<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


 その少女迷子につき


 今日も晴れやかな聖都エルザードの空。
 活気に溢れた広場の人だかりに紛れ、ちらちらと覗く事が出来る小さな小さな影が有りました。
 それは左、右、左へと人の波に流されながらも、何かを求める様に辺りを彷徨い、彷徨ってはその先へ行く事を躊躇するかの様に立ち止まり、そして周囲を見回すのです。

 そんな危うげな影――幼い少女が漸く幾人かの者の目に留まり始めた頃……。
 一人の青年によって、白山羊亭へ捜索願いなる物が出されたのでした。


「――……おい」

「………………」

 所は、天使の広場のその外れ。
 未だ人々が盛んに行き交い、時折微かな砂埃を立てる石畳に、一際目を惹く大小様々な影が、四つありました。
 中でも最も大きく、そして逞しい体躯を持つ獣人。ジェイドックが些か途方に暮れた声音で、眼前で二人の女性の背後に隠れ、己を恐々と見上げる問題の少女――ユカルへと声を掛けたのです。

「あら、あら。ジェイドック様、ユカル様に嫌われてしまった様ですね?」

「ユカル、が……ジェイドック、嫌い……?」

 今ではユカルの壁と相違無い女性の片割れ、シルフェが柔らかな声音で紡いだ言葉に、その隣に立つもう一人の壁、千獣がユカルへと視線を留めたまま、耳にした冗談に真顔で何かを考え込む始末。

 この広大な聖都の中、各々が迷子であるユカルの存在へ運良く気付いたばかりか、互いの名乗りを済ませ、少女と、少女の付き添いと思しき人物の名前を聞き出すまでは、良かったのです。
 ですが、その容姿に寸分違わず、ユカルは未だ年端も行かぬ少女。
 ジェイドックの姿に気付くなり、大袈裟と言う程では無く、けれどじりじりと、残る二人の背後へと身を隠してそれきり、口を閉ざしてしまったのでした。

「そう、怖がるな。こんな顔をしているからって、取って食いはしない」

「……ユカル……たべ、ない……?」

「ああ。だから、大丈夫だ」

 出来得る限り穏やかな声音で応じながら、賞金稼ぎである自分が、みすみす自ら賞金首になる様な真似はしない、と。散々に説得を重ねた挙句、ユカルの警戒を緩めた一言がそんな比喩の言葉であったとは、子供と言う物は何と複雑で、単純で、矢張り複雑な生き物だと、ジェイドックは胸中で頭を抱える思いです。

「ジェイナス……って、この前、の、ぬいぐるみ、くれた、人……? ……はぐれ、ちゃったの……?」

「………………」

「ジェイ、ナス……一緒に、探そう、か……?」

 気持ちが沈んでか、普段よりもまた更に口数を減らし、俯きがちのユカルへと改めて千獣が僅かに身を屈め、拙くも彼女を覗き込む様に問いを掛ければ、暫くの沈黙の後その小さな頭で一つ、ユカルは頷きを落としました。

「そうですねぇ。では道々でお連れ様をお見掛けしなかったかお伺いをして、最悪人探しの依頼を請け負って頂ける、白山羊亭を目指す――と言うのはいかがでしょう?」

「ジェイナス、と言ったか。その男の人相が分かる物は、持っていないのか?」

 シルフェからの提案に異議を唱える者は無く、次いでジェイドックがユカルの背丈に合わせて緩慢に腰を落とし、穏やかな問いを掛ければ未だ二人の背後で愛用のぬいぐるみを抱き締めていたユカルが、徐に石畳の歪に切れた、褐色の土が広がる地面から小石を手に取り、何やら描き始めたではありませんか。

「あら、まあ」

「これ、が……ジェイナス……?」

 やがてユカルが地面へと小石を戻し、暗に作業の終わりを告げる頃。
 少女の挙動を一部始終眺めていた一同が、ジェイナスの人相書きと思しきミミズに似た線を感慨深く見詰め、女性二人の漏らした呟きに習って、ジェイドックが纏めの一言を漏らすのでした。

