<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


【炎舞ノ抄 -抄ノ参-】白山羊亭

 白山羊亭に入って来て早々、はいっ、とばかりにいきなり看板娘から紙っぺら二枚を手渡された。
「…んだよ」
「リルドさんもお手隙のようでしたら宜しくお願いしまーす♪」
「はぁ?」
 唐突な事で訝しく思いながらも、看板娘――ルディア・カナーズに手渡された紙っぺらを見る。何事か書かれている――形式は白山羊亭の冒険斡旋依頼状、ルディア曰く通称・冒険用メニュー。
 で、渡されたそれの内容は――…

 …――『エルザードとその近隣で起きているごく局地的な気象災害に関する調査』?
 被害と痕跡の状況からしてごく小規模な竜巻、もしくは限定された狭い範囲で超音波的な異常が起きた可能性が高いが、気象災害では無く魔法的・機械的な仕業による悪意ある攻撃である可能性も心配される。その為、関係各所に調査を依頼する。
 具体的な被害場所、被害状況は別紙に記す。
 もしこの気象災害の原因を解明し、今後の被害を止められる確信を得られたとしたら報酬は弾む――…

 …――って、冒険斡旋依頼状の形を取っちゃあいるが、こりゃ冒険でも何でもねぇじゃねぇか。
 思いながらその紙っぺらをすぐに放り捨て――ようとして、やっぱり無造作に捨てるのは止め、自分のすぐ側を通りすがった別の店員にその紙っぺらを渡して返す。
 そのまま店の中に進み、適当なところで席に着く。
 注文を入れる前に、ぽつぽつと声が聞こえた。
 すぐ隣のテーブル。
 何やら男女――勝手に耳に入って来てしまった話の内容からして、父と娘の話している声らしい。…ぱっと見の年の頃から考えて全然親子って感じの見た目じゃねぇが確かに顔がそっくりな事だけは間違いねぇ――むしろ兄妹とでも言われた方が納得が行く年の差にしか見えない。ともあれ、父らしい方が客で娘らしい方がこの場の店員であるようだが…何だか、その間の空気がどうしようもなく鬱陶しい――近くにいるだけで物凄く息苦しい。居心地が悪い。
 店内をよくよく見れば、彼らと隣接するテーブルに着いているのは俺だけ。他の客は、彼らからは絶対テーブル一つ以上置いて離れた席に着いている。
 …その理由も今更ながらよくわかった。
 が、そんな空気を物ともせずそちらの席にもルディアは行っているようだった――微妙な空気の間をそんな明るい声が割って入ってきた。…この辺はさすが、白山羊亭の看板娘だと言われるだけはある――いや、単に鈍いだけかも知れねぇが。
 ルディアはどうやらさっき俺に渡した紙っぺら――冒険斡旋依頼状と同じものを彼らの席にもさも当然のように置いて行っている。よくよく見てみればどうやら他の客にも手当たり次第に渡している――俺がさっき返した紙っぺらもまた有効活用されて他の客人に渡されている。
 そっくりの父娘はテーブルに置かれた紙っぺらを見て一旦止まったが、結局またそれまでと様子はあまり変わらない。相変わらず何処かぎこちなさを感じさせる態度でぽつぽつ話をしていたリ、また微妙に居心地の悪い沈黙を続けたりしている。
 ただ、会話の内容に紙っぺらの依頼の件が追加されただけ。
 それもその依頼を受けるんだか受けないんだか、どうにも煮え切らない中途半端なやりとりが二人の間で続いている。ルディアは二人――父の方が蓮聖に娘の方が朱夏っつってたか?――でやってみればと提案していたようだったが…それだけの結論すらこの調子では当分出て来そうにない。
 とは言え、この二人は俺のように速攻で依頼状を突き返している訳でもない――ルディアの方はその時点で依頼を受けたと見ているような気がしてならない。

 …。

 何なんだ。
 滅茶苦茶鬱陶しい。
 気にしないつもりでいても隣のテーブルに着いている以上はどうしてもその姿が視界に入ってくる。会話も聞こえる――その内容まで取れてしまう。
 まだ言っている。

