＜聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記＞
■各所探訪−サンカの隠里−■
里は隠されていたし外の者を拒んでいたけれど、完全ではなかった。
彼女はしばしば里の周りの緑を摘みに出歩いており、事実そのときにも籠を抱えて木々の間を抜けていた。抜けて、そうして外で、死んだ。
あっけなかった。さ迷い歩いていた外の者と出会ってからはあっけなかった。
揉み合い、傷つけられ、逃れ、追われ、刻まれ、抗い、縊られ、落とされ。
あっけなかった。至極、簡潔な悲劇だった。
低所へと放り出される前に額に衝撃があった。
にやにやと見下ろしていた男の口元を見た。
血に濡れたまま男が掴んでいたのが己の額にあった角だと理解した。
単純に過ぎる悲劇だった。あまりにも簡単に彼女は死んだ。
けれども彼女はまだ里の傍に居る。
このあたりかと笑った男の声を彼女は聞いたから。
ひしゃげた身体から糸を断たれた魂で、男の声を聞いたから。
里が。里が、私達の里が。
糸を断たれて皮肉な自由を得た魂は男の向かう先を視た。
エルザード。その光の隅で深く深く澱む場所。
たむろする人間達。奪った角をかざして見せる男。笑う声。値段の話。殺しちまったが確かにありゃあ女も売れる。男が本当に頑丈でも殺せば。男から角を。そうだ数を集めろ――尽きることのない会話は彼女の同胞を傷つける為のもの。
誰にも気付かれぬまま彼女は先を視続け聴き続ける。そうして嘆く。
なんてこと。誰か、誰か、誰か助けて。誰か。
里の外と関わることを訴えている一人の同胞。
彼の言葉に少しでも真実があるのなら、自分達に関わる外界の者が卑しい者ばかりでないというのなら、その証を示して欲しい。
死んだ彼女の魂は、未だ里からは離れ難く。
■各所探訪−サンカの隠里−■
道行く人々をするすると自然な身ごなしで避けながらジュドー･リュヴァインは一人の男を追っていた。段々と薄汚れた暗い街路に入っていくのを距離を置いて着いて行く。
（エヴァならもっと上手くやるんだろうな）
こんなときに思い出すのは相棒と称するに足る、エヴァーリーン。
依頼として請けた結果ならきっと彼女も一緒で、こういった追跡は可能な限りの情報を集めた上で彼女が担当するのだろうけれど、生憎とこの尾行は依頼ではない。
偶然に足を向けた先で見た人の痕跡。隠里とやらがあるとかないとか言われている辺りだったので、珍しいとそれを探しながら歩いてみた先にあった光景がジュドーの背を押しただけのことだった。
人の滅多に立ち入らぬ場所に潜められているからこそ隠里。
だというのに誰かの動き回った後が離れた辺りから続いていて、興味を持って踏み込んだ先に『彼女』が存在した。見下ろした先に放り出されて動くこともなく在った。
ジュドーは当然に下って、そこで死んでしまっていることを確かめる。
「……サンカの民……」
直後ではありえないが、鳥獣が探り当てるような程には経っていない。
色素の抜け落ちた姿形の女性にいっとき瞑目し、それから手を滑らせて下ろした瞼の上、額に穿たれた傷痕をジュドーは改めて見た。それが何を意味するのか考えるまでもない。誰かがこの女性を襲い、生命と角を奪ったのだ。
表情を険しくして周囲の様子を再度見て回る。
土の削れ、ここにジュドーが辿り着くまでの踏まれよう、枝葉の退けよう、女性の身体にかかる土埃の類の少なさ、ここ数日の天気。思い返すそれらは周囲の微かな差異が女性と、女性を襲った何者かによって作り出したものだと悟らせる。
ならばと自分と入れ違ったとしたとて、そう遠くには行っていないはず。
「今なら追いつける、か」
そこまで考えればジュドーの判断は一瞬の躊躇いも許さなかった。
女性をなるべく風雨や鳥獣の影響を受けない場所へと動かしてやる。時間をかけるつもりはないが、半日で終わるといったものでもなかったので、死者が眠るべき地に戻されるまではなるべく守ってやるべきだったから。
「……すまない。里に帰るのは少し待っててくれないかな」
こびりついていた汚れを払い落としてジュドーは語り掛ける。
貴方の身体の一欠片とて売り物になどさせない、と。
