<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


愛する家族のために

 ――こんなに、心苦しいのはどれぐらいぶりだろう?
 千獣は胸に焼け付くような痛みを感じていた。
 走り出すと決めたのに。
 こんなに、息苦しいなんて。
 なぜだろう?

 ――不安、だから――?

「だからそんな顔するなって」
 と、目の前の青年、トール・スノーフォールは言った。
「クルスなら治るじゃん。あいつはそんなにやわじゃねえ」
「……ほん、と?」
「あんたが信じてやらなくてどうすんじゃん?」
 言われて、千獣はうなずいた。――そうだ。自分が信じなくてどうする?
 愛する人。クルス・クロスエア。
 そして――愛する家族。セレネー。
「私……魔術、詳しく、分から、ない……」
 千獣はリーン草を胸に抱きながら、トールの瞳を見つめた。
「お願、い……私、に、出来る、こと……教え、て……?」
「さしあたり俺と一緒に森に行くことじゃん」
 トールはメイドに持ってこさせたお茶を飲みながらそう言った。
「俺は最近のクルスの容態を見ていないからな。よく見ないとな」
 ――精霊の森。
 その守護者である、クルスはセレネーの背中にある不死鳥の刻印に触れて呪われた。
 否。
 セレネーの刻印の魔力にあてられて、それこそ毒に侵された状態でいる。
「具体、的、に。どうすれば、いい……?」
 千獣がお茶を断りながら身を乗り出して尋ねると、ふーむとトールは足を組んだ。
「どうするかな……クルスの体から無理やり魔力を弾き出すか……それともやっぱり、誰かに吸い出させるか……って、誰かって言ってもセレネーしかいないんじゃん」
「………っ」
 千獣は胸に抱いたリーン草をぎゅっと握りしめた。
「ま、待って……セレネー、に、魔力、戻し、たら……セレネー、に……負担、とか……苦痛、とか……ない、の?」
「んー」
 トールは眉をひそめた。
「その不死鳥の刻印が厄介なんじゃん。さっきからセレネーの魔力ーって俺言ってるけど、実際には刻印の魔力じゃん。セレネー自身に魔力があるわけじゃない――だから」
「だ、だから……?」
「セレネーにも魔力の影響があるかもしれない……な。正直に言うじゃん」
「―――」
 千獣はごくりと唾を呑みこんだ。
「それが、起こら、ない……ように、する、方法、は……?」
「実際に見てみないことにはなんとも言えないじゃん」
「………」
 仕方がない。ここはトールに任せるしかない。
 しかし、懸念事項はまだまだある。
「セ、セレネー、の、記憶、に……影響、ある……?」
 セレネーは記憶喪失で、そもそも彼女の背中の刻印は彼女の記憶を封じるための刻印なのだそうだ。
 トールは腕を組んでうーんと首をひねり、
「そうなんだよなあ……ひょっとしたら、セレネーの記憶に障るかもしれない」
「………!」
 だめ! と千獣は声を上げた。
「セレネー、に、苦痛、だめ! セレネー、が……好き、で……やった、こと、じゃ、ない……!」
「そりゃそうじゃん。うかつに障ったクルスが間抜け……って、その目つき怖いじゃん」
 セレネーはもちろんだが、よりによってクルスを間抜け扱いしては、千獣の目つきも悪くなるというものだ。
「セレネー、の、意思、じゃ、なかった……」
 千獣はそれを知っている。セレネーはどこまでも自分の背の刻印に触れられるのを嫌がっていた。それに無理に触れたのは、確かにクルスの方だ。
「――それで、セレネー、の、意思、で……魔力、戻せる……?」
「だからさ。そこが問題なんじゃん。さっきも言った通りセレネー自身の魔力じゃなくてセレネーの刻印の魔力。というわけで、セレネーの意のままにならないんじゃん」
「………」
 千獣は途方に暮れた。
 セレネーにとって苦痛になることも負担になることも、千獣にとっては厳禁である。
 しかし事態はそう簡単にいってくれないらしい。
 それでも、千獣は抵抗を試みる。
「セレネー、の、望ま、ない、苦痛は、だめ……!」
「そーは言ってもなあ……」
 トールは頭の後ろをかいた。「うーん……俺も頑張ってみるけどさ。まったく、やっぱりクルスがうかつ……って怖いじゃん!」
「クルス、を、馬鹿、に、しないで!」
