<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


仮面舞踏会の夜
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「へぇ……エスメラルダでも、そういうのに興味があるのか?」
 不思議そうに問われて、エスメラルダはむっと顔をしかめた。
「私でも、って何よ。失礼ねぇ」
 明日は居るのかと聞かれて、久しぶりの休みを取って明日の夜はいないのよ、と答えたら、何処かに行くのかとしつこいから話したのに。
「そりゃね、乙女って言うには歳食ってるけれど? こういう舞踏会って、新鮮で楽しみじゃない?」
 不機嫌も露に続けたエスメラルダに、男は慌てて両手を振った。
「いや、そういう意味じゃねぇよ。すまねぇ。気を悪くしたなら謝るからさ……」
「――別に、いいけど」
 怒り覚めやらぬ形相のまま乱暴にカウンターに酒瓶を置くと、エスメラルダは足早に奥に引っ込んでしまう。
 男がまいったなと頭を掻くと、隣の男がため息を付いて馬鹿と言ってくる。どうやら言葉を間違えてしまったらしい。
「……俺も、奥さんに内緒で行ってみるかな……仮面舞踏会……」
 ぽそりと呟いて、男は掲示板に貼られた一枚のポスターを眺めた。

★☆★☆ 仮面舞踏会 ☆★☆★

○月○日 夜8時〜
フィータ公 別荘にて開催!誰でもお気軽にご参加下さい。

 紳士淑女老若男女の皆様、ドレスアップしてお越し下さい。
 仮面につきましては入場の際にお配りしております。勿論、ご持参頂いても結構です。

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Masked ball
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 その日、クレシュ・ラダは朝からルンルンだった。
 というのも、自身が主治医を勤めているフィータ公爵の別荘でのイベントに招待されているのだ。仮面舞踏会という、クレシュにとっては初めて見聞きするイベントだったので、テンションも上がるというものである。
 何よりも、だ。
 そういったイベントにはそれこそ多種多様の種族が集まる。ただダンスを楽しむだけで無く、自身の研究欲も満たされるだろう。
「よぉっし、頑張って準備するぞー!!」
 等と大興奮するクレシュだが、一体何をそれ程準備する事があるのだろうか――。

「クレシュ先生、その格好は一体……?」
 フィータ公はクレシュの装いを見るなり、目一杯顔を顰めた。何時も美しい笑顔を浮かべている公爵夫人の笑みさえ引き攣り、一人娘は背中を向けて笑いを噛み殺している。
「何か変?」
 小首を傾げたクレシュの項から、長い髪が一房胸元に落ちた。
 赤いリボンで髪を一纏めにした彼の顔は、全面を隠すタイプのシルバーボディの仮面。何故か左目に黒い眼帯をしているので視界は更に狭いだろう。襟ぐりの開いたシャツは土汚れが酷い。腰には反り返った短刀を帯び、だぼついたズボンをブーツの中に入れている。その右手は、黄金色の鉤爪の義手。
 何を勘違いしているのか、これではただの海賊の仮装である。
「仮装舞踏会でしょう?」
 彼の誤りは仮装と仮面を取り違えている事だったが――それを指摘できる者はこの場に居なかった。そして何故、誰一人として仮装していない事に気付いてくれないのか、と嘆くばかりの彼らの心中など、クレシュが理解してくれる筈も無かった。

 名乗られた名前はとっくの昔に忘れてしまったが、フィータ公の一人娘のエスコート役を頼まれていた筈だった。
 年頃よりも幾分大人びた胸の開いたドレスに、蝶を模した艶やかな装飾や仮面だったが、それでもふんわりと腰から広がったピンク色のドレスが少女らしい可憐さを醸していた。
 名前を忘れたので、蝶子と仮称する事にした。
 自分の食指の向かない相手ではあったが、それでも頼まれた役目は全うする気で居たのに。
 時間になって蝶子の手を取ろうとすると、フィータ公が慌てた様子で間に入ってきた。
「考えてみましたら、せっかくの夜にクレシュ先生のお手を煩わせるのもご迷惑でしょう? 娘の事など放っておいて構いませんから、ぜひ先生も楽しんで下さい」
「ワタシは別に構わないけど?」
「クレシュ先生程魅力的な方を、引き止めてしまうなんて他の女性に悪いですわ。皆さんきっと先生の誘いを待っているでしょうし」
 夫人もいまだ歪な笑顔を浮かべながら、言う。
 そういわれてしまえば単純なクレシュは満更でも無い。
「……そう?」
 蝶子が残念そうに溜息をついたのが、更に気分を良くさせた。
「じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな♪」

