<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


【炎舞ノ抄 -抄ノ壱-】彼方の嵐

 …何だありゃ?
 見渡した先の空、不意に目に留まったのは空まで立ち上る異様な量の煙。気付いた場所よりもよく見える見晴らしのいいところまで移動し、その源を辿ってみるとどうやら何処かの町らしい。自分が向かおうとしている目的地を考えると通りすがりの町にはなるが、何と言う町だったかは頭に入れていない――立ち寄る事は考えていなかった。手持ちの地図を取り出してみる。この町が描いてあるだろうかと確かめる。
 町の名前はクールウルダ。一応あった。
 街道沿いから少し離れた位置にある小さな町。ここだろうと思う。地図を見る限り、該当する町は他に無い――その町で、煙が上がっている。何か事故でも起きたのだろうか。それとも火事の後。魔物か何かの襲撃と言う可能性もあるかもしれない。ともあれ尋常でない事態になっているようには見える。
 目を細めその町を――町のあちこちから立ち上る煙を睨む。と、睨んでいるその目の前で――異様な色の炎がざっと燃え上がり、すぐ消えた。黒色の――いや、濃い茶色と言うべきか、仄かに赤みを見せる黒い炎。…土の色――大地の色とでも言うのがしっくり来るかもしれない色。そんな異様な炎が町の中、不意に上がって、消える。
 …まともじゃない。
 今日俺はとある洞窟へ冒険に出るつもりだったのだが――そこに往く道程でこんなものを見てしまっては予定を変更する気にもなる。
 先にあれの原因を確かめたい。

 町の中。
 絶句した。
 …生きている奴が居るのかこれは。
 そこから疑問。
 周辺のあちこちが赤で染められていた。何処の通りも、路地も同じ。
 元は建物だっただろう瓦礫にところどころ炎が残っている――燻り残るその炎は普通に赤い色。
 何処に行っても、血塗れで倒れている人々ばかり。
 バラバラの奴も居た。
 焼け焦げている奴も居た。
 剣か何か、鋭く切れ味の良いもので斬り殺されているようだった。
 人が――生き物が生きている気配が無い。
 どうも、暑い。
 火の気が強い。
 …これが魔物の仕業なら、火属性の何かが暴れた後のような。
 クソッ。
 悪態を吐いてみるが、それで何が変わる訳でも無い。…自分の中の何か本能的な部分が歩くのを拒否した。これ以上奥に行くな。俺の中の水竜の部分が叫んでいる。そんな気がした。戻りたがっている。町を出たがっている。
 暑い。
 こめかみに汗が伝う。
 落ちる前に拭う。
 どうも調子が出そうにない。
 場の属性が自分と全く逆。
 こんな場所で。
 …出くわしたら。
 思っただけで、ぞくりとする。
 怖くてか。
 …ざけんな。
 楽しみで、だ。
 意識して笑みの形に唇を歪ませる。
 戻る気は――退く気は無い。
 足を進める。
 奥に進む。
 同じような光景が続く。
 唐突に、ぶぅんと空気が重く唸るような何かの駆動音がした。続けて、重い激突音とがしゃりと妙に金属的な破壊音が幾つか。…剣が激しくかち合った後、金属で出来た何か重い物がその辺の家壁にでも激突したような音。
 何にしろ、普通に聞くような音じゃない。
 足を早める。
 音が聞こえた方に向かう。
 少し開けたところに出た。

 …不思議そうに小首を傾げている異様な男が居た。
 こいつだと確信する。
 赤黒い男。
 頭から被ったように、全身が――血塗れの。
 確かあれは着物と言うのだったか、右左と前身頃を合わせる形の服に直線的な下履き――袴姿の和装。
 右手は刀の柄を軽く握っている。
 もう片方の手を自分の顔の前に持ってきて見ていた。いや正確にはその手首から垂れ下がる、二の腕程度の長さで断ち切られた鎖を見ているようだった。
 …それで、小首を傾げている。
 その男は首を戻すと、ゆっくりと辺りを見回した。
 何かを探すように。
 茫洋とした瞳。
 焦点が合っていないような。
 何も見ていないような。
 …こちらに気付く。
 こちらを見る。
 血が澱んだような色の瞳。
 反射的に背筋が凍る。
 自分の反応を振り払う――振り払うつもりで、おい、と努めて強い調子で声を掛ける。
 …口の中がカラカラに乾いて張り付いている気がした。
 そんな事はおくびにも出さず血の色の瞳を睨み返す。

