<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


『暁の塔』

 青々とした森の中の少し切り立ったところに、もう誰も住まなくなった小屋があった。おそらく真っ赤であった屋根の色は茶色くくすんでいて、白い外壁は硫黄でも降りかかったかのように所々汚れ、或いは風化で角が丸まっている。窓枠の木がやはり所々捲れあがって、埃を被っていたり、雨でさび付いた釘が垣間見える。
 辛うじて、小屋の内部は雨風をやり過ごせる環境が整っている。盗賊は修道院の少年をここに匿った。正確には、ただ、少年に問うことがあっただけだ。何かを盗もうとしたのではなく、好奇心を満たすため。
 少年は少し警戒していたが、黙って連れられててきた割に、随分と和やかな雰囲気を作っている女の賊に、少し戸惑った。どういう意図なのか、これを誘拐と呼ぶべきなのだろうか、それも良く分からなかった。賊に最初に言われたこと。盗賊だ。わざわざ素性を明かすなんて、本気か、と思った。その言葉をうまく飲み込めないまま、次にリズフェクスという偽名を教えられた。自分で偽名とばらすなんて、ますます良く分からなかった。そして三つ目は、
「道案内をお願いします」
 盗賊は微笑みながら、そう言って来た。
「…どこに、ですか」
 少年はそう聞き返すしかなかった。
「道案内が得意なのでしょう」
「…『得意』の意味が分かりません」
「見えない物を指し示す――あなたはそういう少年だと知りました…ダニエル」
 少年は自分の名を示され、もう一度警戒心が蘇った。
「なぜ――どういう、つもり…」
 その戸惑いにも、賊は相変わらず笑っていた。
 そして、もう一つ。こう言った。
「ダニエルを狙っている人がいるのです」

 その修道院はとても小さく、旅人もほとんど訪れないような、辺境に建てられている。本来の意味で、隠遁生活を営むための環境である。
 だが、常ならば有り得ないほどの殺気を、周囲の森から発しているものがいた。しかし、修道院に戦士はいない。だれも兆候に気付かなかった。
 突如、講堂の扉が開かれて、ミサに集まっていた修道士たちは、一斉にその襲撃の発端に飲み込まれていった。黒ずくめの三人組。一人は、目に包帯を巻き、赤く長い髪の、黒いマントを身に着けた女。長剣を抜きさって、ゆっくりと歩いてくる。残りの二人は、体格はこの女と同じぐらいの、黒いマントを羽織り、フードを被った、おそらく女二人。顔を伺い知ることはできない。
 だが修道士たちは、歩み寄ってくる女の凶行を受け止めることさえ出来なかった。次々とその刃に倒れ、赤い血を流し、首や手足が吹き飛ばされる。そして最後に残された司祭に刃を振り下ろしたところで、ようやく女は口を開いた。ダニエルは、どこだ、と。女の目当てはダニエル、司祭はそれを一応理解はしたが、恐ろしさのあまり、首を横に振るのがやっとだった。本当にダニエルがどこに行ったかも知らなかったが、命乞いに近い振る舞いになっていた。
 その時。女の後ろで、重いものが二つ、倒れる音。
 振り向けば、淡く青い髪の女。細剣を静かに床に向け、やはりゆっくりと歩み寄ってくる。だがその顔は、血みどろの場には相応しくない微笑だった。
 赤髪の女の方は、苛立った。
「その顔は場違いだ! お前は予定にはない。殺すぞ」
 その文句にも、微笑の女は顔色一つ変えず、
「ダニエルを預かっています」
 と答えた。その途端、威勢の良い赤髪の言葉が詰まった。
 さらに微笑の女が続ける。
「――目が、見えないのですね? …それには、どうしてもダニエルが必要、と」
「色々知っているらしいな。では…ここの連中には用済みか」
 そう言うなり赤髪は司祭に向けた長剣の刃を、その喉元に押しやり――
 鮮やかな血と叫び声が入り混じり、司祭の体はドスンと床に転げ落ちる。
「次はお前だ。答えてもらう」
 赤く染まった刃を今度は微笑に向けるが、相変わらず笑ったまま。
「ジュスティーヌ」
「やはり知っているのか」
「暁の塔、でしたね」
「もういい。分かった。生かしてやるから、ダニエルを渡せ」
「私の紹介が遅れました――」
 赤髪の気迫などお構いなしに、青い髪の女は淡々と述べる。
「リズフェクス。偽名ですが。一応こう呼んでもらっています。あなたと同業です」
「ふん…気に病むな。覚える気などない」
「関わることにはなると思います」
「黙れ。ダニエルを渡せ」
「そう願っています」
「――何…?」
 どうにも相手との会話が噛み合わず、赤髪の苛立ちが大きくなり始めていた。
 だが、次の瞬間には、微笑の女の姿が掻き消えた。…逃げたのか。
 残された女は舌打ちをした。

