<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


戯れの精霊たち〜不死鳥の少女の挑戦〜

 森が優しく梢を鳴らした。
 来訪者を告げる歌――
 森の守護者は、森に唯一ある小屋の中でその気配を察知した。
「ん……この気配は」
 横を見る。
 ひとつしかないベッドの上で、スライムという正体不明の生物とミニドラゴンのルゥを相手にじゃれている15歳ほどの少女がいる。
 ふんわりと広がった白い髪、ぬけるような白い肌。うさぎのようにかわいらしい赤い瞳。
 セレネー、と森の守護者が名づけた彼女は、記憶がない。
 そのために、精神的にも幼児退行していて、言動は幼い。
 森の守護者はテーブルの上に乗せてあった薬を飲み干して、自分の体調を維持しながら立ち上がった。
「……また、セレネーと遊びに来てくれたのかな」
 と、彼――クルス・クロスエアはつぶやいた。

 ■■■

「やあクルス氏」
 小屋の外へ出て待っていると、黒いローブを着て黒い帽子を被った金髪の人物――この表現は正しくないが、とりあえず見かけは人間――が軽く手を挙げて挨拶してきた。
「クローク。久しぶりだな」
 本来精霊である彼に向かって、クルスは微笑む。
 クロークは手荷物を持っていた。何かとクルスが問うと、
「ええとね、クルス氏の呪いの病状が少しでもよくならないかと。なかなか手に入らない薬類を僕のツテで集めてきたよ」
「それは……ありがとう」
 彼の感謝の気持ちを表すように、森全体がさわさわと鳴った。
 クルスは現在呪いにかかっている。不死鳥の呪いと、便宜的に呼んでいる。
 エルザード城下町の街外れに住んでいるとある薬師にしか作れない薬で、今クルスはようやく日常生活が送れるようになっていた。
 クロークは小屋を見た。
「セレネー嬢は?」
「小屋にいるよ。……またセレネーと遊んでくれるのかい?」
「ああいや、今日は遊ぶことよりも……」
 ねえ、とクロークは赤いまなざしを真剣にして、クルスを見上げた。
「クルス氏。少し訊ねたいのだけれども……精霊宿りって、セレネー嬢には出来ないのかい?」
「ん……?」
「先日、あなたは『「生命力」に精霊の心を宿す』と言っていたから、僕みたいな例外を除けば大丈夫なんじゃないか、と思ったのだけれども」
「………」
 クルスはあごに手をかけた。軽く考え込むような仕種。
 クロークは続ける。
「あるいは僕自身が、セレネー嬢や他の誰かに宿ったりとかも出来るのかな、とか」
 そこでクロークは少し困ったように微笑み、
「……まぁ、宿してどうするんだ、と問われるとちょっと返答に困るのだけどね」
「………」
 クルスはまだ考えていた。軽く眉根を寄せて。
「もし精霊を宿すことが出来るのなら――」
 赤い瞳の精霊は、小屋の方向を見たまま、優しくつぶやく。
「彼らを伴って外に出てみるのも、記憶を刺激する良い経験になるかな、と思って」
「それは正論なんだけどな」
