＜聖獣界ソーン・ＰＣゲームノベル＞
戯れの精霊たち〜揺れ動くものの美しさ〜
精霊の森、と呼ばれる森がある。
その中に――
どっしりと座す、大きな岩が、ひとつ。
それは悠久の刻の中、静かなたたずまいで存在する。
それは悠久の刻の中、穏やかなたたずまいで存在する。
その岩の周囲にはいつも、何ものにも動じぬ心が寄り添っていて。
見る者にまるで永遠が存在するかのような、安心感にも似た思いを抱かせた。
■■■ ■■■
クルス・クロスエアが岩に向かって指先を向けると、光の粒子が生まれ、岩に向かって突き進んだ。
光は何かの輪郭を縁取るように輝きながらまとまっていく。
青年がぱちんと指を鳴らす。
光が弾けた。
――現れたのは、壮年のがっしりとした男性。
変わりないその姿に、千獣はほのかに微笑む。
「ザボン……」
『む。千獣殿』
岩の精霊は少女の顔を見て破顔した。『どうかしたのかな、今日は』
千獣は傍らに立っていた森の守護者たるクルスを見上げる。
クルスは柔らかくうなずく。千獣はザボンに歩み寄って、その硬い硬い手に触れると、
「今日、は……ザボン、一緒、に、おでかけ……しよ？」
『むむ？』
「私の、体、に……宿って、くれる……？」
ちょこんと小首をかしげて言う千獣に、ザボンは嬉しそうに目元を和ませた。
『それはありがたい。ぜひ外を見せてくれ、千獣殿』
「一緒、に、おで、かけ……」
繰り返し、千獣は微笑んだ。
岩の精霊を宿す感覚は、まるで体そのものが岩になったかのようなずっしりとした重圧感。
けれど体内に獣を宿す千獣にとって、そんな圧迫は獣たちを抑え込むことよりもずっと楽なものでしかない。
『千獣殿。重くはないかな』
心配そうに、頭の中で響く声がする。
「大丈、夫……」
怪力少女は平気な顔で両手両足を動かし、見ていたクルスを苦笑させた。
千獣はクルスに顔を向ける。
「じゃあ、行って、くる、ね……」
「気をつけて」
クルスは千獣に近づいた。「――無事に帰っておいで」
ふと額に口付けられ、千獣の鼓動が跳ね上がる。
どきどきどきどきと。一度跳ね出した心は留まるところを知らなくて。
「い、行って、くる……！」
千獣は顔をそむけて歩き出した。
顔が火照っていることを、青年に知られたくはなかった。
エルザードの城下町にたどりついても、いまだ心のゆりこはゆらゆらと揺れている。
千獣は胸の上に手を置いた。吐息。このふりこの止め方を、彼女は知らない。
『千獣殿、どうされたかな』
「ザボン……」
体に宿した精霊には、こちらの心が伝わることがある。ザボンにも今の心が知れてしまっているのだろうか。そう思ったらかっと顔が熱くなった。
なぜか、人に知られるのは恥ずかしいことだと思った。理由は分からない。分からないけれど。
大きく深呼吸をして、気を取り直した。
「ザボン、今日、は。人を、たくさん、見せて、あげる……」
『おお』
岩の精霊は、人との関わり少ない場所にいるからといって人嫌いではなかった。むしろ人に興味津々と言っていい。
それを知っているから、ザボンを人ごみに連れて行くことにためらいはなかった。
――普段静かに座している岩の精霊だから、活気のある場所を見せてあげよう。
千獣は市場に向かう。
朝早いから、買い物客はあふれ返っていた。
「安いよ！ 安いよ！ 今なら１匹１００！ 破格だよ！」
「馬鹿言うんじゃないよ、１匹７０。そうでなくちゃ買わないね」
「ルナザームから取り寄せた魚だ！ さあ買ってけ買ってけ！」
「あら、美味しそう。おいくら？ もちろんとっくべつ安くしてくれるわよね？」
「そこゆくお人、クレモナーラの笛はいかがかな……お子さんが喜ぶぞ」
「うーん、あの子この間アクアーネのゴンドラの模型を１日で壊したばかりなのよね……今度も壊さないかしら」
人々の軽妙な会話が次々と耳に飛び込んでくる。
通りにずらっと並ぶ店は、それぞれに売りをもって客を呼び込んでいる。
『うぬ。あれは何かな、千獣殿』
「あれ……？」
ザボンが興味を示した物の近くに寄って、千獣は店頭に並ぶそれをのぞきこむ。
とても強い匂いがする。千獣にもあまり馴染みのない匂い。
「お嬢さん、試食していくかい」
と店の青年が言った。
かつては――
千獣が街を歩くたび、人々に奇異な視線で見られたものだ。全身包帯巻き。内に飼う獣の気配がどうしても抑えきれず、異様な雰囲気に包まれていた彼女。
