<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


【炎舞ノ抄 -抄ノ弐-】聖都奇談

 黒山羊亭。
 そろそろ来慣れたカウンターで、エスメラルダに出してもらった飲み物に口を付けていたところ。
 …ふと、耳に入ってきた話が気になった。
 私と同じくカウンター席に着いていたほろ酔い状態のお客さんたちに、エスメラルダが話していた話。
 その内容。

 聖都の夜に黒い炎の化身が現れると言う噂。
 戻って来てるんじゃないかと言う話。
 黒い炎を纏った、見慣れない格好の異界人らしい若者。
 ………………件の蓮聖様の御弟子さんだったりしない?

 お客さんたちの方からも反応は返っている。
「…あー、言われてみりゃその話、確かに蓮聖サマの弟子と特徴合うっぽいな?」
「俺も裏通りの方で一応ソレ見たんだけどよ?」
「あぁ、俺も見た事ある。なんか人間たァ思えなかったんだけどよ…あの旦那の弟子ってマジ?」
「そういや蓮聖様ここんとこ…とんと見かけねぇな?」
「…なんかワケありで殆ど白山羊亭に入り浸ってるらしいぜ?」
 カウンター席ではそんな感じで会話が交わされている。

 黒い炎を纏う人。
 見慣れない格好の異界人らしい。
 …心当たりがひとつある。
 この間、お仕事で出向いたあの集落に、居た。
 あの牙を持つ相手。

「……その、人……炎、纏う人……」
 気が付いたら声の方が先に出ていた。
 エスメラルダだけでなく、カウンターに座っていたお客さんたちからも私の言葉を受ける視線が来る。
 ゆっくりで語彙に乏しい私の話をちゃんと聞いてくれている。…そろそろ私にもここに居場所ができている。
 続けた。
「……この、街に、居るの……?」
 どういう、人なの……?
 訊いてみる。
 …『件の蓮聖様のお弟子さん』とは何?
「あー、千獣の嬢ちゃんは蓮聖様とは面識無かったっけ。蓮聖ってなァ、ちィと前までよく黒山羊亭に来てた生臭坊主で…坊さんだけじゃなく剣術指南の顔も持ってる奴でな。そいつが連れてる剣術の方の弟子にちょっと厄介な事情があって…まァ以前はその弟子の方もそれなりに真っ当に商売してられたんだが、何だかんだあって今ヤバい感じで行方不明らしいんだよな」
「そうそう。俺、龍樹の旦那の店で物買った事あったから…実はその辺凄え引っ掛かってるんだけどよー。でもあの店の跡地見ちまったら詳細訊くのが怖ぇって」
「…店…龍樹?」
「龍樹ってなァその弟子の名前。確かフルネームは佐々木龍樹だったか。前、エルザードから少し外れたところで店やってたんだよ古道具屋。今は廃墟だけどな。…どうやら店主自身が暴走してポン刀一本で店ごとぶっ壊したらしくって。その時居合わせた客とかも皆殺しにされたとか」
「…。…行方不明、なの?」
「まーな。店ぶっ壊れて以来、それっきり誰もまともに姿確認してないらしい。ただ時々…そいつの仕業じゃないかって騒ぎがとんでもねぇところで起きてたりもするらしいんだが…あんまりはっきりしねぇ。行方不明っつぅより消息不明って感じかもしれねぇな。どっか行っちまったのかそうでないのか…生きてるか死んでるかすらわからねぇらしいからよ。その頃から蓮聖様も暫く見掛けなかったんだが…それが漸く舞い戻って来たかと思ったら今度は黒山羊亭じゃなくて白山羊亭の方に入り浸ってるみてぇで。…ともかくな、その弟子の『今』の特徴と、最近エルザードでよく聞く『炎の化身』の噂の人物――つかハナシ聞く限り人かどうかわかんねぇけどとにかくそいつの特徴、合致するんだよ」
「……そう、なんだ」
 応えながら、自分の前に置いた飲み物の器に視線を落とす。
 考える。
 まるで人じゃないような炎の化身。
 牙一本で店ごと壊す。
 そのくらいのこと、しそうな気がした。
『あの人』なら。
 …その噂の元になってる人は、私があの集落で立ち合った『あの人』じゃないだろうか。
 確かめなければまだ、はっきり言い切れることじゃないけど。
 …そもそも、噂になってる人と、私が立ち合った人、それとその龍樹って人が…同一人物だとも限らない。全部別の人のことなのかもしれない。
 でも。
 私は、同じ人のような、そんな気がした。
 自分の顔が写り込む飲み物の器を両手で持ち上げて、中身を干す。
 空になった飲み物の器をカウンターに置いた。
 それから、お客さんたちとエスメラルダを見る。
 今この時点で、まず確かめておくべきこと。

