<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


【炎舞ノ抄 -抄ノ肆-】昼に訪れ

 あれ、と思った。

 ほんの僅か、気のせい程度の違和感が右耳に生まれる。
 歩いていた足を止める。
 違和感を覚えた右耳に何となく触れる。
 …耳飾りがない。
 視線を落とす。
 すぐに見付かる。
 …右の耳朶に付けていた筈の耳飾りが落ちていた。
 屈んで、拾う。
 どうやら留め具が壊れてしまったらしい――修理しなければ耳に付けられそうにない。

 ちょっと考えてみた。
 修理するのに何処か良い店はないだろうか。

 …思いながらエルザードの街中に行ってみる。



 何処で直してもらおう。
 思いながら街中の通りを歩く。
 私はこういうものを直す人や店については、あまり、よく知らない。
 行き付けの店とかもない。
 何かあると、その時その時で色々な人に頼んでいる。
 あまり壊れるものでもないから、それでだいたい間に合っている。

 その時、私が歩いていたのはアルマ通りの裏通り。
 不意にすぐ脇に当たる家屋の扉が開いた。
 そこから二人連れが出てくる。
 ありがとよ、とたった今出て来た家屋の中に声を掛けている。
 それから――何やら話しながら目の前を通り過ぎて行く。
「…ここまでに仕上げてもらえるとは思わなかったな」
「そーだな。噂ってのもバカに出来ねぇな。…なぁもっと良く見せてくれよそれ」
「駄目だっつーの。この指輪はプレゼントにすんだからよ」
「ちぇ。ケチ」
 …聞くつもりは無かったのだが聞こえてしまった。
 思わず立ち止まってしまい、そのまま通り過ぎて行く二人の背中を見送る。
 彼らが出て来た家屋の方を見た。
 特に看板らしいものは掛かっていない。一見、店には見えない。
 が。
 彼ら二人の態度から見るに。
 …ここ、宝飾関係の職人さんが居たりするんだろうか。
 そんな気がした。
 今の二人が閉め忘れただけか元々そうしているのかはわからないけれど、二人が出て来たその家屋の扉は開けっぱなしだった。
 恐る恐る、覗いてみた。
「…用なら入りなよ」
 覗いた途端に招かれた。
 ちょっと驚く。
 聞き覚えのある声だった。
 扉の前にちゃんと立ち、中を見直す。

 ………………慎十郎だった。

 作業机らしい物に向かって座り込んでいる。
 かつかつかつと金属を打つような硬質の音が続いている。
 何か集中しての作業中らしく、慎十郎はこちらに声だけは掛けて来ていても、扉の方を見てさえいない。
 そんな姿に思わず目を瞬かせてしまった。

