<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


赤い手紙は君を見た「夜明けと鐘」



 千獣(せんじゅ)がその手紙を受け取ったのは、彼女が常日頃を過ごしている森の入り口であった。
 遠くから差す朝の光に薄らと照らされたそれは、周りの青々とした緑に混ざることなく、あくまでその存在を誇示していた。縁を金色で象られた赤い紙と、同じ色をした薔薇の花。この土と草の色彩の上へ横たわる小さな赤は、手に取られるべき人物が現れるのを静かに待っていた。

『親愛なる被害者様へ。明日の晩、あなたを殺しにゆきます。心して待つように。 あなたの友、ブラッディ・レッドローズ』

それのみが書かれた手紙を拾い上げ、千獣は長めの瞬きをした。一度全ての文面に目を通した後、ほんの少し目を凝らしてもう一度流し読みをする。裏返してみても、他に文字はない。僅かに滲んだ白いインクが、殺気とも敵意とも取れない異様な感情を発していた。
 森の外から中へと、冷たい風が通り抜けていく。森の木々と葉達は、まるで危機を察知したかの様にざわりと揺れた。それを追いかけ、小動物の声。どこかで彼女を見守っているのだろうか。敵意のない小さな命が、足踏みをして草を揺らす。
 千獣はもう一度瞬きをして、ゆっくりと母なる森を振り返った。再び、風が吹き抜ける。草や枝達の擦れる音。

「……大、丈夫、……だよ。皆、には、迷惑……、かけない、ようにする……、から。……約、束、する、よ」

風に揺られる髪をそのままにして、手紙を片手に持ち、誰ともない者へと語りかけた。少し俯き、溜息のような呼吸をして、彼女は静かにその場を後にした。一歩一歩、日の照る草原を踏みしめて。表情を変えることなく、僅かに手を震わせることすらももなく。
 彼女の背が見えなくなった頃。森の入り口近くの茂みからぴょんと子兎が飛び出る。鼻をひくひくと動かし、彼女の軌跡をじっと見つめた。森の奥から、ひょろろろろろろ、と、鳥の声。枝の上に駆け下りてきた二匹の栗鼠が、順順に小首を傾げた。いつまでも帰りを待つよ、とでも言うように。そこに残された薔薇は、突風によって花弁を攫われ、森の外へと吐き出されて行った。





 千獣が辿り着いたのは、ひらけた高原であった。森からは大分離れており、その景色を拝むことは出来ない。目を凝らせば聖都の城壁が見えないこともないが、道が通っているわけではない為、夜にここを訪れる人間は居ないだろう。日は頭上へと昇り、じわじわと身体を温めてくれる。彼女は草原に腰を下ろし、空を見つめた。
 二羽の鳶が上空を横切る。何度も軌道を交錯させ、お互いの名を呼ぶように鳴き合って。
 それを見て、千獣は何を思っただろう。これから起こるであろう殺し合いのことか、それとも別の何かか、寧ろ何も考えずに神経を研ぎ澄ませているのか。
 彼ら以外に、生き物の気配は無い。時折ゆうるりと風が吹き、その度に草達はさらさらと漣を立てた。千獣の髪も、何度も風に撫でられた。彼女のすることと言ったら、一定の間隔を保つ呼吸と、人よりほんの少しぼんやりとした瞬きと、手や足の位置を変えることくらいだ。辺りを見回すことも、視線をキッと変えることもなく、雲を作っては流すだけの空を見つめていた。

「雲が、消えるの、と……、同じ様、に、人も、……消えて、いく、の、かな」

日が傾くまでに彼女が発した言葉はそれだけだ。
 決して、この何も無かったかのような時間が無意味だったわけではない。ここに訪れる人間や、動物たちが居ないかどうか、しっかりと確かめることが出来た。誰かが通り過ぎる気配も無し、こちらへやって来る気配も無し。つまりこの場所は、手紙の差出人―――ブラッディ・レッドローズと名乗る者との死闘の場に丁度いい、と言うことだ。自らと相手以外の存在を傷つけること無く戦える。どのような結果になったとしても、街中や森よりも、後を引くものが少ないだろう。戦いの果てに残した傷も、きっと誰にも知られる事無く消えていく。癒えるとも、救われるとも言えない方法で。

 やがて空は緋色の光に染まり、太陽は地平線の向こうに沈んでいく。

「……夜、が、来る、……ね」

その呟きは、冷えた突風に掻き消されていった。手紙を片手に、夕日の光を浴びる千獣。滑らかな黒髪に淡い橙色が溶け、それをゆるやかな風が揺らす。もしも詩人や画家がそこに丁度居合わせていたとしたら、真っ先に手元の紙へと筆を走らせるであろう。しかしおそらく、その優美な色彩をただの言葉や絵の具で表す事など出来ない、と、誰もが首を振るに違いない。ここにしかない風景。一瞬の輝き。永遠でないからこその美。その束の間の永久とも言える美麗の時は、瞬きをする間も無く過ぎ去っていった。





