<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


彼女の安らぎはどこに 〜Where〜

 2人が帰って来た時、精霊の森はいつになく暗く、不安げな雰囲気をかもしだしていた。
「どうしたのだろう……?」
 エル・クロークは少女セレネーの手を引きながら、ざわざわとざわめく森の木々を見上げた。
 セレネーは隣で同じように森を見上げて、
「……森が、心配してる、の」
 とつぶやいた。

 ■■■ ■■■

 セレネーの背中にある不死鳥の刻印について調べるため、クロークはセレネーを魔女たちの里へ連れて行った。
 色々なことが分かった。とりあえず長居するとセレネーが発狂するとまで言われてしまったため、クロークはいったん森に帰ってきたのだ。
「本当はもう少し話を聞きたかったけれど、魔女殿の忠告は真摯に受け止めなくてはね」
 セレネーに聞こえないよう、クロークは独りごちていた。
「ひとまずは森へ帰って、今回の旅で得た情報をクルス氏に報告しよう。これからどうすればいいか、その後にまた考えればいい」
 クルス・クロスエア。現在のセレネーの保護者。
 そしてセレネーの背の刻印に触れて、呪われてしまった彼。
 精霊の森の守護者という肩書きを持つ彼は、基本的には精霊の森から移動しない。
 ――呪われてからはさらに活動しなくなったと、彼は自嘲気味に笑っていた。
「……長老から伺った刻印の呪いを解く方法は、出来ればすぐに試してみたいな」
 彼は人前で呪いで苦しんでいるところを見せることは滅多にない。が、セレネーが……泣く。
 さすがに同じ小屋に住んでいるセレネーの前では、隠しきれないのだろう。エルザードのはずれに住んでいる薬師の薬で抑えているというが、それも時間制限がある。
 クロークは、セレネーに微笑みかけた。
「クルス氏は治るよ、きっと」
 セレネーはクロークを見上げ、すがるような目をした。
「こういったことは早い方がいいだろうから」
 急いでクルスの元へ行こう。クロークはセレネーをつれて、いつもよりもざわめいた森の中へと足を踏み入れた。


 なぜ、森がざわついていたのか――
 理由はすぐに分かった。
「……っクルス!」
 森に唯一ある小屋を開けて、何かを目にするなりセレネーは切羽詰った声で保護者を呼びながら飛び込んだ。
 クロークは、奥にひとつだけあるベッド――いつもセレネーが使っているはずの――に、肝心の森の守護者が寝転がっているのを見た。その胸が、異常なほど不規則に上下している。
 クロークたちの方を見向きもしない。己の胸元をかきむしり、悶えている。
「クルス、クルス……っ」
 セレネーがクルスの傍らで泣きそうな声を出した。
 呪いの発作が起きている――?

 ――呪いの原因は『燐』だ。『燐』を二酸化炭素で燃やせ――

「……袋。紙袋……」
 クロークは小屋を見渡す。しかしそこは他人の家、詳しくは分からない。
「セレネー嬢!」
 仕方なく、我を失っている少女に声をかけた。「この小屋には紙袋はないかい!」
 セレネーは振り向かない。クロークは近づいて、セレネー嬢、ともう一度呼んだ。
「彼の呪いを解くために必要なんだ。お願いだから僕の話を聞いて」
 ようやく、セレネーは赤い瞳をクロークに向けた。
「紙袋はないかい」
 クロークは再度尋ねる。
 たまに、街にセレネーやもう一人森に住んでいる人間がお遣いにくることがある。その際に紙袋等は手に入っているはずだった。
 セレネーは握っていたクルスの手を離した。クロークはベッドの上の青年を見る。
 顔が土気色になっている。ぜい、ぜいと、呼吸が荒く、胸元をわしづかむ手がぶるぶると痙攣していた。
 セレネーは立ち上がり、棚の方へと行った。
「セレネー嬢、彼の口を塞げる程度の大きさがいい」
 聞こえたかどうか分からないが、セレネーは棚をがさがさとあさっている。
 その間に、クルスの森の色の瞳が、クロークを映した。
「……クロー……ク……」
「意識はあるんだね。……しゃべらなくていいよクルス氏。魔女たちから呪いを解く方法の一端を聞いてきたから」
「………」
「呪いは『燐』のせいなんだそうだ。それを二酸化炭素で燃やせと言われたよ」
 にさん……と青年は言いかけて、苦しそうに大きく息を吸う。
 人間の生命維持本能だろうが、それでは逆効果なのだと、クロークは思った。
「クローク! 紙袋!」
 セレネーががさがさっと音をさせて紙袋を持ってくる。
 ちょうどいい。クルスの口元をちょうど覆ってくれるサイズだ。
 クロークはそれをクルスの口元に寄せた。完全には覆わない――少し隙間を開けて、呼吸の妨げにはならないようにする。
 すう、はあ、と紙袋がクルスの呼吸に合わせて膨れたり縮んだりした。
 セレネーがはらはらと自分の胸に手を置いて、保護者の様子を見ている。
「ゆっくり落ち着いて呼吸して」
 クロークは言い聞かせる。
 これは過呼吸症候群と呼ばれる症状を治す時と同じ方法だが、こっちは呪いだ。簡単には発作はおさまらない。
 すう、はあ。
 すう、はあ。
 ……途方もなく、長い時間。
「クルス……」
 セレネーはとうとう泣き出していた。
 クロークは、さすがに忍耐のいる作業だと内心苦笑していた。――精霊である彼に、疲れはないからいいけれど。
 時間をかけてでも、呪いが解けるのならいい。
 それだけの価値があるということだ。
「セレネー嬢も落ち着いて。あまり、クルス氏に心配かけちゃいけないよ」
 紙袋を青年の口元から動かさないようにしながら、隣の少女にも気を配る。
 言われて、セレネーはぐいっと涙を手首で拭った。
「泣か、ない」
「いい子だね」
 すう、はあ。
 すう、はあ。
 すう、はあ……