けれど今は。
獣を抑えこむことにも慣れ、人々も彼女の風体に慣れ。こうして城下町を歩き回っていても誰も気にすることはなくなった。
「し、しょく……」
それは試しに食べてみることだと千獣はかろうじて知っていた。
ちょこんと首をかしげて、にこにこと笑顔を浮かべている店員の顔を見る。
「食べて、いい、の……？」
「どうぞ。どれがいい？」
「えっと……どれがいい？」
尋ねた相手はザボンだった。店員はきょとんとしたようだったが、ザボンは『うーむ』とうなり、
『これは食べ物であるのか……わしには味は分からんのだが』
「………」
千獣は困った。何しろ、千獣自身「味覚」というものが鈍い。必要以上に味を感じる意味がない、そんな生き方をしてきたからだ。
とりあえず、一番手前にあった赤いものを指差した。
「これ……」
「梅干だね。ちょっとしょっぱくしてあるから、一粒いかずに少しにちぎって――っていきなり一口で食べるのは……！」
千獣は青年の言葉を最後まで聞かず、赤いそれを一粒口の中に放り込んだ。
がちん、と歯に何かがあたる。
思わずばりっと噛み砕いてしまった。
それが梅の種だとも知らず、ばりばりと噛んで、そのままごくりと飲み込んでしまう。
店員が呆気に取られる。千獣の歯はザボンを宿していることでいつも以上に丈夫なのだ。千獣はつぶやいた。
「……しょっぱ、い……？」
首をかしげる。
『こんなものを食べるのか、人は』
ザボンがうんうんとうなずいているような気配がある。
「これ、なに……？」
改めて店員に尋ねると、店員は引きつった笑みで「梅干だよ」と先にも言った単語を持ち出した。
「梅の漬物だ。うちは漬物屋だからね」
「漬物……」
縁がなかった。今までも通ってきた店のはずだが、興味がなくてスルーしてきたようだ。
せっかくザボンが興味を示したことだし、と千獣は財布を持ち出す。
「つけ、もの。ちょうだい……」
「どれが欲しいのかな」
「分か、ん、ない」
ずるっと店員がすべる。千獣がきょとんとすると、あははと苦笑いをした店員は、
「じゃあ漬物少量ずつセットで……」
と赤や黄色や白といった色々な漬物を、小さな袋に入れてお金と交換で千獣に渡してくれた。
漬物は匂いが強いので、何重にもくるんでもらった。
クルスは喜んでくれるかな……
ふとそう思ったら、また胸の奥がじんと熱くなる。
慌ててぷるぷると頭を振った。そして市場を進む。
「そこゆくお嬢さん、布地はいらんかね」
そんな声が聞こえたが、千獣はすたすたと前へ進んでいく。
「ちょ、ちょっと、そこのお嬢さん！」
慌てて追いかけてくる声。ようやく自分にかけられているのだと気づいて、千獣は振り向いた。
「な、に……？」
小首をかしげてその男を見る。
ちゃんとした店舗ではない。地面に布を広げて、そこに商品を並べている行商人だ。
「布地はいらんかね」
と男は繰り返した。にいっと笑うと、歯が欠けている。そんなところに目がいって、
「歯、どうした、の……？」
「い、いや、あのね。お嬢さん。僕はね、布をね――」
『千獣殿。布を買ってくれと言いたいらしいぞ』
「布……」
ザボンに促されて、千獣は目をぱちぱちさせ、男が並べている商品を見下ろす。
様々な織物があった。大きな布地から小さめのハンカチまで。ついでに包帯まである。
「どうぞ、手にとってその感触を確かめてみるといいよ」
にこやかに言う行商人につられて、手が伸びる。さわっと触れた感触は、ざらざらしたもの、さらさらしたもの、とりどりだった。
「包帯はいらないかな。と言うのは無粋か。このハンカチなんかはどうかね。この刺繍、きれいだろう」
「はん、かち……」
『ハンカチとは何に使うのだろうか』
ザボンの声が頭に響く。千獣は少し考えて、
「ねえ……。ハンカチ、って……何に、使う、の？」
行商人は面食らったようだった。
「そ、そうだ……ねえ。濡れた手を拭いたり。汚れを拭いたり……かな？」
「それ、なのに……こん、な、かわいい、ししゅう……する、の？」
「………」
商人は返答に窮してしまったようだ。
『しかし千獣殿』
代わりにザボンが愉快そうに言った。『このハンカチとやら。何も模様がついていないのも寂しいかもしれぬぞ』
「そう、かな……」
