<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


記憶の欠片、痛みに触れて

 街外れの倉庫群に、「クオレ細工師」と呼ばれる少年がいるという。
 何でも「記憶覗き」が彼の仕事らしい。他人の記憶を覗くだなんて、趣味の悪い話だと蟠一号は話を聞いて眉間にしわを寄せたけれど。
 それは天使の広場で吟遊詩人として、蟠が日銭稼ぎをしていたときのこと。
「おいねーちゃん」
 性別のない蟠を女と勘違いした酔っ払いが、今日の仕事を終えて宿に帰ろうとしていた蟠をつかまえた。
「お前さんの過去はさぞかし栄光に満ちていただろうなあ……そんだけきれーならよ」
「放してちょうだい」
 蟠は男を突き飛ばそうとした。しかし、男は力仕事でもしているのだろう――やけに力が強かった。
 ずるずると引きずるように、蟠を引っ張り出す。酒臭い息を吐きながらも、足取りだけはしっかりしている。
「……あっちの倉庫によう、過去を見ることができるやつがいるんだってよー……俺、お前さんの過去、見てえなあ……」
「冗談じゃないわ。放しなさい!」
「……ういっく。いーから来いよ……面白いことになるだろーよ……」
 酔っ払い相手に何を言っても無駄だ。蟠は大切なグリフォンをかたどったハープだけは落とさないよう気をつけながら、抗いながらも引きずられ続けた。

 日は暮れていた。倉庫群は闇に沈み、異様な迫力を持ってやってきた人間を出迎えた。
 あくまで蟠の手首を放さない酔っ払いは、暗がりの中に人影を見つけて「おーい」と手を振った。
「ルガート。ちぃと頼まれてくれねえかあー」
「んー? サヴァリのおっさん。何やってんの」
 まだ若い少年の声が聞こえた。蟠はふっと顔を上げた。暗がりでよく見えないが、表情は明るそうな少年がひとつの倉庫の前にいる。
「こいつ吟遊詩人なんだけどよう」
 サヴァリと呼ばれた酔っ払いは、ひっくと酒臭い息を吐きながら蟠を前へ押し出した。
「吟遊詩人のよう……過去ってのぁ……興味深い、だろー……俺は、知りたくて、よう」
 少年が歩いてきた。間近までやってくると、ふいと顔を背けた蟠とサヴァリを見比べて顔をしかめる。
「この人嫌がってるんじゃないの。やめろよ、興味本位で記憶覗きなんか」
「いいじゃねえか。減るもんじゃなし」
「っていうか、おっさんに見せることなんか出来ねえよ、見るのはフィグだ――」
 大丈夫ですか、とルガートという名の少年は蟠に声をかけてきた。
 蟠はむっつりとして返事をしなかった。少年は悪くないのだが、サヴァリがまだその気でいる内は気を許せない。
 サヴァリはかっはっはと豪快に笑って、
「俺は見えなくてもいいんだよ。要は、こいつからできる『クオレ』がどんなもんか知りたいんだ」
「……クオレ……?」
 蟠は思わずその単語をつぶやく。噂では聞いていた。記憶覗きで出来上がるクオレ。クオレ細工師。
 倉庫の中にいるという――
「な、な。ルガートよ。クオレを作るぐらいいいじゃねえか。なあ吟遊詩人さんよ、いいクオレが出来たら高く売れるぜ。生活費に困らなくなるぜ」
「そういう勧誘の仕方はよしてくれよおっさん」
 ルガートは渋面を作っていた。
 クオレとは何なのか、蟠にはよく分からなかった。
 だが、売り物に出来るとなれば少しは違う。生活に困っているわけではないし、吟遊詩人の仕事が嫌なわけでもないが、この頃天候が悪い。のどにくるのだ。
 可能なうちに、稼いでおきたい。それも事実だった。
 それに――
「いいわよ、分かったわよ」
 ぶんと思い切り腕を振ってサヴァリに掴まれていた手首を解き、その手でさらっと金髪を後ろへ流す。
「記憶覗きでもなんでも、してもらおうじゃないの」
 ――どうせ自分の記憶が見えるわけがない。自分は普通の人間ではないのだ。
 そう、たかをくくって――