 空を飛びながら、トリ・アマグは森の様子を眺める。とても和やかな気分だ。枝葉が微風にざわざわと音を立て、鳥たちも鳴いている。だが、なぜかここには黒い渦を感じる。何かが起こるのか。それとも、もう何かが始まっているのか。
 ――しばらく、待つ、か…。
 手近な太い枝に、静かに降り立つ。大きな背丈をゆったりとかがめ、傍の幹に右手を添える。長い黒髪が風に揺れる。
 それほど待つ必要もなかった。
「いつぞやの――盗賊さん…」
 アマグの向こうには、ただ森が広がるだけ。だが、いると確信し、ポツリと呟いた。
 答えがあった。
「やはり――お誘いしなくても、誘われるものなのですね」
 聞き覚えのある、淡々とした女の声。上の方から聞こえた。やはり、殺気はなかった。
 アマグも、声の方には振り向かなかった。
「血の臭いを感じました。でも、盗賊さんの仕業じゃなさそうね」
「真相に興味がありますか?」
 アマグは答えなかった。変わりに、笑みを作った。おそらく、あの盗賊も、笑っているのだろうと想像しつつ。

 何事か、と千獣は思った。小さな修道院から、人間の血の臭いがする。生きている者の気配は感じられない。正面の開きっぱなしの扉から、講堂の内部を眺める。死体の山。全員が刃物のようなもので切りつけられている。
 千獣はゆっくりと奥に進む。やはり気配はない。
 その時、背後に――
 あわてて振り向くと、そこには。
 驚きの表情をした、見知った顔。
「千獣…さん?」
 山本建一は呟いた。

