<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


人と人との繋がりは

 その日、トール・スノーフォールが精霊の森にやってきたとき、森はいつになく楽しげだった。
「……ん? 音楽……?」
 楽の音が聴こえる。おそらくハープの。
 おかしいな、とトールは思った。
「この森に、楽器の使えるやついたっけ……?」
 音楽好きの風の精霊がいることは知っているが。
 それにしても、今日の森の梢は機嫌がよさそうだ。
 ……トールが来た割に。
 トールは腰に手を当てた。そして、目一杯息を吸い込んだ。思い切り――

「クールースー!!!」

 来てやったじゃんーーー! と大声で叫ぶ。木々が震えた。
 楽の音が、やんだ。
 そして風が吹いた。怒りの風。精霊が怒っている。
 精霊たちが森から出られないのをいいことに、森のぎりぎり外で怒鳴っているトールは、胸を張って堂々と「してやったりじゃん」とか言ってみる。
 しかし――
 肝心の、呼んだ相手が出てこない。
「クールースー!」
 再度呼んだが、出てこない。
「……クルス?」
 みたび呼んだが、出てこない。トールは首をひねった。
 と、
「クロスエアくんなら、街にでかけてるわよ」
 と声がした。
 柔らかい声音だ。男性か女性かよく分からないが、伸びやかで美しい声であることは分かる。
 そして森の奥から姿を現したのは、グリフォンをかたどった黄金のハープを手にした……男性? 女性?
 性別がよく分からなくて、トールは首をかしげた。
「お前、誰じゃん?」
「まったくぶしつけな子ね……ボクは蟠一号。クロスエアくんの友人と思ってちょうだい」
 留守を預かっているのよ――と蟠は言った。
「キミのお名前は? 確か以前にも会っているわね」
「そうだっけか?」
「……まあボクも名前忘れているあたり人のこと言えないけれど、もうちょっと遠慮を知りなさい」
「うむ」
 トールはやはり、胸を張った。
「俺はトール! クルスのライバルだ!」
「クロスエアくんのライバル……? 聞いたことないけれど」
「聞いたことなくてもライバルだ!」
 トールはむきになる。
 蟠は呆れたように、白い頬に手を当てた。
「まったくもう……おかげでボクの曲が途切れてしまったわよ。どうしてくれるの」
「曲?」
「せっかく風のフェーちゃんに、ボクの素晴らしい歌と音楽を聴かせてあげていたのに」
「ああ……」
 思い至って、トールはぽんと手を打った。「さっきのハープの音か。あんた吟遊詩人?」
「まあ、そんな感じね」
「男? 女?」
「本当にぶしつけな子ね……いいじゃないそんなことは。それより、クロスエアくんを待つの? 待つのなら森の小屋で待てばいいのじゃないかしら」
「うーん……」
 腕を組んでうなる。視線を虚空に投げた。いや――虚空だが、虚空ではない。空中のどこかにいるはずの、風の精霊を見た、つもりだったのだ。
「俺、この森の精霊に嫌われてるじゃん。うかつに入れないじゃん」
「嫌われてる……? ああ、何も言わなくていいわ。想像がつくから」
 蟠は呆れたように首を振った。それからしげしげとトールの顔を見て、
「でも……ボクはキミに少し、興味があるわね。ここで座って、話でもしましょうか」
「話すことなんかないと思うじゃん?」
「話すことは自然と生まれてくるものよ」
 ぽろん、と何気なく蟠はハープを爪弾く。ほわんと空気を包み込むような、優しい音色だった。

