<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


突き詰めればきっと簡単なこと

(これでお願いされたものは終わりですかね)
 松浪静四郎は立ち止まり、手元のお買い物メモに今一度目を通した。ひとつひとつ、手にした買い物籠の中身と見比べ、確認していく。どうやら全部揃っているようだ。なぜだか優しい気持ちになって、勤めている店への道を歩き出す。
「自分の分身、作ってみませんかー?」
 若い女性の声が聞こえてきた。分身、という単語が気になって、周囲を見渡して見る。すると自分の歩く商店街の少し先で、ピンク色の髪の目立つ女性が、通行人にチラシを配っていた。
 近づいていくと、女性は清四郎にも笑顔でチラシをくれた。チラシには大きく「ちま」と書かれている。
「すみません、このちまを作っているのは貴女ですか?」
「へっ? ――あ、うん。そうだよ♪」
 チラシを受け取ってくれるだけでも御の字だというのに、チラシの内容に対し興味を持ってくれた。それが嬉しいらしく、女性の顔には更なる笑顔が広がった。
 静四郎もそんな彼女の様子に微笑みを返してから頭を下げた。
「以前、義弟がお世話になったそうで。おかげさまで、義弟が不在の折も寂しさを覚えることなく、良い相談相手ができました」
「おとうと‥‥」
 不思議そうに首をかしげる女性。静四郎が義弟の名前を告げると、ポンと手を打った。どうやら思い出したようだ。おまけに義弟の特徴を挙げてくれて、確かにその通りだった。一緒にいたのは一泊二日だけと聞いていたのだが、なかなかどうして、しっかりと細かいところまでつかんでいる。
 さすがと言うべきか。これならば自分もと、静四郎はかねてからの考えを依頼することにした。
「もしよければ、私のちまを作成してもらえませんか。義弟が危険な仕事や不規則な生活をしていないか見守り、もしそういったことをしていたら注意するように‥‥私の代わりに、義弟の傍にいてもらいたいと思っています」
「ふむふむ。義弟さん思いの、いいお兄さんだね」
「兄としてできることをしているだけですよ」
「そういえば、義弟さんもお兄さん思いのいい子だったなぁ。ふたりって結構似てるんじゃないかな♪」
 彼女がくれた返事は了承の二文字。
 さすがに戦利品を持ったまま工房へ向かうわけにも行かないので、都合の良い日を打ち合わせ、その日に静四郎が工房を訪ねるということになった。
 工房までの地図はチラシに描かれている。町外れにあるようだ。特に迷うこともないだろう。
 あとは、このチラシと、ちまを作ってもらうことを、義弟にバレないように。それが約束の日までの静四郎の目標となった。