 どこか遠く、耳を澄ませば漸く聞こえるほどの彼方で、カラスの鳴く声。間も無く、空は黒に塗りつぶされる。今日最後の休息。カラスは何度も何度も鳴いた。まるで、ご馳走を待つ子供のように。
 日が完全に沈むまでに、時間は掛からなかった。千獣は、太陽の光を感じ取れなくなるその瞬間に立ち上がった。全身の神経を張り詰めて、こちらへ向かってくるものが居ないかどうか確かめる。手紙にあった時間の指定は、『晩』としか無かった。太陽が沈んだ今、どこからレッドローズなる者が現れるか解らなかったからだ。ひとつひとつの呼吸も、聞こえないほど静かにする。冷たい空気が肌を刺激する。

 都から離れたここでは、地上を照らすものは月と星しか無い。空には薄い雲が広がり、それら光源を密かに隠している。相手を確かめる手段は、視覚よりも聴覚と気配。
 ざくざくと草を踏み分ける音がしたのは、千獣が立ち上がってから数分経った後であった。音のする方を、ゆっくりと振り返る。緩慢に見える動作の中にも、どこか警戒の意識が見て取れた。

「やあ、親愛なるキミ。そんなに構えなくてもいいよ、始める時はしっかり合図をするからさ」

その人物は、殺気を微塵も感じさせない声と動作で、千獣へと近づいてきた。両手を広げ、まだ何も武器を持っていないことをアピールする。背の高い、細身の青年であった。声はこの空間に似つかわしいほど明るく、戦いを知らない只の人間の様であった。暗い空の下では、うっすらぼんやりと輪郭のみを見て取れる。彼の髪は、渡された手紙と同じくすんだ赤であった。胸には赤い薔薇のコサージュ。現れた時間と言い、風貌と言い、彼が赤い手紙の差出人・レッドローズであることは間違いなかった。

「レッド、ロー、ズ……?」

彼と真正面から向き合う千獣。レッドローズは、そうですよ、とでも言うようにお辞儀をした。僅かに見て取れる顔に浮かんでいるのは微笑み。まだ遠い長い距離を取りながらも、二人の間にはある種の緊張感が感じられた。

「なん、で、私……を、殺す、……の?」

その言葉に、レッドローズは手を後ろに組み、くすりと笑った。

「何故殺す、と言われれば、……恨みだね」
「私、が、あなた、に、悪いことを……し、た?」
「さて?」

なんとも取れない返事をし、彼は顔を背けた。視線の先には月が。ぼんやりと光を放つそれは、二人の位置を照らし出す事は出来ても、顔の細部までは明確に出来なかった。見えるのは、赤い薔薇と赤い髪の毛だけ。そして、相変わらずの微笑。
 小さな風が吹く。二人の距離は依然として開いたままである。風は足元の草と二人の髪を撫でた後、どこか遠くへと飛び去っていった。




「さ、そろそろ始めようか」

 その直後、二人を包む空気は一気に張り詰めた。千獣は両手を自分の身体の前に出す形で身構え、レッドローズは左のポケットからナイフを取り出し、その鞘を再びポケットへと戻した。さくり、と、一歩踏み出す音。最初の一歩こそ控えめであったが、二歩目からの彼の足音は、だんだんと間隔を縮められていく。千獣が片腕を巨大な獣のそれに変化させた瞬間、レッドローズは思い切り足を地面へと叩き付けるようにして、直後、相手の頭上へと飛び上がった。

「楽しい宴にしよう」

先ほどと変わらない、明るい声。だがそこには、隠し切れないほどの殺気と悦楽の感情が滲み出ていた。
 ナイフは獣の片腕へと突き刺さる前に、その巨大な爪によって受け止められた。金属音に近い甲高い音が鳴り響く。レッドローズは身を翻し、音も無く草原へと着地した。直後、千獣の爪による斬撃が繰り出される。レッドローズはそれを背後へと跳ぶことで避け、その反動を使って再び跳躍した。ナイフは千獣の腕を縦に切り裂き、彼はそのまま千獣の背後へと降り立つ。千獣はその、両足を着くと言う隙を逃さなかった。もう片腕を獣化させ、軽い踏み込みの後に、振り返ろうとしたレッドローズをなぎ払う。彼はそれをナイフともう片腕で受け止めたが、魔の力を持つそれを完全に無効化させることなど出来ない。重く鈍い音がした直後、彼は後方へと吹き飛ばされた。すぐに両手を地面へ着き、受身を取る。靴の底が草を擦る音。

