<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


走り出すその一歩

 精霊の森に、覇気がない。
 訪れる人もいない。
 それもこれも、原因はひとつきり。

 精霊の森の守護者、クルス・クロスエアが呪われた――

 床に臥せる彼の看病をしていた千獣は、色々と考えたのち、決心した。
「……クルス……」
 エルザードの街のはずれに住んでいる薬師。彼に作ってもらっている薬によってかろうじて熱がおさまっている状態のクルスの手を、千獣は握る。
「クルス……?」
「……何だ、千獣……」
 苦しげな息づかいをしながらも、クルスは微笑みを返す。
「……あの……苦しい、と、思う、けど」
 千獣は彼の苦しみを己の苦しみのように思いながら、それでも一生懸命話しかけた。
「聞かせ、て……今、の、クルス、の、状、態……」
「………」
「私が、治す……だから、聞かせ、て……」
 愛しくてたまらない人だから、このまま苦しくさせてはおけない。
 愛しくてたまらない人だから、この手で救ってあげたい。
 ……救って?
 千獣は少しだけ、切なく微笑んだ。――自分以外のものは屠るかそうでないか。そんな考えではなく、他人を救おうと思えるようになったのはいつからだっただろう……
 握っていたクルスの手に軽く力が入り、握り返してくれた。
「……俺はセレネーの背に触れて、呪われた……セレネーの背には、赤い不死鳥の刻印がある……」
「うん……」
「あの刻印は」
 クルスは大きく胸を上下させた。
「魔術――だ。記憶を封じる、ための」
「………」
 セレネー。記憶喪失でこの森に転がり込んできた少女。
 その華奢な体の背中に、赤い不死鳥の図柄があることは、千獣も知っていた。
 ただ、触られることはセレネーが極端に嫌がった。今回は――「セレネーの体に負担がないかどうか、確かめるためだよ」と、クルスが無理を言って触ったのだ。
 あの瞬間を、千獣はよく覚えている。
 セレネーの背に翼が生えたように赤い光があふれ、クルスはそれに包まれて、次の瞬間には床に倒れ伏していた。
 あれ以来。高熱を出して倒れ、エルザードの街はずれに住むクルスの師匠による薬を飲んでいてさえも、日常生活がままならない青年。
 ……不老不死であるはずの彼の体から、生命力が流れ出しているようで、千獣は焦燥感にかられていた。
「魔術……記憶、を、封じる、ため……」
 その言葉を繰り返す。
 セレネーは人工的に、記憶喪失にさせられているというのか。
「俺は……今、熱と……手足のしびれと……呼吸困難が主な症状か、な……」
 クルスはぼんやりと天井を見上げていた。
 まるで何かを諦めているかのようで――
 千獣は強くクルスの手を握って、ふるふると頭を振った。
「治す。必ず、治す。クルス……気を、強く、持って……」
「うん。――ああ」
 千獣はクルスに口付けた。優しい優しい、小鳥がついばむようなキス。
 暖かいぬくもりは確かにあって、ほっとして彼女は顔を離した。
「それ、じゃ……私、おんじの、ところ、行ってくる……ね」
「師匠の?」
「クルス、の、容態……よく、聞きたい、から」
 エルザードの街はずれにいる薬師。かの老人に尋ねれば、また違う情報も得られるだろう。
「だから、しばらく、留守に、する……ごめん、なさい」
「いや、いいよ。……ありがとう」
 もう一度唇を重ねてから、千獣はそっと体を起こした。