 ゆうに数時間、経っていたに違いない。
 ようやく、クルスに変化が現れた。痙攣していた手から力が抜けた。もう震えていない。
 顔色も随分とよくなってきた。
 呼吸の乱れも――
 落ち着いてきた。
「クルス氏。落ち着いてきたかい」
 問いかけると、クルスは疲れた顔で微笑んだ。紙袋を持つクロークの手を少しのけて、
「ありがとう……」
 と囁くような声で言う。
「クルス!」
 セレネーが今度は喜びで泣き出した。クルスは手を伸ばして、彼女の白い髪を撫でた。

「……薬なしでここまで楽になったのは初めてだよ」
 寝転がったまま、クルスは息をつく。
「では魔女殿の言葉は確かだったのだね。今後も同じことを繰り返せばきっと呪いは完全に消えるのじゃないかな」
「ああ……『燐』か。なるほど……」
 額に腕を乗せて、彼は視線を天井に飛ばしていた。
「フェニックス……燐……グラッガの言っていたセレネーの中の……なるほど。燐、か」
「やっぱりクルス氏には分かるかい。……魔女たちの長は、セレネー嬢の刻印の元素である『燐』が、セレネー嬢の中にある『燐』と結びついて、生命を生み出しつつあるのではないかと懸念していた」
「生命……」
 クルスは眉根を寄せる。「……フェニックスか」
「あるいはそうなのかもしれない」
 クロークは濡らした布巾を持ってきた。クルスの腕をどけて、彼の額に乗せてやる。
 ありがとう、とクルスは礼を言った。
 セレネーは泣き疲れて、クルスの片手を握ったままベッドの脇で寝てしまっている。
 その小さな頭を撫でながら、クロークは小さな声で話を続けた。
「ロエンハイムという町を知っているかい?」
「―――」
「どうも、セレネー嬢と深く関わりがあるらしいのだけれど」
 クルスはしばし黙った。唇を引き結んでいる。これは、何か反応がある。
 天井に投げていた視線を下ろして中空で揺らした後、
「……すまないが、本棚から本を取ってくれるかな」
 と彼は言った。
「構わないよ。どの本だい?」
 クロークは本棚の前に行き、クルスの指示通りの本を探した。右から3つ目の本棚、下から2段目、厚さ2cmほどの赤茶色の背表紙――
 魔術書だ。なぜこれが必要なのか分からなかったが、クロークはそれを引き抜きべッドへ持って行った。
 クルスは器用にそれを胸の上に立たせるように置き、片手でぺらぺらめくっていく。
 そして、あるページで止めた。
「……これだ」
 クロークはそのページを覗き込んだ。
 フェニックスの――刻印があった。いつか見た、セレネーの背にあるものと同じ、だ。
 その刻印が描かれたページの横の説明書きに、クロークは確かに見た。
 ――ロエンハイムの守護神、紅き不死鳥。
「ロエンハイムの守護神……」
 なぜかその言葉がずっしりと重い。
 ではセレネーは、その守護神に『護られて』いるのか?
 その問いを口にすると、クルスはゆるゆると首を振って、
「分からない……だけどね」
 ぺら、と1枚ページをめくる。
 そこに、『ロエンハイムの歴史』と題された文章があった。
 クロークは文字を目で追った。ロエンハイムは、もう200年も前に滅んだ都市だった。どうりで、200年近く生きているクロークが知らないはずだ。
 とある夜に、一瞬にして消えた謎の都市――と、表記されている。
「これは、どういうことだろう?」
「他の文献を見るとね。一説にはこうある。……不死鳥の逆鱗に触れて、制裁されたと」
「……そんな馬鹿な」
「あくまで一説だ。けれど一夜にして滅亡したのはどうやら本当らしい」
 よくある文明崩壊の歴史だ。昔から、文明とは不思議なほど忽然と消える。
「セレネー嬢は何者なんだ……?」
 クロークは指先をあごにかけた。「ロエンハイムの人間なら、200年も前の人間ということになる」
「ああ。どうやらセレネーは刻が止まっているらしくてね……刻印のせいだと、思うんだが……」
「記憶を封じられているだけではないのだね」
 クロークは難しい顔をする。もし――、セレネーの刻が200年も前に止められたものだとしたら。
「……刻印を解除した途端、彼女が消滅したり……するんだろうか?」
「……その可能性も、ある」
 森の守護者は否定しない。
 クロークは胸の奥に嫌な鉛の感触を覚えた。
「魔女の里の者たちはなぜロエンハイムを知っていたのかな」
「魔術の最高峰と言われた町だからな。もっとも、ロエンハイムの者自身は不死鳥の力を借りた力と考えていた、らしいが……」
 それはある意味で事実だろう。彼らは不死鳥の刻印などという術を持っていたのだから。
 否――
