<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


■各所探訪−ヴォミットの鍋−■





 ベルファ通りよりも更に深く暗い裏道の出来事だ。
 数日前から何人もが死んでいる。
 それが毒によるものだとはその暗闇に生きる人々ならば容易く思い至ったのだが、けれどもそれをどうにかする為の所謂解毒薬の類が見当たらなかった。
 別に特殊の極みというものではない。だが精製の間に手が入ってでもいるのだろう。同じ毒を使ったことがあるとして解毒を請け負った輩が失敗すること数度。流石にそれなりの集団で調べて回る展開となり――

「ヴォミットの鍋、ね」

 だがそれは黒山羊亭にまで依頼に出る程は表側の事件となっていないはずなのに。
 ひらりと黒猫がカウンタまで運んで去った紙筒ひとつ。
 広げてみたそこに書かれている事柄にエスメラルダは皮肉な声を落としてみせた。
「そりゃあ解決の気配もないし、被害の出る区画も広がっているみたいだけど……まだこっちで堂々と頼むのもまずいのよねえ。疑われそうよ」
 かといって呟いた通りに解決する風ではない以上、このままベルファ通りまで毒の被害が出るのも勘弁願いたい。
 手入れされた爪も美しく、指先で数度カウンタを叩いて考える。
 さてこれは貼り出しは出来ないだろうから個人的に声をかけて頼んでみるべきか。
「この『捕獲をお勧め』って解毒薬の為かしら。ああでも、これ以上の広がりが止まれば一応は解決、とも言えるのよね……んもう」
 頼むのはいいけれど。
 紙筒を寄越した相手が動かないのも自由だけれど。

「報酬は別途送付ってどうなの」

 書かれたそれを信じて報酬をこちらで用意しておくのも如何なものか。
 そんな風に、眉間に皺を寄せて考えることしばし。
 悩むエスメラルダの前に再び黒猫は現れ、あら、と思う間もなくその背中で小さな影が動いて唐突に大きな袋が出現。
 放り出されたその中には金が詰まっていたというわけで。



 ** *** *



 瘴気に煙る地を進んだ先の村を前に千獣は一度足を止める。
 一見するに状況にそぐわない長閑な風情で――無論、それは彼女を知らぬ第三者から見てというだけで実際は異なるのだが――立つ彼女の前には奇怪な、どこかしら戯画めいた歪な生物が険しい空気で何体か。
 ヴォミット・ゴブリン。
 種の繋がりも不明なままの彼らはそう呼ばれていた。
 有毒の場に生きる異形の生命達は子供であれば怯えに囚われてもおかしくはない憎々しげな形相を晒し、千獣の静かな表情と対している。それが外界の者に常から向けるものではないというのはゴブリン達が生計を立てる手段としてどのようなものがあるか、考えれば簡単に知れることだ。
「……ここ、で」
 ならば何故、今は訪れた千獣――街中で朝な夕なの出来事を見送るには縁遠い形の訪問者に警戒を覗かせ嫌悪を示し、敵意を滲ませるのか。それもまた黒山羊亭でこそりと囁き頼まれた事からすれば思い返す必要もなかった。
「頭蓋骨……を、独占、してる……って」
 千獣はだからゴブリン達の険しい視線が刺さるに任せ、訥々と、ただ少しずつ言葉を落とす。そうして理解を求めてから村に入れて貰わなければならない。
 でなければ、竜の頭蓋とそこにある雨水とを抱え込み住民達を今も排除しているだろう、そんな輩と近しくなってしまう。
 住民達が望んで不逞の輩を許しているのではないことが明らかである以上、強引な態度は避けるべきだった。途切れ途切れ、言葉を探して止まりながらも中央に居るだろう輩を捕らえに来たのだと千獣はだから、ただ語る。
 それがどれだけかかったことなのか。
 理解を得る頃には同様に頼まれた二人が近しい場所に居た。