「……その人…見た…って、言われてる、場所……教えて、くれる?」



 夜の聖都を一人で歩く事はあまりない。
 …単純に、用事がないから。
 人の多く住まう筈の街中なのに、ベルファ通りみたいな大通りから外れたら思ったより静かで…何だか不思議な感じがする。
 エスメラルダとかお客さんたちから噂の『炎の化身』が目撃された場所を一通り聞いてから、私は黒山羊亭を後にした。…何となく、ふらっと出てきてしまっていた。…その噂の人を探しに。なんでそうしてしまったのかは自分でもよくわかっていない。ただ、取り敢えず真っ直ぐ帰る気だけはないみたいで。
 帰る方向に足が動いていない。
 …私はあの噂が気になっている。
 殆ど意識しないまま、噂の『炎の化身』が目撃された場所の内、一番近い現場に向かって足が動いている。
 それで辿り着いたのがまずカウンターに居たお客さんの内一人が言ってた裏通りの辺り。夜と言う時間のせいか人の通りもない。目を閉じる。…あの集落での立ち合いの時の匂いを思い出し、同じ匂いが残されていないか確認する。あれば、当たり。なければ、違う。

 …あった。

 でも。
 その匂いは何処か他の場所に辿れそうなものではなくて。
 ただ、ここにその人が居たことがある、と言うことだけは確信できた。
 …思った通り、噂の人は、『あの人』と同一人物だと繋がった。
 目を開く。
 他に辿れないなら、次の現場。
 それ程頻繁に目撃情報があるのなら、何処か近くに居ることだけは、確かなんだろうから。
 探してみる。
 …自分から牙を持つ者を探すなんて変だけど。
 その自覚はあるけど。
 でも。
 気になるから。
 立ち合ったあの時『あの人』の言っていたことで、浮かんだ疑問が頭から離れないから。
 その答えが聞きたいんだと思う。
 この疑問を晴らしたいんだと思う。
 …私の中ではそんな気持ちが勝っている。

