<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


Redcap Elegy

■オープニング

 ぽたり。
 ぽたり。

 黒山羊亭の床。真っ赤なとんがり帽子を被り、身の丈よりも巨大な斧を携えた、人間の幼児程度のその小人――妖精だろうか――が歩いて移動する度に何かが滴り落ちている。
 滴るその音は、とても微かでそうそう聞き取れるものでも無い。黒山羊亭の中と言うこんな喧騒の中なら尚更。
 けれど確実にそこには、粘度のある液体が滴り落ちている。
 そのとんがり帽子の妖精さんが通り過ぎた後には、赤い跡――血の跡が点々と残されている。
 滴る程の血、と言う訳で当然のように生臭さも伴っている筈なのだが、音のみならずそちらも数多の酒と食事、数多の人の匂いがこもる地下空間では紛れてしまいあまり気にされる事がない。…そもそも血の匂いをさせて来るような客が普段から居ない訳でも無い。
 …とんがり帽子の妖精さんが、漸くカウンターまで到着した。
 よじよじとスツールによじ登り落ち着くと、カウンターの中のエスメラルダに、礼儀正しく、ぺこり。

「ここは困った事を何とかしてくれるところだと聞いて来ました」
 …多分、ワタシはこことは別の世界から来たんだと思います。
 ワタシが住処としているのはとある古城です。…この近くで言うならエルザード城、ですか、あそこと似たような場所なのですが…もう少し陰気で暗い感じのところです。
 ワタシはリジィと言います。
 ワタシはレッドキャップと言う種族の妖精なのですが、命を繋ぐ為には少し困った方法を取る必要があるんです。
 この斧で誰かを殺して、その血でこの帽子を赤く染めなければなりません。
 そしてその血が乾く前に、また別の誰かを殺して帽子を赤く染め直さなければ――それを続けて行かなければ、ワタシは生きて行けないんです。
 帽子を染める血が完全に乾いてしまったらワタシは死にます。
 この斧で殺した犠牲者の血でなければ帽子を染める事は出来ません。
 今も、ここの前のベルファ通りで一人殺してからここに来ました。
 御迷惑な事はわかっていますし、もう、殺人鬼としてエルザードの騎士団の方々から追われている事もわかっています。
 ですけれど。
 …ワタシは死にたくありません。
 それだけなのです。
 元の世界に帰る事が出来れば一番だとは思うのですが、どうしたらいいかわかりませんし…それを望むのも現実味が無い気はしています。
 ですが、帰れないのなら――ここで、ワタシが皆さんに迷惑を掛けずに生きていける方法は何か無いでしょうか。
 ここソーンは、様々な世界から様々な特徴や能力、技術を持っている方が数多訪れていると聞きました。
 そんな方々に、知恵を貸して頂く事は不可能でしょうか。
 もし無理であるのなら、ワタシはまたここで――ここでないにしろ然程離れていない何処かで――また、どなたかを殺します。…ずっとそれを続けます。
 …帽子を染める血が乾くまで、あまり猶予はありませんから。
 元々の手持ちも無いので、常に時間に追われているこの状態では何の報酬も支払う事は出来ませんが――もし、落ち着いてワタシがこの世界で生きて行ける事が出来るようになったなら、その時には何とか工面して、きちんと報酬は支払わせて頂きたいとは思っています。
 なので、是非ともこちらの店の伝手で、助けて頂きたいのです。
 どうぞ宜しくお願い致します。