「必ず取り戻して貴方の元に返そう」
それまで少しだけ、少しの間だけ、一人で待っていて欲しい。
けして返事をすることのない、応じる声を永遠に止めてしまった女性をひたと覗き込んで見詰め、そしてジュドーは立ち上がった。駆け出す先は痕跡を追う形。何者かが歩いた跡が消えない内に距離を詰め、捕らえ、そして角を取り戻すのだと。
「……」
思い出した場面、出来事に自然と瞳は険しくなる。
その途端に男が周囲を気にする素振りを見せたので、よもや視線で悟られるような流れかと僅かばかり速度を変えて進路をずらしたジュドーだったが、丁度動作が重なっただけだったらしい。男はすぐに動きを戻した。進行方向へとぶらりぶらり、男のだらしない歩き方は街中に入ってから。
けれど再開された動きは先程よりも速い。追うジュドーに気付いたとは思い難いが警戒はしている、そういった微妙な変化。人や物を遮蔽とするのを意識した動きに傾き出した男をそれでもジュドーは見失わない。たとえ男が駆け出しても追い縋れる距離と速度で後に続く。
と、積み上げられた荷の間に男が潜り込んだ。
細い路地がある。察して続いたジュドーが見たのは駆け出す背中。
（気付かれたか！）
先が何処に繋がっていようと、いいや行き止まりであろうと男には逃げようのある道に違いない。宿を取る辺りとは異なる場所は、ジュドーには把握しきれないのだから追う勢いは見る間に増していく。踏み叩く地面は荒れて割れている。そこを強く踏みしめて追っていく。
男は曲がり際に振り返り、ジュドーを認めるなり表情を遠目にも引き攣らせた。
ジュドーは気付かれたと判じたが、そうではない。
擦れ違う人間がなんとなし彼女へ視線を遣ることが繰り返されていた為である。荒んだ場所に馴染みきることの出来ていない様子がジュドーに視線を集めさせたのだ。男はその他者の素振りから判断して駆け出した、それだけだった。
待て、と叫ぶのを呑み込んで男に向かうジュドー。
「――っ」
だが続いて曲がったすぐ後に彼女は反射で足を止めた。鼻先に感じる細い何か。
あれ、とそれに覚えがあって瞬くジュドーの耳に男の声。蹴り転がされたと思しき木箱の向こうに見える人影の足元に問題の男――と思しき塊。蹲っているのか、蹲らされているのか。
「……手間は省けたけど……」
後者だろうと見るジュドーの前から細い何かがするすると排される。
狭苦しい路地は曲がって然程も経たずに壁に区切られる形となっていた。
「あなたも元気ね、ジュドー」
佇むのはしなやかな影。黒髪の静かな瞳の彼女は淡々と、近付くジュドーへ声をかけるといささか芝居がかった溜息を落としてみせる。ジュドーはといえば、咄嗟に腕を回していた愛刀から伸ばした手を下げて。
それは傾いた日の消える頃。
目を覚まして黒山羊亭にでも向かっているかと思っていたエヴァーリーンは、感心なのか呆れなのか判別し難い表情をうっすらと乗せてジュドーの前に居た。
** *** *
――かくして、組んで行動していたわけでもないのに見事に動きが重なり繋がっていた二人。
だがそれはそれで不思議はないとすとんと胸に落ちたので、差し当たっての問題は鋼糸が絡め取った男とそこから連なるだろう者達だった。
とは言えひとしきり締め上げれらた男が命を惜しんで白状すれば、エヴァーリーンが事前に集めていた情報と照らし合わせてみるだけのこと。人間関係、特に商売の繋がりを思い出して行く彼女の視線は足元の男にない。
「……そうね、そろそろ本当の事を話してくれているみたい」
「では取引場所で潰すか」
だが指先が、手が、腕が、視線を合わせておらずとも男に巡らせた鋼糸の微細な感覚で全てを把握している。ジュドーが見遣る先で男はときに締め上げられ、ときに浅く切られ、じりじりと恐怖を煽られている風に表情を変えていた。
だが同情の余地なぞあるわけもない。
角を取り戻すだけならばエルザードに至るまでに仕掛けられたのを、誰かに連絡を取っている様子があったかあジュドーはこらえてきたのだ。あの場所で放り出されていた女性の姿を思えば男の様は当然のものである。
「ジュドーが見たのはやっぱり連絡ね」
