<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


【楼蘭】藍・上染





 貴方の心を私の色に染め上げることが出来たなら―――

 一人の娘がそう願った。
 その願いは偶然それを聞いた仙人の興味を引く。
 数日後、青年は娘のこと以外の全てを忘れてしまった。

 青年は片言に娘の名を呼ぶ。
 しかし、歩き方も箸の持ち方も、生きるに必要な全てをも忘れてしまった青年を見て、娘は嘆いた。

 こんな事になるのなら、私の事など知らないままのほうが良かった―――と。

 そして仙人は娘に言う。
 これは貴女が望んだことなのに、どうしてそれを否定するのか。
 ならば貴女が最初に彼を求めた以上に“強く望め”ば彼を元に戻そう。
 けれど、元に戻った彼は貴女の事など覚えていない。

 そして娘は慟哭した。









 じ……と、千獣は見つめていた。
 見つめることは失礼ではあるけれど、千獣には見つめる以外に何が出来るのかを知らない。
 最初は鈴露も何時もの野次馬の一人だろうと思っていたが、千獣の視線がいつもあることに段々不審――いや、不機嫌になってきていた。
 そして、とうとうその日が来た。
「あなた何! そんなに物珍しいの!?」
 怒りを露にした鈴露に千獣はただ小首を傾げただけ。
「……話、聞い、た、から………」
 そう、千獣はこの町に来て、不思議な青年と娘の話を聞いた。
 ある日突然娘――鈴露以外の事(生活に関する記憶まで)忘れてしまった青年。
 そして、仙人が娘に教えた青年を治す方法。
 千獣は町の人が話している内容を聞いてから、不思議でしょうがなかった。
 強く願うだけならば、治ってほしいと、思い出して欲しいと“強く望め”ば良いだけなのに、どうして鈴露はそれをしないのか。
「……彼……治し、たく、ないの……?」
「そんなわけ無いでしょう!」
 治したいに決まっている。
 鈴露の叫びに、千獣はまた首を傾げる。
 “強く願う”だけなんて、とても単純で、けれどとても効果的だと思うのに。
「私が彼を嫌えるわけ無いじゃない…!」
 好きの反対は嫌い。求めたときと同じように強い気持ちを持つことで彼が元に戻るならば、反対の気持ちをぶつけなければいけない。
 それが鈴露の持論だった。
 けれど、そんな鈴露の叫びを聞いても、千獣の顔はどうしてと言う様に、きょとんとしたままだ。
「……なんで……その、人、戻す、のに……嫌い、に、なら、なきゃ……いけ、ないの……?」
「あなた、私の言ったこと聞いていた?」
 好きの気持ちから彼が自分のことだけしか見なくなったのなら、それを元に戻すのは嫌いの気持ちだと。
 彼を今のような状態にした仙人が、そう言っていた。彼を求めた以上に“強く願え”と。
「……その……せん、にん……? ていう、人は……強く、嫌いに、なれって、言ったん、じゃ、ないよね……?」
 仙人はあくまで“強く願う”ように言っただけ。
 それを鈴露が勝手に勘違いしたのだ。
「あなたの、願いは、何……?」
 彼を自分のものにすること? それとも、彼を元に戻すこと?
「私は彼を治したい。治したいのよ」
 鈴露の心は頑なで、千獣の言葉に耳を貸そうとするような余裕がない。
 それほどに、赤ん坊のようになってしまった彼と共にいることに、疲弊してしまっているのだ。
「もう、帰って!」
 鈴露は千獣に背を向けて、自分の家へと走る。
「……あ…」
 千獣は追いかける。
 このままじゃ、彼も彼女も幸せになれない。
 ピシャリと閉まってしまった戸の前で、千獣は押せば直ぐにでも壊れてしまいそうな木の扉にそっと手をかける。
 家の中からは人の気配。
 一つは鈴露。もう一つは、きっと彼のもの。
「……その、人、戻し、たい、ん、だよね?」
 閉じられた戸を開けられるほど、親しくはない。だから木の戸ごしに、千獣は鈴露にもう一度問う。
「どう、して……言葉の、まま……その、人、元に、戻って……って、強く、望ま、ないの……?」
 決して強い口調ではない。