 かくしてフィータ公と夫人は、娘に変な噂が立つのを未然に防いだのである。



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Shall We Dance?
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 シャンパングラスを片手に、クレシュは獣の様に唸った。
 どうにもこの舞踏会には、シャイな女性が多いらしい。クレシュが声を掛けると真っ赤になって逃げ去ったり、俯いて声を捻り出すのに苦労したり、他の男に嫌々手を引かれていくような場面が多かった。
 それとも、逆に身の程を知っているという事なのだろうか?
 ならばクレシュは、彼女達が萎縮しないように努めるだけだ。
「やあ、そこの美しいお嬢さん」
 目の前を通り過ぎようとするのは、些か恰幅の良い女性。ドレスからまさにはみ出るという表現の正しい顔が、振り向き様ぎょっと固まった。
 美しいというには危うく、お嬢さんと言うには齢が行き過ぎている。
「貴女の美貌はどんな言葉でも言い表せません。ああでもどうか、貴女と踊る栄誉をワタシに与えてくれませんか」
 真面目くさった表情は仮面の下で見えない。どんなに真摯に言い募っても、クレシュが見せた態度がまるで演劇の一部のような大袈裟な調子で、床に膝を置いてダンスに誘う様は、ただからかっているようにしか見えなかった。
 女性は震える唇で
「からかわないで頂戴!!」
そう叫んで去ってしまった。
「……うーん、あんな風に卑屈になってしまうなんて……悲しい事だ」
 残念そうに肩を竦めるクレシュこそが、悲しい。

 その時、調度ダンスの曲が止んだ。ホールでは相手に対して礼を取りながら相手を変える者、二人連れ立ってホールを離れる者が見える。
 その中の一人にクレシュは目を止めた。
 鮮やかな色のドレスの中で、シックな黒いドレスを何とも艶やかに着飾っている。何の模様も無い闇の色のドレスはベアトップの形で、露出した肩は柔らかな曲線を描いている。その代わりに胸元や腕、髪を飾る装飾は金銀鮮やかで、ふんわりと盛られた黒髪の上でシャンデリアの光が反射していた。
 赤いルージュが印象的で、鳥の羽をあしらった仮面の下で笑みを作る口元は何とも妖艶だった。
 まるで男を誘惑する夢魔のようだ。
 クレシュの足が、誘われるかの如く夢魔に向く。
 背中のぱっくりと開いたドレスからは、肩甲骨の隆起が見れる。
「失礼、麗しきレディ」
 背後から、クレシュは少しばかり緊張した面持ちで声を掛けた。
 深く礼を取り顔を上げると、僅かに夢魔の横顔が窺える。耳元で豪奢なピアスがシャラリと揺れた。
「おぉ、貴女はまるで闇夜に咲く月の花。深い森を迷うワタシの道標が如く、気高く美しい孤高の花よ」
 すっと腰を落とし、片膝を立てて夢魔を見上げる。
 夢魔の艶やかな口角がゆっくりと上がる。
「月の女神さえ嫉妬する美貌、おお、おお。どうかその麗しい唇で、ワタシの名を呼んで欲しい」
 大袈裟すぎる美辞麗句を、夢魔は瞬きもせず聞いていた。
「かくも美しき人、どうか今宵一度、ワタシのような下賎の者にも貴女の手を取る至福を味あわせて下さいませんか」
 夢魔に手を差し出しながら、反対の鉤爪の手を胸に当てる。そうしながら、夢魔をまじまじと観察した。
 見る者を虜にして止まぬ、しなやかな身体。色香の漂う白い肌は、汗ばんでしっとりと色づき、まるで砕いたパールを纏う様に輝いていた。細い首の上の整った顔形。
「よろしくてよ」
 夢魔の長い指先には、魔女のような長い爪。
 ――おや?
 女の指がクレシュの手に触れようとしたまさにその瞬間、クレシュは寒気を感じてさっと手を引っ込めてしまった。
「どうかして?」
 小首を傾げる夢魔。
 ――否。
「ひぇっ」
情けない声を上げて、クレシュは立ち上がった。
 とんでも無い人に声を掛けてしまった事に、気付くのが遅すぎた。クレシュにとって、鬼門であるその人。夢魔というより、鬼女という印象を常に抱いていた、酒場の踊り子。
「あわ、あわわわ」
 先程までの態度が一転、獣を前にして奮える小動物のように成り下がったクレシュは、脱兎の如くその場から逃げ出した。
 エスメラルダに声を掛けるなんて!!!
「ちょ、待ちなさいよあんた! 何なの、その態度!?」
 今度ばかりは断って欲しかった。そんな思いで走り出したクレシュの後を、鬼婆――訂正、エスメラルダは追いかけた。



