<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


記憶の欠片〜貴方への道〜

 大雪が降ったある日、精霊の森では森の守護者の誕生日パーティが開かれていた。
 千獣はそれに参加していた。けれど、それが終わったら街に行くことを決めていた。
 パーティは一晩通して行われた。
 千獣が街へ行けたのは、結局次の日の朝だった。

 彼女は急いで、街はずれの倉庫群へと向かう。
 ちょうど――
「あれ、千獣さん」
 赤い髪の、そばかすの残る少年と道の途中で会った。
 ルガート・アーバンスタイン。これから千獣が行こうとしている場所の管理人……
「おは、よう……」
 千獣はルガートが抱える荷物を見ながら、小首をかしげた。「これ、から……倉庫、行くの……?」
「そうですよ。まったく、また倉庫の荷物が増えてたまったもんじゃない」
 ルガートはぶつぶつと文句を言う。
 千獣は手を差し出した。
「代わり……持つ……」
「え? いや、そんなとんでもない。女の子に持たせたら――」
「大丈夫……私、力、ある……」
「そんなこと言っても」
 千獣は視線を揺らした。ルガートの持っている荷物にそっと手をかけながら、
「……いぐ……いる……?」
 相変わらずまともに発音できない、とある少年の名前を出した。
「……記憶、見て、ほしい、ん、だけど……良い……?」
「あー」
 ルガートはうんうんとうなずいた。「フィグのやつなら、倉庫に住んでるし外に出ませんからね。いますけど」
「見て、ほしい……だから、荷物、運び……手伝う……」
「……うーん、あいつの仕事と俺の荷物運びは違うもののよーな気がするんですが」
 聞く耳持たず、千獣はひょいとルガートの荷物を奪った。軽々と持って、いそいそとルガートの管理する倉庫へと向かう。
「今日はやけに急いでますねー?」
 ルガートは早足で千獣に追いつこうとしながら、声をかけてきた。
 千獣は反応しなかったが、内心その通りだった。
 ――早く、記憶覗きをしてほしい。
 早く。早く。早く……。

 ■■■

「フィグ、起きろー」
 目的の人物は例によって、相変わらず倉庫の地下室で寝ていた。
「千獣さんが来てくれたぞ。起きろー」
 ルガートはごみごみとした部屋の中央に行って、げしげしとそこで寝ているはずの少年を蹴飛ばしている。
「……痛いっての、お前は……」
 ぶつぶつとぼやく声がした。
「人を軽々しく蹴っ飛ばしていいと思ってるのか……」
「こうでもしないとお前起きないだろうが。ほらほら、千獣さんなにやらお急ぎのようだから。支度してクオレやってやれ」
 むくりと、がらくたの中からひとりの少年が起き上がる。
 寝起きなのに、乱れていない黒髪。ちらっと千獣を見た瞳は、射ぬかれるかのように鋭く、また優しい光の黒水晶。
「……おはよう、ございます」
 初めて会った頃はずいぶん無愛想だった少年から、そんな言葉が出た。
「おはよう……」
 千獣は微笑む。
 立ち上がった黒髪の少年――『クオレ細工師』フィグは、そんな千獣を見てくすっと笑った。
「なに……?」
「いえ」
 フィグは手首やら首やらを回しながら、おかしそうに言う。
「この頃は幸せに過ごしているようですね」
「………」
 千獣は赤くなる。幸せ? そうだろうか。
 幸せってなんだろう?
 でも多分……
 否定することじゃない。
「さて」
 フィグは両手を腰に当てる。
「またクオレなんですね。今度はどんな?」
「あのね……」
 千獣は脳裏に、ある人物を思い描く。
 青と緑の入り混じった不思議な髪。銀縁眼鏡。大抵はおっている白衣。
 眼鏡の奥の、森色の瞳――
「……クルス、との、記憶……」
 ――精霊の森の守護者、クルス・クロスエア。
 彼女にとって大切な、大切な人。
 フィグが首をかしげた。彼にとっては知らない名前だ。だが少年は、深く聞いてくることをしない。
「クルス、誕生日、で……」
 千獣は恥ずかしげに言葉を紡いだ。「人間は、誕生日、何か、贈る……」
「そうですね」
「記憶、見て、できた、クオレ……贈り、たい……」
「………」
「……クオレ……いぐ、が、作って、くれる、ものを、他の、誰か、に、渡す、ことが……良い、の、か……わからない、けど……」
 千獣は視線を落とす。軽く瞼を閉じて、しかし決心してきたことを言葉にのせて。
「……記憶、から、生まれた、クオレは……どんな、言葉、よりも、どんな、物、よりも、確かな、もの……」
 フィグの視線を感じる。柔らかな視線。
 彼はたどたどしくしゃべる、そんな彼女を、歓迎してくれている。
「苦しかった、ことも、嬉しかった、ことも、全部……ありの、ままに、渡し、たい、から……」
 千獣は目を上げた。
「良い……?」
 フィグの黒い瞳が和んだような光を帯びて、
 そして彼はうなずいた。
「お好きなように」
 ルガート、とフィグは呼ぶ。あいよ、とルガートが客用の椅子を持ってくる。
 千獣はその椅子に座った。
 フィグが千獣の前に立ち、優しく声をかける。