「アンタ何やってんだ。…エラく良い趣味してんな」

 何とかそれだけ捻り出す。
 声が震えも上擦りもしていなかった事に安堵する。…当然態度には出さない。
 ゆっくりと刀の切っ先が向けられた。
 同時に、凄まじい圧力。
 …向けられて、自分が動けるかどうかを疑った。
 何なんだあの目は。
 何なんだ、あの、異様な気は。
 本能的に逃げたくなる身体を何とか押さえて、対峙する。
 左腰、殆ど無意識の内に――房飾の付いた剣の柄に手が伸びていた。

 魔族…いや、人間…か?
 どうなっていやがる。
 正気じゃねぇ事は確かだが…。

 状況は詳しくはわからない。
 ただ、奴がこの町の惨状の原因である事だけは、俺の勘違いだとは思えない。
 何気無く佇んでいるだけなのに、それだけで異様。
 とんでもない剣気がその男を取り巻いている――何処かに火の気もまた、内包している。薄皮一枚のその下、ふつふつと滾っているのが皮膚感覚で感じられる。
 当然のように刀の切っ先を向け挑んで来るその姿。表情も無く目も茫洋としているが、動きそのものには何の問題も不自由さも感じられない。身を染める血は全て返り血――そうとしか見えない。
 ならば、どれだけ屠ったか。

 …上等だ。

 思う間にも事態は動く。奴がこちらに刀を向けるのと前後して、俺も左腰の剣を抜いている――打ち合っていたのは次の刹那。…不覚。いつ間合いが詰められていたのか見えなかった。そのくらいの勢いで突っ込んでくる。…初手の一撃が受けられたのは殆ど奇跡の気がした。
 得物の刀は俺の剣より細いのに、重い。
 剣撃と同時に叩き付けられたのは凶悪なまでの鬼気。
 かち合わせた互いの刃越し、間近で爛々と輝く血の色の瞳――攻撃に入った途端、これ。
 これから先。命懸けで遣り合えそうな戦いの予感にごくりと喉が鳴る。
「へっ…問答無用かよ。…いいね。アンタなら満足出来そうだ…っ!」
 言い終わらない内に血が滾る。滾るままに受けた刃を思い切り打ち返す――同時に俺の刃に走っていたのは視覚を刺す青白い光。剣戟の火花ではなく、雷の。刀だけではなく自分の身にも同色のスパークが纏わり走る――血が滾るままに自身のオーラを雷と化させ展開している。眼帯をしたままの右のみならず左の瞳孔もやや縦長に裂けているのがわかる――視界が多少変わる。身体の奥がどくんと脈打つ。…良い具合に昂ぶってくる。身体が熱い。抑えようのない攻撃衝動。身体が勝手に動こうとする。
 さぁ、楽しもうぜ――気合いの代わりにそう叩き付け、突っ込む。衝動のままに両手剣を振り被り追撃。奴の刀に受けられギィンと凄い音がする。二撃目。…聞き覚えのある音と確信。それはここまで来る直前の。頭の片隅、ぎりぎり冷静な部分でさっきの異音を思い出す事をする――そして思考を巡らせる。
 …先程の音、俺がこいつを見付けた時の小首を傾げる仕草。恐らくはつい今し方まで生きて誰かがここに居た――こいつと戦っていたのかもしれない。
 今は見えないが。
 こいつ以外は誰も動いている気がしない。
 …が、それだけで他に誰も居ないと言い切れる訳じゃない。

