<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


【楼蘭】棉・謀計







「えぇ、分かっている。分かっているわ」
 女は口元を弓なり月の形に吊り上げて、膨れたお腹に手を当てて笑った。
 周りには誰もいない。
 ただ女は大事そうに腹を抱え、質素な板間の隅で座り込み、壁に向かって笑っていた。
「あなたは私と仙人様を繋ぐ絆。守るわ、必ず」
 その顔はまさに狂った鬼女。
 手入れを忘れた黒髪は、幾方向にとびはね、こけた頬に窪んだ目は、女が正気を失って幾久しいことを表していた。
「あなたが生まれた時、帰ってきて下さ……っ!!?」
 突然の腹痛。女はお腹を押さえ床をのた打ち回る。
「だ、誰…か。お腹が…っ」
 腹を内側から破り、小さな手が世界を掴んだ。



 同刻―――
 茶屋で語り合う男が2人。
「アレは着々と育っているようですな」
 いかにも胡散臭そうな男が、真昼間から酒を煽りながら笑う。
「あの女、騙されたとも知らずに、大事にアレを育ててるんですからねぇ」
「騙したとは人聞きが悪いですね」
 対し、整った身なりと、優雅な身のこなしで穏やかに微笑んだ男は、お茶を嗜み、微笑む。
「彼女は進んで卵を受け取ったのですから」
 善人そうな面持ちは、全てを謀る仮面。彼は、間違うことなく邪仙だった。



 ―――刻戻り
「天藍。開けるわよ」
 女の家の戸を、手に荷物を持った、女と親しい女性が開ける。
「きゃぁああああああ!!」
 女性は逃げるように後ずさり、路地に尻餅をついてカタカタと震えだす。
「どうした!?」
「あ…あぁ……あ」
 女性は固まってしまったかのように瞳を見開き、家の中を指差した。
 集まった町人たちが、民家の中を見て絶句する。
 頭から血を被ったそれは美しい幼子が、腹が裂け血まみれの女の傍らに座っていた。
 幼子は嗤う。
 女性の首が吹き飛んだ。












 悲鳴を上げて蟻の子のように人が散り散りとなって逃げていく。
 その中でシルフェは口元に手を当て、悲痛そうな面持ちで眉根を寄せた。
 幼子は屍を踏み越え、ゆっくりと民家から外へと出る。
 逃げ遅れ、腰を抜かしていた老人の背から鮮血が噴いた。
「……惨いことを」
 シルフェは死した人々に短い黙祷を捧げる。
 それ以上幼子から眼を離すことは、自分の身が危なかったから。
 悲鳴を上げる人々。
 走れる足が動く人はまだいいが、もつれさせ倒れ、腰を抜かした人は、ただその場で震えるしかない。
 惨劇を止めようとした人の末路は、ただ眼を背けるしかない。
 怪我をされた人の治療を―――……
 水操師には人の怪我を癒す術はあっても、人を生き返らせる術は無い。
 倒れている人に駆け寄り、そっと手を触れて、脈の無い首筋にシルフェは唇を噛み締め眉根を寄せた。
 誰も幼子を止めようとしないのは、恐れからか―――いや、誰も生きて近づけないだけ。
 近付こうものならば、築かれるのは屍の山のみ。
 ひた…ひた…ひた……
 吸いきれずに血黙りとなった地面を歩く小さな足音。
 静寂に包まれる界隈。痛みに呻く人の声も、衝撃に悲鳴をあげる人の声もしない。
 シルフェはマリンオーブに手をかける。
 水流を呼び出し止めようと思ったのだが―――
「おやめなさい」
 姿が幼子では強硬手段も取りにくい。
 マリンオーブから手を離し、シルフェは立ち上がる。言って止まるならば、こんな楽なことはないけれど。
 幼子はゆっくりと顔を持ち上げた。
 にこお。
 それはそれは綺麗な笑顔。
 幼子はその小さな手をシルフェに向ける。

