<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


【楼蘭】藤・酔恋









 娘が一人、今年も見事に咲いた楼蘭の端にある藤棚へと走る。
 この藤の時期にだけ訪れる薬師が、なんとも不思議な酒をくれるらしい。
 それは藤の力を込めた、不思議な不思議なお酒。
 好きな人に飲ませればたちまち恋の虜になるという。
 そんな噂を聞きつけ、毎年藤棚には歳若い娘が集まるという……










 藤棚の下に設えられた椅子に座り、ただ悠然とたわわに咲いた淡い紫の花と流れる雲を見つめる少年。
 少年の傍らには薬が入った背負いの薬箪笥。
 シルフェは怪訝そうに小首を傾げつつも、地上にありながら少し幻想的な雰囲気を持った藤棚に近付く。
「…………えぇと…瞬様…なんとなく予想出来た気もしないでもないですが、こんにちは」
 声をかけられ、少年薬師――瞬・嵩晃は、ゆっくりと視線を移動させ、シルフェの姿を視界に捉えると気弱に微笑んだ。
「驚いたな。君がこういった物を求めるなんて」
 瞬は薬箪笥の大きな引き出しから、手の平サイズの白い瓶子を取り出す。
 とぷん、と水の流れる音がするそれに、シルフェはきょとんと首を傾げる。
 受け取らないシルフェに、瞬も同じように首をかしげ、
「君は、何しに此処へ来たんだい?」
「この時期の噂というものに興味が沸きまして」
「この時期と言うと?」
 説明するつもりなどサラサラ無い瞬は、瓶子を薬箪笥にしまい眼を細め薄く笑ってシルフェを流し見る。
「薬師さんがお酒を配ってらっしゃると」
「そうかい」
 噂に興味を持ち、それがお酒だと分かっているなら、そのお酒がどんなものかも分かっていなければ可笑しい。
 確かに偶然ということもあるが、この藤棚へ訪れる娘は大概がそれを目的として訪れる。
 そうでなければ藤の花は見事であれど、辺鄙なところにある藤棚へはそうそう来ない。
 シルフェも瞬が何かしらの説明はしてくれないと悟り、にっこりと微笑むと、先ほど瞬が仕舞いこんだ瓶子に視線を向ける。
「では、そちらが例の」
 ぶっちゃけた言い方をすれば、惚れ薬。
「効果は…保障しないが、価値が無いわけでもない」
 そういった相手がいるのなら、試してみるかい? と、悪戯っ子の笑顔で言われ、シルフェはほぅっと頬に手を置いて困ったように呟いた。
「うぅん、わたくしこういった情熱的な気持ちを持てませんから、自分は生憎…と、申しますか、それ以前に見物に来ただけですしねぇ」
「おや、それは邪魔をしてしまったね」
 瞬は徐に椅子から立ち上がる。
「瞬様?」
 てきぱきと帰る準備を進めている瞬に、シルフェは眼をぱちくりと瞬かせた。
 この時期、この場所へ、藤の力を込めた酒を必要とする娘のために、この場にいるのではないのか?
「ここの藤は見事だからね。ゆっくりしていくといい」
 瞬は両手の口幅の袖口を胸の前で合わせて、シルフェに軽く腰を折る。そして、ほわっと微笑むとその場から消えうせた。
「あら。あらあら」
 もしかして、邪魔をしてしまったのは、自分の方?
 瞬が去った椅子に腰掛、同じように空を見つめる。
 確かに、時間を忘れてしまいそうなほど見事な藤の花。
 一人ポツンと取り残され、シルフェはのんびりと藤を見上げる。
 噂によれば、飲ませる人の想いの強さによって惚れ薬たる酒の効果は変わるらしい。
(その気になれば上手く使って横取りにも使えるのかしら)
 その気になればとは即ち、相手を想わなければいけないわけで、所謂飲ませる方は“本気”でなければ成立しない。
(でも、瞬様が作られたお酒ですしねぇ)
 そんな不具合というか、不良品を作るようなことはしないとシルフェは思いなおす。
(でも)
 シルフェはふふっと笑う。
(桃様に効果があれば、使われやしないかと心配するところです。うふふ)
