<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


普通である幸福





 カラコロンとドアベルの音が下宿あおぞら荘に響く。
 この道ももう行きなれてきただろうか。
 とりたてて複雑でもなく、特筆するほど特徴的なわけでもない。
 いたって普通な場所に、そこはあるのだけれど、シルフェにとって少しだけ意味のある場所。
 特別……とまで言ってしまうと、少し大げさだけれど。
 生活の中に自然と存在していると思えば、確かに、特別ではない。
 普通。
 その普通が逆にとても嬉しい。
 鳴らしたドアベルの音は家人を呼び、しばらくしてルツーセが奥からパタパタとかけてきた。
「おはようございます」
 シルフェはぺこりと頭を下げる。
「あ、おはようございます」
 ルツーセもつられるように頭を下げて、はて? と首を傾げる。今はまだおはようという時間だろうか。
「業界用語というやつです。うふふ」
 いつでも最初の挨拶は「おはようございます」。その場所での一日の始まりの挨拶なのだから、間違ってはいない。
 だが、違和感を感じる人は感じるものだろうとも思う。
 ちょっとどこかそわそわとしているというか、むず痒そうな表情でルツーセはシルフェをちらちらと見る。
 どうしてそんな風に見られているのか分からず、シルフェは小首を傾げるが、ルツーセはごまかすように笑って、
「コールさん、呼んでくるね」
「あ、いえ、今日はルツーセ様にご用事が」
 パタパタと奥に戻ろうとしていたルツーセを引き止める。
「あたし…?」
「はい」
 頷き、にこにこ顔のシルフェに、ルツーセはしばし瞳を泳がせる。
「あ…ありがとう」
 照れているのか頬をかすかに朱に染めて、どこか気張ったような、少しだけ緊張しているような声音で、口を開いた。
 今度はシルフェがきょとんとした。
「前、言いそびれちゃったから」
 ああ、と合点がいったと言うように、シルフェはぽんと心の中で手をたたく。
「お気になさらず」
 シルフェは少しだけ距離のあるルツーセに近づき、その手をとる。
「それはそれ、これはこれ。わたくし命の恩人よりもお友達の方が好きですよ?」
「う…うん。ありがとう」
 ルツーセは本格的に照れるように、白い髪をかきあげた。
「コール様とルミナス様はいつもあんな感じなのですか?」
 一見仲がよさそうに見えるが、どこか他人行儀でよそよそしく、兄弟という役を演じているような。
「そうね〜。でも、ちゃんとコールさんがルミナスを諌めることもあるのよ」
 例えば料理とか。
 天才を通り越して、神の域にまで達した料理下手が、料理をすることを止めるために。
「なかなか想像がつきません」
 一生懸命想像してみるが、コールが誰かを諌めるような姿は一向に浮かんでこない。
 逆に一緒になっておろおろしていそうな雰囲気だからだろうか。そして、それを笑って見ているのがアクラ。止めるのがルツーセで。そんなイメージがつい湧いてしまう。
 シルフェはふとルツーセを見やり、ぱちぱちと目を瞬かせる。
「ルツーセ様は…女性、ですよね?」
「ん?」
「あ…いえね、アクラ様の態度が、他の女性の方と違うと言いますか」
 全身から女の子大好きオーラを出しているアクラが、ルツーセに対して(身内分差し引いても)対応が悪い。
「あぁ。正確にはね、性別はまだ確定していないの」
 だから、望めば男の子にもなれるのよ。とルツーセは笑顔で言ってのける。
 それはもちろんアクラも同じなのだが。
「イロイロありはしたけどねぇ…」
 黒い笑顔でこそっと言ってのけた言葉は、どうやらシルフェには届いていないようで、ルツーセはころっと表情を戻す。
「気にしなくていいのよ」
「そうですか」
 それにしても、下宿なのだから、こうしてホールで話していれば、誰かしら住人に出会いそうだと思ったのだが、誰とも会うことがない。シルフェはホールをぐるっと見回し、
「生活のためと聞きましたけど、下宿をして楽しいですか?」
「この世界の人と触れ合えるし、他の世界の人だって来ることもあるから、それだけで楽しい…かな」
 こうしてシルフェとゆっくり話せるし。とルツーセは答える。
 別荘にいてもそれは可能だっただろうが、さすがに4人全員がお世話になるには気が引けた。
「ここの案内、していただけますでしょうか」
