<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


【炎舞ノ抄 -抄ノ弐-】昼に訪れ

 入る事は滅多にないけれど。
 街では色々と食事処を見掛ける事も多い。

 勿論、知ってはいる。
 興味を持つ事もない訳ではないけれど、そういった店で食事をする場合は明らかに自炊よりも高価くつく訳で…節約の為もあり、あまり入らない。
 仕事の最中であるとか、状況によってはそんな店など気にもしていられないとも言える。
 …とは言え、全く興味がない訳ではない。
 …無視をしているつもりもない。
 …そんな店に入る事もない訳じゃない。
 けれど、白山羊亭や黒山羊亭のような『別件』で縁のある場所でもない限り――どうしても縁遠くなってしまう場所、である事も確かである。
 なればこそ、たまに街中で昼食を取ろうと思い立ったりすると…どの店にするべきか結構いつまでも決められなかったりする訳で。
 既に何軒か店を物色しているのだが、これと言った他の目的がない事もありどうもいまいち決め手が見付からず、まだ迷っている。はっきりした目的さえあれば悩む事などないのだが。…例えば、ただ食事と言うだけの目的ならば食べられさえすれば何でもいい訳で、それこそ街中まで出てくる理由はない――それでも出て来たならば一番初めに覗いた店に入ればそれだけでいい事。…けれど、折角街中まで来た訳なのだからどうせなら美味い物を選んで食べたいとも思う。それでは一番初めに覗いた店、と言うだけでは判然としない。色々な要素から考えて何軒か物色する必要もある。…それに、できる限り安価い物を、と言う事も重要か。…何処かいい店があれば義兄や皆に教えたいとも思うし。いや、そうやって考えがブレているからこそ、この俺は今日の昼食一つまだ決められないと言う事か。
 うーむ、と唸ってしまう。
 …いつも街中で食事を取っている者なら、こんな時もすぐに決められる物なのだろうか。
 思いながら歩いている。
 不意に擦れ違う通行人の声が耳に入った。
「…ホントに切れ味良くなったよ。あの風体だからちょっと不安だったんだけどな」
「だから言っただろ。あの職人相当やるぜ」
「みたいだな。…この出来で本職じゃないってんだろ? じゃあ本職の方ならどんなだよ、ってもんだよな。本職は日本刀の金具作りっつったっけ? …日本刀ってどんなん?」
「あの職人みたいな風体してる異界人の剣士が持ってる事が多い、ちょっと変わった剣の事だよ。ぱっと見片手剣みたいな、細身で片刃に浅く湾曲してる両手剣で…柄のところとかすげえ華奢な作りなのな、でもその代わりに切れ味がすげえ良くて、ごてごて飾りが付いてるって訳じゃないのに妙に綺麗なのが多いんだよ。装飾無くても剣身自体がもうな」
「ふーん。今度どっかで見たらチェックしとこ。俺でも使えそうだったら手に入れてみたいし。…そしたらあの職人の本職の腕も拝めるかも知れねぇしな」
「おいおい。そこまで気に入ったかよ」
 そこまで言ったところで、笑い声。
 聞いてから一拍置いて、思わずそちらに目をやる。

 切れ味良くなった。
 あの職人相当やるぜ。
 ………………どうやら剣に関わる会話。

 反射的に自分の身に寄せて考えてしまった。
 何故なら、ちょうど――愛剣の切れ味が鈍くなってきているところだったから。
 背に負った当の愛剣の重みで、その事を思い出す。
 …研磨の技で、噂される程に腕利きの職人だと言うのなら。
 預けてみるのもいいかもしれない。
 思い、その話をしながら俺の脇を通り過ぎたその二人組に、振り返って声を掛けた。
「済まんが、ちょっといいか?」
「ん? …って…今の声あんたか?」
 軽く、驚かれた。
 …声と外見の印象差に驚かれる事はよくある。初めての事じゃない。
 いつもの事と流す。
「ああ。聞かせて欲しい事がある」
「…。どうしたィ?」
「…いや。今話していたその職人と言うのは…」
 と、俺が言い掛けたところで、二人組の片方が目敏く俺が背に負う愛剣に目をやっていた。
 かと思うと、訳知り顔で自分たちが来た道を指す。…今自分たちが話していた内容、それと俺の得物を見、俺が何を聞きたいのか察したらしい。
「ああ、そこの道真っ直ぐ行ったところだ。看板が無ぇのが逆に目印になってる」
「そうか。有難う」
「どういたしまして、っと」
 にやりと笑いつつ軽く返し、その二人組は俺の前から去って行く。