 生存者が居るなら今の間に逃げろ。
 それまで俺がこいつを止める。



 …期待以上の命のやり取り。
 僅か気を抜けば即座にやられる――目まぐるしく動く戦況の中、この男の一つ一つの動きを確りと見る。…見逃せる訳もない。切れ味の良さそうな細い刃が間近で閃く。それだけでもびりびりと皮膚を刺す感覚が来る。刀の軌跡その勢いに添うようにぶわりとこちらを舐めてくる土色の炎――ここに来る前に見たあの異様な炎。それがこいつの力である事がはっきりする。その炎、僅か触れた程度なら俺の纏う雷で簡単に相殺が叶う――深く食い込まれるとそうとも行かない事もあるが、それをぎりぎりで躱すのもまた何とも言えない――ぎりぎりで躱すそのスリルもまた俺を興奮に酔わせる。抑え切れなくて唇に浮かぶ笑み。気合いと共に大声を上げ剣を振るう自分を自覚する。
 昂ぶる気持ちとは裏腹に頭の芯の何処かは冴えてくる。相手の動きがはっきりと見える。追い付く時と追い付かない時。危ないと見た時は風を操り身を躍らせる――奴が予測する行動を外す事を考える。それでも何度か刀が掠る――僅か斬られる時がある。服の繊維が飛ぶ――俺の雷でか奴の炎でかすぐさま燃え尽きる。飛び散った少量の血も瞬時に蒸発する。それらも事実として気付いてはいるが気にしていない。重要だと思わない。ただ、この男と対峙する事だけを考えている自分がいる。打ち合っては次、そのまた次。どんどん先に思考が向かう。
 身体が熱い。考えるのが酷く楽しい。…場にある火の気が強い事を――自分の不調を忘れてしまいそうな程。衝動のまま、殆ど考える前に躍動する己の身体。このまま剣で攻め続けるか、速攻の雷撃は何処で入れるか。どのタイミングで氷結を使う。攻撃をどう受け、どう躱す――自分の身ごなしだけで足りない時は風も使う。頭の中に戦法が幾つも閃く。…思う存分遣り合えそうな折角の相手。出し惜しみなんざ考えられねぇ。まだ足りねぇ。もっとだ。もっと。
 この男の動きが鈍ったのは最初の一度だけ。一番初めに俺が剣から雷撃を放った時。…それ以降は奴の方でも土色の炎を纏っていた。俺の雷の真似かよと吐き捨てる――その時、つぅとこめかみを伝ったのが暑さでのただの汗だったのか冷汗だったのかは判断が付かない。…判断が付いてないと思う事にする。暑さのせいでだ。そう決めてまた突っ込んで行く事を選ぶ――それからは殆ど、剣での打ち合い。お互い、雷と炎を纏った状態のままで。
 数度打ち合ってから再び膠着。…かち合う刃が重い。奴の目が笑っているのを感じた。…ナメんじゃねぇ。裂帛の気合を入れて打ち返す。反動で開く間合いを風に乗り調整する。調整しながら呪文を詠唱、位置を決め狙いを定めたところで奴を狙って雷撃魔法を撃ち放つ。伸ばした手の先を中心に、中空に展開される青い光の魔法陣。そこから打ち放たれる青銀の烈光。一度、二度、三度。連撃を入れる。直撃――奴は避けもしないで真っ直ぐに突っ込んで来る。…畜生。殆ど効いていない。
 舌打つ間もなく奴の身は俺に肉迫。間合いを一気に詰められる。自分の斜め上、見えたのは銀色に閃く大輪。その正体が刀だと気付いたのはざっくり斬り込まれてから。突進する勢いをそのまま乗せ、刀を後ろに流した状態から豪快に振り回す形の斬撃。
 攻撃が来ると気付いた時にはもう躱せなかった。風を操る余裕さえ無かった。反射的に自分の腕の方が剣で受けようとはしていたがそれも相手が速過ぎて間に合わない――受ける形にまで剣を握る腕が上がっていない。そのくらい速かった。斬られた瞬間、肩口から胸に掛けて斜めに灼熱。…纏う雷の鎧越しでこれか。浅くない傷だとわかる――途端、がくりと身体の力が抜ける。それでも再び奴の攻撃を受ける為、俺は剣を振り上げようとしている。…思うだけで今度こそ腕が動かない。速さの問題では無く、腕の方が自分の命令を聞かない。…傷を受け一気に抜けた力はそうすぐには戻らない。ヤバいと思う。この一撃で終わりじゃない、駄目押しが来る――思った通りに、火の気の、風圧。
 目の前には爛々と輝く血の色の瞳。
 と。
 思った途端、視界で人影が動いた――奴の斜め後ろから誰かが奴に突っ込んだ。奴の身体が後ろから押されたように僅か傾ぐ。傾いだそこ、左胸からは刃の先が突き出ていた。俺の剣よりやや軽量の片手剣の物と思しき刃。その刃は刺し貫いたそのまま止めを刺すように冷静に一度捻られた上で、あっさり引き抜かれる。
 同時に、人影も飛び退っていた。
 その人影は――その剣の柄を握っていたのは見覚えのある男。青い頭をした無表情な男――ケヴィン・フォレスト。普段はとことんやる気が無いように見える割に、何か事が起きた時には意外と面倒見が良い奴。戦闘の際には妙に的確な判断を下してきっちり仕事をしやがる剣士。
 腕はそれなりに信用出来る。
 ただ。
 …いきなりそれはねぇだろ!?

