<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


【楼蘭】棉・謀計 −明−







 暫くこの町に滞在するという桃の話を聞いて、シルフェも一緒にこの町に残ることにした。
 邪仙の目的が町の破壊ではなく、核を覚醒させるためだったのならば、邪仙はもうこの町に執着も何も無い。ただ、もし執着があって訪れるとしたら、それは桃が持つ核を取り返そうとすることくらいだろう。
 突然の――しかも、幼子によって――惨劇に、心を痛めている生き残った町人。
 シルフェも厳密には生き残った一人だが、昔からこの場所に住み、核の苗床となった女性を知っていた町人にとって、そのショックはシルフェとは比べ物にならないくらい大きなものだろう。
 何時もならば市が並ぶ大通りも人はなく、町は静まり返っていた。
 恐ろしいのだ。
 また同じことが起こるのではないか、と。
 幼子が生まれた家の前で、一人佇む女性。確か、幼子を産み死んだ女性の名は天藍とか言ったか。
 青白い顔で今はもう何も無い家の中を見つめる女性は、ぐっと口元を押さえた。
「大丈夫ですか?」
 シルフェは駆け寄り女性を支える。
「え…ええ」
 今は綺麗になったとはいえ、ここにはあの腹を破られた天藍の血によって真っ赤に――いや、酸化して真っ黒に染まっていたのだ。
 あの独特な鉄錆の匂いもしなくなったとはいえ、そこにそれがあったという記憶が脳の奥で匂いを甦らせる。
 シルフェはそっと女性に手をかざす。
「??」
 水の精霊の力が、女性の中をすり抜けていく。
「何だか、気分が……」
 先ほどまで感じていた吐き気が消えうせている。
 女性は何が起こったのか分からずシルフェを見つめ眼を瞬かせた。
「仲がよろしかったのですか?」
 先ほどからずっと見つめていたから。
「そういう訳ではないのだけれど」
 茶屋で、この町では見かけない男性となにやら楽しげに話をしていたのを何度か見かけ、男性が町から消えたと共に、天藍も姿を見せなくなった。
 だから、てっきりあの男性と一緒に行ったと思っていたら、今回の騒動が起こった。
(その男性がきっと邪仙ですね)
 天藍に取り入り、利用して、そして、捨てた。
 女性はシルフェにありがとうと告げ、自宅へと帰っていく。
 シルフェはそれを笑顔で見送った。
 さて、桃は今どこにいるだろう。
 今時分だと刺史と話をしている頃だろうか。
 シルフェは桃が戻した核を思い浮かべ、ぎゅっと手を握り締める。
 人の血肉で創られた核―――……
 人を形作るものから成るのなら、それはまた人とどこが違うのだろう。
 核という存在に戻り、善悪さえも無くなった核。
 それは、真っ白な真綿と同じようにさえ感じる。
 善なるものを吸収させれば、悪たる部分はなくなるような。そんな気が。
 そもそも幼子の時でも、殺しを殺しと思っていなかった。ただ、遊んでいただけ。確かにそこに善悪は何も無い。
 今の結晶のような核では、手も足も無いため一緒に出歩いたりはできないが、語りかければ何か違ってくるのではないか、そんな事を思った。
 それに、似て非なる存在である桃と核がずっと一緒にいることも、余りよくないように感じられる。
 シルフェは少しの間だけでも借りられないかと、桃が居るだろう役所へと足を向けた。
「小姐」
 お嬢さんと呼びかけられ、足を止めて振り返る。
 そこで、シルフェの意識は途切れた。