 ――さあ、目を閉じて。

 導かれるままに、世界は次元を超えて求める場所へと――

 ■■■

 彼と
 出会ったのは
 ――いつだっただろうか

 時間という概念を持たない千獣でも、なぜかそれは気になった。
 何となく入った森で、不思議な樹を見つけて見上げていた。その時に背後からかかった声。

『そこで何をしているんだい?』

 その頃の彼の声はどんな調子だったろうか。何となく、おぼろげだ。
 なぜなら千獣が惹かれたのは彼ではなく、目の前の樹の方だったから。
 クルス・クロスエア。そう名乗った彼は、千獣が惹かれた樹には精霊がいることを教えてくれた。
 千獣は今、その精霊を母と慕っている。

 ――違う、この記憶、じゃ、なくて……

 彼が――
 ただの『森の守護者』じゃなくなったのは、いつだった?
 心のふりこが、揺れた。
 ああ、顔が熱い。
 首筋が熱い。

 彼がなぜか、突然口付けた場所。
 思い出せば今でも頭の中は真っ白に染まって、心はふりこ時計のように揺れた。
 ――私はただ、彼に『自分ひとりで抱え込みすぎないで』と言っただけだったのに。
 彼はなぜ、あの時そうしたのだろう……

 あの日からずっと、ずっと捕らわれ続けている。
 理由の分からない熱に。
 彼の紡ぐ言葉に。
 彼の穏やかな森の瞳に。

 彼のことを想って、揺れて揺れて止まらないふりこがたまらなくて、眠れない日もあった。
 月がおぼろげに。自分の心もおぼろげに。

 唇をそっと指でなぞられるだけで、体中に熱が回った。
 彼はいつしか、自分のことを「僕」ではなく「俺」と呼ぶようになった。
 彼が自分を「俺」と呼ぶ時は、いつも何か違って。
 私を平常心でいられなくして。
 私を見る森の瞳の光が、少しずつ変わっていって。

 あああの瞳。あの瞳。あの瞳。

 私から目をそらすことがなかった。彼は。
 私をすべて包んでくれると言った。彼は。
 ニンゲンの私でも、獣の私でもいい、
 キミはキミとしていてくれればいいと言ってくれた。彼は。

 ……初めて自分から、何気なく彼の唇に口付けた時。
 どうしてあんなに動揺したのだろう。それが分からなかった頃。
 今では彼と唇を交わすのが嬉しくて、彼に触れてもらうのが嬉しくて、
 どんどんどんどん、私は変わっていった。

 私が自分から変わったのか。
 彼が私を変えてくれたのか。

 ――ああ、獣に身を変えた自分がいる。残酷な事実を目の当たりにして自我を失った私。
 止めにきた彼の体を引き裂いた。
 あの時の感触、血の匂い。
 今でも重くのしかかる枷。

 もう二度とキミにそんな思いはさせないと、彼は言ってくれたけど。
 やっぱり自分の中の獣の部分が怖くなったあの時。
 それでも彼はあくまで私の内側を肯定して、
 私の獣の腕に口付けを落としてくれた。

 色んなことがあった。
 色んなことがあった。
 思い出せばきりがない。思い出したい、思い出したらパンクしそう。

 好き、の意味を考えて。
 愛、の意味を考えて。

 愛してる、と言ってみて。
 愛してる、と言われてみて。

 ああ、――、――、――、私は彼を

 俺だけの精霊

 囁く彼。本当にそうなれる?

