<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


『オウガストのローズクォーツ』


<オープニング>

 黒山羊亭の片隅のテーブルに詩人のオウガストが座る。青年は客に言葉を二つずつ選んで貰って、その言葉を織り込んだ夢を見せる商売をしていた。
 だが今夜は仕事も終わり酒も進んでいるようで、テーブルに乗るのは空のワイン瓶だった。
「オウガスト」とエスメラルダが声をかけると、「やあ久しぶりだね。今夜も綺麗だな」と軽口を叩く。
「ほんと、久しぶり。ワインを運んだ時に会って以来ね。
 もう一組、お客さんなんだけど・・・だいぶ出来上がっているようだし、断った方がいい?」
「俺? 全然酔ってないぜ? だいじょーぶ、だいじょーぶ、連れて来てよ。
 今夜はなんか調子いい気がするし、言葉は三つずつでいいぜ。別に店内に有る物や自分の持ち物でなくてもいいし、何でもいーぜ」
「いいのかしらねえ。・・・でもまあ、とにかくお客様をお連れするわ」


< * >

 酔っぱらいは酔っぱらいを呼ぶ?
「ちっくしょー! 今日もタダ働きだったぜ! おう、いい夢見せてくれるって? 厄払いに頼むぜ」
 バーボンをラッパ飲みしながら、獣人がどさりと椅子に座った。ジェイドック・ハーヴェイはまさに白虎が革ジャンを着ているという外見だ。酔いのせいか声も大きく仕草も荒っぽい。昼間に美術品強盗を捕まえたが、盗まれた物を破損して(暴れ過ぎた?)報酬は貰えなかったらしい。それでヤケ飲みというわけなのか、それともいつも大酒飲みなのか。
「言葉は『バーテン』と『踊り子』で頼むぜ」
 大きく足を組んだかと思ったら、ゴォォォといきなり鼾をかき始めた。
「うわあ、ローズクォーツで眠らせる前に寝ちゃったよぉ」
 オウガストは一気に酔いが醒めた。恐る恐る肩に触れて起こそうと試みる。「ええと、今回から言葉は三つ・・・」と声をかけるが、微動だにしない。
「しょうがないわねえ。この寝方だと夢は見せられない?」とエスメラルダが肩をすくめた。
「いや、石を握らせれば大丈夫だけど。でも、言葉が一つ足りない」
「じゃあ、ええと」と、美女は店のメニューを開き、「『ピンク・ジン』で」と勝手に決めてしまった。

「また、よろしくお願いしますわね」
 水操師のシルフェが、もう一つの椅子に座った。座ってから隣人の高鼾に気付き、「あら。まあ」と苦笑すると、彼の組んだ足の靴先が自分の服に触れないように、少し椅子を離した。
「言葉は・・・そうねえ。『山羊の角』と『猫の目』と『連翹』でよいかしら?」
「れんぎょう?」
「うふふ、花の名に疎いなんて、詩人にあるまじき、ですわ」
 樹に咲く黄色い花は春を告げる。基本は低木で、びっしりと花が密集すると枝が垂れて黄金色の噴水にも似た様子になるという。

 シルフェは、ペンダントトップのローズクォーツの揺らぎで眠りについた。次にオウガストは、その石をジェイドックの鋭い爪を持つ右手に握らせた。


< * * >
 
 エスメラルダからの直々の頼みだった。姉妹店・闇山羊亭の<踊り子>が足を怪我した。急なことで今夜は代役がいない。ステージの合間合間にシルフェに治癒して貰いながら、乗り切りたいとのことだ。
 シルフェはメモ頼りに、ベルファ通りの更に裏へと入り込んだ。細い路地、荒れた建物は道に覆いかぶさるように建ってシルフェを脅す。朽ちた窓に無造作に干された洗濯物がはためき、不吉な鳥の羽ばたきのような音を響かせた。突然視界が開けるとそれは半壊した住居だったりする。狭い庭では、黄色い<連翹>の灌木がおどろおどろしく触手を伸ばし、風に揺れていた。まるでオクトパスの怪物のようだ。
 闇山羊亭に行くのは初めてだった。地図は簡略すぎ、裏町は迷路だった。
「よう、シルフェ!」
 急に声をかけられ、振り向く。
「あら、ジェイドック様」
 銀色の毛をなびかせる知人に会えて、ほっとしたのは一瞬のことだ。彼の手にも全く同じ地図がある。しかもくしゃくしゃに縒れて汚れ、苛立ちで何度か握り潰された様子だった。
「あんたも闇山羊亭で用心棒かい」
「え? うふふ」
 シルフェは勇者の予想を訂正し、店の踊り子の治癒に行く旨を告げた。白虎の獣人と違い、シルフェには戦闘系の依頼は殆ど無い。
「わたくし、迷ったようですの。この道は二回目のようです」
「えーっ! あんたもか!
 この地図、『ゴールデン・ベル』を右へ曲がるようになってるが、この辺りに店なんて一軒もありゃしねえ。飲み屋なのか賭博場なのか。それとも堅気の雑貨屋か何かか。ヤバイ店なら看板も出てねえかもしれんな」
 シルフェはある考えに思い当たり、地図を凝視した。「わたくしも店の名だと思っておりました。ですが・・・」そして黄色い花の樹木を振り仰いだ。
「・・・。連翹。確か、別名をゴールデン・ベルといいます」
「コールデン・ベルぅ? 気味悪い外見のわりに、能天気に明るい名の花だな」
 シルフェの機転で、二人は無事に店に辿り着くことができた。

