<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


謎と謎の合間に

 精霊の森は常緑樹の森だ。その木々は、大元となる樹の精霊ファードに何かない限り、決して枯れることはないのだという。
 花を、つけることはない。
 けれどそんなことは必要ないのだと、森の守護者も――そして、精霊ファード本人さえも、言った。

『クローク……セレネーがお世話になっているようですね』

 擬人化して目の前に現れた褐色の肌の女性は、ふわりと柔らかく微笑んだ。
『ありがとう……セレネーのために、その心を砕いてくれて』
「いや。僕は僕の好きなようにしているだけだから」
 と、エル・クロークは苦笑して首を横に振った。
「ファードー」
 彼の隣から、十代半ばほどの外見を持つ少女が、無邪気にファードに駆け寄り抱きつく。
 彼女の名前こそがセレネー。否、セレネーと呼ばれる少女だ。たゆたう長く白い髪に、赤い丸い瞳がらんらんと輝く儚げな少女。
 樹の精霊だけに体の硬いファードの胸元に顔をすりよせて、白い少女は幸せそうに笑っている。
 それを見たクロークは破顔した。……この森には、彼女の愛するものがある。

 不死鳥の刻印をその背に持つ記憶喪失の少女、セレネー。
 彼女の謎を解くため、クロークは行動していた。
 まず、彼女を連れて魔女の里へと行ってみた。
 そこで手に入れた情報――ロエンハイム、という滅びた町。
 そして、不死鳥の刻印の副作用……