 目撃証言があった別の現場に移動してみる。
 あまり人が居ないのは噂のせいだろうかと思う――まだ黒山羊亭に居た時の、店の中の様子からしてまだそれなりに人は活動している時間帯だと思うから。思いながら匂いを確かめる。…ある。でも。
 やっぱり、途切れている。
 …建物に軽々跳び上がって消えたとか、地面にそのまま融け込むように潜って消えた、って目撃証言もあったっけ。
 思い出しながら辺りを見回す。見回してから、近くの建物の屋根に跳び上がってみる。匂いが途切れたその位置から跳んだとして、跳び上がれそうな屋根の上。上がったそこでまた匂いを確かめる。…ある。屋根を伝う方向、向こうに続いている――辿れる。冷たい夜風を受けつつ、そちらに向かってみる。
 匂いが、消えた。
 消えたそこから、目の前に続く場所はない。屋根の終わり。
 眼下にはまた別の道がある。
 そっちかと思う。
 屋根から下りてみた。
 思った通り、その道にはまた、同じ匂いが続いている。
 辿ってみる。
 …辿り続けて暫く行って初めて、一人思案げに佇んでいる人影を見付けた。
 子供のような小柄な体躯に、この暗闇の中では白く浮かび上がるような色――淡い茶色っぽい色の、袖がたっぷりと垂れていて、裾捌きの良さそうなゆったりとした形の服を着ている。その上に重ね、それより淡い色のぼろけた衣を肩から掛けて纏っている。
 いや、服装だけじゃなく。
 肌の色も髪の色も、暗い中では良く見えた。…そのくらい、薄い色。
 私が近くに来ていることにその人はすぐ気が付いている、とわかった。
 …私は足音も立てないで――意識しなくても習性でそうなってしまっている――ここまで来ているのに。
 その小柄な人は私に気付いている。
 私のことに気が付いたのだとわかった時、同時に少し、驚いているような感じはした。
 但し、その感じがあったのはごく僅かな間だけで、すぐに消えてしまってはいたけれど。…すぐ消せるくらい他者に気配を読ませない人だとも私にはすぐわかった。
 あ。
 服装。
 …良く見れば『あの人』と、同じような形。右左と身頃を合わせる形の襟元。
 それだけでもなくて。
 何となく、纏っている雰囲気が。
 その佇まいが。
『あの人』と何処か、似ている気がした。
 だから、私は声を掛けようとした。
 …掛けようとしたら。
「貴殿も獄炎の魔性に騒がされましたか」
 先に向こうから、声を掛けられた。
「…あの、莫迦に」
 言いながら、その小柄な人はこちらを振り向いてくる。
 そうしたらまた少し、驚かれた気がした。
 けれど今度は何か、さっきとは驚きの質が違う。
 今度は隠そうとしていない。
 目を瞬かせている。
「これは驚いた。こんなに可愛らしいお嬢さんだったとは」
 ?
「…私のこと…さっき、気付いてたん、じゃ…?」
「気付いていたのは、獣の気配にだけ、ですよ」
「…あ…」
 獣。
 それは、私の裡に宿る。
 …千の獣。
 そちらに先に反応された?
「私の、中の…獣、わかる、の…?」
「それなりに。似たような身の、不肖の弟子も居りますのでね」
「弟子…」
「ええ。身の裡に獄炎の魔性を飼っている莫迦が一人」
 静かに言葉が返ってくる。
 子供みたいな、小柄な体躯のその人。
 でも、話し言葉は私なんかよりはっきり大人な余裕があって、丁寧で。
 似たような身の弟子、と言う科白。
 あの莫迦、と噂の『炎の化身』のことを――悪態の形ながらも何処か親しみと嘆きをこめてそう呼び捨てている事実。
 そして何より『あの人』と何処か重なって見える佇まい。
 この人が、蓮聖なんじゃないかと思う。
 思った時点で、ぽつりと口を衝いて出た。
「…『あの人』にも、何かがいるの?」
 思わず、訊いていた。
 訊いてしまってから少し焦る。…何となく、先走ってしまったような――通じない質問の仕方をしてしまった気がする。
 と、小柄なその人は私をじっと見返してきた。
「…龍樹の事を、御存知で?」
 返された名前は、黒山羊亭で聞いた『あの人』の名前。
 素直に答える。
「…佐々木、龍樹、黒山羊亭で、聞いた」
「貴殿は『今の』龍樹と顔を合わせた事があるんですね」
 答えるなり、断定される。
 途端、蓮聖らしい小柄なその人にあった気構えが、ふっと緩められた気がした。…緩められたことで逆に、それまで構えられていたのだと気付く。
「よく、御無事で」
 気構えが緩められたそこで続けられたのは、本気で気遣われている、柔らかな声だった。
 この人は私を見て、そんな風に声を掛けてくる。
 …それは、今の龍樹と顔を合わせることは、同時に龍樹から牙を向けられることにもなる、ってわかっていると言うことになるんだろうか。
 それで、御無事って。
 私は、あの人と立ち合った末に自分が無事だったことなんて特に気にしてなかったから――たくさんの獣が身の裡に息衝いている私の身が無事じゃないことなんてあんまりなくて全然考えの外だったから、その反応には少し途惑った。
 この場合、どう言葉を返すべきなんだろう。
 考えながら、口を開く。
「………………私は、無事。…えっと…でも、あの人、無事か、わからない、けど。でも、この街に、居るみたいだから、無事な気は、するけど。私には、獣たち、たくさん居るから」
 命はたくさんあるから。
 簡単には、死なないから。
 だから、私は、大丈夫。
 …何も気に掛けてもらうようなことはないから。
 そう含めて、言葉を何とか伝える。
 この人は、それでわかってくれそうだったから。