 ■■■ ■■■

 背に翼を生やして、急いでエルザード城下へ向かう。
 そこからさらに街はずれへと道をそれ、やがて1つのほったて小屋へたどりついた。
 千獣は扉の前に降り立ち、翼をしまって扉を叩く。
「誰だ?」
 中からぶっきらぼうな声がした。
「あの……ギシス、の、おんじ……」
「……なんだ、あんたか」
 入ってきなさい――と声音が変わって招き入れる声がした。千獣はゆっくりと横開きの戸を開けた。
 中にいたのは、ぼろぼろの服装で薬草を調合している老人。手を休めず、千獣の方を見もしないが、拒絶している気配はない。
 千獣はゆっくり歩み寄った。
「おんじ……」
「どうした? クルスの薬はもう切れたか。新しいのを作るのには少し時間がかかるんだが」
 千獣はゆるりと首を振る。
「そう、じゃ、なくて……今日は、おんじ、に、訊きた、い、こと、が、あって……」
「わしにか?」
 ギシスは初めて手を止めて、千獣を見た。千獣はもう彼の傍らまで来ていて、その場に片膝をついた。
「おんじ……おんじ、から、見て、クルスの、容、態……どう……?」
 ギシスの表情が曇る。「あんた何を考えとる」と千獣の顔を見て心配そうに言った。
「私……」
 千獣は胸の前で、手を合わせる。
「私、の、手で……クルス、を、治し、たい……」
「嬢ちゃん……」
「おんじ、教え、て」
 千獣はぐいと迫った。
 ギシスはたまに精霊の森に自ら足を運んでくれることもある。クルスの容態を見て知っているのだ。
 老人は鼻の上にしわを寄せて、
「……あいつに飲ませている薬はなあ、嬢ちゃん。特殊な草を使っとるんだ。魔術師がよく使う草だな。魔力を秘めとる」
「魔、力……?」
「高熱に手足のしびれ、それから呼吸困難……この症状だけを見ると、普通の人間なら過呼吸症候群と見るところなんだが」
 ひとつ、吐息。「どうもやつのあれはそれとは違うらしい。わしは魔術師ではないから分からんが」
「でも、おんじ。おんじ、分かって、る、から、薬、ちょーごー……できる……」
「あの草の使い方自体はひとつしかないことを知っておるからな。あれはな」
 あぐらをかいていた足を組み直し、ギシスは言った。
「魔力を抑える草なんだよ」
「……抑え、る……?」
「それ以上は分からん。それ以外にはわしはあの草に解熱剤を混ぜることしかしとらん」
 老人は首を振る。千獣は唇に手を当てた。
「……何の、魔力、を、抑えて……るの……?」
「さて……何の魔力なんだろうなあ。あれ自身の魔力なのか、他人の魔力なのか……そこまではわしの領分ではなくてな」
「………」
 千獣は視線をさまよわせる。
 クルスは魔術師だ。それは分かっている。
 そして、セレネーの背の刻印も魔術だ。それも分かっている。
 ――どちらの魔力だ――?
「おんじ……」
 すっくと立ち上がって、千獣は老人を見下ろした。「……その草、今、ある……?」
「ん? あることはあるぞ」
「少し、で、いいから……ちょう、だい……」
「わしは構わんが……いいのか? クルスのために作る薬が減る」
「……草の、ある、場所、さえ、分かれ、ば……また、私、が、採って、くる……」
 今は急いでいるから――
 そう言うと、ギシスは立ち上がり、たくさんある棚の中からとある乾いた草を数本取り出した。
「これだ。名前はリーンの草」
「リーン……」
「魔術師の中では有名だそうだ。嬢ちゃん、魔術師の知り合いはおるんか」
「魔術、師」
 千獣の脳裏に閃いた人物がいた。その人物は確かに魔術を扱える。
 ただし――あてになるかどうかは、はなはだ疑問だったけれど。

 ■■■ ■■■

 スノーフォール家という家は、音に聞こえた金持ち、らしい。
 千獣がその家を探して人に尋ねたとき、人々は口を揃えて「なんで知らないの?」と笑った。
 そんなに有名だとは知らなかった。千獣は首をひねりながら、教えてもらったその家へと向かった。
 そして――目をぱちくりさせた。
 門扉の向こうに、肌色のレンガ積みのどでかい屋敷。民家5つ分くらい軽く入りそうだ。
 千獣がどうしたものかと門の前で立ちすくんでいると、
 突然の爆発音。
 ――何だかよく知っている気配を感じた気がして、千獣はため息をつく。
「何、で……自分の、家、まで……爆発、させる、の……?」
「突然やってきて何を口出してるじゃーん! って、あ?」
 もくもくと上がる煙の中で怒鳴った青年は、そのブロンドの髪にかかったすすを手で払いながら千獣を見た。
「なんだあんたか。何の用じゃん?」
「トール……」
 トール・スノーフォール。自称・クルスのライバル。
 れっきとした魔術師だ。しかも魔力自体はクルスを超えるという。ただし……その使い道が色々と間違っていることでクルスの周辺住民には有名だ。
 彼は普通の人間ではないという。月雫の民という……人間より遥かに長寿な血筋。
 彼の手を借りるのは、何だか空しい気もしたけれど。
 ――これを機に、彼と向き合ってみるのもいいかもしれない。
「……トール……」
 千獣は門に手をかけた。トールは腰に手を当てて歩いてくると、
「何の用じゃん?」
 ともう一度訊いてきた。
「……クルス、の、ことで……」
「クルスの?」
「………」
 手に持ったリーン草を見せると、トールは少し考えた後、あっさりと門を開けてくれた。