 役所から出た桃は、耳障りな笑い声に足を止め、その方向へ視線を向けた。
「核を返してもらおうか」
 そう言って、環刀を向けたチンピラ風の男。
 肌が緑色だとか、眼が虹彩だけとかそう言った特徴はまったくないのだが、感じる雰囲気がまるで蟷螂のような男だった。
「断る」
 短い言葉で桃は言い捨てる。
「それは俺の持ち物だ」
 男の言葉に、桃は鼻で笑って眼を細めて男を見た。
「お前が創ったわけではあるまい。その程度のこと分からぬと思うのか?」
 そもそもの力の差は歴然。
「核を失えば消える道具が、偉そうなことを口にするもんだな!」
 くっくと貶すように男は笑うが、桃はそんなことお構いなしに、ただ冷笑をその口元に湛え男を見ていた。
「そもそもの出自が違うのだ。お前が知る定義が同じく当てはまると思うなよ」
 最初に与えられた使命を無くしても、桃は消えなかった。
 逆に今では自由を手に入れ、蒼黎帝国中を旅することが出来た。今回は命令を遂行しているが、それは桃自身がその命を受けると決めたから。強制されたわけではない。
「それじゃ、交換といこう」
 ポロン。と楽の音が小さく響く。
 路地からゆっくりと歩いてきたのはシルフェだった。
 何故? と思うよりも早く、その瞳が閉じられていることに気付き、桃は唇を噛む。
 分かっていたのだ。こうなる可能性は。だから、関わるなと言ったのに。
「………」
 シルフェの手には男が持つものと同じ環刀が握られている。
 まさか、シルフェに戦わせようとしているのでは、と、桃は怪訝げに男を見る。だが、男は桃の問わんとしていることが分かったのか、ゆっくりと首を振った。
「いや、そんな無駄なことはしない」
 また、ポロンと楽の音が響く。
 何をする気なのだろうと見ていると、シルフェはゆっくりと環刀を持ち上げ、その刃を自分の首元に当てた。
「…なっ!」
 男の代わりに、自分に襲い掛かって来てくれたほうがどれだけ楽だったか。
「小姐の首が落ちるのが早いか、お前が核を返すのが早いか。どっちだろうなぁ」
 つうっとシルフェの首に赤い線が入る。
 赤い珠が線に沿って浮かび上がった。
 ゆっくりと、ゆっくりと食い込んでいく刃は、赤い珠を割り、赤い筋を縦に引いていく。手は止まらない。
 楽の音が響く。桃は唇をかんだ。
「明白了!」
 シルフェの手が止まる。
「だが、条件がある」
「そんなこと言える立場か?」
 男の軽口に、悔しさに彩られていた桃の表情が、すっと冷静なものへと変わり、男は逆にビクッと肩を震わせた。










 眼を覚まし、一番最初に視界に飛び込んできたのは、泣きそうな桃の顔だった。
 なぜ桃が自分を覗き込んでいるのか分からず、シルフェはそっと手を伸ばす。だが、首元に走った痛みに、その手がぶれた。
「すまなかった」
 桃の言葉が理解できず、シルフェは首を傾げようとしたが、また痛みが走り、そっと首元に触れてみる。
 不器用な形に幾重にも巻かれた布。苦しくは無いが、赤黒く染まった自分の襟元に、シルフェは何となく事を察知した。
「申し訳ありません……」
 結局、簡単に敵の手に落ちてしまった。迷惑にはなりたくないと思っていたのに。
「こんな傷ぐらい、平気ですよ」
 シルフェは桃を安心させようと微笑み、もう一度自分の首元に触れる。
 すぅっと消えていく傷跡。
「すまなかった…っ!」
 多分、目的の邪仙ではないが、それに関わる人物をおびき寄せ、事を成すために自分に眼を向けてきた。
「桃様。わたくしを囮にするくらいの気概はお持ちになりませんと、ね? うふふ」
 本当に、瞬・嵩晃を護ると――邪仙を倒すと、言うのならば。
「それでは意味が無い」
 桃とて、大切な人が危険に晒されるようなリスクを犯してまで事を成したいとは思わない。確かに瞬は大切だが、それと同じくらいシルフェも大切なのだ。
 シルフェにも桃の気持ちは痛いほど分かる。けれど、蚊帳の外ではなく、自分も輪の中に居たのだと言うことが、純粋に嬉しかった。




















☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【2994】
シルフェ(17歳・女性)
水操師


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


 【楼蘭】棉・謀計にご参加ありがとうございます。ライターの紺藤 碧です。
 囮という言葉が出たので、ちゃっかりそれに順ずる形を出してしまいました。むしろ今までこうならなかった事の方が不思議なほどで、邪仙と一緒に居た男の性格を思えば、もっと早くこの展開になっていてもおかしくありませんでした。
 ちなみに核は取られてしまいました。
 それではまた、シルフェ様に出会えることを祈って……