 まぁ、どこか朴念仁の気がある桃が、女性の気持ちを察するような行動は出来ないわけだが。そう言った男性がいいという女性もいるかもしれない。そもそも桃の本体は核のため、そういったものは効かないわけだが。
「そろそろ帰った方がいいでしょうか」
 風に揺れる藤の花と流れる雲を見ているだけで、まったりした時を過ごすこともできそうだったが、何分ここは楼蘭の外れ。街中に戻るのが遅くなると、エルザードと違い街灯が普及しているわけではないため、真っ暗になってしまう。
 名残惜しい感じもするが、また明日も来ればいいと椅子から立ち上がる。
「!!?」
 振り返った瞬間、真正面から対峙することになった、息を切らせた少女。
 シルフェは動きを止めて眼を瞬かせる。
「あの、あなた!」
 少女はシルフェに向かって意を決したように口を開く。
 頬が赤らんでいるのは、息が上がっているからなのか、緊張しているからなのか。
「ここで、お酒を配っている薬師様!?」
 シルフェの動きが一瞬完全に止まった。
(あらあら)
 瞬はもう幾分も前に帰ってしまった。
 何とも間が悪い娘さんというか、自分のせいなのかもしれないけれど。
「申し訳ありません。薬師様は帰ってしまわれました」
 シルフェは軽く腰を折るようにして少女に告げる。
「薬師様に会ったのね! じゃあ、お願い、お酒わたしに譲って!」
 少女はがしっとシルフェの肩をつかむと、切羽詰った瞳でまた、お願い! と叫んだ。
「申し訳ありません」
 再度腰を折ったシルフェに、少女はあからさまに見て分かるほど落胆して、がっくりと肩を落とす。
「やっぱり…そうよね……。あなたも必要だから、ここに来たんだもの」
 簡単に譲ってもらうことはできないかと、泣きそうに微笑む。
「あ、いえいえ、そうではなくて」
 言葉足らずで泣かせてしまうのは忍びなくて、シルフェは心持早口で言葉を続ける。
「頂いていないんです」
「え?」
 少女はきょとんと眼を瞬かせる。
「じゃあ、どうしてここに居るの?」
 藤棚へ花見に来る人だっているのではないかと思うのだが、この藤棚へ来ることはイコールで、お酒が目的であるというのが通念であるようだ。
「ここの藤は見事だとお聞きしたものですから」
 一生懸命な少女の姿に、流石にあなたを見物に来ましたとは正直に言えず、シルフェはにっこり微笑んで差しさわりの無い理由を告げる。
「ほら、とても見事じゃありませんか?」
 シルフェは少女の視線を促すように、自分の視線を藤の花へと向けた。
「……あ…」
 少女の口から漏れた感嘆の吐息。
 きっと、藤棚で酒をもらうことばかりに囚われ、景色を見るような余裕がなくなっていたのだ。
 一時藤を見つめていた少女は、どこか吹っ切れたような顔でシルフェに一礼すると、駆け足で街中へと戻っていく。
「お酒はもう必要ないでしょうか」
 帰っていく少女の背中を見つけ、シルフェは穏やかな笑みを浮かべる。
 恋をすること。
 それは今のシルフェにとってとても遠いものではあったが、その最中にある少女を見ていると、つい素敵だと思ってしまう。
 いつか、そんな時が来るだろうか。
 シルフェはそんなことを考えながら、落ち行く日に急いで宿へと舞い戻った。


























☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【2994】
シルフェ(17歳・女性)
水操師


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


 【楼蘭】藤・酔恋にご参加ありがとうございます。ライターの紺藤 碧です。
 瞬は話のタネにするつもりは全く無かったのでこうなりました。見物ではなく見学ならばまた違っていたかもしれません。
 それではまた、シルフェ様に出会えることを祈って……