「…どちらさんだい、おれに何の用かな?」
 慎十郎の声が促して来る。
「あ…」
 何を言うべきか咄嗟に言葉が出て来ない。
 が、微かな感嘆符に過ぎないそれを聞いただけで慎十郎は顔を上げた。
 そのまま、暫し時間が止まってしまう。
「…姐さんかい」
 たっぷり間を置いてから、確認される。
 どうやら、慎十郎の方でも驚いていたらしい。
 表情の方では殆ど驚きは見せていないが、それまで完全に集中していた筈の手の方が完全に止まっている。
 …かと思ったら、それまで張り詰めていた力が一気に抜けたような感じで、苦笑された。
 何か、とても悩んでいるような、けれど同時に諦めているような――何処か儚い感じも受ける、複雑な笑い方。
「……慎、十郎……?」
「用件は?」
 声が、変わった。
 ここに来て一番初めの、迎えてくれた時と。
 声が、硬くなっている気がした。
 …やっぱり、と思う。
 思うことで、反応が遅れる。
 ほんの少し置いてから、私は口を開いた。
「……この、前の、こと……怒ってる……?」
 言ってみるが、反応がない。
 でも。
 …何か、違う気がした。
 思うと同時に口に出ていた。
「……だけじゃ、ない、みたい、だね……?」
 慎十郎の様子は、怒りで言葉が出ない、と言うような感じじゃない。怒りと言うには――それだけでもないような、何かそぐわないような。
 けれど、私が言葉として発するとして、どう言い表したらいいのかわからない。
「…わざわざそんな話をしに来たのかい」
「…ううん。そうじゃ、なくて、耳飾り、壊れて、今、ここから、出ていく人、見て、直してもらえる、ところ、なのかもって」
 思って中を覗いたら。
 …居たのが、慎十郎だった。
 そこまで言ったら、慎十郎は無造作にこちらに手を差し出してきた。
「見せてみな」
 …意外なくらいあっさり促される。
 私は留め具が壊れた耳飾りを取り出し、促されるままその手に乗せた。
 慎十郎はすぐにそれを引き取ると、壊れた箇所を確認する。
「留め具だな」
「…うん」
 言葉に出してそこまで言ってなかったと今気付く。
「少し待ってろ」
「…すぐ、直るの?」
「ああ。このくらいなら大してかからねぇよ」
 言って、慎十郎は机の脇に置いてある箱から何やら探し始めた。かと思うと何か拾い出し、その拾い出した物を耳飾りの留め具に当てて、また、かつかつかつと先程のように細かく叩き始めた。数度叩くとまた手を止め、箱の中から何かまた別の物を探している。
 よくはわからないがとても細かい作業ではあるらしい。
 その姿からは、何を考えているのかはわからない。
 ただ、私が渡した――修理を頼んだ耳飾りに完全に意識が向いている。
 慎十郎はこういうことをする人でもあるんだ、と思う。
 狩りをするんじゃ――殺すんじゃなくて、
 …ものを、作ったり直したりする人でもあるんだと。
 でも。
 そうであるなら余計に。
 どうしてなんだろう、と思う。
 …殺したり壊したりすることと、作ったり直したりすることは、さかさまのことだと思うから。
 慎十郎は、そんなさかさまのことを、当然みたいにどちらもしている。
 どうも、不思議な気がした。
 かつかつかつと音が続く。
 迷いのない音。
 自信のある音。
 聴いていればいる程、疑問は増した。
「……私の、周りの、人は、人、殺す、こと、駄目って、言う……」
 気が付けば言葉に出ていた。
「……慎十郎、狩り、する……慎十郎、の、周りの、人、それ、知ってる……でも、とめない……?」
 かつかつかつと音が続く。
「……とめない、なら、それは、殺して、いい……っていう、こと……? 殺して、も、いい、人が、いる……? 殺しちゃ、駄目な、人も、いる……?」
 わからない。
 慎十郎からの反応も返って来ない。
 ただ、かつかつかつと耳飾りの修理中な音が響いているだけ。
 こちらを見てもいない。
 そのことでも、自分は慎十郎に悪いことを訊いているのだろうかと、迷う。
 でも。
 迷うけど、知りたいことは知りたいことだから。頑張って言わなければ、通じない。
 でも言っても、通じないこともあるみたいで。
 …思ったところで、慎十郎から返答が来た。
「殺していい奴なんざ居ねぇよ」
 はっきりと。
 淀みもなく言い切られた。
 却って、こちらの方が言葉に詰まる。
「…え?」
「殺していい奴なんざ居ねぇっつったんだ」
「でも、慎十郎……」
 あの夜。
 狩りに――殺しに行こうとしてた。
 どうして?
 …殺していい人がいないなら、どうして、殺すの?
 そう言い募ろうとしたところで。
 慎十郎から声だけがまた返された。
 顔は上げられていない。
 ただ、その手許でかつかつかつと音は続いている。…慎十郎は作業を止めてはいない。
 揺らいでいない。
「良くねぇってわかってる事でもやらにゃならねぇ場合がある。…仕事なり何なりな。おれァおれにとって必要があるからやってる。それだけだ。良い悪いの問題じゃない。人から止められようが止められまいが関係無い。舞姫様や蓮聖様はそれを知ってる。何言ったっておれの方が聞きゃしねぇってな。ま、なるべく舞姫様の目にゃ付かねぇようにやってるってなァあるが…って姐さんみたいな人にゃ言わなくてもいい事かも知れんがね」
「…。……よくないって、わかってて、も…、……良い悪いの、問題じゃ、ない……?」
 とめられても聞かない。
 なるべく舞姫様の――たぶんこれは舞のこと――目に付かないようにやっている。
 …じゃあ、周りの人から、とめられない、わけじゃないんだ。
 とめられてるのに、やっている。
 なら、私は、それは、やらない方がいいんじゃないのかな、と思ってしまう。
 それはきっと、周りの皆に悲しい顔をさせてしまうことなんだと思うから。