■ひとまず

 …それは確かに、ここは冒険――と言うか様々な困り事を解決する為の仕事――の斡旋をしているが。
 だからと言ってすぐ目の前に危険極まりない上に時間の猶予もろくにないような、切羽詰まった事情を持った依頼人が飛び入りで来る、と言う事もあまり無い――と思う。
 カウンターの内側のエスメラルダとしても咄嗟に判断に困った。
 それでも黒山羊亭を営む責任ある身、卒無くほんの僅かな間に思考、挨拶も何もさて置きひとまず大事な確認を依頼人に取る事をする。
「じゃあ、具体的に『時間切れ』になるのはいつ頃かと、今殺して来たって言うなら、それを誰かに見られたりしたかしら? それと、ここに入って来る時も貴方の事を誰かが気にしていた様子はあった?」
 この場合、エスメラルダもあまり余裕を持った話し方はできない――下手をすれば黒山羊亭店内が血の海になる――殺人事件が起こされると事前に宣言されてしまっている。そうなると物凄く困る。
 まずは依頼そのものについての猶予時間の確認と、今殺人を犯してきたばかりだと言うのならそこから直結して起こり得る不利な問題を把握しておかないと、ここから動くに動けない。…もしエルザード騎士団にでも速攻で通報が行っていたりすれば――それも依頼人が入った場所がここだと言う事まで知られていたとすれば、依頼人が必要にかられて誰かを殺すまでも無く――遠くない未来にこの場でドンパチが始まってしまう事は簡単に予想が出来る。
 それは避けたい。
 依頼人――リジィは少し考えるような素振りを見せる。
「猶予時間についてですが、今殺して来たばかりですからひとまず暫くは大丈夫かと思います――こちらの世界では同じ数え方をするのかわかりませんので説明になるかはわからないのですが、ワタシの居た世界の時間で考えるなら…天気や湿度にもよりますが、だいたい三時間から四時間くらいでしょうか。殺人を目撃されたかどうかと言う点ですが、隠れて行動していた訳では無いので当然周囲の方に目撃されてしまっています。ですが、ワタシがこの店に入って来た事については目撃されてはいなかったと。…勿論言い切れませんが、通りでの周辺の様子からして、人込みに紛れられたと思っています。黒山羊亭に入る前後で、ワタシの姿を見て騒がれるような事はありませんでした」
「そう。…となると、出来る限り早く場所も移動した方が無難ね…。んー…あと、取り敢えずカウンターの中に隠れて」
「………………良いのですか?」
 ワタシと言う人殺しを匿うような事をして――それも、必要になればまた人を殺すと宣言している者を自分の側に招くなんて怖くは?
 そう含んで問うが、エスメラルダは軽く肩を竦めただけであっさり流す。
「依頼の方は、あまり時間は無いにしろ取り敢えず今すぐどうこうって程時間が無い訳じゃないんでしょ。そうなると、差し当たって今して来たって言うベルファ通りでの件がまず問題」
 ひとまず店に入った事自体は目撃されていないとしても、殺した場所がベルファ通り、そしてここは黒山羊亭となれば――騎士団なり自警団なりから聞き込みの一つも無い筈が無い。御上の手が入るのは時間の問題。ならば逃がすにしても上手く逃がさないと折角黒山羊亭を頼ってもらったのにその意味が無くなってしまいかねない――ひとまずはカウンターの内側にでも身柄を隠して遣り過ごす方が無難だ。
 と、それを聞いていたリジィの隣に座っていた眼帯姿の青年が――ほれ、とばかりにリジィの襟首を掴み小さな身体を引っ張り上げたかと思うと、その身体をカウンターの中にすとんと落とす。
 リジィは思わず目を瞬かせた。
 かと思うと、あ、これも、と何処かたどたどしい女の子の声が続き、カウンターの内側にそっと巨大な斧――リジィが持ってきていた持ち主の身の丈よりもあるそれ――を静かに差し入れてくる。
 それから程無く、案の定ばたばたばたとやや荒っぽいブーツの靴音が響いてくる。揃いの服装――エルザード騎士団員が五人。周囲を隙無く確認しつつ、エスメラルダの居るカウンターの前にまで来る。…赤い三角帽子を被り大きな斧を持った不審な妖精が来なかったか。隊長格らしい団員が確認しつつ、五人がかりで大雑把ながら店内を見回っている。騎士団員に対するエスメラルダの返答は否定。…そんな不審な妖精は見ていない。カウンターに居た他の客にも訊く。右目に眼帯をした青年からも呪符をその身にぐるぐる巻き付けている女の子からも返ってくる答えは同じ。少し範囲を広げて他の客にも訊くが、やはり変わらず。
 …勿論、本当にリジィの存在に気付いてなどいない場合もあるだろう。けれどそうでなかったとしても――黒山羊亭を訪れる客人は、総じてエスメラルダの味方である。リジィの存在に気付いていたとしても彼女が何をしたのかある程度察していたとしても、他ならぬエスメラルダの判断を裏切るような――彼女が匿った女の子の事を売るような真似はしない。
 確証があっての来訪では無くあくまで念の為の聞き込みだったようで、騎士団員はすぐに店から去っていく。
 店内に元通りの喧騒が戻って来るまで、大して時間は掛かっていない。
 カウンターでは右目に眼帯をした青年――リルド・ラーケンがグラスを傾けながら、騎士団が姿を消した店内入口の方をさりげなく見ている。
「もう大丈夫だろ」
「うん…行ったよ」
 呪符ぐるぐるの女の子――千獣も同様、店内入口の方を見ながらリルドに同意する。
 受けて、そろりと真っ赤なとんがり帽子がカウンターの内側から現れた。
「…有難う御座います。少し驚きました」
 お店の方のみならず、カウンターのお客様まで咄嗟に匿って下さるなどと。
「そりゃあそんな話を聞いちまえばな。単なる殺人鬼ってんなら当然連中に突き出すところだが」
 その殺人の理由が『生きる為』となりゃあ話は別だ。…そういう種族ってンなら仕方が無い。
 言いながら、リルドはグラスから手を離し、改めてリジィを見る。
「…おい、殺るのは魔物とかじゃいけねェのか?」
「魔物、ですか」
「おう」
「…」
 リルドは暫く待つが、返答無し。
 それを見て、今度は千獣がリジィの顔を覗き込むようにする。
「人間の、血、じゃなきゃ、駄目、なの……?」
「…。…人間の血……」
 リジィ、ぽつりと鸚鵡返しに呟くと、それっきりまた無言。
 とは言え、無視していると言うより――リルドと千獣に言われた事を本気で考え込んでしまっているような態度に見える。
「あとな、同じ血で染められるのは一回だけなのか?」
「…」
「うん…一人、から、いっぱい、じゃ、なく…いっぱいの人、から、少し、ずつ、とか、そういうの、だめ…?」
 少し、ずつ、血、もらって、それ、ためて、おく……ためて、少し、ずつ、使って、次の、場所で、また、少し、血、もらう……だめ、かな……?
「…」
 リルドも千獣もまた別の提案をしてみるが、やっぱり反応は同じ。
 そういう種族の妖精。…ならば少しでも、その形を崩したりはできないものなのか。そう思っての提案だったのだが――肝心のリジィからの反応が、無い。
 止まっているリジィの顔をエスメラルダが覗き込む。
「大丈夫?」
「…。…スミマセン黙り込んでしまって。魔物でも染められるのか、人間の血でなければならないのか。同じ血で染められるのは一度だけなのか、数多の方から少しずつ血を頂いてそれで染める事はできないのか。…考えた事がありませんでした」
 ただ、ワタシはこの斧で人を殺してその血で染める、と言う方法しか、頭に無く。
 別の染め方など、考えた事もありませんでした。…いえ、レッドキャップであるが故、考えられなかったのかもしれません。
 今皆さんに言われて初めて、帽子を染めるのにも他の方法があるかもしれないと気が付きました。
「つゥ事は…」
「一つ一つ試してみないと、って事になるのかしらね」
「出来るのでしたら。…改めまして、御協力頂けますでしょうか」
 皆さん。
 リジィはそう告げてくる。
 と。
「…なんだそういう事か」
 すぐ近くで、また別の声がした。
 気が付けばリルドと千獣の――カウンター席の後ろから、当然のように表情の薄い――そしてとても長い上に豊かな黒髪を持つ女性がひょいと顔を出して来ている。
 一同は反射的にぎょっとした。…一応、依頼人が騎士団から追われる身の妖精である。いきなり途中から見知らぬ人物から声を掛けられれば警戒の一つもする。
 が、顔を出して来た黒髪の女性の方は全く気にしていない。
 何の衒いもなくカウンターの面子に話しかけてくる。
「すぐ外でちょっとした騒ぎになっていたが。大方そこの妖精の仕業と言うところのようだな」
 詳細まではわからんが、殺人が傷害か…何か剣呑な事件が起きていたと見受ける。…騎士団連中が何やら忙しく立ち回っていた。
 ちら、と店の入口の方に視線を流しつつ、黒髪の女性は平然とそう告げて来る。
 リルドや千獣にとっては見知らぬ顔だったが、エスメラルダに限っては知っている顔だった。
「…シェアラさん」
「案ずるな。そうやってカウンターの内側に居る時点でエスメラルダが懐に入れたと言う事だろう? 別に騎士団連中に突き出しはしないさ。まぁどちらにしろ私は大して気にはしないが」
 あっさり言いながら、エスメラルダにシェアラと呼ばれた黒髪の女性――シェアラウィーセ・オーキッドはカウンターの空いていた席――元々リジィの座っていた席でもある――にどっかりと座る。
 カウンターの内側に居るリジィの事も確りと視界に入れた。
 リジィの方は反射的に構えてしまう――それに伴い、俄かに空気が張るのに気付いてリルドも思わず剣の柄に手を伸ばしかけた。千獣も思わずすぐ動けるよう意識を切り換えてしまっている――エスメラルダの顔も少し強張った。
 けれどそれでもシェアラは全く動じない。
「すまんな。立ち聞きするつもりはなかったのだがどうも私がここに訪れる時は…こういうタイミングになってしまう事が多いらしい。…まま落ち着け。私はシェアラと言う。一応織物師を生業としている者でな。何なら私も協力しよう。暇なんだ」
 相変わらずあっさり続けるシェアラに、まずリルドが剣の柄に伸ばしかけた手を戻す。…このシェアラ、カウンターでの話を聞いていたとして――皆まで聞いていなかったとしても察していて、外の様子まで見ていてその態度かと感心する。
「…随分剛毅な姐さんが来たもんだな」
「ん? いや、こんな事は数多の世界から数多の種族が訪れるソーン世界ならば幾らでもぶち当たりそうなものだろう? 事情を聞けば特に騒ぐような事でも無い…私たちも生きる為に殺してるからなぁ。そこの妖精の場合はそれがたまたま人間だったって事だろうし」
 と。
 相変わらず平然とシェアラが続けたところで。
「私もそう思いますね。このソーン世界は訪れる度に様々な方がいらっしゃるのだなぁとしみじみ思いますから」
 更にまた別の声が続いた――かと思うと鮮やかなエメラルドグリーンの髪をふわりと空に靡かせた、薄手な――南洋系の神職、巫女を思わせる独特の衣装を纏った女性がにこりとカウンターのすぐ側、皆の後ろで微笑んでいる。
 まるで何も無い空中からふわりとその場に舞い下りたかのような佇まい。
 …俄かに現実感を身失ってしまいそうな、場違いなくらいに清楚な姿である。
「可愛らしいお子様の困ってらっしゃる声が聞こえたので気になってしまいまして。あ、申し遅れました。私はみずねと申します。宜しくね、妖精さん?」
 にっこり。
 カウンターの内側のリジィに対し、みずねと名乗ったその女性は全く無警戒に微笑み掛ける。
 暫く、空気が止まる。
 …張り詰めた空気が一気に緩んだ気がした。
 シェアラに続いてのみずねの登場にリジィは数度目を瞬かせたかと思うと、少し考えるような風を見せてから――構えを解いて、ぺこり。
「失礼しました。ワタシはリジィと申します。…種族はレッドキャップと言う妖精で…と。シェアラサンは立ち聞きになってしまった…みずねサンは声が聞こえた…と言う事はここでもう一度依頼内容を説明しては繰り返しになってしまうでしょうか? それでは余計な時間の浪費になってしまうと思うので出来れば避けたいのですが…」
「私はそれで構わんが」
「ええ、私も。だいたいのお話は。伺った上で、出来る限りの協力はしてあげたいと思ってここに空間渡りをして来た訳ですから」
「…では、お言葉に甘えて説明は省略させて頂きます。…無差別に殺すだけならまだ時間の余裕はありますけれど、選んで次の行動を取る以上はそろそろ具体的に動き始めたいので」

 …これだけでももう案外、時間は経っていますよね?