 ――セレネーの刻印に触れたら何か起きるかもしれない――
 彼は、自分自身でそう言っていた。分かっていてやったのだ。セレネーの記憶喪失の謎を解くために。
 ひょっとしたらあの背中の刻印はセレネーにとって害になるかもしれないと――彼はそう判断したから。
 千獣は唇を噛む。自分に魔術の心得がないことがひどく悔しかった。
「トール……」
「ん?」
「……トール、は、森に、来ない、で」
 トールはずっこけた。
「あんた、協力しろって言うのにそれはないじゃん」
 千獣は首を振る。
「ごめん、なさい……でも、今回の、こと……私の、力で、どうにか……したい」
「………」
「私の、家族、護りたい」
 ぎゅっと握りしめたままのリーン草。魔力を抑える草。
 トールは足を組み直した。
 うーん、と天井を見やってうなりながら思考――
 やがて、視線を下ろし、
「――逆の手が、あるじゃん」
「逆……?」
「セレネーはそんなに器用じゃない。ならクルスにやらせればいいんじゃん。クルスが自分の体内のセレネーの魔力を、セレネーに戻せば」
「セレネー、の、苦痛、に……」
「それが起こるかどうかは分かんねーけど、可能性はある。それを最小限に抑えるためには、それだ」
 とトールは、千獣が手にしていた草を指差した。
「リーン草。それを大量に使えばいい。それでクルスの中にあるセレネーの魔力を抑えて抑えて抑えた状態で――移しかえれば」
「………?」
 首をかしげた千獣に、だから、とトールは手を動かす。
「こーんなに大きい綿菓子も、ぎゅうっと握ってまるめたら小さくなるじゃん。そうしたら口に入れやすくなるじゃん」
「わた、がし……」
 そう言えば“お祭り”のときに食べさせてもらったことがあったような。あいまいな記憶の中、白いふわふわのお菓子をかろうじて思い出し、千獣はますます首をかしげる。
「……まる、めたら、小さく、なる……?」
「……変なところで考えこまなくていいじゃん。とにかくリーン草駆使してクルスの中にある魔力をセレネーに移しやすくするじゃん」
「リーン、草で……まりょく、全部、消せ、ない……?」
「リーン草は抑えるだけで消す草じゃないからな。それは無理じゃん」
「………」
「あとはー、そうだなー……えーと、あー……」
 がしがしとブロンドをかきみだしながら、トールは色々と考えをめぐらせている。
 千獣は申し訳なくなった。彼は彼なりに、クルスやセレネーのことを想って手伝おうとしてくれている――
「……やっぱりセレネーが自分で吸い取ろうとする手しかないかなあ……」
「トール……」
「ああ、分かってる。セレネーの苦痛になるって言うんだろ?」
 だからさ、とトールは言った。
「もうひとつ、魔術に重要な草があるじゃん。マヒリカ草っていうじゃん。それを煎じて飲ませるじゃん――これは、魔力中和になる草じゃん」
 言われて、千獣はみたび首をひねった。そんな草があるなら――
「クルス、に、飲んで、もらえば」
「駄目じゃん。そうしたらやつ自身の魔力も消える。ありとあらゆる魔力を問答無用で消し去る草だから」
「それ……使ったら」
 一抹の不安を覚えて、千獣は言った。「セレネー、の、刻印……消えちゃう……」
「そうかもしれない」
 トールは、いつになく真顔でうなずいた。「だから、調合量を間違えちゃいけない」
「……ちょーごー……」
「俺がやるって。ただ、この方法を使うことになったら、俺にも一度セレネーの背中の刻印を見せるじゃん――って、別にいやらしい意味で言ってるんじゃないじゃん」
 男女間の恥じらいについては、千獣は疎いのだが、何となくセレネーの裸の背をトールに見せるのはいけない気がしてついにらんでいた。
「他には思いつかないじゃん。ちなみにマヒリカ草を手に入れるのもけっこう骨が折れるから、クルスが成功させるのが一番いいんだけどなー」
 トールは頭の後ろで手を組んだ。
 吐息。彼には似合わないささやかな。
「……早く、元気になってほしいじゃん」
 意外な言葉だった。
 意外な言葉に――千獣は背中を押された。
「私、頑張る、から……」
 立ち上がりながら、千獣はうなずいた。
「頑張っ、て……2人を、護る、から……」
 ありがとう、と。
 トールは目を細めて微笑んだ。
 それはいつになく優しい――滅多に見られない、彼の一面だった。

