<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


月光花
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「邪魔するよ!!」
 そう言って騒々しく店内へ入って来た女を見留めて、エスメラルダは眉間に皺を寄せた。しかしそれを恥じるように、一瞬の後には笑顔を取り戻す。
 だがそれも、店内の客達の嫌悪の視線の前に意味を成さないモノと化した。
「何さね。何もしやしないよ、全く」
 等と女は言ったが、それを信じる者は一人と居ない。
 それもその筈、女――北の森の魔女に纏わる様々な事件は壮絶なものがあった。人にかける迷惑、人に与える恐怖は語るだにしない。その上彼女の勘に触れば呪われるとも言われる。
「今日は依頼に来ただけさ。ああ、あんたエスメラルダって言ったね?あんたが仲介役だろう?」
「ええ、そうだけど。貴女が依頼に………?」
「悪いか?」
血の色の瞳に睨み上げられて、エスメラルダは首を振り振り苦笑した。
「そうじゃないわ。ただちょっと意外なだけで。だって貴女に出来ない事なんて早々無いでしょ?」
 揶揄する様に言えば魔女は鼻を鳴らしてカウンターに腰掛けた。それからウォッカをロックでと告げると、エスメラルダを見た。
「月光花――って知ってるかね?」
 エスメラルダが首を振ると、魔女は嘆息と共に続けた。
「梟谷の湖に、百年に一度咲くと言われている花さね。月明かりに仄かに青く光る、白い花。その花の蜜がどうしても必要なのさ」
 忌々しげにウォッカを一気に煽る魔女。
「その百年に一度のチャンスが、三日後の晩なんだが――どうしても抜けられない用があるさね」
「つまり、その月光花を摘んで来いって依頼なの?」
「そうさ。ただし、ただ摘んで来れば良いって話しじゃない」
 人差し指をピッと立てて、魔女が極めて真剣な顔を作るので、エスメラルダは知らず身を乗り出した。
「私が欲しいのは、月の光を存分に含んで真っ青に染まった月光花さね。月光花は湖の辺にも咲くがね、調査の結果、湖の中程に咲くそれが一番私の条件に近い。ただ問題は――湖に門番宜しく、巨大な蛇が住み着いているって事でね」
「主の事ね」
 事の次第を飲み込んで、エスメラルダも深刻に頷いた。
 梟谷の湖の主と言えば、近づく者を飲み込むという噂の――。
「失敗は、許されないさね」


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■Adventurer■
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 エスメラルダが早速依頼書を壁に貼り付けていると、大柄な人影がエスメラルダの上に落ちる。
 彼女が振り返ると、顎に手を当てて考えるような仕草をした男が、依頼書を凝視していた。
 身長は2メートルを軽く越えるがっしりとした体躯の男が、エスメラルダに視線を合わせてくる。
「その月光花を魔女さんトコに持ってくれば良いわけ?」
 桔梗の花のような青い瞳に見惚れていたエスメラルダが、問われて慌てて答えた。
「え、ええ。そう」
「そんで受け渡し場所は黒山羊亭でOK?」
 カウンターからこちらに瞳を寄越していた魔女に向かって男が大声を張ると、魔女もグラスを傾けながら頷く。
「ああ、そうさね。それで良いよ」
「わかった。……ところで、」
男はエスメラルダをカウンターに促すように顎をしゃくって、魔女の方へ足を向けながら
「も少し詳しい事聞いていい? 俺、この世界出身じゃ無くってね。まだここに疎いんだ」
 魔女の隣に腰掛け、男は白い歯を剥き出して笑う。
「俺の名は、フガク。よろしく」


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■Owl's valley■
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「お、着いた」
 夕闇の中、エスメラルダに書いてもらった地図を片手に、フガクは梟谷にやってきた。「地図なくても分ると思うけど」と前置いた通り、秘かな観光スポットになっている梟谷への道すがら、【梟谷入り口、一キロ先】【この先左】などという道標を目にした。行き着いた梟谷の入り口らしい鬱蒼とした森も、【梟谷入り口、北側散歩道】と銘打った看板が立てられていた。
 昼間となれば舗装されたそこに家族連れや登山家やカップルがやってくるという。珍しい野鳥や花は、見る者の心を和ませてくれるらしい。
 しかし夜ともなれば、整備された道とて危険極まり無い。闇の中で見る森の中は薄気味悪いばかりだし、静かな中に聞こえる梟の鳴き声さえ不気味に響く。
 フガクは湖を目的に散歩道を抜けて、谷底へ降りていくので更に危険が付き纏う。
「主が居るって噂だし、湖に近付く物好きはそう居ないわ。だからこそ人の手の入った痕跡の無い自然が残っているんだけど……その分危険だと思う。なるべく早くに出て、昼の内に谷を下りた方が良いわよ」
 ――とは、エスメラルダからの忠告だったけれど。
 その言葉に従ってフガクも街を出たのは早い時間だったのだが、お世辞にも分りやすいとは言えないエスメラルダの地図に視線を固定していた結果、周りの標識を見逃してしまっていたのである。暫く迷った結果一度元来た道を戻る事にして、その途中標識を見つけてやっとこさ辿り着いたら、もうこんな時間だ。
 茜色に染まった空の下の方は、どっしりと重い闇を広げている。
「まあ、何とかなるだろ」
 苦笑しながらもサバイバル能力に長けているフガクはそこまでの杞憂は持たず、梟谷への一歩を踏み出した。