 俺は道の先、二人組の指した方向に意識を向けた。



 …あった。
 看板のない店。
 基本的にこの通りにある建物は何らかの店舗である事が多いから、確かにそれで逆に目印になる。
 呼び鈴も何もない。
 まず、扉を叩いてから声を掛けた。
「間違っていたら済まんが、剣の研ぎをやってもらえると言うのはここだろうか。看板のない店と聞いたのだが」
「ん、ああ…研ぎもやる事はやるが。入りなよ」
 中からはすぐに声が返る。
 その声を聞き、扉を開けようとした手が何故か一旦止まってしまう。
 …何か、予感がした。
 予感の正体がわからない。
 けれど、この場で何も躊躇う必要などない筈だと思い直す。実際、こちらの用件を告げたら特に問題も無く招かれている。それに、先程話を聞いた二人組の通行人もここに来ていた筈なのだから。
 思いながら改めて扉を開け、中に入る。

 …入ってすぐに気が付いた。
 予感もする訳だ。
 いや、予感と言うより、声を聞いた時点で自分でも意識しないまま感覚の方だけで気付いていたのだろう。
 …俺は声の主を――ここの店主を知っていた。
 先日遇った『影法師』。

 店主はこちらを見てもいない。
 作業机に向かい、何らかの細工の途中らしい金属を工具で細かく打ち叩いている。かつかつかつと短い間隔で音が響いている。
 一段落着いたかと見えたところで、漸く店主の顔が上げられた。
 少なくともその時点で、店主の方でも俺の事に気付いていなければおかしい。
 けれど、特にそれらしい反応は無かった。
 ただ、何か妙に悩んでいるような様子には見えた。その悩みがあるからこそ、今ここに居るのが先日夜道で遇った俺であると言う事実などどうでもよくなっているような。
 俺との面識をわざわざ『無かった事』にしようとしていると言うより、そんな風にも見えた。
 まぁ俺の方でも、忘れろと言われた以上忘れたままでいるのが礼儀とは思っているが。…そして『初対面』の相手の悩みに踏み込むのも、礼儀に適うとは思っていない。
 だから、悩んでいるらしいその様子には気付かぬ振りをする。
「研ぎって言ってたが、それかい」
 と、店主は軽く顎をしゃくって俺を指す――俺の背中の剣を指し示してくる。
 頷いた。
 愛剣を背に吊っているベルトから外し、鞘ごと捧げ持つように手に取る。
「ああ…本来の仕事でないなら済まないが…この剣は、俺の大事な兄貴分でな…可能なら、頼む」
 言ったところで、店主は少し怪訝そうに眉根を寄せたようだった。
 が、それは気のせい程度の間の事で、見間違いだったかと思える程すぐに元に戻っている。
「…見せてみな」
 言いながら、店主は机の前から立ちこちらに近付いて来る。無造作に差し出された手に、俺は愛剣をそっと手渡した。差し出された手は無造作だったが、刀剣を扱う職人らしく受け取り方は丁寧で確りしていた。店主の手に渡った愛剣はその場で鞘から抜かれる。…俺の身長程もある、幅広の両刃剣。
 店主は鞘から抜いた剣身を舐めるようにくまなく見ると、軽く頷きつつ剣身を鞘に納めた。
「これなら受けられる。…少し日数がかかるが、それで良いなら」
「…頼む」
「わかった。じゃあ、代わりの希望はあるか?」
 ?
「…代わり?」
「日数がかかると言ったろ。その間得物無しでいる気かよ」
 …ああ。
「それは…問題ない」
 実際、俺が一番得意とする戦闘手段は素手格闘になる。
 愛剣の――『まほら』の代わりにできるようなものなどない。
 代わりの得物など要らない。
 だからこそ問題ないとそう言ったのに、店主はその場に俺の愛剣を置くと、店の奥に引っ込んでしまう。
 かと思うと、大きな行李を肩に引っ掛けてすぐに戻って来た。
 その行李を俺の前に置くと、おもむろに蓋を開ける。
 …中には大小様々の刀剣類が入っていた。
「選んでくれ」
 当然のようにそう言って来る。
「だから…」
 要らないと。
 そう続けようとするこちらを遮るように、店主は続けてくる。
「…あんたの『大事な兄貴分』預らせてもらうんだ。何の質も無しって訳にゃ行かねぇよ。一見なら余計にな」
 言われ、返答に躊躇った。
 わからない言い分でもない。…仕事の信用にも関わる、と言う事なのだろう。
 けれどそれ以上に、店主の態度の全てが言っている気がする。