 クルスはようやく、さまよわせていた視線をクロークに戻した。
「まずひとつ。キミを僕の力でうちの森の精霊たちのように精霊宿りさせることは無理だ。あれは精霊の大本を分かっていなくてはいけない。例えば……キミは元は懐中時計だったかな?」
「そうだね」
「僕はその、懐中時計の状態のキミを見たことがない。だからキミを『精霊』として操ることは出来ないんだ」
 クロークは腕組みをして視線を落とした。
「そうなるのか……」
「そしてセレネーに精霊を宿すことだけれど――」
 クルスは腰に片手を当てた。
「試してみようかと、思ったことは、ある。けどね、あの子はなにぶん特殊体質だろう」
「―――」
「あの背中の不死鳥の刻印。……まあ刻印の意味は分かっているのだけれど――触れただけで呪いが発動するほど、セレネーの体を蝕んでいる」
「確かに」
 クロークはうなずいた。
 そもそも、クルスが呪いに悩まされているのは、セレネーの背中にある不死鳥の刻印に触れたためなのだ。
 クルスはため息をついた。
「そこに精霊を宿すとどんな反作用があるか……少し怖くてね」
「……ふむ」
 精霊は口元に手を当てる。「もし宿すなら……火の精霊なのかな」
「まあそれが無難だろうね」
「ウェルリ嬢? グラッガ氏?」
「負けん気の強さでウェルリ、と言いたいところなんだが……セレネーとしてはグラッガの方が親しみやすいらしい。グラッガの方かな」
「グラッガ氏は、セレネー嬢の体に宿るのを嫌と言うのかな?」
「……多分嫌がるだろうな」
 気性の荒い暖炉の精霊を思い浮かべながら、森の精霊使いはそう言った。
「いつものように、外に出るのが嫌で?」
「いや、違う。グラッガはセレネーのことを気に入っている。……あの子の負担になるかもしれないことはやりたがらないだろうと、そういうことだ」
「………」
 クロークは荷物をかつぎ直し、
「クルス氏」
 と小屋を示した。
「とりあえず、セレネー嬢の意思を聞いてみないかい? 彼女の言葉がなければ始まらない」
「……そうだな」
 クルスはいったん視線を地面に落とした。
 それからまたクロークを見て、
「……キミになら、言っておいても大丈夫か」
「何をだい?」
「セレネーの……あの背中の刻印は魔術だ。フェニックスの刻印。記憶封じの――最高峰。触っただけで呪いが発動するほど強烈だから、ただの記憶封じでもないだろう」
「………」
 クロークはいつも柔らかい笑みを浮かべている表情を固くする。
「外からあの魔術に対抗する手もどこかにあるのかもしれない。……精霊を宿すことは、内側からの干渉だな。内側に何があるか分からないから、」
「宿す精霊にも被害があるかもしれないんだね」
「グラッガなら、そんなものは気にしないだろう。セレネーが望めばやる。……グラッガ頼みになるな」
 クロークはうなずいた。
「何かあったら僕も全力で解決に尽くそう。2人のために」
「ありがとう」
 そして2人は小屋を開けた。
 黒いローブを着た精霊の姿を見て、ベッドに腹ばいになっていた少女が跳ね起きた。