「どういうつもりだアンタ…っ!!!」
 気付けば思わず怒鳴り付けている。
 それは今、確かに助けられた事にはなるのだろう。なるのだろうが――それでいきなり隙を衝いて急所狙いで命を獲りに来ると言うのはどうなんだ。助けられた礼より先に声を荒げてしまう。…それ程俺が頼りなく見えたってのか。この血塗れの男の正体も、こうなった原因も見極めないままでもう終わりか。…どう見ても正気では無かったのに。あっさりと殺して終わりか。
 思うが、自分の身体の奥、何故かまだ血がざわめいてもいる。
 …反射的に訝しむ。
 まだ終わっていないと血が叫んでいる。
 ケヴィンの一手でいきなり断ち切られた戦闘の不完全燃焼が不満だと言うのではなく――これでもまだ油断出来ない、と自分の中の何か本能的な部分が警告している気がした。
 殆ど間を置かずケヴィンは血塗れの男にそのまま斬りかかっている――それも元々握っていた剣だけではなくもう一振り剣を抜いての二刀流で。殆ど円運動で舞うように重ねられる連撃には全く容赦が無い。無抵抗なままケヴィンの剣をその身で受けている血塗れの男。まるっきり一方的な展開になっている――。
 見ている中、不意に喉から何か競り上がって来る気がし、咳込んだ。
 吐いたのは血。
 …さっきの一撃。内臓まで行っちまったかよと思う。力が入らない訳だ。身体の奥が必死で回復させようとしている気はする――熱い。幾らかでも動けるくらいまで回復を待つ――呑気に待ってらんねぇよ早くしろ。とっとと動け。俺の身体。
 つぅかそもそも何故ケヴィンがここに居るのか。…ここに着く直前俺の聞いた異音。俺より先にケヴィンとあの男が戦っていたと言う事だろうか。それで今、いきなり急所を狙い獲った上にまだ攻撃を重ねている――と、言う事か? あの男が? それ程無惨な事を何の意味も無くするか? …毎度の如くケヴィンの表情からは何を考えているのかは見えない。ただ、どう見ても一方的にケヴィンが攻撃を重ねている状況ではあるのに、そのケヴィンの方こそが妙に切羽詰まっている感じはする。血塗れの男に斬撃も的確に入っている。血塗れの男の身体、斬り込まれる度に血が撥ね、身体が翻弄されているのも見える――明らかに傷付いているのがわかる。
 が。
 そのまま少し見ていて、ケヴィンの行動の理由がわかった。
 一方的に膾にされていた筈の血塗れの男の腕が、不意に上がった――そこまでされてもまだ、得物の刀を手放す事無く持っていた。唐突に上げられたその刀がケヴィンの剣を確りと受けている。即座に続けられた次の一撃も同じ。揺らぐ気配も無い。…そうなったらもう、元通り。血塗れの男とケヴィン、打ち合う姿に弱々しい感じはもう何処にも無い。それどころか、時を追うに連れケヴィンの方が圧されて来てさえいた。
 …血塗れのあの男。あれだけ斬られていながらあの動きかと思う――いや考えてみればあれだけの斬撃を重ねられていながら傷付くだけで済んでいる事が――五体が何処も離れていないのがそもそもおかしい。俺はケヴィンの剣術は生易しいモンじゃないと知っている。俺みたいな者から見れば、ケヴィンの場合魔法的な能力が無い分だけそれを補うように剣術を修めているんじゃないかと思う。…純粋に剣術だけで見るなら悔しいが俺の方が劣る。勿論口が裂けても言う気は無いが、そのくらいは認めている。
 …なのにそのケヴィンの剣を受けても、この男にとっては大したダメージになっていない?
 どういう事かと思うが、思ってもそういう事なら仕方無い。考えても仕方の無い事は考えない。…幾ら攻撃を加えても意味が無い可能性もある。…が、そうでない可能性もある。
 俺自身が実際にやりあってる時はそんな事まで考えてはいられなかったが、傍で見ていてこの血塗れの男の剣術もまた凄まじいと知れる。一つ一つ動きを目で追う。見ていて鳥肌が立つ。ぞっとするような感覚が背筋に走る。…怖くてか。否。…これは期待だ。俺はこんな奴とやりあっている。刃を交える機会が出来ている。不覚を取って斬られはしたが奴の方も散々斬られている。奴を斬ったのが俺の剣でないのは癪だが、奴はそれでもまだ『足りて』ない。…当然、俺も。