■試行錯誤、情報収集

 と、リジィから時間の無さを訴えられてから。
 みずねから一つ意外な提案をされた。
 …自分の能力を使えば、リジィを元居た世界に戻せるかもしれない、と言うのである。
「本当ですか!」
「ええ。ただ…」
 それを実行するには。
 …まずは私のお仕えしている『風の神様』――今現在いつもの事ながらプチ行方不明、そして余談ながらその『風の神様』を捜す最中にリジィの声が聞こえたと言う状況でもある――に他者への能力使用のお許しを頂いて、無数にある異世界からリジィちゃんの出身世界を探し出して、能力付与の祝福をして…。
 と、みずねが少し考えただけでも、大分時間が掛かりそうだったりする。
 その事を伝え、他にもっと手早く出来そうな手段があるならそちらの方がとも伝えつつ、みずねは一応確認。
「――…それと。元居た世界から追放されてしまった、と言う事はあるかしら?」
 その場合は、送り帰せたとしても色々支障が出てくるかもしれない――そもそも送り帰す事自体が不可能かもしれない。
 訊き難いながらも訊いてみると、リジィは、いえ、と否定する。
「…それは無いと思うのですけれど。そもそもワタシにその自覚がありません…追放と言うのなら追放者当人にはその事を言い含めた上で追放されそうな気がするのですが、そうとも限らないのでしょうか。それに、元の世界ではレッドキャップはワタシだけではありませんでしたし…レッドキャップの存在が否定されている訳でもありませんでした。ただ、元々アンシーリーコート――神に祝福されていない悪意に満ちて生まれ出たとされる妖精ではありますので…元の世界でもあまり歓迎されない存在であった事は確かです」
「…元の世界でも嫌われ者かよ」
 大変だなアンタも、とリルド。
 リジィは顔色も変えずに頷く。
「…レッドキャップは血腥い事の起きた現場や処刑場から生まれていますのでね」
 本当に、面倒な生まれ方をしてしまったと思いますよ。
 と、感情を込めない言い方で続けて来るリジィに、ふむ、とシェアラが考え込む。
「処刑場ならエルザードにもある筈だが。故郷の環境に近いとなればそれも良いのかもしれない。罪人の処刑役でも出来れば時間稼ぎにはならないか? …まぁ、そう簡単に死罪の人間が出るとは限らんが」
「…それ以前にワタシは既に司法側の人間に追われてるんですが」
「エルザードの者は聖獣王以下、案外話せばわかるところもある」
 …まぁそれはそうだが。
「っつっても、殺った鉄火場目の前にしてその余裕があるかねぇ?」
 …今現在のベルファ通りの状況然り。
 そんなリルドの突っ込みに、シェアラはまた、ふむ。
「それもそうか。…どちらにしろ時間がネックになりそうだな…説得するにも時間が掛かる」
 時間が掛かり過ぎては本末転倒、話が終わる前にまた問答無用の鉄火場になりそうな。
「…となると盗賊狩り辺りが無難か?」
「比較的すぐ狩れるような盗賊の心当たりはありますか」
 リジィの切り返しに、今度はエスメラルダが冒険斡旋の依頼状を捲り出す。
「…難しいわね。神出鬼没で正体が掴めなかったり、広範囲で活動してるような奴ばっかり」
 まぁ、そんな場合でもなければ依頼状のストックとしてあるようなものでもないか。
 皆でうーんと悩んだところで、今度は千獣がたどたどしく話し出す。
「あの…人間の、血、で、なくても、いい、なら……人間、には、そういう、仕事、あるん、じゃ、なかった、かな……?」
 魔物とか盗賊とかを殺す訳じゃなくても、街中でも普通にある仕事。
 …要は、屠殺業。
 千獣が言いたいのは、食用の家畜を殺して捌き、店に下ろす仕事…である。
 言われて早々、みずねが、ぱむ、と両手を合わせつつ同意。
「鶏や豚なら黒山羊亭にもあるのでは。それで可能なら一番手っ取り早く試せるのではありませんか?」
 …リジィの帽子がそれで染められるのかどうか。
 言われ、少し考える風を見せてからエスメラルダは店の奥へと向かう――向かいながらリジィにちょいちょいと手招き。気付いたリジィはエスメラルダを追う――追おうとするが、その前にカウンターに居る面子を振り返り、じっと見てから改めてエスメラルダの後を追う。
 それを受け、まず千獣が頷いたかと思うとスツールを下り、そちらに続く。前後してみずねもそちらに付いていく――彼女もまたカウンターに残るリルドとシェアラの二人を振り返り、促すように、にこり。
 リルドとシェアラは何となく顔を見合わせる。
「…どうするよ」
「…。…私も行くとするか」
 ひょっとすると、このまま逃げなければならん羽目になる可能性もあるし。
 ぼそりと続けながら、シェアラはスツールから腰を上げる。
「お前はどうする?」
 カウンターの奥に向かいながらリルドに言い残すだけ言い残し、シェアラもまた行ってしまう。
 後にはリルド一人が残された。
「…」
 面倒臭ェ。
 …と言うか、正直、自分向きな依頼の気がしない。
 もし『時間切れ』とやらになってこちらに刃が向けられたりしたなら、絶対に抵抗はする。
 いやそれどころか、そうなる前にこちらが依頼人に剣を向けてしまわないとも限らない。
 俺は、この依頼に乗るべきでない気がする。
 が。

 …。

 クソッ。
 ここまで聞いといて今更放り出せるか。
 …つーか、俺だけここで下りたらなんか「逃げた」っぽくねぇか?
 そんな発想が頭を過ぎるなり心は決まる。
 ………………リルドも結局スツールから下り、皆が消えたカウンターの奥へと行く事にする。



 黒山羊亭厨房。
 エスメラルダが出して来たらしい鶏一羽の首をリジィが斧で切り落としている。切り落として噴いた血の方向に――そもそも初めから計った方向に血が噴くように切り落としている節がある――リジィはすかさず脱いだ帽子を差し出し翳している。噴いた血は帽子にそのまま付着する――が、噴いたそのまま自然に被っている以上に、血の方が自分から帽子に吸い込まれているようにも見えた。
 結果としてあまり周囲に血が飛び散ってはいない。
「欲を言わなければこれで染まりそうではありますが…」
 …ただ、これでは何だか時間があまり保たなさそうな気がします。
 リジィは自分の頭に帽子を戻しつつ、ぼそり。…呟きながらもそのまま斧を使って鶏をやけに手際よく捌いていく。
 エスメラルダは思わず目を瞬かせた。
「…あなた、手際いいわね」
「つーか、そこまで斧でやるのかよ」
 リジィが持っているのは身の丈以上の巨大な斧である――どう見ても細かい作業には向かない筈の代物である。そんな斧でここまで細かい仕事をあっさりやってのけるとなると、何だかそれだけで職人技のような。
「…それ、お仕事に、したら…向いて、そう…」
 リルドのつっこみに続いて千獣もぽつり。
 リジィが捌いた鶏は、綺麗に部位毎に切り分けられ、取り置かれている――その様も何だか手際がいい。
 …と、俄かに違う方向に行きそうだったところで、シェアラが軌道修正に入る。
「確かに鶏を捌くのは妙に上手いな。だが今の帽子の染まり方とその具合を見るに…普通に染色すると言うより何らかの力が働いているようにも見えたぞ。…リジィ、人を殺した場合はどういう風に染まるんだ?」
「基本的に今と同じです。ただ、今の鶏の血では…血の量が明らかに少なかったので」
 あまり時間は保ちそうに無いと。
「…人血の場合でも今のように帽子が勝手に吸い込むのか?」
「はい」
「…てェ事は、一度使った血をもう一度ってのは無理そうだな?」
 リルド。
 質問と言うより確かめるように聞く。実際、幾ら鶏である以上元の血の量が少ないからと言って――辺りには不自然な程、噴いた筈の血が残っていない。
「…かも知れません」
 リジィも頷く。
「考えてみれば、染めた後に周囲に血の痕が多く残っている事があまりありません」
「…。…どうしても…殺す、必要、あるの、かな…」
 千獣がぽつり。
 血で帽子を染めると言う事だけが必要なのなら、少しずつ皆の血を貰うのはどうかとは提案した。けれど今の染め方を見、シェアラの言い方、リジィの話を聞くと――『殺す』と言う行為こそが必要なのではとも思えてくる。
「どうしよう、も、なくなって…リジィの、帽子…乾き、そう、に、なったら…とり、あえず、私の血、あげよう、って、思ってたん、だけど…」
 私なら、そう簡単に死なないし、大丈夫だから。でも『殺す』のが必要なのなら逆に、私はそう簡単に死なないから――死ぬ気も無いから、役に立てない。
 リジィが千獣を見る。
「御厚意有難う御座います。殺す事が必要なのかどうか――済みませんがワタシはそれも考えた事がありませんでした。では…殺さずに染められるのかどうか、試させて頂いても良いですか?」
 千獣サン。
 と。
 言われたところですかさずエスメラルダの声が飛んで来る。
「ここでは止めてね」
 確かに。
 ここは曲りなりとも食い物屋の厨房である。
 鶏ならともかく、人を傷付けては色々宜しくない――店主の立場となれば尚更言わざるを得ない。
「じゃあ…このまま、裏手、出よう」
 その方がまだ人目に付かない。