 ――――――――ああもうだめ
 彼の元に行きたい行きたい行きたい見つめてもらいたい抱きつきたい触れてもらって抱きしめてもらってそれからそれから



 暗転



 ■■■

 はっと目が開いた。
 目の前に、苦笑気味の黒髪の少年の姿があった。
「落ち着いて、千獣さん」
 フィグはゆっくりと言った。「すぐに帰れますよ」
「ぃぐ……」
 どくんどくんどくんどくん鼓動がまだ跳ねている。
 彼を求めて跳ねている。
 けれどフィグの黒い瞳は、だんだんと千獣を落ち着かせる。
 落ち着いて。
 よく見ると、フィグは両手を拳にしていた。
 その拳それぞれから、光が漏れている。
「……クオレ……」
「出来ましたよ」
 フィグは両拳を軽く持ち上げた。「それも、2つもね。珍しいことです」
 千獣はきょとんとフィグを見る。フィグは笑った。
「お互いを見つめあう心が、クオレを2つに分けたんでしょうね」
 フィグは千獣の目の前に拳を移動させ、そっと開いた。
 そこに――
 2つの、そっくりな、銀の懐中時計。
 いや、柄が違う。中央の白い部分の細工。掘り込まれている図柄。
 片方は、千獣のよく知る青年によく似た男性の横顔。
 片方は――、知らない女性。美しい翼を、つけた……
「カメオ細工ですが……。この男性の方は、あなたの想い人の顔ですね」
 千獣は頬を赤らめる。そうだろう。きっとそうなのだろう。
「そしてこちらの翼を持つ女性の横顔は――」
 フィグは少し間を置いた。おかしそうに。
「あなたの目に映っていた、彼から見た、あなたの姿、ですね」
「………?」
 とっさに、何を言われているのかが分からなかった。
「分かりませんか? 要はこの女性はあなたですよ」
「―――!」
 ルガートが傍に来て、「おー、美人ー」と感嘆の声を上げた。
 千獣はぶんぶんと首を横に振る。
 私はこんなに綺麗じゃない。こんな翼を持っていない。持っているのは獣の翼だ、こんな純白の翼は持っていない。
「彼はあなたをそう見てるんですよ」
 フィグはなだめるように言う。
「そんな、こと」
「――認めてあげてください。彼はあなたの性根がとても美しいことを知っている。だからこういう姿に映るんでしょう」
「ク、クルス、目、悪い、から」
「……目がいい悪いの問題ではなくて」
 心の問題ですよ、と。
 フィグは笑った。
「ちゃんと、あなたの姿自体は見えています。ですが――そうですね、彼の前でなら、あなたはこのように美しくなれる、と言った方がいいか」
「こんな、風に……?」
 千獣は目をこらしてその翼持つ女性を見つめた。
 本当に?
 彼の前では、こんな風になれる?
「そんな、わけ……」
 自分は汚い部分をたくさん持っている。なのにそんな、こんな、まさか、
「大丈夫ですから」
 フィグは2つの懐中時計を、千獣の手に握らせた。
「どちらを彼に差し上げるのかはあなた次第です。……彼があなたを見る目を信じてください。俺も間違っていないと思いますよ」
「………」
 千獣は2つの銀の懐中時計を、大切に胸に抱いた。
 目を閉じる。彼に渡すところを想像する。
 喜んでくれるだろうか?
 ――喜んでくれる。きっと。なぜかそう、確信できた。
 心のふりこがまた揺れている。
 彼の元へ、彼の元へと。
「……あり、がと。ぃぐ……」
 つたない言葉で思いを告げた。
 フィグは微笑んだ。
「あなたとあなたの想い人が笑顔になれば、俺はそれで充分ですよ」
「おお、フィグが素直」
 ルガートが余計なことを言って、フィグに蹴飛ばされた。
 フィグは「さあ」と倉庫の地下室の出入り口を指差した。
「あそこが出口。そこから倉庫の出口。そこからまた彼の元へ。急がないと、遅刻しますよ」
 ――遅刻なら、もうしちゃったんだけどな。
 だから――
 急がなきゃ。
 うん、とひとつうなずいて、千獣は椅子から立ち上がった。
 階段を駆けのぼる。地下室を出る前に一度振り向いた。フィグとルガートはただ見送っていた。
 微笑みひとつ。
 さあ、行こう。
 贈り物を渡しに。最高に幸せな気分のままで――


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3087/千獣/女/17歳(実年齢999歳)/獣使い】

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■         ライター通信          ■
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千獣様
いつもありがとうございます、笠城夢斗です。
前回に続くノベルのご発注、ありがとうございます。
お届けがとんでもなく遅れて申し訳ございません;
カメオ細工の懐中時計。2つ出来上がりました。どちらをどうするかはご判断に任せます。
誕生日完結編、よろしくお願いいたします。