 …気が付けば思わず席を立っていた。
 つっても、何処か別の席に移るって訳じゃねぇ。
 すぐ隣の父娘の席に行って、そこのテーブルの天板を乱暴にぶち叩く。
「…コラ」
「?」
 きょとんとした顔が二つこちらを見る。…反応が全く同じ。…二人とも全然動じてねぇ。
 …つぅか、これで反応それだけってのもまたイラつくんだが。そっちにしてみりゃいきなり因縁付けられたようなもんだろうが。嫌な顔の一つもしてみろよ。…何なんだよ。
 二人とも俺の顔を暫く見ていたが、それ以上は特に目立った反応は無い。
 そのままで、父の方が、ああ、と軽い感嘆符を投げてくる。
「…失礼、御不快な思いをさせてしまいましたか」
 …。
 自覚あんのかよ。
 何と言うか、拳を振り上げたは良いが振り下ろす前に目標が消えてしまったような感じがする。
 毒気が抜かれた。
 …とは言え、こんな真似をしてしまった以上…いきなり態度を軟化させるのもばつが悪い。
 誤魔化しがてらテーブル上に放置してある依頼状の紙っぺらの方を見る――改めてその文面を見る。…やっぱりさっき自分が渡された依頼状と同じ内容が書いてある。
 チッ、つまんねェ依頼だな。
「…おい、これアンタら受けたんだろ? とっととやってこい。いつまでもぐだぐだうぜェんだよ」
「…おや。もうこれで依頼を受けた事になるんでしょうか」
「いえまだ…受けるかどうか検討している段階に過ぎないんですけれど…」
 …。
 また毒気が戻ってきた。
 自分のこめかみにぴくぴくと血管が浮いている気がする。
「…あんたら本っ当にうぜェな。店の真ん中でンな調子でぐだぐだやってられっとこっちは気になって満足に食事も出来ねぇんだよ。つぅかむしろ営業妨害じゃねぇのか? よく黙ってるよなルディアも他の奴らも」
 何度も言うが彼ら二人の席に隣接するテーブルに着席している客が居ない。そしてそれは――気が付いてみればどうやら現在の白山羊亭内では暗黙の了解のような状態で。そんな中、心ならずも隣席に当たるテーブルに着いてしまったのは暫くエルザードを離れており白山羊亭店内の状況を知らずに入って来てしまった自分だけ。
 父の方――蓮聖は暫く黙ってこちらの話を聞いていたかと思うと、静かに――何処か自嘲が混じったような雰囲気を滲ませて――笑う。
「ああ…かたじけない。気が付かず」
 …皆様には、気を遣わせてしまっていたようですね。
 小さな声でそう続けてくる。
 …。
 …気を遣わせた?
 言い方が引っ掛かる。
 …白山羊亭に居た連中はこいつらに何か気を遣って、その結果放っといたって事になるのか?
 思い、周囲に視線を巡らせてみるが――店員も客も俺と目が合うなりこちらの視線を避けるような感じがある。
 その反応もまた引っ掛かった。
 蓮聖は、はぁ、と力を抜くよう一気に息を吐いてから、娘の方を――朱夏を見上げる。
「と、言う事のようですよ。…ここは一つ、この方の仰られるようにこの依頼、受けるとしませんか」
「…そうですね。わかりました。…では、支度をして参りますので」
 あっさり答えると、朱夏はこちらを見て一度丁寧に会釈。それから当然のように店の奥へと引っ込んで行く。
「…」
 …そんなすぐ決められんならなんで今までぐだぐだやってんだと言う気がするんだが。
 思わず朱夏の姿を黙って見送ってしまってから、再び蓮聖をちらり。
 こちらもこちらで特に様子に変化は無い。
 …いや。
 変化は無いが。
 その段になって、この蓮聖の服装に気が付いた。
 見覚えのある形――そのまま同じでは無いが、良く似た形。
 あの壊されかけた町と、聖都に戻る途中の丘で見た。
 右左と前身頃を合わせる形を基本とした服。

 ――――――また、和装。

 店の奥から朱夏が戻ってくる。エプロンを外したこちらもまた、蓮聖と同じく和装である事に改めて気が付いた。
 戻ってきた姿のその腕には、エプロンではなく革製と思しき深紅のコートが掛けられている。
「…どうかなされましたか?」
 戻ってきた朱夏から話し掛けられて初めて、自分が黙って彼らの姿をじっと見ていてしまった事に気付く。
「あ、いや…やっぱ俺も行くわ。あんたらとちょっと話がしたい」
 と。
 言ったところで、蓮聖が意外そうに俺を見る。
「…先程店に入って来た時、店の方に依頼状を返されていたようにお見受けしますが」
「って見てたのかよあんた」
「見るつもりはありませんでしたが、目に入ってしまい。失礼を」
 全然見られていた気がしない。
 この二人、ずっとあの調子だったのだ。そんな中で、さりげなくも確りとこちらの挙動まで確認していたとなると…どんな目敏さだと思う。
 …最近事ある毎に良く見かける気がする和装の連中。それはただ和装ってだけなら連中以外でもこのソーン世界でそれなりに見掛ける事はある――そうでもなければそもそもその服装を表す語として和装と言う語彙が出て来る訳も無い。が、連中の場合はそれだけの共通点じゃない――何か、曰く言い難いが底の部分に通じる雰囲気を持っているようにも感じている訳で。
 この蓮聖と朱夏の二人も、そうだった。
 関係者では無いかと直感的に思えてしまう。
 自分の中にある竜の部分に問う事もする。…彼らに『あの二人』と同じような何かを感じはしないか。『あの二人』と同郷の可能性。丘に居た妙なガキ――秋白の言っていた、獄炎の魔性を元に戻そうとしている連中、である可能性。…見出してしまえばここで黙って放っておくと言う選択は無い。
 例え受けようとしている依頼がつまらなかろうが…まぁ、つまらないと言うだけで俺で出来そうに無いって訳じゃねェし調査となりゃ…芳しい結果が出るかは別としてそれ程難しい依頼って訳でもねェ。むしろ「話をする事」を本題に持って来る気なら格好の口実になりそうなモンだ。
「…そりゃ初めはやる気がなかったんだが…こうなりゃついでだ」
「そうですか。では、折角ですからこれから一緒に参りましょうか? 拙僧も貴殿にお伺いしたい事が出来たようですし」
「あァ?」
「貴殿は我々の装いに目を留めてから、話をしたいと仰ったでしょう」
「…ああ。…獄炎の魔性、とかって奴の事だよ。知ってるかって思ってな」
「やはり」
「…つゥ事は」
「ええ。拙僧の伺いたい事も、その件です」



