<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


【炎舞ノ抄 -抄ノ弐-】彼方の嵐

 今日はガルド様、いらっしゃるかな、と思いつつ。
 ほんの気まぐれに、喫茶店『BardCage』に訪れてみました。

 聖都エルザードから少し北に外れた小高い丘の上にある店。
 そこは、素敵な鳥人の方々がいらっしゃる…住んでらっしゃる場所で。
 …訪れるのは、少し、久しぶりになります。
 なので、わたくしのことなどお忘れになられてしまっているかもしれません。

 ですけれど。

 それでもお店の雰囲気は素敵だなと思っていましたので。
 もしわたくしのことをお忘れでしたら、その時は――また一からお話が出来たらな、と言うことで。
 また、訪れてみました。

 扉の前を見て、確かめます。
 Closedの札はかかっていません。
 そっと扉を開けてみます。
 中を見ると、手入れの行き届いた色鮮やかなセキセイインコの翼と、サラサラの長い金髪がわたくしの視界に飛び込んで来ました。…はい。ガルド様がカウンターテーブルを拭いてらっしゃいます。…どうやら今日は、いらっしゃったようです。
 以前訪れた時と同じように、こんにちはと声をかけました。
 ガルド様はすぐにわたくしに気付いて、やあキミか、いらっしゃい、と明るい笑顔で迎えて下さいます。

 どうやらわたくしのことは憶えていて頂けたようです。

 その時、わたくしの視界に入ったのは、ガルド様だけでした。
 他の方の姿は見当たりません。
 こちらに伺う際には比較的よくお目にかかっていたピンキィ様の方は…今日は、いらっしゃらないようです。
 今日はガルド様がお留守番、と言うことなのかもしれません。
 ガルド様はカウンターテーブルを拭く手を止めました。布巾を畳んで、取り敢えずと言うようにその場に置きます。
「何だかとっても久しぶりだね」
「はい。ご無沙汰しております。なかなか顔を出せなくて…ガルド様も、わたくしのことなどお忘れになられてしまったかも、と思っておりました」
「忘れたりするもんか。ボクの大切な友達を。…またキミに会えて嬉しいよ」
「わたくしもガルド様にまたお会い出来て嬉しいですわ」
「そう?」
「はい。…と。ところでガルド様お一人とお見受けしますが…」
 お店に伺ってしまっても宜しかったのでしょうか?
 今更ながらと思いつつ、訊いてみます。

 …それは、Closedの札はかかってはいませんでしたけれども。

 そう訊いたら、ガルド様は何故かきょとんとした顔をなさっていました。
 けれど、すぐに腑に落ちたように軽く頷きます。
 それから、カウンターの奥を指しました。
「そこにグレイは居るけどね」
 言われて、わたくしは少し背伸びしてカウンターの奥を覗き込んでみました。

 …いらっしゃいました。
 何か、書き物をしてらっしゃるようです。

 あらら。

「全然気付きませんでした。…申し訳ありません」
 失礼なことを。
「いやいや。グレイは普段から居るんだか居ないんだかわからないような感じだから全然問題無いよ。…それより。今日のご注文は、何にする? って言ってもね。グレイが居ても接客は今日はボクだけだから…やっぱり作り置きしかないんだけどさ」
「そうですね、では…――」

 ――…ガルド様のおすすめでお願いします。

 と。

 注文を、言いかけたところの筈でした。
 その時までは、いつも通り、なのだと思っていました。
 久しぶりではありましたけれど、それ以上は、何も変わることがないと。

 ですが。

 …。

 …何でしょう。
 今、不意に何か、とても強い違和感がした気がしました。
 以前ここに来た時と、極端に空気が違ってしまっているような。
 ただ、今わたくしが目の前の光景を見る限りは何も変わっておりませんので…気のせい、なのだとは思います。
 思いますが――それでも。
 何故かその違和感は消えなくて。

 えぇと…何なんでしょう。
 考えてみますが、原因が思い付きません。
 わたくしは水操師でもあるので、その水操師としての感覚に、今何か触れることがあって、と言うこともあるのでしょうか。…いえ、はっきりとはわからないのですが。
 ちょっと悩んでしまいます。