 アマグは賊の話を聞き、徐々にダニエルという少年のことに興味が湧いた。そして、ダニエルを匿った小屋に案内されるや、こう一言。
「盗みの人が、わざわざその手口を教えるなんて」
 賊はやはり淡々と、
「ダニエルは『戦利品』ではありませんよ」
「では…何を盗むんです?」
 賊は笑ったまま、答えなかった。
 これ以上賊に問うても無意味と判断し、小屋の中へ。
 少年と目があった。やはり、少年は戸惑った顔をした。盗賊の仲間と思われただろうか。
 一応、違う、と言ってみた。それでも、信じる様子はなかった。
「…聞いたわよ。あなたのいた修道院が襲われたって」
「――え?」
 その事件を、ダニエルは初めて耳にするようだった。
「――そう、あの盗賊さん、肝心なことは言わないのね。…ん、でも変ね。これだと、盗賊さんが人助けをしたみたい。何か裏があるんでしょうけれど」
「…あなたは…一体?」
 アマグは自分の名をダニエルに告げ、君に興味を持った、と伝えた。そして、ここまでのいきさつも伝えた。
「――そんな、みんな殺されたんですか…」
「ショックでしょうね。でも、何か、君が狙われていたみたい」
「僕は…」
 そう言って口ごもってしまった。
「何でもいいわ。教えてちょうだい」
 アマグはダニエルを諭す。
「そうね…あの盗賊さんが言ってた、『案内がうまい』って、どういう意味かしら?」
「案内、というのが、良く…分からない」
 ダニエルは困った顔をした。
「ダニエルの術、というか、魔法というか、能力とか…」
「それなら――」
 ダニエルは突然アマグに右手をかざした。
 しかし、何も起こらない。
「…何かしら?」
 アマグはきょとんとした。
「小さかった頃…目の見えない動物を見つけて、どうして目が見えないんだろうって思ったことがあって。生まれつきなのか、何か他の動物に襲われたのか、良く分からなかったんだけれども、無性に助けたくなって、ついその動物、その時は兎だったんだけれども、兎の閉じられた瞼に、右手をかざしたんだ。そしたら、突然、その兎、目を開いてね。その時は何かの偶然かなって思ったんだけれど、気になって、今度はわざと手近にいた虫の目をつぶして、同じことをしてみた。そしたら、やっぱり同じことが起こったんだ」
「…それで、この右手を? ――私はちゃんと目が見えるのよ?」
「でも、何と言うか…濁っている、というか…」
 アマグは笑った。そういう目なのよ、と言った。
 しかし、それが今回の事件の背景だろうか、とも思った。
「えと…アマグ…さん、ですか?」
「ええ、何かしら?」
「いきなり、すみません」
 アマグは再び笑った。
「でもね、私はまあともかくとして、あの盗賊さんにあまり心を許すべきではないと思うわ」
「あ、ええと…」
「まあ別にどちらでも良いかもしれないけれどね。私の方も、何か披露し――」
 突然。
 小屋の扉が大きな音を立て、開いた。
 振り向くと、微笑の盗賊ではなかった。
 赤い髪をし、目に包帯を巻いた女。
 長剣を抜いている。
 アマグとダニエルに戦慄が走った。
「ちっ…やっと見つけた。時間を無駄にした…」
 ぶっきらぼうに言い放ち、女はダニエルに迫る。
 すかさずアマグが、自身の背丈ほどの大鎌を振るい、相手を退ける。
 大きな金属音が狭い小屋に響く。
 そして両者は間合いを取る。
「なんだ貴様は」
 女が言う。
「それが突然入ってきて言う台詞かしら」
 アマグは余裕綽綽と、この侵入者を見据える。
「ああ――そうか。あなたが、ジュスティーヌ」
 アマグは、先ほど盗賊から聞いた名を思い出した。――いや、そういえば、その肝心の盗賊はどこへ行った? この小屋に通されてから、姿がない。突然このジュスティーヌらしき女が現れたということは、リズフェクスは近くにはいないということなのか。
「どうでもいい。ダニエルを渡せ」
 アマグは、とりあえず目の前の火の粉のことを考える。
「まったく…見もふたもない…。目が見えないから、というよりも、それがあなたの性格かしら」
「渡すのか渡さないのか」
「慌て者ね…。クライマックスはもっと後よ」
 そう言いながら、再び赤髪の女に大鎌を向ける。
 ジュステェーヌはすかさずアマグの右脇に回りこみ、跳ぶ。
 再び刃が交錯する。大きな金属音。
 そしてジュスティーヌはアマグの腰より下まで身を屈め、剣を構えたまま足払いを仕掛ける。
 すかさずアマグは軽く飛び上がり、僅かに刃の離れた大鎌を、今度は足元のジュスティーヌめがけ、振り下ろす。
 ガツンと音を立て、床の木の板が捲れあがる。
 ジュスティーヌはかわし――
 違う…!
 アマグがそう直感した瞬間、窓が割れる音。
 振り向くと――いない。ダニエルも、いない。
 連れ去られたのか。
 アマグは周囲の気配を伺った。何の空気の動きも感じなかった。
 窓の破れた小屋に、微風が入り込むだけだった。