 サヴァリは倉庫の外に追い出しておいて、ルガートは倉庫の中へと蟠を案内した。
 奥へと進んでいく。やがて、地面につくほどの大きなタペストリが見えてくる。
 ルガートはそれをめくった。蟠は目をぱちくりさせた。ルガートの持つ角灯に照らし出されたのは、扉だ。
 重そうな扉をルガートが慣れた手つきで開くと、もわっと中から埃が舞い上がってきた。
 蟠は反射的に口を押さえて柳眉を寄せた。「すんません」とルガートが謝った。
「この中にいるやつ、記録的な掃除嫌いで……ええと、我慢してもらえますか」
 まったくもう、と蟠はハンカチを取り出して口を押さえながら、眉間にしわを寄せたまま扉の奥を覗きこんだ。
 階段だ。下に下りる階段。地下室になっている。
「物好きね、こんなところに住んでるなんて」
 照らし出されるルガートの笑みはあいまいだった。
「ええ、まあ……体質的に」
「体質的に?」
「その……記憶が、見えちまうやつなんで」
 少し考えた蟠は、ああ、と嘆息した。
 他人の記憶が見えてしまうのであれば、人々がいるところは避けたくもなるだろう。そんな能力を持ったまま雑踏にまぎれたところを想像して、ぞっとする。
 埃っぽい空気の中、階段をゆっくり下りた。
 蟠は心底呆れた。――部屋の中はこれでもかというくらいがらくただらけ、しかも散らかっている。
 部屋の中央ではがらくたが山積みになっていて、それがなぜかもぞもぞと動いていた。
「フィグ。起きろ――……」
 ルガートは控えめにそのがらくたの山へと近づいていった。と――
 がらくた山が、がしゃっと中央から弾けるように開いて、中からひょっこり黒髪の頭がのぞいた。
 うわっ!? とルガートが仰天してあとずさる。
「フィ、フィグ……!?」
「……何で驚くんだ、お前……」
「お前が自分から起きるなんて……!」
 黒髪の少年は寝起きのわりにさらさらと寝癖ひとつない髪をかきあげ、深々と嘆息。
 それから、ゆっくりと立ち上がった。
「……お前が連れてきた人は少しばかり気配が強すぎる。おちおち寝てもいられない」
 自分のことを言っている――
 蟠は警戒した。黒髪の少年が、眼差しをこちらへ向けた。
 黒い、眼光。
 貫くような輝きに、蟠は立ちすくむ。まさか。自分をこんな風に威圧できる存在はそうそういない。
 ますます身を硬くした蟠に、しかし少年は視線を和らげた。
「……無理やり連れてこられたんでしょう。いらっしゃい」
「……キミが『クオレ細工師』くん?」
「不本意ながら」
 あなたは? と言いたげに目を細めて小首をかしげられたので、蟠は一応名乗っておいた。
「外にいるサヴァリのおっさんがさ、この人のクオレを作って見せろってうるさくてさあ」
 ルガートが説明する。それを聞いて、やれやれとクオレ細工師――フィグは、額に手を当てて頭を振った。
「面白半分にやるやつが多すぎる。でもまあ……蟠さんご自身は別に面白がっているわけではないわけだから」
「ボクは――」
 ここに来て、蟠は不思議な気分に襲われた。自分はいやいや来た。そして、半ばやけになって「やってやろうじゃないの」と思った。
 だが今は、何となく――興味がそそられる。
 なぜだろう? 目の前の黒水晶のような瞳に、射抜かれたからだろうか。
「……記憶、少し見てもらいたいような気になったわ」
「いいんですか?」
「クオレというものに興味もあるものね。ボクからできるものなら、さぞかし美しいでしょう」
 フィグはあいまいにうなずく。ルガートが部屋の隅から、椅子を持ってきた。
「……本当に行うなら、座ってください。どうぞ」
 まるで覚悟を試されているようだ――
 大丈夫だ、と蟠は自分に言い聞かせる。深いところまで見られたりはしない。ここ数年は吟遊詩人としてそれなりにいい生活を送ってきた。大丈夫だ。
 フィグが横に立つ。
 そっと、少年の手が蟠の目にかぶせられた。
「あなたは目が見えないようですが――」
 そんなことまで見破られるとは。苦笑しながら「すごいわね」と蟠は賞賛する。
「一応、儀礼的に。――目を、閉じて」
 まるで楽の音のように美しい声に誘われて、蟠の瞼が重くなり、意識が暗転する――

 ■■■ ■■■

 生まれた瞬間の記憶など、一体誰が持っているというのだろう?
 彼、彼女、いや性別などない存在。それはひとではない証であり、自分が何者なのか彼であり彼女は知っていた。
 元は、ひとだったような気がするのに――
 自分がひとであることが、もう信じられない。いや、ひとではないのだ。すでに、自分は。
 ソロモン72柱と呼ばれる悪魔たちがいる。
 その悪魔とひととをかけあわせて生まれたのが、彼、彼女だった。