 ふつふつと身体の奥で血が滾る。…力が抜けて動けねぇなんて言ってられっかよ。そう思ったら回復が早まった気がした――気のせいか本当にかなんてどうでもいい。…動けなくったって俺は動く。自分と大して間合いの離れていない位置、血塗れの男とケヴィンが交わす剣戟の音が耳に届く。それだけで身体が疼く。…おいおい、俺はほったらかしかよと思う。人の出番取るんじゃねぇよ。こっちはまだ満足してねぇんだよ。
 気が付いたら口が呪文を詠唱している。さっき吐いた血の粘りが少し口の中で絡まるが大した問題じゃない。気にしないで呪文に集中する。血が昂ぶるままに続ける。殆ど自動的。何を唱えていたのか意識していない。けれど先程の雷撃魔法とは違う呪文である事だけは何とか把握する。詠唱を終えると先程の雷撃魔法とは違う図柄の魔法陣が中空に展開。引っ張られるように腕が浮かされている。指も動く。上げられる。魔法を撃ち放つ形、真っ直ぐ手を伸ばしているのも殆ど自動的。手の先でぶわりと極冷の凍気が膨らむ。氷結魔法とそこで理解する――。
 ――が。
 撃ち放とうとしたところで、潰された。見ていた自分。氷結魔法が発動したその瞬間、その発動点に血塗れの男の足が――鋭い蹴打がいきなり飛んできた。発動点とその蹴りがぶつかったと思った途端、ジュッと焼けるような音と共に蒸気が湧く。凍るのを通り越し、瞬間的な凍傷で黒くなった足の形がぼろりと崩れる瞬間さえ見えた。蹴りの一発で俺の氷結魔法を潰して、血塗れの男は着地。…代償に取れたのは右足の先。体勢を崩し、右手で握った刀を杖にして漸く踏み止まっている。その左。図ったようにケヴィンからの一撃が入る――が、斬り込む前に止められている。…はっきり見えはしないが多分、血塗れの男は徒手の左手だけで止めた。そして続け様のケヴィンからの二撃目――こちらはもう刀で受けていた。
 目を疑う。あの足で踏ん張れる訳が無いと思ったら――たった今取れた筈の右足が戻っている。そう来るか。どくんと心臓が脈動する。何をした。凄え。何だありゃ。効かない訳じゃない。効いている。効いているのに、すぐ戻る。すぐ戻るが――それを承知していたとしても、完全に発動する直前に敢えて俺の魔法を潰しに来た事実。先程、俺の放った雷撃魔法の連発を完全に無視して突っ込んできたのとは明らかに違う。気にならないのなら――それで済むなら放っておけばいいのにそうしなかった。今はわざわざそんな事をした。そんな事をする必要――それは今の魔法は脅威だと見たからでしかない。それは俺も今の氷結魔法は思ったよりも威力が上げられていたような気はした。そうしたら、これか。なら、攻撃を加えても無駄になる訳じゃない。倒せる――思った途端、狂喜した。
 右目の眼帯を乱暴に剥ぎ取る。邪魔だ。剥ぐ為に普通に手指が動く。腕が動く。立ち上がる。もう自分の身体は回復しているとそれで実感。再び呪文の詠唱を開始する。剣撃を受けた奴の刀で逆にケヴィンが突き放されたのが見えた。…今。思ったところでたった今用意した雷撃魔法を撃ち放つ。詠唱と発動を連続する。余計な事は考えない。ただ、奴をぶっ倒す。その為に全力で行く。撃ち放った雷撃魔法は狙った通りに奴に直撃。奴はそれでこちらに来るか。来ない。来ない事で奴の動きが一時的にでも止められている事を確認する。確認した時には俺はもう剣を取り地面を蹴っている。蹴り出せる。問題無い。行ける。衝動のままに思い切り吼え、奴へと向かって突っ込む。
 剣を振り被る俺の身には既に纏うオーラの如く雷が展開している。少し遅れて奴の方も俺に向かって突っ込んで来る。奴もまた濃い土色の炎を纏っている。上等だ。思った時には俺の剣と奴の刀が真正面からかち合っている。この手応えが堪らない。打ち返す。弾く。また打ち込む。剣を介して雷撃を放ちもする。炎。熱波に煽られる。ぎりぎりで躱す。避ける――瞬間的に朦朧とする。すぐに戻る。まだまだ…っ。