 …聖都の外れにある石柱に、尋常ならざる力でごっそりと削られているような破損があるらしい。
 依頼状と一緒に渡されたもう一枚の紙っぺら――大まかな現場と被害情報だけが記された資料を見、まずはここに行ってみましょうか、と何故か蓮聖が速攻で決める。
 この石柱の件、別に資料の一番初めに書いてあった訳でもない――ここ白山羊亭から一番近い場所と言う訳でもない。…資料に記された他の現場を見るに、選んだ石柱がある場所はむしろやや遠い方になる。
 …速攻でここに決めた理由が何かあるのかと思いはする。
 思いはするが、特に反論はしなかった。
 …少しでも余計に時間がかかる方が、話をするには好都合。

 現場に向かう道すがら話をする。
 …街道沿いの田舎町で獄炎の魔性とガチでやり合った事。
 秋白とか名乗る妙なガキが言っていた、獄炎の魔性に纏わる話。…本当か嘘かは知らねぇが、ああなる以前に営んでいたと言う店の廃墟を教えられた――そこで何があったかも示唆された。獄炎の魔性の元の名前――少なくとも元は人間だったとも。師匠の存在。元に戻す為に足掻いている人たちが聖都に居ると言う話。
 …別に隠すつもりなど初めから無い。
 蓮聖と朱夏は俺の話を黙って聞いている。
 たっぷりと間を置いてから、溜息混じりの言葉が蓮聖から吐かれた。
「…そうでしたか。あの莫迦と」
「知り合いなんだな」
 確認する。
 この二人は、あの獄炎の魔性と知り合いなのだと。
「知り合いも何も。あの莫迦を――龍樹を仕込んだのは拙僧ですよ。恥ずかしながら」
「…。…へぇ」
 あんたが。
 …正直、驚いた。
 勿論、素直に表に出す気など更々無いが。
 あの獄炎の魔性は、恐らくは俺と同年代。
 …それの師匠が、これか?
 態度や話し方が妙に大人びちゃいるが、下手すると俺より年下に見えるんだが。…それはこの朱夏と言う少女に父と呼ばれていた以上はある程度見た目より歳は行っているのだろうが、それでも見た目はやたらと若い。行っていたとしても俺と同年代か、百歩譲ってもほんの少し上程度にしか見えない。
 気が付けば、蓮聖の視線がこちらを向いている。
「リルド殿と仰いましたね。…大事ありませんでしたか」
「見た通りだ」
 生きている。
 それだけで良いだろう、と含んで即座にそう告げる。
 …獄炎の魔性との対峙、その結果。本当は、大事無いどころじゃない。到底認めたくは無いが正直なところ死にかけた。瀕死の時に目醒めてしまう竜の意識まで起こしてしまった。…が、ここでそんな事まで言う気は無い。
 いまいち信じられないが、この蓮聖があれの師匠と言うのなら尚更。
 …わざわざ弱い部分なんざ見せられっか、と思う。
「ンな事より。…アンタがあれの師匠ってんならよ」
 …先に気になる事がある。
 思いながら、使うのに手頃な物が無いか探して――軽く辺りを見渡す事をする。すぐ側。足許に見付ける――腰から上半身だけを折るようにして、見付けたものを指先で浚う形に拾い上げる。
 拾ったのは、折れた枝。手の中で僅かな重みや感触を確かめつつ、それを得物の代わりに握る。
 それから、蓮聖をちらりと見た。
「一手、試させてもらうぜ」
 言うだけ言って――そのまま地面を蹴り蓮聖に肉迫。強く踏み込んで一気に剣の如く枝の先を振るう――が、枝が到達するその直前には枝を握る手自体が横合いから鋭く叩かれてしまっていた。攻撃の筋が逸らされ体が崩される――体が崩されたそこですかさず構え直し次の一手を繰り出そうと考える――考えるが、瞬間的に蓮聖の姿を見失った。構え直すにも注視すべき狙うべき相手が居ない。何処だ。焦る。焦ったところで――トン、と背後から軽く肩が叩かれた――細くて軽い物が肩口に振り下ろされたような感触だった。
 振り返る。
 …蓮聖が立っていた。
 その右手。指を揃えた手刀を俺の肩口に置いている。…それは刃持つ武器であったなら確実に獲られている部位で。
「得心頂けましたか?」
「…」
 一応。
 鮮やか過ぎる完敗振りに悔しく思うのも俄かに忘れる。…いきなり仕掛けたのに少しも動じてねェ。攻撃の筋を逸らす為に叩かれた手も、表面的な痛みより芯に重く響いて来る感じがあった。これは、基本的な力の使い方が違う。
 そもそも、今のタイミングで仕掛けてこう返されてしまえば試すもへったくれもあったもんじゃない。
 不要になった枝を放り捨てる。
 蓮聖は静かに頷いていた。
「…それだけ動けるならばまず大丈夫なようですね。安堵しました」
「………………あー、そうかよ」
 …今、この男を試したのは俺の筈なんだが。
 これでは何だか…俺の体調を逆に試されてしまったような。
 どうも調子が狂う。
 そう思っていると――不意に、にやり、と少し人の悪そうな笑みが蓮聖から向けられた。
「折角ですからお教えしましょう。剣の腕を問うならば朱夏は龍樹と互角ですよ」
 さらっと言われ、思わず、えっ、と声を上げてしまう。
 今度こそ隠す余裕も無く驚いた。