 …。

 それで、どのくらい時間が経っていたのか、よくわかりません。
 案外、悩み始めてすぐのことだったのかもしれません。
 いつものように、ガルド様とのおしゃべりの続きが出来ていなかったんですから。
 わたくしが注文を言いかけて、それっきり、何のお話も続かない内――それでガルド様の方からも不思議がられない程度の間のことだったんですから。

 ただ。
 わたくしにはその次の瞬間、何が起きていたのか、よく、わかりませんでした。
 視界内の出来事が、あまりにも目まぐるしく動き過ぎていて。



 何が起きていたのか幾らかでもわかるようになったのは、少し経ってからでした。

 …わたくしは、どなたかに強く突き飛ばされて、床に転がっていました。
 ガルド様も、わたくし同様、わたくしと同じ側に、突き飛ばされていたようです。

 ――――――それで。

 カウンターの前、わたくしとガルド様が居た筈のところに、カウンターの奥に居た筈のグレイ様が、居ました。
 ずるずると、カウンターの縁に背を寄りかからせ――そのまま椅子に、カウンターの下に崩れ落ちるようにして。

 …それまで影も形も無かった人が、グレイ様のその、すぐ近くに居ました。
 人物自体に見覚えはありません。
 服装も、異界風で。ですがそれでも、時折、見かけることがある形な服装の方でした。
 右左と前身頃を合わせる形の。先日、夜道でご一緒した黒い服の御方と同じ…もしくは似たような文化圏の方になるのかもしれません。何処か共通したものを感じます。…この御方はそんな服装に重ねて、直線的なシルエットの下穿きを着けてらっしゃるようでした。
 右手には、やや長めの、武器らしい細身の刃物が握られています。
 たっぷりとした袖の袖口からは、断ち切られた鎖のようなものがはためいて見えました。
 袖口、そのものも。
 頭の後ろ、高い位置で括られ流されている長い黒髪も。

 …はためいて、見えたのです。
 その御方は、黒いような赤いような――茶色の、土の色のような、暴風と見紛う炎を纏って見えました。
 荒れ狂うその炎に煽られて、鎖や袖や裾、髪がはためいているようでした。
 ここはお店の中である筈なのに。
 まるで、そうでないようでした。
 こちらまで、煽られてしまうような、凄い勢いの炎――いえ、炎のような気配、と言うべきなのでしょうか。
 俄かに判別に、迷いました。

 ――――――そんな、こちらを圧倒してくる『炎』を纏った、その御方が。

 力無くカウンターに背を預けてらっしゃるグレイ様の前で。
 床に膝を突くくらい、低い体勢で、居ました。
 たった今、地を蹴り動き出そうとしているような、やや前屈みの。構えの意味で、姿勢を低くして――屈んでいるような。けれどそうなる直前の状況が、今この場所とはどうも連続していないような。
 まるで、たった今、この場に唐突に現れ出たような姿でした。
 何か、咄嗟に何処からか移動――空間を転移でもしてきたような。
 それから、その御方当人も、今この場所に居ることが意外であるような。考えの外だったような。
 …よくはわかりません。けれど、そんな、何か事態が急転した結果、今わたくしの目の前でこうなっている気が、しました。

 ――――――グレイ様。

 カウンターの下に、崩れ落ち座り込んでしまっています。
 きゅっと心が締め付けられる気がしました。
 これは、グレイ様が直前にこの異変に気付いて、わたくしとガルド様を庇って出、その結果傷付いてしまったのだと、今更、わかりました。

 ――――――まぁ…どうしましょう。
 これは、下手に助けも呼べない様子ですし、と言うより、助けを呼んでもどなたかいらっしゃるのかと言う根本的な疑問もあります。かと言ってわたくしでは…。