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■Big snake in lake■
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 未開のままの谷底は、確かに危険を伴った。足場は悪いし、一寸間違えれば谷底に真っ逆さまな悪路、その上視界は真っ暗だ。けれど持ち前の運動能力と経験は、フガクを難なく谷底まで導いた。
 背の高い草を掻き分けながら水の匂いを頼りに進むと、途中、夜光虫の群れが前方を舞い出した。水辺を好むその虫に、いよいよ目的地が近いと悟ると、その足も自然速まる。
 風にさやぐ木々、梟の控えめな鳴き声、視界を踊る青白い光、そのどれもが、幻想的な雰囲気を纏う。
 水音が一層大きくなったと思った先、開けた視界に飛び込んだのは――。
「ぉおっ……!」
 思わず、感嘆のため息が口をついた。
 円状に開けた林の終わりには、天空の星々を抱いた澄んだ湖。そしてその中央に浮かんだ島の上には、月光を浴びてほの白く闇に浮かび上がった、花の群。
 蕾上に花弁を閉じて、頭を垂れるかのようにしなびた状態なのに、何よりも神々しく目に映る。
「あれが、月光花か――!!」
 天空に浮かぶ冴えた満月の光は、調度天辺から注いでいる。その月光は余す事なく島の中央を照らし、光に誘われるようにして青白い夜光虫が花の上を飛び交っていた。
 静謐を湛えた湖面を見回しながら、フガクは頭を掻く。
「……やっぱり、泳ぐしかないかな」
 中央へ渡る橋も小船も、当然のように存在しない。
 距離としては二百メートルあるか無いかだが、泳いで渡るのはある意味自殺行為だ。何と言ってもこの湖には大蛇が住むというのだから。
 魔女の前情報では、蛇の全長は不明であるが、兎に角その頭だけでも人を簡単に丸呑みできる程なのだ。鋭い牙は毒を持ち、鋼鉄のような強靭な鱗を纏った身体はぶっとくて滑りを帯びているとか。主として三百年は生きているその大蛇は、湖を荒らす者に容赦無い。
「……かと言って、主サンに美味しく食べられる気はないし」
 無駄な殺生も、まして湖を荒らす事も好かない。主に話が通じるなら穏便に事を進めて、花の一本を頂戴したいものなのだが。
 そう話したら魔女は呆れた様子で、言った。
「蛇が人語を解すかどうかなんて、知るわけないさね。そんな事は考えた事も無いし、そんな手段を取ろうとするヤツの話も聞いた事も無いからね」
 そうとなればまずは、主に出現してもらう他無い。
 しかし、主に出現してもらうには、どうしたらいいのだろう? そもそも湖に近付く、というのはどの程度だ? 小首を傾げながら、フガクは水辺で腰を落とした。水面に触れるか触れないかの位置で指を遊ばせ、その鏡面に自身の顔を映す。小さな波紋を作る水面に、見慣れた像が浮かんだ。
「!!」
 フガクがソレに反応出来たのは、鋭敏な感覚能力の故だった。視認したのでは無い、身体が微妙な空気の変化を読み取って動いた、というのが正しいだろうか。
 高く跳躍したフガクの、今まさに座り込んでいた位置を過ぎ去ったものが、向かいの大樹にぶつかった。激しく幹を揺さぶり、大樹を塒としていた鳥ががなりながら飛び立つと、みしりという音を鳴らして大樹は背後に倒れた。ソレがぶつかった所から折れた幹は、無残な姿を曝している。
 原因はうねりながら地面を這い、その源は湖に沈んでいた。花弁のような鱗をびっしりと生やした、長く太い尾だった。
 ザバリと水中から顔を出したのは、鋭い金色の瞳を光らせた、大蛇だ。神々しくも不吉な、銀色の鱗の蛇。割けた口から赤い舌を覗かせた主は、大気を引き裂くような威嚇音を発した。
 凡そ蛇のものとは思えない、凄まじい咆哮だった。
「グシャーッ!!!」
 真っ向から対峙するフガクの身体を、肌を、刺す心地よい緊張感。
 主の縄張りに土足で踏み込む悪者として礼儀くらいは通すつもりであるが、身を包む高揚感は如何ともし難い。それは戦う為だけに生み出された、種族の性だろうか。
 一度水中に没した主の尾が、水飛沫を上げながらまた襲い来る。
 それを軽いステップでかわしながら、フガクは声を張った。
「ストーップ、ちょっと、話を聞いてくれ!」
 どんなに早くても、重い一撃でも、蛇の尾は一本だ。目でその動きを追える以上、避けるのも簡単である。
「キシャー」
「俺、は! 主サンの縄張り、を、荒らすつもりは、ナイ!」
「ッシャァー!!」
「花を、一本、分けて欲しいだけっだ!」
 とぐろを巻いてフガクを捕獲しようとうねる尾を蹴って、蛇の頭へ跳躍する。
「聞けって!!」
 頭上に飛び乗ったフガクの声は、主には届かない。暴れる主の所為で水面が激しく揺れる。水辺の一部は主の力によって所々抉れ、美しい自然を主の意図とは別に破壊していく。
「くそっ!!」
 その惨状を主の頭の上から見下ろして、苦渋の表情でフガクは。
「こうなりゃ実力行使だ。――悪く思うなよっ」