「………………そうなのか?」
 目を丸くして、同行している和装の上に革製の洋風コートを肩に掛けている少女を見てしまう。
 こちらは蓮聖とは逆にやや大人びて見える気がするが、恐らくはまだ、十五、六。
 しかも女だ。
 …いや女でも若くても莫迦強い奴は居る。だが今ここで同行しているこの少女がそうとは俄かに思えない――いや強い弱い以前に戦いそのものから縁遠そうな人間にしか見えない。
 和装の少女――朱夏の方も朱夏の方できょとんとしている。…いきなり話を振られたからか。
 構わず蓮聖は俺の問いに頷く。
「ええ。拙僧が良く知る朱夏であるならば」
「…」
 あれと、互角。
 なら蓮聖ではなくこの朱夏の方に…いや。だからって全然その気が無さそうな女に仕掛ける訳にも行かねェだろうが。もし蓮聖が嘘言っててそれに踊らされた…なんて事になっちゃあ目も当てられねェ。ンな恥晒すような真似は出来ねェ。
 …つーかこの女、蓮聖の言う事が全然信じられねェ佇まいなんだが。
 それはあの獄炎の魔性…龍樹ってのも、纏う気の異様さや黒血を浴びたその姿っつぅ事実を無理矢理考えから除けば、遣り合う前までは――刀の切っ先を向けられる前までは、全然そんな戦っていたようには思えないような佇まいではあった気がするが。…仕草とか物腰とか、その辺についてだけを見るならば。
 今の蓮聖の身ごなしも、同じ。
 …いや、ならこの朱夏もまた同じっつぅ事になんのか?
 でもそれだけで決め付けられるもんじゃない。
 ………………この女があれと互角だって事を俺が嘘だと思いたいだけか?
 と。
 そこまで考えたところで。
 何処か押し殺したような響きを滲ませた朱夏の声が響いた。
「…やっぱりまだ信じて頂けていないんですね」
 ?
「今のお前がここに居るのは承知。だが私の娘は故郷で命を落とした事も確か」
 …何だ?
「ここソーン世界であって、具象心霊としても有り得ないと言われますか」
 ………………おい?
「元が魂のお前が喪われた後にどうして魂が残る」
「それでも今私はここに居ます」
「ああそうだ。紛う事なき私の娘。お前がソーンに在る事は新たな波紋を広げる一滴と同義」
「…私も龍樹様を連れ戻したい事に変わりはありません」
「お前がそれを言うのだな、朱夏」
「いけませんか」
「…いや」
 って。
 また鬱陶しい空気が戻ってやがる。
 しかも黙って聞いていれば何やら意味深なやりとり。言葉通りに受け取るべきか何かの比喩か韜晦かと受け取るべきか俄かに迷う内容。そんな内容の対話が少しの間も置かず、鋭く打ち込み合うかの如く交わされている。
「それでも。わかっている筈だ。龍樹の魔性はお前が起こした」
「私は龍樹様とお会いした、それだけです」
「それだけでも。それこそが他ならぬ取り返しの利かぬ一滴」
「私が調和を崩したと」
「否定は出来ない」
「今は舞さんがいらっしゃるからですか」
「…それとこれとは別の話だ」
「…」
 対話が止まる。
 今度は沈黙が続く。
 居心地の悪い空気が流れる――白山羊亭に居た連中の間に漂っていた微妙な空気の理由に今更ながら察しが付いた。…ただの口喧嘩と言うには話の内容がどうも痛い。何やら両方でお互いの心を承知の上で、傷付けたくないのに傷付け合っているような破滅的な印象すらある。そしてどうにも他人が踏み込むべき話じゃなさそうにも聞こえる。そもそも二人の息が合い過ぎていて話している内は間に割って入れない。そしてそんな対話に一段落着いたと思ったら、この曰く言い難いどんよりと重い空気、である。
 ………………だから鬱陶しいっつってんだろうが。
「…コラ。いいかげんにしろよアンタら。そりゃあアンタらには何だかんだと深い事情はあるのかも知れねえ。…でもな、そりゃあそうやってぐだぐだ遣り合ってりゃ解決する事なのか? …違うんじゃねェのかよ?」
「…然りです」
「…はい」
 二人とも、すぐ肯定。
 こういう時は躊躇いも無く確りまともな反応をしてくる辺り、調子が狂う。
 取り直して、口を開いた。
 今の二人の対話の中に、俺にとっても聞き逃せない事があったから。
「…ところでよ…一つ訊いてもいいか? いや、アンタら二人の間にある事に土足で踏み込みてェって訳じゃねえ。ただな、今の話の中で…あの龍樹って野郎があんな化物染みた状態になった原因知ってるように聞こえたんだよ」
 …その辺の事、聞かせちゃくれねぇか。
 龍樹の魔性はお前が起こした――今蓮聖は朱夏に対して確かにそう言った。そしてあの化物染みた状態の奴は――獄炎の魔性と師匠にも呼ばれていると秋白は言っていた。そしてその通り、俺が二人に話をした時、獄炎の魔性と言うその呼び方ですんなり話は通じている。
 魔性と言うのは獄炎の魔性の事と見てまず間違いないだろう。
「言った通りですよ。故郷で死んだ筈の許婚――朱夏が目の前に現れた事で、龍樹はそれまでの生活と訣別し今の道に進む事を決めました。…店を破壊する直前――秋白が話していたと言う、私とやり合ったその時ですね。あの莫迦当人から直接聞いています」