千獣はじっと何枚も並んでいるハンカチを見つめる。
植物の柄や、動物の柄や、あるいは何を模しているのか分からない図や。
……確かに――
そこから刺繍がなくなってしまったら、寂しい気がした。
「誰かへの贈り物にもいいよ。どうだね」
贈り物？ 誰かへの――
『クルスに持って帰るかね、千獣殿』
当たり前のようにザボンに言われ、千獣の胸の奥がまたじんと熱くなる。
「く、クルス……より、セレネー……」
『うむ？ それもそうだな』
セレネーなら喜びそうだ。そう言って岩の精霊が笑うのが分かる。
――自分はごまかした。
その自覚があったから、千獣はうつむいた。
「お嬢さん」
すっと、頬に柔らかい感触が触れた。
まるで包み込むように――商人の差し出したハンカチは、千獣の頬をかすめる。
「プレゼントしよう。特別だ。目の前でそんな顔をされたんでは商人失格なんでなあ」
かはは、と壮快に笑った商人。
「………」
受け取ったハンカチには、ハート模様が描かれていた。
心の中を見透かされたようで、千獣は動揺した。
「――あ、り、が、とう……」
しどろもどろに礼を言うと、ぱっと立ち上がり、逃げるようにその場を後にする。
『千獣殿、どうされた――』
ザボンが驚いたように尋ねてくる。千獣は激しく頭を振った。
心の中で、ふりこが揺れる。
揺れるたびにじんと胸の奥が熱くなり、そして千獣は平静でいられなくなる。
――ああお願い。
今は、今はザボンのために歩いているのだから、
どうか、冷静でいさせて……
公園に足を踏み入れると、そこでは朝一番から走り回っている子供たちの遊び場となっていた。
吟遊詩人がいる。噴水像の近くを陣取り、ハープをつまびいて吟じている。
遠い昔の偉人の話……
足元にてんてんとボールが転がってきて、千獣は下を向いた。
「おねーちゃん、ごめんなさい！」
子供たちの声がする。駆け寄ってくる気配。
かがんでボールを手に取ると、子供の一人に手渡した。
子供はにっこりと笑った。
「ありがとう、おねーちゃん」
手を振って、子供たちは再びボール遊びに戻っていく。
ふむ、と頭の中でザボンがうめいた。
『ひと……いやひとに限ったものではないが、不思議なものだ』
「なに、が？」
『あのような小さな子供が、時が経つと大きくなる。大人になる』
精霊の森の精霊たちは――
歳を取らない。永遠に同じ姿だ。
そして、
それは千獣も同じだった。
――かつては小さかった頃もあったのかもしれない。しかしその頃の記憶は、あまりにも古くて。
今は、内に飼う獣たちのために歳を取ることを引き止められている、彼女。
精霊と同じように、姿形の変わらぬ彼女。
――心も、変わらないままだと思っていたのに。
陽射しが強い。千獣は額に手をかざす。
まぶしい太陽は、彼女にもさんさんと降る。
陽光の下で、子供たちはまるで翼が生えたかのような軽やかな動きで遊び回っている。
ぼんやりとその姿を見つめていると、
『千獣殿。お疲れか？ 座ったらどうかな』
とザボンの声がした。
疲れている？ そんなわけではないのだけれど。
何となく木陰に行きたくなって、千獣は植樹の下に置かれたベンチを選んで腰をかけた。
樹の陰は、いつだって居心地がいい。精霊の森で彼女が母と慕う樹の精霊をふと思い出す。
樹の精霊と、岩の精霊は、『大地』を表すんだ――と、かつてクルスが言っていたことがある。
大地の精霊なんだ、彼らは――と。
「ザボン……大地、の、精、霊……」
『うむ？ まあ、そう呼ばれるようだな。実際にはわしらに属性などないのだが』
岩の精霊はゆったりとした声でそう応えた。
しかし千獣には、クルスの言葉が分かる気がした。樹。岩。
何事にも動じることのない、安心感を与える――大地というもの。
その象徴。
「……ザボンは、いつも、どっしり、と、してる……」
つぶやいた。
「何が、あっても、揺らいだり、しない……」
『千獣殿？』
千獣は、はあと息を吐いた。
「……そんな、ザボンが、羨ましい、と、思う……」
胸の上に手を置いた。
とくん、とくんと今は穏やかに鳴る鼓動。己のリズム。
けれどこのリズムはいつも不安定で。
「私は……クルス、前に、すると……いつも、心が、揺れ、動く……」
きゅっと、胸元の服をつかんだ。
「跳ね、上がったり……落ち、込んだり……」