 ◆

「魔瞳族?」
 名前、年齢、性別、種族‥‥どの設問にも一言で答えられるような、ごく簡単なアンケート。静四郎が用紙に記入した内容を覗き込んで、このパティシア人形工房の主、エルザは興味深そうに読み上げた。
「瞳に特殊な力があるので、そう呼ばれています」
「なるほどね。ちょっと見させてもらってもいいかな?」
「ええ、どうぞ」
 ダイニング仕様のテーブルを挟んで向かい合うように座っていた二人。エルザは椅子から立ち上がって身を乗り出すと、静四郎の両目の下瞼に自分の親指を一本ずつ乗せた。ゆっくりと瞼を押し下げて瞳を観察する動作は、診察する医師のようでもあった。
 手を離し、乗り出していた体を元の位置に戻したエルザは、ちょうどお茶のセットを運んできたちままま――彼女の母を模したちまを呼び止めた。お茶のセットをトレイごと受け取り、いくつかの材料の用意を指示する。
「綺麗な目だから、お気に入りの材料を使わせてもらっちゃおうかなって思って」
「綺麗、ですか? 自分の目ですし、そういう風に考えたことはあまりないですね」
「透明感っていうのかな。吸い込まれそうになるっていうか‥‥あ、もちろん、特殊な力とか関係なしに」
 てちてちと去っていくちまままを見送っていた静四郎が視線をテーブルに戻すと、エルザがお茶を淹れようとしていた。動きは悪くないが粗はある。
 静四郎はエルザの手を軽く押しとどめた。彼女の手の動きが止まった隙に、現在の状況を確認する。小さな砂時計の中ではそろそろすべての砂が零れきるし、まだ空のカップはほんのりと温かい。後は注ぐだけという状態にしてから運んできたちまままの器用さにびっくりする。
 ちまの手に指はない。簡素なぬいぐるみの手。それでいてある程度の作業はできるのだ。
(これなら、私のちまでもお茶を淹れてあげられますね)
 砂の流れが止まった。ふたつめのポットの蓋を開け、抽出されたお茶をストレーナーごしに注ぎ入れる。必要な分量が漉されたら、今度はふたつめのポットからカップへ注ぐ。今度は静四郎が立ち上がっていた。やや高い位置から注ぐおかげで、静かで小さな滝が生じている。
「‥‥はぁー‥‥なんか見惚れちゃう‥‥」
「代金とは別に、私から示せるお礼です。どうぞ」
 なるほど、アンケートの職業欄を見れば本職だ。しかし――主張しすぎない、けれど整えられた立ち姿。指先にまで気の配られた、流れるような動き。その職に就いているからというだけではない、確かな技術、お茶やそれを飲む人への思いやりやこだわりなど、得ようと思っても一朝一夕では決して得られないものがあった。
 何の変哲もないカップが、お茶の輝きにつられて光を発している。飲み込んでしまうのが勿体ないくらいだ。
「‥‥‥‥‥‥おいしい」
「ありがとうございます」
 口中に広がり、鼻腔に届き、華を咲かせる芳醇な香り。お世辞ではなく、全身で「おいしい」と感じた。ぽつりと一言だけ呟いたのがその証拠。
 静四郎が軽く頭を下げた、その様もやはり物腰が柔らかかった。
 ふたくちめ。みくちめ。ゆっくりじっくりと、エルザはお茶を味わっていく。

 ――ぐうぅぅぅぅぅ‥‥

 静四郎も。エルザも。準備完了の報告に戻ってきたちまままも。心地よい静寂に終わりを告げた腹の音に、ぴたりと動きを止めた。
 真っ赤になったのはエルザだった。
「‥‥ご飯が足りなかったのかしら? 今夜のご飯、大盛りにしておく?」
「ちっ、違う! ちままま、違うのこれはっ! お茶があんまりおいしいからお茶請けがほしいなーって思っただけでっ」
 しょうがないわねぇと母親の顔で頬に手を当てるちまままに、エルザは必死で弁明する。説得力がないのは本人が一番良くわかっているが、そうせずにはいられないほど恥ずかしいのだ。
「でしたら、私が作りましょう。元々そのつもりで、材料も持ってきていますから」
 こんな時でも静四郎の微笑みは崩れることはない。テーブルの上に置いた包みが開かれると、粉類やミルクが姿を現した。
「それがキミのこころ、ってわけだ」
「そういうことになるでしょうか」
 ちまが動いたり喋ったりするのは、そのちまの元となった人物の「こころ」を吹き込まなければいけない。ゆえに、ちまを希望する人はエルザに自分の「こころ」を示す必要がある。
 「こころ」が十人十色であるように、「こころ」の示し方もその人次第。そして静四郎はお菓子作りを選択した。
「もう十分見せてもらったようにも思うけど‥‥」
 エルザの囁きは静四郎の耳に届いたのだろうか。表情からは読み取れないが、届いていたとしても関係なく、彼は彼女のためにお菓子を作ってくれるだろう。
「もしお時間さえよろしければ、ご一緒に作りませんか?」
「お菓子作りはあんまり自信ないんだよねぇ」
「店頭で販売するものではないですし、楽しく作るのが一番ですよ」
 人形を作れるのだからお菓子を作れてもよさそうなものだが、そうでもないらしい。眉を八の字にしたエルザの手に粉の入った袋を持たせる。まずは分量を量ることから始めればいい。
「気をつけるべきなのは、材料を決められた量だけきっちり量って使うことです。多少ならよいだろうと思ってしまいがちですが、小さなずれであっても、出来上がりには響いてしまいますから」
「人形作りでも同じだね。片手間に作られた人形は、それだけのこころしか宿せない」
「何かを作るということすべてに、共通する事柄なのかもしれませんね」
 台所を貸してほしいと頼むと、ちまままはどこからかふたり分のエプロンを持ってきた。おひさまのにおいがした。