 まるでこの木の戸は、鈴露の心の扉そのもののような気がして、静かな声音で千獣はただただ戸の向こうの鈴露に問い続ける。
 言葉のまま捉えれば、きっとこんなにも簡単なのに。
 どうして人は真っ直ぐに捉えられないのだろう。
「もう、止めときなさな」
 村人らしきおばさんが千獣を止める。
 誰も彼も我関せずを貫き通し、村人の中には鈴露が呪法を使って彼をあんな状態にしたとさえ思っている人も居るのだ。
 けれど、誰かが言ってあげなければ、誤解したままの鈴露は全てにおいて一人ぼっちだ。
 例え、今は彼が傍に居てくれるといっても、記憶の全てをなくした彼が鈴露の味方かと問えば、はっきりと違うと言える。
 ならば、鈴露が望み元に戻った彼は鈴露の味方なのだろうか。
 これもまた違う。
 全てを取り戻した彼は、鈴露のことを覚えていない。それが仙人がかけた術だから。
 だけれど―――
 千獣は話しかけてきたおばさんに一度視線を向け、木の扉の手をついたまま俯いた。
「好きな、人に、忘れ、られる……それは、とても……つらい、こと、だよね……」
 自分にも好きな人がいるから、その人に忘れられたら自分も鈴露のように周りが見えなくなってしまうのだろうか。
「……でも、あなたは……?」
 戸の向こうで戸惑うような気配が伝わる。
「その、人が、あなたを、忘れたと、しても……あなたは、その、人の、こと、嫌いに、なれる……?」
 例え彼が忘れてしまっても、彼を好きになった自分、彼を好きだという自分が記憶からなくなってしまうわけではない。
「忘れ、られる……?」
 酷い状態になってしまった彼を――自分の責任だという負い目を差し引いて――世話が出来ている鈴露が、そう簡単に彼を諦めるなんて出来ると思えない。
「好きな、まま、だよね……?」
 だって鈴露はこんなにも彼が好きなんだから。
 ちょっとやそっとのことで彼を嫌いになんてならない。
 自分だって場面や立場が違えど、鈴露とさして大差ない状況や感情を持っている。
 置き換えて考えてみて、自分は鈴露のような選択はきっと取らない。それは性格の違いもあるかもしれないけど、彼を一番に思うなら、自分のことを忘れてしまっても構わないと思うのだ。
 確かに、共有した記憶が全て無くなってしまうのは辛いけれど、それはまた作っていけばいい。
「忘れる、ことと、嫌う、ことは、別……もう、一度、始めたら、どう、かな……? はじめまして、から……」
 だって、忘れてしまっても、彼が鈴露を嫌いになるわけじゃないでしょう?
 好きなら、何度だってやり直せばいい。
 出会いのトキメキが何度も味わえると思えば、考えようによっては儲けものだ。
 鈴露からの応えは返ってこない。
 一拍置いて、千獣はゆっくりと息を吸い、待つように吐いた。

















 千獣は隣に立つ鈴露を見上げた。
 彼はもともとの家族に囲まれ、笑い合っている。
 それを鈴露は遠目から見つめていた。
 哀しそうな、けれどどこかほっとしたような微笑を浮かべている彼女。
 “自分”を取り戻した彼女は、可愛く見えた。
「もう一度、始められるかしら」
 彼を見つめたまま鈴露は問いかける。
「あなたが……彼を、好き、なら、大丈夫……」
 千獣も鈴露から彼に視線向けて、ほんわかと微笑んだ。

















☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【3087】
千獣――センジュ(17歳・女性)
異界職【獣使い】


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


 【楼蘭】藍・上染にご参加ありがとうございます。ライターの紺藤 碧です。
 同じように好きな人がいる立場としてイロイロと書きすぎてしまった感が否めませんが、志や心持がたぶん同じだろうと思うので伝わりやすかったのだと思います。
 って、書いた本人が思いますと書いていれば世話ないですね(笑)
 それではまた、千獣様に出会えることを祈って……