 そうですか、と言いながら、建一は千獣と講堂を観察していた。
 相槌を打ちながらも結局状況しかつかめない。しかし、こんな辺境の地に、こんな惨状は、事件としか思えない。それは二人の一致した意見だった。
 千獣がポツリとこんなことを言った。
「襲わ、れる…自由、は…ない、のだ、な…」
「…そうですね。惨い有様、というか…」
 建一は難しい顔をしながら、
「皆殺し、ということは、口封じなのか、それとも、そういうやり口、なのか」
 千獣は建一の言葉を黙って聞いている。
「やはり、生き残った方がいらっしゃらない、というのが、事態を困難にしています。何か切り口があれば、と思うのですが。怨恨なのか、誰かに用があったのか――」
 建一はここでパーストを使い、過去の状況を見てみる。
 …黒ずくめの三人組。真ん中の赤い髪の女が、修道士たちに切りかかる。なんと酷い…。司祭らしき人にも向け、そして――
 そして? あの女は…?
 その時、千獣が突然外に飛び出す。
 何か、来る。
 建一も何かを予感し、千獣の後を追う。
 外に出ると、相変わらずのまばらな木々が見える。
 近づいてくる、のではない…?
 遥か向こうの方で、何かが走り去る気配。
 だが、人気の少ないこの地で、あんな気配を出すのは、動物…。
 いや、それにしてはそれほど殺気立っているとも思えない。気配を隠さないのも不思議だが…人間なのか。
 そんなことを考えているうち、今度は空のほうにも気配を感じる。
 見上げると、黒い羽の生えた大きな男の姿。
 その姿の方も、千獣と建一の方を見下ろして、驚きの表情。
 トリ・アマグだ。
 さっきの気配を追っていたのだろうか。
 その予想に反応するように、アマグは二人に対して、先ほどの気配が走り去った方を指差している。追うぞ、ということらしい。
 地上の二人は顔を合わせ、頷く。この修道院の一件と何か関係があるのかもしれない。
 その様子を見るや、アマグは二人の反応を待たず、先に飛んでいく。
 二人も、その方向へ走り出した。

 海辺の森の中から、塔の屋上だけが辛うじて顔を覗かせる。白い石のその塔は、元々は灯台。何年もの間、誰も立ち入ったことはなかった。ジュスティーヌはつい最近、ここを居城にした。屋上から、綺麗な朝陽が見えるらしいからだ。らしいというのは、未だその目で確かめていないから。
 見てみたい。それだけだ。自然と「暁の塔」などと、名づけてみた。名はどうでもいい。ただ、暁というものを、どうしても、見たい。
 塔の一室を、人が最低限過ごせるだけに拵え、気を失ったダニエルを寝かせ、しばらく眺める。正確には気配だけ、吐息を伺う。
 やっと見つけた。ダニエルを。もう少し、か。ここまで来ればいつでも良いのだが、できれば、明日の朝に…。気持ちが逸る。
 ジュスティーヌは床にもたれかかる。やや、包帯の内側の瞼が熱く感じられる。…疲れているのか。目的を果たすのに。長かったか、今日まで。
 また邪魔が入れば、退けてやる。明日までだ。