 ■■■

「私に、宿す? 精霊?」
 セレネーはきょとんとして育ての親代わりのクルスの言葉を聞いていた。
「そうだよセレネー嬢」
 クルスの隣で、クロークがにっこり笑う。
「セレネー嬢も、精霊宿り、憧れないかい?」
 この森にいる以上、色んな人間が精霊宿りをしている姿をセレネーは目の当たりにしているはずなのだ。
 セレネーの性格ならきっと自分もやりたがっている。そう――思ったのだが。
 セレネーは、スライムをぎゅっと抱きしめた。寂しそうな顔をして。
「……私、無理」
「セレネー嬢?」
「だって、私の体、ヘン。ヘンなところ、精霊たちを宿らせるの、イヤ」
「―――」
 予想外の展開だった。
 まさかセレネーが拒否するとは思わなかった。思わずクロークは口をつぐむ。
「……セレネー、キミの体は人間なんだ。おかしいところはないんだよ」
 クルスが優しく語りかける。セレネーは激しく頭を振った。
「違う! だって、だって、私の体に、触ってからだもん! クルスが寝込んじゃったの、私の体、触ったからだもん!」
「それとこれとは違って――」
「違わないもん!」
 泣きそうな声になっていた。
 クルスは自分がその被害者であるがために、何も言えなくなった。
 セレネーは続ける。
「精霊たち、だって。嫌がるもん! 私になんか、宿りたくない!」
「そんなことは――」
「そうなんだもん!」
 スライムを抱き潰しそうな勢いでぎゅっと腕に力をこめながら、セレネーは髪を振り乱した。
 白い長い髪が暴れる。彼女の表情を隠す。悲しい顔を。幼い顔を。
 その姿を、何ともいえずクロークとクルスは見つめていた。
 ふと――
 クルスが暖炉を振り返った。
「……ん? 何だ、グラッガ」
 クロークには見えないが、彼にはその暖炉の精霊であるグラッガの姿が見えているし、声が聞こえている。
 グラッガが何かを言ったらしい。クルスは暖炉に向き直り、右手を掲げてパチンと指を鳴らした。
 光の粒子が、暖炉の前を彩った。ひかり。ひかりがふわふわと何かを形どる。それはやがて人型となり――
 弾けた。
 消えた光の代わりに現れたのは、不機嫌そうな二十歳ほどの青年――
『セレネー』
 と、開口一番グラッガは言った。
 セレネーがベッドの上で、びくっと震えた。
 グラッガは続ける。
『怖がるな。俺が付き合ってやらあ』
「グ、ラッガ……?」
『お前の体がどうしたって? んなもんに俺たち火が負けてたまるかよ。火は力の象徴だぜ。なめんなよ』
「グラッガ……」
 セレネーはぽとんと、腕の中からスライムを落とした。ゆっくりとベッドから降り、ふらりふらりとした足取りでグラッガの前まで行く。
「グラッガ……」
 ちょこんと座りこみ、か細い声を出す少女。
「私の体、危ない。グラッガが、傷つくの、や」
『傷つかねえよ。火は実体がねえんだから。……お前の中にある毒なんぞ全部燃やし尽くしてやるさ』
 あぐらをかいた体勢のまま、グラッガはそう言った。
 セレネーは切ない目でグラッガを見る。
「なん、で? 何でそんなに優しいの?」
 グラッガはむすっとした顔で、後ろ首をかいた。
 彼は何も言わなかったが、
「……グラッガは火の精霊だからな」
 とクルスがくすくすと笑いながら代弁した。
「普段、そうやって顔を突き合わせていてもセレネーに触ることができない。もどかしいんだよ、セレネー」
『うっせえクルス!』
 クロークが軽く笑った。
「セレネー嬢の中に宿ってしまえば、セレネー嬢と共に過ごすことができるしね」
『黙れ黒!』
「ひどいなあ」
 クロークはくすくす笑う。
 セレネーの、赤い瞳が輝き始めるのが見えた。グラッガに照らされている?
 ――いい兆候、だ。
「セレネー。どうする?」
 クルスが優しく問う。

