<PCシチュエーションノベル(グループ3)>
〜誤算〜
ロープの端が手元に手繰り寄せられたのを確認し、フガク(ふがく)は、ふっと息を吐いた。
地面にあいた大きな穴は、その先が見通せないような暗がりで覆い尽くされ、命綱は今、手の中にある。
これで何もかも終わったのだ。そうだ、終わったに違いない。
フガクは、膝に手を添えて立ち上がった。
重い疲労感が全身を襲う。
彼にはもうひとつ、やるべきことがあった。
だが、それはずっと願っていたことだ。
記憶を手放すまで、ずっと。
足を引きずるように、その洞窟を出る。
「お前が魔瞳族でさえなければ…悪く思うなよ」
そうつぶやいた彼を、まぶしい日差しが包む。
まるでその行いを責められているような気がして、フガクは思わずうつむいてしまった。
そこから歩いて、近隣の村エバクトまで戻る。
小さな宿屋に部屋を借り、ロープや荷物を置いてから、目的地へと向かった。
エバクトという村は小さな小さな村で、生活や冒険に必要なものは、村にひとつしかない雑貨屋でしか買えなかった。
村人同士はほとんどが知り合いで、一月もここに住めば、あっという間に住人として認めてもらえそうな雰囲気があった。
その村の、ちょうど中心に、その場所はあった。
疲れで加減されたノックに、戸惑うような表情と共に、少女のような少年――松浪心語(まつなみ・しんご)が顔を覗かせた。
精一杯の笑顔で、フガクは両腕を彼に差し出し、こう言った。
「いさな」
驚きが、心語の顔に急速に広がった。
そして次の瞬間、彼はその両腕の中に飛び込んでいた。
「兄さん…!!!」
無骨な筋肉の腕、そして砂のにおい、かなりの長身――変わってしまったところはたくさんあるが、変わらないものもある。
その、せいだろうか?
心語はうれしさの中に、何か不穏なものを感じた。
解せない思いを抱えたまま、フガクから離れた。
だが、このソーンでは決して聞くことのなかった、自分の名前。
それを知っているのは、ここでは、ただひとりだけだった。
そして、この気――これは紛れもなく、フガクのものだ。
「お前は…小さいまんまだなー…」
「…っ」
「あはは、怒るなって、いさな」
かすかな表情の変化さえも、見逃さない。
それは在りし日の、フガクの姿だった。
「記憶……が……?」
「ああ、戻った戻った。悪かったな、お前を忘れちまうなんてさ…」
くしゃ、といつものように頭をなで、フガクはにこ、と笑った。
心語は思いっきり首を横に振る。
それから、思い出したかのように中へと導くと、慣れない手つきで茶を淹れた。
「そんな、気にしなくていいって」
フガクは苦笑いして、心語の茶を受け取った。
甘い香りが鼻腔をくすぐり、先ほどまでの嫌な気分を洗い流してくれる。
ずずっ、とほんの少しすすって、フガクは心語を見た。
「うん、ウマい」
「よかった……」
ぼそり、とこぼれた言葉には、安堵の色がにじみ出ている。
どうやら先ほどの違和感は、杞憂だったようだ。
今のフガクからは、黒い気のようなものは感じない。
フガクはカップをテーブルに戻し、真正面から心語を見つめた。
「今まで、つらい思いをさせて悪かったな。まさか、記憶をなくすなんて、夢にも思わなかったよ」
心語はただ首を振った。
自分たちの立場は、十二分に心得ている。
戦いの中に身を置かねばならない以上、どんな事態でも起き得るものだ。
命があっただけ、良かったと思わないと、と心語は思う。
「でさ、お前も、あの剣を使いこなせるようになったようだし、以前の約束、果たせるんじゃないかと思ってさ」
「約束……」
「ああ。いさな、一緒に冒険に出ようぜ」
「一緒に……」
「そうだ、ふたりでこのソーンを旅して、いろんな物を見て、いろんな物を食って、いろんなモノと戦って…行こう、一緒に」
心語は明らかに戸惑いの表情を見せた。
ふたりで交わした約束は、それはそれは大事に心にしまってある。
いつか、かなえたいと願ってやまないものだった。
だが、今は別れた時とは事情がちがうのだ。
心語には、大事な人が出来ていた。
