<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


例えばこんな物語 第二章






「ごめんくださいませ」
 カランとドアベルの音を響かせて、シルフェはあおぞら荘の中に足を踏み入れる。
「こんにちは、シルフェちゃん」
 ホールのテーブルで顔を上げたのはコールだ。
「ごめんね。頼んで置いたんだけど、今出かけてるんだ」
 先日また案内して欲しいという言葉を受けて、コールはルツーセに頼んでおいたのだが、間が悪かったらしくルツーセは現在居ないらしい。
「いえいえ、気になさらないでくださいな」
 案内してもらうだけが全てではない。
「なんかお詫びしないとね」
 コールのせいではないのだが、本当にごめんね。と申し訳なさそうに頭を下げるコール。
 ここで断っても堂々巡りが続きそうである。
「では……」
 シルフェはふとコールの手元に広げられている本を見て取り、
「新しい物語、お願いしてもよろしいですか?」
 うふふと微笑んで告げられたお願いに、コールは嬉しそうに微笑んだ。
「勿論だよ!」







【アジアンタムの天文台】






 着の身着のまま。彼女はとても掴み所の無い女性だった。
 何処で暮らしているのかも、どうやって暮らしているのかも分からない。
 全てが謎で、逆にそれが彼女の魅力を引き立てているように思えた。
 気がつけばその場にふらりと現れ、事が終われば気がつくとその姿も消えている。
 まるでヒトではないかのようなその行動。
 けれど彼女は違うこと無きヒトだった。
「うふふ。今日は何に出会えるでしょうか」
 そんな陽気な彼女が現れてから不思議なことも起こった。
 誰も気がついていないのだが、たびたび雨が降らずに水不足になることがあったはずの町なのに、ここ最近は水が足りていることに誰も気がつかないのだ。
 確かに毎年ではないのだから気がつかない人も多いのだろう。
 今年は例年よりも雨が降っていないと思うのに、誰も川の水位が下がったとか、噴水から水が消えただとか言い出さない。(水が不足しやすいのに、噴水なんて作るなという突っ込みは受け付けない)
 ここ数年系統をとってみて、分かった。
 この雨が降らないのに、水が大量にある現象の元に、彼女――シルフェの姿があるのだと。






 アジアンタムの町中を今日もシルフェは歩く。
「やぁシルフェ。今日はいい野菜が入ってるよ!」
「本当ですね。うふふ」
 ここ最近は程よい感じの日照りが続いて、野菜たちも生き生きと育ち、今年はいい収穫が臨めている。
 町で食べる分だけではなく、他の町へ出荷する野菜も例年に増していい出来で、今年は何ともお財布が暖かい。
 これならば不毛も冬が訪れても食いっぱぐれることも、寒さに震えることも無くなる。
 水不足の年は野菜が枯れてしまうし、逆に雨が多いと根腐れを起こしたり日照不足で育ちが悪かったり……きっと、ここ最近の気候は野菜にとってとてもいいものなのだろう。
 シルフェは嬉しそうな野菜売りのおじさんを見て、穏やかに微笑む。
 適当に太陽の光をいっぱい含んだトマトを買い込んである場所へと向かった。
 そこは――
「こんにちは〜」
 この町唯一の天文台。
 天気が不安定な町で、有志によって建てられた天気を予測するための塔。
「君か」
 天文台の窓から顔を出して、ぐるぐるメガネの青年が答える。
「開いてるよ」
「ありがとうございます。うふふ」
 シルフェはトントンと螺旋階段を昇り、記録をとるための部屋へと入る。
「トマトが美味しそうでしたので、一緒にいかがですか?」
 バスケット一杯のトマトを見せ、シルフェは青年に微笑む。
「いいね。こっちも今日は風見鳥から隣町の珈琲豆が届いたんだ」
 トマトに珈琲は合うのかという疑問は残るが、今ここでお互いの新しいものや差し入れを楽しむというのなら、別段取り合わせなど関係ないだろう。
「台所は…向こうでしたね」
 トマトを洗ってこようと、シルフェは勝手知ったる他人の家とばかりに奥へと入っていく。
 観測室からはガラガラと音がして、珈琲豆を挽く音が台所にまで響いてきた。
 ついでとばかりにシルフェはお湯を沸かし、ポットと珈琲カップをお盆に乗せる。そして、皿に盛ったみずみずしいトマトも乗せて、観測室に戻った。
 引き立ての豆の香りが部屋中に広がる。
 沸かしたお湯でドリップさせながら、ゆっくりと旨みが抽出されるのを待つ。
 珈琲を入れる間、見定めるような視線を感じて、シルフェはふと顔を上げる。
「どうかしましたか?」
 視線の先には、天文士の青年。
「いや」
 青年は首を振る。

――町の人にとっては嬉しいこの状況でも、自然に反している。それは本当にいいことなのだろうか。

 青年の視線に含まれている疑問。
 町の栄えは嬉しくても、それがずっと続くわけではない。この気まぐれな女神が去ってしまったら、町は昔に元通り。
 彼女がいつまでもこの町に居てくれるとは限らない。
 引き止める権利は、誰にも…ない―――……
「やっぱり、どうかされたんですね?」
 考え込んでいた青年の顔を覗き込むようにシルフェが手を振る。
「何でもないよ」
「難しい顔をされていましたよ」
 シルフェの言葉に、青年ははっとしたように瞳を泳がせ、しまったとばかりに片手で口元を覆う。
「心配していらっしゃるんですか?」
「……ん?」
 シルフェの問いに青年は目を瞬かせ顔を上げる。
 少々きょとんとしている青年に、シルフェはにっこりと微笑んだ。
「大丈夫ですよ。わたくしはどこにも行きませんから」
 この町に居りますから。
 そんな意味が含まれた言葉に、青年は弾かれたように瞳を大きくした。
「いや、そんな事……」
 口に出して言ってしまうわけにはいかない。
 悟られてもいけない。
 それでも、君の事なんて気にしてないよ。なんて口にはできなくて。
 だから、もっと別のそれらしい理由をつけて。(本当だけど)
「君が居なくなったら、町は廃れてしまうしね」
 青年のどこか照れ隠しのような言葉に、シルフェは微笑む。
「やっぱり気がついてらっしゃったのですね。うふふ」
 少しだけ期待して、盛大に落胆したような青年の顔が楽しくて、シルフェは笑う。

――言ってはあげません。だから、早く気がついてくださいね?





終わり。(※この話はフィクションです)
































 サラサラとペンを走らせる手が止まる。
 まるで魔法でもかかっているかのように綴られた本に、シルフェはそっと手を添える。
 噛み締めるように閉じられた瞳。まるで時をゆったり流しているような風が流れる。
 シルフェはほうっとしたように口元を緩め一度俯き、その後、満足そうな微笑をその顔に湛える。
 コールは一瞬きょとんと眼を大きくしたが、その笑顔に答えるように、にっこりと微笑んだ。









☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【2994】
シルフェ(17歳・女性)
水操師


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


 例えばこんな物語 第二章にご参加ありがとうございます。ライターの紺藤 碧です。
 完全なるコールの印象から…ということでしたので、明確にどんな役かというのは決まっていません。一応今までの積み重ねが確実にあるので、完全に想像からということにはなっていないかと思います。
 それではまた、シルフェ様に出会えることを祈って……