 と、わたくしがそう思ったのと同時。
「ッ――――――グレイ!」
 ガルド様が声を荒げます。

 それでやっと、時間が動き出したような、気がしました。

 突き飛ばされたところから跳ね起きたガルド様が、すぐにグレイ様の元に寄ろうとします――同時にわたくしのことも気にして下さったようで視線が一度こちらを向きますが、今のこの状況ではグレイ様の方が遙かに気に懸かって当然です。状況に加えて、ガルド様にとって元々とても大切な方なのでしょうし。わたくしでも同じ判断をすると思います…ただ、その判断をするまでにガルド様よりずっと時間がかかってしまいそうな気が致しますが。これ程咄嗟に動けるかどうかは、自信がありません。
 勿論、わたくしもお手伝い出来ることがあるならお手伝いしたいとは思います。ですが、この状況ではそれを伺うこと自体をしていいのか、と言うところからして迷ってしまいます…気を逸らす形になってしまえば邪魔になるだけですし。今の場合はグレイ様の方がわたくしとガルド様を庇って出て下さったようですから、そうなるとわたくしの方で勝手に手を出してしまうのも――そもそもわたくしが何をしてもこの炎を纏う御方をどうこうできるとは到底思えませんので、却って邪魔になりかねませんし。…なので、わたくしはガルド様のようにグレイ様の元に移動することはしませんでした――出来ませんでした。
 ガルド様がグレイ様の元に戻ろうと、近寄ろうとしたことにグレイ様ご自身もすぐ気付いて、来るな、逃げろと叫んでいます――初めて耳にする荒げられたグレイ様の声です。危険だと。だから来るなと。そう判断されたのでしょう。
 ですが、言われたからと言ってその通りにただ放り出せるものでもありません。
 けれど、放り出せなかったからと言って――グレイ様の元に戻って、それでどうこう出来るものでもありません。
 …わかっていても、ガルド様の行動は同じになってしまうのだと思います。
 この場に唐突に現れた炎を纏う御方の方が、構えるように屈んでいた体勢からゆっくりと立ち上がりました。

 …?

 あら?

 …少し違和感を覚えました。何と言うか…この御方は今、この場に現れてから…その手に握る武器を振るうと言うことをしたのでしょうか。…そんな気がしません。わたくしには動きが速くて見切れなかったとかそういう訳ではなくて、どうも、たった今剣を振るった後、と言う気迫のようなものの名残すら感じられない気がしますので。この場に出たその時その瞬間から、変わらない荒々しい気配のままで、何も変わっていません。
 むしろ、何処か途惑っているようにさえ、見える気がします。
 ですが身を起こしたグレイ様は、やはり傷付いてらっしゃるように見えます。
 …わたくしの感覚が間違っていて、やはりこの御方に斬られてしまった、のでしょうか。
 それともこの、逆巻く炎の気配に晒され灼かれてしまった…もしくは至近での強烈な風圧で飛ばされて身体を打ち付けてしまった、と言うことなのでしょうか。傷の細かい程度や患部の状態は、今のわたくしにははっきりは見えません。
 どちらにしても、グレイ様のその傷を癒してさしあげることならばわたくしには可能ですが…この状況ではその余裕すら…どうすれば…うぅん…困りました…。

 と、こんな状況にも拘らず、思わず考えてしまっていたところで。

 …不意に空気が動いて、背筋がひやりとしました。
 見れば、ガルド様が――あのガルド様の細腕が、店内の家具と同じ木製の何か大きなものを乱暴に取り上げ、振り上げていました。…あれは何でしょう? 疑問に思っている間に…ガルド様はその『何か大きなもの』の脚のような端を持ち、殆ど力尽くのような形で振るって炎を纏う御方に殴りかかっていました。
 直後、形容し難い凄い音がしました。
 続いて、ごとりと重い音も。
 …ガルド様の持ってらっしゃったその『何か大きなもの』が、真っ二つにされて床に落ちていました。
 わたくしは、今真っ二つに斬られてしまった、ガルド様が振るってらっしゃったそれが――カウンター席に並んでいた椅子の一つだとはすぐには気付けませんでした。…それを真っ二つに両断したのが、炎を纏う御方の握る武器であることも。
 それらのことに気付いた時には、ガルド様が炎を纏う御方に――今度はあろうことか素手で殴りかかっていて。
 グレイ様がその腕を掴み止め、その止める同じ挙動の内にまたガルド様の身を押しのけようとしたかと思うと――今度は炎を纏う御方の方が、持っていたその武器を、ガルド様に対して閃かせていたところでした。