 森の出入り口で、蟠は大きな森の樹の根に腰掛け、トールは森の敷地内には入らないぎりぎりの場所に座り込んだ。
 蟠の周囲には常にかすかな風が吹いていた。風の精霊のフェーが来ているのだ。音楽好きの小さな精霊は、吟遊詩人を放そうとしない。
 蟠はしばらくの間、雄大な海を吟じていた。
 トールは自分の膝に頬杖をついて、ぼけっとしながらそれを聴いていた。
 ハープの音色が空気に溶けて消える。
「海、かあ……」
 トールはつぶやいた。「知らないじゃん、俺は」
「そうなの? ならボクの能力で見せてあげればよかったわね」
「そんな能力持ってんの? すごいじゃん。魔術師?」
「違うわよ」
 蟠は大切にハープを抱き抱える。意味もなく軽く爪弾いてみては、風の精霊に音を送った。
「俺は魔術師じゃん」
「そう……みたいね」
「クルスのライバルなんじゃん」
「そう言えばクロスエアくんも魔術師だったかしら」
「そうじゃん」
 トールは自慢げに言った。……なぜクルスのことを言うと自慢げになるのかが、蟠にはいまいち分からない。
「クロスエアくんのことが、本当は好きなのかしら?」
 そう尋ねてみると、トールは大げさに両腕を広げた。
「ライバルって好敵手って意味じゃん? 相手を認めてるって意味! 好きに決まってるじゃん」
「―――」
 ぽろん。また理由もなく指先が勝手に弦を爪弾いた。
「そう……好きなのね。不思議なものだわ」
 つぶやいた。
 トールがそれこそ不思議そうな顔をした。
「何が不思議なんじゃん?」
「キミとクロスエアくんの繋がりが――」
 吐息が落ちる。トールのどこまでも明るい瞳が、蟠の心に染みて暗い点となる。
「でも、クロスエアくんはたしか……キミのことを歓迎してはいなかったわねえ。前のとき」
「うるさいじゃん」
 トールはふてくされたように、足を組み直す。
 蟠はすっと目を細めた。
「――人と人は、そもそも繋がるようには出来ていないのじゃないか、なんて……」
「は?」
「思う、こともあるのよ」
 爪弾いた音。跳ねた風。蟠のなめらかな金髪がゆらめいた。
「なにおかしなこと言ってんじゃん」
 トールは肩をすくめた。「繋がらないわけがないじゃん。そのために人には心があるんだし」
「―――」
「人の心はどこまでも複雑にからみあって、いくらでも相手と繋がることも繋げることもできるじゃん」
 妙に繊細な言葉で、蟠は「似合わないわね」と笑った。
「あんた友人いないのか?」
 トールは遠慮なく訊いてくる。
 蟠は視線を落とした。腕の中のハープはきらきらと輝いていて、時々蟠自身を照らそうとしているのかと思うことがある。
「……ボクが好きなのは、手を取り合う友情ではないの。ただ同じ場所に立って同じ空気に触れること……」
「ふうん?」
「他人を理解することなんて出来ない」
 すう、とひとつ呼吸。
「でも、全てを包み込むように受け入れることなら出来るはず」
「聖人みたいじゃん」
 トールはまた頬杖をついた。「何も全部包み込まなくてもいいじゃん。理解できなくても、俺は好きだと思ったら好きだし」
「……キミは正直な人ね、スノーフォールくん」
「自分に嘘をついてどうするんじゃん? 好きって気持ちに嘘はないじゃん」
「いい子だわ」
 蟠は微笑んだ。
 風が、ふわりと蟠の頬を撫でた。フェーの風は明るい風だ。草原を渡る春風のように。爽やかで、そこに嘘偽りなど存在しない。
「クロスエアくんは、キミのその気持ちを聞いてどう思うのかしら」
「あいつは嫌がるじゃん」
 トールは顔をしかめる。「いつもいつも俺のことは無視するじゃん。でも俺は諦めないじゃん」
「懲りないとも言うわねえ」
「諦めたら、俺は嘘をついたことになるじゃん。そんなのは嫌だ」
 きっぱりと青年は告げる。
 蟠は、どこまでもまっすぐで正直な目の前の青年の姿に、心をくすぐられるような心地を味わった。
「ボクはね」
 だから、蟠自身も正直になるのだ。
「『ボクを信じろ』なんて絶対に言わない。もしも手を差し伸べられたって、取ることはないわ。だって」
 だって、それは。
 ――裏切りの始まりだから。
「未来はいつだって誰にも分かりはしない。未来のボクの気持ちだって、ボクには分からない。だから信じろなんて言えない。だから他人を信じることは出来ない」
 ぽろぽろぽろん……我知らず動かした指先。
 爪弾いた音は、寂しい音を奏でて。
「だったら」
 トールは言った。
「今この瞬間の自分を信じればいいだけじゃん」
 軽く、軽く、地面を跳ねるボールのように軽く、その言葉は空中に放り投げられた。
「今この瞬間、次の瞬間、次の瞬間、積み重ねていけばいいだけじゃん」
「少しずつ変わっていくわ」
「それが当然」
「だから信じられない」
「その一瞬一瞬は信じられるはずだ」
 急に断言するように強く言われ、蟠は押し黙った。
「……なんてさ。自分の考えは自分の好きなようにするじゃん」
 すぐに投げかけられた柔らかい声。
「自分で考えなくなったら、自分の頭の意味がなくなるじゃん」
「スノーフォールくん……」
「あんたの感覚を信じればいいじゃん。好きだと思ったら好き、信じられないと思うんなら、それはそれで仕方ないじゃん。俺は否定しない」
 トールは近場の土をわしづかみ、適当に遠くへと放り投げた。
 手を汚しても平気な彼。
 なぜかそんな姿がとても似合う彼。
 子供のような。
 けれど彼には彼の考え方があって、
 その言葉は蟠の中で曲を奏でた。
 強さという名の曲を。
「今、こうしてあんたと俺、出会ったじゃん?」
 そして、
「人と人との繋がりなんてさ……」
 トールは言葉を紡ぐ。旋律を紡ぐ。
「不確かだけど、あるんだよなあ、不思議と」
 蟠はうつむいた。金糸の髪が、蟠の顔を隠した。
 言葉が出てこない。自分は吟遊詩人だというのに。
 風の精霊の気配がした。爽やかな春風のような精霊は、蟠を励ますように周囲をくるくると踊っていた。
 胸の奥底で響く旋律は誰が奏でたもの?
 ――いつだって、心の中には誰かの言葉があって。
「……受け取れる、だから、ボクは歌える」
「じゃん?」
 トールはにかっと笑った。
 顔を上げてその表情と出会ったとき、蟠は心の底から笑いがこみあげてきた。
 肩を震わせて笑った。風の精霊に抱かれながら笑った。
 おかしな青年の、おかしな表情の前で笑った。
「キミのための歌を歌おうかしら」
 ひとしきり笑った後、蟠は言った――爽やかな気持ちで。
「迷惑なおぼっちゃまの冒険譚。面白い詩が作れそうよ」
「それどういう意味じゃん!」
 笑いながら、弦に指を当てる――

 ハープは音色を奏でる。いつでもどこでも蟠の心のままに。
 信じられるものを、そのまま形にして。
 ――人の繋がりなんて、再現もできない不確かなものだけれど、
 たまには、そんなものを吟じてみるのもいいかもしれない。この、おかしな青年と出会えたことを祝して――


 ―FIN―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3166/蟠一号/無性/外見年齢26歳/吟遊詩人】

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■         ライター通信          ■
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蟠一号様
お久しぶりです、こんにちは。笠城夢斗です。
今回はトールとの会話をご発注くださり、ありがとうございました!お届けが遅れて申し訳ございません。
蟠さんが提示してくださったキーワードへのトールの返答は、このようなものとなりました。どう感じてくださったでしょうか。
少しでも何かを残せていたら光栄です。