 ………………あの夜あんな場面でまみえた自分に、そんな大事な剣の研ぎを任せていいのか、と。

 勿論表立ってそんな素振りを見せる訳でもない。むしろ一見であると――今が初対面であると強調しているような言い方をしてはいる。先程一度怪訝そうに眉根を寄せていたのは、恐らく俺がこの剣の事を『大事な兄貴分』と言ったから。一歩間違えれば刃を交えかねなかったあの時の相手と知ったにも拘らず、研ぎの為とは言えそれ程信頼を置いている主武器を預けようとしている事が怪訝だったのだろう。
 そして同時に俺が本当に初対面を通そうと――忘れろと言われた通りにしている事も知り、両方合わせて相応に応える為にわざわざ代用武器を渡そうとしているようにも感じられた。
 ならば、ここは借りておくべきか。
 思い、行李の中を見る。
 短剣から大剣、槍のような長柄武器まである。形も様々。見慣れたものから見慣れないものまで。大小合わせて十五本前後あったかもしれない。
 取り敢えず、手に馴染みのいい柄を具えている、取り回し易そうな手頃な短剣を取り出してみた。試しに鞘から抜き、刃を見る。
 …息を呑む思いがした。
 こんな小品であって、これか。
 思わずそのままじっと見入ってしまう。
 不覚ながらどのくらいそうしていたかわからない。我に返った時はもう、結構経ってしまっているようだった。
 その間、店主は何も言って来ていない。場所を動いてもいない事に気付く。
 店主の顔を見る。
 見たそこで、口許だけでにやりと笑われた。
 その顔を見た時点で決める。
 俺は抜いた短剣を鞘に納めた。
 鞘に納めただけで、行李には戻さない。
「…これでいい」
 元々、実用面を考える限りは選ぶ必要などない。…俺にとってはどれでも同じ。
 ならば、今見せてもらったこれでいい。

 ――それから俺は研磨完了の予定日と代金は幾らになるかを聞き、早々に店主の前から辞する事を選ぶ。元々街中に出て来た目的は昼食であり、剣の研ぎを頼もうと思い立った事の方が不意の事。
 結局、金銭面でも味の方でも無難そうな小料理屋を見付け、そこに入る事で昼食の用を片付ける。…予想していたより美味かったので一応店の名前を覚えておく事にする。
 先程質代わりに借り受けた短剣はテーブル上、料理の皿の横――何か事が起きればすぐ手の届く位置に置いておいた。…必要ないと思っていた筈なのに、どうやら俺はこの短剣も使ってみようかと言う気になっている。
 料理を口に運んでいて、そちらにまた目をやってしまう。
 …この短剣自体はあの店主の手によって作られた物ではないだろう。あの笑みからして恐らくは、研ぎだけ手掛けた物なのだろうと思われる。…あの店主とこの短剣は――何と言うか、『色』が違う。けれどその違っている筈の『色』の『良さ』が、研ぎによって最大限引き出されているような仕上げになっている。
 あの通行人の言。…絶賛もする訳だ。
 納得する。

 ………………約束の日が、楽しみになった。



 店の中から話す声がした。
 愛剣の研磨が完了すると言う約束の日。店の前までやって来ては見たものの、その声が聞こえた時点で中に入るのを――店に来訪の意を伝える事自体、躊躇った。
 まず聞こえた声は、女性。
 たどたどしい話し方からは妙に幼さを感じる。けれど声の質はそうでもない――いや、そうではなくて。
 その話の内容が。
 その声から読み取れてしまう、声の主の持つ気の感触が。
 俺に、店の中に入るのを躊躇わせた。