 …でも。
 そうすることは、慎十郎にとっては、必要なこと、らしい。
 なら、やっぱり私のしたことは。
 …よくなかったこと、なのかもしれない。
 あの時、邪魔をするべきじゃなかったのかもしれない。

 と。
 またぐるぐると思い始めたところで、また慎十郎の声がした。
「…気にすんな」
 こちらの考えを察したような、声。
 少し、驚いた。
「引き摺るなっつってんだ。…別に怒っちゃいねぇ。こないだの事はこないだの時点で話は済んでる。それで今更あんたをどうこうってなぁ無ぇ。ただおれの信用が落ちただけだ。それ以上でも以下でもない。姐さんは姐さんの信じた通りにしてりゃあいい。お互いそれでぶつかったならそん時の話だ。…それより今はこっちだろ」
 言うと同時に、慎十郎は作業机の上、手を止めたかと思うと埃か何か掃うように私の耳飾りにふっと息を吹きかけている。
 それから、その耳飾りを手渡された。
「ほらよ」
 大してかからないと言った通り、もう、留め具の修理は終わったらしい。
 受け取って、確かめる。
 …本当に直っている。
 何処を直したのかわからないくらい、元通りになっているように見えた。
 …見れば見る程、不思議な気がした。
 この耳飾りの留め具を直してくれたのは、慎十郎。
 あの夜に、狩りに行こうとしていた人。
 …どちらも、同じ人。
 だけど、私の中ではその両方が、どうにも、重ならない――重ねられない。
「…どうしたィ?」
「……人間は、難しい……」
「姐さんだって人間だろ」
「…うん……でも、私の中、獣、たくさん、居るし、ずっと、野生で、生きて、きた、から」
 だから、慎十郎の言う通り私も人間なんだろうけれど、『人間』がわからないことはよくある。

 わからないこと。
 人間、だけじゃない。
 …ううん、人間、なのかもしれないけれど。
 でも。
 違う気もした。

 ――――――思い浮かぶのは『あの人』のこと。

 …『あの人』は。
 人間でも、獣でもないみたいな。
 どちらとも考えてみたけれど、何だか、私の知ってるもののどれとも違ってて。
 でも、魔と言うにも、ちょっと、首を傾げた。