 建一と千獣は森を抜け出し、やや整えられた道に出る。やはり人気はない。街道なのか。それとも、過去に街道だった地なのか。
 その整えられた道に足を踏み入れた途端――
 突如、数本の水柱が地面から噴き出す。
 何だ…!
 二人は足を止める。
 そして水柱の向こうから、二体の人影。
 黒いマントとフード。抜き身の長剣。
「どうやら――僕たちを敵と見るらしいですね」
 建一は先ほどパーストで見た黒ずくめだとすぐに気付いた。千獣も既に臨戦態勢。
「――」
 その二人の黒ずくめは、何の殺気も見せず、淡々と二人に迫る。
 各々一対一。
 迫る一体を、建一は回避し、しばらく様子をみる。
 千獣の方も、まずは攻撃を回避する。
 生きた人間ではない?
 二人と戦うというよりも、機械的に排除するという動きだ。
 建一が今度はムーンアロー。これを黒ずくめが避ける。
 千獣は右腕を獣化させ、今度は一気に相手の腹に叩き込む。黒ずくめは水しぶきをあげる水柱の向こうに消える。
 ――水柱…。よく考えれば、これは何だ? 目晦まし、のつもりではないのか?
 二人に僅かな疑念が過ぎった時。
 再び水柱が激しくうねり――
 いや、今度は弱まっている。
 同時に、黒ずくめ二人が虚空に溶け込み、消えていく。
 その水の中に、淡い緑色の細長い光――
 これは…?
 千獣と建一が背後を見遣ると。
 淡い青の髪の女。微笑を浮かべて。
「あなたは――」
 建一の呟きに、盗賊は笑みを送った。
 やはりパーストで見た通り、この盗賊、リズフェクスだった。まだ千獣には状況を詳しく伝えていなかったが、これで少しは事情がはっきりするかもしれない。
「どうやら、さっきの二人は――」
 盗賊があの凛とした声を出す。
「二人というよりも、二体のホムンクルス。あの水柱の跡を見るに、五芒星のつもりだったのでしょうか…」
「そんなことより――」
 建一が盗賊の言葉を遮る。
「あなたが関わっているということは、何かあるんですね?」
「かもしれません」
「相変わらずはぐらかすのですか」
「目撃すれば、何であってもドラマになる」
「あの修道院の悲劇もドラマだと言うのですか?」
「――赤い髪の、あのジュスティーヌという盗賊。彼女の、目的です」
「ダニエル、という少年でしたか」
「お話の筋はお分かりなのですね?」
「いえ、まだ断片的です。それに、まだこちらの千獣さんにも詳しくはお話していません」
「ならば――」
 盗賊は薄く笑い、
「これから徐々に紐解いてください。大丈夫、明日の明け方までに暁の塔に向かえば、間に合うと思います」
 暁の塔? 聞いたことがない。
 その疑問に答えるように盗賊が言う。
「この近くの、古い灯台ですよ。…今は使われていないようですが」
 とにかく、この機を逃がすものか。建一も千獣も、相手の動きを伺う。
 特に、建一は懸念だった。以前、束縛魔法がなぜ効かなかった? 何か術を使ったのか。動きが早すぎた。ほんの少しでも、何かを見逃していたのか。
 だが、今度は絶対に捕らえる。
「戦いますか?」
 盗賊がゆっくり動く。
「…ダニ、エ、ル…を、どう、す…る…?」
 千獣が突然口を開いた。
「私が、ですか?」
 盗賊の問いに、千獣が頷く。
「選ばせます」
 その言葉を、二人は飲み込めなかった。
「…ダニ、エル…を、殺…す…?」
「それはたぶんありません。私も、ジュスティーヌも」
 ――ジュスティーヌも?
「やはりもう少し詳しくお聞きしたい」
 建一は術の準備に入る。
 千獣が仕掛けた。賊は空に飛び上がる。
 だが、その方向は計算済み。
 建一がすかさずムーンアローを放つ。
 確実に当たる。
 当たった――
 だが、緑色の光が、賊の目の前ではじけた。
 そして、そのまま賊は空の向こうに消えていった。
 なるほど、と建一は思った。あの賊が攻撃に使っていた緑色の蛇のような光。あれにかばってもらっていたのか。
 だが、逃げ足は相変わらず速いようだ。
 街道の真ん中で、二人は立ち尽くした。
 建一が言う。
「少し暗くなってきましたね。…何か食べて、考えますか」
 建一は非常食を取り出し、千獣に渡した。

 どういうことです、とアマグはリズフェクスに問う。
 結局あの赤髪の行方は知れず。
 再び森の中で、二人は対峙する。夕暮れ時となって、周囲の光が失われていく。
 なぜダニエルがさらわれた。彼を守る気はなかったのか。その時、なぜ姿がなかった。
 そして、もう一つ、気になった。
「その首の傷は?」
 盗賊の白い首に、僅かに赤い傷が走っていた。
「以前あなたとご一緒だったお仲間と、少し交えました。やはり手強い相手でした」
 そうか、とアマグは思った。あの二人と遭遇したのか。今度は、建一と千獣とは敵になるのだろうか。確かめてみたいと思った。その前に、目の前の盗賊に聞くことがあった。
「盗賊さんのダニエルに対するはとても曖昧。…人の価値は誰が決める? そういうことを、私は考えます。いえ、そんな簡単な話は、当にご存知でしょうか」
「問うのは、確かに簡単です。しかし、答えるのは非常に困難…」
 微笑の盗賊は珍しく言葉を濁す。
 アマグが口を開く。
「では、具体的な問いにしましょう。暁の塔。そして、あの目の包帯…朝陽に目を焼かれた? それとも、何かを見出した? いえ、しかし――」
 ここでアマグは空を見遣り、
「本当の私の興味は彼女ではありません。…あなたと話がしたい。あなたの考えを」
「それは――」
 盗賊はやはり言葉を濁す。
「実際の事件を、目撃してからにしましょう」
「事件、とは?」
「おそらく、明日の明け方、あの塔で」
 何かが起こります。そう盗賊は呟いた。