「――――――…の、殺しは……人の、獣の、それ、超えてる……。………………慎、十郎?」
「…そういや姐さんはあいつとやり合ったんだったな」
「……うん。………………どうして、龍樹、殺すの、かな……どこまで、殺すの、かな……どうして……龍樹、殺すの、気になるの、かな……変、だよね……」
「…別に、変じゃねぇよ」
「そう、かな……?」
「袖擦り合うも多生の縁ってな。他人の事も気になっちまう事があんのが人間ってもんだ」
「袖?」
「…。…あー、わからねぇか。ここソーンだしな。…何つぅかな、偶然その時ちょっと会っただけみてぇな奴でも関わり合いがあると思えば関わり合いはあるもんだ、とでも言やぁいいかな」
「私……自分が、龍樹と、関わり、ある、思ってる……?」
「やり合ったんなら充分だろ。その上に野郎が手前の事を姐さんに話しまでしてる。充分関わり合いはあるって言えるさ」
「そうなの……かな」
「ああ。おれはそこまで聞かされちゃいなかった。正直、姐さんが羨ましいくらいなもんさ」

 女性の声だけでなく店主の声も――店主の気の感触にも、立ち入れない――何か、立ち入ってはいけないものを感じてしまう。
 …先日感じた店主の『悩み』に関わる話だろうか。
 そんな気がした。

 が。
 今の時点で店主に俺がここに居る事を気付かれた。
 扉越しでもすぐわかる。
「…失礼した」
 一言声を掛けてから、店の扉を開ける。
「盗み聞きをするつもりはなかったのだが……」
 と。
 そう言いながら中を見たら、相対して店主と話していたのだろう位置、黒く長い髪を無造作にマントの上に――背に流している女性が居た。俺が扉を開け中を見ると同時に、店主と彼女もこちらを見て確認している。
 佇む彼女の風体に、少々目を奪われた。
 マントの下、動き易そうな軽装の上に、包帯状の呪符らしきものを執拗なくらいぐるぐると全身に巻き付けている。それから短冊状のやはり呪符らしいものを身体のあちこちに提げてもいる。頭部にまで――片目が隠れてしまうようにさえ包帯状のそれらが巻かれているのが見えた。
 女性と言ったが、ドア越しの声から感じた印象もあるのか、どうも印象は『少女』と言った方が合う気がしてならない。…体形も鑑みる限りは、女性と言った方がいいのかもしれないが。
 ともあれ、そんな彼女の赤い瞳が、何故か、じっとこちらを見ている。
 かと思ったら。
「大丈夫……?」
 気遣わしげに話し掛けられた。
 …?
 何がだ?
 本気でわからない。
「腕とか、足の、傷」
 ああ。
 言われて初めて気付く。
 確かに、俺の身は傷痕だらけではある。
 が。
「…これは、もう、治っているものだ。問題ない」
「そう……なら、いいん、だけど」
 少し、驚いた。
 彼女の言うその傷は、数多の戦いの中で、俺の身に付いた傷痕。そんな事を今ここで、初対面の人物に気遣われると言う事に意表を衝かれる。
 それも、彼女のその目や纏う気を見る限りは、本当に純粋に、真剣に初対面の俺の事を案じているようで。俺が治っているから問題ないと言ったら、途端に本気で安堵されていた。気の動きでそのくらいは察しがつく。