 何のために生まれたのだろう? そんなことは知らない。

 ――どこかの、組織にいた気がする。
 いい組織ではなかった。いわゆる悪の組織だったように思う。もっとも、『中』にいた自分はそれを認識している余裕はなかった。
 なぜなら、自分がその組織で与えられていたのは激しい虐待――
 悪魔とひととをかけあわせた存在。そんな珍しいものはないと、散々実験に使われた。苦しかった。怖かった。恐ろしかった。
 死にたかった。
 けれど怪人と化した自分は信じられないほど丈夫な体でもって、すべてに耐えてしまった。
 丈夫すぎる体など苦痛でしかない。痛み。熱。呼吸を忘れるほどの時間が永遠とも思える時間の中で続いて。
 何度も何度も、自分で自分を傷つけた。このまま壊れてしまえばいいと。
 しかし傷痕は残っても、体は壊れてくれない。心は消えてくれない。
 傷痕は深い悲しみをもたらすだけで。

 ある日自分は、組織を脱走した。
 そしてあらゆる門戸を叩いた。たどりつく村すべて。自分の姿は人だ、人なら受け入れてくれると期待していたのかもしれない。
 けれど自分がまとう邪悪な悪魔の部分が放つ気配を、人々は嫌った。
 突き放される希望。叩きつけられる侮蔑の視線。
 体に、己の手による傷痕が増えていく。
 もう何もかもどうでもよかった。自分で傷つける痛みはもはや痛みではない、刃を肌に滑らせながら、薄ら笑いさえ浮かべることができる。
 行く宛もなく歩き続けた。
 ヴォミットの鍋までたどりついた。
 ――身を、投げようと思っていた。ふらふらになっていた。もう体に感覚はない。疲れという言葉さえ忘れた。
 消えてしまえばいい、自分など。
 意識がなくなってしまえばいい、永遠に。
 そう思って、すっと目を閉じて――
 自分の体が、地面に崩れ落ちるのを感じた。

 ふわりと、自分を抱きかかえたのは、誰だったのだろう?
 それは今でも思い出せない記憶。
 気づいたら人家にいた。あれほど相容れないと思っていた人間の顔が傍にあった。
 一体何が起こった――?

 分からない。分からない、分からない、分からない――

「暴れないで」
「言うことを聞かないのよ」
「ベッドに縛りつけてしまいましょう。大丈夫、食事は与えられるように」
「体力が戻ってきたら、きっと精神も落ち着く――」

 まるでそれが正論だとでもいうようなやりとりが交わされて、そして次にやってきたのは――束縛。
 手が、足が、胴体が、ベッドにくくりつけられる。顔が引きつったのが分かった。この感覚、ああ、あの組織にいた頃と同じ、
 ――束縛の後についてくるものはなんだった?
 痛み、熱さ、永遠に続く苦しみ、ああ