「龍樹の、殺しは……人の、獣の、それ、超えてる……」

 口に出した、途端。
 慎十郎が瞠目した。
 息を呑んだのもわかった。
 …言っちゃいけないことだったのかな、と思い、少し焦る。
 それで、窺うように慎十郎の顔を見たら、慎十郎は何か諦めたように頭を横に振っていた。
 さっき――ここに来た初めの時に見た慎十郎の笑い方と、同じ、感じがした。
 何か、悩んでいるような。
「慎、十郎?」
「…そういや姐さんはあいつとやり合ったんだったな」
「……うん。………………どうして、龍樹、殺すの、かな……どこまで、殺すの、かな……」
 慎十郎は目を閉じている。
 そのままで、ただ、私の言葉を聞いている。
「……どうして……龍樹、殺すの、気になるの、かな……変、だよね……」
 私が、気にする必要なんかない筈なのに。
 あの人が――龍樹が、誰を殺そうが。どれだけ殺そうが。
 自分以外の、自分の周囲に関係のない、獣のことなんか。
 気にする必要なんかない筈なのに。
 危険な相手と思えるならば、避ければいいだけなことの筈なのに。
 どうして私はこんなに龍樹のことを気にしているんだろう。
 今まで、こんな風に――他の人の、他の獣のすることを気にしたことなんかなかった筈なのに。
 …気にする必要なんか、ない筈なのに。
「…別に、変じゃねぇよ」
「そう、かな……?」
「袖擦り合うも多生の縁ってな。他人の事も気になっちまう事があんのが人間ってもんだ」
「袖?」
「…。…あー、わからねぇか。ここソーンだしな。…何つぅかな、偶然その時ちょっと会っただけみてぇな奴でも関わり合いがあると思えば関わり合いはあるもんだ、とでも言やぁいいかな」
「私……自分が、龍樹と、関わり、ある、思ってる……?」
 そんな風には思っていなかった――自覚していなかった。
「やり合ったんなら充分だろ。その上に野郎が手前の事を姐さんに話しまでしてる。充分関わり合いはあるって言えるさ」
「そうなの……かな」
「ああ。おれはそこまで聞かされちゃいなかった。正直、姐さんが羨ましいくらいなもんさ」
 と。
 そこまで言ったところで、慎十郎が口をつぐむ。
 同時に、慎十郎は刺すような鋭い視線を入口の扉に向けていた。
 途端、失礼した、と扉の向こう側から野太い男の人の声が聞こえてきた。
 続いて、扉が開けられる。
 扉の向こう側にいたのは、私の見た目より幼いくらいの女の子だった。
 …と、思ったのだけれど。
「盗み聞きをするつもりはなかったのだが……」
 その女の子が話す声が、そのまま扉の向こう側から聞こえてきていた野太い男の人の声だった。
 女の子じゃなかったんだ、とすぐわかる。
 肩辺りの長さで無造作に切り揃えられた銀髪に、青い瞳。肌の色は褐色で、顔には鼻の上を斜めに横切るように大きな傷跡が一つある。よく見ると、大きな襟のある直線的な形の――動き易そうな軽装から伸びた手足にもたくさん傷痕があった。腕には何度も洗って繰り返し使っているような包帯まで巻かれている。
 とても、痛々しく見えた。
「大丈夫……?」
「?」
 きょとんとされた。
 そのままで暫く止まる。
 反応がない。
 …だから、また口が足りなかったかと思い、言葉を継ぎ足した。
「腕とか、足の、傷」
 そこまで言って、この人は、ああ、とやっと気付いてくれた。
「…これは、もう、治っているものだ。問題無い」
「そう……なら、いいん、だけど」
 ほっとする。
 と、その人からまじまじと見つめられた。
 何だろう、と思う。
 思ったところで、慎十郎の声が割って入ってきた。
「そういや今日来る約束になってたか。外に居たなら一声掛けろよ」
 その声を聞き、その人は慎十郎の方を見る。
「…済まない。どうも…声を掛け難くてな」
「んな気ィ遣うんじゃねぇよ。余計な話をしてたのはこっちだ」
「…俺が聞いてしまってもいい事だったのだろうか」
「何処から聞いてた?」
「りゅうじゅ、やら、殺し、がどうこうと言う辺りからだ」
「そうか。まぁ構わねぇよ。龍樹のこたァ特に隠してる事でもねぇし。…姐さんの方は聞かれてまずかったかい?」
 慎十郎にそう振られたところで、後から入って来たその人――たぶん、お客さん――もまた私を見る。
 答えた。
「…ううん。…別に、私の、こと、だから」
 私は、龍樹の殺しが気になっているだけのことで。
 別に何も隠すことじゃない。
 私のその答えを聞いて、お客さんは頷いて来る。
「そうか。…なら良かったが」
 頷いたお客さんの様子は、何となく、ほっとしたように見えた。
 かと思うと、慎十郎は少し前屈みになって、体重を掛けるようにして作業机に手を突いている。
「じゃ、ちょっと待ってな。持ってくる」
 おもむろにお客さんにそう言いつつ、慎十郎は作業机の前から腰を上げ、立ち上がっている。
 と、お客さんの方がそんな慎十郎を呼び止めつつ、私を見た。
「いいのか? こちらの方の用件が済んでいないのでは――」
「いや、済んでる」
 言いながら、慎十郎は店の奥の方に行ってしまう。
 思わず、目を瞬かせた。

 …あれ?

