<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


【楼蘭】菫・黒怨







 黒い灰が舞う。
 まるで火山灰のように足元に降り積もり、踏みしめればきゅっきゅと音が鳴る。
 近くに山はない。ここは開けた平野のはずだった。
「最近晴れないわね」
「それに…なんだか息苦しいわ」
 まさに井戸端で女たちは語り合う。
 洗濯物を洗おうにも、桶や樽にも灰は降り積もり、まずそれを洗うだけで一苦労。
 このまま晴れなければ作物だって育たない。育たないだけではない。枯れてしまう。
 加えて、弱い老人や子供から変な奇病にかかり始めた。
 最初は水疱瘡かと思っていたが、徐々に赤黒い痣に変わり、最後には真っ黒となって死んでしまうのだ。
 少しでも病の拡散を防ぐため火葬すれば、一片の欠片さえも残らず灰と化してしまった。


「お願いがあるんだ」
 遠い空を見つめ、瞬・嵩高が振り返る。
「あの村を囲う4つの場所に、呪符が埋められていると思う。それを探し出し、燃やしてほしい」
 そうすれば、この空は晴れ、病の源も消えるだろう。
「私かい? 私は、今病にかかっている人々に薬を届けるさ。それが、薬師たる私の仕事だからね」
 いい分業だろう? と瞬は気弱に微笑む。
 ほぼ東西南北に埋められているだろう符には、それぞれ符を守る何かしらが有る(居る)はずだ。それを退けなければいけない。
「手に負えないと判断したならば、逃げるんだ。いいね。無理はしちゃいけない。逃げるんだよ」
 そう言って瞬は何かを手渡すと、村へ向かって軽く駆け出していった。


 来るだろう。あやつは来るだろう。
 人々の病を治すために。
 それが罠だと分かっていても―――














 瞬に言われたとおりの場所へシルフェは心持早足で向かう。
 走ることは余りしないが、今回ばかりはそうは言っていられない。
 早いならば早いだけ良い。それだけ早く事を終わらせれば、この村は――瞬は救われる。
 まずは北の地に。
 近付くにつれて、何だか景色が陽炎のように揺らめいて見えて、シルフェは足を止める。
 蒼黎帝国の地に立っているはずなのに、何故だか周りの景色がエルザードの街中に変わっていく。
「幻覚…でしょうか」
 この場所はどう頑張ったってよく見知った故郷の地ではない。
 瞬が言っていた呪符に対しての守り。それがこの変わっていく景色……なのかもしれない。
「はぁ」
 シルフェはほうっと息を吐いて、頬に手をあてる。
 もし今この場に居たのが自分ではなく、興奮しやすい人物だったら、変わっていく景色に盛大に混乱し、呪符を埋めた人物の思う壺に陥ったかもしれない。
 けれど、シルフェはどちらかというとワンテンポずれたところがある。
 この幻覚系が有効かどうかは、今のところ未知数。
 それでもシルフェは気にせずテクテクと歩く。例え景色が変わったとしても、目的の場所は変わらない。
 だが、行けども行けども景色は変わらず、遠くに見えるエルザード城と自分の距離も一向に縮まらず、まるで迷路のようだ。
 何かこの幻覚を解くきっかけ等あればいいのだが、当面思いつくのはこの迷路のゴールにたどり着くことだけ。これが普通の巨大迷路だったらいつかはゴールにたどり着くだろうが、幻覚で出来上がっているこの迷路までそうとは限らない。
「こういうとき、興奮しやすい方のほうが予想外の事で相手の方の計算を狂わせるかもしれませんね」
 シルフェはまたほうっとため息混じりに息を吐く。立ち尽くしていたところで現状は打破できないため、気を取り直して歩き出す。
 ただ唯一の救いは、荒事ではなかったということだろうか。
「仙人様の術は本当に不思議です。いえ何事も不思議ですけれど、うふふ」
 困ってはいたが、シルフェは少しだけ楽しそうにそう呟いて、辺りを見回すように視線を移動させる。
 ふと見た視線の先、街道がすっと音もなく現れた。
 シルフェは眼を瞬かせ首を傾げる。そして新しく現れた街道に歩いてく。
(もしかしますと…)
 シルフェはふと足を止め、ある一点のことだけを考える。
 すると、今まで構成されていた街道は一気にその道筋を変え、城までの一本道へと変わった。
 そう、呪符に近付いた者の思考を読み取って幻覚を構成するタイプだったらしい。
 迷路迷路だと思っていたから本当に迷路になってしまった。
 シルフェは一本道で、この先は呪符があるとだけ考え、道を歩いた。
「うふふ。ありました」
 答えが分かってしまえば簡単。シルフェはたどり着いた場所に安置されていた呪符を燃やす。すると、今まで広がっていたエルザードを模した幻覚は一気に消え失せた。