「面白い能力だね」

 口の端から細く伸びた血を片手で拭い、彼はにやりと笑った。千獣の腕に残った傷が、見る見るうちに塞がっていく様子を見たのだろう。先ほど攻撃を受け止めた時、同時にナイフを腕へと突き立てたのだが、その深いであろう傷も、血が流れる間もなく消え始めている。
 おそらく、重い衝撃に対する抵抗は弱いのだろう。ナイフによる軽く素早い攻撃と、回避を中心にした防御。千獣は、痛みや傷に動じることなく、彼の行動一つ一つを確かめていた。

「まだ、戦う、の」
「勿論。手紙には『殺す』と書いたんだ、それを成し遂げなければ俺じゃない」

ナイフを片手でくるくると回し、顔の前へ再び構える。ぎらりと赤く光ったのは、血のついた刃であったろうか。彼の口からは、もう血など流れていない。なんらかの治癒能力があるのだろう。

「……なん、で、私、を、殺す、……の」

 再び、同じ台詞を口にする千獣。レッドローズは一度息を大きく吸い、同じように吐き出した。

「恨み。そうとしか言いようが無いね」
「恨、み。……憎、し、み?」
「そう。ああ、そう言えば……キミは、その言葉を聞いても逆上しなかったね」
「おかしく、は、ない……、し、……正しく、も、ない……から」
「そう。そうだね。その通りだ」

ククッと喉を鳴らす。
 お互いに構えを崩さないまま、流れる静寂を受け入れた。ここを訪れるものは誰も居ない。月と星は相変わらず、雲の向こうへと姿を隠している。
 ひゅうと風が吹く。直後、千獣が地面を蹴り、片腕を大きく振り上げた。それが振り下ろされた時、レッドローズは彼女を飛び越えていた。着地と同時にナイフを突き出す。それをもう片腕で受け止め、再び攻撃を叩き付ける千獣。レッドローズはナイフを抜き、横っ飛びでそれをかわした。空気すらも切り裂くような獣の爪の一撃を跳んで避けた彼は、片腕を切り落とさんと真下へ体重を掛けた。だが、それも巨大な獣の片腕で防がれる。レッドローズは舌打ちをすると、深く食い込んだ刃を引くように戻し、千獣の背後へと素早く回り込んだ。
 腕の傷が癒えるのを感じつつ、彼の行く先へと振り返る千獣。だが、そこに彼の姿は無かった。レッドローズは、一瞬の内に千獣の頭上を飛び越えたのだ。大きく腕を振りかぶり、まだ獣へと変化していない腕の付け根を切り裂いた。縦に勢い良く飛ぶ鮮血、深い傷。だが千獣に動揺は無い、すぐさま大きな爪で真後ろを横薙ぎに切り裂いた。金属音。

「斬る、よりは、……重い、攻撃、だ」

ぼそりと呟く。レッドローズは、ナイフで今まで全ての斬撃を防いでいる。
 千獣は後ろへと一歩下がり、直後に地面を蹴った。敢えて攻撃は繰り出さない。飛び退いたレッドローズを追いかけるようにして振り向き、巨大な獣の腕で殴りかかった。狙い通り、拳は防御を打ち破り、彼の胸辺りへと直撃した。彼は打撃への耐性が少ないのだ。斜め下方向に繰り出された攻撃に、レッドローズは背中から地面へと叩き付けられることになった。口からぱっと血液が散る。
 再び振り下ろされた拳を転がって避け、片腕で全身を持ち上げ、草原へと両足を付けるレッドローズ。その顔からは笑顔が消えており、口から流れる血は先ほどのものよりも量が多かった。一度袖で拭っただけでは、それを止める事は出来ない。踏み込みからの突進を低い軌道の跳躍でかわし、振り返る千獣の胴体を狙って斬りつける。致命傷には成り得ない切り傷。

「全く、俺の一番苦手な相手に当たったみたいだ。今日は運が悪いな」

 腕での一撃を避け、振り下ろされた爪を受け止め、悪態を付く。

「私、を、呼んだ、……のは、レッド、ローズ……、だよ」
「そう、その通り。やれやれ、成功率十割は返上だな」

口から垂れた血を舌で嘗め取る。ナイフから爪が離れた瞬間、真後ろへと飛び退いた。

「だから、せめて……そうだな」

ナイフを相手へ突き出すように、腕を伸ばす。千獣は戦闘体勢を崩さないまま、鈍く光る刃を見つめた。

「その髪を一束ほど、頂こうか」

 彼が移動した姿を、捉えることは出来なかった。辛うじて感じる気配を頼りに、千獣は背後を振り返った。直後、斜めによぎった刃の一撃を爪で受け止め、その音が止まない内に片腕を叩き付ける。―――大きな羽音。一瞬、背中を激しい痛みが襲った。勢い良く後ろを振り返る。そこには、背中から巨大な翼を広げるレッドローズの姿があった。ナイフを持つのとは反対の手に、黒い髪、つまり千獣の髪が握られている。長さは、実際の長さの四分の一ほど。人差し指と親指で摘まれたくらいの量。