「――……全く、分からんな」


 一方、捜索願いの出された白山羊亭では、外を見回っては戻り、戻っては外へとまた消える忙しない男の足音を、不意に凛とした女性の声音――アレスディアが制します。

「ジェイナス殿。お連れが気掛かりなのは分かるが、その様に慌しくしていては出逢える物も、機会を失ってしまう様に思う」

「――……貴女は?」

「ルディア殿から、お話は伺った。良ければ、その子供の捜索、私に任せては頂けぬだろうか?」

 今、正に指を掛けた扉から身を離し、ジェイナスがアレスディアへと向き合えばその唇から紡がれた言葉に、店の接客をこなしながらも依頼の動向を見守っていたルディアが、ジェイナスへ信頼の証とばかりに微笑み、頷いて見せて。
 それを見届けたジェイナスが、幾分と焦燥の窺える表情を和らげて、改めてアレスディアへと握手を求めるのでした。

「では、ジェイナス殿。取り急ぎ、ユカル殿の特徴や服装を教えて頂けぬかな? ユカル殿が貴方とこの街で行った事の有る場所や店なども、心当たりがあれば、共に」

「ああ、済まない。――……恩に着る」

 互いに簡単な自己紹介を済ませれば、早速アレスディアから重ねられる問いに、ジェイナスこそ一刻も早い少女の発見を願っているのでしょう。的確にユカルや、自分自身の持つ情報をアレスディアへと伝えて行きます。
 そして共にユカルの捜索へ赴くべく立った扉の前で、徐にアレスディアがジェイナスへと、片手を差し出しました。

「最後に、私が貴方に頼まれて探しに来たのだと証明出来る物をくれぬかな? ユカル殿と出会った所で、貴方の名を出しただけで信用してくれるかどうか分からぬ」

「俺だと、証明出来る物……――そうだな」

 暫くの思案の後、ジェイナスは自身の手荷物の中から一つ、掌に包み込める程に小さく、そこかしこが欠け落ちた釦をアレスディアの手の内へと手渡し、真摯な眼差しで切なる願いを紡ぎます。

「自分の不手際に、貴女には不要な世話を掛けるが。……ユカルを、宜しく頼む」

「大船に乗るなどと、楽観的な事は言えぬが。道々街の者に聞き込む際、ユカル殿らしき者を見掛けたら白山羊亭へ向かうようにと言伝を頼む。ユカル殿を見付けた暁には、必ず無事に、貴方の下へ送り届けよう」

 出掛け間際、ルディアへとユカルが白山羊亭へ現れた場合の引き止め役を願い、短く挨拶を交わした二人はアレスディアがここからアルマ通りを抜け、天使の広場へと開ける道を。ジェイナスは、ベルファ通りへと向かい、各々白山羊亭を後にしたのでした。


 そして舞台は再び、ユカルを保護した一行へと戻ります。

「ユカル様は、こちらでジェイナス様とはぐれてしまわれたのでしょう?」

「ジェイナス、は……どこに、行こうとして……たの、かな……?」

「目的地が有ったのなら、そこで待っている可能性も充分に有り得るんだがな」

 一同がユカルの警戒を少しでも和らげようと、視線を下げるべく広場の端に座り込んで始められた検討が、漸く終わりを迎える様です。
 結局ユカル達に、はぐれるまでは明確な目的地は無かった様で、予定通り聞き込みと言伝を踏まえて無難な白山羊亭を目指そうと会話の応酬を締め括り、四人が再び腰を上げる最中、徐にシルフェがユカルへと、微笑みを湛えながら小首を傾げて見せました。

「ええと、手を繋いでもよろしいかしら。お嫌でしたらわたくしの服をこう、ぎゅっと」

「お、いや……――?」

 シルフェの言葉が新鮮だったのでしょう、つられて首を傾げるも、その意図はユカルへそれと無く伝わった様で。
 暫く三人の顔を落ち着き無く見回した後、おずおずとユカルは自身の小さな両手をシルフェと千獣の纏う、衣服の裾へと縋らせるのでした。

「うふふ、ずるずるでございましょう? 遠慮なくどうぞ」

「シルフェ……ずるずる?」

 シルフェの微笑みから、自身の握るそのたおやかな布地へ視線を移し、何か共感する物があったのでしょうか。ユカルの見せる、今日初めてのあどけない微笑みを目にした三人の表情にも、自然温かな物が宿る様です。

