。物凄く隙を作りやすい」
「うん」
「それが第一の弱点。そして第二に」
 クルスは腕を組む。「これはあくまで『物質的』なものにしか作用しない。物質じゃないものには効かない」
「物質じゃないものっていうと……」
「水的なものとかかな。手をつっこもうとすると通り抜けてしまう。そんな存在だよ」
「じゃあ炎とかも無理だね」
「そう」
 うんうんとウィノナはうなずいた。少し視線を落として、今まで教わったことを頭の中で繰り返した。
 そして、急に顔を上げ、
「これまで学んだことをノートにまとめてもいい!?」
「どうぞ」
 ウィノナは小屋の戸口に置いていた簡易袋からノートとペンを取り出し、庭にある気の切り株を机代わりにして猛然と書き始めた。
「止刻魔術……物質消滅魔術……」
 クルスはそんな勉強熱心な少女の後姿を、柔らかい目つきで見つめていた。

 ■■■

「――え? セレネーかい?」
 ノートにあらかた書き終わったウィノナは、もうひとつの目的を果たすため、クルスに尋ねていた。
 この森に住んでいるはずの少女、セレネーはどこか――と。
「セレネーならファードの……ああと、樹の精霊のところに行っているよ」
 セレネーという少女は、外見年齢十代半ばである。
 しかし、記憶喪失で。精神年齢は10歳にも満たないに違いない。
 以前会った時から気になっていたのだ。
「ねえ、ファードさんって、セレネーの……」
「ああ、今は母親代わりだね」
「ボクも話せる?」
 森の守護者はうなずく。ウィノナはぱっと表情を明るくして、
「じゃあセレネーとファードさんに会いたい」
「分かった。――ああ、その前に」
 クルスは両手を胸の前で、まるで鞠を持つかのように小さく広げた。
 あ、とウィノナは息をのむ。この仕種は――
 思った瞬間、目の前にいるはずのクルスの気配がどんどん薄くなっていく。
 彼の手元では、球体の不思議な魔力の塊が回転している。
 虹色に輝く球体が。
 以前彼が使っていた、気配隠しの魔術……
「キミはこれが気に入っていたようだから」
 声がする。「これの基礎を教えておくよ。これは基礎さえ知っていればあとは自分の応用力でいくらでも進化させられる」
 ウィノナはごくりとつばを飲み込んだ。


 ファードと呼ばれる精霊の樹の本体まで、ウィノナはクルスに連れられてやってきた。
 そこには確かにセレネーがいて、気配を感じたのかこちらを振り返った。
「セレネー。彼女はウィノナ。一緒に遊んでくれるそうだよ」
 そう言ってクルスがウィノナを示すと、セレネーはにっこりと笑った。――以前会った時より随分表情が豊かになった。
「それからファード。お前にも会いたいようだから」
 クルスはぱちんと指を鳴らす。光の粒子が樹の根元からきらきらと舞い上がってきた。人型を包み込むように形を作り、そして、
 弾けた。
 代わりにそこに現れたのは、褐色の肌の女性――
「それじゃ。僕は小屋に戻るから」
 とクルスは軽く手を振って行ってしまった。
『あなたは……』
 褐色の肌の樹の精霊が、優しい声で尋ねてくる。
 ウィノナはえへんと咳払いをしてから、満面の笑顔を見せた。
「ボク? ボクはエルザードのあちこちで人が思いをこめたもの――手紙を運ぶ仕事をしてるんだ」
『手紙……』
「ゆうびんやさん、ゆうびんやさん」
 セレネーが飛びついてきた。ウィノナは倒れかけて踏みとどまった。
「ゆうびんやさん。街からしあわせはこんでくるの」
 セレネーはどうやら、クルスか誰かに教え込まれているらしい。
『お手紙。聞いたことはあります……でも確か、郵便屋という職業はとても危険だと……』
 ウィノナはにっこり笑う。
「危険なことも多いけど」
 セレネーの肩を抱きながら、「手紙を貰った人の喜ぶ顔を見るのって、すごく楽しいんだ!」
 ファードが微笑んだ。
『素敵な郵便屋さんですね』
「えへへー」
 ウィノナは胸を張った。
 そして、改めてファードを見た。セレネーが母と呼ぶ存在。記憶喪失の者をなつかせる存在。
 確かに……その傍には穏やかな安心感がある。
 根を張って動かない。揺るがないものの安心感がある。
「セレネー、ファードが大好きなんだ」
「うんっ」
 セレネーはにこにこしながらうなずく。何て明るい笑顔だろうか。
 出会った時には目がぼんやりしていたあの少女とはとても同一人物とは思えない。
(色々……あったんだろうな……)
 それでもまだ戻らない彼女の記憶。それを思うと何だか切ない。
 いや、思い出したことで今の記憶をなくしてしまったら?
 それはそれで……とても切ない。
 そんなウィノナの考えをまるで読んだかのように、
「私ね、記憶、戻っても、きっと、この森のこと、覚えてる!」
 と言った。
「セレネー……」
 ウィノナはファードを見る。
 ファードのセレネーを見つめる目は、母性に満ちている。
 ウィノナは母を知らない。何だか。とても胸の奥が熱い。ちりちりと熱い。
 これは羨望?
 ――ふいにセレネーが、抱きついた腕に力をこめて、
「泣かないで」
 と言った。
 泣く? このボクが?
 ウィノナは笑う。
「大丈夫だよ」
 ――心の中で雨が降りそうな、そんな気配。
 するとセレネーは腕を放し、次にはどんとウィノナを押してファードの胸元にうずめるようにした。
『まあ。ウィノナ、大丈夫……?』
「だ、大丈夫……」
 ――初めて触った樹の精霊は決して暖かくなかった。
 内側に流れるものは水だ。そしてこの森は気温が常温に保たれている。
 なのに、
「………」
 心地よくてウィノナはファードの胸で目を閉じた。
 セレネーの声が背後に聞こえていた。
「ウィノナも、ファードのこと好き!」
 そうかもしれない、とウィノナは思った。