「髪を、取って……、……どうする、の?」
「キミと出会った思い出に、とでも言っておこうか。深い意味は無いよ。まあ、気にすることは無い」

ポケットから紐を取り出し、髪の束へと括り付ける。一房の黒髪は、ポケットへとしまわれていった。
 ふう、と息をつき、翼をはためかせるレッドローズ。ぱさりと言う軽い音。

「悪いけれど、もう時間だ」
「時、間」
「そう。ほら」

彼が指差す方向には、緋色と紫の混ざった空が広がっていた。もう夜が明ける、と言うことなのだろう。

「朝、だから、時間」
「残念ながら、夜が終わってしまった。俺がここに居られるのは、あとほんの少しの間だけさ」
「約束、を、守る、の」
「ああ。殺せないからと言って足掻くのは、性にあわない」

遠く遠く、聖都の方から、朝を告げる鐘の音。こけこっこう、と、鶏の声も聞こえる。木々の上で眠っていた小鳥達も、間もなく目を覚ますだろう。今日が始まる合図だ。


「さようなら、親愛なるキミ。また会える日まで」

 その言葉に、千獣は視線をレッドローズへと戻した。だが、そこに彼の姿は無い。ひらりひらりと、一枚の羽が落ちてくるのみだ。遠くで翼の羽ばたく音。鐘の音をBGMに、彼は姿を消した。
 千獣は僅かに目を閉じ、そこに残った血の香りと、羽の質感を記憶する。空を指差す彼の気配は、現れたときのそれと同じであった。殺気も憎悪も感じられない、常人と同じ匂い。だが、一度殺し合いが始まれば、そこからは敵意が滲み出てくる。

「ブラッディ……、レッド、ロー、ズ」

名前を反芻する。またどこかでこの名を聞くこともあるだろう、と。
 日が昇る。辺りが明るく照らされ、草原や千獣へ色彩を齎す。向こうの木から、小鳥のさえずり。鳴り響く鐘の音は、先ほどまでとは打って変わった澄んだ空気を通り抜けていく。

「髪……、切れ、てる」

 腕を元に戻した後、長い黒髪の端を摘み、じっとそれを見つめる千獣。切れ味の鋭いナイフで切り取られたそれの切り口には、ほんの少しだけ彼女の血が付着していた。

「まあ、また、生えてくる、よね」

彼の気使いだろうか、その指を離しても、後姿に違和感は無かった。辺りを見回し、帰り道を探す。行くべき方向を見定めると、彼女はゆっくりと歩き出した。一歩一歩草を踏みしめるたび、ざくざくという足音がする。それを追うように、朝の鐘の音が聞こえて来た。空全体に張っていた雲は何時の間にか通り過ぎたらしく、朝日を遮るものは何も無かった。





 森に着いたのは、まだ太陽を朝日と呼べる時間帯であった。少しだけ湿った空気が、千獣を優しく包み込む。おかえりなさい、おかえりなさい、そんな声が聞こえてきそうだ。一晩を眠ることなく過ごした千獣は、一つだけ欠伸をすると、大きな木の側に座り、それへ凭れかかった。小鳥のさえずり、小動物の走る音。木々の合間を縫って差し込む朝日が、彼女を照らし出した。
 小さな寝息が聞こえて来るのに、そう時間は掛からなかった。二匹の栗鼠はクルミを運び、彼女の隣へと置いた。白い兎がひょいと顔を出し、耳を立ててそれを見つめる。ひょおろろろろろろ、と、鳥の声。草の上に乗った朝露が煌いて、小さな音と共に地面へ落ちた。

 世界が日の光に満たされる。あちらこちらから、人々の目覚める気配。


おしまい





------------------------------------
登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
------------------------------------

PC/千獣/女性/17歳
NPC/ブラッディ・レッドローズ/男性/27歳

------------------------------------
ライター通信
------------------------------------

千獣さん、はじめまして。ライターの北嶋哲也と申します。
個人的に、初めての納品物と言うことで、気合を入れて書かせて頂きましたが、いかがでしたでしょうか。
少しでも気に入っていただけたところがあれば幸いで御座います。
では、またお会いできる日がありましたら、宜しくお願いいたします。
この度は「赤い手紙」に参加していただき、誠にありがとうございました。