 その間、わたくしは反応出来ていません。
 反応出来ていない、筈でした。



 反応出来ていない筈でしたが。
 気付いた時には、その場は一気に水で満たされていました。かと思うと、次の瞬間にはその大量の水は店内から溢れ出し、少しの後には、辺り一帯が水浸しになっていました。
 いきなりのことで、今度は皆の方が、反応出来ていません。
 ですが、わたくしにはわかりました。

 水の源は、わたくしが胸元に下げている青色のペンダント――宝玉型の聖獣装具である、海皇玉でした。

 ガルド様とグレイ様が危ないと思ったら、咄嗟に、念を込めてしまっていたようです。
 …お店の中の動きが、止まっています。
 グレイ様に、倒れ込んだガルド様の身が支えられていました。

 …ガルド様は、斬られてしまっていました。
 グレイ様が、今になって驚いたようにこちらを見ています。水の源が、わたくしだと気付かれたようです。

「何をぼやぼやしてる! 逃げろ!」
 一拍置いて、グレイ様の声が、わたくしの耳に届きます。
 グレイ様のみならず、炎を纏っていた御方が、こちらを見ていました。
 いえ、もう――その御方の纏う『炎』は消えていました。
 けれど、たった今武器を振るった――ガルド様を斬った後、と言う体勢で――気配であることに、変わりはありませんでした。
 それで――そのままの体勢で、わたくしを見ています――思わず、胸元の海皇玉をぎゅっと握り込んでしまいます。
 …握り込んでは、しまったのですけれど。
 けれど、炎を纏っていたその御方は、わたくしを見て、何処か不思議そうな顔をしてらっしゃったような、気がしました。
 いえ、それはわたくしの気のせいだったのかもしれませんけれども。

 ――――――思っているところで。

 気が付いたら、今度はその御方が、わたくしのすぐ傍まで、来ていました。
 ひやりとした感覚が首筋に迅ります。
 その御方が持つ武器が――刃が、わたくしの首筋にはっきり突き付けられていました。
 姿を確認するのは遅れます。その御方はわたくしの目の前に居る訳ではありませんでした――ほんの少し動かせばわたくしの首筋にすぐさま刃を滑らせられる形で、その御方自身は、殆ど、わたくしの真横に居るような状態でした。

 その、状態で。

「――――――汝は、何だ?」

 問われました。
 武器はぴくりとも動きません。
 えぇと…わたくしを斬るつもりではないのでしょうか?
 ガルド様の叫ぶ声が聞こえます。…それは、わたくしを気遣って下さっているのだとはわかるのですが…この状況は非常に宜しくありません。それはわたくしも斬られたくはありませんが、それよりガルド様は――先程グレイ様の元に戻られた直後のように、案外無茶をする御方のようなので…そちらの方が却って心配になります。

 …ではなく。
 今はまず、先にこの御方の質問に答えなければ、と思います。
 そうしなければ…状況が何も動きませんので。

 わたくしは。

「えぇと…わたくしはシルフェと申します。職業は水操師をしております、エレメンタリス・ウンディーネになりますが…そんな答えで構いませんでしょうか…?」

 恐る恐る、そう答えてみます。
 暫く、間が開きました。
 えぇと…わたくし、何かまずいことを申し上げてしまったんでしょうか…。
 少し、悩みます。

 そうしたら。

 含み笑うような声が聞こえました。
 すぐ近くで。
 恐らくは――わたくしに刃を突き付けているその御方の。
 意外でした。
 思わず、目を瞬かせてしまいます。

「…慎十郎も絆される訳だ」

 低く、呟かれました。
 何処か、笑みを含んだ声で。
 …それも。
 その言い方が、態度が、何となく、何処かで出会ったような雰囲気に感じてしまいました。
 この御方とは今が初対面の筈なのに。
 …今はそんな場合ではないとわかっているのに、何故かと考えてしまいます。

 夜道で出会った、あの黒い服の御方、でしょうか。
 根拠も何もないのですが、ふっ、とそんな気がしました。

 そんな気がしたところで。

 視界の隅、白刃が滑らされるように横移動しているのがわかりました。
 何故かそれが、スローモーションのように、はっきりと見えました。
 ――――――何か硬く細いものが、す、と首に吸い込まれるような気がしました。