 天板に生地を並べて窯に入れる寸前まで、エルザは静四郎と共にお菓子作りを続けた。失敗もたくさんしたが、静四郎が何かしらのフォローをいれたので事なきを得た。
 お茶請けとして。エルザの夜食として。好きな果物のシロップ漬けを乗せてくれるように頼みながら、エルザは作業室に入っていった。




 頃合を見計らいながら、静四郎は幾度か作業室の戸を叩いた。丸々一晩かけてちまを生み出すエルザのために、彼女が根を詰めすぎないようにと、そのたびに入れなおした温かいお茶に出来上がったお菓子を添えて。
 昼間アンケートを書いていたテーブルから作業室の戸が見えることに気がつくと、そこで次の差し入れの準備をするようになった。
 戸が内側から開かれるたびに、エルザにはより強い疲れの色が見てとれた。食べやすく片手でつまめる類のお菓子を、やや甘めに作ったのは正解だったと、静四郎は自分の判断に胸をなでおろした。時には眠気覚まし用に、固く絞った冷たいお絞りも付け加えた。
 こんな風にして世話をする側にもそれなりの負担はかかるものなのだが、静四郎は目をこすりながらも、決して夢の世界には落ちなかった。細身の体から予想されるように体力はさほどではない。しかし粘り強さならば話は別のようだった。

 仕上げをするから、もう入ってきてはいけない――作業室の鍵が閉められてから、どれだけの時間が経っただろう。先ほど既に、一番鶏の鳴き声が聞こえてきた。
 かたん、と錠の外れる音がした。テーブルに落としていた視線をすぐさま作業室の戸に戻すと、戸は軽くきしみながら開いた。
 初めに目が合ったのはエルザ。大きく伸びをしながら大あくびの最中だ。彼女が足元を指差したのでその方向に視線を動かすと、いた。小さな自分が。
「おやおや。そんなところでよをあかしたのですか。よるはきちんとねないといけませんよ。‥‥ほらほら、えるざさんもおかおをあらってきてください」
 自分にたしなめられるという貴重な体験に面食らっていると、その自分はエルザにまで注意をし始めた。注意するだけではなく、背中‥‥は届かないのでふくらはぎをさすっている。
 ああ、これなら。
「いいえ、まずは挨拶をしなければ」
 静四郎が歩み寄っていくと、小さなせいしろうもそうですね、と微笑んだ。

「「おはようございます」」





===== 登場人物(この物語に登場した人物+αの一覧) =====
【2377/松浪・静四郎/男性/25歳(実年齢32歳)/給仕兼ウェイター】
【NPC/エルザ・パティシア/女性/26歳/人形師】
【NPC/ちままま/ちま】

===== ライター通信 =====
今度はお兄さんでのご発注、まことにありがとうございました。
またもやお待たせしてしまうこととなり、本当に申し訳ございません。

弟さんの時も感じたのですが、とても素敵な兄弟で、羨ましいくらいです。
お互いのことを大切に想ってらっしゃることが伺えて、こちらも温かい気持ちにさせていただきました。

どうぞ、ちまを大切にしてあげてくださいませ!