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One way or the other
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 その時のクレシュは、サバンナを逃げ惑う草食動物の如く。
 背後を振り返る余裕も無く、命の限り逃げ延びようとしていた。ホールを飛び出し、玄関を通り抜け、庭先へ出、迷路のようになって庭園に逃げ込み、それでもけして遠ざかる事なく追ってくる、ヒールの音に半ば泣きながら。
「人を誘っておいて、逃げるってどういう了見なのかしら〜?」
「あわわ、わわ」
 捕まったら食われるのではないだろうか、という恐怖が、何時もであれば三秒で根を上げてしまうような全力疾走をクレシュに強いていた。
 ドレスの裾をたくし上げ、鬼の面相で追ってくるエスメラルダ。
 おどけているとしか思えない、海賊に扮したクレシュ。
 見る者は何事かと首を傾げるものの、誰も助けに入らない。
 こんな事なら逃げる前に一曲相手しておけばよかったと思ってみても、後の祭りだ。それすら本能は拒絶して、逃げの一手を取ってしまっていたのだから仕方が無い。
 クレシュは人間業とは思えぬ見事な跳躍で、庭からテラスへと飛び乗った。
「あ、コラっ!!」
 流石にエスメラルダはそれを追えない。遠回りするしか出来ず、脇の階段に向かって背を翻した。
 その間にクレシュはホールの人波に紛れる。
 今日はもう退散した方が良いだろうと感じた彼は、ダンスの中に混じりながら息を整えた。当然踊ってくれるような女性は居ないので、ダンスをしている二人連れの背中にへばりついて隠れる形を取る。
 なるべく目立たない様に、背を低くする。
 ――とは言え、ダンスホールの住人には奇異な視線で見られてはいたが。
 
 けれどこんな時に限って、なのである。
 エスメラルダの目を逃れる為にホールを彷徨っていたクレシュの目は、第二の目的を達する為の目標物を捉えてしまった。
 今しがたまでの恐怖など、一気に消えてしまう。
 ホールを飛び出て、一足飛びに目標に駆け寄った。
 すなわち、研究欲。研究対象。クレシュ・ラダの趣味である異種族への研究。その生命の仕組みに対して、とてつもなく興味を惹かれてしまう。
「ねぇねえ、そこのキミ!」
 興奮に弾んだクレシュの声に、俯きかけていた壁の花が顔を上げた。
 所在無げに壁際に佇んでいたのは、天使種族と思しき純白の翼を背負った、少女。近くのテーブルからシャンパングラスを手に取ると、それを少女に差し出しながら。
「その背中の羽は、どうなってるの?」
 呆気に取られる少女を無視してその身体を反転させると、大きく開いたドレスの背からは、確かに翼が生えていた。心中で感嘆の声を上げながら、その翼を無遠慮に突く。
「あ、本物だ。って事は、キミの種族は天使なの?」
 クレシュにとってこの種族はまさに未知である。大地を踏み締める足を持ちながら、更に天空を飛び回る事が出来る翼を持つという不可思議さ。その白さと同じくらい心根も純真だという。
 こくこくと頷く、少々脅えた表情にクレシュは気付かない。
「これってさ、当然痛覚もあるわけだよね? あ、空って飛べるの? それにそれに、この羽って成長する? 子供の時から比べてやっぱり大きくなるんだよね?」
 等と、あっちやこっちに飛びながら、矢継ぎ早に問い掛ける。
 左右前後から羽を眺め倒す。
「あの……」
 天使の少女は控えめに呟くが、そんな言葉は耳を抜けていってしまう。
「ね、その片羽、切り落としてワタシにくれないかな?」
 出来れば少女自体を解剖でもしたい所なのだが、それは流石に許諾してくれないだろう。少しだけ妥協して、笑顔で請うた。その問いの在り得なさに、少女が瞳を白黒させていることなど知らない。
 ただキラキラと輝く子供のような瞳で、少女の答えを待つ。

 その瞬間、忘れ去っていた悪夢が再来した。

「あ、ちょっとそこのあんた、さっきのっ!!」

 ぴきり、と、笑顔のままクレシュの表情が固まった。
 以外に近い所からその声が聞こえた。
 最早、研究だ解剖だと言っている場合では無くなってしまう。それより死活問題だ。
「ひぇ」
と喉元で悲鳴を上げて、クレシュはエスメラルダの声とは反対方向へ逃げ出した。