 ああ、と思います。
 これは。
 刃が、薄く皮膚に食い込んだ刹那の感覚なのだと、漠然と自覚していました。
 痛みより熱よりまず先に来る、その感覚。

 それで。

 ――――――自分の首筋に刃が滑らされた、斬られたのだと自覚したその瞬間。
 何故かまた、その滑らされる白い光に交じるようにして、土のような色の炎が、同じ軌跡を迅っていたような、気が、しました。



 …目を開けたら、ガルド様とグレイ様の心配そうな顔が目の前にありました。
 まぁ。
 ちょっと驚きます。
 …いえ。
 驚いたのは、ちょっと、どころではなかったような…どうでしたっけ?
 少し混乱しているようです。

 …。

 えぇと…。
 …確か、わたくし、あの御方に首を斬られたのではなかったのでしょうか?
 それで…恐らくはそのまま意識が途切れたのだと思うのですが…。
 と、思っていると、グレイ様がほっと息を吐いていました。
「…大丈夫そうだな」
「本当に本当だね?」
「嘘を吐いてどうする」
「っ…良かった…!」
 グレイ様の言葉に、ガルド様は心底安堵して身体から力が抜けてしまったようでした。

 ?

 大丈夫。
 わたくしのことでしょうか。
 ………………って、わたくし、斬られませんでしたっけ?

 …。

 いえ、そんな風にのんびり考えていられる時点で、わたくしは確かに、大丈夫、なのでしょう。
 ですが、なら、どうして、大丈夫なのでしょう?

 …。

 …ではなく。
 それより。

 ガルド様と、グレイ様の方が。
 果たして、大丈夫であるのか。

 …今更気が付きました。
 身を起こします――わたくしはどうやら横たわっていたようです。倒れていたのでしょうかそれとも寝かせて頂いたと言うことなのでしょうか。…取り敢えず、頭の下にクッションが置かれてはいました。
 身を起こして、お二人の様子を見ます。

 ご無事です。

 …。

 先程、グレイ様は身を挺してわたくしたちを咄嗟に庇って下さって…それから後は動くのもお辛い様子で、ガルド様もまたあの御方に斬られてしまっていたような気がするのですが…どうやら、そんな名残はありません。

 ?

 何故でしょう。
 …思っていたら、グレイ様が口を開いていました。
「どうやら、お前のおかげで助かったらしい」

 ?

 お前。
 …それは…どなたのことでしょうか。ガルド様のことはグレイ様にとってはお身内になるのでしょうから…違う気がします。となると他には…。
 見渡してみましたが、わたくししか居ませんでした。

 え?

「…わたくし、ですか?」
 全然心当たりがありません。
 ですが、ガルド様もグレイ様の言葉に頷くようにして、続けて来ました。
「うん。キミがそのペンダントから大量の水を出してくれたおかげで、ボクのこの美しい身体は傷付かなくて済んだんだ」
 と、言うことは。
「…斬られてしまったのかと思っていました」
「ううん。斬られる直前にキミの水が守ってくれたんだ…いきなりだったから、バランス崩してグレイの方に倒れ込んじゃったけど」
「そうだったのですか。…ご無事でよかったです」
「それよりキミだよ! さっきあいつに斬られて…」
「あ、そうです。グレイ様も…」
「俺は何も問題無い。それより」
 と、そこで言葉を切って、グレイ様は改めてわたくしを見ます。
 何か、考え込んでいるような難しい顔をしてらっしゃいました。
「…グレイ様? あの、本当に…」
 大丈夫、なのでしょうか?
 そう続けようとしたところで。
「…俺の勘も鈍ったか」
 グレイ様から、ぽつりと独白するように言われました。
「?」
「あの時、まずいと思ってお前らを突き飛ばした。あの男の炎と見紛うあの気配は…次元が違う危険なものに感じたんだ。だが実際に炙られた俺も、確かに斬られた筈なお前も、傷が無い。それに、何故かお前を『斬った』直後、あの男は現れた時同様に唐突に消えてしまった」
「…まぁ。消えてしまわれたのですか」
 あの御方は。
「うん。…キミを…その、『斬った』直後、あいつはキミの水で一度は消えたあの変な色の炎をまた纏ってて…それに自分が巻かれるみたいにして消えてたんだよ…でもまさかあのまま自分で燃え尽きたなんて思えないから」
 …結局、何がどうなったのかはよくわからない。
 ガルド様はそう呟きつつも、自分の頭――髪と、背の翼に尾羽を頻りに気にしてらっしゃいます。

