<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


記憶の欠片〜引き裂かれた愛をもう一度〜

 クオレ細工師。
 そんな呼び名を持つ少年が、エルザードの倉庫群に隠れ住んでいるという。噂になっている時点ですでに『隠れ』てはいないのだが。
 その少年に会えば――
 過去を、見られると、聞いた。

「過去……僕の、過去」

 レイジュ・ウィナードは、うつろにその言葉を繰り返す。
 過去という言葉にのせられる記憶は、5年前から嫌なものばかりで。
 5年前、月の魔女に家族を滅茶苦茶にされてから、嫌なものばかりで。
 新しい友人が出来て、今は彼が城主となっている通称「蝙蝠の城」で比較的穏やかな毎日を過ごしていても、満月になると否でも応でも過去を思い知らされる。
 胸の、呪いの刻印がうずいて。
 彼を蝕むから。

「それでも……僕にも、暖かい記憶はあっただろうか……」

 彼自身分からない答えを求めて、レイジュはクオレ細工師を探しにいった。
 それは気まぐれであり、また切実な想いでもあり――……

 ■■■ ■■■

 街はずれの倉庫群にいざやってきたはいいが、肝心のどの倉庫にいるのかが分からない。
 林のごとく並ぶ倉庫の群れの前でレイジュが立ち往生していると、ひとつの倉庫の中から赤髪の少年が出てきた。
 ちょうどいい、彼に訊くことにしよう。レイジュは自分よりいくつか歳下そうな彼に近づく。
「訊いてもいいかな」
 近づいてくる気配に気づいていたのだろう、少年は驚くことなく「何ですか?」と人懐っこそうな表情を浮かべた。そばかすがさらに彼の性格を明るく見せる。
「クオレ細工師、と呼ばれる方はどこにいるか、知らないか」
 問うと、そばかすの少年は目をしばたいた。
「クオレのお客さんですか」
「客というか……。知っているんだな」
「ええ。うちの倉庫の居候ですから」
 少年は今出てきたばかりの倉庫を肩ごしに見やる。
 ここにいるのか。レイジュはその倉庫を見上げる。何の変哲もない、石造りの倉庫だ。誰が所有してるのか知らないが、倉庫に「居候している」というのも変わっている。
「会えるだろうか?」
 レイジュは尋ねた。少年はうなずいた。
「叩き起こせば。――あ、気にしないでくださいね。あいつ、仕事やってない時はいつも寝てますから」

 そばかすの少年はルガートと名乗った。宿屋の息子らしい。
 出たばかりの倉庫をもう一度開けてくれ、レイジュのために一緒に中に入ってくれた。
 入り口からまっすぐ奥へ進む。
 真正面に、やたら大きなタペストリがかけてあった。大きすぎて床にまで垂れている。
 ルガートは――
 そのタペストリを、めくった。
 石扉があった。
「この奥にまだ部屋があるのか?」
 レイジュは半ば呆れてつぶやく。
「いえ、地下室です」
 ルガートは鍵を開け、横開きの石扉をガガガガと轟音を立てて開いた。
 とたんに奥からもわっと埃の気配――
 思わず咳き込むと、「あ、すいません!」とルガートが謝ってきた。
「あいつ稀代の掃除嫌いなんすよ。おかげで部屋が埃っぽくて……入れますか?」
「……ああ、何とか」
 まったく世の中には色んな人間がいるものだ。レイジュは苦笑した。