「…私は…そんな事になるとは…」
「わかっています。朱夏の意志は関わりなき事。ただその事実があの莫迦の背を押したのは確かなのですよ。…元々あれの裡にある魔性は何処で均衡を保っていたのか定かではありませんでした。ただここに在る朱夏の存在がその均衡を崩した。それだけの事です」
「…」
 またさっきの痛々しい対話に戻りそうな兆しが。
 思った時点でやや慌てて口を挟む。
「――待て待て待て頼むから止めてくれ」
「はい」
 父は声で答え、娘は頷いて話を止める。
 …素直だ。
 しかも、俺がどうして口を挟んだのか理解した上で、その意味を汲んだ上で言う事を聞いている気さえする辺り何なんだと思う。
「…。…んで、仕切り直すけどよ。元々って…あの佐々木龍樹って野郎は前からああなる要素があったって事か? つーかそもそもあの獄炎の魔性ってのは何なんだ」
「…以前からああなる要素があったかと問われれば、故郷にて朱夏が死した時からもうその要素はありました。元からあれの中にあったのかその時あれの中に生まれたのか定かではありませんが、少なくともその頃からあの莫迦の中に普段のあれとは全く違う荒れ狂う炎――魔性が在る事を認めてはおります。幾度か暴走した事もありました。ですが、これまではある程度抑える事が出来ていたのですよ。…それがここソーンで朱夏の存在を認め、己の意志で堕ちる事を選んでから――リルド殿が相対した通りの様を晒しています」
「その『暴走した時』、ってのと『今』は同じ状態って事か?」
 あの化物染みた状態は。
「いえ。『今』はこれまでの暴走とは違います。何より封が解けていませんから」
 封が解けていない――解けていない封。
 それは。
 心当たりがある。
「…あの、手錠みてぇな」
 意識せず口に出る。
 手錠のような鉄の環が、やり合った時、獄炎の魔性の両腕に確かに填められていた。
「そうです。あの手鎖を媒体に、龍樹は己の魔性を封じる術を用いていました。以前の暴走の時は例外無く何らかの理由であの手鎖が外れてしまっていた時だったんですよ。けれど今は封はそのままで暴走時と同じ状態…いえ、以前の暴走よりも魔性の力は濃く強くなっているように見受けられます。…そもそもあの封はあれ当人の意志に多くを頼る封。あの状態で封が外れていないと言う事は、封印そのものが魔性に呑まれたとも取れますが――見方によっては、龍樹が己の意志を以って魔性を暴走させているとも取れるんですよ」
「…。…それ、封印って言えるのかよ」
「封印と言うより、制御の為の補助具とでも言うべきかも知れませんね。どちらにしろ、他に抑える手段が無かっただけです。あの封印以外はどれ程強力な封印であってもごく短時間の時間稼ぎにしかならなかった。受け付けなかったんですよ。…今はその封印を以ってしても、あの通りですが。
 …『今の』あれを獄炎の魔性と呼んでいるのも便宜上の事。秋白の言うように、見た通り接した通りの煉獄の炎の如き姿からそう呼んでいるに過ぎません。そしてそれが全てです――『あれ』が『何』なのかと問われてしまうと、私ははっきりした答えを持っていないのですよ。獄炎の魔性が真実『何』であるのかわかっているのならば、あの封に頼るだけでなく、他にも何か上手い具合に対処する術があるのかもしれない。そうは思っているのですがね」
「…あんたらでもわからねぇ、ってのか」
 あの、獄炎の魔性が『何』なのか。
「ええ」
「そこの…あんたの娘ってのがあれと互角ってのは…その辺含めてになるのか?」
 獄炎の魔性の――あの化物染みた火の気の力まで。
 同じ――もしくは近いものを持っているとでも言うのか。
 ついでのようにそう訊いてみると、今度は横に首を振られた。
「いえ。あくまで魔性の力を除いての話です。元々、殆ど互角の高弟でしたから。膂力については龍樹の方が上でしたが、身ごなしの柔軟さについては朱夏の方が上でしたね。…まぁ、その辺りは男女の別があるが故の差違、と言う事になりますが」
「つぅと、今の奴の方がその娘より強ぇ事は強ぇんだな」
「…あの状態を『強い』と言えるのなら」
 蓮聖は否定はしない。
 少しほっとする。
 …あの獄炎の魔性とこの娘が互角なんて言われた日にはどうしようかと思った。到底口に出して言う気も無いし認めたくもないが俺はあの男には負けたようなものである。…そりゃあ最後には何故かこっちに止めも刺さずにあいつの方が退散していたが――ひょっとすると竜の部分の自分があいつに何かしたのかもしれないが今の人間の意識の俺にはその辺の事ァよくわからねぇ――それでも事後に暫くの間寝込むくらいはこっぴどくやられた事は間違いない。
 それとこの娘が互角と言うのなら、俺はこの娘とやり合ったとしてもやられると言われているも同然な訳で。
 …ンな訳ァ無ぇだろうと憤りまで覚える。
 それは根拠は何処にも無いが。
 それでも俺ァもう『今の』あの野郎にも負けるつもりはねぇ。