だから、こう答えるしかなかった。
「……義兄も……一緒なら」
「何だって?!」
フガクは椅子を蹴って立ち上がった。
その拍子にカップを払い落とし、床に叩きつけられたそれが派手な音をたてて割れた。
驚いて、目を大きく見開き、心語はフガクを仰ぎ見た。
「魔瞳族の男など連れて行く必要はない!!」
「?!」
一瞬、言われた言葉が理解できなかった。
そして、何がそんなにもフガクを苛立たせているのかも。
フガクは、燃えるような瞳で、心語を睨みつけている。
その強烈な視線にさらされながら、心語は驚きの表情のまま、相手を見返すだけだった。
「おい、少年や!」
その時だった。
不意に扉が無造作に開いて、村でたったひとりの薬師が顔を覗かせた。
その肩には、見慣れた水色の服が大分汚れ、あちこちに擦り傷を作った義兄――松浪静四郎(まつなみ・せいしろう)が担がれていた。
「兄上!!」
心語は弾かれたように立ち上がり、入り口へと駆け寄った。
「わしはルクエンドへ水を汲みに行ったんじゃが、その洞窟に倒れておったんじゃよ。最近おまえさんところに、よく訪ねて来る兄さんだからな、わしも顔を覚えておって、それで慌てて連れて帰って来たんじゃ」
「ありがとう…」
心語は心配そうな顔で静四郎の身体を受け取った。
その表情を見て、薬師は簡単な手当てを施したと告げ、ついでに、いくつかの乾燥した薬草も置いて行ってくれた。
静四郎をベッドへ運び、汚れた肌を水に濡れた布でぬぐったり、包帯を巻いたり、甲斐甲斐しく手当てをする心語を、フガクは苦々しい思いで睨み続けていた。
フガクにはわからなかった。
(確かにロープは引き上げたはず、静四郎が水脈から上がって来られるはずが…)
ルクエンドの地下水脈は、ロープがなければ決して降りられないほどの場所にある。
だからこそ、ロープを引き上げてしまえば、どこからも出ることはかなわないはずなのだ。
「う…ん」
「兄上?!」
静四郎が意識を取り戻したらしい。
痛みに顔をしかめながらも、ベッドに駆け寄った心語に、かすかな笑みを見せた。
「心配をかけましたね…すみませんでした」
「いったい…何が…?!」
静四郎は、義弟の後ろに彼が立っていることに気付いた。
「後で…話します…」
その彼に、一瞬悲しげな表情を向けると、疲れたようにまたふうっと眠りに落ちた。
(誰かが助け上げたワケじゃなさそうだな…俺がここに来てから、そんなに時間も経ってないし、な)
フガクは真摯な顔で考え込んでいた。
このまま、何の手も打たずにここを去るのはまずいだろう。
あの魔瞳族の男が、心語に何を言うかもわからない。
心配そうに静四郎を見つめる心語に、フガクは不意に声をかけた。
「いさな」
「…?」
振り返った心語に、フガクは慎重に言葉を選びながら言った。
「俺も静四郎の看病、手伝わせてもらってもいいか?見たところ、随分ひどい怪我だしさ。お前も、買い物とか水汲みとか、出掛けなきゃいけないこともあるだろ?人手はあった方がいいって、絶対に」
確かに、と心語は頷いた。
「兄さんさえ……良ければ……そうしてくれると助かる……」
「じゃ、俺はこの家の隅にでも寝かしてもらうぜ」
そう言って、さっき割ってしまったカップのかけらを、フガクは拾い始めた。
(あいつが一人になるタイミングを見計らって、いさなに余計なことを吹き込ませないようにしないと…)
そんなフガクの様子を、心語は黙って見ていた。
フガクはいつもと変わらない。
なのに、なぜか引っかかるものを感じた。
この嫌な予感は何だろうか。
心語は戸惑いながら、そっと静四郎を見下ろすのだった。
〜ライターより〜
いつもご依頼ありがとうございます!
ライターの藤沢麗です。
今年も何卒よろしくお願いいたします!
このお三方のエピソードも、
とうとう決着の時がやって来ましたね…。
どんな結末が待っているのか、
怖いような楽しみのような、
複雑な気持ちです…。
それではまた未来のお話を綴ることが出来れば、
とても光栄です!
この度はご依頼、
本当にありがとうございました!
|
|