 地下室へと続く階段を降りると、ルガートの言葉はさらに証明された。
 物凄い散らかりようだった。訳の分からないがらくたがたくさん積もっている。棚はたくさんあるが、整然とならんでいる部分は奥のひとつの棚だけだ。
 レイジュはその唯一整頓された棚に気を引かれた。
 ――光輝く様々な何かが、そこにある。
「フィグーー!」
 ルガートは大声を上げた。地下室の石壁に鈍く響いてあまり愉快な音ではない。
「おーきーろー! お客さんだぞーーーー!」
 言いながら、ルガートはのしのしとがらくたの山を乗り越えて、部屋の中央部へと向かう。とりわけ山のように積もった場所へ。
 がたんがしゃんと耳にうるさい音が聞こえてきた。
 ルガートが前かがみになって、誰かと格闘している。
「起きろ! 起きろったら……!」
「……るさ……い」
「寝るなー!」
 ひょっとしたら自分は邪魔だろうか。邪魔ならこのまま帰ってもいい。レイジュは声をかけた。
「無理ならいい。帰るから」
 しかし気まぐれな人間というのも世の中にはたくさん溢れているもので――
 レイジュが帰ると言った途端、のっそりとルガートの足元から起き上がった少年がいた。
 頭を振って、乱れた短い黒髪を振り払っている。そしておもむろにレイジュの方を向く。
 視線が、からまった――
 瞬間、レイジュはその場に縫いとめられたような心地に陥った。鋭い黒水晶の瞳が、彼に向けられていた。
「……ウインダーさんですか。久しぶりに見ました……」
 黒い瞳の少年は、そう言って大欠伸をした。

 不確かな記憶を、見に――
 フィグという名の『クオレ細工師』は、立ち上がるなりそう言った。
「――いらしたんですね」
「不確か……」
 レイジュは目を細める。なぜか胸が痛い。
「……いや、僕は……かつて過ごしたことのある暖かい記憶を探して……」
「不確かな」
 フィグは繰り返す。
 ――やめてくれ。
 胸の刻印がうずくから。
 しかしフィグの鋭利に見えた視線は、ふいに優しげに変わって、
「構いませんよ……出来る限り、あなたにとっていい記憶が引き出せるよう努力しましょう」
「……ありがとう」
 レイジュはほっと表情を緩ませる。黒水晶の瞳は不思議な輝きで、レイジュの心を護ってくれているようだった。
 ルガート、とフィグが呼ぶと、ルガートはほいほいと部屋の隅から椅子を持ってきた。
「座ってください」
 すすめられ、椅子に腰かけると、フィグはレイジュの横に立った。
 ルガートは部屋の隅に移動する。
「始めますよ」
 黒い瞳の少年はそっと手を伸ばし、レイジュの目を片手で覆った。
 ――目を閉じて
 囁きとともに、まるで催眠術にかかったかのように意識が重くなり、視界は暗く暗く回転――