 流石に幻覚を解くだけならばいいが、北の地から東の地へ急いでいたとしてもその速さはたかが知れている。
 瞬が道具――誰でも使えるよう調整された宝貝を用意してくれて助かった。
 呪符がある場所に反応して移動の補佐をしてくれる宝貝は、余り速く移動できないシルフェにとって大きな助けになった。
 最初の迷路のようなものではないが、呪符に近づく者を拒む幻覚が発動し、シルフェに襲い掛かる。
 一つ目で、鋭い牙を持った妖怪が、シルフェを一思いに飲み込もうと大口を開けて襲い掛かる。
 が――――
「まあ」
 これがやはり普通(?)の人だったら、妖怪の姿に恐れおののきこの場から逃げ出していたかもしれない。だが、ワンテンプずれたところがあるシルフェは、
「わたくし食べられてしまいました」
 と、のほほーんと現状について呟いて、妖怪が現れる前と全くもって変わらない対応。
 実態のない幻覚の妖怪は、シルフェをその口に飲み込んだものの、地面に当たりそのまま消えてしまう。
 その後シルフェは悠々と呪符に近付き、焼き捨てる。
 残りの呪符は後二つ。
 シルフェは東に地に背を向けて、宝貝を取り出すと、南の地に移動した。


 呪符があるだろうと思う場所の前で立つ女性にシルフェは首を傾げる。
 呪符のそばに誰か居るなんて思わなかったのだ。
「あなた様は…?」
 問いかけて、気が付いた。
 女性の姿は半分透けている。地縛霊だとかそういった類のものだろうか。
 シルフェの訪れに女性はばっと両手を広げ、その先へ向かうことを拒む。
 その先には、呪符があるのに。
 それでシルフェは気が付いた。
「申し訳ございません」
 シルフェは半透明で両手を広げる女性に頭を下げ、その横を通り過ぎる。
 死した人を蔑ろにするつもりはないが、これ以上あの灰が続けば今生きている人たちが死んでしまう。
 シルフェは振り返らず呪符を燃やした。
 他の呪符と違って、古の魂を守りとした方法に、シルフェは自然と瞳を伏せる。
「後、一つでございますね」
 気を持ち直すように見上げた空からは、相変わらず厚く黒い雲がかかり、一向に晴れる気配がない。やはり呪符は全てを焼かなければいけないのだと思わせる。
 シルフェは宝貝をぎゅっと握り締めた。
 最後、西の地に向かって。


 静かだった。
 他の地は近付いて直ぐに幻覚が襲い掛かってきたが、どうもこの西の地は違う。
 他の3つにあってここだけ何もないのは絶対におかしい。興味半分、警戒半分で辺りを見回しながら、シルフェは呪符が収まっているであろう場所へと近付いていく。
「あらあらまあまあ」
 呪符を見つめ、シルフェは頬に手をあてる。
 目の前には、同じ呪符が何枚も並んで収まっていた。
「どれか一つが正解でしょうか。それとも全て?」
 その問いに答える誰かが居ない。
「全て燃やしてしまえば同じですね」
 大は小を兼ねる。の法則でシルフェは一番はしの呪符に火をつける。
 ボフッ!!
「きゃっ」
 突然の爆発音にシルフェはその場で尻餅をつく。
「あらあら」
 少し焦げた袖口。
 どうやら、どれか一つが当たりの呪符で、間違えれば爆発する仕掛けのようだ。
 ある意味とても単純だが、一番難しいかもしれない。
 まぁ、爆発に耐えられるのならば、一番攻略しやすい呪符の守りなのだろうが。
「爆発に巻き込まれるのはごめんですね」
 何か見破る術はなかろうかと呪符を順番に見つめるが、仙術の類の呪符の区別なんぞ付くわけもなく、シルフェはふぅっと息を吐く。
 瞬から受け取った宝貝も、ここまで細かいことは無理のようで、近づけてみてもシルフェを移動させてくれるような動きをしてくれない。
 宝貝はもうシルフェが呪符の元に来ていると認識している。
「どうしましょう」
 爆発に巻き込まれたくもないし、かといって当たりも分からないし。
 暫く考えていたシルフェだったが、電球に灯りがともるような幻覚を頭から出して、その後にっこりと微笑む。
「あら、名案」
 爆発したってその爆風や炎が此方に来なければいいのだ。
 幸いにも自分は水を扱える。爆発したとしても水でそれを押さえ込んでしまえばいいのだ。
 そうと分かれば行動は簡単。全部燃やしてしまえばいい。
 シルフェはうふふと微笑んで、手近で眼に付いた呪符から燃やし始めた。
















