<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


【楼蘭】梅・散穏








 本当に一度だけでいい。
 そう願ったのは散る間際の一時だった。

 徐々に意識の薄れゆく中で、心だけは鮮明に激しく何かを訴える。
 このままでは……そう、このままでは嫌だ。と―――
 何とか意識を保って持ち上げた腕のこの細さ。
 こんな所で、こんな風に、終りたくない。
 けれど逃げること叶わぬ死出の鎖が、もう全身に巻き付いて身動きなど取れはしない。

 だから、一度だけでいい……
 本気の恋をしてみたい―――








 風が逆巻き、整えられた庭園の庭石や木々が巻き込まれ、楊梅(ヤンメイ)の周りへと集まっていく。
 その余りの破壊力に誰もその中心へと近づけない。
「楊梅様……!」
 屋敷の柱に掴まって、シルフェは風の中心に向けてその名を呼ぶ。
 一歩、楊梅が足を踏み出す。
 その距離だけ移動する旋風。
「楊梅!」
「お父上様、ダメです!」
 止めようにも風が強く、シルフェ自身も動けない。シルフェは風に向かって駆け出そうとした、彼の父親に叫ぶ。
 父親は彼らの従者に止められて、その場に転げるように倒れた。
 シルフェはその様を見て、ほっと胸をなでおろす。
 もしそのまま彼に近付いていたら、その風の破壊力で父親も死んでしまっていただろうから。
「……声が、聞こえませんか?」
 シルフェは再度言葉を投げかける。
 完全に幽鬼と化してしまった楊梅の顔は青白く、その瞳は暗く濁って何も映そうとしない。
 けれど、骨と皮ばかりだった頬には肉が付き、そこには死が約束された身体ではなく、青白くとも健康な身体を持った楊梅がいた。
 楊梅はゆっくりと顔を動かす。
 その顔は柱に掴まっているシルフェを見止めて、動きを止めた。








 始めて出会ったときの事を思い出した。
 ガリガリにやせ細った楊梅が、出会いがしらの角でシルフェとぶつかったのだ。
 男性だと言うのに、踏ん張ったシルフェとは裏腹にその場で倒れこんだ楊梅。
「大丈夫ですか?」
 シルフェは吃驚して駆け寄り、その身に手を伸ばす。だが、楊梅はその手を遮り、一人で立ち上がろうと膝に力を込めた。
「だ、大丈夫…です……」
 唇も殆ど紫に近い楊梅の顔を見て、シルフェは優しく微笑む。
「強がりはいけません」
 シルフェはそっと楊梅に手をかざし、癒しの水の波動で包み込む。
 楊梅は驚いたように顔をあげた。
「あ……」
 何に驚いているかは分からない。癒しの力を持っていること? それとも、
「エレメンタリスは珍しいですか? うふふ」
 シルフェは額の石に手を伸ばす。
「あ…いえ……」
 髪や眼が青いことさえも、この楼蘭では珍しい。
 弱々しく微笑むも、立ち上がろうとした足にはやはり力がこもらず、そのまま倒れこむ。
 シルフェは思わず手を伸ばし、楊梅の身体を支えた。
 驚くように見開かれた瞳。
「冷たいとでも思いましたか?」
 髪の毛が元素化している様は、エレメンタリスであることを差し引いても、司る属性に依存していそうに見える。
「ちゃんと暖かいですよ。うふふ」
 微笑んだシルフェの顔を見て、楊梅も固い表情を微かな微笑の形に変化させる。
 片方の肩はシルフェが支え、もう片方は塀に手をつけながらゆっくりと歩く。
 数個の足音が重なり合う音が聞こえて、シルフェは顔をあげた。
「坊ちゃま〜!!」
 大きな門から走り出てきた男が、二人――いや、楊梅に駆け寄ってきた。
「ああ、坊ちゃま! 無事でっ!!」
「彼女に、支えてもらいました…から」
「それは、ありがとうございます! 坊ちゃまは私めが」
 男はシルフェから楊梅を奪うように抱え、もう用はないとでも言うような視線をシルフェに向ける。
(あらあら)
 よほど高位な身分のご子息なのだろう。そんな男の反応に思わずため息が漏れる。
「彼女に、礼を……」
 楊梅の言葉に、男はあからさまな嫌悪を示した。
「あらあら、お気になさらず」
 本当にただぶつかって手を貸しただけなのに、礼をと言われてもそんな大層はことはしていない。
「そう言ってらっしゃいますし……」
 作り笑いでへらへらと放す男に、楊梅の、何処からそんな声が出るのかというほど強い叱咤が、浴びせかけられる。
 それから、シルフェは楊梅の屋敷に招かれるようになり、彼に異国の話をしたり、出向いた蒼黎帝国の楼蘭とは違う街や村の話を聞かせるようになった。
 楊梅が横たわる寝台の側の椅子に腰を下ろし、シルフェは他愛も無い話を投げかける。
「……すいません」
 起き上がって出迎えることが出来ない楊梅に、シルフェは首を振ってそのやせ細った手をそっと握りしめる。
「あなたに、手を握られると、ほっとします」
「うふふ。それはようございました」
 手を握るという行為は、相手を安心させると共に、その心にほっとしたぬくもりを与えられる。
 何事も無いように自然に水操師としての癒しの力を楊梅に送っているのだが、彼が病気であることは自然の流れのようで、多少呼吸を楽にしてあげるくらいしか出来ない。
「今度は、どんな話を聞かせてくれますか?」
 かさかさに乾いて紫色に変色した唇が、一生懸命笑みの形を取ろうとぴくぴくと動く。
 もうその光を映さない瞳は、シルフェの顔も見えていないのかもしれない。
「そうですね、では、今日はわたくしの故郷のお話でもいたしましょう」
「楽しみです」
 楊梅には誰かに自分のことを話せるほど自由も経験も無い。
 だから、シルフェが話してくれる内容は、動けない自分を夢の世界へ誘ってくれる。
 それはとても幸せな時間だった。
 死にたくないと、強く、思わせるほどに。