クルスの笑みが見えた。眼鏡の奥の森の色の瞳。
彼はいつだって、自分を平静でいさせてくれない。彼の一挙一動が千獣の心に触れて、心を揺らして、心を熱くして、静穏にさせてくれない。
自分の内にいる獣たちと戦っているときも心は動く。抑えこむために。獣たちと戦うために。
けれどそれとはまったく違うのだ。獣たちと戦うときは、むしろ冷静に冷静に、最初こそ暴れかけていた心が落ち着いていく。落ち着けていくのが、彼女の役目。
かの青年は――
千獣の心を、まるで糸でからめとったかのようにいたずらにくすぐり、
そして千獣の心は。
「……揺れて、揺れ、動いて……ひどい、こと、言ったり……」
馬鹿、なんて言ってしまうこともある。他の誰にも言ったことがない言葉。
使うことなんてないだろうと思っていた言葉。それが、彼の前では次々と口をついて出て。
言ってしまってから後悔するのは自分なのに、止まらない。
心が、止まってくれない。
揺れて揺れて揺れて、止め方が分からなくて、
そして自分はいつも後悔ばかり。
吐息がまたこぼれた。
こんな風に憂鬱な呼吸はしたくないのに。
「……ザボン、みたいに、揺らぐ、こと、なく……クルスの、そばに、いられたら、な、と、思う……」
頭上では、梢がさやさやと鳴っていた。わずかに風があるらしい。気づかなかった。
目を閉じると、頬にするっと滑っていく風の涼感。
胸の上に置いたままの手に伝わってくる鼓動は、青年を想ってまた揺れ始めている。
『……千獣殿』
ザボンはおおような声で揺れ動く彼女の名を呼んだ。
『千獣殿は、本当にクルスを想ってくれておるんだな』
「………！」
とくん。
跳ねた鼓動に、千獣はぎゅうと胸を押さえた。
「ザ、ザボン、の、意地、悪……！」
『いや、本当にそう思ったんでなあ。いや、ありがたいことだ。……千獣殿は、わしら精霊にはできないことを、クルスにしてくれる』
「………？」
精霊たちにできないこと？ それはなんだろう。
いつだってクルスの一番身近にいるのは、精霊たちだと思っていたのに。
『ひとには』
ザボンは言った。
『心が、ある』
それは重々しい言葉だった。
それでいて、おおらかな言葉だった。
「精霊、にも……心、ある、よ……？」
精霊たちと触れ合うようになって、千獣はその思いを強くしていた。そう、精霊たちにも間違いなく――自分たちと同じような、心がある。
『ありがとう』
岩の精霊が、微笑むのが分かった。
『――しかしな。わしらには欠けているものがあるのだよ。千獣殿』
「そんな、もの、ない――」
『あるのだ。……クルスの擬人化能力で勘違いされることも多いのだが、わしら精霊には』
ザボンはそこで言葉を区切った。
重要なことを告げるために。
『――わしら精霊には、本来性別がない』
「―――！」
千獣は大きなショックを受けたような気がした。
「ない、の……？」
性別。男、女。ザボンは男で、樹の精霊ファードは女。当たり前のように、そう思い込んでいたのに。
『ないのだよ。ただ気性が、男気質か女気質かという違いなのだ。……わしらには生殖の必要がないからな、性別がある必要もないのだよ』
生殖。獣に育てられた千獣からすると、その言葉は重要な意味を持った。
彼女自身は不老不死に近いため、子供を生むということを考えたことはないが――種族を維持するということ。そのことには重大な意義を見出している。
『しかし』
ザボンは続けた。『クルスは不老不死であろうとも、人間の男だ』
「………」
『そして千獣殿。そなたは不老不死であろうとも、人間の女の子……だ』
その間に結ばれるもの。
その間にしか、結ばれないもの。
『そなたにしか、できないことがある。わしら精霊にはできないことがある。それは……わしら精霊にはない心の一部』
「心、の……」
『すなわち、その揺れ動く心』
揺れる揺れるふりこ。
――精霊には、抱けないふりこ。
さっきから感じておるよ、とザボンは優しく言った。
『クルスを想うたびに、千獣殿の心が揺らぐのを。わしには初めて感じるものだ。こういうものなのだな、異性に恋し、愛するということは――』
あい、する。
"あいしてる"
その言葉を、彼に告げたことがある。
彼が言ってくれたことがある。
胸の奥を焼き焦がすほど、熱いその言葉。その熱。