 用件、済んでるって……それは、耳飾りの留め具、直してはもらえた、けど。
 でも。
 代金を払っていない。
 払っていない以上、用件は済んでいない。
 改めて訊こうとした時には、慎十郎の姿はない。
 …反応に遅れた。
「どうかしたのか?」
 気が付いたら、お客さんに顔が覗き込まれている。
「えっと…まだ、お金、払って、ない…あ、でも、それだけ、だけど」
 手渡された――まだ手に持っている耳飾りを見下ろす。
「それか」
「うん。……留め具、直してもらった」
「……俺は愛剣の研ぎを頼んでいてな。受け取りに来た」
「そうなん、だ」
「ああ」
 お客さんは頷いてくれた。
 お客さんが頷いたところで、大きな剣を持って慎十郎が部屋の奥から戻ってくる。
 戻ってきてすぐ、慎十郎はその大きな剣をお客さんに差し出した。
 …お客さん自身の身長程もある、大きな剣。
「確かめてくれ」
 促されると、お客さんは一度頷いてから当然のようにその大きな剣を受け取り、鞘から剣を抜く。
 抜いたところで、お客さんは暫くじっとその剣を見ていた。
 動かない。
 …何となく、私もじっと見ていてしまう。
 暫く経ってから、お客さんは剣を鞘に戻した。そして、その鞘に納めた大きな剣を、背負う形にしてベルトで留めている。
 それから、お客さんはお客さん自身が持っていた短剣と、何か中身の入った小さな巾着袋を慎十郎に手渡していた。慎十郎の掌にその巾着袋が置かれた時の微かな音で、中身がお金だと気が付く。慎十郎は受け取った短剣を当然のように作業机に置いてから、巾着袋の方を一度お手玉するように手の中で弾ませた。
「…毎度あり」
「…。…これだけの腕でこの代金では安価いのでは」
「そうか? 本業じゃねぇ以上はそれ程取れねぇよ。…つぅかな、実を言うとエルザードの相場がどんなもんだかまだよくわからねぇってのもある」
「……事と次第によっては今回の代金と腕前の差額分は支払える、ただし労力で」
 お客さんがそう言ったところで。
 慎十郎はちょっとびっくりしたようだった。
「お前」
「……懐に余裕がないのでな。勿論…そちらの事情に無暗に立ち入る気はない。だが、『偶然その時会っただけのような者でも、関係があると思えば関係がある』のだろう?」
「…」
 それは。
 さっき私に、慎十郎が言っていた、こと。
 さっきこのお客さんが、聞いてしまったと言っていたこと。
 このお客さんは、今、顔を合わせただけ。それでも、関わり合いがあると思えば関わり合いがある。…だから、何か、慎十郎が悩んでいるなら、その助けにもなれるかもしれない、と申し出た。
 …このお客さんが言っているのは、そういうことなのだろうか。
 よくはわからないけれど、そんな気はした。
 その言葉だけを残して、お客さんは踵を返し入口の扉に向かっている。その途中で私にも軽く頭を下げてから、お客さんは家屋を出た。
 私はその姿をまた、ただ見送ってしまう。
 …頭を下げられたのに挨拶を返すのを忘れてしまった。
 そのことに少し後悔していると、慎十郎から声を掛けられる。
「姐さん、まだ何かあるのかい?」
「えっと…代金、まだ、払って、ない」
 耳飾りの、修理代。
「あ? 要らねぇよ。その程度」
「…え?」
「…それで黙って待ってたのかよ。悪かったな。気ィ遣わせて」
「…ううん、そんなことない、けど」
 別に、気を遣ってたわけじゃ、ない。
 まだ手に持ったままだった、直してもらった耳飾りに目を落とす。
 代金を払ってからにするべきだと思っていたから、付けていなかった。
 だから、要らないと言われてから、元通り、右耳に付け直してみる。
 …使用感も特に変わらない。
「きついとかゆるいとかあるかい?」
 耳飾りを付けたのを見て、慎十郎はそんな風に訊いてくれる。
 頭を横に振った。
 きつくもゆるくもない。ちょうどいい。
「大丈夫。…有難う」
「どう致しまして」
「…私、また、ここ、来るかもしれない」
 関係があると、思っていいなら。
 龍樹や、慎十郎と。
「ん?」
「今の、お客さん、と、同じ。……私に、できる、こと、ある、なら」
 私が何かすることで、慎十郎が――龍樹が、『殺さなくて済む』ようになるのなら。
 二人が、周りの人を悲しませないで済むのなら。
 ただ気にしているだけじゃなく、ただとめようとするだけじゃなく、もっと他に、私が何かをすることで。
 変えられるなら。
 変えてもいいなら。
 そうしてみたい。
 …思っていると、慎十郎がこちらをじっと見つめてくる。