 風は、まるで彼の望みの強さの如く吹き荒れる。
 いつも聞くばかりで――彼がそう望んでいたから――楊梅が胸に秘めていた思いを、訊ねなかったことを悔やんだ。
「わたくしは、そのようなお姿を覚えておきたくはございません」
 傷つける風だけだったものが、力を増し、触れるもの全ての生気を奪い去って、彼が通った足元は枯れてはげた庭と、骨と皮だけになった人の成れの果てが転がる。
 風に踊る髪を押さえ、シルフェはただひたすらに問いかける。
 どこで、外れてしまったのだろう。
 何が彼を変えたのだろう。
 確かに初めて出会った時から彼の命の灯は、もう消えかけていた。
 その残された時間を少しでも有意義に過ごして欲しいと、シルフェは楊梅が興味を持った話をいくつも聞かせた。
 もしかしたら、それが悪かったのだろうか。
 その話を聞いて、病気で動けない――死んでしまう――自分に未練が生まれ、こんな、こんな風に……
「折角お会いしたのにこのような形ではたまりません」
 たとえ分かりきった別れでも、辛いものでも、最期は笑顔でいたい。
「楊梅様、お話を……」
 風の音が大きすぎて、シルフェの声はかききれる。
「お話しを聞いてください!」
 楊梅の肩がびくっと震えた。
「あ…あぁ……」
 徐々に風が弱まり、楊梅は頭を抱えて蹲る。
 シルフェは風が弱まったのを見て、思わず楊梅に駆け寄った。
「シ…シル……」
 名は最期まで呼ばれることは無かった。
 まるでそれは、砂を入れた風船が一気に飛び散るように。
「楊…梅……様…?」
 伸ばした両手にサラサラと落ちる白い砂。
 辺りを見回してみても、もう楊梅の姿は無い。
 虚しさだけが先に出て、泣きたいのに涙が出ない。
 シルフェはただ残された砂を、力いっぱい抱きしめた。

















☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【2994】
シルフェ(17歳・女性)
水操師


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


【楼蘭】梅・散穏にご参加ありがとうございます。ライターの紺藤 碧です。
 相手に投げかけていただく言葉が多かったので、呪縛を解いてもよかったんですが、やはり親愛の気持ちでは恋愛にはなりえないだろうと、このような結末になりました。
 それではまた、シルフェ様に出逢えることを祈って……