 ■■■ ■■■

 月の魔女がウィナード家を襲ってから、どれくらいの刻が経っただろう。
 レイジュにとって、苦痛の刻だった。姉は相変わらず明るくて、美しい笑顔を見せてくれる唯一の光明だったけれど、その儚い胸に抱く痛みは同じだったはずだ。
 ――自分に力があったら
 力不足が、悔やまれてならなかった。
 だからレイジュは、姉に隠れてひたすら自分を鍛えていた。禁呪も覚えた。死者召喚の練習もした。
 そんな日々を繰り返し。
 ――ああ、あれは2年ほど前のことだったか
 ある夜のことだ。姉が寝静まったのを見計らって、自分は墓地へ向かった。いつもの通り。
 死者召喚の練習のために。
 ネクロマンサー。死者を操るなんてとんでもないことを企んでいると姉に知られたら、姉が嘆くことは間違いなかった。それでもレイジュは、力がほしかった。
 死者なら、死ぬことはない。だから、死者を味方につければこれ以上ない戦力だ。
 すべては自分たちから両親を奪い、自分を呪った月の魔女への報復のため。
 姉に見つからないタイミングで、夜の墓地へと通うのが日課だった。
 そう、あれは――三日月がまぶしい夜。
 星が出ていた。いやに明るくて、自分の胸の空洞の淵を照らし出すようで皮肉だと思ったのを覚えている。
 そんな時に聞こえてきたのだ――あの、切ない声は。
 寂しい、泣き声は。
 くすんくすんと、耳を細かな水滴が打つように聞こえてきた。
 とても小さい声だったのに、静かな墓地でその声は浮いていて。
(誰かいる……?)
 レイジュはそっとその声の主を探した。
 すぐに見つかった。ひとつの墓石の前でしゃがみこみ、ただひたすらぽろぽろと涙をこぼす――自分と同い年ほどの少女。
 レイジュは思わず近づいた。
 靴の下で砂利が鳴った。少女がはっと振り向いた。
 ――涙に濡れた瞳が、レイジュを映した。
 警戒心が、その瞳にみなぎった。
「あ……すまない」
 レイジュは我知らず口を開いていた。「こんな夜に変かもしれないが、僕は墓参りに来たんだ。怪しい、者、じゃ、ない……」
 声は尻すぼみになっていたが、とりあえず少女には届いたらしい。少女はわずかに警戒心を解く。服の袖口で涙を拭い、
「……情けないところ、見られちゃった」
 てへ、と笑って。
 レイジュは首を振った。――墓地で泣く人間の、どこがおかしいというのだろう。何が情けないというのだろう。
 ゆっくりと歩み寄ると、少女は逃げなかった。しゃがみこんで両足を抱えたまま、目の前の墓石を見つめている。
 その目に再び涙がにじみ始めるのを見て、レイジュは尋ねた。“なぜ泣いているんだ?”
「私のお父さんとお母さん……」
 少女は言った。「魔物に、殺されちゃったの……」
「―――」
 レイジュは絶句した。
 突然喪われる家族。その中でも悲劇的な。
 ――自分も、月の魔女に両親の魂を奪われた。
 少女のことが、他人事に思えなかった。
「その……」
 うまく言えないけれど、それでも彼女を慰めたい気持ちでいっぱいになった。
「……あまり、泣くな。ご両親が悲しむ」
「分かってる……」
 少女は顔を膝にうずめた。「だけど……涙って、溢れてきちゃうものなの」
 レイジュは視線を揺らし、いい言葉を探そうとする。けれどやっぱり不器用な言葉しか出てこなくて。
「……なら」
 なら。
 思う存分泣いて。
 そうしてその分、笑顔も浮かべられる日が近くなるよう。
「……あなたが笑ったら、綺麗……だと、思う」
 自然と口をついて出た言葉に、少女がはっと顔を上げた。
 涙に濡れた目はきょとんとレイジュを見上げていて、レイジュはようやく自分の言った言葉に気づき焦った。
「いや、変な意味では……ない」
「………」
 少女の涙は止まっていた。
 奇妙な沈黙が2人の間を流れて、レイジュは身の置き所がなくなった。
 やがて――
 少女が、ぷっと噴き出した。
「もう! ナンパされたみたいだわ」
「ナンパじゃない」
 大真面目に訂正した。分かってる、と少女は言った。
 また服の袖口で涙を拭おうとしていたので、レイジュは胸ポケットからハンカチーフを取り出して差し出した。
「……使え」
 少女は目をぱちぱちさせた。
 レイジュを見上げた後、その顔にやおらかすかな笑みが浮かぶ。
「ありがとう……」