「…あ、あれでしょうか」
 不意に朱夏の声が上がる。
 その声に促され、俺も蓮聖も彼女が示す方向に目をやる。

 白山羊亭で受けた肝心の依頼。
 問題の石柱の被害箇所――抉られたような欠損は、遠目にも良く見えた。



 …近場の連中に聞き込みをしながら問題の石柱のすぐ側にまで辿り着いた。
 聞き込んだ結果得られた情報は、あの欠損部分は一夜にしてごっそり抉り取られたようになっていた事と、その当日、何を破壊しているんだと言うような凄まじい音がほんの数度――二、三度だけ響いていた、と言う事だけ。曰く、その音がどうやって出されているのかを想像するだに恐ろしいような音で、音に気付いた奴も――いや音に気付いたからこそ、音の源を確認するような真似までは出来なかったとか。偶然その時を見てしまったような奴も見付からないらしい。
 そんなこんなで、直接の目撃者は居ない。
 …どうやら他の現場についてもその辺の事情は殆ど同じとの事。こちらと同じ依頼を受けているのか既に何度か現場周辺を聞き込みに来ている者も少なくないらしく、聞き込まれた相手の方もまた、そんな連中から逆に様々な情報を得ていて――それをこちらにも知らせてくる。
 ただ、どれもこれもあまり調査に役立ちそうとは思えないクズ情報の方が多かった。…まぁ、具体的な目撃情報が無い以上はそんなもんだろうとは思うが。

 問題の石柱その物を――欠損部分を意識して見てみる。
 …実を言えば、遠目にでも見た時点でもう、ぞっとした。
 すぐ側に来て意識してみたら、その感覚はより強くなっている。
 何を考えるよりその感覚の方が先で、何にぞっとしたのかよくわからない。この手の感覚は自分の中にある竜の部分が関係している事が多いが、これもまたそうなのかと思う。ぞっとした理由を考える。竜の部分の自分が動揺しているのなら人間の部分の自分で極力冷静に分析しようとする。これを見た時点で何を感じた。尋常でない力が揮われた痕跡――風の力、風の気配。そうだとわかる自分が居る。…依頼状の記載にあったように気象災害と思われたのも道理。これは、風だ。但し――完全に自然現象とは、違う。確実に何者かの意図がある。
 欠損部分を見て自分の感じたものをそこまで分析してみるが、それだけにしては――自分の中にやけに落ち着かないものがある気がしてならない。それは尋常で無い力が揮われたとわかった時点で驚きもするだろうし脅威に思いもするだろうが、それだけではまずこんな気分になる訳も無い。
 …なら、何がある。
 再び欠損部分を注視する。
 背筋に走る感覚。
 寒気がした。
 それでも見る。
 …本当は、初めに見た時点で理由にも気付いていた。
 ただ、認めたくなかった――自覚したくなかっただけの事で。
 …俺は、遇っている。
 この石柱を抉った奴に。
 …遇っているなら何処でだ。
 それも「気付いた」のと同時にわかっている筈なのに、その答えが意識の上に上がって来ようとしない。
 逃げるな。