 いやだいやだいやだいやだいやだ!――

 ■■■ ■■■

「ルガート! よけろ!」
「うわっと……! お、落ち着いて蟠さん!」
「いやだ! 放せ! ボクはもう解放されたいんだ、苦しいのはいやだやめてくれ放せ……!」
 破壊音がする。何かをみしみしと割り砕く音がする。痛みを、感じたような。いや、痛いのは、心だ。
「落ち着いて!」
 パン! と耳をつんざくような音がして、蟠の意識を貫いた。
 はっと蟠は目を開けた。いや、蟠は盲目だ。瞼は開いたが視界は暗い。普段は魔力によって世界を見ている。まだ魔力が開いていないのだ。
「ゆっくり……世界を開いて。大丈夫、ここにはあなたを拘束するものは何もない」
 涼やかな声がする。蟠の愛する楽の音のような。
 導かれ、誘われて、世界は開いていく。
 見えた世界は一瞬の閃光に満ちて、その後には灰色の薄暗い部屋となった。
 散らかり放題の地下室。がらくたは踏み砕かれ、近くの棚が叩き壊されている。蟠は自分の腕から血が流れていることに気づいた。
 ルガートが慌ててハンカチを取り出し、蟠の腕に巻きつける。
 ハープは、フィグが抱えていた。
「ボクは……」
 蟠は唇を噛む。まさか、あんな深いところまで記憶を覗かれるなんて。
「こんなはずじゃ……なかったのよ……」
 両手に顔をうずめた。
 涙は出ない。とうの昔に捨てたものだ。けれど、こんなときとても恋しい。
「よく……耐えました、ね」
 フィグが囁いた。彼の片手が、蟠の肩を抱いた。
 そして、そっとハープを蟠の膝に乗せる。
 ふと視界の端に輝きを見つけて、蟠は顔を上げた。
 それは黒い瞳の少年の片手、拳からこぼれる光だった。
「それは……?」
「『クオレ』ですよ。あなたの記憶から出来上がった」
「クオレ……」
 少年は、しかし拳にした掌を開こうとはしない。
「見せてはくれないの」
 蟠はねだるように、少年の腕に手をかける。
 フィグは微笑んだ。
「……俺も、あなたの記憶を共有したんです」
 ぎくりと体が硬直する。
「あなたが、今はそのハープを抱いて吟じることができる人になっていてよかった」
 ひと。人と言ったのか、この少年は。
 蟠の胸の底から、じわりと何かが浮かんできた。
「クオレは、形あるものとは限らない――」
 少年は続ける。細めた黒眼を穏やかに光らせながら。
「形がなくて正解でしょう。この場合は」
「どんな……」
 蟠の声はそれだけ言って止まった。のどがからからに渇いて声が出ない。
 少年は――
 パン、と急に両の掌を叩き合わせた。
 光が、その間で弾けた。そして彼はひゅうっと両手を大きく広げていく。両腕を広げていく。目一杯に広げていく。
 地下室が、
 否、世界が、光で埋まった。
 まぶしくて蟠は目を細めた。光の中に何かが見える――
 ああ、これは、

 悠久なる海
 雄大なる大地
 穏やかなる森に
 静謐なる湖水
 そしてそこに生きる動物、人々、すべての命あるもの――

 何もかもが蟠を抱きしめていた。もう大丈夫だよと。
 もう、傷つけなくていいんだよと、囁いていた。

 さざなみが聞こえ、梢の鳴る音が重なり、大地の脈動が弾み、しずくが落ちる。
 そして、鼓動。
 それは人々の? それとも自分の?

「きれい……ね」
 蟠は柔らかな吐息とともにつぶやいた。
「あなたの世界です」
 黒眼の少年は言う。
「あなたの中にある、世界です」
「ボクの中の……」
 胸に手を置いてみた。あれほど苦しみしかなかったこの胸の内。
 ああ、今はどうしてこんなに……
 こんなに心地いい……
 蟠の手は、自然とハープを抱いて、指先が弦をとらえる。
 なめらかな指先が踊った。灰色の地下室の中を、控えめなハープの旋律が切なく舞う。
 フィグとルガートが浸るように聴いていてくれた。
 それだけで満足だった。何もかも満たされた気分になれた。すべて――……

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「そーいやおっさんに見せろって言われてたっけ……」
 ルガートが困ったように頭をかいていると、フィグは「心配ないだろ」と言って大あくびをした。
「俺はもう寝ます。それじゃ」
 終わったら終わったでなんとも愛想のないことだ。蟠は怒るよりもおかしくて、くすっと笑った。
「そのうち埃坊主になっちゃうわよ」
「なったらなったでいいです」
 眠そうに言いながら、彼はなぜかがらくたの山に突っ込んでいく。
 蟠はくっくと笑いながら、それを見つめていた。
「……また、ハープを聴かせにきてあげる」
 がらくたの山の中から、手がひらひらと振られた。
 蟠は小さく口の中で、「また」とつぶやいた。

 サヴァリはフィグの言った通り――倉庫の入り口で酔いつぶれて眠っていたため、問題はなかった。
 月明かりが美しい夜だ。外気は思いのほか気持ちよくて、蟠は思い切り新鮮な空気を吸った。
 星たちのまたたきが、まるで会話をしているかのようで。
 蟠はまた少し、笑った。――あの星たちとあのクオレと、どちらが美しいだろうだなんて、愚問を思い浮かべながら。


 ―FIN―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3166/蟠一号/無性/外見年齢26歳/吟遊詩人】

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■         ライター通信          ■
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蟠一号様
こんにちは、笠城夢斗です。
続けてのゲームノベルへのご参加ありがとうございました。
今回は蟠さんの過去ということで、大分想像して書かせていただきましたが、こんな感じでよろしかったでしょうか。気に入っていただけると光栄です。
今回もお届けが遅くなり申し訳ありませんでした。
よろしければ、またお会いできますよう……