 ■■■ ■■■

 千獣はトールと別れ、精霊の森へと翼を使って急いで帰った。
 森の前で翼をたたみ、そして森の道を駆ける。森の中に唯一ある小屋に向かって。
 小屋の中に人の気配が2つ――
 扉の前に立ち、ゆっくりと深呼吸をしてから、戸を開けた。
 ――小屋の奥の唯一のベッドでは相変わらず青年が横になっており、
 その傍らでは看病疲れのように、セレネーが眠っていた。

「千獣……? お帰り……」
 と、声をかけてくれたのはベッドの上の青年――クルス。
「ただい、ま……」
 千獣は歩み寄り、クルスの顔をのぞきこんだ。
 顔色がいい。薬を飲んだばかりなのかもしれない。
「あの、ね……」
 セレネーを起こさないように小さな声で、千獣は囁いた。「トール、に、話、聞いて、もらった……」
 クルスが苦笑した。
「トールにか……」
「色々、教えて、くれた……クルス、セレネー、の、刻印、の、魔力、に、あてられた、って……」
 ああ――とクルスは大きく息をひとつ吐いた。
「そうかもしれないとは……思っていたんだが……」
「それで……リーン草、を、いっぱい、いっぱい、使って……クルス、の、中、の、セレネー、の、魔力……抑えて……クルスが、セレネーの体に、戻す、とか……」
「――それと?」
 クルスがすっと目を細めたことに不安を感じながら、千獣は続けた。
「マヒリカ、草……使って……セレネー、が、クルス、から……吸い取る……って……」
「マヒリカ草か……」
 クルスは虚ろに視線をさまよわせた。「確かに……それぐらいしか方法はないんだろうな……」
「クルス?」
「……いや……」
 とりあえずキミも休みなさい、とクルスは言った。
「疲れただろう……師匠のところにも行ったんだったろう?」
「うん……」
 でも、疲れてなんかいない。
 疲れたりなんかしない。
 2人を助けるまでは。
「ん……」
 ふと、傍らでうめき声がして、セレネーが目を覚ました。
「あ……おねえちゃん……」
 目をごしごしこすりながら、ねぼけまなこでセレネーは「おはよう、ございます」と言ってくる。
 千獣はセレネーを抱きしめた。
「……ごめん、ね……」
「……おねえちゃん……?」
 セレネーは訳が分からずきょとんとしている。
 ――クルスがセレネーの魔力にあてられたと聞いたとき。
 とっさに、セレネーが毒の塊であるかのように考えてしまった自分を、千獣は心の底から憎悪していた。
 そんな風に考えた自分のことが絶対に許せなくて。
 詳しいことを口に出すわけにはいかないが、謝らずにはいられなかった。
「ごめん、ね……ごめん、なさい……」
「おねえちゃん……」
 セレネーは千獣に身を寄せてくる。完全に気を許している、なついている表情――
 千獣は顔を上げた。
 クルスが、ベッドの上から微笑ましげに2人の少女を見ていた。
「私……」
 千獣はセレネーを抱きながら、言葉を紡いだ。
 強く、強く。
「私、2人を、護る。必ず」
 愛する家族。決して、これ以上苦しめはしない――

 千獣の赤い瞳に、焔が灯っていた。
 それは決意という名の、決して揺らがない焔。
 ――不死鳥の刻印に対抗するために灯った、ひとつのともしび……


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3087/千獣/女/外見年齢17歳/獣使い】

【NPC/クルス・クロスエア/男/外見年齢25歳/精霊の森守護者】
【NPC/セレネー/女/外見年齢15歳/精霊の森居候】
【NPC/トール・スノーフォール/20歳/月雫の民】

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■         ライター通信          ■
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千獣様
こんにちは。笠城夢斗です。
このたびはクルス解放作戦への臨戦、ありがとうございます。お届けが大変遅くなり、申し訳ございません。
クルスの呪い解除へ、色々と動いてあげてくださると嬉しいです。
また次回、お会いできますよう……