<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


【楼蘭】蘭・遁役 −再−














 シルフェはふらりとあの伯公廟がある村に訪れた。
 前着たときとは違い、村の田畑がどこか潤っているかのように生きた土色で、道端には春を窺う新芽が微かに芽吹き始めていた。
 伯公廟の前で立ち止まり、シルフェはその建物を見上げる。
 この中に、あの小さな伯公はちゃんと暮らしているだろうか。
 流石によそ者のシルフェが伯公廟の扉を開けるわけにはいかず、ただ頬に手を当てて軽く息を吐き、にっこりと微笑んだ。
 瞬・嵩晃に捕まえて着てほしいと頼まれ、連れて帰ってきた日が懐かしくも感じる。
 あの時、瞬は伯公が普通の民家で暮らすことに、面白いと爆笑していた。
 シルフェは数段高い位置にある廟の扉の前まで階段を登り、その前の賽銭箱に持っている小銭を入れて、手を合わせる。
(ふふ、どなたかに可愛い可愛いと構われていらっしゃるのかしら)
 数秒後顔をあげ、廟に背を向けて階段を降りながら思う。
 子狐の伯公は今、どこかの民家で暮らしているだろうか。それともやはり、開けられない扉の向こうに?
 シルフェは村はどうなったのだろうという気持ちも含めて、ゆっくりと楼蘭とは違って整備されていない小石だらけの道を歩き始める。
 冬の間、時々太陽はがんばって、こんなポカポカ陽気をもたらしてくれることもある。
「今日は奴は一緒じゃないのか?」
 声と共に、目の前に現れた手の平サイズの小さな小さな子狐。
 多分、奴というのは瞬のことだろう。
 あの時は母恋しと泣き逃げ出した子狐だったが、微かな神々しささえも感じる。
 それはつまり、この土地の伯公として自覚したということだろうか。
「お久しぶりでございますね。伯公様」
「うむ。そちも元気そうで何よりだ」
 嬉しそうに手を上げた子狐の2本の尻尾がふわふわと揺れている。
「あら?」
 前出会った時、元々から尻尾は2本だっただろうか。
「神通力が上がったんだ」
 それはこの子狐が伯公としてちゃんと職務を全うしている表れでもある。
 しかし、尻尾が単数から複数に増えてしまうと、流石に普通の民家で暮らすというのは些か苦しい。そんなことを気にしない人々ならば、いいけれど。
「村の皆様とはいかがですか? お供え物を取っていたなんて知られて叱られたりしておりません?」
「ばれたりしないさ」
 子狐はのどの奥でくつくつと笑って、シルフェの手の上で集中するように眼を閉じた。
「あら、まあ」
 すぅっとその姿透き通っていく。
 小さな子狐ではあったが、その力はやはり本物。
「どうだ?」
「ええ、まったく見えません」
 子狐の姿はすっかり消え去り、乗っているはずの手の平の上から温度さえも無くなっている。
「そもそも、我ら伯公は、役目を全うしていれば供え物を食べる必要はないんだ。ただ腐ると勿体無いからな」
 土地に宿り、守り、人々が豊かな作物をもたらす。伯公が宿ってさえいれば、飢餓に苦しむことは無い。
 そして、人々はその実りを与えた伯公を敬い、祈りを感謝の気持ちを捧げ、その全てが伯公の力へと変わる。そして力を蓄えた伯公は、その任を別の者に託し、より高位の任を賜る。
「ただ、内緒で食べるというのは何というか、面白いぞ」
 ばれるばれないのギリギリを進むことはスリリングで面白いと伯公は笑う。
「あらあら」
 そんな伯公に、どこか自分と似たような雰囲気を感じてシルフェは面白そうに笑う。
 消えていた伯公も、小さなポンッという音と共にまた姿を現す。
 手の平に戻った微かな重み。
「お母様とご連絡はできましたか?」
 シルフェの問いに伯公はゆっくりと首を振る。そして、だが…と続けた。
「母上は、今、風伯をしていると聞いた」
 風を運び、季節を運び、命を運ぶ。
 そして、より遠くへ種を運び、族を残す。
 そう口にした伯公は誇らしげだったが、どこか寂しそうでもあった。やはり、まだまだ寂しいのだろう。
「お母様のことを知ることはできたのですね」
 何も知らないままではなく、今の現状を知ることが出来ただけでも伯公には嬉しかったに違いない。
 その寂しさの中にある、照れたような微笑がそれを物語っていた。