「でなければわざわざ泳がせない」
「さしずめ、死者からの依頼、といったところ？」
「私には見過ごせなかっただけだ」
あなたらしいと言うまでもない。
濡れた黒瞳に武士の面を捉えながらエヴァーリーンは鋼糸を操った。
殺しはしないとあえて言ってやったというのに、男は恐怖に震えて身体を拘束されている。脅しの駆け引きだと思われているのだろうが訂正してやる必要はない。
「連絡を取る前にあなたが捕まえていたら、仲間も取引相手も、全て見つけ出すことは出来なかったでしょうね」
「そうだな。そして、ここで関わる者全てを片付ける」
佩いた刀に無意識にか手を添えるジュドー。そこから感じられる威にまた男の身体は揺れて顔は歪む。こんなはずじゃなかったのに、と言いたげな顔。だがそれは男ではなく、殺された女性が言うことを許されるべきだった。
今もおそらくはジュドーか移した場所で待っているだろう女性。
不幸にも見通しの悪い場所に放り出されており、移した場所も見つけるのには苦労する。あるいはサンカの民が探し出してくれていればいいのだが、と思いながらもジュドーはどちらにせよ角を持って戻ることは確実なのだ。
「連絡が通っていたおかげで取引もすぐみたいだし、日を置かなくて済むのは良かったわね」
聖都の外――サンカの隠里があるだろう方角へ僅かに顔を傾けたジュドーをちらりと見、案じる声音ではなく普段の通りと感じられるそれでエヴァーリーンは言葉を投げる。それとも、と付け加える言葉。
「何日か後の方が角を先に届けられたかしら。届けてくる？」
エヴァーリーンは報酬のある『依頼』として請け負っている分だけ、相応の仕事は果たしてみせる。だから別に偶然合流する形になったジュドーが自分に委ね、角を先にとしたところで問題はなかったからこそ、そんな風に言った。
だがジュドーはその言葉に一瞬考える素振りを見せただけでかぶりを振る。
「関わる全員を潰してからの方がきっと、いい」
「そう。じゃあそろそろ動きましょうか」
となれば二人の行動はもう選ぶも何もない。
取引場所で一網打尽。男の仲間が全て取引場所に来るとは思えないので聞き出した情報に添って探し当て、潰す。
「これは官憲に突き出して大丈夫でしょう。話が広まる頃には終わっているもの」
「仲間の一人も残さず、全てだな」
「そうね。先に仕掛けに行くからこれは任せるわ」
孤独に待たせている気の毒な死者の為、請け負った仕事を完遂する為、それぞれに中途半端な部分で済ませることは有り得ない。
「突き出して、取引場所に行って――丁度いい、のか？」
「多分ね」
張り巡らされた鋼糸の中に全ての人間が入るとは思えないが、入ってしまったならば誰も逃れることは出来ない。だからこその遣り取りを最後にジュドーは転がされた傷だらけの男に腕を伸ばした。死んではいないが浅い傷ばかりでもない。その辺りは適当に言い逃れて押しつけて。
じゃあ、なんて改めて言うこともなくそこで二人は路地を出た。
暮れた空は暗く翳ってそこかしこで荒れた人間達の遣り取りが漏れ聞こえる。
そんな場所をそれぞれに進む。もう少し。それで終わるのだと。
** *** *
いつもの黒山羊亭。いつもの席。
並んで座る二人の前でエスメラルダは一通りの話を聞いた。
「だからやたら落ち着きなかったのねあの辺」
納得したわと頷く踊り子であるが、元よりエヴァーリーンに依頼を寄越したのは彼女である。展開は想像していただろうにジュドーの晴々と語るのに律義に相槌を打っている。
角と共に女性を里へ帰してやれたということであるし、生きている間に助けられなかったとはいえ後の人災の類は排除出来たのが嬉しいのだろう。官憲に男やその仲間達、商人と突き出した褒賞辺りしか懐には入らなかったお人好しは、隣で静かにグラスを傾ける相方とは対照的だ。
「でも結構数が居たって聞いたけど、何ともなかったの？」
「ご覧の通りよ。怪我はなし」
「特に取引場所での分はあっと言う間だった」
「ぞろぞろと仕掛けの中に来るんだもの」
依頼を果たし、報酬もしっかり受け取ったエヴァーリーンは今度はグラスからフォークへと手の中を変え、で食事を突つく。気負いのない平坦な様子にエスメラルダは笑う。
