＜聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記＞
召しませ、「あやしいバレンタインあめ」
黒山羊亭は“濃い”。
歓楽街ベルファ通りきっての酒場であり、世話好きで姉御肌な美貌の踊り子エスメラルダがおり、一癖も二癖もある連中が集う。
さて、今回は――
「おっはようございまぁす！」
もう日も暮れようというのに、そんな挨拶とともにやって来たのは“あやしいあめ売りの乙女”ことズィーグである。
「あら、今日はまだ仕事？」
三つ編みお下げにエプロンドレス姿の顔なじみに、エスメラルダが問いかける。
「そりゃそうですよスラダちゃん、なんたって貧乏暇なし、あったら飾るものクールべっこう飴、ですからねえ」
「……で、お仕事中に何のご用かしら？」
いきなりわかりにくい駄洒落を吐かれ、エスメラルダは名前の省略を咎める気分が失せたようだ。
そんな女主人の心情にはお構いなしに、ズィーグはへらへらと笑い、
「あのですね、お得意様から漏れ承るところによれば、カカオ製品を分け合って幸福を祈念する『ばれんたいん』なる奇祭があるそうで、なんと本日２月１４日がその祭礼の日なんだそうですよ。で、日頃お世話になっている黒山羊亭の皆様に、ばれんたいん特別バージョンあやしいあめを無料にてご賞味いただこうって寸法で」
「なにその胡散臭い行事」
「まあまあ、百聞は一舐めに如かず」
「ちょ……！」
電光石火の早業で口に大きなハードキャンディを押し込まれ、エスメラルダの綺麗に整えられた眉が吊り上げる。だが、怒りの表情はたちまち戸惑いに取って代わり、遂には、
「……ほいひい（おいしい）」
「でしょう？ ちなみに、今回は副作用も控えめですよ」
にんまりと笑うズィーグが言うそばから、エスメラルダの指先が五色に輝き出した。
「はら、ひれいれ（あら、綺麗ね）」
口元に添えていた指を宙にかざして感心するエスメラルダに満足げに頷くと、ズィーグは店内を見回し、あめの入ったバスケットを持ち上げて見せた。
「――ざっとこんな感じですが、如何でしょう？」
柔らかな毛の密生したまるい耳が、ぴくりと動いた。
「……うん？ 『ばれんたいん』？」
自称――称したくはないのだが――ついてない男、虎頭人身の賞金稼ぎジェイドック・ハーヴェイは、相変わらずぱっとしない依頼ばかりの張り紙から、奥のカウンターの騒ぎへ目をやった。物売り風体のひょろりとした女が、エスメラルダを相手に上機嫌でまくしたてている。獣人の聴覚にかかれば喧噪のただなかであろうと詳細を聞き取るのは容易いことだ。
「ふむ……」
もう一度ちらりと張り紙を見やり、ため息を一つ。
「……そうだな……こういうときは、気分転換も必要か」
奇祭という響きが些か気になるが、幸せを祈るというならあやかっておこう。
ジェイドックは酔客の間を擦り抜け、ズィーグと呼ばれていたあめ売りが、顔見知りらしき背の高い黒髪の娘の口に有無をいわさず押し込んだところへ声をかけた。
「俺も一つ、貰おう」
「毎度！」
声と同時に飛んできたキャンディーを、あんぐり開けた口で見事にキャッチ。
「む……」
「はら、はなたはまとうらった（あら、あなた甘党だった）？」
いまやむきだしの腕全体が派手な色合いとなったエスメラルダの茶々に肩をすくめ、ジェイドックは案外大粒の『ばれんたいんのあめ』を味わいにかかる。なんだ、どこにでもあるような物だな、と思ったのも束の間、甘さを極力抑えたほろ苦さがこっくりとした豊かな風味を引き立てる、彼好みのビターチョコレートに変わった。
「ふまい（うまい）……」
しかし、なんだってこんなに大きいのだろう。呂律が回らない。
「ほんの仕様ですよぅ」
彼の心中を察したか、あめ売りズィーグがにやりと笑った。
「副作用をいいことに物騒な呪文を唱えようとするすっとこどっこいが、たまぁに湧きますんでね。正確に発音できる頃には時間切れになるよう、按配してます」
おまけと称したパワーアップもしくはダウンの副作用があると聞き、ジェイドックの眉間に深いしわが刻まれる。常態でさえついてないのに、それが割増しされる可能性があるとは！
「ばれんたいんおめでとう！ ええとあとは――そうそう、年の数だけばらまくんだっけ」
獣人の憂愁など知らぬげに、一人頷くその背から甲虫様の金属の義肢を三対ばかりにょきりと生やし、ズィーグが大音声に呼ばわる。
「あめ欲しい子はいねが〜！？」
あまりにきてれつな風体につられたかはたまた酔った勢いか、我も我もと挙がる手に、自前と合わせて都合八本の腕で素早く包み紙を剥いては配って回る。
「はいどうぞ、今回は『ばれんたいん』にちなんでベースはチョコレートですがぁ、皆さんの好物の味もしっかりしますんでぇ！」
「ほほっこらぁひい！」
チョコレートボンボンからとろりと流れる上等な酒に得した気分で小躍りする客もいれば、
「ふいは、か……」
大好物とはいえ、まさかの酢イカ味に肩を落とす客もいて、黒山羊亭は大いに沸いた。
「……はわったようじらな（変わった行事だな）」
「ほんほにほんらおまふりはのかひら（ほんとにこんなお祭りなのかしら）」
「ひーぐってあんさい（ズィーグって何才）？」
マルチプルあやしいあめアームをガチガチいわせ、おどけた仕草で笑いをとっているひょろ長い姿を目で追いつつ、ジェイドック、エスメラルダ、それに黒髪の娘こと千獣（せんじゅ）が各々意見を述べる。