 雲は晴れた。
 嘘のような青空が村の上に広がっている。
「皆様元気になられたかしら」
 シルフェは村の中に向かって歩き始める。
「シルフェ!」
 ふと呼ばれた声に振り返った。
「桃様」
 その視線の先に立つ人物に、シルフェはふわりと笑顔を浮かべる。だた、当の桃はどこか不機嫌そうに眉根をよせ、焦っているように見えた。
「呪を解いたのは、シルフェか?」
「はい。瞬様に頼まれたので」
 シルフェにはどうして桃が焦っているのか分からず、首を傾げる。
 村は救われたのだ、もう誰も倒れることもなくなったのだ。それなのに、どうしてそんな辛そうな顔をしているのだろう。
「師父は、今何処に?」
「わたくしもこれから向かおうと思っていたところです」
 村の中の何処かにはいるだろうが正確に何処に居るのかは分からない。
 足早に村に歩いていく桃に、シルフェは小走りで追いかける。
 村人に薬を配るために村中を走り回っていただろう瞬を見つけることは容易ではない。
「大丈夫かい? 薬師様」
 声の方向に二人は視線を向ける。
 村人に支えられている少年薬師。瞬だ。
「師父!」
 桃の声に顔をあげた瞬の顔色にシルフェは言葉をなくす。
 青白いを通り越して土気色にも近い、今は辛うじて意識を保っていると言ってもいいような表情。
「なぜ私の到着を待たなかったのです!」
 桃は村人から瞬を受け取り、言わずにはいられなといった態で問う。
「……これ以上は、待てなかった」
 土が死ぬまで、殆ど時間が残されていなかったから。
 人は死なずとも土が死ねば、その土地では暮らせなくなる。そうなったら、人々は病から解き放たれても飢えで苦しむことになる。
「だからと言って…!」
 自分に向けて何かしら仕掛けられていると分かっていたのに!
「シルフェ…」
 瞬は弱々しく名を呼ぶ。何が起こったのか分からず立ち尽くしていたシルフェは、その傍らに駆け寄った。
「ありがとう」
 瞬の冷たくなった手をぎゅっと握り締める。
 水操師の癒しが少しでも効くように。
「いったい何が起こったのです?」
 村を苦しめる灰を引き起こしていた呪符を燃やして、村は解放される。それだけではなかったのか?
「この村の呪には、反呪がかけられていたのだ」
 答えたのは桃。
「反呪……?」
 言葉の意味だけ考えれば、反対の呪。もしくは反抗の呪。そして反転の――呪。
 村にかかる呪を解いた瞬間に発動するよう仕掛けられた呪。それは、必ず来るだろう瞬に向けられていた。
 桃は殆ど動けない瞬を抱え、ぐっと唇を噛み締める。
「すまないシルフェ。今日は、送れそうにない」
「そんなことはお気になさらず。瞬様は、大丈夫なのですか?」
 シルフェの力が効いたのか、唇にかすかに赤みが戻っているように見える。
「すまない……」
 桃は済まなさそうに薄く微笑を浮かべ、軽く印を組み一瞬でその場から消えてしまった。
「…………」
 シルフェは胸の前でぎゅっと手を握り締める。
 桃が来ると知っていたら、自分はどうしただろう。彼を待っただろうか。
 瞬はきっと、その可能性も視野に入れ、何も言わず呪符を燃やすことだけを自分に頼んだのだ。
 シルフェに出来ると分かっていたからじゃない。それだけ事態が緊迫していただけだったのだ。
 成功すれば、自分が倒れると、知っていたのに。
「わたくしは……」
 知らず知らずのうち、村を救うため、瞬を犠牲にした。
 シルフェには何の非もない。非はなくとも、生まれてしまった申し訳ない気持ちは晴れることなく心に広がっていく。
 謝れば、困らすだけ。
 今は只、瞬の無事だけをシルフェは空に祈った。























☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【2994】
シルフェ(17歳・女性)
水操師


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


 【楼蘭】菫・黒怨にご参加ありがとうございます。ライターの紺藤 碧です。
 呪の謎が少しだけ解ける形になっています。幸いにも鍵符が最初の迷路だったため、瞬へのダメージが最小限に収まっています。
 それではまた、シルフェ様に出会えることを祈って……