 数手交わした後。俺が弾かれたところで横合いからケヴィンの二連撃が入る――それらを刀で受けた直後、奴の動きが妙に鈍る。何が起きたかは見切れない。だが、好都合。次は俺。思いながら躍り掛かる。ケヴィンはぎりぎりまで避けようとしない。何か見極めた上で飛び退る。奴の方はまだこちらの攻撃を受けられる体勢になっていない。妙に動きにキレが無い。行ける。思ったところで――奴の血の色の瞳だけが強い力をこめこちらを見る。
 …異様な気配が膨れ上がる気がした。
 途端、どす黒い火柱が目の前に立ち上る――明らかに奴の仕業であるだろう、それ。俺は寸前で足を止め退いている――殆ど自覚もないままに。だからこれは恐らくは俺の中にある水竜の部分の本能的な判断。こんなものに突っ込んでいたらどうなっていたか。ごくりと喉が鳴る。それは恐怖でか興奮でか…何だかもうどちらだかわからない。
 とにかく、声が上擦る。
「いいねぇいいねぇ…。へっ…そのまま燃やし尽くそうってか。なかなかやるじゃねぇか、なぁ?」
 身体が熱い。それが戦いを渇望する意味でか実際的な意味でかすらわからない。
 もうどちらでもいい。
 行くぜ、と叩き付けてから再び奴に肉迫する。その時にはさっき感じた奴の妙な動きの悪さは消えている。元通りの軽い動きになった奴とまた、激突。もう後の事など考えない。剣を介しての雷撃の接射。視界を刺す烈光が乱舞する。燃え上がる異様な炎の抵抗と攻撃。…この血塗れの男が纏っているこれは魔法では無い気がした。何と言うか、術として構成したモノじゃなく、剣気がそのまま具現化しているような感触。いやそもそもその炎自体、奴自身であるような気さえした。…勿論はっきり断定出来るような事じゃない。全部俺の感覚の話。
 元々、初見の時点で人か魔かと疑った。正気でなく見えた。…何らかの要因で炎と化した? 炎こそがが実体? そんな気がした。ならば俺は一番苦手なモノと正面から遣り合えてるって事じゃねぇか。出来るんじゃねぇか。何も怖がるこたァねぇ。やろうぜ。もっと。試させろ。俺の力を。思ったところで腕に剣以上の重みがかかる。刀で打ちかかられている――俺はまだまだ受けられる。自分でも凶暴だと思える笑みが口の端に浮かぶ。
 さァ来い。応えるように次が来る。文字通り打てば響くような反応。いつの間にか奴もまた俺と同じような笑みを見せている。互いの刃を弾き間合いが開いたところ、酷く楽しそうに仰のいて哄笑している奴の姿――それまで表情らしい表情が殆ど無かったところで、高笑い。一頻りの高笑いの後、往くぞ、と声がした気がした。その声が聞こえたか聞こえないかと言うタイミングでもう奴は俺に躍り掛かって来ている。刃より熱の気が先に来た――舐める炎で髪と皮膚が焼かれた気がした。
 油断。舌打つ。身に纏う雷を意識して強めた。ばちりと火花の音。その上で俺も奴に躍り掛かる。身体が重くなった気がした――何を言っている。まだだ。まだ動ける筈。気合いのつもりで雄叫びを上げる。まだ退かない。退けない。まだやる事が残っている。こいつを、倒す――。
 と。
 血塗れの男に向けて両手で構えた剣を振り被ったそこ――いきなり目の前にケヴィンの背中があった。ぎょっとする。慌てて自分の動きを止める。いつの間にそこに居た。問おうとする間にもケヴィンは両手にそれぞれ構えた剣で奴に向かって冷静に連撃を入れている。二刀流。右は普通の片手剣だが左はUの字型に二本刃が突き出た音叉のような形の奇妙な剣。
 剣戟を交わす中、音叉のような剣の方で打ち掛かった時に空気が異様な震え方をしているのに気が付いた。そうなると血塗れの男の方の剣筋がやや鈍る。鈍ったところですかさずケヴィンは次の一撃を入れている。ぎりぎりで受ける血塗れの男。…ケヴィンはそれを狙ってやっている事に気が付いた。…俺が目標を誤った訳でもケヴィンが望まず巻き込まれた訳でも無い。ケヴィンは今自分の意志でここに割って入って来た――俺の前に出た。
 そう思ったら口を衝いて罵声が飛び出した。
「――ケヴィンてめぇ邪魔するんじゃねぇ退きやがれ一緒にぶち殺すぞっ!!!」
 邪魔すんじゃねぇ、俺をナメるな。…怒鳴っただけで力が抜けそうになった。腕が上がらない。何でだ。俺はまだやれる。庇うような真似すんじゃねぇケヴィン――俺を見縊るんじゃねぇ。
 罵声を浴びせながら血塗れの男と対峙するケヴィンの背中を見る。