 黒山羊亭裏手、地上。…リジィの件は四人に任せ、エスメラルダは店の方に戻っている。
 表に出て早々、はい、と千獣があっさり自分の首筋を晒してリジィに切らせようとするが――待て待て待てとリルドが止めに入ってくる。
「幾ら何でも目立つだろそれ。こんなとこで誰か事情知らねぇ奴に目撃されでもしたら言い訳出来ねぇぞ」
 と言うか、幾ら死なないと言っても目の前で若い女の首筋に斧ぶち込まれるのを黙って見ているのはさすがに寝覚めが悪いと言う理由も密かにあったりする。
「…では、手首で」
「うん」
 千獣は今度はあっさり両手首を差し出してくる。
 リルドは今度は何も言って来ないが…暫く難しい顔をしていたかと思うと、あーっと自棄気味に叫びながら頭をかき回している。
 その様子に、千獣はきょとん。
「?」
「…あの?」
 リジィも訝しげな顔でリルドの顔を覗き込んでくる。
 …そのリジィの肩をシェアラがぽんと叩いてくる。
「つまり殺されずともそれに近いくらいの勢いで傷付けられるのは見るに忍びないと言う事だろう。切羽詰まっての事ならばまだ仕方無いと覚悟は付くだろうが、今は時間の猶予がある時点での試しでだからな」
 シェアラの科白に、千獣は目を瞬かせる。
「えっと…私は…大丈夫…だけど」
「そういう問題じゃねぇんだよ。…俺は竜が半分混じってんだが、竜の血って魔力だか生命力があって薬になるとか言うよな? 何か良い効果あるかも知れねぇし、少しならやってもいい。…どうせなら一人を死ぬかどうかわからねぇようなとこまで追い込むより、複数から少しずつ、って方を先に試せよ」
 ほら、とリルドが利き腕で無い側の人差し指の指先をリジィに差し出してくる。
 リジィもリジィでそうですね、染まるかどうか試すだけなら少しでも、とひとりごちると、では失礼して、とリルドの指先をほんの僅か傷付ける――血が伝い、滴り落ちる。リジィはまたすかさず帽子を脱いで、その血が滴る下――まだ地面に落ちない内に、その下へと翳している。帽子に一滴落ちる。
 そのまま染み込む――かと思ったら、その血の滴は帽子に撥水加工でもしてあるかのように弾かれてしまった。
 帽子の表面をつぅと伝い、地面にぽたりと落ちる。
「…。…わざわざ頂いたのに申し訳ありません。駄目みたいです」
「…俺の血だからって事はあるか?」
 竜の混じった血だから何か条件が違うとか。
「じゃあ、次、私…確かめる」
 千獣が改めてリジィに手を差し出す。
 リジィは失礼しますとその指先を少しだけ切った。
 そしてリルドにしたのと同様に、血の滴が伝い落ちる前に帽子を翳す。
「…」
 やっぱり、同じ。
 染み込まない。
「だめ、なのかな…」
 千獣はうーんと考え込む。
「じゃあ次は私とみずねがやってみるか? 私は元々人間だが今は亜人――と言うか亜神で、みずねは人魚にして風来の巫女だ。皆属性は違う――試しにはなるだろ」
 シェアラがぽつり。
「そうですね。リルドクンは竜、千獣ちゃんは色々混じってらっしゃるようですから」
 同意して、みずねは顔の前に人差し指を差し出し、にこり。
 リルドや千獣にしたのと同様に、リジィはシェアラとみずねの指先をちょっとだけ傷付け、滴の落ちるところに帽子を翳す。
 やはり変わらず撥水効果。
「…結論は出たな」
「どの属性でも同じ…。となると、殺さなければ染められない、と言う事のようですね。ただ一応、人間に限らずとも鶏の――動物の血で染める事は可能のようですけれど」
 ほっとしたようなみずねの声。
 が、リジィの表情はまだ難しい。
「ですが、鶏のような小さな生き物では…人の場合よりも数多く殺す必要がありそうです」
「か。…鶏ではなく例えば牛などならば人より大きいが」
「それは、そうだと思います。ですが…」
 …屠殺業を仕事にするとして、この仕事はそれ程間断無く殺し続けられるものなのでしょうか。
「それは…」
 営業時間とか休日とか、店の事情取り引き先の事情によっては必要量の増減とか勿論普通にある――リジィ側の事情を汲んでもらえたとしても、さすがに限度はあるだろう。そしてそれではまず、帽子を染めるにも時間が保たない場合が出てくる事は避けられないと思われる。
「…となると、やっぱり時間稼ぎにしかなりそうもないですね」
 みずねが口許に指を当て考え込む。
「帽子を染める血が魔物や動物のものでいいなら、ソーン辺境を放浪してもいいかもしれません」
「それなら迷惑は掛からないでしょうか」
 リジィがすかさず切り返す。
 ん、と千獣が軽く唸った。
「それ…は…獣たちの…縄張り、とか…色々、ある、から…」
 人間の迷惑にはならないかもしれないけれど。
 人間以外のものにとっては、そうでもない。
 …千獣はそんな事も考えてしまう。
 彼女の場合、住まいなど持たず行き場も無くて、実際に自分が行く先行く先にある生き物たちの縄張りを侵して回って生きてきた事があるから。…自分も過去にした事である以上否定する事は出来ないが、やらない方が良い事だとは思えてしまう。
 みずねはそんな千獣の様子を見、安心させるように微笑み掛ける。
「あくまで一案です。リジィちゃんの境遇だと色々考えてみる必要がありますからね。ソーンでは『犯罪』でも他の世界では…少なくともリジィちゃんの種族では『常識』なのでしょうから。…そうですね…他に何か良い案は無いでしょうか?」
 皆さんも。
 みずねに振られ、今度はリルドが口を開く。
「普通に染色って感じじゃねぇって事は…こりゃあ魔法とかそっちの領分になるだろ。…つぅとちょっと考え方変えなきゃならねぇかもしれねぇな」
 殆どひとりごちるような形で呟くリルド。
 それを受け、千獣もまた一案を挙げる。
「ガルガンド、の…館で、調べて、みる、とか」
 レッドキャップの事。
 …ソーンで起こった出来事ならばどれ程遠方の事であろうが何故か何でも記載されていると言うガルガンドの館の蔵書。更には主人のディアナ・ガルガンドは異世界の住人の姿やその物語が書き記された文献を集めているとも言う。…ひょっとしたらその館にある文献にレッドキャップと言う種族の事が載っているかもしれない。
 そうだな、とシェアラも考え込む。
「…性質を変える魔法でもあれば上手い事片は付きそうな気がするが、生憎私は習得してないんだよな。ガルガンドの館でそんな魔法が見付かれば良いが…。遠見の塔辺りになら恐らく役に立ちそうな文献はありそうだと思うんだがなぁ…ただこれは一番初めにみずねが出した案と同じで時間が足りるかが問題か…――」
 そもそも遠見の塔はエルザードの外になるのでちょっとした小旅行になってしまう。
「――…最悪、一応私も人の範疇に入るし死にはするからサックリやってくれても構わんが…」
 と。
 シェアラがあっさり言うなり、周囲の面子は停止する。
「…え」
「って。死ぬ気かあんた」
「ん、ああ、私は一応不死でな。…と言っても『殺しても死なない』のではなく、『一度死んでも蘇る』形の不死なんだ。ただ、肉体の損傷が激しいような…汚い殺し方をされるのは遠慮したいが」
 そうなると復活にも余計に時間が掛かってしまう――そうなると時間稼ぎの意味があまり無いとも言えるし。
「それとも…蘇りの形とは言え結局不死な以上、肝心の帽子が染まらない可能性もあるか?」
「…どうでしょう。…わかりませんので、最後の最後の手段にさせて頂きたいと思います」
 やっぱり、それで染まるのかどうかは言い切れませんので――もし染まらなかったら申し訳無いだけなので。
 と。
 リジィが言ったところで。
 あ、と千獣が短く感嘆符を吐いていた。
 途端、何事かと他の面子からの注目を浴びる――声の主の千獣一人だけが不意に路地の先の方を見ている。見ていたかと思うと、その見ている方向から何者かを捜しているような――騎士団らしい複数人の声が聞こえて来た。声だけでまだ姿までは見えない。
 捜されるような存在の心当たりは目の前に一つ。
「…移動しましょうか」
 取り敢えず、ガルガンドの館にでも。



 ガルガンドの館。
 そこには言い出した千獣をはじめ、シェアラとみずね、そしてリジィの四人が訪れている。…ちなみにリルドはと言うとそこから一人で別行動。曰く、周辺状況の偵察がてら、そういう事に詳しそうな…胡散臭い闇医者の類やら薬師やら術師のような、稼業で知った顔に話を持ち掛けてみるとの事らしい。
 四人が訪れたガルガンドの館では、館の主ディアナ・ガルガンドが四人の客人を迎えて事情を聞くなり――書架の間を歩き回って迷う事無く数冊書物を取り出している。
「レッドキャップと呼ばれる妖精について書いてある文献は…だいたいこんなところになるかしら?」
 伝説や伝承を纏めた本や、妖精の辞典。
 閲覧用の机に積み上げられた本は案外多い。
 …とは言え、その中に書かれていたレッドキャップについての内容は結構重なっていた。
 纏めると、こうである。