■各所探訪−ヴォミットの鍋−■





 くいと鼻下に指を滑らせたワグネルの動きに千獣はつと首を傾げた。
 どことなし違和感を覚えるのは微かな匂いのせいだったが、動き自体を見咎めたと判じてワグネルは笑って手を広げてみせる。何某かの痕跡の残る指。
 瘴気の類に対しての用意がどうのと、各人が合流して打ち合わせる間に聞いた言葉を思い出してことりと傾げた首を戻して頷く千獣。その無言の遣り取りを見ていたキング=オセロットは考えるように口元に手をやった。
「それで解毒は足りるのか」
 潜めた声を洩らすそこに日常の葉巻は存在しない。
 気配を殺して三人は、奇妙な形状の木々の向こうに集落の中央部を置いているところだった。
「あんた達みたいに何でも来いとは言えないが、打てる手は打ってある。これは念の為の、上塗りだよ――無駄に毒を吸いたくもないからな」
 それぞれの視界に映す大きな骨の輪郭と、その傍に佇む人影。魔術師と思しき仰々しい外套を揺らして時折何かの作業をする。エスメラルダの話していた輩だ。
「……近い……」
「ああ。引き離すのも意味がない」
 そして魔術師の近くに大柄な、見るからに頑強な武装の男が二人。
 ヴォミットゴブリンがうろつけば威圧し、ときに大剣を振ってみせる。あるいは斧を。
 警戒を緩めようとしない本来の住民達をようよう説得し、村の外れで聞いた通りの家屋の並びを確かめる千獣とオセロット。ワグネルはと言えばじりりと二人の言葉を聞きながら足を運ぶ。
「あと、一人――出た」
「よし。じゃあ変更なしだ」
 言い捨てた言葉に頷く千獣を見るよりも早く、緩やかだった足の運びを一息に強めて地を蹴り出す。その背中と、不思議と意識を呼ぶ大刀とを見送ってオセロットはいっとき滑らせていた視線を集落へ戻した。千獣も同様に中央部へ視線を定める。
 二人が距離を詰めないのは、少人数でありながら一日二日の占拠に終わっていない点から周囲に魔術的な何か、鳴子のようなものを仕掛けている可能性を考えたからだ。ワグネルが限られた準備時間の隙間を使ってギルドで得た容疑者達。その中に居た問題の魔術師の生活圏が裏側に面した辺りであったことも慎重を呼ぶ。
「魔術師は任せていいのだな」
「……大丈夫」
 言葉こそ頼りなくとも力強い声音にオセロットは確認を済ませ、ワグネルの走り去った方角へも意識を割いた。開始までさほどに待つ事はなかろうと。
 はたしてオセロットの考える通りにワグネルは感心する速度で毒素に溢れた大気を抜けて駆け行く。ぐんぐんと近付く先には二言三言と事情を話す折に声をかけていたゴブリン。
 戦力になるとは思っていない。だが己の暮らす地での無法に不満を抱いている風であるならば多少の協力――そう、合図に成り得るだけのちょっとした騒ぎを起こす程度は手伝って貰ってもいいはずだ。望んで場を貸しているのでないならばいっそ不満を晴らすいい機会でもあるだろうと。
「待たせたな」
 ざ、と止まり際にだけ僅かばかり地を鳴らしたとはいっても聞き咎める距離に人はいない。
 存外としっかりした造りの建物の裏を目の前に、ワグネルは姿勢を下げて離れた二人の方へ視線を滑らせた。動く気配はない。その手前に問題の魔術師と護衛達。そちらへ向かう弟子と思しき一人。
 三人の訪れで状況の変化を期待したせいか、不満を強く表に出して忌々しげに土を踏む叩くゴブリンを宥めて距離を測る。じりじりと遠ざかる弟子の背中。
 こうして見ると村はなかなかに大きなものだったのだなと思考の端に浮かべつつ、ワグネルはそうしておもむろに手を上げるとゴブリンの背を一つ、叩いて。
「――よし」