 真っ白なハンカチーフ。端にはレイジュの名前が刺繍されていた。かつて母が縫ってくれたのだ。
「あなた、レイジュさんって言うの?」
「……レイジュでいい」
 レイジュ、と少女は確かめるようにつぶやく。
 その声がなぜか耳に優しくて、レイジュはほのかに嬉しくなった。彼女から、涙の気配が消えたからだろうか――
 その夜は、死者召喚の練習はせず、そのまま城に帰った。彼女の前で、そんな真似は出来ないと思ったからだ。
 そして次の夜――
 またもや、耳を打つ雫の音。
 レイジュはすぐに昨晩と同じ墓石へ向かった。そこに、昨日と同じように膝を抱えた少女がいて、昨日と同じように泣いていた。
 とても放っておけなかった。
 レイジュはずかずかと彼女の傍まで近寄ると、気配に顔を上げた彼女の腕を引き、立ち上がらせた。
「――放って、おいてよ……」
「無理だ」
 レイジュはぼそっと返事をすると、おもむろに彼女を抱え上げた。
 きゃっと少女は身を縮める。細身の体は軽かった。
 ――今夜も、月と星が悲しいほど美しい。
 けれど、ひょっとしたら今は、それが救いになるかもしれない。
「しっかり捕まっていろ」
 レイジュはばさっと蝙蝠の翼をはためかせた。
 少女は訳が分からないといった様子のまま、ただ必死にレイジュにしがみついていた。ぎゅっと目をつぶってそのまま――
 浮遊感。
「な――なに?」
「目を開けてみろ」
 レイジュは無愛想に言う。今の彼には愛想をふりまくことは出来ない。だから不器用な言い方しか出来ない。
 少女はそろそろと瞼を上げた。
 けぶる睫毛の下の瞳が、眼前を見た。レイジュの顔があって――そして、背景には美しい星空。
「そ、ら?」
 空を飛んでいる。
 気づくなり、少女は震えてさらにレイジュに抱きついた。
「……大丈夫だ、ほどほどに捕まっていてくれれば、落とさない」
 囁くと、少女はびくびくしながら体の硬直を解いた。
「綺麗な空だ。……空中散歩にはちょうどいい日だ」
 レイジュはつぶやく。
 少女は上空を見上げていた。
「星が近い……」
 呆然と独りごつ。
「月も近い。ほら」
 両手がふさがっているレイジュは視線だけで促す。彼の視線を追った少女は、丸い瞳に三日月を映した。
「……涙で瞳をうるませているより、月や星を映している方がいい」
 つぶやくと、少女はレイジュをまじまじと見、やがてあはっと笑った。
「あなた、本当に真顔ですごいこと言える人ね」
「何のことだ?」
「自覚ないんだ。すごい」
 くすくすと笑う彼女の言葉の意味は分からなかったが、また彼女から涙の気配は消えた。それだけで、レイジュは満足した。
 レイジュに捕まりながら、いつもより近い星空を見上げ、少女はぼんやりとつぶやく。
「……あの星の中に、父さんと母さん、いるかな」
「きっといる」
 即答した。
 死んだ人間が星になるなんて夢物語、死人使いになろうとしている自分が肯定するのは変な話だったけれど。
 レイジュはそのまま、少女を抱えて夜空を散歩した。
 蝙蝠の翼を風に乗せ、あらゆるところの上空を飛び回った。
 少女は中々肝が据わっているようで、一度慣れてしまうと下を見ることも平気になった。
「わあ……家が小さく見える!」
 街の灯りはすでに消えて、歓楽街のネオンサインだけが明るい。彼女は「歓楽街なんて褒められた場所じゃないけど、こうして見ると綺麗ね」と言った。
 風は彼女の髪を揺らし、毛先はレイジュの頬をくすぐる。
 森の上では、木々のさざなみが2人をまるで海の上を渡っているかのような気分にさせた。
「さすがに海にまでは行けないが……」
 レイジュがすまなそうに言うと、彼女は笑って、
「充分よ」
 と言った。
 夜空の散歩を終えてようやく、彼女の名前を教えてもらった。
 彼女は普通の人間だった。有翼人のレイジュに興味を示し、しきりに翼に触りたがった。
 蝙蝠のウインダーであるレイジュはあまり翼に自信がなかったので、触られるのは好きではなかったのだが、彼女の気晴らしになるのならと好きにさせておいた。
「すてきな翼ね」
 と、彼女は手を叩く。
 何がどう『すてき』なのかさっぱり分からなかったが――彼女が本心で言っているのが分かって、レイジュは苦笑しながらもどこか喜びを感じている自分を認めていた。