 かなりの、間が、あって。

 そしてセレネーは――
 こくんとうなずいた。

 ■■■

「僕が街まで案内するよ」
 とクロークは立ち上がった。
 精霊宿りは成功した。セレネーの中にはグラッガがいる。セレネーは不思議そうに自分の両手を見下ろしてから、嬉しそうににこっと笑った。
「グラッガ、熱い」
「火の精霊だからね」
 クロークはセレネーの手を取る。
 幸いクロークは常日頃から丈夫な手袋をしているため火傷することはなかったが、手袋越しにでも分かる。セレネーの体が異常に熱い。
「これは、街中で人とぶつからないよう気をつけなきゃね」
「気をつけるー」
 セレネーは先ほどとはうってかわって楽しそうだった。
 小屋の戸口に向かうと、クルスが座ったまま「気をつけて」と言った。
 クロークは振り向いて軽くうなずき、
「責任は僕がとるよ。セレネー嬢もグラッガ氏も無事に森に戻るようにするから安心して」
「ああ、信用してる」
 クルスの微笑みに送られながら、クロークはセレネーの手を取って小屋から出た。

 セレネーの足取りが弾んでいた。
「グラッガ、グラッガが中にいる」
「どんな気持ちなのかな、セレネー嬢」
「ヘンなの。頭の中でグラッガの声がするの。怒鳴ると頭にいたーいの。きゃっ、グラッガ怒鳴らない、で」
「あはは。グラッガ氏。僕には聞こえないけれどセレネー嬢をあまりいじめちゃだめだよ」
 ――いじめてねえよ、と声にならない声が聞こえた気がした。
「グラッガ氏は街に出るのは初めて……じゃあないね。この間出ていたっけ」
 いつかの雪遊びの日を思い出して、クロークはつぶやく。
「あの時、街で何をしていたんだい? グラッガ氏。……と訊いてもらえないかなセレネー嬢」
「うんとね、えっとね。雪を溶かして何か物をもらってたんだって!」
「―――」
 ひどく分かりづらい説明だったのは、セレネーのせいではなく、おそらくグラッガ自身自分が何をやらされていたのか分かっていなかったからなのだろう。
 クロークは想像してみる。あの大雪の日。街も雪に埋もれていた。
 グラッガを宿すと火を操れるという。
 そもそも――体が熱くなるから、周囲の雪を溶かしてしまう。
 その状態でなら……
「なるほど。要するに雪かきのようなことをやって、周囲からお礼をもらっていたのかな」
「雪かき?」
 セレネーが不思議そうに小首をかしげた。
「街ではね、セレネー嬢。あれだけの雪が積もると邪魔なんだ。だから、雪が降るとみんな必死に雪をどかすんだよ」
「そうなの?」
「そう。それでグラッガ氏と、彼を体に宿したあの少年は火を操って、雪をどかすどころか溶かしてしまったんだろうね。きっとみんなに感謝されたと思うよ」
「グラッガが、へえ、って言ってる」
 クロークは苦笑した。まったく分かっていなかったらしい。
「グラッガすごい、すごいね!」
 セレネーが両手を振って喜ぶ。すごいね、とクロークは微笑して返した。
 そしてセレネーは突然笑い出した。
「グラッガ、照れてる! 照れてる! きゃっ、怒鳴らないで!」
「仲がいいなあ2人共」
「あれっまた怒鳴られちゃった!」
「照れ屋さんだね、グラッガ氏」
「あーん、また頭ががんがんするよう」
 からかえばからかうほど、グラッガは素直に反応してセレネーの頭の中で怒鳴るらしい。セレネーは痛い痛いと言いながらも楽しそうだ。
 ――雪降る季節はもう過ぎた。
 道端に新芽がちらちらと見える。
 セレネーに、あれこれと植物のことについて教えていると、
「グラッガが、寂しそう」
 とセレネーがつぶやいた。
「……寂しい? グラッガ氏……?」
「あの、何も言わないけどね――あっ、グラッガ痛い! でも、でもね、ほら、グラッガ、触れないから」
「ああ――」
「痛い、痛い、痛い!」
 セレネーは頭を抱えてしまった。よほどグラッガの気に障る言動だったようだ。
 照れ屋で気難しい精霊。
 そして寂しがりやの精霊。
 ――火である自分は、植物には触れない。事実彼は普段から、枯れ枝や焚き木を焼いて存在しているのだ。
 儚すぎる道端の植物を見て、どうしようもなく悲しくなるのかもしれない。
 そして――
 ふと見ると、セレネーも、
 泣きそうな顔に、なっていた。
「……セレネー嬢?」
 クロークは道端の新芽を目の前にしてしゃがみこんだセレネーの傍らに膝をつき、その頭を撫でる。
 虚ろに新芽を映すセレネーの瞳。「私……」と彼女は切なくつぶやく。
「私に触れても……みんな、危ない、の……」
「………」
「クルス、治る、の、かな?」
 そう囁いたその直後、「きゃあっ!」と少女は悲鳴を上げた。
「痛い、痛い痛いグラッガぁ」
「グラッガ氏、あまりひどいことをしないでくれないかな」
 慌ててセレネーを腕に抱きこみながら、クロークは訴えた。見えないし聞こえない相手に。
 頭痛はすぐにおさまったらしい。セレネーはクロークの腕の中で、何か遠くから聞こえるものを聞いているかのような表情をした。
「だって、グラッガ……」
 つぶやいた少女は、ぎゅっとクロークのローブにしがみつく。
 クロークは優しく少女の背を撫でる。
 ――火の精霊は何を言ったのだろう。
 不安に思ったが、それはすぐに払拭された。次の瞬間には、セレネーに微笑みが戻ったからだ。
「ありがとう、グラッガ……」
 それから少女はすがりつくようにクロークに抱きついて、
「いい、香り、するね。クローク」
「僕は調香師だからね」
 この香り気に入った? と囁くと、こくんと白い頭がうなずいた。
「ちょうど香水を持ってる。セレネー嬢にプレゼントしよう」
 セレネーはますますクロークに抱きついて、
「ありがとう、クローク……」
 と夢見るような声で言った。