「クルス氏。体調は大丈夫かい」
 セレネーがファードに抱きついているのをひとしきり眺めてから、クロークは斜め後ろにいた青年を振り返った。
 緑と青の入り混じった髪、眼鏡の奥の森色の瞳。精霊の森の守護者たるクルス・クロスエアは「ああ」と軽く微笑んだ。
「ありがとう。……大分楽だよ、今日は」
 彼は魔術師であり――
 セレネーの背にある不死鳥の刻印に触れたことで、呪われた。
 ほんの3日前までは、苦しみに苦しみを重ねてベッドから動けなかった彼も、今ではこうして彼の能力――精霊を擬人化させる≪インパスネイト≫が使えるほどになっている。
 それもこれも、魔女の里で、クロークが呪いの解き方を教えてもらってきたからだった。クルスを親代わりと思って懐いているセレネーはクロークに心から感謝し、ますます彼に笑顔を見せるようになった。
 呪いがまだ抜けきったわけではないが、呪いの解除法を繰り返せばやがて消えるだろう。そのことについては、クロークもほっとしている。
 そして、ベッドから立ち上がり、軽く運動も出来るようになった青年にクロークは頼みごとをした。
「セレネー嬢と仲の良い精霊と触れ合ってみたいな」
 と。
「すぐにまた旅立っても良いのだけれど、クルス氏の経過と、セレネー嬢の体調が気になるし――」
 そこで笑って、
「何より僕自身がここらで一息つきたくてね」
 クルスは了承した。「セレネーと仲がいい精霊か……」と彼は色々考えたようだった。
「セレネーは、どの精霊にも懐いているからなあ。強いていうならファードかグラッガか……」
「樹の精霊と暖炉の精霊かな?」
「そう。ん?――グラッガは嫌がっているな」
 小屋の中でしゃべっていたから、その会話は暖炉の精霊に聞こえていたのだ。暖炉の精霊グラッガと言えば音に聞こえた「外嫌い」である。
 擬人化させられるのも好きではないらしい。クロークとしては、グラッガの方に興味があったが、今回は大人しくファードと会わせてもらうことにした。
 癒しの精霊でもあるファード。そのまとう空気は、柔らかく優しく、肌に鳥の羽根が触れるようにくすぐったくて心地いい。
 そんなファードにすりよっているセレネーに視線を戻しながら、クロークはクルスに話しかける。
「この森で暮らすあなたたちの日常について、話を聞かせてくれると嬉しいな」
「うん?」
「……僕に言われるまでもなく、いつだってクルス氏や、精霊たちはそうしているだろうけれど……」
 クロークは軽く目を伏せて、
「セレネー嬢の居場所はきちんとあるのだということを、改めて彼女の心に刻むことが出来れば」
 心底優しい気持ちになりながら、言葉を紡いだ。
「この先何かあった時、彼女の心に掛かる負担は少なくなるんじゃないかって」
 ロエンハイム、という名を聞いただけで、怯えた少女。
 魔女の里で少しの間1人にしただけで、泣いて暴れた少女。
 セレネーの心を突き動かしているのは、“不安”ではないかと、クロークは思う。
 ただでさえ記憶喪失なのだ。自分の謎に――触れるということ。クルスが呪われる原因となってしまったことを自責していた少女。これ以上彼女の心を壊したくはない。
「日常、か」
 クルスがふふ、とおかしそうに笑った。「この森は、刻が止まっているんだよ、クローク」
「うん。そんな感じだね」
 クロークは木々を見上げる。万年変わりのない、鮮やかな緑。
「精霊は歳を取らないのかな」
「そうだな……この森の精霊たちは永遠の刻の流れの中を生きている。年齢という概念を持っていない」
「なるほどね。僕は刻を刻む精霊だから、刻の流れというものには感慨深いものがあるけれど……」
「感慨は、あるだろうと思うよ」
 クルスはどこか悲しげに口元を和らげる。
「……歴代のクロスエアたちのことを思えば、彼らはきっと悲しむ、から」
 クロスエア、とは精霊の森の守護者のことを言うらしい。
 クロークは不思議に思って、クルスに視線を移した。
「クロスエアとは、普通の人間がなるものなのかい?」
「普通の人間……というのかな。この森の精霊たちを見ることが出来くてはいけないからね」
 クルスは前髪をかきあげた。
「最初のクロスエアがどんな人物だったのかは記録にないし、精霊たちも話したがらない。ただ、クロスエアが1人死ぬと、その力が別の人間に宿る」
 そうやって、受け継がれてきた守護者の立場――
「ただ、僕は特殊体質で、前任のクロスエアがいた頃から精霊が見えていた。たまにいるんだ、そういう素質のある人間は」
「それで――」
「それで、前任のクロスエアが亡くなったときの精霊たちの悲しみを見た」
 吐息がひとつ。
 彼の双肩にかかったものは、重かった。
「だから……僕はクロスエアを継ぐと決めたとき、自分の寿命も捨てることを決めた……」
 後悔はしていないよ、と年齢不詳の青年は微笑む。
「精霊たちの日常はいつだって単調だ。でも僕の来訪で、それが大きく変わってしまったようだな。彼らを刺激するものが多くなった」
「それはクルス氏自身が望んだことじゃないのかい?」
「まあね」
 その返事に、クロークはふふっと笑う。
 それから、セレネーとファードに歩み寄った。
「改めてこんにちは、ファード嬢。今日は、色んな話を聞きにきたんだけど」
『話……ですか?』
「何のお話ー?」
 セレネーが瞳を輝かせながらクロークを見た。クロークは微笑して、
「セレネー嬢や精霊たちが、普段何をしているのかを聞きたいんだ」
「ふだん? あのね、遊んでるっ」
 少女はぴょんぴょんと飛び跳ねた。スカートがふわりと浮かんだ。
「セイーとマームとはー、水浴び! ウェルリにはね、お話してあげるの! それからそれからフェーとは一緒に歌いながら踊って、ラファルは、うーん、ラファルは私から逃げちゃう」
「おや? それはどうして」
『ラファルはかわいい女の子が苦手なのですよ』
 ファードが目を細めて微笑んだ。
 途端に、ひゅうとその場に風が吹き荒れた。
 クロークが慌てて帽子を手で押さえて「なんだい……?」とつぶやくと、
「ラファル、図星を指されたからって暴れるんじゃない」
 クルスが目を閉じたまま眉間にしわを作り、嘆息した。
「ラファルの風だっ」
 セレネーが無邪気に喜ぶ。
 びゅうびゅうと風は止むことを知らない。
 クロークは帽子を押さえたまま、虚空をきょろきょろと見渡してみた。風の元を探して。とは言っても、精霊である彼にもこの森の精霊は見えないのだが。
 森の木々がざわざわと音を立てる。
 静かだと思っていた森にも、こんなに音があふれている。
 ――この森はこうやって会話をしているのかな。
 とりとめもなく、そんなことを思った。
 セレネーは、それに包まれて生きているのか。
 会話の途絶えない、この森に包まれて生きているのか。
 風がようやく止んだ。
「ああ、逃げたなあいつ」
 クルスが呆れた声でつぶやく。
「……音に、あふれているんだね、この森は」
 クロークが微笑すると、セレネーが腕に抱きついてきた。
「音ね、音ね。水の音もするよ? 焚き火の音もする。耳をすましてみて?」
「セレネー嬢……」
 クロークはそっと目を閉じてみる。
 ざざざ……とまず耳をかすめていくのは、梢の音だ。
 その奥に――さらさらと聞こえるのは、水の、せせらぎ?
 ぱちん、と弾けたのは焚き火の火だろうか。
 意識の奥でそれらの音は、不思議と響いて聞こえた。
 精霊たちの、声――?
「こうやってねえ、目を閉じてるとみんながしゃべってるのが聞こえるの……」
 セレネーはクロークに体をすり寄せながら、同じように目を閉じていた。
「みんなのおしゃべり。……何を言ってるのか分からないけど、みんな楽しそうなの」
「そうだね」
 クロークは瞼を上げて、セレネーの髪を撫でる。セレネーは嬉しそうに、ふふっと笑った。
「クローク、あったかい。精霊たちと同じ」
 ――そう言えばセレネーは、クロークが精霊であることをしっかりと認識していただろうか――
 言わなくてはならない気がした。騙すような結果になるのは――嫌な話だ。
「あのね、セレネー嬢――」
「ううん、いいの」
 セレネーは頭を振った。「クロークが誰でもいいの」
「―――」
「クロークはおともだちなの。だからいいの」
「セレネー嬢……」
「この森の精霊たちは――」
 セレネーは目を開けて、木々を見上げる。軽く目を細めたようだった。赤い瞳は、何を見つめているのだろうか。
「クルスが、教えてくれた。家族、なんだって。森に帰ってきたら――みんなが私を、おかえりなさいって迎えてくれる」
「………」
「ルゥはね、私といつもお菓子を取り合うの」
 この森に棲みついているミニドラゴンの名前を出し、くすっと少女は笑った。
「私に追突してきて、いっつも抗議してくるの」
「……ルゥがかわいいかい?」
「うん!」
 セレネーの顔に花が咲いた。
 クロークはほのかな喜びを感じながら、さらに言う。
「この森にはスライムもいたね。彼らも好きかい?」
「大好き!」
 だってね――とセレネーはその場でくるんと回った。
「精霊たちも、ルゥも、スライムたちも、みんなみんなあったかいの!」
 ああ――
 大丈夫だ、とクロークは微笑する。
 大丈夫、この子の居場所はちゃんとここにある……
 きっとこの子も、それを忘れることはない。
『安心して、クローク』
 まるで見透かしたように、ファードが囁いた。
『この子は……この子も、私たちの森の、子供です』
「その、ようだね」
 クロークは帽子を目深にかぶって表情を隠す。
 口元が笑んでいるのだけは、隠せそうになかったけれど。
 クルスが横に立ったのが分かった。
「クローク?」
「……これからもう一度、魔女の里へ行こうと思う」
 すう、と大きく息を吸い込むと、森の清浄な空気が体に染み渡った。
 まるで心まで洗われるような、清らかな感覚。
「ロエンハイムと、刻印の解除について調べる為に」
 クルスは何も言わなかった。止めることはない。
 セレネーのために、などと偽善者ぶるつもりはない。
 セレネーが離れていくかもしれなくても。