 ――のも束の間だ。
 すぐさま腕を取られ、クレシュは逃げ道を塞がれてしまった。壁側へ追い込まれ、左へ向けば左に、右へ向けば右に、エスメラルダの細い腕がそれとは思えない程の力強さで壁を突いた。
「いい度胸してるわね、あんた」
 甘い香りがエスメラルダの身体から立ち上っている。しかし、それが恐怖の産物以外でしかない。
 至近距離にある笑顔は、人を凍り付かせる絶対零度の温度。
「こうなったら、私の気が済むまで付き合ってもらうわよっ!」
 そうしてうーうー唸りながら、首根っこを引っ掴まれて、ホールの中心へと引き摺られて行く――。

「ほら、ステップが甘い」
「ちょっと真面目にやりなさいよ」
「あんた喧嘩売ってんの? ターンは、こうっ!!」
 スパルタ教師の如く、鬼女はクレシュを翻弄した。自身も至って真面目に踊っているつもりだが、もう何曲目か数えるのも疲れてしまっている。体力的に一杯一杯だった。特に自分とそんなに体格の変わらない鬼女を支えるのは、結構な疲労を覚えるものだったのである。
 しかもホールの中に先程の天使の少女を見つけてしまって、更に意気消沈する。すぐにでも手に入りそうな近くに彼女が居るのに、自分は今鬼女の腕の中。
 少女は覚束ない足取りながらも楽しそうに踊っている。相手は身のこなしの優雅な貴族の青年。撫で付けた黒髪の下、別荘で配っていた何の変哲もない仮面が光る。絶え間なく柔らかな笑みを口元に浮かべて、優しく少女をエスコートしていた。
 楽しそうでいいなぁ、などと眺めていたら、
「大概にしなさいよ、あんた」
と低い叱責を飛ばされて、
「ううー」
 憎々しげに唸ればわざとらしく足を踏まれた。
 もうどうにでもしてくれ、という投げやりな気持ちと、何時か覚えていろという反逆心が半々。クレシュはくるくるとただ人形のように踊り続けた。
 それから、数曲が過ぎた頃だった。
「あのー」
 横合いから控えめにかけられた声に、やっと二人の足が止まった。
 柔和な雰囲気の青年が、少しだけ顔を傾けている。孔雀のような鮮やかな色の仮面と、燕尾服とが奇妙にマッチしている。優しげな美青年、だ。
「よろしければ、僕と一曲お相手願えませんか?」
 鬼の顔つきをしたエスメラルダに萎縮する事なく、紳士が言う。どことなく浮世離れした彼の調子に、鬼女の怒りが瞬時に解けるのが分かった。
「私と?」
「はい、ぜひ」
 鬼女の手がクレシュから離れる。紳士の人を引き付ける不思議な魅力に、やられている事は確かだ。
「いいわ」
 鬼女の意識が完全にクレシュから離れた。
 何事か分からないままのクレシュに、紳士がにこりと微笑む。
 それが、自分を助ける為だったかは知れない。けれど確かに、クレシュにとっては天の助けだった。自分を救ってくれる神の使いのごとく見えた。
 仮面の下に滂沱の涙が流れ出す。
 心の中で、紳士に何度も頭を下げた。
 名前も知らない紳士さん、有難う! 貴方がもし病気になった時は、ちゃんと治療してあげるからねっ!!

 解放されたクレシュは、そのまま退散した――。



FIN

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■登場人物■
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【整理番号/PC名/性別/外見年齢/職業/種族】

【2315/クレシュ・ラダ/男性/25歳/医者/人間】

【0929/山本建一[ヤマモトケンイチ]/男性/19歳/アトランティス帰り(天界、芸能)/人間】
【3510/フィリオ・ラフスハウシェ/両性/22歳/異界職「自警団」/人間】
【3681/ミッドグレイ・ハルベルク/男性/25歳/異界職「自警団」/人間】

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■ライター通信■
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こんばんわこんにちわ!執筆を勤めさせて頂きました、なちです。
この度は発注、まことに有難うございました。

今回仮面舞踏会という事で、正体不明の他の登場人物さんはそれぞれ固有名詞は除かせて頂きました。他の方のお話も見て頂ければ、違った視点から楽しんでいただけるかなとも思います。

少しでもお楽しみ頂ければ幸いです。
有難うございました。