「リーン草じゃん」
 庭のあずまやに通され、涼しい風に当たりながら、2人は話しこんでいた。
「この草をクルスに飲ませてんの?」
「そう……」
「ふうん。魔力抑制じゃん」
 トールも一度だけ、クルスが寝込んでから森に来たことがあった。そのときはあわてふためいて、本気でクルスの心配をしていたものだ。
 千獣は改めてトールに話した。クルスが寝込んでいる原因。セレネーのこと。クルスの容態のこと。ギシスのこと。
 そして、
「ねえ……魔術、師、と、して……どう、思う……?」
「んん?」
 リーン草をもてあそんでいたトールは、唇をひん曲げた。
「どう思うったって……そのまんまじゃん?」
「……その、まん、ま?」
「クルスはセレネーの体に宿ってた魔力にあてられたんじゃん」
「――魔力、に、あてられ――?」
「ああ、だからなんてえの? クルスの持っている魔力と、セレネーが体に宿してる魔力は別のもの。セレネーの魔力は、他人が触ると毒になるんじゃん」
「セレネー、の、魔力……って……」
「その、背中の刻印ってやつだろ」
 当たり前のようにトールはそう言う。
 千獣は冷静に考えようと努めた。
 セレネーの背中の刻印の魔力は、他人が触れると毒になる。ということはクルスは、呪いというよりは毒に侵されているのだ。
「リーン草で症状が和らぐっていうんなら、魔力関連なのはまず間違いないじゃん?」
 トールが嘆息する。「まったくクルスともあろうやつが、情けないじゃん〜」
「……治る、見込み、ある……?」
「んー? 毒……つーか、セレネーの魔力をクルスの体から抜けばいいんじゃん」
 千獣はじっとトールを見つめた。
「どう、すれば、いい……?」
 真剣そのものの千獣の瞳に、トールは気後れしたかのように体を後退させた。
「ええ……と。そーだな、魔力を移し変えるのが一番?」
「移し、変え?」
「じゃん。誰かが吸い取るとか、誰かの体に移すとか」
「―――」
「セレネーが自分で吸い取るのが一番じゃん。でもセレネーがそんなに器用だとは思えないからなー」
「セレネー……」
 トールが腕を組んで考え込む。その隣で千獣はうつむいた。
 セレネーの魔力。毒? あの子の体が、そんな。
 まるで毒の塊のような――
 そんなことを思った千獣は自分で自分の考えを恐れた。なんてことを考えているのだ、自分は――
 あの無邪気な子に、罪はないというのに。
「付き合ってもいいじゃん」
 唐突に、トールが言った。
 千獣が怪訝に思って青年の顔を見ると、
「ライバルがこのまま寝込んでたんじゃ、俺もつまらないじゃん。解決に手を貸してやってもいいじゃん」
「トール……」
「だから、そんな顔するなっての」
 リーン草で、トールは千獣の頬をくすぐった。千獣はひゃっと身を縮める。
 トールは笑った。
「――あんたが走り出すなら、付き合ってやるじゃん」
「………」
 千獣は何かが吹っ切れるのを感じた。

 走り出す。クルスのために。セレネーのために。
 否、自分のために。
 大切なものを守るため、ただそれだけのために――


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3087/千獣/女/外見年齢17歳/獣使い】

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■         ライター通信          ■
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千獣様
お久しぶりです、こんにちは。笠城夢斗です。
クルス解呪編にご参加くださり、ありがとうございます。
お届けが遅れまして、申し訳ございません;
この機にトールとも話し合ってくださるとのことで、嬉しかったです。
この先もよろしくお願いします。