 目が見えない、とはどういう事態なのか。いや、目が見えるとは、どういうことだ? 光を受け、心に映す。だが、何かを見ているとき、何かを見ていない。その物の内側。自分の心。自分の心はたとえ目が見えなくても、見ることができる。完全なる盲目は有り得ない。逆に、完全なる視覚も有り得ない。必ず、何かを、見ていない。
 だから、そうか、僕が今まで触れてきた目の見えない動物も、別に何も見ていなかったわけじゃないんだ。そう考えると、見えていなかったのは、むしろ僕の方。僕が見えなかった。見ていなかったものは――
 その時、突然両手に微かな湿っぽい熱を感じた。赤く染まっている。
 これは…?
 赤い髪の女が笑っている。こちらを慈悲の目で見遣っている。口から、赤い血が流れている。心臓に刀剣を突きさされ――
「うわあァァァ…!」
 ――ダニエルは『目』を覚ました。
 ここは…どこだ? 周囲を見回す。蝋燭の炎がちらついている。まだ良く分からない。壁が埃を被っている。石のような壁だが…。
 その傍らに、座り込んでいる女の姿を認める。良く見ると、目に包帯。さっきの…?
 一体?
 しかし女は眠り込んでいるのだろうか。目が包帯で隠れて見えないから、分からない。
 ダニエルはそっと立ち上がる。目覚めた直後のだるさが全身を襲う。しかし、逃げ出す機会かもしれない。
「行くな」
 女のぶっきらぼうな声が響いた。ダニエルはびくっとした。
「とって食おうってわけじゃない。ちょっと、付き合ってもらうだけだ…」
「…何に、付き合うの?」
「暁の光を、見てみたい」
 その言葉の意味が、分からなかった。
「生まれて一度も、太陽というものを直に見たことがない。なぜ私だけが、と思った。見てみたいと思った。錬金術によって、あたしの代わりの『目』は作れた。だが、実際に感じるのとは違うらしい――」

 月明かりの下、微笑の盗賊はアマグに告げる。
「――ジュスティーヌは様々な実験を繰り返しました。自分自身のホムンクルスを作り、見えない目の代わりを作ろうとしました。しかし、自分の体に組み込むことは出来なかったようです」
 アマグは黙って聞く。
「そこで目をつけたのが、あのダニエルという少年です」
「ダニエルの力があれば、見えるようになる、と?」
「そのようです」

 千獣と建一は、ジュスティーヌのいる部屋の傍で、息を潜めて会話を伺っている。
「――お前の力が必要だ」
 ジュスティーヌは呟いた。
「なぜ、僕を…」
「あの目の見えない兎のことは思い出したか?」
 ――!
 ダニエルははっとした。なぜ、そのことを知っている?
「なんだ、忘れたのか」
 ジュスティーヌは座り込んだまま、やはりぶっきらぼう。
「お前の母親が、盲目を治す『奇跡の子』とか言いふらして、修道院にお前を売り飛ばしたんだろうが」
「お…お前は…!」
「姉に向かってお前なんて言うんじゃないよ」
「姉…さん?」
「ち…飲み込みの悪い…。まさか、小さすぎて、覚えてないのか」
 ダニエルは黙ったままだった。
「面倒だな。まあいい全部話してやる。とにかく、お前の力が必要だって分かってからさ、お前がどこに売り飛ばされたかって聞いたんだよ。だがあの馬鹿女――あたしたちの母親だが、知らないって言った。だからその場で殺してやった。あたしをこんな体で産むわ、勝手に息子売り飛ばすわ…。まああたしがこんな目だってのは運命かもしれないよ? けどね、後者は許せなかったね。とにかく――あの母親殺しが快感に感じて、今まで殺しや盗み、何でもやってきた。ところが、目が見えない人生だ。快感すら楽しくない…」
 だがジュスティーヌはここで大きく首を振り、
「あァ…こんな昔話は嫌だ。とにかくだ、あたしに付き合え」
「…僕に、出来ることなの…?」
「ああ」
「じゃあ、目が見えるようになったら、悪事からは、手を退く?」
「何の関係があるんだ」
「だって」
「うるさい。あたしのすることはあたしが決める」