 と、蓮聖はこちらが期待した通り、頷いてくれる。
 …わかってくれたようだった。
「あの莫迦に気遣いは無用です。それより、貴殿の御尊名を伺っても宜しいでしょうか。拙僧は風間蓮聖と申します。恥ずかしながらあの莫迦の剣の師に当たる者」
「…やっぱり、あなた、蓮聖」
「拙僧の名もお聞き及びでしたか」
「私…名前、千獣。千の獣、って書いて、千獣」
「…。貴殿は千獣殿と仰るのですか」
 こくりと頷く。
 と、蓮聖の顔が、何故か少し雲っているように見えた。
 私の名前を聞いた途端に。
 …私の名前がどうかしたのだろうか?
 思うが、それを新たに訊く前に――蓮聖の方が続けて口を開いた。
「龍樹にも何かが居るのかと、問われましたね」
 また頷く。
 蓮聖からの返答は、今度は少し間を置いた。何か言葉を選んでいるような、躊躇っているような。
 そんな感じに見えた。
 私はじっとその様子を見ながら、待ってみる。
 暫くしてから、蓮聖は漸く口を開いた。
「困りました。私は明確な答えを持っていません」
「…そう、なの?」
「居ると言えば居る…のでしょう。龍樹と――あれと共に在るものとだけは言い切れる。けれど…私はそれが『何』であるのかまでは言い切れません。便宜上、『魔性』と――見た通り接した通りの煉獄の炎の如き姿から『獄炎の魔性』とだけ呼んではおりますが、正体は定かではありません。そもそも、あれ自身が元々持っている一面であるのか、全くの他者が何らかの理由で共に在るようになったのか…その程度の事すら判別付け兼ねているのが現状なのですよ」
「師匠の、蓮聖にも、わからない、の?」
「…。飼うという言い方をした通り、あれの裡に、普段のあれとは全く違う荒れ狂う炎が在る事を疑いようはありません。封じる術もありました。けれどその封はあれ当人の意志に多くを頼る封。今のあれはその封に関わりなく畜生道を歩む事を選んでいる。ならば最早我らが外から出来る事はどれだけあるか…どれだけ出来るか。獄炎の魔性が真実『何』であるのかわかっているのならば、こんな事で悩む必要もないのですがね」
「…。…でも、蓮聖、私の獣、わかった」
 龍樹のこと、私と似たようなものだって、言った。
 そう言うと、蓮聖は困ったように苦笑してくる。
「…それは。あくまで、私には似ているように思えた、と言う程度の話です。貴方は何処か、懐かしい。…まだ人の中に居られた頃の龍樹と何処か似ているように思えるのですよ。何と言いましょうか…裡に凄まじき修羅を飼いながら平穏を望む様が、かもしれませんね。それだけの事です」
「龍樹…そういう、人だった、の…?」
 平穏を望む、って。
「ええ。異界よりソーンを訪れた事も聖都の外に店を構えたのも、なるべく人様に迷惑を掛けないようにと考えての事ですからね。封が緩んだ時など、暴走する可能性を常に危惧していました。…今のあれと相見えたのであれば、とても信じられぬでしょうがね」
 確かに、そうは見えなかった。
 でも。
「…。龍樹、殺す理由…聞いたら、探してるって、言ってた」
 と。
 そう伝えたら。
 すかさず問い返された。
「――…話が、出来たと?」
 頷く。
 と、今度の蓮聖の反応は、今まで相対していて一番驚いているものだったような気がした。見たところの変化は何もないけれど、辺りの空気が何か、ぴしりと張った気がする。
 蓮聖の目が鋭く細められていた。
 その目は私を見ている訳ではなく、何処か、別の場所を見ているような感じだった。
 自分の中だけで何か必死で思考を巡らせているような。
 そんな風に見えた。
「…。…それで今、エルザードに姿を…? …いや。だが…ならば、どうだ?」
 蓮聖はこちらを見ないまま、何か、ひとりごちている。
 どうかしたのだろうか。
 今私が言った言葉に、何か、引っ掛かる事があったのだろうか?
 …殺す理由を探している、と龍樹が言っていた、と言う私の科白に。
「蓮聖?」
 名を呼んでみた。
 気付き、すぐに蓮聖は私を意識に入れてくる。
 今度はこちらをちゃんと見ていた。
 こちらを見た時には、細められた目の鋭さも緩んでいる。
「相済みませぬ。貴方とは、龍樹は話をしたのですね。ならば私の方こそ貴方に伺いたい事が…――っ!?」
 と。
 蓮聖は私に返してくる途中でいきなり、息を呑み瞠目する。
 そのままで、ゆっくりと上方を仰ぎ見た。
 私もそちらを――蓮聖が見た方向を仰ぎ見る。
 …今、そっちの方で、何かの気配がした。
 私にもわかった。
 でも。
 その気配は、それ程気になるような気配でもない――少なくとも、こちらに牙を剥いて来るような気はしない。
 ただ、その気配は不安感だけを煽るような、妙に虚ろな、不安定な感じもした。
 …気になるような気配でもない、んじゃなくて、気にしない方が――触れない方がいいと思ったのかもしれない。
 改めて自分の気持ちを考えてみると、そんな気もした。
 けれど蓮聖の方は――その気配に対しての反応が妙に激しい。
 何故だろうと思い、私は蓮聖の見た気配の方ではなく、蓮聖当人の方の様子を見る。
 と。
「失礼、千獣殿。いずれまた」
 蓮聖は鋭い声でそれだけを短く残し、一度その場で膝を撓めて身を沈める――沈めたそこで力強く地面を蹴り出し、そのまま私が元来た屋根の上に軽やかに躍り上がっている。淡い色の裾と袖をはためかせあっさり跳躍したかと思うと、蓮聖の姿はもう見えなくなっている。
 …唐突に置いて行かれてしまった。
 何だか、彼がその場に居た事自体を疑いたくなるような去り方。