 香りの世界は夢の世界。
 キミに穏やかな夢をあげよう。
 キミに緩やかな時間をあげよう。
 そしてキミに、
 笑顔をあげよう。

 街に着くと、セレネーははしゃいだ。
 以前街に来た時は運動神経が足りなくて、子供たちの遊びに混じっても何度も転んでは苦労したものだけれど、それもどうやら森の暮らしで鍛えられたらしい。
 大きな樹を見つけると、
「木登り得意ー!」
 と大喜びで登ろうとする。
「セレネー嬢、その格好で登ろうとするのはやめようね」
「どうして?」
「僕は気にしないんだけれども、さっきから周囲の視線がね……」
 元からぼろぼろの白いワンピースを着ているセレネーである。しかも裸足。靴が嫌いなのだ。
 そんな有様の少女が遠慮なく樹の上に登っているのは、街人の好奇の視線を呼んだ。
 セレネーは、やがて太めの木の枝にまたがって止まった。
「セレネー嬢、新しい服を買ってあげようか?」
 クロークはずっと言ってみたかったことを言ってみる。
 するとセレネーは視線をクロークに落として、沈黙した。
「セレネー嬢?」
「……この、服」
 セレネーは、自分のぼろぼろの服の布地を引っ張る。
「私、が。森に、来た時。着てたの」
「………」
「分からない、分からない、けど。この服、脱ぐの、怖いの」
 隠してくれるから――とセレネーはつぶやく。
 何を、とは言わない。言われなくても……分かる。
「お洗濯の、時は。ベッドのタオルケットの中に潜り込んでるの。体が震えるの。怖いの」
「セレネー嬢……」
 クロークは考える。
 その、服への依存。
 違う服へと着替えさせたら、何か変わってくるかもしれない。
「セレネー嬢、着替えてみせたら、クルス氏がきっと喜ぶよ」
「いや。いや」
「赤い服なんてどうだろう? そうだ、不死鳥が描かれている服があるかもしれない」
「不死鳥――」
 セレネーの言葉が止まった。
 また悲しげに視線がさまよう。
「……クルス、不死鳥、嫌い……」
「そんなことはないから。安心して」
「でもクルスは――痛っ!」
 またグラッガが怒鳴ったらしい。セレネーはこめかみを押さえた。
「降りておいで、セレネー嬢」
 クロークは優しく微笑みながら少女を見上げた。
「服、買いに行こう」
「クローク……」
「グラッガ氏は反対しているのかい?」
「………」
 セレネーはしばらく木の枝を揺さぶっていた。
 視線がしきりに揺れていた。そしてしばらくしてから、セレネーはぴたりと止まり、
 そっと木を降り始めた。

 服屋に連れて行った。
 抱いていたセレネーの肩が、かたかたと震えていた。
 服で溢れた場所。狭い場所。セレネーがぎゅっと体を寄せてくる。火の精霊。熱い。
 店員を探して奥に入れば入るほど、セレネーはますます肩を縮める。
 クロークは、おそらくその方が都合がよいだろうと自分の姿を女性に似せる。
「大丈夫だから」
 と囁きながら歩いて、ようやく店員を見つけた。
 声をかけると、愛想のよさそうな女性がすぐに振り向いて、にこりと笑った。
「何かお探しでしょうか?」
「ええ。この子に合う、不死鳥をあしらった柄の服はありませんか」
 クロークはセレネーが震えているのがバレないようにしっかり抱きしめながら、微笑みを店員に返す。
 店員は不思議そうな顔でセレネーを見た。けれど内心に考えたことを顔にはっきり出すほど素人の店員ではないらしい。すぐに笑みを作り、
「不死鳥の……ワンピースでしょうか。ちょうどございますよ」
「ぜひ拝見したいです」
「こちらですわ」
 促しながら店員は足早に歩く。そしてある場所で止まると、たくさんかかっている服の中から、ひとつの服を引き出した。
 ひらりと、柔らかいスカートが揺れた。
 白い布地に、腰から膝までにかけて赤と金の刺繍の、
 不死鳥の図柄――
「綺麗なワンピースだ」
 クロークはセレネーを見下ろす。
 セレネーは、今までがくがく震えていたのが嘘のように、店員の掲げるそのワンピースを凝視していた。
「……グラッガ……?」
 彼女の頭の中で、火の精霊が何かを言っている。
「グラッガ……」
 セレネーはつぶやくようにその名を呼び、そしてふらりとクロークの腕の中から抜け出した。
 店員の持つワンピースの元へ。
 そっと、少女が手を伸ばす。
「試着なさいますか?」
「し、ちゃく?」
「買う前に試しに着てみることだよ、セレネー嬢」
「どこ……で?」
「試着室はあちらです」
 店員は店の奥、服のうねりが途切れてすかっと涼しげに試着室とカウンターのある方向を指差した。
 セレネーはクロークを振り返った。その表情は怯えていた。
「クローク、怖い。ねえ、怖いよ。一緒に」
「……そうだね」
 今のクロークは外見女性だ。一緒に試着室に入っても店員に怪しまれないだろう。
「店員さん、妹は試着に慣れていないので一緒に入ってもいいかな」
 念のため姉妹を装ってそう言うと、店員は何を疑う様子もなく笑顔で返してくる。
 クロークはセレネーをそっと試着室に押し入れて、店員からワンピースを受け取りシャッとしきりを閉めた。