 ………………あのガキだ。

 頭の中で漸くそう思い浮かべられる。
 痕跡から感じられるものが、あのガキ――秋白に対して感じたものととても近い気がしてならない。力の痕跡、気配の痕跡、どう表現するべきか上手く出て来ないが、とにかくあのガキを思わせた。
 そう感じた。
 が。
「…龍樹様かもしれません」
 すぐ側で意外な異論が聞こえた。
 朱夏の声。
 彼女もまた俺と同様、欠損部分をじっと見ている。
 思わずその顔を見た。
 打てば響くように蓮聖の声がすぐ続く。
「…龍樹なら壊れてなさ過ぎる」
 反論。
「こんな中途半端な真似で済むと思うか。あれの仕業なら一部の欠損どころか石柱の原型を留めてはいまい。それにあの箇所以外周囲に何の被害も無い。関連した人死にの話すら一つも無いだろう」
「ですが、あの痕は…剣圧とも取れます」
「獄炎の気が無い」
「私でも可能です」
「なら、お前か?」
「父上様でも可能です」
「私がこんな真似をして何の意味がある」
「可能だと申し上げただけです。龍樹様も」
 …。
 それはつまりあんたらは剣揮っただけでこのくらいの事は簡単に出来るって事かよ。
「可能だと言うだけならこのリルド殿もまた可能なんじゃないか?」
「…は?」
 いきなり振られて驚く。
 蓮聖はしたり顔でこちらを見てくる。
 …それは、俺はある程度風を操る事は出来るが。
 だからと言って局所的にこれだけの破壊力を持たせるような突風や竜巻の類は…作れるか?
「…おい。変な言い掛かり付ける気じゃねェだろうな」
「無論、可能だからと言って、リルド殿が実際にやったとは言いません。勿論拙僧もやってはいません。ただ、この程度の事なら、やる気になれば可能な者など幾らでも居ると言う事ですよ。この痕跡だけでは龍樹の仕業などとは言い切れない。むしろ龍樹の仕業と考えてみるならば、否定の材料の方が揃います。…今のあれなら常に振り撒いている筈の獄炎の気の痕跡がここには無い。あれの仕業にしては被害が小さ過ぎる…とね」
「ならば…誰が何故、こんな事をしたのでしょうか」
「お前ならばどう思う?」
「私には思いも寄りません」
「そうかな」
「…父上様」
「お前がこれを龍樹と思ったのは何故だ」
「それは!」
 と。
 初めて朱夏が声を荒げた、途端。
 俺の中の竜の部分が、びくり、とした。
 同時に思わず目を見開いた。
 何だ今のは、と思う。
 ………………今の瞬間。朱夏の身から、秋白と同じ気配がした気が、した。
 けれどそんな感覚はすぐ消える。
 …気のせいか?
 そう思えるくらい、ほんの僅かな間の事。
 …蓮聖と朱夏の打ち込み合うような対話はこちらの感覚など気にもせず続いている。
「他の可能性を何故先に言わない」
「これが手掛かりならば、と思っただけです」
「これが手掛かりならば白山羊亭から依頼があるまで私が放っておくと思うか」
「…」
 って。
「…蓮聖あんた、この依頼の件、前から知ってたのか」
「ええ。既に一通り現場を回ってはみましたが。ここの欠損部分については拙僧以外の意見も聞いてみたいと思いまして、この機会に特に選んでみただけです。これは、突風か竜巻か――朱夏の言うように何者かの揮った剣圧の可能性もありますが、とにかく『風』の力によるものでしょう」
「…だよな」
「リルド殿もそう思われましたか」
 思ったが。
 俺の場合は――それだけじゃない。
「…。…なぁ、あんたら秋白ってガキとは面識ねェのか」
「秋白と見ましたか」
 蓮聖はすぐに切り返してくる――俺の言いたい事をすぐに見抜いてくる。
「…こっちの質問に先に答えろよ」
「失礼。拙僧は秋白との面識はありません。けれど、秋白が何者であるのかの心当たりならあります」
「…どんな心当たりだよ」
「言えません」
「はぁ?」
「リルド殿は秋白の仕業と感じたのですね」
「…誤魔化すかよ」
「誤魔化してはいません。心当たりについては言えないだけです。この石柱を抉ったのは秋白の仕業とリルド殿はそう思われるのですね」
「…。…ああそうだよ」
 上手く説明は出来ないが、秋白に関わる何かがあるように感じた。
 具体的に揮われたのは明らかに風の力と思うのに。
 …あのガキは風の系統の何かって事か?
 そしてあのガキは――認めたくないながらも竜の部分の自分が問答無用で怯えてしまう相手でもある。
 ――――――風の竜。それも、強大な。
 もしそうならば説明がつく。
 化身であるならば姿形はどうとでもなるだろう。見た目や立ち居振舞いがガキでも、ガキで無い可能性はある。
「…つぅか、心当たりがあるけど言えねぇって何だよ。隠されると余計気になんだろが」
 ただでさえ、俺の中の竜の部分があのガキに反応してしまう理由が気になっているのに。
 秋白が何者か心当たりがあると言われた上で、言えないなどと。
「ですから、言えないだけだと。…確証がある事でもありませんしね」
「別に確証があるかどうかなんかどうでもいい。心当たりがあるってんなら、その心当たりが何かの手掛かりになるかもしれねぇじゃねぇか。これは俺にはあのガキの仕業としか思えねぇんだよ」
「…。…確証が無ければ言うべきで無い心当たりなんですよ」
「アンタが言わねえ事で事前に何とかなる筈の事が後手に回っちまう可能性だってあんだろが」
「…拙僧の考え過ぎと言う事もありますので」
「に、しちゃあ確信があるような言い方に聞こえるぜ?」
「貴殿はこの依頼には乗り気ではなかったのでは?」
「…もうそういう問題じゃねぇんだよ。俺はあの獄炎の魔性と一度やり合ってる。その事を単なる通りすがりの筈のあの妙なガキに見抜かれた上に関係者みたいなツラされた。んでこの被害箇所からはあのガキと同じ気配がしやがる。かと思ったら獄炎の魔性の師匠だっつぅアンタが、その秋白が何者か心当たりがあるなんて言いやがる。それに今そこの朱夏って女にも…――」
 ――…一瞬だがあのガキと同じ気配がした。
 と。
 そこまで一気に言おうとした直前に――蓮聖から凄い目で見られた。
 …睨むと言うのとも違う、ただ強い視線。
 それだけで思わず、言葉を失う。
 …この目は何だ。
 動けなくなる。
 口も開く事すら出来ない。
 …蓮聖の方も何も続けて来ようとはしない。
 ただ、こちらを見たまま動かない。
 この目で見られる前まではこの男があの獄炎の魔性の師匠と言う事がまだいまいち信じ切れない気もしていたが、今度ばかりは納得した。
 ………………こいつも充分化物だ。
 但し、獄炎の魔性や秋白に対して感じたような、存在自体に対する違和感や脅威のようなものはこの蓮聖からは感じない。そういう気配はない――信じ難いがひょっとすると単なる気迫に過ぎないのか何なのか、今この目で見られて初めて、何か得体の知れない強烈な感じを受けた。
 …そのままどのくらい時間が経ったのか、よくわからない。
「情報が少な過ぎますね」
 また、不意に声が上がる。
 朱夏の声。
 …気が付けば朱夏は石柱の被害箇所を見ている。
 俺との対話に移る直前まで蓮聖と口の方で遣り合ってた筈なのに、いつからかこちらの事など見ていない。一人で依頼の方に戻って、抉られた痕を直接触れてみたりもしている。
 その声で、こちらの時間感覚が戻る。
「見た者は居ない…ほんの二、三度の破壊音だけが証言としてある…。その限りでは破壊した手段は風とも剣圧とも取れます。それで、秋白さんですか、リルドさん曰くその方の気配が残っているとなると…他の現場もそうである可能性が考えられますね。龍樹様を知る方、我々の事情を知る方、父上様が拘られる方…そんな方がこんな事をなさる理由は何でしょう?」
 朱夏が誰にとも無く疑問を提示してくる。
 蓮聖の視線がいつの間にか俺から逸れている――逸れた途端にプレッシャーが一気に消える。
 思わずほっとしてしまう自分が居た。
 …蓮聖の声が何事も無かったように続く。
「印や狼煙…にしては乱暴過ぎるかと。何か思わぬ事があり意図せず破壊してしまった、と見えますかね。…秋白が私の心当たりの通りの存在であるならば、こんな派手な痕跡を残したがる筈は無いと思いますので」
「…思わぬ事?」
「例えば、襲われた」
「…あれがか?」
 あの秋白が。
 それは確かに一見しての見た目は無防備で危なっかしそうな単なるガキかもしれないが。
 だが自分の中にある竜の部分があれ程反応する相手と言う時点で、反射的に疑いたくなる――本当の意味であのガキを襲えるような奴が居るのか? と。
「そして、抗う為に思わず手が出た。その結果がこの被害」
「思わず手が出た程度でこの痕跡かよ。それもあのガキがンなとんでもねぇ真似…――」
 ――…って。
 それこそ、そのとんでもねぇ真似をあっさり出来るような――秋白相手でもさせられそうな気がする奴の心当たりがある。
 話にも出ていた。
 こいつらとも関係がある。