 ** *** *



 ひゅ、と風を鳴らしたのは千獣が先だった。
 不可視の鳴子を案じて詰めるに足りなかった距離を、己の脚力で詰める。
 ワグネルも速くはあったが、その速度の質が彼と彼女とでは異なり、更に相手に気付かれるのが当然と遠慮なく地を蹴り上げて疾るしなやかな身体。翻る衣服よりもはためく黒髪が影を残していく後を追い、オセロットはそれに続く。走りつつ、こちらはかちりと己の得物を用意しながら。
 向かう先には驚愕を表情に乗せる護衛達。魔術師は状況を把握しきれていない。弟子は、最初におそらくは境界線を踏み越えて鳴子を揺らしたのだろう、数名のヴォミットゴブリンの方へと足を運んで距離を空けていた。出て来た場所とはまた違う。
「なん――」
 声を上げながら大剣を手に踏み出しかけた護衛。その足元に千獣は一度身を屈め、次いで跳ね上がる。跳躍と判じ切れない程の滑らかさで彼女は相手の手甲でも踏み台にか、武器を握る腕ごと蹴り下げながら肩を乗り越えた。もう一人の斧は届かない。
 視界から得る状況に合わせて腕を動かしたオセロットはまず魔術師の足元に銃口を向け、即座に引き金をひく。相手の足元に転がった風変わりな石が使われるのを阻むべく。
「ギルドの情報も細かい」
 ひとりごちて更に繰り返す。とても小さな石を見出すのはオセロットの身体構造故に為しえた事とも言えた。その間に千獣はもう一人の斧を避け、一度魔術師から距離を取る形になる。
 と、そこまでの流れをワグネルは口笛の一つも吹きたい気分で眺めていた。
 いいや眺めていたという表現は正しくない。必要な薬や調合の類をまず回収するべく動いている途中にそれが繰り広げられ、視界に収まっていただけなのだから。
「腕の立つのがいて助かるな」
 気取られぬよう静かに歩を進めて彼は弟子が出て来たそもそもの家屋に辿り着く。
 ゴブリンの話では遠距離からという一点においては、師よりも弟子の方が積極的に魔術を行使するという話であったので、存在自体に気付かれるわけにはいかなかった。また、距離を置いて動ける相手なぞ、出来れば相手の懐に潜り込む際に同時に向かいたくもない。多少の攻撃を受けるのは覚悟しているとばかりの様子だった千獣を前に、だから一度は引き離そうという話にもしたのだけれど。
「……必要なかったか?」
 もう少し、魔術師と護衛二人を相手に手間取る様子を見せる可能性も考えたのだ。
 そうなった場合に万が一にも弟子がワグネルに気付くことのないように、それもあってゴブリンを魔術師達の荷があるとかいう家屋側へ向かわせたのに。いやまあ犠牲が出ないこと確実でいいのかもしれないが。
 杖を振り上げていた弟子の足元で土が爆ぜ、慌てた動きで距離を取る姿をちらりと眺めつつワグネルは薬物類がまとめられている家屋の扉を開けた。ゴブリン達も間近への銃撃に慌てて離れていたのも見えたので、質に取られたり襲われたりも可能性は低いだろう。それもまた判じつつ身を滑らせた。
 ぱたんと閉まる音が聞こえるわけもないが、建物の中に消えたワグネルの姿を素早く確かめるオセロットは腕を微かに揺らしてまた引き金を引く。今度こそ斧と大剣を潜り抜けて魔術師の傍に向かった千獣の頭上に振り下ろされる重い刃。弟子にかまけた分だけ僅かながら遅れた射撃だったが、千獣の身体能力は常人とは基本が違う。再び魔術師からは距離を空けることになったが斧は見事に空を切り、更に弾丸によって軌道を変える。
 なまじの重量だ。予想外の力が加わって斧を握る手に負荷がかかり護衛は顔を歪めた。その隙に距離をオセロットも詰めて千獣に倣う。ただしこちらが向かう先は魔術師ではなく、走りながら更に動きを感知して牽制の射撃をかけたその弟子でもなく、大剣を構える重厚な鎧姿の護衛。
「一人」
 静かなカウントを微かに拾った千獣の前には両腕を掲げて何かを呟きかけた魔術師。
 特に際立った特徴のない顔立ちだったが正面に見たその表情にざわりと不穏な感覚を覚え、オセロットが射撃によって弾いていた小さな石の散らばる地面を踏んだ足を軸にした。ぐるりとそのまま着地から身体を捻って残る片足から膝を出す。加減しなければ容易く骨を砕いただろう。
「駄目、だよ」
 けれど魔術師が身体を揺らしてたたらを踏む。その程度に留めた千獣は遠慮がちとも取れる声音で短く言うと同時、伸び上がった身体から腕をみしりと変じさせると、身の内の獣を僅かばかり垣間見せる力強い形の手を握り込み振り翳した。
 目を丸くして見て来る魔術師。そこに随分と力を弱めてやった握り拳をごつんと。
「……?」
 そうして、無事に気絶しただろうかと覗き込み、一拍置いて頭を下げる。
 千獣の頭があった辺りを斧が盛大に通り過ぎていったが直後にそれは持ち主から離れていった。
 振り仰ぐ先にはオセロット。千獣と同様に加減したのだろう、彼女の足元に斧を振るっていた護衛が呻きながらも致命傷無く転がっている。その向こうには大剣を使っていたもう一人。
 ぱちりとその構成を確かめる千獣を前に、オセロットはまた銃を構え、その向かう先は弟子の出て来た家屋。振り返ると同時に硬い音が一度して、足を止めた弟子の姿。魔術師を援護するでなく――あるいは当初からの言い付けだったかもしれないが、状況を見届けて回収すべき物をと動いたのか――移動していた最後の一人。
「生憎だったな」
 その詠唱を阻み身振りを阻み。
 より荒事向きの人間が居たからそちらに任せただけで、ワグネルとても戦えないわけではない。
 気配を察して動き、足止めの分だけ余裕を得れば魔術を主に扱う相手と正面切って戦うのに遅れを取りはしないのだ。むしろ弟子に飛び掛りたげに寄って来たゴブリン達を遠ざける方に手間取りながら――だからこそ気絶も何も狙うことが出来なかった――ワグネルは、駆けた千獣が柔らかい輪郭の腕を厳つく変貌させるのを見た。