 師弟と言うなら当たり前ではあるのだろうが、その身ごなしもまた龍樹とそっくりで、少し驚いてしまう。
 蓮聖が行ってからすぐ、妙な気配も消えた。
 何だったんだろうと思う。
 今感じたあの気配が、龍樹の匂いとは違うことだけは私にも言えるけれど――。
 ――と。
 思ったところでぎょっとした。
 背後、少し離れたところにいつの間にか――いつから居たのか、一つ気配がある。
 知らない気配じゃない。
 それどころか、探していた気配――匂い。
 こちらの気配こそが、噂で聞いた『炎の化身』。
 ――…龍樹。
 すぐ、わかった。
 …私がすぐに気付けなかったのが何故かもすぐにわかった。
 その気配からは、一切の戦意が感じられない。…牙を剥く気が無い。不安定さも違和感も感じない。まるで周辺に解け込んでいる、ただ、静謐な気配。
 私は振り返り、その姿を確かめる。
 家壁に背中を軽く預けて凭れさせるようにしてそこに居る、袴姿の和装。
 …大地の色の炎を纏ってはいなかった。
 ただ、黒血で染めたような濃い赤色の布で、襟巻をしている。…口許はその襟巻の中に埋めていた。
 その上に、暗い事もあって表情は余計に見えない。
 でも、一度立ち合ったことがある匂いはもう、わかる。
 一応確かめる為、訊くだけ訊いてみる。
「…龍樹、だよね?」
「私は、逆です」
「え?」
「私は昔、願いの為に己を呈した事があります。私のこの身の裡に獄炎が生まれたのは恐らくはその結果。これが、私に何かが居るのかと言う質問に対しての答えです。…もう一つ。今、本来身を委ねてはいけない獄炎に身を委ねたのは、それで知る事が叶うのではと思っただけの事。どうしても、知りたかったのですよ」
「…」
 続けられる科白。
 …何だか、声質からして――言葉遣いからして立ち合ったあの時と全然違う。
「話、聞かせて頂きましたよ。初めから」
「…。…どうしても、知りたい、って…何を…?」
「私のこの魔性が膨れ、荒れ狂う理由を。無論、それでどれ程の暴虐を成しているかの自覚はあります。赦されるとも思っていません。けれど、意味があるような気がしてならないのです。私はただ、それを知りたい。…知りたいが為、抑える事をしていません」
 …それは。
 そんな。
「………………怖く、ないの?」
 思わず口に出る。
 私は、怖い。
 …自分の中に息衝く獣たちに身を委ねるなんて真似。
 今の話を聞く限り、きっと、龍樹がしているのは、そういうことになる。
 龍樹の表情は、見えない。
「…。…怖くないといったら嘘になりますね。けれど私には――この魔性が、愛しい朱き夏に呼応しているように思えてならないのですよ。だから、抑えたくない。隠したくない。切り捨てられない。それだけです」
「…よく、わからない」
「私にもわかりません。…だから、わかりたいんです」
 そこまで言ったところで、龍樹は不意に何かに気付いたようだった。…ほんの僅かな身じろぎ。それだけだったけれど、私には何かに気付いたような仕草に見えた。
 思った時には、龍樹のその姿が陽炎の――土色の炎の如く揺らめき、次の瞬間、ふっ、と掻き消えている。
 炎を纏っていると言うより、身体そのものが炎と化した上で吹き消されたような、そんな風に見えた。
 まるで実体すら無かったような、人間では有り得ないような、消え方。
 直後。
 こちらに駆けて来る足音が近付いて来た。
 その足音は二つ分。
 まず見えたのは、華やかな色の――これも龍樹や蓮聖と同じ右左と身頃を合わせる形の異界人らしい服を着た少女。
 息を切らしながら走って来る。…確かに居たんだよこっちに。そんな声が聞こえても来た。良く見れば少女の後を追うようにして走ってくる連れも居る。少女はそちらに話し掛けていたらしい。連れらしい人は黒い――やはり龍樹や蓮聖と同じ形をした服を着た、こちらは男の人。
 先に走ってきたその少女は私が居る事に気付いて、足を止める。
 止めるなり、勢い込んで話し掛けてきた。
「――ねぇあなたここで今、噂になってる『炎を纏う人』とか見なかった!?」
 少しびっくりした。
 思わず目を瞬かせる。
「…それ、あの人…龍樹のこと?」
「知ってるの!?」
 頷く。
 前に立ち合いもしたし、今も少し、話はした。
 だから、知っている、と言う事にはなると思う。
「何か話したの? 話せたの? …ってそれより龍樹今さっきまでここに居なかった? 今確かにこっちに龍樹が居た気配がしたんだけど…っ」
「…待て舞姫。出遭い頭にいきなりそんな矢継ぎ早に話しかけられてもこっちの姐さんが困るだろ」
「だって蓮聖様の話だと今の龍樹、話なんか出来る状態にない筈だよね!? それで話、したんだったら」
「…した、けど」
 話なら。
「やっぱりっ。どんな話したの…ってああごめんなさいあたしは舞って言うんだけど、いきなりで申し訳無いんだけど…私たち龍樹の事を捜してて、手掛かりになりそうな事なら何でも知りたいの。だから会ったって言うなら――話をしたって言うなら色々聞かせて欲しいんだけどさ…教えてもらえないかな? お願い」
 と、舞と名乗ったこの人は、ぱむ、と両手を合わせて私を拝むようにしてくる。
 …何だか、必死だ。
 そんなことまでしなくても良いのにと思う。
 そんなことまでしなくても、聞きたいと言うなら、私は話すのが嫌な訳じゃないから。…ただ、私は話し言葉がゆっくりになってしまうから、聞く方が大変じゃないかとは、思うけど。
 たどたどしくなりながらもまずそう伝えると、舞と名乗ったその人から有難うって満面の笑みを返された。