 そのままで暫く経ってから。
 慎十郎が口を開いた。
「………………そん時は、頼まァ」
 言われて、
 頷く。

 それは、殺しに行くのを手伝う気は勿論ない。そういう意味での助けじゃない。
 私がしたいのは、それらとは逆のこと。
 慎十郎もそのことはわかっている。
 わかった上で、その時は頼むと言ってくれた。

 なら、そうしたい。
 私にも、私でも、何かできることがあるのなら――助けになれるなら、助けになりたいのかもしれないから。
 慎十郎や――龍樹の。

【了】

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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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 ■整理番号/PC名
 性別/年齢/職業

■視点PC
 ■3087/千獣(せんじゅ)
 女/17歳(実年齢999歳)/獣使い

■同時描写PC
 ■3434/松浪・心語(まつなみ・しんご)
 男/12歳(実年齢19歳)/傭兵

■NPC
 ■夜霧・慎十郎

 ■佐々木・龍樹(名前のみ)
 ■舞(〃)
 ■風間・蓮聖(〃)

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          ライター通信
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 いつも御世話になっております。
 今回は【炎舞ノ抄】四本目の発注、有難う御座いました。

 で、ノベル内容ですが…今回、他PC様と同時描写になっております。とは言っても店先でのニアミス程度、互いに名前を知らない程度のやり取りになってますが。そんな訳で相手様の名前の描写もノベル本文中には無いと言う…。どうやら御二方には過去に御面識は無さそうだと見ましたので。ともあれそんな訳で、同時描写の方――松浪心語様版のノベルも見て頂けると、千獣様が松浪心語様からどう見られていたかが描写されていたりもしますので、合わせてどうぞ。

 千獣様の中でこれまでぐるぐるされていた疑問についての慎十郎の答えはこうでした。但しこれで千獣様の疑問が晴れたかとなるとどうなんだろうとも思うのですが…一応、その辺の決着は付いたような終わり方にさせて頂いてしまいました。
 ちなみに前回『夜陰』では敵対フラグが立ったような終わり方でしたが…慎十郎の方は案外気にしていなかったようです。いや、それなりに気にはしているのでしょうが、その時はその時今回は今回と割り切っているような感じでした。
 全く腹芸が通じない千獣様が相手だったからこそかもしれません。慎十郎は何だかんだで結構お人好しなので。

 如何だったでしょうか。
 少なくとも対価分は満足して頂ければ幸いなのですが。

 では、また機会を頂ける事がありましたら、その時は。

 深海残月 拝



■追記:耳飾りの件ですが大変失礼致しました。何故か両耳付けているものと思い込んでしまっていたので、左右の別はあまり考えておりませんでした。申し訳ありません(謝)。…そして同時に修正依頼を頂いた事でそれ以上に致命的な己のボケの修正にも繋がりました(汗)。本当に有難う御座いました!(え)
 今後も何かありましたらお気軽にお声掛け下さい。些細な事であっても。はい。