『ファードやわしらがひとを愛するというのとは、また違う。おそらくだが、わしは思うのだよ。この心が岩のように動かなくなってしまったら、きっと消えてしまうとな……』
消える？
千獣は胸をわしづかんだまま、ぶるっと震えた。
この心が、消える？
クルスを想うこの心が、消える？
『クルスは――』
ザボンは遠い昔を思い出すかのような声で、
『わしら精霊の中で。一定の揺らぎの中で。……ファードを求める人々との戦いもすでにやつの刻の中では一定。その中で唯一』
千獣殿だけが――
『やつの刻を動かす。やつの心を動かす。千獣殿、まさか自分だけだとお思いか？ 心の中にふりこを持っておるのは――』
え、と千獣は目を見開いた。
脳裏に描き出されるのは、愛おしい彼。笑顔の彼、いつも笑顔の彼、
――いつも？
違う、彼の笑顔はいつも違う。穏やかなとき、いたずらっぽいとき、愉快そうなとき。
そして笑顔だけじゃない、怒ることもある。
不安そうにしていることもある。安心したように息をつくこともある。
『やつも心にふりこを持っていて。そんなやつを、千獣殿は否定するのか？ ふりこに振り回されて、千獣殿に様々な顔を見せるクルスを、千獣殿は否定するのかな？』
それはいたずらな問いだった。
答えが分かりきっている、いたずらすぎる問いだった。
『そのままでいいのだよ』
――このまま、
『揺れる感情に任せて』
――揺れるふりこに任せて、
『それをクルスとぶつけあって』
――彼に心をぶつけて、
『そうして、やつの傍にいてくれれば』
――そうやって、彼の傍にい続ける。
どうして忘れていたのだろう？
心のふりこが揺れるのは、彼を想っているから。
彼への想いの具現。それこそがこのふりこだということを。
行商人にもらったハンカチを取り出して、ハートマークの刺繍を見下ろした。
こころ。
私の、こころ。
彼に正直にぶつけるのと、押し殺しているのと、どちらがいいというのだろう？
――たとえば彼が同じふりこを持っているのなら。
私に正直にぶつけてくれるのと、押し殺したまま黙っているのと、どちらが嬉しいだろう？
千獣は微笑んだ。
そっと指先で、刺繍部分をなぞる。
青年の名を、囁いて。
『わしらは動かぬ心でもってクルスを守る。だから千獣殿は、千獣殿しか持ち得ない心でやつを包んでやってくれ』
おおらかな岩の精霊の言葉が、千獣の心をゆする。
まるで、もっとふりこを揺らしてくれと言いたげに。
そのままふりこを揺らしていてくれと言いたげに。
「私、だけ、の、心……」
目を閉じて、思った。ふりこがゆっくりと揺れるのを感じながら。
――この世でクルスを一番愛しているのは自分だと。
顔が火照った。
「す、涼しい、場所、なのに、な」
慌てた千獣の言葉に、ザボンが声を立てて笑った。
ハンカチをしまい、ぱんぱんと両手で頬を叩いた。
そして、ベンチから立ち上がる。
「ザボン。もう、少し……街、回ろ……？」
――ひとまず熱が冷めるまで。
けれど自分は、そう。きっと。
森に帰ったら。彼の顔を見たら。
揺れるふりこが促すままに、心をぶつけるのだろう。
ふと彼のぬくもりが恋しいと、そう思った。
―ＦＩＮ―
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■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
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【３０８７／千獣／女／外見年齢１７歳／獣使い】
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■ ライター通信 ■
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千獣様
こんにちは、笠城夢斗です。
今回もゲームノベルへのご参加、ありがとうございました。お届けが大変遅くなりまして申し訳ございません。
久しぶりのザボンとの会話、いかがでしたでしょうか。
心のふりこの在り方、少しでも満足していただけたら光栄です。
よろしければ、またお会いできますよう……
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