掛け合いのような言葉を交わし、弁の立つエヴァーリーンがジュドーを言い負かし、何やら弄って遊んでいるような二人は一見すると組んで行動するには違い過ぎる印象だ。であるのにエスメラルダの知る限り、互いに他の誰より上手く付き合い信を置いている。
「面白いわよねえ」
「……」
そんな二人を改めて評してみれば、エヴァーリーンは静かに踊り子を見遣っただけで沈黙する。隣で豪快に皿を空けたジュドーと併せての言葉であると察しているからこその沈黙。踊り子が続けて何を言うのか、なんとなしわかるのは付き合いの長さを示すのか、それだけジュドーとエヴァーリーンが共に過ごす時間を黒山羊亭に置いているのだと示すのか。
「別々に動いておいて結局一緒だなんて」
素晴らしいわ、と笑う踊り子にさて「腐れ縁というだけよ」などと返すのは喜ばせるだけか。フォークを動かすエヴァーリーンはただ沈黙を貫いた。
だがジュドーは「そうだな」とエスメラルダの言葉に乗る。
何を言い出すのか、妙な事を言ったら言い負かして苛めてやろうじゃないか、そんな気持ちで耳を傾けるエヴァーリーン。そこに届いた言葉と言えば。
「頼れる相手だ」
素直にはっきりと信頼の程を明らかに乗せた簡潔なものであったので、瞬間に考えた様々な事を諦めてエヴァーリーンはひっそり嘆息するに留めておいた。この馬鹿正直とも言える明朗さがきっとジュドーという人物なのであろう。
「――そういえば、あの男を追ったときの」
「私達が鉢合わせたとき？」
そんな朧な思考を僅かに広げる間にエスメラルダは離れていた。
グラスの氷を揺らして追加の酒が出る。カウンタに乗る音の後にジュドーの声がまた響いていて、今度はそれはエヴァーリーンへと直接向けられたもの。眼差しだけ滑らせて相槌を落す。ジュドーの皿は中身が随分と減っているのがなんとなし目に留まる。
「そのときだ。あと少し進めば鼻が削れていたような、あれが何か懐かしいなと思ったら」
「低くしてみても面白かったわね。それで？」
「うん、いや。いつだったか盗賊を追ったときに同じような状況があった」
「……そうだった？」
「そうだった。私の鼻先で容赦なく張り巡らされていた」
覚えてないわ、と呟くエヴァーリーンの横顔をジュドーは笑って眺めていた。
本当に覚えていないのか、とぼけて見せているだけなのか、どちらでもいいけれど。
単にその頃からの時間の経過を考えてみただけのこと。
「懐かしくなっただけかな」
「お望みなら幾らでもするわよ」
ささやかな遣り取りで唐突な言葉を切って、沈黙を挟む。
――殺された彼女は今は安らかに在るだろうか。
つと思い返した出来事はジュドーの咽喉を刺激した。
小さく洩れたのは、発見したときも戻ったときも送った言葉。
死者の平穏を祈るそれが終わりの証。
「お疲れ様」
「お互いに」
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 ／ ＰＣ名 ／ 性別 ／ 年齢 ／ 職業】
【１１４９／ジュドー・リュヴァイン／女性／１９歳／武士（もののふ）】
【２０８７／エヴァーリーン／女性／１９歳／鏖（ジェノサイド）】
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ ライター通信 ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
初めまして。ライター珠洲です。
戦闘が描写の外で繰り広げられる流れとなりました。
お二人の関係は良いなあと思いながら、その辺りの互いの位置が上手く把握出来ているのか気になります。
設定されているイメージから大外れでないことを祈りつつお届けを。
ご参加有難うございました。
＞ジュドー・リュヴァイン様
角を届ける場面は描写の外ですが、待っていた『彼女』はさぞ安堵したのではないかと思います。
なんとなくエルザードに到着するより早く男に追い付きそうな気がするのですが、じりじりと怒りを堪えて追跡されていたのかと考えてみると非常に申し訳ない気持ちです。
|
|