 アマグは静かに賊の言葉を聞いていた。
「――ジュスティーヌはダニエルに『儀式』めいた行為を促すことになるでしょう。ダニエルが見えない目を治せるのは、ダニエルよりも『下』の存在。…動物や虫を人間より下と呼ぶのは、人間の勝手でしょうけれどね。ともあれ、ジュスティーヌの解釈なら、そうする可能性が大きい」
「ダニエルにとって、つらいこと、かしら?」
 アマグの問いに、何も言わなかった。

 日の出が近づき、塔の屋上から見える海洋が青く見えている。
 ダニエルはジュスティーヌに連れられ、しかし、立ち尽くしていた。
「簡単なことだ。手順を言う」
 ジュスティーヌは相変わらずぶっきらぼうな口調で言う。
「あの海の向こうに、太陽が昇り始めたら――あたしの心臓を刺せ」
 その言葉に、ダニエルは凍りついた。
 ――なおも傍で見張っている建一や千獣も注意深く聞く。
 なおもジュスティーヌは続ける。
「そして、あたしの瞼に触れろ。それだけだ」
「な…なぜ刺さなきゃ、いけないの…?」
「お前があたしより上でなきゃいけないからだ」
「…上?」
「師は盲目の弟子の目に触れた。盲目の弟子の目は開かれた――よくある神話さ。あれをなぞるんだ」
「で、できないよ…!」
「良いからやれ」
「だって、そんなことをしたら姉さんは…」
「死ぬよ。そりゃそうさ。でもね、見えない目で生きていくのは、少なくともあたしには苦痛なんだ」
 このやり取りを聞いていた千獣と建一は顔を合わせた。そろそろ止めた方が良さそうか。
 二人は屋上への階段を、そのまま登る。ジュスティーヌとダニエルが振り向く。
「何だお前たちは」
「今の状況では、ダニエル君の敵の敵、でしょうか」
 建一が言った。
「ジュスティーヌさん、と仰いましたね。あなたですか、修道院を襲ったのは」
「だったらどうする?」
「どうもしません。ただ、これから止められるものは止めたいと思います」
「余計な世話だ」
「ダニエル君が同意しているようには見えませんが」
 建一が言う。
 千獣も、ジュスティーヌの行為を少なくとも良しとは思わない。
 包帯を巻いた女は黙って剣を引き抜く。
「ち、いちいち話を聞いていたのか。まあ別に良い。邪魔者は殺すだけだ」
 そして――そのまま建一に迫る。
 建一はこれを回避し、ジュスティーヌの右手めがけ、蹴りを入れる。
 だがジュスティーヌはさらに建一に刃を向け――
 一旦下がる。千獣の動きに気付き、迎え撃つ。
 獣化した右手で長剣を払いのけようとする。
 ジュスティーヌは千獣の攻撃を避けながら、右手に何か術の準備。
 すかさず千獣が疾風刃を飛ばし、動きを阻害する。
 さらに退いたジュスティーヌに、建一の束縛魔法。
 もう一歩下がり、二人との距離を大きく開ける。
 …目が見えないとは思えない動きだ。
「やはり冷静になるべきです」
 建一が言う。
「あなたの目を治す方法は、まだ他に手段があるかもしれない。世界は広いです。こんな乱暴な手より――」
「うるさいっ!」
 怒りに満ちた声を上げ、ジュスティーヌが建一に迫る。
「邪魔をするな!」
 長剣を振り上げ――
 だが、攻撃を止め、ダニエルの方を向く。
 新たな気配。
 アマグ。ダニエルの喉下に、大鎌を突きつけている。
「そこまでよ」
 うっすらと笑みを浮かべる。
 すかさず、ダニエルの耳元で、ダニエルにだけ聞こえる音量で言う。
「大丈夫、演技よ…」
 それでも、ダニエルはおびえていたが。