 私に出来る限りでだけど、今あったこと、前あったこと、二人に詳しく話した。
 二人は言葉の足りない私の話を根気強く聞いていた。
 それだけ、心配なんだろうと思う。
 この人たちにとって、あの龍樹って人は、大事な人なんだなと思った。
 でも。
 なら。
 あの人は、あのままじゃいけないんだろうな、とも思う。
 結局、何がどうなっているのかよくはわからないままだけど。

 今のままだときっと、この人たちや、蓮聖が、辛い。
 龍樹は何か、覚悟した上でああしているのかもしれないけれど。
 そんな態度に、見えたけど。
 でも。
 駄目だと思う。

 ………………きっと龍樹も、辛くない訳、ない。

【了】

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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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 ■整理番号/PC名
 性別/年齢/職業

■PC
 ■3087/千獣(せんじゅ)
 女/17歳(実年齢999歳)/獣使い

■NPC(手前NPC→■/公式NPC→□)
 ■風間・蓮聖

 ■佐々木・龍樹

 ■舞
 ■夜霧・慎十郎(名前出てませんが舞の連れだった人物)

 □エスメラルダ

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          ライター通信
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 いつも御世話になっております。
 今回は『炎舞ノ抄』二回目の発注、有難う御座いました。

 ノベル内容ですが、千獣様の疑問は…晴れたか晴れないかよくわからないような答えが返って来ました。
 そしてさりげなく今回、龍樹が正気…と言うか本来の人格に一時的ながら戻ってます。…そもそも戻っていなければ殺戮や破壊活動を起こさないで大人しくしている訳もないんですけれども。
 ただ、龍樹が一時的に正気に戻った状態でここまで長く話す事をしたのは、相手が『彼方の嵐』を経過した千獣様だったから、になります。
 …これもやっぱり千獣様のPCデータ内の何処かの設定が理由です。

 何やら今回もまた相変わらず千獣様を悩ませてしまいそうな事になってしまっている気もしますが(汗)、如何だったでしょうか。
 少なくとも対価分は満足して頂ければ幸いなのですが。

 では、また機会を頂ける事がありましたら、その時は。

 深海残月 拝