 ――…レッドキャップと呼ばれる妖精は幾つかの異界で確認されている。…ちなみにソーン世界に定住したネイティブの妖精種族としてのレッドキャップは確認されていない。
 レッドキャップが確認されているどの異界に於いても殆どの場合で共通するのは、アンシーリーコートの一種で、邪悪な、危険な妖精であると言う事。
 血腥い事件や争いの絶えない地域に出現するとされ、多くは廃墟の城や塔、処刑場などに住んでいると言われる。
 天使や聖者、悪魔祓い師の目に付くのを避ける為、一つ処に定住はしないとも言う。
 徒党を組んだりはせず、単独行動を取る。
 が、異界によっては徒党を組んで人を襲うと言われる場合もある。
 己の住まいに迷い込んで来た人間を残酷な方法で殺し、その血で自分の帽子を染める事を好む残忍な性格をしていると言う。
 また、帽子を染める血が乾くと死んでしまうとされる場合もある。
 姿は人間の血で染めた赤い帽子を被り、鉄の長靴を履いた背の低い醜い老人。目は赤く、歯は唇から突き出ており、手の爪は長く伸ばした鉤爪になっている。左手に杖を持っている――もしくは肩に斧を担いでいるとも言う。
 重い鉄の長靴を履いているのに足が速い。
 聖書の文句を唱えるか十字架を見せるなどすると、叫び声を上げ、歯を一本残して逃げ出すとされる。
 と、対処法が比較的はっきりと伝えられている割には、異界によってはその凶暴性からアンシーリーコートの中でも攻略し難い妖精とされる場合もあるらしい。
 悪魔のような魔法を使うレッドキャップも居り、その魔法を人間が利用出来ればその人は不死身になれるとも言われている。
 基本的にアンシーリーコートであり、悪魔や亡霊的な扱いをされている事が多い妖精だが、とある異界に於けるパースシャーと呼ばれる地域のとある城に住むレッドキャップなど、幸運を与えてくれる縁起が良い妖精とされる場合もある…――。

 と、こんなところである。
「ワタシたちの事はそんな風に書かれているものなんですか」
 文献から得たレッドキャップについての情報に、当のレッドキャップな筈のリジィは心底感心している。…まぁ確かに、自分の種族が客観的にはどんな風に見られているかなど、こんな機会でもなければ知る事も無いかもしれない。当然、異界の同族(?)についての事も。
「嫌われる、妖精…じゃ、ない、場合、も、ある、んだ」
 得られた情報の中で千獣の気に留まったのはそこ。文献の中にあった『幸運を与えてくれる縁起の良い妖精』と言う表記。…それなら居ても誰にも迷惑は掛からない。
 シェアラもまた同じ情報を気に留め、考え込む。
「と言う事は、レッドキャップであってもシーリーコートな属性の場合もある訳か…だがリジィから聞く限りの情報では…少なくともリジィの種族はそこには該当しなさそうだが。…同じ名前の別種の妖精…いやそれとも本来はそちらのレッドキャップも同種族であって、何らかの要素によって性質転換が出来る可能性も無いとは言えないな…?」
 ならば、性質を変える専用の魔法が存在する可能性も見出せる。
 そんなシェアラの言葉を受けて、みずねがリジィの顔を覗き込む。
「リジィちゃん、パースシャーって場所に聞き覚えはあるかしら?」
 あるなら、『良い妖精』であるレッドキャップと同じ出身世界の可能性もあるかもしれない――同じ世界であるなら、今シェアラが言ったように性質転換出来る可能性がより高い、とも思える訳で。
 が、問われたリジィはと言うと、帽子の日よけ部分を目深にかぶるようにして俯いてしまう。
「…済みません。故郷での生活で場所の名前と言うものを気にした事は無いので…わかりません」
「そうですか…。まぁ、これまで生きて来て必要無かった事ならばわからないのも道理でしょうから、仕方ありませんよね」
「皆さんには折角色々考えて頂いているのに、肝心のワタシがお役に立てず…」
「気にするな。そう言った手掛かりになるような事が自覚出来ないのも種族としての宿業だろう。さてそうなるとどうするべきか…文献には出くわした時に退散させる方法なら結構普通に書いてあるがな。…殆どの場合で悪魔や亡霊扱いか。難儀だな。…なぁディアナ、お前は何か心当たりはないか?」
 リジィの依頼を果たせる方法や手段――例えば、妖精の性質を変えられるような魔法に。
 ついでのように訊いてみると、そうね、とディアナは受けてくる。
「それを世界が認めたならば、わたくしに聞かずとも貴方たち自身で見付けられる筈よ」
「知っているが言えない、と言う事か」
「いいえ。魔法があるとも限らないわ」
「魔法でないにしろ、リジィの困り事を丸く治められる『何か』は知っている」
 続けてのシェアラの切り返しに、今度はディアナは謎めいた笑みを返すだけ。
 その顔を見て、千獣も頼む。
「ディアナ、教えて」
 知っているなら、心当たりがあるなら。
 まるで自分の事のようにひたむきに訴えてくる千獣を、ディアナは窘めるように見る。
「この世界に馴染んで普通に生きていけるようになりたい。彼女のその願いが叶うかどうか。それは世界が決める事。…わたくしが口を出してはいけないの」
 これはきっと、貴方たちで見付ける事に意味がある。
「私たちで、見付ける、こと」
 言われ、千獣はぽつりと呟く。
 それらの様子を見、みずねがゆっくりと頷いた。
「わかりました。この場所で得られる情報はここまで。これ以上は、ここではない他の場所に行く事が必要。そういう事ですね」
 みずねに確認され、ディアナは優雅に肯じる。
 シェアラは軽く溜息を吐いた。
「じゃあ別行動中のリルドにもその旨知らせるか」
 ぽつりと言うと、シェアラはそれ自体が魔法のような所作で何処からともなく艶やかな色彩のハンカチーフのような布を取り出す。手の中にある時点でそのハンカチーフに魔力を込める――その魔力でハンカチーフは自動的にぱたぱたと織り込まれ小鳥のような形に変形――シェアラはそのままその『小鳥』を生きているかの如く手の中から飛び立たせる。
 その『小鳥』は数度シェアラたちの頭上で旋回したかと思うと、元々そうする予定だったかのようにガルガンドの館の外へと飛び去った。
 …ガルガンドの館での用は済んだとリルドに伝える為に。



 騎士団員の姿が多い事に多少辟易する。
 一人と言う身軽な状態になったリルドは盛り場や馴染みの店で心当たりに話を聞いてみていたのだが、レッドキャップと言う妖精については誰に聞いても撃退法くらいしか聞こえて来ない――レッドキャップと言う妖精を知っている者であっても、まずそれで事足りると言う意識しか無い。
 その上に、周辺の状況である。
 …『赤いとんがり帽子の殺人鬼』を追っていると思しき騎士団員の姿がやたらと多い。そちらについてもそれと無く聞いてみたら、高額の賞金まで掛かったとか何とかで。逆に『赤いとんがり帽子の殺人鬼』に心当たりがあるのかと切り返されたりもした。
 どうにかこうにかそちらの奴とは別れ、リルドは一人でまた歩いていたのだが、そうしたら今度は夜だと言うのに艶やかな色をした自然物と言うには少々不自然な小鳥が飛んで来て――当然のようにリルドの肩に留まる。
 咄嗟に何事かと思うが、その『小鳥』の材質が布織物のようである事で、すぐにその正体に気が付いた。
 …別行動を取る前、ガルガンドの館で調べるのが済んだら連絡を入れるとシェアラが言っていた。