 パキン―――ッ

 何かが、弾かれた音がした。
 シルフェは自分の前に出来た影に、ゆっくりと顔を上げる。
 そこには、刀身さえも樹で出来た装飾のついた柳葉刀を構えた青年が、シルフェを庇うように立っていた。
「呆とするな!」
 青年は肩越しにシルフェに振り返る。
「桃…様……」
 あの桃から生まれた子は、青年となり旅を経てここに帰ってきていたのだ。
「結界を敷く。一旦ここを離れるぞ」
「ですが、桃様……」
 幼子は桃が持つ桃聖樹によって一旦動きを封じられている。自由に動けない幼子は、先ほどの愛らしい笑顔とは裏腹に、怒りに顔を歪ませこちらを見ていた。
 桃は沈痛な面持ちで顔を伏せる。
「……もう、息のあるものは居るまい」
 幼子の衝撃は、何の慈悲も無い。
 シルフェはただ口元を押さえる。
「まだ、いるかもしれません。隠れているだけかも……!」
 助けたい。
 けれど、このままこの近くにいては自分たちの身が危ない。
「我侭を言うな」
 桃はシルフェを抱え上げ、その場から数歩分後ろへ飛びのく。
 桃聖樹が離れ、かくんっと行き成り力が抜けたかのように腰を折り、幼子に自由が戻る。
「破!」
 だがそれもつかの間。桃は印を組み、結界を発動させた。
 これでこれ以上の被害は食い止めることが出来る。
 後はあの幼子をどうするか。それだけだ。
 壊してしまうことが一番楽だが、上手く壊させてくれるだろうか。
「あなたがいらっしゃってようございました」
 もし自分だけだったら、何も出来ずただ死に逝く人々を見ているだけしか出来なかった。
「…………」
 桃は開きかけた口を閉じる。
 そして、ふいとシルフェから視線を外し、結界に封じ込めた幼子に向ける。
「あの子は、喋れるのでしょうか……」
「分からぬ。だが―――!」
 ぎりっと奥歯を噛み締め、激昂に釣り上げた眼はいつにない憤りを含んでいた。
「奴も私と同じだと思うと反吐が出る!」
「それは……」
 桃と同じ宝貝人間だということ。
 人に――仙人に作られた擬似人間。人の姿でありながら、人ではなく、ただ意思を持った宝貝。けれど、明らかに桃と幼子では生まれから大きな差があった。
 片や、桃から生まれ、完全なる人のような姿で生まれた者。
 片や、人から生れ落ちながら、人としての何かを持たず生まれた者。
 この差は何を表すか。
「何故こういった酷い事をなさるのでしょう……」
 幼子は、結界の中でもがく。だが、天界の桃の聖樹で敷かれた結界は、例え宝貝人間といえど幼子程度の力では破れることは無い。
「私と出会った時のことを覚えているか?」
 頑なに鬼を倒すと言っていた桃の姿。
 ならば、あの幼子に植え付けられている使命は、人を殺すこと?
「作り主はどういった方なのでしょう……」
 桃を作ったのは、あのやる気のない仙人。
 ならば、これほど邪悪な幼子を作るなんて、どれだけ邪悪な仙人か。
「分からぬ。だが、師父に何かしら恨みを抱いているのは明白」
「恨まれてばかりですね」
 あの性格では仕方ないのだけれど。とシルフェは思う。
「シルフェは生まれる瞬間を見たか?」
 桃の問いに、シルフェはただ首を振る。
 しかし、その瞬間を見たわけではないが、幼子の奥に腹部が血にまみれた女の死体があったことを思い出す。
「誕生に母たる者の腹を破ったか……」
 幼子は人の姿をしていながら人ではない。人を模すための肉の皮を被った道具。
「どうして女性のおなかにいらっしゃったのでしょう?」
「人の身の内に入ることで、人の擬態を手に入れようとしたのだろう」
 血によって事を成すのはまさに邪仙が使う術。
「そんな事を考える輩は邪仙しかいない……」
 何か、とても大きな影を感じる。自分たちに向けられた悪意を。
「アレの核を回収せねば……」
 また同じことが繰り返される前に。
 桃はちらりとシルフェを見る。
「シルフェはこれ以上関わってはならぬ。分かるな?」
 有無を言わせぬ口調だった。
 桃は組んだ印の形を変える。結界が徐々に小さくなり、幼子の肌に食い込んでいく。
「……あっ…」
 中身や行動がどうあれ見た目は幼い子供そのもので……
 シルフェはぐっと唇を噛む。
 縛られ、口から丸い核を吐き出した幼子は、どろりと解けるようにその身を崩した。
「哀れな人形(ヒトガタ)よ……」
 桃は周りの惨状とは不似合いなほどに力漂う核に、桃聖樹を振り下ろした。
「終わったのですね……」
「ああ」
 核にはもう何の力も無い。
 桃が何か言いたげに振り返る。けれど、シルフェはそれを勤めて笑顔で受け止めた。
「ご安心ください。危なくなったら上手く逃げますから」
 確かに他人の事情に首を突っ込むような趣味は無い。突っ込んだところで自分に何が出来るというのか。けれど……
(わたくしにも、何か)
 桃の母たる自分にも、何か出来るのではないか。
「宰相様にご相談してみようかしら」
 何か力を貸してくれるかもしれない。
 事はまだ始まったばかり。シルフェにはそう思えて仕方が無かった。





















☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【2994】
シルフェ(17歳・女性)
水操師


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


【楼蘭】棉・謀計にご参加ありがとうございます。ライターの紺藤 碧です。
 シルフェ様は、桃にも瞬にも面識があったので事の核心に触れていくような内容になっています。
 この先も時々あの邪仙は何か仕掛けてくるだろうと思いますので、桃的にはこれ以上関わって欲しくないと思っています。(危ないですからね)
 それではまた、シルフェ様に出会えることを祈って……