 …獄炎の魔性。

 思い付くなり言葉が止まる。
 だが蓮聖は被害箇所の痕跡に獄炎の気は無いと言った。…俺も感じない。それらしい周囲の被害も無い。あの町で見た惨状はここには無い。だからこそまず、そんな訳は無いとは…思う。
 けれど。
 …もし、あの『獄炎の魔性』の――佐々木龍樹の『魔性』の部分が、形を潜めているとしたら?
 その状態で、秋白と対峙していたとしたら?
 …根拠も何も無いが、有り得そうな気がしてしまった。
「大丈夫ですか?」
 不意に気遣わしげな声が掛けられる。
 その状況に、妙な既視感。
 声の通りに気遣わしげにこちらを窺ってくる朱夏の態度。
 …その限りでは、単なる娘。
 けれど自分の感じたものを疑う気にもなれない。
 それは今はもう違う。けれど先程、激したほんの一瞬、朱夏から秋白と同じ気配がした――それだけではまだ俺の気のせいかとは思う。けれどそれを口に出して言おうとした途端の、蓮聖のあの目。
 とことん先を読んで対応して来るあの蓮聖と言う男が、その反応をして来た事実。皆まで口に出していなかったとは言え、こちらが言おうとした事は恐らく蓮聖には届いている。
 どう考えても、何でもない反応では無かった。

 ………………あの町でやり合った、獄炎の魔性に絡む事。
 その事を見抜いた通りすがりの秋白と言うガキの事。
 確かめる為にこの二人との話を望んだ筈なのに。
 却って、面倒な話を聞かされた気が――わからない事が増えたような気さえする。

 獄炎の魔性の事、秋白の事。
 今ここで相対しての蓮聖と朱夏。
 …話を聞けば聞く程混乱してきた。

 今更ながら思い知る。
 ――――――俺はどうやら、面倒事に首を突っ込んじまってる事になるらしい。

【了】

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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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 ■整理番号/PC名
 性別/年齢/職業

■PC
 ■3544/リルド・ラーケン
 男/19歳/冒険者

■NPC(手前→■/公式→□)
 ■風間・蓮聖
 ■朱夏

 □ルディア・カナーズ

 ■獄炎の魔性(=佐々木・龍樹)(名前のみ)
 ■秋白(名前のみ)

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          ライター通信
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 いつも御世話になっております。
 今回は【炎舞ノ抄】三本目の発注、有難う御座いました。
 プレイング、あれだけ書いて頂けていればお任せばかりでもないですよー。…と言うか、純粋に「依頼」と見ると絡み難いシナリオだったのかもしれませんと今更思っておりますすみません(汗)

 ノベル内容ですが…「問題の違和感」は風間蓮聖より朱夏の方に感じてしまったようです。いえ、リルド・ラーケン様の竜の意識では…小竜と言う事もあり、実は蓮聖の方に感じるところはあまり無いのではないかなぁ…と判断しまして。人間の意識の方で、獄炎の魔性こと佐々木龍樹と比較して蓮聖の事を意識する…と言うような感じだったら「彼方の嵐」を経た以上は思いっ切り反応しそうですけれども。
 この辺の加減はリルド・ラーケン様のPCデータ内の何処かが理由です。

 何だか色々と追求し切れなかったような気がしたり…そもそもこれで一応でも話が終わっていると言えるのか微妙な気もしたり…蓮聖や朱夏と話をしてみたら却って謎が増殖してるっぽいですが…如何だったでしょうか。
 少なくとも対価分は満足して頂ければ幸いなのですが。

 では、また機会を頂ける事がありましたら、その時は。

 深海残月 拝