 主の身体が、不自然に動きを止めた。
「グギャ!?」
 目に見えない力に絡め取られ、その身体が軋んだ音を上げる。不可視の戒めから逃れようと主が力を篭めても、唯一自由な頭で、牙で、己の体を縛り上げていると思われるものを狙おうとするが、実体を持たない戒めに戸惑った色を瞳に浮かべるだけだ。
 【気の触手】で主を絡め取ったフガクは、続いて触手を蛇の額に撃ち込んだ。そこから今度は【幻覚の種】と呼ばれる力を発揮して、主に睡眠を強いた。
 トロリと白濁した瞳が瞼の奥に消え、力を失った主の体は大きく揺らいだ。
 湖は天空へ水飛沫を飛ばし、後には静寂だけが残った――。


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■Moonlight flower■
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「……ひっでぇ……」
 水中に落下した主の上に居たフガクが、飛沫を浴びるのは当然と言えば当然なわけで。跳躍して沈むのは避けても、水辺の大地を踏むには些か距離があり過ぎた。
 全身からくまなくびしょ濡れになったフガクは、顔に張り付いた銀髪を掻き揚げる。
「お、ラッキー」
しかし開けた視界の先に、知らず口元が綻んだ。
 弛緩した蛇の体は水面に浮かび上がり、それが調度橋の要領で中央の小島まで続いているのだ。
 ――まあここまで濡れ鼠と化した今となっては、泳いでもそう変わりない状況ではあるが。

 濡れた上着を絞りながら歩き出したフガクが、また足を止めた。
「……」
 惚けた顔で、大きく口を開けて、瞳を見開いて、全ての動きを止めて。
 眼前の景色に、言葉を失った。
 それは本当に、神秘的な場面だった。
 先程まではまだ蕾であった花々が空に向かって大きく花弁を広げ、月光を浴びて鮮やかな色を帯びていたのだ。
 それは、海のような青。混じりけの無い、蒼。どんな言葉でも称賛し尽くせない、言い表せない、美しさだった。
 月光花は中心から外側に向けて、ゆっくりと色合いを変化させていく。透き通った白から繊細な青へ。銀のきらめきを帯びて、変化していく。

 美しくも儚い、一夜限りの夢の花。

 月光花はその夜、鮮やかに咲き誇った。


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■Coming home■
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「……いい、色だね……」
 魔女から渡されていた瓶の中に、青い月光花が一本納められていた。それを目を細めて見つめていた魔女が、ぽそりとそれだけ呟いた。
 感謝も賛辞も無いけれど、簡潔なその感想が、魔女にとっての最大の謝辞だと知れる。
 同じように月光花を見つめていたエスメラルダの方が最初に覚醒して、そういえば、とフガクに問い掛けた。
「結局主はどうしたの? 説得出来た?」
「いや、やっぱ話は通じなかった」
「そう」
 三百年も生きているんだから通じるかと思ったのに、とエスメラルダが何だか残念そうに言うので、フガクは小さく笑った。
「けどま、穏便に済ませたと思うよ」
 安全な場所まで離れた後、すぐに触手を解除したから、暫く後には主も目を覚ました筈だ。月光花が一本無くなっている事には恐らく気付かないだろうし、奇妙な縄張り荒らしを不信に思っても、すぐに忘れる事だろう。
 蛇はそうしてまた百年、あの花を守って過ごすのだろうか。
 何にしても人の寿命――フガクの一生では、もう一度あそこで月光花を見る事は叶わないだろう。
 願わくば他の場所で出会う機会に恵まれればいいけどな、そんな風に呟いて、フガクは背を翻した。
「あら、帰るの?」
 迷い無い足取りで出口へ向かうフガクに、エスメラルダが声を掛ける。
 フガクは振り返らず肩口で手を振ると、亭の扉を開け放った。
「ああ、またな!」




End


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■登場人物■
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【整理番号/PC名/性別/外見年齢(実年齢)/職業/種族】

【3573/フガク/男/25(20)/冒険者/異界人(戦飼族)】

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■ライター通信■
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初めまして、こんにちわこんばんわ。
今回はご参加、まことに有難うございます。期日までにお届け出来た事にほっとしつつ、少しでもお楽しみ頂ける事を願ってドキドキしつつ。
私の語録では月光花の美しさを伝えきれないので、フガク様の妄想力に託したいと思います。何かすっごい美しい花と幻想神秘な様子を想像して下さい(え

またどこかでお会いできれば幸いです。
有難うございました。