 やはり、見てみたいと思う。コールが、コール達が生活すると決めた場所がどんなところなのか。
 シルフェの願いに、ルツーセはしばし目を瞬かせた。
「ここの案内?」
 そういえば最初に下宿に訪れたとき、シルフェはコールに用事で下宿の案内をしていなかったといまさらながらに思い出した。
「部屋で、いいの?」
「できれば下宿全体を」
 ルツーセはうーんと眉根を寄せたが、たったと奥へと続く廊下の入り口へ向かうと、促すように手を広げた。
「自信ないけど、どうぞ」
「わざわざお時間割いて頂きまして、うふふ、ありがとうございます。ルツーセ様」
 部屋を借りるわけでもなく、ひとえに好奇心からのお願いが少々申し訳ないが、楽しそうという気持ちには勝てない。
 廊下を歩いてすぐのところに、入り口に『モデルルーム』と書かれたドアプレートがかかった部屋の前に立つ。
「まずは、この下宿で貸している部屋ね」
 ドアを開けた際、シルフェにすぐ中が見えるように立つと、ルツーセはドアを開けた。
「まぁ」
 中は小奇麗で、調度品に癖もなく、シンプルにまとまっている。
 料理をする場所がないことを除けば、普通のワンルーム系のアパートとなんら遜色ないかもしれない。
 そこそこ生活する分には快適そうだ。これで料理が美味しいならば。
 部屋を借りるわけではないので、部屋の内装もほどほどにシルフェとルツーセは下宿の奥へと進み始める。
 基本的な造りは迷うような構造ではない。各階廊下が一本伸び、廊下の片側は窓、もう片側が部屋という分かりやすい構造。
 入り口に近い場所、モデルルームと実際に借りられる部屋との間に上階に昇る階段があり、部屋番号が若ければ若いほどホールに近い。
「この先にも上に行く階段が?」
 両端に階段があると便利だなと単純に思ったのだが、
「あ、階段はここだけなの。先……どれだけあるか分からないから」
「まぁ」
 数字が増えれば増えるほどホールから遠くなり、戻りづらくなる。さすがに朝から小運動なんてしたくない。
「行くことはできるわよ」
 行ってみる? と問われても、それがどれだけ遠くなるのか分からず、怖いもの見たさはあったが、シルフェはそれはまた後日にすることにした。
 単純に歩きで行って戻れる範囲まで。
 しかし、同じ景色が広がって、階段を上がったところに案内がなければ途中で何階まで上がったのか分からなくなりそう。
「うぅん、もしかしてこの下宿はコール様が迷子を克服するのに最適……ではないかしら」
 紙一重かもしれないが、この場所は単調だからこそ訓練にも使えそうな。
 単純に考えれば、一本道を行ったりきたりするだけで済むのだから。
「あーコールさんはね。迷わないの」
「あら。なぜです?」
「望めば扉が開くから」
 コール自身は気がついていないのだが、有石族が持つ知識で造られた建物のため、扉はコールの意思で自由につながるのだ。それを、ルミナスやルツーセが専用の扉を造ってくれたと思っている事と、必要外の部屋へ行きたいと思うこともないため、迷うこともないのだ。
「便利でございますねぇ」
 ほうっと頬に手をついて感嘆の息を漏らすシルフェ。
「まぁ、でもコールさん自身は気がついてないし、やれないこともないわよ。下宿探検」
「まぁ」
 そんなルツーセの言葉に、シルフェはぱふっと手を合わせ、にっこりと微笑んだ。
「では今度お誘いしてみます。ふふ。ルツーセ様、その際は適当なところで救助をお願い致しますね」
「ん、りょーかい」
 ルツーセはぐっと親指を立てて、にっと笑う。
 今度はもっと楽しいことが起こりそうな。シルフェはそんな予感を抱いて、ホールに戻った。


















☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【2994】
シルフェ(17歳・女性)
水操師


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


 あおぞら日記帳にご参加くださりありがとうございます。ライターの紺藤 碧です。
 ちょっとした世話話をしてみたり、下宿の建物を少し見てみたり、ちょっと詰め込み過ぎで駆け足になってしまったような気もしなくもないですが…
 それではまた、シルフェ様に出会えることを祈って……