 その日以来――
 レイジュと少女は、たびたび会うようになった。

 満月の夜は、レイジュは呪いで独り苦しむ。そんな夜は会いにいけないけれど、苦しみの中で彼女の笑顔を思い出すと不思議と蟲に食われるおぞましさが和らいだ。
 彼女の笑顔は綺麗だ。最初に思った通り。
 屈託なく笑う彼女に、また会いたい。
 墓地へ行く理由が変わっていった。レイジュは彼女の姿を見るたびに安らぎを感じる。
 なぜだろう……理由は分からなかったけれど。
「ほらまた難しい顔する」
 彼女はそう言って、いたずらっぽい顔でレイジュの顔をのぞきこむ。
「あなたは私に笑顔を取り戻してくれた。今度は私の番ね」
「……別に……」
「いい、なんて、言わせないから」
 くす、と笑って彼女はハンカチーフを取り出した。
「見て。私も刺繍の練習したの」
 レイジュは受け取った。端にレイジュの名が縫いこまれている。ひどくいびつな。
「へたくそでしょ」
 ぺろ、と舌を出す彼女に、彼は首を振った。
「……充分だ」
 ひょっとしたら母が作ってくれたもの以上に大切なものになるかもしれないと思った。
 なぜなら、そう――彼女の前で、彼は……。
「ありがとう」
 ほころぶ頬。
 無愛想だと自認している自分でもこれほど笑えるのだと、初めて知ったから。

 レイジュにとって彼女は――かけがえのない存在に、なりつつあったのだ。

 彼女との逢瀬はいつも、真夜中より少し前までの時間。
 彼女が家に帰らなくてはならないから、いつもそうだった。
 けれどとある新月の夜――
「……月がない夜って、怖いの」
「そうか?」
「うん」
 だからね、と彼女はレイジュの腕を取って。
「……傍に、いてほしいの」
 否と応える理由がどこにあっただろう?
 傍にいたい。想いは重なった。

 新月の夜。
 真っ暗な夜。
 2人は、共に過ごした。
 幸せな――夜だった。2人しかいない。月は姿を隠し、2人の姿を隠し。
 どうしようもなくこみあげてくる想いを、抱き合うことで伝え合った。

 ああなのに
 どうして
 どうして自分たちは

「私の村ね……」
 ぽつり、ぽつりと彼女は話した。
「蝙蝠を、嫌うんだ……」
「―――」
 蝙蝠のウインダーであるレイジュは絶句した。彼女は目を伏せて、
「昔、大きな吸血蝙蝠に襲われて大変な目に遭ったんだって……蝙蝠は不吉とされてるんだ」
 レイジュは思わず彼女の名を呼んだ。
 彼女は微笑んだ。
「もちろん、私はレイジュが好き。だから大丈――」
 その時だった。
 レイジュははっと周囲を見渡した。緊張のみなぎった彼の様子に、きょとんと彼女が「どうしたの?」と不思議そうな顔をする。
「――誰だ!」
 誰何すると、一斉に周囲の気配が姿を現した。
 少女はびくっとしてレイジュにしがみついた。いつの間にか2人を囲んでいた人々――
 一様に、得物を持って。
「娘を返せ! 蝙蝠めが!」
 叫んだ男がいた。壮年の男だ。
「義父さん……!」
 彼女が叫び返した。「彼は関係ないよ! 蝙蝠って言ったって色々いるじゃない!」
「蝙蝠は蝙蝠だ! 不吉だ! 娘に近づくな……!」
 レイジュは舌打ちした。相手がなまじ普通の人間だから分が悪かった。衝撃波で吹き飛ばしたりしてはかなりの怪我をさせてしまう。
「我が村の娘を返せ蝙蝠めが……!」
「返せ……!」
 口々に叫ぶ男たち。くわやすき、斧を持って。
 ――みんな、彼女の村の人間か
 そう思うと、ますます攻撃できなかった。
 斧を持った彼女の義父が近づいてきて、「来い!」と義娘の腕を引く。
「嫌よ、義父さん……!」
「蝙蝠と一緒にいるなど許さん!」
 男はレイジュに向かって斧を振り上げた。
 少女が悲鳴を上げた。
「やめて! やめて義父さん!」
「蝙蝠だ、成敗してくれるわ……!」
「レイジュは関係ない! お願い、やめて……!」
「現にお前を夜な夜な連れ出している! きっといつかお前の血を吸うつもりなんだぞ!」
「僕はそんなことはしない!」
 たまらずレイジュは叫んだ。
 しかし、そんな言葉が受け入れられるはずがない。
 レイジュの腕の中から彼女が引き離される。彼女はレイジュに向かって手を伸ばしながらも、彼の手をつかみ直せないでいた。
 その手をつかんでしまっては、レイジュが何をされるか分からなかったから。

 構わない
 僕はどうなっても構わない
 そう思ったのに

 ――なぜ、彼女を奪わなかった?