 暫し後。
 リルドは町外れのガルガンドの館にまで辿り着く。
 辿り着くのと前後して、リルドと別れていた四人も見計らったように館から出て来ていた。それぞれ入手したレッドキャップについての話を交換し共有する。
 …打開策らしい打開策は、まだ無い。
 はぁ、とリルドが溜息を吐いている。
「…色々聞いて回ってみたんだが、レッドキャップっつーと撃退法の話しか出て来ねぇ。それから殆ど与太話みたいな言い方で遠見の塔なら或いは、って言ってくる奴も居たが…さっきシェアラも遠見の塔なら、とか何とか言ってたよな?」
「ああ。だが言った通り時間は掛かるぞ。ちょっとした小旅行になるからな」
「その方が良いだろ。この様子だとまずそいつァエルザードにゃ居られねぇ」
 賞金まで掛けられちまってる以上、騎士団やら自警団にだけ注意すりゃ良い状況じゃなくなってる。
「…私も行動に出た方がいいかもしれませんね」
『風の神様』に能力使用の許可を得に行った方が――『風の神様』を捜しに行った方が。
 みずねのその科白に、宜しくお願いします、と丁寧に頭を下げてくるリジィ。
 何とかなると良いんだけど、と心配そうにその様子を窺う千獣。
 と。
 居たぞ、と声がした。
 今度こそ声だけではなく姿まで見える――騎士団らしい制服を着ている訳では無い姿。賞金稼ぎの類かもしれない――やべ、と思わずリルドが声を上げる。その時には千獣はリジィの手を引いてもうその場から駆け出している――先に気付きはしたが皆に言葉に出して伝える時間までは無かったらしい。みずねも二人を守るようにすかさずそちらに付いて駆けて行く。リルドも三人を追おうとしつつシェアラの姿を視界に入れるが、何故かシェアラは一人立ち止まったままでいる。
 そんな彼女の姿に、駆け出そうとしたリルドがどうしたと声を掛ける――それには答えずシェアラは追って来る輩を振り返りおもむろにそちらへと手を伸ばして翳すと、素早く口の中で呪文詠唱。それが済んだかと思うと踵を返して済まん待たせたと急かすようにリルドの背を叩き、駆け出す――リルドにしてみれば何だかわからないが、とにかくそれでシェアラと共に先に行った三人を追う――かと思うと、背後で怒鳴り騒ぐ声が聞こえた――走りながらもふと振り返って見ると、賞金稼ぎらしいその連中は追って来ていない――どうやらある地点からこちら側には壁か何かがあるように進めなくなっているらしい。
 リルドは思わずシェアラの顔を見た――シェアラからは足止めだ、とあっさり返って来た。…先程立ち止まって魔法と思しき仕草を取っていた理由はそれだったらしい。但し自分がその場所から離れれば離れる程効果は薄くなるとも続け、時間稼ぎにしかならないとも告げてくる。
 …確かに黒山羊亭の時点から、これまでリジィの姿を隠してはいなかった。幼い姿に赤色のとんがり帽子、身の丈以上の巨大な斧と言う特徴はどうにも目立つ。騎士団や自警団相手ならまだ誤魔化しが効くかもしれないが、賞金まで掛けられてしまえば――エスメラルダの城である黒山羊亭ですらもまた安全とは言えなくなる。…あの場所は賞金稼ぎの仕事も斡旋している。

 リジィを連れた一行はそのまま暫く駆け、後を追う連中を一応撒けたかと言う段になって漸く一息吐く。…元々ガルガンドの館自体がエルザードの外れ。気が付けばエルザードからは出てしまっていた。
 先へ進むか戻るかで言えば、もう先に進むしかない。…旅支度をしてない時点で少々強行軍になりそうではあるが、リジィの姿を誤魔化してアクアーネ村にでも立ち寄れば、遠見の塔までくらいはまぁ何とかなるだろう。
「…ところで今更だけどよ…あんたここに来てからどれだけ殺したんだ?」
 リルドはリジィにぽつりと訊いてみる。
 自分の見て来た限りでは、何と言うか――追っている連中の本気度が尋常で無い気がする。
 話に聞いた通りベルファ通りの件だけだとしたら…それは治安面からして追われる事は仕方無かろうがそれでも、幾ら何でも行く場所行く場所あちこち騎士団が駆け回ってる上に高額の賞金まで掛けられるような――ここまでの捜査網は張られないような気がしてならない。
 言われ、リジィは考えてみる。
「そうですね…この世界に来たのが昨晩の深夜で…そこから数えて…先程ベルファ通りで殺した方で五人になりますね」
 ちなみに今もまた夜――それも夜の帳が下りてまだそれ程経っていない、宵の口である。…となると、時間にすれば二十四時間も経たない内に五人、一定の時間だけを置いて殆ど連続で殺している事になる。
「って多いだろそれ。…そりゃ騎士団も血眼になる訳だ」
「…ご迷惑をお掛けしております」
「そりゃ初めっから承知だけどよ。あー、ったく面倒臭ぇな」
「…。…お付き合い頂くのが難しいようでしたら、無理にとは」
「いやもう乗り掛かった船だろここまで来たら」
「…有難う御座います」
「騎士団に追われているとなると…いっそアセシナート公国に行くって言う手段もあるでしょうか?」
 ぽつりとみずね。
 む、と千獣が唸る。
「アセシ、ナート…」
 ――…それは、聖獣の監視を潜り抜けソーンに訪れた邪悪な存在が集まり作り上げたと言う国。
 エルザードにとっては最大の仮想敵国――いやアセシナートにとってのエルザードが最大の仮想敵国、とでも言うべきか。
 確かに、エルザード騎士団に追われているのなら、敵対勢力である以上は逃げ込むのに良いだろう場所ではある。
 が。
「アセシナートなぁ…」
 リルドはそこまで言った時点で言葉を濁す。
 …千獣とリルドにしてみれば、アセシナート公国に関しては少々思うところもある訳で。
「さっき乗り掛かった船って言ったばっかりだけどよ、アセシナート行きを考えるんだったら俺たちはここで手を引くべきだと思うぜ? …リジィだけで行くべきだ」
「うん…でも、リジィ、人の、迷惑に、なる、のが、嫌だ、って、事は…アセシ、ナート、合う、とは、思え、ない…」
 人を殺す事が必要とは言え、殺す事自体が迷惑であると言う意識が――出来る限り避けたいと思うような意識があるのなら。
 …アセシナートの考え方とは絶対に合わない。
 それに千獣の気持ちとして、行って欲しくない――と言うのもある。
 リルドの方はと言うと、敢えて突き放すように続けている。
「ま、人殺しには事欠かないと思うけどな」
 アセシナートなら。
 …とは言え、本心としてはリルドも考えている事は千獣と近い。幾らヤバい事情があるとは言えまともに話が出来ている相手を――まともに話が通じている相手を、確実に敵に回るだろう国に行かせるのは気持ちの面では反対したい。が、みずねの提案にも一理ある。リジィの切実な事情を考える限りは、一概に反対は出来ない。
 ただ、アセシナートに行くのなら――これっきりにした方がお互いの為だとリルドは思う。このまま下手に交流を続けてしまっては、情が移り、後々却って残酷な事になりかねない。
 どちらにしろ本人次第。
 リジィに視線が集まる。
「と、言う事だが。アセシナート公国ならばまず今のまま大した苦労もせず生きていけそうじゃないか? ひょっとすると同族も居るかもしれんしな」
 シェアラもリジィに振ってみる。
 一同の視線を集めたリジィは目を瞬かせる。
 それから――リジィはゆっくりと首を振った。
 横に。
「…そんな国があるとは有難いお話ですが、それは出来ません」
「なぜ?」
「ワタシは黒山羊亭に――貴方がたに依頼をしました。千獣サンやリルドサンのお話を拝聴するに、アセシナートに付いてしまってはエルザードに戻る事も出来ないし皆さんと今後お会いする事も出来ない、と言う事になると思えます。…それではどうしても報酬を払う事が出来ませんので」
 そこまで言いながら苦笑する。
 リジィのその答えに、みずねがふわりと笑う。
「これもあくまで一案です。リジィちゃんが違う道を選ぶなら私たちもそれを応援しますよ」
「と、言うかだな。…まさかとは思うが…リジィの起こした連続殺人自体がアセシナートからの破壊工作か何かだと思われていたりはしないだろうな?」
 騎士団の派手な動き方と言い、賞金が掛かった事と言い。
 シェアラの科白に、一同、反射的に黙り込む。
「…」
「…」
「…否定し切れない気がしますね?」
 レッドキャップは大抵の場合で『邪悪』とされる妖精、アンシーリーコートの一種である。
 そしてアセシナートは『邪悪』な存在により建国された国。
 シェアラは改めてリジィを見た。
「…今更な問いかも知れないが、守護聖獣は居るか?」
「守護聖獣、ですか」
「ちなみに私はグリフォンだ」
「私…トッドローリー」
「…俺ァドラゴン」
「私はマーメイドです。どうかしら? リジィちゃん」
「…よくわかりません。…あの、こちらの世界に来る時に正体不明の何者かに話し掛けられたような気はしないでもないですが…それの事ですか?」
 考えながら、リジィ。
 なら居るな、とリルドがすかさず返してくる。
 うん。と千獣も頷いた。
「じゃあ、リジィ、は、ソーンに、来る、必要、聖獣に、認め、られ、てる」
 ならばアセシナートに集う者とは事情が違う。きっとディアナ・ガルガンドの言う通り、どんな形でかはわからないにしろ、丸く収まる方法も見付かる筈。
 …そして今は、当面の目的地がある。
 遠見の塔。
 言外にそう結論が出たところで、では、とみずねが改まり皆を見る。
「遠見の塔に行くのは皆さんにお任せして。私はこの辺で失礼して風の神様を捜しに行ってみる事にしますね」
 …元居た世界に送り帰す。みずねが初めに出したその案を実行する為の準備として。
 それだけを残し、とん、と大地を蹴り軽く跳び上がると、みずねはそのまま、ふっ、と消えてしまう。…どうやらそれで黒山羊亭に来た時同様の空間渡りを行った事になるらしい。
 それを見送って、残された一行は先に進む事にする。
 ひとまず目指すは遠見の塔。