「セレネー嬢のこの刻印はロエンハイムの誰かが施したのだろうか、それとも、まさか不死鳥自身が――」
「それも分からない」
 吐息とともに、森の守護者は言った。
 そう、彼にも分かるはずがないのだろう。彼だって、不老不死になってからまだ200年も経っていない。ロエンハイムという都市を知らない。
 クルスはふとクロークを見た。
「確か北東の、山脈にある魔女の里に行ったんだったね?」
「そうだね」
「あそこの魔女の里は歴史が古い。200年以上生きている魔女がいるかもしれない」
 言われて、クロークは長老を思い出す。
 金色から銀色へと色を変える、たゆたう長い髪。
 セレネーと同じ、赤い瞳。
 ――彼女は何年生きているのだろうか?
「そう言えば彼女たちは何年生きているのか尋ねなかったな……」
 クロークは腕を組む。今度行ったら尋ねてみようか。
 ひょっとしたらロエンハイム自体を知っている魔女がいるのかもしれない。
 しかし、とクロークはふと目を伏せた。
「……セレネー嬢のためには、一体どうするのが最善なのだろう」
「セレネーはこの森が……気に入っている」
 本を閉じて、クルスは嘆息した。
「本人も、記憶を取り戻したいと言ったことはない」
「ならば触らない方がいいのだろうか」
「……ただ、刻印に恐れを抱いている。自分の背に。セレネーは確実に、それに縛られているんだ」
 そして。
 今、分かっていること。
 ――セレネーの中で、『生命』が生まれつつあるかもしれないということ――
「……放っておく、わけにも、いかないらしい」
 クロークと同じ想いなのだろう、クルスは再び嘆息した。
 それから彼は、ついと視線を暖炉にやる。
「すまないがグラッガ、今インパスネイトする気力はない――ああ、言葉で伝えるから」
 暖炉の精霊グラッガ。以前、セレネーの体に宿った精霊。
 セレネーの中に、何か異質な「熱」があると教えてくれた精霊。
「グラッガ氏が何か言っているのかい?」
「……あの『熱』は危険だと」
 クルスは代弁した。「セレネーの体を内側から焼くかもしれない……と」
「―――」
 しかしね、とクルスはつぶやく。
「刻印を解除して……記憶が戻ったら……セレネーは自分の居場所を見失うかもしれない。どれだけこの森にいてもいいと言っても」
「………」
「むしろ、この森の記憶を忘れるかもしれないな。記憶喪失は往々にしてそういう時がある」
「そうだね」
 記憶が戻った時、記憶を失っていた時の記憶があるかどうかは分からない。
 もし、記憶が戻って、森の記憶を失った時。
 そしてロエンハイムがすでに滅んでいるのを知った時。
 彼女は、どこに行けばいいのだろう?
「森は、いつでもセレネーを受け入れる……」
 森の守護者は囁いた。自分の手をぎゅっとつかんだまま放さない少女を見やり。
「しかしセレネーが、森を受け入れるとは限らない……」
「それでも」
 クロークは心の奥の鉛の味を苦く感じながら、つぶやいた。
「セレネー嬢が内側から危険に侵されている。放っておけない」
「……そうだな」
 クルスは同意した。
 どんなことがあっても、僕はセレネーのための居場所を用意する――と。
 彼は、そう誓って。
「ならば僕は、セレネー嬢の身を護ろう。心を護ろう」
 クロークは宣言した。
 そして、眠りについている姫の髪を、そっと撫でた。


 彼女の居場所はどこにある?

 Where...

 いつだってここに。

 If you need...

 だから僕は――


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3570/エル・クローク/無性/18歳(実年齢183歳)/調香師】

【NPC/セレネー/女/外見年齢15歳/精霊の森居候】
【NPC/クルス・クロスエア/外見年齢25歳/精霊の森守護者】

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■         ライター通信          ■
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エル・クローク様
こんにちは、お世話になっております、笠城夢斗です。
セレネーの謎解きシリーズ、楽しんでいただけていますでしょうか。
ひとまずはクルスの呪いを解いてくださってありがとうございます。
セレネーに関するノベルは、シチュノベでもゲーノベでも構いませんので、どちらからでもお入り下さいませ。
またよろしくお願いいたします。