と、ジェイドックは占い師風な中年男に声をかけられた。
「ほや、はなた……ふいへまふね」
不明瞭ながらも、その気の毒そうな口振りは彼にとってはおなじみのものだ。嫌な予感がした。一拍置いて、ハンマーを叩きつけられたような衝撃が両肩に走る。
「う……！？」
思わずカウンターに片手をついた彼に、
「ふわ、ふいへる、はんた、ふいへるよ！」
どうやらそちら方面にパワーアップした酔っぱらいが、目を丸くして指をさす。気づけば、あめ撒きをしていたズィーグまでがすぐ側で満面の笑みを浮かべていた。
「いやぁジェイドックさん、ついてますねぇ」
ジェイドックの背に走った寒気は、状況を把握したせいだけではない。
「ふきひがいらってひうか、はにがふいてるんら（つき違いだっていうか、何が憑いてるんだ）！？」
「ひょっと、うひは――ああもう！……うちは幽霊の持ち込みは禁止よ」
苛々と飲み物を呷ってあめを飲み込んだエスメラルダ――熱帯魚よろしく派手に輝いていた肌が一瞬で元に戻った――の咎めだてがまた、不安を煽る。
「大丈夫、幽霊じゃありませんよぅ」
問題はそこじゃないだろう！
ただ重いだけだった背後の“何か”が次第に形を成し熱を帯びてくる頃には、どうやら肩にかかっているのは獣の前足らしいとつきたくもない見当までついた。小刻みな息づかいと、やけにしっとりとした毛皮の感触に鳥肌が立つ。
「原因はあめよ、飲むなり噛むなり出すなり――」
エスメラルダの助言に、ジェイドックは反射的にあやしいあめを噛み砕いた。ふっ、と体が軽くなる。
「やれやれ……」
安堵のため息とともに体を起こし、振り返って、目を剥いた。
小さな毛糸玉ほどの白い塊が半ダースばかり、鼻先にずらりと並んでいるではないか。
「あらぁ、惜しいことしましたねえジェイドックさん。もうちょっと味わっていただけてたら、おめでたい『ばれんたいんのお使いうさぎさん』が全身きっちり出現したでしょうに」
「というと、これは……」
「しっぽです」
兎かどうかは別として、確かに毛皮をまとった動物の短い尾に見えなくもない――が、問題はそこでもない。四対の腕を組んで残念そうに首を振るズィーグと、波間のクラゲの如く宙を漂うふわふわとを交互に眺め、とりあえず思いついた疑問をぶつけてみた。
「その、うさぎさんとやらは集団なのか？」
「いいえ、あなたにおんぶしていた一羽だけです」
「……数が多すぎやしないか」
「『ばれんたいんのお使いうさぎさん』ですから」
それで全て説明がつくといわんばかりに胸を張られ、ジェイドックは呻きと共に天井を仰いだ。ついでに吊っている糸でもないか目を凝らしてみたものの、それらしき仕掛けはなさそうだ。
「あたしは無関係よ」
苦笑まじりの声に視線を戻すと、エスメラルダだった。彼女お気に入りのボトルを軽く掲げてみせ、
「お疲れさま。つき祝いに一杯つきあって」
穏やかな口調はそのままに、依然ふらふらしている毛玉の群れをじろりと睨む。
「そういえば、コートの襟飾りが欲しいと思ってたのよね……」
とたんに四方八方に散ってゆくしっぽの慌てぶりに、ジェイドックはたまらず吹き出してしまった。
「なるほど。やっぱり、ここではあんたが最強なんだな」
「もうちょっと艶っぽい褒め方はできないのかしら？」
「考えておこう」
中央のテーブル席のあたりへ逃げていったしっぽ達は、なぜか千獣にお手玉扱いされている。その隣ではズィーグが再びあめ撒きをはじめた。
賑やかさは常と同様ながら、いつもとは些か毛色の変わった雰囲気をつまみ代わりに、二人はかちりとグラスを合わせた。
ちなみに『ばれんたいん』と対の祭たる『ほわいとでい』までの一ヶ月間、うさぎさんのしっぽは黒山羊亭を延々さまよい続け、あやしいあめ売りズィーグは怒った女主人に皿洗いを申し付けられたという。
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■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
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【 2948 ／ ジェイドック・ハーヴェイ ／ 男 ／ 25 ／ 賞金稼ぎ 】
【 3087 ／ 千獣（せんじゅ） ／ 女 ／ 17（実年齢999） ／ 獣使い 】
【 NPC ／ ズィーグ ／ 女 ／ 222 ／ あやしいあめ売りの乙女 】
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■ ライター通信 ■
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ジェイドック・ハーヴェイ様
こんにちは、三芭ロウです。
この度はズィーグの間違いだらけのバレンタインにおつきあいいただき、ありがとうございました。
ベタですがジェイドック様には今回「ついて」いただきました。
うさぎさん効果？でエスメラルダとなんとなく差し向かいです。
それでは、またご縁がありましたら宜しくお願い申し上げます。
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