■聖都遁走〜遠見の塔

 アクアーネ村にまではまだリジィの手配は回っていなかった。…とは言え一応シェアラの魔法でリジィの外見を偽装してから村には入っている。
 それから簡単にだが村で旅支度を整えた――無理を言って店で鶏も一羽捌かせてもらった一行は、アクアーネ村を発って――遠見の塔方面に伸びている街道を結構進んだところまで無事に来る事は出来ている。遠見の塔最上階の灯火が道の先に小さく見えた。
 騎士団が聖都の外まで追ってくる様子もどうやら無い。

 ここに来て、リジィが足を止めた。
 帽子に手を触れている。
「どうした?」
「そろそろ、あと少しで乾いてしまいそうなのですが」
「…。…もうかよ。早ぇな」
 黒山羊亭に続き、先程アクアーネ村で鶏を捌いてから――帽子を血で染めてから、然程経っていない。
「街道に出てからは風に晒されているから乾くのが早い――と言う理由もありそうな気がします」
「その辺は普通の染色と同じか」
「みたいです。…と言う訳で、事前にお願いした通りそろそろ参りたいのですが」
 と、リジィは肩から斧を下ろし――済まなそうな顔をしながらも、迷う事無くその斧刃をシェアラに向ける。
 同刻、千獣が、しっ、と注意を促す鋭い息を吐いた。
 リジィも気付き、そちらを見る――今の千獣、リジィの行為とは無関係な態度に見えたから。実際、千獣は特にリジィを見る訳でなく、そのまま周囲の気配を窺うような様子を見せている。
 その態度を受け、斧刃が向けられたシェアラも、それを黙って傍観しようとしていたリルドも――リジィも、周囲の気配を探る事を選んでいる。
 リジィの斧刃がシェアラから外された。
 けれど構えを解く訳で無い。
 何かあったらすぐにでも出られるよう――けれどその対象をシェアラや同行者にはせず、他の場所へと感覚を研ぎ澄ましているのは側に居てわかる。
「…リジィ」
「こちらの方が、余程遠慮の必要が無い相手と見ました」
 暗闇の何者か。
 リルドも腰に佩いた剣を抜いている――千獣も片腕の呪符を剥がして獣化させている。一応、リジィに任す気ではあるが、それでもこんな場所である。用心はしていてし過ぎる事はない。
 来る。
 思った途端、躍り掛かってきたその個体は魔獣。一体、二体、三体――ちょっとした群れのようだった。やはりと言うか何と言うか、リジィだけに任せる訳にも行かず皆で一気に対応に入る――入ろうとする。
 が。
 それでもリジィが出たのが先だった。躍り掛かってくる魔獣に向かって逆に躍り掛かったかと思うと、身の丈よりある巨大な斧を一気に振り回し、生まれる遠心力まで利用して力強く旋回する――見た目からは想像できない膂力で斧刃を魔獣に叩き込んでいく。身を守る為に魔獣を撃退しようと言うだけの面子とは心構えが違ったか。…リジィの場合は今相手を殺さなければ確実に命に関わる。

 殆ど一気だった。
 リジィは魔獣の身体を一時に切り裂くと、手慣れた仕草で帽子を脱いで傷から噴く血の前に翳す。
 が。
 …翳した帽子に魔獣の血が染み込まない。
 明らかに、絶命しているのに。
 リジィはその事実を受け、目を閉じる。
 それから、心を決めたようにシェアラを見た。
 では、と短く声を掛けるだけ掛け、他の誰の返答も待たない内にシェアラの首筋に斧刃を叩き込む。

 その首筋から、勢い良く血が噴いた。



 …目が醒めるとシェアラはリルドに背負われて揺られていた。…どうやら歩いて先に進んでいるらしい。
 シェアラが目醒めた事に気付いたらしく、リルドは立ち止まりつつ首だけで振り返りシェアラの様子を窺う――少々驚いている風にも見えたのは本当に平然と蘇生していたからか。千獣もシェアラが目醒めた事にほっとして、良かったと安堵の息を吐いている。…リジィも似たような反応だった。
 シェアラは礼を言ってリルドの背から下りつつ、誰にともなく問うてみる。
「…どのくらい経った?」
「ほんの数十分です。本当に蘇生なさるんですね、シェアラサン」
「まぁな。冗談でこんなつまらん事は言わないさ…千獣には心配掛けてしまったようだが…リルドも気持ち悪い思いをさせて済まなかったな。で、どうだった」
 帽子は染まったか?
「はい。効果あるようです。有難う御座いました。本当に助かりました」
 リジィはそう言うと、深深と頭を下げる。
 シェアラはその答えに、ふむ、と考え込む。
「そうか。だが…ならば何故先程殺した魔獣では染める事が出来なかったのだろうな? 黒山羊亭でもアクアーネ村でも鶏を絞めた血で染める事は出来たのだろう。それに私の血でも染まった。…違いは何処だ?」
 誰かに問うと言うより、自分に問うような言い方でシェアラは指折り挙げてくる。
 その件なんだけどよ、とリルドがシェアラを見た。
「道々少し考えてみてたんだけどよ…『魔獣』だったから、って事は無ぇか?」
 例えば帽子を染める為に殺しても、殺した対象が『魔』の属性を持っている時点で染める役には立たないとか。
 と、リルドのその科白を確り聞いてから、シェアラは更に続けて挙げている。
「…文献に当たる限りレッドキャップは大抵の場合で邪悪な妖精…アンシーリーコートは『人間』に危害を加えるもの…そうしなければならない? …だが実際に試してみれば私でも鶏でも構わない…人間に亜人に鶏なら可、魔獣は不可…となると、確かに『属性的に邪悪とされる存在』は帽子を染める対象には出来ないのかもしれないな。それで説明が付く…と」
 それより。
「ここまで来ているのなら二人の賢者にも話を聞いてみた方がいいかもしれないな」
 呟き、シェアラは遠くに見えていた灯火が案外もう近い位置にある事に気が付く。
 どうやら、自分が死んでいる間に一行は案外進んでいたらしい。
 …遠見の塔まで、もう、じきだ。



 賢者二人が住む白亜、遠見の塔に辿り着き。
 シェアラが来訪の旨告げただけで、塔の扉はあっさりと開かれた。その先には上に向かって長い螺旋階段が続いている――また『時間切れ』になっては面倒だとばかりに一行は急ぐが、急ごうとしたそこで――先頭を歩いていたシェアラに、何処から現れたのか一人の活発そうな明るい金髪の少年がいきなり飛び付いて来た。
「来てくれたんだねシェアラ!」
「ルシアンか」
「うん。今日はお友達も一緒?」
「ああ。知りたい魔法があるんだ。このリジィなんだが、彼女に使う為にな」
「…レッドキャップの女の子だね」
「そうだ。ルシアンの方でその名が出た時点で察してもらえるかもしれないが、色々と厄介な事情があってな。急ぎたいんだ」
「急ぎなんだね。わかったよ」
 と。
 シェアラにルシアンと呼ばれた少年が言うなり。

 果ての無いような螺旋階段は消え、一行の前には全く別の風景が広がっていた。
 今外観を見た塔の中とは思えない程の、それこそ果ての無い書架が続く広大な書斎と、客間に、バルコニー。
 その客間のソファには黒髪に眼鏡を掛けた穏和そうな青年が座っている。たった今まで読んでいたと思しき本を閉じ、訪れた一行に微笑みを向けて来た。