 そうして、白山羊亭を目指すべくアルマ通りを歩み、擦れ違う人々に逐一ジェイナスの所在を尋ねては、その者の特徴を伝え、言伝を頼んでの繰り返し。ユカルの歩幅に合わせ、口数の少ない彼女を案じて時折休憩を取りながら、建ち並ぶ家屋の軒下で陽射しを避けていた所。

「もし、そちらのお三方。少し、宜しいか?」

 十代程であろうか、銀髪の女性に声を掛けられ、ユカルの現時点での付き添いである三人の視線が一斉にその者――アレスディアへと集まります。
 しかしながら、三人へと声を掛けた筈のアレスディアの視線は、それよりももっと、下方へと向けられていたのでした。

「失礼を承知でお尋ねするが、そちら子供は貴方がたのお連れだろうか?」

 アレスディアの丁寧な物腰の中に含まれた警戒と取れる態度に、三人も何かを感じ取ったのでしょうか。
 シルフェ、千獣の衣服へと縋るユカルを背後にジェイドックが先頭に立ち、アレスディアの視線を静かに受けて対峙します。

「いや。天使の広場で路頭に迷っている所を、俺達が保護した」

「矢張り……では、これに見覚えはあるかな? 貴女のお連れから預かって来た物だ」

 これから白山羊亭に向かう所であったのだと、投げ掛けられた問いにジェイドックが偽り無く答えれば、アレスディアも三人の人となりを見て信用に足る者と判断してか、恭しくシルフェと千獣の間――ユカルの眼前へと屈み込み、ジェイナスから預かった釦を取り出して見せました。
 すると、新たな人物の介入に僅かにも怯えた眼差しを向けていたユカルの表情が一転、玩具用と思しきそれを愛しげに両手に包み込み。
 表情は乏しくも、切なる胸中の窺えるユカルに、最早これ以上の勘繰りは無粋と考えたのでしょう。五人は以降、ジェイナスと落ち合う手筈となっている、白山羊亭へと足並みを揃えたのでした。


「ジェイナス……っ」

「済まない……――心細い思いをさせた」

 間も無く、ベルファ通りから広場を一回りし、白山羊亭へと帰還したジェイナスへ真っ先にユカルが抱き付き、それまでどこか悲壮な雰囲気を漂わせていた店内も、漸く明るさを取り戻した様です。
 ジェイナスはユカルの捜索に尽力してくれた総ての者に篤く礼を述べ、最後に少女へと掛けた謝罪に、どう言う訳でしょう。ユカルは一、二度頭を振って見せました。

「ユカルは……ユカルは、だいじょうぶ。せんじゅ、と、しるふぇと、あれす、でぃあと……にゃんにゃ、いた……から」

「にゃん……」

「にゃ?」

 互いに名乗り合った者の中で、無論、ユカルの称した名の人物など、いる筈が有りません。
 少女の唇により無事に紡がれた三人は困惑の後、つい先程、共に付き添いを終えた最後の仲間へと視線を移し。

「――……よりにもよって、この歳でにゃんにゃとはな」

 ジェイドックは、ユカルの悪意の無い眼差しと、皆から向けられる好奇と揶揄の視線から、何ともいた堪れない面持ちで独り、呟いたのでした。


 了


 登場人物(この物語に登場した人物の一覧)

(3087)千獣(せんじゅ)|女性|17歳(実年齢999歳)|異界職
(2919)アレスディア・ヴォルフリート(あれすでぃあ・う゛ぉるふりーと)|女性|18歳(実年齢18歳)|ルーンアームナイト
(2948)ジェイドック・ハーヴェイ(じぇいどっく・はーう゛ぇい)|男性|25歳(実年齢25歳)|賞金稼ぎ
(2994)シルフェ(しるふぇ)|女性|17歳(実年齢17歳)|水操師
(NPC)ユカル(ゆかる)|女性|9歳|傭兵・用心棒
(NPC)ジェイナス(じぇいなす)|男性|21歳|傭兵・用心棒
(NPC)ルディア・カナーズ(るでぃあ・かなーず)|女性|18歳|ウェイトレス