 扉を開けてくれた男を見て、ジェイドックは「うぉっ!」と雄叫びを挙げた。動じないシルフェでさえ「あら」と小さな驚きの声を漏らした。
 闇山羊亭の<バーテン>だという男の背には、黒い蝙蝠の翼があった。黒髪は撫で付けて整えてあるがそこからにょきりと伸びるのは<山羊の角>だ。その髪型は尖った長い耳を余計に際立たせた。顔は人間だが瞳は赤く鈍く光る。
「悪魔さん?」
 シルフェの口はジェイドックの掌で乱暴に抑えられた。彼は慌てて「エスメラルダから言われて来た者だ」と名乗った。
「ありがとう、助かります」
 バーテンは外見とは裏腹に、紳士的な口調で二人を室内へ招き入れた。
「踊り子の治療師のかたは奥の控室へ。用心棒のかたは、バーテンダー見習いという名目で店に居ていただきますので、着替えていただけますか」
 シルフェは指示された通りに控室をノックした。

「足の治療に参りました。・・・まあ、可愛らしいかたね」
 踊り子は兎系獣人だった。プラチナブロンドのふわふわロングヘアから、白く長い耳が突き出していた。首から上はヒトであったが、丸く大きな瞳はピンク色だ。手足は白い毛で包まれている。
「傷めたのは右の足首です。よろしくですぅ」
 触れると少し腫れてはいたが、骨にも筋にも異常がないのがわかった。挫いたのでなく、家具にぶつけて傷めたそうだ。
「たいした怪我ではないですわ。ステージの前後に痛みを和らげてさしあげますね。お仕事の後に冷やして眠れば翌日はもう大丈夫」
「よかった」と、兎娘はほっとした表情で微笑んだ。
「そういえば、今夜から新しい用心棒の男性が来るんですって。もう会いました?」
「ええ、わたくしの知人でしたわ。すてきなかたよ」
 娘は『きゃ〜』と小さな歓声を挙げると頬を染めた。

 二人で控室を出ると、丁度ジェイドックが蝶ネクタイを直しているところだった。銀の毛並みの上に身につけたドレスシャツ・黒ベストの制服は、まあ多少奇異だが、彼を三割ほどダンディに見せた。
「なるほど。兎のダンス、か」
 踊り子を見てぽろりと呟いた。
 シルフェは「ジェイドック様、そのお召し物、よくお似合いですわ」と声をかけたが、踊り子の方は「キャー! 虎っ!」と顔色を変え、控室に飛んで戻ってバタンと扉を締めてしまった。先刻の『きゃ〜』とは種類が違う叫びだ。
「あらあ。困りましたわね」と、シルフェは一応ジェイドックの手前言ってみる。微笑むと、「少しお待ち下さいませ」と娘を追った。

「あのかたはわたくしのお友達ですの。いいかたですのよ。
 それに、彼は虎ではなくてよ?」
 決して、嘘ではない。ジェイドックは虎ではない。虎系の獣人ではあるが。
「虎でない?じゃあ・・・?」
「猫よ。大きな猫なの。大きいから、時々虎と間違えられるみたい。気の毒ね」
 白々しい嘘も、ここまで自信満々に言えば、素直な者なら信じてしまうかもしれない。
「猫。そうなんですか〜。でも、大柄だから、ちょっと怖い感じですぅ」
「大丈夫、にっこり笑ってご挨拶なされば、あちらも笑顔で返してくださるわ」
 
 兎ダンサーは扉から出て来ると、笑顔でジェイドックに声をかけた。
「さっきはゴメンなさ〜い」
 にこっと笑って小首を傾げた。
「用心棒さんの代役のかたね。十日間、よろしくお願いしま〜す」
 さすが、店でも人気のアイドルダンサーだ。仕草の一つ一つが愛らしい。ジェイドックも25歳の健全な青年であるから、つい鼻の下も伸びる。でれでれと挨拶を返した。
 踊り子はにこにこ笑いながら、小声で口の中で何か呟いていた。
「怖くない、怖くない。猫の耳、<猫の目>、猫の鼻。猫よ、猫なんだから」
 