 ひゅ、と今度こそ吹きそうになった口笛を飲み込むワグネル。
 師弟揃っていわゆる拳骨に沈める千獣。
 頭蓋骨の前で冷静に魔術師から拘束していくオセロット。

 かくして、傷らしい傷もなく、武装を解かれて縛り上げられた魔術師と弟子、それから護衛達。
 散々にゴブリン達が報復を図るのを宥めつつ見張る千獣の隣で開いている扉は、弟子が出て来た扉。ワグネルが入り、飛び出した家屋だった。
「ざっと見た感じじゃあ、この辺だけだな」
「こちらの棚にある物はどうだ」
「出回ってる分と変わらねぇよ。預かってきた試薬の反応がまんまだ」
「ふむ」
 立ち回り前と同様に鼻の下にまた指を滑らせるワグネルが寄越した瓶を詰め、オセロットは周囲を見る。薬品庫にでも使っていたと思わせる状態の室内は、千獣のように強い生命力を持つだとか、オセロットのように生身とは言い難い造りであるとか、ワグネルのように準備を整えていたとか、ともあれ三人のような状態でなければ軽やかに昏倒してしまいそうな毒々しい空気に溢れていた。
「魔術師達の使っていた薬はどうだ」
「ああ……多少手を加えているかもな。寝床も調べるか」
「時間がかからないか」
「ん?いや、なんだったら先にあんた達で連れて行ってくれても……流石に四人運ぶのは手間だな」
 そこから必要な――出回っていない、特別な物をワグネルの持ってきた試薬だの各々の商店での記憶だのを使って集めていく。それを戸口に置く度に千獣が外に出す。
 ひとしきりそれを行ってから縛り上げた四人を前に各々一息。
「……じゃあ、戻る……?」
「ああ、そうだな」
「黒山羊に行くか」
 それぞれが話す周囲は相変わらず、毒の大気で濁った世界だった。



 ** *** *



 ありがとう、と柔らかなエスメラルダの言葉と共に報酬を受け取り黒山羊亭を出て、千獣はつと空を見た。
 瘴気に濁っていたヴォミットの鍋。比較するまでもなく頭上に広がるのは濁りのない空。
 それから、振り返ってみる。
 黒山羊亭へと至るより僅かに外れた道は更に奥へと暗く伸び、その先に捕らえた魔術師達は引き摺られて行ったはず。千獣と、オセロットと、ワグネルと――誰も何も問うまでもなく彼等を引き渡した。上手く話を運んで先走った解決についても収めるだろう。
「……」
 ベルファ通りとても明るい世界ではない。
 けれども更に暗く重い世界がある。
「……毒……」
 そこへ向かう道を見遣って千獣はぽつりと言葉を漏らした。
「これで、本当に、終わる、の、かな」
 問いではなく、ただ思い浮かんだ気持ちを声にしただけのそれ。
 少なくとも此度の毒については終わる。それは確かなはずだ。
 けれどあくまでも今回に限っての話。
 これから先に毒が使われないなんていうことは考え難い。仮にあの集落が失われることがあったとしても、瘴気だ毒を含んだ雨水だと使わずとも幾らでも材料はある。害する為の物はそこかしこから見出されるのだ。それを求める者によって。
 それは果てなく、きりなく、これからもあるいは。
「……終わら、ない、ん、だろう、な」
 案じたとても落とし所の見つかる簡単な話でもないと千獣は理解している。
 だから暗闇へ至る小道へ向けていた顔を巡らせながら、誰に言うでも問うでもなく、途切れがちな何処か稚い話しようで呟いて、それだけだ。
「――」
 すん、と鼻を小さく動かす。
 吸い込む空気は何の異常もなく、ベルファ通りにも近付いていた毒の騒ぎも終わり。
 千獣は、それ以上を求めることはなかったから。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【2787/ワグネル/男性/23歳/冒険者】
【2872/キング=オセロット/女性/23歳/コマンドー】
【3087/千獣/女性/17歳/異界職】

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■         ライター通信          ■
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御参加有難う御座います。ライター珠洲です。
使ったり使わなかったりしつつ、プレイング拝見させて頂いた結果は如何でしょうか。
あ、もっと相手多くても良かった!と思いつつのお話でした。

>千獣様

白山羊でのヴォミットとは違うノリですが、なんというか千獣様の言葉を探しながらの会話に耳を傾けるゴブリン達という絵面は変わりません。想像するに可愛らしい気もしてライターは好きなので、どちらにも入ってしまった感じです。