「何かしらご連絡を取れればよろしいのに」
「言葉は交わせなくても、流れる風は全て母上なんだ」
 直接ではなく、間接的と言えどもその存在が感じられれば、それだけでいい。妙に納得してしまっているその顔に、シルフェは眉根を寄せた。
「お手紙でも送ってみてはいかがです?」
 シルフェのそんな提案に、伯公はきょとんと瞳を瞬かせ小首を傾げる。
「テガミ…とは、何だ?」
「紙に伯公様の思いを書いて――…」
 そこまで説明して、シルフェもはて? と首を傾げる。
 書簡の遣り取りは確かにあるだろうが、明確な職業としてそれが成り立っているのは見たことが無い。
「とりあえず、その思いを書いたものを封筒に入れたものが手紙です。それを読んでほしい相手にお届けして、会えなくてもお言葉の遣り取りができます」
 シルフェの説明に感心したように聞き入る伯公は、考えるように口元に手を当てて、また小首をかしげた。
「誰が届けるんだ?」
 説明を聞くに、手紙とやらを書くのは自分でも、届けるのはどうやら自分ではないらしい。ならば、誰がそうやって書き綴った手紙を届けてくれるのか。
「楼蘭にも郵便屋さんがいらっしゃるといいですのに」
 そうすれば、手紙を(金はかかるが)どんな場所へだろうと届けてくれる。
 そのシステムが楼蘭では確立していないことに、シルフェはちょっとだけしょんぼりと肩を落とした。
 情報を流通させなければならないような人々は、術を使ってしまうため、政治的に手紙の必要性が余り感じられていないせいもあるのだろう。
 今は小さな伯公も、きっともっと成長して力をつければ、この地に止まる必要もなく、好きに何処へだっていけるし、言葉を届ける術だって何不自由なく使えるようになるに違いない。
 けれど、それだけの力が付くまでにどれだけの時間が必要になるだろうか。
 寂しいのは今であり、それを解決する術がほしいのも今だ。
 これは困ったとシルフェがため息混じりに頬に手をあれば、ぱたぱたとあの時の蝶が伯公――シルフェの周りをヒラヒラと飛び回った。
 その蝶の姿を見て、シルフェは何かを思いついたようにポンと手を叩いた。
「この蝶さんは、この土地を離れてどこかへ行けるのです?」
 この土地の伯公廟を受け継いだ者に託される蝶。
「行ける…とは、思う」
 この蝶は、自分のための神使(みさきがみ)なのだから。
 情報連絡用として、他の土地や仲間の情報を届けたり、伝えたりすることがこの蝶の役目だ。
「でしたら、伯公様のお言葉を神使様にお伝えして、お母様のお言葉を届けていただくというのはどうでしょう」
 きっと蝶がヒラヒラと飛んできたのも、それが自分には出来ると主張したかったのではないか。
 シルフェはそう感じて伯公に微笑みかける。
「そうか、そういうことも、出来るのか」
 神使をそんな風に使うなんて考えたことも無かった。まさに目から鱗である。
 伯公の顔が見る見るうちの明るくなっていく。
「私情に使うなと言われたら、謝ればいいんだよな」
「ええ。そうなってしまったら、わたくしも一緒に謝ります」
 提案したのは何を隠そうシルフェ自身なのだから。
「うんまあ、期待しないでおく」
 伯公の口調も表情も残念そうなものではなく、冗談返しのようなノリで答える。
 シルフェもそのノリに答えるように、悪戯っ子のような笑みで返した。
「あら、酷い方ですね」
 一瞬の沈黙。
 タイミングを計るように、ふふっと二人笑いあう。
 小春日和の太陽は、その雰囲気のように暖かかった。

























☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【2994】
シルフェ(17歳・女性)
水操師


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


 【楼蘭】蘭・遁役にご参加ありがとうございます。ライターの紺藤 碧です。
 前回よりは伯公がだいぶ成長しましたので、こんな感じになりました。瞬も月も、加えて姜も手紙なんぞ書かない人なので、手紙システムはないのでは…?と。
 瞬が面白いと言ったからといって、それが出来るかどうかはまた別の話という感じになりました。
 それではまた、シルフェ様に出会えることを祈って……