「いらっしゃい。シェアラ。他の皆さんも歓迎しますよ。…僕はこの塔の主の一人でカラヤン・ファルディナス。そちらは弟のルシアン。どうぞ宜しく」



「…レッドキャップの性質転換、ね」
「それはね、祝福すればいいんだよ」
 と、にっこり無邪気に笑いながらルシアンが声を上げて来る。
 …言われてみれば。
 思い、シェアラは考えるように口許に手を当てる。
 引っ掛かる点が無くも無いが、試してみる価値はある。
 ただ。
「私も神の分類に入れれば入りそうな気がするが…そういう真似はした事が無いんだよな」
「神様じゃなくても神様の力を授かってる人なら祝福は出来る事だよ?」
「…みずね」
 ぽつりと千獣。
『風の神』の巫女と言っていたみずねなら、適任かもしれない。…そもそも、能力付与の『祝福』、と言う言い方をしてもいた。
 …但し、幾ら適任かもと言っても――今現在別行動中で居ないのだが。
 今度はリルドが口を開く。
「つってもよ、リジィの故郷の神とは別の神由来の祝福でも効果あんのか? その手の事って…異世界によって神によって種族によってまちまちなもんじゃねぇかって気がするんだが」
「祝福は、祝福と言う行為自体に意味があるんだよ」
「そういうもんかい」
「そうだよ。手順より中身よりそうする気持ちが一番大切。妖精さんは特に敏感」
「特に敏感ねぇ…」
 と。
 鸚鵡返しに呟いたところで、カラヤンが静かに口を挟んでくる。
「皆さん、みずねさんも、こちらにいらっしゃったようですよ」
 柔らかなその言葉が終わるか終わらないかというところで、皆の座るソファのすぐ側、鮮やかなエメラルドグリーンの髪がふわりと降り立ち、お邪魔致しますね、とばかりににこりと微笑んでいる。



「『風の神様』から許可は得てきました。これからリジィちゃんの出身世界を探しに行こうと思います」
 と。
 来て早々にみずねが言ったところで、待って、と千獣が引き止める。引き止められるままにどうしたのとその顔を覗き込み、みずねは優しい微笑みを見せてくる。
 そんなみずねに、千獣は必死で言い募る。
「祝福、許可、貰えた、なら、リジィ、戻らなくても、祝福、だけで、性質、変わるって、ルシアン」
 言っていた。
 千獣のその科白に、ルシアンは元気一杯に頷く。
「うん。妖精は敏感だから。アンシーリーコートは祝福のない妖精。だったら祝福さえすればそれはシーリーコートになる。何も難しい事じゃない。祝福されたと言う事実が大事。だってこんな歌もある。

“エルフかインプとお呼びなら、よくよくお気をお付けなさい。
 フェアリーとわたしをお呼びなら、たんとお邪魔を致しましょう。
 良いお嬢さんとお呼びになるなら、わたしは貴方の良いお嬢さんに。
 ああでも素敵なシーリーとお呼びであれば、わたしはあなたの素敵なお友達。
 昼も夜もずっとお友達”

 …ってね。
 つまり接する方の気持ちで『妖精』は変わるんだよ」

 と。

 そこまで言ったところで、兄のカラヤンから声が掛かる。
「ルシアン、ならば祝福と畏まらずとももっと簡単に済みそうな話じゃないかい?」
「って…おいおい、あれだけ騒いだのに結局そんな簡単な事で済むのかよ」
 と、リルドは思わずソファに座ったままずっこける。…ルシアンの科白に続き、カラヤンの科白を聞いた時点でつまりどうすれば良いのかの察しが付いてしまった。
 シェアラもまた同様に察し、頷いている。
「…だな。遠回りも良いところだったようだ」
「?」
「えっと…それって」
 いまいち自信が無いながらも、千獣も自分が察した事を確かめようとする。

 つまりはリジィのような悪い妖精とされる妖精は――他者から「お前は良い妖精なんだよ」と言われさえすれば。
 祝福も何も要らない。ただそれだけで、アンシーリーコートからシーリーコートへの転換はなるのだと。



■『素敵なシーリーとお呼びであれば』

 それから。
 遠見の塔で出た意外な程簡単な案を実行しただけで、リジィに変化が現れた。
 …帽子の色が変わったのである。
 赤は赤だが、クリムゾンと言うよりカーマイン。
 血に塗れた生々しい深い赤と言うより、もっと象徴的で鮮やかな赤の色になる。
 リジィが帽子を脱いで確かめてみれば、その帽子はもう湿っていなかった。
 新たな赤色に染められ定着した状態で、染料は乾いている。
 なのにリジィは無事でいる。
 …その時点で、依頼は果たされた。

 で、更にそれからどうしたのかと言えば。
 暫く遠見の塔でほとぼりを冷ましてから、リジィは皆と共にエルザードに戻っていた。
 それで、黒山羊亭のエスメラルダの元で給仕をしていたり料理をしていたり。
 配達業を手伝っていたり。
 ちょっとした要人警護を引き受けていたり。
 町のお掃除をしたり。
 …色々と仕事を見付けてはあくせく働いていた。
 付き合ってくれた皆に依頼の報酬を払う為。…エルザードやその周辺で活動しているリルドに千獣にシェアラはともかく、風の神様と共に行ってしまったみずねに関してはもう次に会えるかどうかすらわからないけれどそれでも、とにかくそのつもりで働いている。

 ちなみに、騎士団に追われていたり高額の賞金が掛かっていた件はどうなったかと言えば。
 ………………とことんすっとぼける事で切り抜けた。
 身の丈を越す巨大な斧は基本的に隠しておいて――もう殺し続ける必要は無くなったので常備せずとも居られる訳で――身一つで、素知らぬ顔であちこちでまともに仕事をしていれば、その内見慣れた顔になる。
 今では騎士団からすら平気で仕事を持ち掛けられる事もあるとか。
 五人の連続殺人事件以来、同様の凄惨な事件が連続するような事は無くなっていたからかもしれない。その事で、アセシナートの破壊工作と言う疑いも晴れたらしい――やはり騎士団側ではそういう懸念もあったらしい。
 賞金も、掛けられたままではあるが――五件の殺人に関しては取り繕いようも無く事実な訳で――アセシナートの疑惑が晴れた時点で賞金額が相当下がっている為、あまり本気で取り組む者も居なくなっている。

 そんなこんなで。
 少々危なっかしくはあるが――リジィは今はもう、この世界で生きていく事が出来そうにはなった、らしい。

【了】

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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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 ■整理番号/PC名
 性別/年齢/職業

 ■3087/千獣(せんじゅ)
 女/17歳(実年齢999歳)/獣使い

 ■0925/みずね
 女/24歳/風来の巫女

 ■1514/シェアラウィーセ・オーキッド
 女/26歳(実年齢184歳)/織物師

 ■3544/リルド・ラーケン
 男/19歳/冒険者

 ※表記は発注の順番になってます

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 …以下、登場NPC(□→公式/■→手前)

 ■リジィ

 □エスメラルダ
 □ディアナ・ガルガンド

 □カラヤン・ファルディナス(エルザード王立魔法学院・賢者の館・風物詩より)
 □ルシアン・ファルディナス(〃)

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          ライター通信
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 千獣様、シェアラウィーセ・オーキッド様、リルド・ラーケン様にはいつも御世話になっております。
 みずね様には初めまして。…当方、依頼系では長文になりがち&目一杯作成日数上乗せの上に納期ぎりぎりになり易いライターではありますが、宜しければどうぞお見知りおき下さいまし。
 皆様、今回は発注有難う御座いました。

 …そして千獣様にシェアラウィーセ・オーキッド様、リルド・ラーケン様もですが、特に初めましてになるみずね様。PC様の性格・口調・行動・人称等で違和感やこれは有り得ない等の引っ掛かりがあるようでしたら、出来る限り善処しますのでお気軽にリテイクお声掛け下さい。…他にも何かありましたら。些細な点でも御遠慮なく。

 ノベル本文ですが、何がElegy(哀歌)だ?って感じの結末になりました。
 放っとくとバッドエンドと言うか悪い方にしか転がりそうもないオープニングのような気がしていたのでそんなタイトルだったんですが、今回は皆様のおかげで何だかハッピーエンドな方向になれました。
 …そんな訳で若干タイトルに偽りありな節があります(苦笑)

 なお、本文中にあるレッドキャップ関連の情報にはライターの創作部分も適当に混ぜ込んで膨らませてありますので、全てが実際の妖精伝説・伝承通り、と言う訳では無い事をお含み置き下さい。

 何だかみずね様の出された「アセシナート」と言う話から転がって…色々と皆様のプレイングから脱線気味な話にもなってしまっている気がしているのですが…それで千獣様のプレイング最後の部分とシェアラ様のプレイングから転がってどういう訳かオチが「大山鳴動して鼠一匹」的な話にもなってしまっているような…リルド様は何だかプレイング反映より突っ込み役的な立場が強くなってしまったような気がしていたり(汗)

 こんな結果になりましたが、如何だったでしょうか。
 少なくとも対価分は満足して頂ければ幸いなのですが。

 では、また機会がありましたらその時は。

 深海残月 拝