 ――――――この彼女は。

 思わずその顔を見返してしまう。
 と。
 割り込むように店主の声がした。
「そういや今日来る約束になってたか。外に居たなら一声掛けろよ」
 思ったより、軽い声。
 この少女が居るからだろうか。
 ともあれ、ここは間違いなく立ち聞きしてしまった俺の方に非がある。
「…済まない。どうも…声を掛け難くてな」
「んな気ィ遣うんじゃねぇよ。余計な話をしてたのはこっちだ」
 余計な話。
 扉越しに聞こえてしまった話の事だろう。
 殺すだの何だのと穏やかではない話に聞こえた。けれど、以前俺が店主と夜道で相対した時のような――日常の延長、日々の生業に絡むような話とは何か違って感じた。りゅうじゅ、と言う男の名と思しき名詞が聞こえもした。人も獣も超えているとも。そしてこの彼女はその男と戦った事がある――話した事もあるとか。…どうして殺すのか何処まで殺すのか。自分が気にする事は変ではないかと店主に聞いたら変じゃないと言われていた。関わり合いがあると思えば関わり合いはある。店主がこの彼女を羨ましいとさえ思う――。
 …正直、何の話だかよくわからない。
 けれど、何か深い事情があっての話だ、とだけは察しがつく。
「…俺が聞いてしまってもいい事だったのだろうか」
 確かめる。
「何処から聞いてた?」
「りゅうじゅ、やら、殺し、がどうこうと言う辺りからだ」
 素直に答える。…隠すつもりも誤魔化す気もない。
 店主は拍子抜けするくらいあっさりと頷いた。
「そうか。まぁ構わねぇよ。龍樹のこたァ特に隠してる事でもねぇし。…姐さんの方は聞かれてまずかったかい?」
 店主は科白の後半で少女の方に話を振る。
 と、振られた少女も横に頭を振り否定していた。…やはり、何処か幼い仕草で。
「…ううん。…別に、私の、こと、だから」
 私の事。
 その言い方にも軽く驚きを覚えた。
 この少女は、自分の事ならば聞かれてまずい事は何もない。本心からそう思っているように聞こえたから。その事自体には安堵したが、先程聞こえてしまった話の内容は――俺にはそう言い切れるものでもないと思えたのに。
 その間、店主は少女の事を何処か気遣わしげに見ている。
 少女の方は気が付いていない。
 店主が一度目を伏せている。
 少女は真っ直ぐ俺を見ている。
 俺は、相手に――特に少女に対し、確り見えるよう頷いてみせた。
「そうか。…なら良かったが」
 と。
 俺が答えたところで、店主は作業机の前から大儀そうに腰を上げ立ち上がっている。
 立ち上がり様、声を掛けられた。
「じゃ、ちょっと待ってな。持ってくる」
 当然のように言われ、立ち上がった店主の顔を思わず見返してしまう。
 何を持ってくるのだかはすぐわかった――研ぎを頼んだ俺の愛剣。
 けれど。
 いいのだろうか。
 少し焦り、店主を呼び止める。
「…いいのか? こちらの方の用件が済んでいないのでは――」
 今あんたと話していたこの少女の。
 …そう思ったのだが。
「いや、済んでる」
 あっさり言い残し、店主はそのまま部屋の奥に引っ込んでしまう。
 結局、俺とこの少女の二人だけがその場に残された。
 少女は数度目を瞬かせると、何故か途方に暮れたような顔をしている。
 …やはりまだ用件が終わってなかったのか?
 気になって声を掛けた。
「…どうかしたのか?」
「えっと…まだ、お金、払って、ない…あ、でも、それだけ、だけど」
 手に持っている耳飾りを見ながら、少女は言う。
「それか」
 耳飾り。
「うん。……留め具、直してもらった」
「……俺は愛剣の研ぎを頼んでいてな。受け取りに来た」
「そうなん、だ」
「ああ」
 頷く。
 頷いたところで、店主が奥から戻ってきた。
 俺の愛剣を持っている。
「確かめてくれ」
 差し出され促されたところで、今度は店主に対し一度頷き、丁寧に受け取る。
 鞘を払い、剣身を確かめた。