 ファードの前でセレネーと2人座り込み、談笑する。
 ふと思い出したように、ファードが言った。
『ウィノナ……先ほどからクルスと魔術の練習をしていたでしょう。疲れてはいませんか?』
 ウィノナは目を見張った。どうして分かったのだろう――と思いかけ、すぐに思い至る。
 クルスは落ち葉をもらうたび、ファードに礼を言っていたではないか。
「ファードさんって、この森全体に通じてるんだ」
『ええ。この森を司っています』
「……落ち葉とか、いっぱいもらっちゃって、ごめんね」
『いいえ、いいのですよ』
 微笑むファードは優しい。
「ボク、疲れてないからね。大丈夫だよ」
 そしてふと両手を見下ろし――
 胸の前で、鞠を抱えるように掲げてみた。

『気配隠しはね。魔力を糸のように紡いでみて。糸だ。細く、細く。そして、それを織物のように織り込んでいく。編み物の仕方なんて知っている必要はないよ。ただ、糸を絡み合わせていくだけ――」

 糸。糸。糸。
 太いと言われた魔力を、糸のように紡ぐ。

『魔力には自分の“気配”が載っている。それを織り込んでいくことで、気配を小さくしていくんだ』
「………」
 目を閉じ、自分の中で循環している魔力が細い糸になるところをイメージする。
 それを、紡ぐ、紡ぐ、紡ぐ……
 ――どんな風に織り込んでいけばいいだろう?
 瞼を開けて、目の前の2人を見た。
「……セレネー、好きな柄、ある?」
 セレネーは突然の質問に目をぱちくりさせた。
 それから、元気よく言った。
「不死鳥!」
 びくんとウィノナは震える。フェニックス。フェニックスの卵……
 いや、今はその問題はどうでもいい。
 セレネーはフェニックスに、どこか束縛されている少女なのだった。
 再び目を閉じる。いつか故買商で見たフェニックス画。それを思い出し、魔力の紬糸を織り込む、織り込む、織り込む……
「ウィノナ!」
 突然大声がして、次に人が飛びかかってきた。
 たまらず地面に倒れこむ。うめいて魔力展開をやめたウィノナの上に、ぎゅうと抱きつくセレネーがいた。
「ウィノナ、消えちゃう。やめて、やめて」
 ――気配が消えることに不安を感じたのか。
 ウィノナは微笑んで、セレネーの白い髪を優しく撫でた。
「ごめんごめん。ただの魔術の練習だよ。ボクは消えない」
「ほんと?」
「うん。だって」
 ボクにはやらなくちゃいけないことがある。
 郵便もそうだけれど、今はもっと緊迫した理由で。
 友のために。
 死の危機に面している友のために。
 そして、スラム街から一緒だった仲間たちのために。

 でも、もう少し。もう少しだけ。
 この穏やかな空気の中で遊んでいてもいいかな……

 ウィノナの中にある紬糸。
 綾は心の中にだけ……


 ―FIN―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3368/ウィノナ・ライプニッツ/女/14歳/郵便屋】

【NPC/クルス・クロスエア/男/外見年齢25歳/精霊の森守護者】
【NPC/セレネー/女/外見年齢15歳/精霊の森居候】
【NPC/ファード/女/外見年齢29歳/樹の精霊】

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■         ライター通信          ■
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ウィノナ・ライプニッツ様
こんにちは、笠城夢斗です。
今回はゲームノベルへご参加ありがとうございました!
お届けがとても遅れまして、申し訳ございません。ご迷惑をおかけしました;
魔術の説明がやたら長ったらしくなってしまいましたが、ご利用になれますでしょうか。
最後には癒されてくださると嬉しいです。
よろしければ、また森に遊びにいらしてくださいね。