「さて――ジュスティーヌ。――言いたいことは、分かるわね?」
「どいつもこいつも…貴様ら、あの薄ら笑いの女の差し金か」
「盗賊さん? さあ、たまたま、じゃないの?」
 だが。
 アマグに意外な所から攻撃が来る。
 小さな、緑色の光――
 アマグは慌てて避ける。ダニエルを放り出して。
 ――リズフェクス。
 何のつもりだ。どこからか眺めているのか。
「くそ…! なぜこうも妨害が!」
 最も苛立っていたのはジュスティーヌ。
「何が悪い! あたしが! 何をした! 目が見えないだと。それを哀れむつもりか。人殺しだと。それを咎めるつもりか。せいぜい正義面していろ。どちらも聖人君子の空しい戯言だ。頼れるのは、生まれつきではなく、自身で手に入れた力。それこそが本当の結果だ。そのあたしの力を少しでも否定してみろ。貴様らのその良く見えていると思い込んでいる両目ごと、全て排除してやる…!」
「もう、良いよ!」
 ダニエルが叫んだ。
「何か、おかしいよ。良く分からないけど、おかしいよ、姉さん。…僕のせいで、戦いになるなんて嫌だ。――分かったよ姉さん。やるよ。やれば…良いんだね」
 アマグも千獣も建一も、ただダニエルを眺めるしかなかった。
 止めようとした。だが、本人の意思を、果たして止めるべきなのか。いや、無下に殺人を犯すなど…。
 ジュスティーヌはダニエルに静かに歩み寄る。
「…すまない」
 先ほどまで吠えていたとは思えないほどに、驚くほど穏やかな声を出した。
 それを見て、建一と千獣がやはり止めに入ろうとする。
 だが、ジュスティーヌをかばうように人影が現れる。微笑の盗賊。
 細剣を抜き去り、二人に向ける。
 賊はジュスティーヌの方を向き、静かに述べる。
「ダニエルの意思さえあれば、最初から静観していたでしょう。でも、ジュスティーヌの邪魔を私がすることで、本当に弟にそんなことをさせてまで、暁の光を見たいのか、確かめました。…そこまでして見たいのですね、夜明けと言うものを」
「…死ぬほどに、だ」
「では、もう止めるべきではありません。黙って、見守るべきです」
 そう言うと、リズフェクスは黙って剣を鞘に戻し、ジュスティーヌから離れる。背を向けたまま。
 ジュスティーヌは自らの長剣をダニエルに預け、そのまま、自分の胸に押し当てた。
 血が熱く感じられる。そしてダニエルの右手を自身の瞼に押し当てさせた。
 朦朧とする意識の中に、視界が開けた。力を振り絞り、包帯を解く。
 涙を流して呆然とする、強い色の髪の少年がぼんやり見えた。良く見れば自分の髪も同じ色をしている。これは、何色と呼ぶのだろうか。自分の心臓から伝う血と、同じ色だ。
 その後ろ、少し橙色に帯びた空が、見えた。あれは、太陽と呼ぶものか。微かな太陽からの光線が、目に届いていた。
「始まり…ぐら、い、見た、かったんだ…。生まれた、からに、は…」
 そのままダニエルに抱きかかえられるようにうずくまった。ダニエルには、穏やかな顔に映った。
 …しばらくして、アマグがリズフェクスに問う。
「あなたは、今回、何を盗んだんです?」
 盗賊はこう答えた。
「良く見える目を、ですよ…」


■登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
 整理番号/PC名/性別/年齢/職業

 3619/トリ・アマグ/24歳/無性/歌姫/吟遊詩人
 3087/千獣/17歳/女性/異界職
 0929/山本建一/19歳/男性/アトランティス帰り(天界、芸能)