 ………………借り受けた短剣の仕上がりからして、ある程度の予想はしていたが。

 それでも、目を奪われた。
 俺はどれだけそうしていたかわからない。
 これは、愛剣も、さぞかし喜んでいるだろう。
 思いながら鞘へと納める。鞘へ納めたその愛剣を、たすき掛けにしていたベルトに留めて元通りに背負う。
 それから、代金を入れた巾着袋と借り受けた短剣を取り出し、店主へと手渡した。
 店主は受け取った短剣を作業机に置いてから、代金の入った巾着袋を一度お手玉するように手の中で弾ませる。
「…毎度あり」
 袋の中身を確かめもしない。
 この場で確かめる気もなさそうに見える。
 それは俺は代金を誤魔化している訳でもない。研ぎを頼む際に言われた通りの金額を持ってきてはいる。が、普通、確かめるものではないのだろうか。それ程客を信用すると言うのか?
 …いやそもそも、それ以前に。
 予め言われていた金額自体に疑問が残る。
「…。…これだけの腕でこの代金では安価いのでは」
 相応の対価と言うものは、ある。
 が、店主はあまり気にしていないように小首を傾げていた。
「そうか? 本業じゃねぇ以上はそれ程取れねぇよ。…つぅかな、実を言うとエルザードの相場がどんなもんだかまだよくわからねぇってのもある」
 …。
 どうやら街の相場についてはまだ俺の方が詳しいと見ていいらしい。
 違う意味で不安になった。
 ………………この男、相当客にぼったくられてる可能性あるんじゃないだろうか。
 いや、余計なお世話なのかもしれないが。
 …だが、俺はできれば相応の対価を払いたい。
 払いどころなら、ありそうだ。
「事と次第によっては今回の代金と腕前の差額分は支払える、ただし労力で」
 金で、と言えないのは申し訳ないが仕方ない。
 それにこの店主の場合、逆に対価は金でない方がいいのかもしれない。
 …例えば、先日感じた店主の『悩み』に関わる事。
 …例えば、先程扉越しに聞こえてしまった話に関わる事。
 俺の手で――俺の信念に照らして適う事で、何かできる事があるのなら。
 言って欲しい。
 言外にそう含めて言うと、店主は意外そうにこちらを見ている。
「お前」
「……懐に余裕がないのでな。勿論…そちらの事情に無暗に立ち入る気はない。だが、『偶然その時会っただけのような者でも、関係があると思えば関係がある』のだろう?」
 聞かなかった事にしろとは言われなかった。
 だから、そのまま借りて言っておく。
 ここまで言わずとも店主にはこちらの意は通じているとは思うが、一応。

 それだけを残し、店を出る。
 店の扉に向かう途中で、先に居た客である少女に軽く会釈した。
 俺の身の傷痕を――店先で偶然会っただけである俺の身などを気遣ってくれた謝意を込めて。

 店を出て扉を閉めてから、俺は振り返る事もなく通りを歩き出す。
 背に負った愛剣の重みに促された気がした。
 それで、声には出さず意志だけを残す事にする。

 ………………また、いずれ。

【了】

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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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 ■整理番号/PC名
 性別/年齢/職業

■視点PC
 ■3434/松浪・心語(まつなみ・しんご)
 男/12歳(実年齢19歳)/傭兵

■同時描写PC
 ■3087/千獣(せんじゅ)
 女/17歳(実年齢999歳)/獣使い

■NPC
 ■店主(=夜霧・慎十郎)

 ■佐々木・龍樹(名前のみ)

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          ライター通信
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 再びの発注どうもです。
 先日はこちらこそお世話になりました。
 今回は【炎舞ノ抄】二本目の発注、有難う御座います。

 で、ノベル内容ですが…取り敢えず剣の研磨って結構時間がかかるものだったのではと思い、そんな感じでノベル内で随分と時間が経った事に…日数跨いだ事になっております。
 そして今回、その随分と時間の経った後に、他PC様と同時描写になっております。とは言っても店先でのニアミス程度、互いに名前を知らない程度のやり取りになってますが。そんな訳で相手様の名前の描写もノベル本文中には無いと言う…。どうやら御二方には過去に御面識は無さそうだと見ましたので。ともあれそんな訳で、同時描写の方――千獣様版のノベルも見て頂けると、松浪心語様が千獣様からどう見られていたかが描写されていたりもしますので、合わせてどうぞ。

 松浪心語様には慎十郎に対して色々お気遣いを有難う御座います。研磨の腕を見込んで頂けたようでしたが…代金を払う時の遣り取りは後の布石と言うか口実だったのか、実際に思って頂けていたのかによって方向変わるよなと一旦悩んだんですが、嘘がお嫌いとの事なので実際に思って頂けたんだろうなと判断してそんな描写に致しました。

 そして相変わらず色々とプレイング外描写も多いのですが(汗)、如何だったでしょうか。
 少なくとも対価分は満足して頂ければ幸いなのですが。

 では、また機会を頂ける事がありましたら、その時は。

 深海残月 拝