 傷つけるのが怖かった。
 怖かった。怖かった。月は欠けて、満たされない。いつもは恐ろしい呪いの満月が今は恋しくて。

 ああ月が
 夜空に吸い込まれていく 彼女が連れて行かれて
 僕の手から大切なものがまた 滑り落ちて
 水のようにそれは掌の中に留まっていてくれない

 ああ ああ ああ――

 ■■■ ■■■

 ――戻って!
 精神を揺さぶられるような声で目が開いた。
 全身に汗をかいていた。それでいて、胸の底がひんやりと冷えていた。
「……一番幸せだった記憶に」
 すぐ傍らに立つ黒水晶の瞳の少年が、囁いた。
「……一番辛い記憶が連なっていて」
 レイジュは首を振った。体がだるい。もう何も考えたくはない。
 思い出したかったのはこんな記憶だったのか?
 すぐ横にいる少年が、吐息。この少年は自分と同じ記憶を共有したのか。
「あれ以来……」
 レイジュは目を伏せる。
「僕は、笑顔を、思い出せない」
「………」
「なあフィグ……」
 ルガートのひかえめな声がした。「クオレ……出来たんだろ?」
「……ああ」
 自分の真横にいる少年はうなずいたようだった。
 クオレとは何だろう……
 そう思いながらふとフィグの方を見やると、少年の拳に握った手の指の間から、光がこぼれていた。
 光。
 月光のような静かな光。
「『クオレ』……あなたの記憶から、出来上がったものです」
 フィグはそっと掌を開いた。
 そこに――
 たたまれた一枚のハンカチーフ。
 開くと、端にはおぼつかない刺繍で『レイジュ・ウィナード』――
「―――!」
 レイジュははっと息を呑んだ。彼女との記憶を忘れたくて捨ててしまったあのハンカチ。
 それが再び舞い戻ってきた?
 月光のような静かな光を帯びて。
「受け取るかどうかはあなた次第です」
 フィグは優しい声音で言った。
「もし受け取らないなら……こちらで大切に保管させていただきます」
「………」
「どんなに辛い記憶でも、捨てられないからあなたの内に留まる。月光は……美しかったでしょうね」
 ああ、とレイジュはうなずいた。
 とても美しかったよ、と。
 そう、彼女は――
 月光のような、静かな白金色の髪をしていた。
 レイジュは手を差し出した。察して、フィグはクオレを――ハンカチをレイジュの手に握らせた。
 冷たい、けれど優しい感触の布。
 涙はとうに枯れてしまったけれど。心の中には湖水のごとく溜まっている、あの時流したかった雫たち。
 このハンカチは、それを吸い込んでくれるだろうか。
「……ありがとう」
 レイジュはつぶやいた。
「俺のおかげでもなんでもありませんよ」
 フィグは言った。「あなたの……記憶です」
 記憶。
 苦しくて……幸せ、な。
 椅子に座ったまま、ハンカチを見下ろした。
 白い布地に彼女の笑顔が重なって、レイジュの心に微笑みかけていた。


 ―FIN―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3370/レイジュ・ウィナード/男/20歳/蝙蝠の騎士】

【NPC/フィグ/男/15歳/クオレ細工師】
【NPC/ルガート・アーバンスタイン/17歳/倉庫番】

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■         ライター通信          ■
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レイジュ・ウィナード様
こんにちは、笠城夢斗です。
ゲームノベルでは初めまして!ようこそ過去の記憶へ。
レイジュさんにはこんな過去があったのですね。とても感慨深く書かせて頂きました。
終わり方がまだ続きがありそうな雰囲気でしたのでやや中途半端になってしまいましたが……;
少しでもお気に召したら光栄です。
またお会いできますよう……