「今の服、脱いでごらん?」
 セレネーがかくかくと震えながら、ぼろぼろの白いワンピースの肩の結び目を解いた。
 またセレネーの頭の中でグラッガが何かを言ったらしい。少女は暖炉の精霊の名をつぶやいて、ようやく氷が溶けるかのような滑らかな動きでするすると服を脱いだ。
 クロークに背を向けたまま。
 彼女の前には鏡があるが、セレネーは幼児退行している。それにクロークが男性でも女性でもないことを知っている。だから恥じらうことがない。
 クロークは――
 目を見開いた。

 圧倒的な存在感が
 力が
 目の前に
 真っ赤な色として
 飛び込んできて

「不死鳥の紋様……」
 思わずつぶやくと、セレネーの縮まった肩がぶるっと震えた。
「――あ、ああ、ごめんねセレネー嬢」
 クロークは我に返り、安心させるようにいつもの口調に戻った。
「さあ、こっちの服に着替えてみよう。きっと似合うよ」
 と服をセレネーの前に回して渡しながら――
 じっとセレネーの背中を見る。
 不死鳥の、刻印。
 まるでそこに巣くっているかのように。
 生きてセレネーの背にいるかのように。
 ――うかつに触れてはいけない。

 ――あれは記憶封じの魔術だよ――

 森の守護者の声が頭に響いた。
 記憶封じ。記憶封じの……。

 するり、と衣擦れの音がした。
 はっと見やると、目の前の不死鳥が隠れていった。新しい白い服に。そして代わりに、腰あたりにちらりと見える赤と金の刺繍。
「き、れ、た?」
 セレネーは振り向いた。
 ふわりとスカートが翻って、優しく少女の肌を包んだ。
 腰から膝あたりまでにかけて舞っている不死鳥の刺繍。
 クロークはまぶしい思いで少女を見た。ああこの子は、
 何でこんなにも不死鳥が似合う子なんだろう――
「……よく、似合う」
 クロークは微笑んだ。「クルス氏も喜ぶよ。買っていこうか」
「ほんと? ほんとにクルス、喜んでくれる?」
「間違いないよ」
 セレネーが頬を赤らめた。彼女にしてみれば、記憶喪失で右も左も分からない自分を拾ってくれたクルスという存在は大きいのだろう。
「私、この服で、クルスに、会う」
「うん」
「……でも、お金、ない」
「僕が払うよ」
「そんなの、悪い」
 たまに森からお使いにくることがあるセレネーは、金銭感覚はあるようだ。
 クロークはぽんぽんと優しくセレネーの頭を叩いて、
「とってもよく似合う。そんな姿を見せてくれただけで充分だよ。いいから僕に任せておいて」
「……うん」
 ぽすっとクロークの胸の中に顔をうずめて、セレネーはうなずいた。

 ■■■

 元の服はクロークが持って、帰り。上機嫌になったセレネーと共に手をつないで歩く道。
 森が見えてくる。
 セレネーが、ぱあっと顔を輝かせた。
 森の出入り口に――人影。
 クロークはセレネーの手を放す。セレネーはすぐに走り出し、帰りを待っていてくれた青年の胸に飛び込んだ。
「クルス! クルス!」
「お帰り。……服、どうしたんだい?」
「クロークが、買って、くれたの」
 クルスから離れて、セレネーはスカートをつまみ広げてみせる。
 おそるおそる自分の育ての親代わりの青年の顔を見上げて、
「……似合う?」
 クルスは目を細めて、優しく微笑んだ。
「美しい服だね。セレネー、よく似合う。……少し大人になったみたいだな」
「おとな? なれた? マームや、ファードみたいに?」
「あの2人ほどにはまだまだだなあ」
 セレネーがぷっと膨れて、クルスは軽く笑った。