 …ぞっとした。

 無言のまま、その主はこちらを見てさえいないのに掛かってくる恐ろしいまでのプレッシャー。いいかげんにしろとでも言いたげなケヴィンの背中。
 一気に頭が冷えた。
 冷えるなり自分の状態に気が付く。袈裟懸けに斬られた負傷の度合。全開で消費しっぱなしだった魔力の残量。張り詰めていた筈なのに弱っていた雷の鎧の時点で気付いて然るべきだった。火の熱を何の抵抗もないまま直に感じるようになった時点で退くべきだった。…元々反属性の場での戦い。自覚したら更に身体中に力が入らなくなる。…ああくそ。それもそれでヤバいだろうが。それはあの音叉の剣は結構使える代物のように見えるが――だからと言ってケヴィン一人で何とかなるとも思えない。時間稼ぎのつもりか? 稼いでどうなる。…まさか逃げろとか俺が初めに思ったのと同じ事を考えちゃいねぇだろうな。ンな事言い出したら本気で怒るぞ――。
 と。
 背後から見ているそこで、奴からケヴィンにやや強い一撃。それを剣で受けるのと同時に――受けたその衝撃でケヴィンが片手剣の方を取り落とした。取り落とした剣の柄が妙に赤く汚れている。今斬られて付いたような血では無く、滲んで付いたような血。…掌に負傷していたのかと気付く――それでも敢えて俺の前に出たと言う事実。…莫迦野郎。俺も莫迦だがあんたも莫迦だ。奴はそのままケヴィンに畳み込んでくる――ケヴィンは咄嗟に退いている。退いているがそれでも刃を避け切れはしなかった。斬られていた。その場でがくりとくずおれる。
 それを見た途端、目を剥いた。
「てめぇッ!」
 感情が爆発する。力が抜けて動けないとか魔力が足りないとか諸々の悪条件を瞬間的に忘れた。忘れたその状態で一気に間合いを詰め血塗れの男に踊りかかる。技術と言うより殆ど力尽くで叩き込んだ剣撃。ギィンと重い音がする――それでも結局刀に受けられてしまう。血の色の目が笑っている。刀を弾く。次の一撃を狙う――が。
 そこまでだった。
 こちらが次の一手を繰り出す前に、俺の方が向こうの一撃を食らっていた。もう剣筋を追えもしなかった。再びの灼熱。…悔しいが何処か冷静な部分で当然かとも思う。こちらは奴のような常人離れした裏技は無しの満身創痍。幾ら強靭な体力を持つ竜が混じっているとは言え、何と言っても場が悪い。もうまともに動けそうにないのが正直なとこロ。気を抜ケば灼熱と痛みに苛まレル。意識セず苦悶の声ガ漏レテイル。…痛い。熱イ。死にソウで。生きタくテ。こんナトコろでくたばッテ堪るか。敵。敵。敵。大きナ。勝テナイ。んナ訳ハネェ。怖イ。怖イ。怖イ。死ニタクナイ。生キタイ。生キタイ。生キタイ。当然。生キル為――出来ル事。スル。

 敵、倒ス。
 出来ナクトモ。
 スル。
 出来ル事。
 俺ニ。

 渦巻ク雲ヨ。
 天罰ヲ。

 ――――――稲妻ヲ我ガ敵ニ。

 辺り一面ヲ照ラス烈光。
 竜語魔法。
 …雷、落チタ。
 敵、消エタ。
 俺ハ生キテイル。
 出来タ。
 生キラレタ。
 俺ハ。
 …ドウスル?
 コレカラ。
 ドウシタライイ。
 考エル。

 俺ハ今、アノ人間ト一ツニナッテ生キテイル。
 人間ノ形ニ縛ラレテイル――竜ノ形ハトテモ疲レル。
 今ノ俺ハ、りるど・らーけん。
 ナラ、人間トシテ。
 身体ヲ治ス。

 ソレガ第一。
 俺ハ、眠ル。



 …気が付いたら地面にぶっ倒れていた。
 どうやら俺は死んではいないらしい――俺の記憶が確かなら、最後に斬られたあの直後、俺の意識は竜の意識に移っていたような気はする。
 それで、何をした。