 オープン時間を過ぎると、ぽつりぽつりと客が入って来た。ケンタウルスにミノタウルス、半魚人にハーピー。河童、ろくろ首、から傘小僧。スケルトンにゾンビ。ここは異形のものの秘密倶楽部なのかと思うほどだ。
『あらま。ちょっと怖いかも』
 踊り子の治療の名目で、シルフェは控室へ逃げ込んだ。
 よく濡らしたタオルを娘の足首に巻き、そこにシルフェが手を添える。水の力を借りて痛みを少し軽くする作業だ。雑談気味にシルフェがお客の印象を話すと、兎は「いいえ」と首を振った。
「それは誤解です。みなさん、いい人たちです。ちょっとドアからフロアを覗いて見て?」

 普段は兎娘がウエイトレスも兼ねるが、今夜はそれはバーテン見習いの仕事だった。ミノタウルスの老人が、ギムレットを運んで来たジェイドックを呼び止めた。
「あんた、ここの店を捜していたのかい。うちの前を何度も行き過ぎて道に迷っていたようだが。無事に辿り着けてよかったな」
 ろくろ首のオーダーのカクテルを三度も聞き返してしまい、ジェイドックが詫びると、彼女は「慣れるまで大変だろうけど、がんばりなよ」と日本髪の簪を揺らして笑った。
「そうですわね。外見で決めつけてはいけのうございますね」
 苦笑して振り返ったシルフェは、ステージ用衣装に着替え始めたダンサーを見て「あら」と瞬きをした。黒レザーのパンクな衣装に鋲のアクセサリー。白い毛並みには絵の具の血糊をベタベタと塗り付ける。

 シルフェがフロアに戻ると、ジェイドックも休憩時間らしく、バーテンから飲み物を作って貰っていた。彼がカウンターに置いたのは琥珀色に淡いピンクがかかったカクテルだった。
「<ピンク・ジン>ですよ」
「おいおい。この俺にこんな乙女な酒を出すのか」
「あら、綺麗ですわね。わたくしもいただけますかしら」
「お易いご用です」

 二人で「乾杯!」とグラスを合わせ、ピンク・ジンをごくりと飲んだ。
「ウゲっ! なんだ、これ!」
 酒の強いジェイドックでさえ、むせ返った。
「まあ。カラいですわ。・・・甘いのかと思っておりました」
 シルフェもコンと軽く咳込んだ。
「ジンにアロマチックビターズを振りかけただけのカクテルです。殆どストレートのジンですから」
 蝙蝠の翼と一緒に肩をすぼめ、バーテンは爽やかに笑ってみせた。
「見た目に騙されちゃいけねーってこったな」
 ジェイドックの言葉にシルフェも小さく頷く。この店には・・・いい意味で色々と騙されたかもしれない。
「こちらではわたくしの方が異形ですものね。なんだか緊張します」
 うふふと鼻の頭に皺を寄せて笑ったシルフェは、ぐびりとピンク・ジンを飲み干した。飲めない強さではない。苦味が心地よかった。
「あら、ジェイドック様ったら。頭に花なぞお付けになられて」
 シルフェは白虎の耳に留まる小花を見つけ、摘んで掌に置いた。
「来る時、連翹の花が引っかかったようですわね」
「これが?・・・連翹って黄色いクラーケンみたいだったが。一つだけ見ると可憐だな」
「花の形、なんだか十字架に似ていますねえ。可愛い花だなあ」
 悪魔に似たバーテンは嬉しそうにシルフェの掌を覗き込んだ。

 さあ、これから兎娘のダンスショウが始まる。


< * * * >

「・・・って、ショウの前にお目覚めの時間かよ!」
 覚醒したジェイドックは、がばっと体を起こした。
「あらあ。残念。拝見したかったわ。血まみれダンス」
「血まみれ?」
 ジェイドックが怪訝そうに眉を顰める。もっとも彼の眉は模様に紛れて他人には分かりにくいのだが。
「うふふ」とシルフェは微笑むと、「ピンク・ジンをいただけますか」とエスメラルダにオーダーした。
「あ、俺も俺も」
 ジェイドックは空のバーボンをテーブルに置いた。


< END >


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 /   性別  / 外見年齢 / 職業】
2994/シルフェ/女性/17歳/水操師
2948/ジェイドック・ハーヴェイ/男性/25歳/賞金稼ぎ

NPC
オウガスト
エスメラルダ
闇山羊亭従業員&お客様がた

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■         ライター通信          ■
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発注ありがとうございました。
シルフェさんが堂々と言い張れば、虎は猫、狼は小犬、大鷲も雀です。きっと・・・。