 それから小屋に帰り、セレネーの体からグラッガを分離させた。
 とたんにどっと疲れが出たかのように、セレネーは足をふらつかせた。クルスが慌てて抱きとめて、ベッドに連れて行った。
「寝る。寝ちゃう。クローク、いるのに、ごめん、ごめんなさい」
「いいよセレネー嬢。気にしないで」
「ごめん、なさい……」
 そのまま、不死鳥の娘は眠りについた。
 その傍らに2匹のスライムとミニドラゴンが寄り添って、すーすーと寝始める。
 クルスは台所の棚から瓶を取り出し、中の薬草を水でこして飲む。――あれは呪いに対抗する薬だ。
「クルス氏……」
 セレネーがしっかり寝てしまったのを確かめてから、クロークは静かに言った。
「僕も、セレネー嬢の背中を見た」
「……そうか」
「物凄く圧倒される力だね。……ただの魔術とは思えない」
「ああ……」
 クルスはパチンと指を鳴らす。光の粒子がグラッガを具現化させた。
 グラッガが、はあ、はあと息を荒らげていた。
『ちゃんと、寝てんだろうな、セレネーのやつ』
「眠っているよ。どうだった」
『……もう少しで飲み込まれるところだった』
 グラッガはちっと舌打ちした。
『何なんだ、あの体に巣くってる灼熱は? 炎とは少し違うぜ。俺とは全然性質が合わなかったからよ、押し返すのに苦労した』
「体の……内側にも巣くっているということかな?」
 クロークはあごに手をやる。
「外から入り込んだというのが正しいだろう」
 クルスは壁にもたれた。疲れた顔をしている。彼は呪いにかかってから、体力が激減しているはずだ。
『下手に俺とそれがスパークしたらセレネーの体も爆発するだろうと思ったからよ。加減が……』
「ありがとうグラッガ。……それの正体については何か分かることはないか?」
 グラッガは考え込むように腕を組んだ。
 それから、『……人間の体の』とぽつりとつぶやいた。
『人間の体の、何かの成分によく、似てる。だからセレネーの体にしっかり引っ付きやがってるんだ。引きはがすのは無理だった』
「人間の成分……」
 クロークは眉根を寄せた。
『俺は人体には詳しくないからな。よく知らねえぞ』
「いや充分だ。こうなってくると生態学を学ぶ必要も出てくるか……」
「………」
 難しい顔をし始めた森の守護者を見たクロークは、懐から2瓶の香水瓶を取り出し、テーブルに置いた。
「この……白い香水は、今日僕がつけていたんだ――セレネー嬢が気に入ったというからあげようと思う」
「ああ、クローク、キミには本当に感謝を――」
「あとこっちの透明な方は」
 クロークはクルスの言葉を遮って、ぽんと透明な液体の入った香水瓶を叩いた。
「クルス氏に。気持ちが安らぐ香だよ。体力回復にも少なからず役立つ」
「……ありがとう、クローク」
 クルスは淡い微笑を見せた。
「何も、お礼ができなくてすまないね」
 クロークは首を横に振った。ベッドでこんこんと眠り続ける少女を見て、
「……セレネー嬢が、喜ぶからね」


 不死鳥の少女。
 不死鳥に護られているのか、
 それとも呪われているのか、
 分からないまま――

 彼女を解放すべきなのか? 記憶は戻った方がいいのか。
 本当のところは何も分かっていない。

 けれど、彼らをつき動かす何かがそこにはある。

 眠りについた少女の寝顔は健やかで、そして少しだけ――どこか、神秘的だった。


 ―FIN―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3570/エル・クローク/無性/18歳(実年齢182歳)/調香師】

【NPC/セレネー/女/外見年齢15歳/精霊の森居候】
【NPC/グラッガ/男/外見年齢21歳/暖炉の精霊】
【NP/クルス・クロスエア/男/外見年齢25歳/精霊の森守護者】

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■         ライター通信          ■
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エル・クローク様
いつもありがとうございます、笠城夢斗です。
今回もセレネーに気を遣っていただき感謝しております。
セレネーに精霊を宿す機会を狙っていたので、ぴったりでした。
謎も残してしまったのですが、いかがでしたでしょうか?
よろしければまた森へご来訪くださいませ。