 ………………俺が知るかよ。

 倒れたそのままの状態で何となく左右を確認。
 と、すぐ側でケヴィンが俺同様ぶっ倒れていた。怪我はしているが生きている。そして相変わらず無言無表情のまま空を仰いでいる――瞼は確り開いているが全然こちらを気にする気配が無い。元々普段から無表情なのは知っているが、今この時ばかりは放っといてくれと全身で主張しているような…物凄く話し掛け難い空気を醸している。
 余程疲れたらしい。
 まぁ、かく言う俺も指一本動かせないような状態ではあるのだが。
「…あんた結構やるな」
 労ってみた。
 案の定、返事は返って来ない。
 でもまぁ、今の俺の労いでケヴィンはこちらの存在を意識に入れたような気はした。
 沈黙も重くは無いので取り敢えず良しとする。
「…終わったと思うか」
 訊いてみる。
 返るのは無言。
「…。…たまにはなんか話せよ」
 促してみても効果無し。
 ただ。
 俺の言った事に反対しているような気はした。
 終わったと思うか――終わっていない、と。
 終わっていないなら今あの男がこの場に居ない理由は。
 俺たちは見逃されたとでも言いたい訳か。
「…言いたい事があるならはっきり言えよ」
 負けたってよ。
 科白に少し険を込めてみる。
 そのまま少し待ってみる。
 が、全然答えが返ってくる気配すらない。
 …くそ。
 これじゃ俺の方がガキみてぇじゃねぇか。
 そりゃあ、ケヴィン相手じゃ言葉で返答を求めるのが一番難しい事なのかも知れねぇが。
「…まぁ何にしろ疲れたな」
 諦めて、気楽に同意を求めてみる。
「おい、ケヴィン」
 何となく同意されたような気はするがはっきりしない。
「…ったく。俺ァ独り言言ってんじゃねェんだぜ…」
 思い切り嘆息する。
 と。
 何処かエルフっぽい――人里に居るなら混血か――確りしてそうな子供と、全身モノクロカラーで何処か猫っぽい女の二人連れが近付いてきた。何者か。咄嗟に俺は警戒するが――何故かケヴィンの方には全然警戒するような気配が感じられない。
 …知り合いか?
 そう訊こうと考える。
 …訊いても答えは返って来ないなとすぐ止めた。
 が、俺が気付いているところ。ケヴィンの方があの二人に気付いていないとも思えない。気付いていて完全に見知らぬ相手なら、幾らへばっていたとしても警戒の一つはするだろう。
 なら、この二人はどうでもいい相手になるのかと思う。
 取り敢えずケヴィンにしてみれば問題は無い相手なのだろう。
 …なら俺もその判断に乗るさ。
 そう決めて、目を閉じる。

 思い出す。
 火の気を纏う血塗れの男。
 相当な手練である上に、反則レベルの耐久力。
 なかなかに血が沸き立った。
 …首を動かし周囲を見る。
 目に入る無惨な死体。
 これだけの事をして行きやがった奴なのに、何故か今の俺の中では奴に対して悪感情があまり湧かない。
 あれは、何者だったのだろうか。

 …次に遭った時は、覚えてろ。

【了】


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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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 ■整理番号/PC名
 性別/年齢/職業

■視点PC
 ■3544/リルド・ラーケン
 男/19歳/冒険者

■同時描写PC
 ■3425/ケヴィン・フォレスト
 男/23歳(実年齢21歳)/賞金稼ぎ

■NPC
 ■火の気を纏う血塗れの男(=佐々木・龍樹)

 ◆ヨル(@孤児院の魔女たち/ライター・夜狐様よりの共有NPCです。存在のみ登場)
 ◆レシィ・シゥセ・レガス(〃)

■舞台
 ◆クールウルダの町(@孤児院の魔女たち/ライター・夜狐様のところの設定になります)

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          ライター通信
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 リルド・ラーケン様には初めまして。
 今回は発注有難う御座いました。

 まずは…こちらで納品した日付がズレ込んでいるので同日納品にはなっていないかもしれないんですが(汗)、ケヴィン・フォレスト様と同時描写になっております、とお伝えしておきます。そんな訳なので、ケヴィン様版のノベルも見て頂けると、リルド様がケヴィン様からどう見られていたかが描写されていたりもしますので、合わせてどうぞ。
 それから、初めましてと言う事で、PC様の性格・口調・行動・人称等で違和感やこれは有り得ない等の引っ掛かりがあるようでしたら、出来る限り善処しますのでお気軽にリテイクお声掛け下さい。どうも当方…リルド様のような性格傾向の方の場合、口調や行動をPL様の想定よりもより乱暴で柄の悪い書き方にしてしまいがちのようなので…特に心配だったりもしております(汗)。…他にも何かありましたら。些細な点でも御遠慮なく。

 ノベル内容ですが、一応剣は壊さないで済みましたが…結構酷い怪我はさせてしまいました。竜の意識覚醒もして頂きましたし(竜の意識は片言にしてみたのですが…あんな感じで宜しかったでしょうか?)。どうも酷い目に合わせてしまっております(汗)。火の気が強く反属性な難しいところでお世話をお掛けしました。
 今回、龍樹の態度が多少リルド様に引き摺られているような感じで暴走していたりもするのですが、この辺の龍樹の反応はリルド様のPCデータ内の何処かの設定が理由だったりします。

 …如何だったでしょうか。
 少なくとも対価分は満足して頂ければ幸いなのですが。

 では、また機会を頂ける時がありましたら、その時は。

 深海残月 拝