 ――このままでは内側から、セレネーの体は壊れる。

(単純に、それが嫌なんだ……)
 それを自覚していた。だから、行動することを決めた。
 セレネーの心のよりどころをこの目で確かめた。もう不安はない。
「行こうか、セレネー嬢」
 手をつないだ。
 セレネーが無邪気にクロークを見上げたのが分かった。
 微笑みを返して、クロークはつないだ手に力をこめる。
「魔女の里へ、もう一度行こうね」
 セレネーは当惑したような表情を作った。不安がきっと彼女の中にある。
「僕が必ず、護るから」
 言いながら少女を抱いた。
 胸の中で、くすぐったそうに白い頭が動いた。
「……うん!」
 元気な返事を聞き、ようやく2人の心はつながった――

 行こう。再び、あの里へ。
 謎を解く鍵を求めて。

 森の梢が2人を包む。
 帰ってくる場所はここにあるから――


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3570/エル・クローク/無性/18歳(実年齢183歳)/調香師】

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■         ライター通信          ■
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エル・クローク様
こんにちは、笠城夢斗です。
セレネー編、続けてのご発注ありがとうございました!お届けが遅くなり申し訳ございません。
今回は小休止でしたが、いかがでしたでしょうか。
また次回から話が動くことになるかな、と予想しております。
続きもよろしくお願いいたします。