 ………………見ていたら、何だか申し訳なくなってきました。

 それは、咄嗟のことでもありましたし、実際に助力になれたようでもありますが、同時に――このわたくしが、お店を水浸しにしてしまった――そしてガルド様ご自慢の髪や翼を濡らしてしまった、と言うことでもありますので。
 何がどうなったのかよくわからないにしろ、ひとまず目の前の嵐が去ったようであるなら――今度は目の前の日常のことが気になってくるものです。
 そう思っていたら、ガルド様に笑いかけられました。
「まぁまぁ、これは気にしないでよ。水も滴るいい男、って言うもんね?」
 気遣って頂いてしまいました。
 …どうやらわたくし、思っていたことが顔に出てしまっていたようです。
「それに多分、キミが居なかったら、ボクもグレイもあれじゃ済まなかったみたいだし」
「? …そうなのですか?」
「ああ。あの『水』の前と後で、あの男の何かが決定的に変わっていた。…何をした?」
 グレイ様がこちらを見ます。

 ?

「何をしたと言われても…咄嗟に、聖獣装具の海皇玉――マリンオーブに念を込めてしまっていただけです」
 他は、覚えていません。
 わたくしは他にも何かをしてしまっていたのでしょうか。
 グレイ様に逆に問います。
 グレイ様は、難しい顔をしたまま黙ってらっしゃいます。
 どうしたのかとガルド様にせっつかれつつも、気になさらずに暫くそのままでいたかと思うと――小さく息を吐いていました。
「グレイ?」
「掃除。…しようか」
 グレイ様はぽつりと…けれども確りと聞こえる声で呟きます。
 何を、とは仰いません。
 けれど、その主語が『お店』であることは、明らかで。
 ガルド様がぱあっと顔を輝かせてらっしゃいました。
「そうだね! あ、でも…その前に支度して来るから、待ってて!」
 言って、ガルド様はカウンターの右隣に回り、足取り軽やかに二階への階段を上っていきます。

 それを見送ったところで、グレイ様から声を掛けられました。
「そんな訳だから、店、閉めようと思うんだが」
 はい。
 それは、そうだと思います。…この状態ではお店を開いてはいられないでしょう。

 …。

 ああ。
 わたくし、お客なのでしたっけ。
 ですが、ここを水浸しにしてしまったのはわたくしですし、ただ放って帰る気にもなれません。
 …お掃除のお手伝いをしてはご迷惑でしょうか。
 そう訊いてみましたら、そんな事はないが、と否定して頂けました。

 なら当然、喜んでお手伝いさせて頂きます。
 皆が無事と確認出来たのなら、まずそれが第一でしょうし。

 いきなり現れたあの御方が何者だったのか、そしてわたくしがあの御方に『何』をしたのか――わたくしはただ咄嗟に海皇玉を使ってしまっただけなのだと思っているのですが、自覚無いままに何か特別なことをしてしまっていたのかもしれないので――を、考えるよりも。

 ひとまず、このままではお店が大変ですからね。

【了】


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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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 ■整理番号/PC名
 性別/年齢/職業

■PC
 ■2994/シルフェ
 女/17歳/水操師

■NPC
 ■炎を纏う御方(=佐々木・龍樹)

 ◆グレイ・グレイ(@BardCage/ライター・北嶋さとこ様よりの共有NPCです)
 ◆ガルド・ゴールド(〃)

■名前のみ登場NPC
 ◆ピンキィ・スノウ(〃)
 ■夜霧・慎十郎

■舞台
 ◆BardCage(@BardCage/ライター・北嶋さとこ様のところの設定になります)

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          ライター通信
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 いつも御世話になっております。
 今回は【炎舞ノ抄】二本目の発注、有難う御座います。
 このシリーズでの一人称の形、お気に召して頂けていたようでほっと致しました。

 内容ですが、ちょっと変則的な形にさせて頂きました。
 どの辺がかと言うと、問題のNPCがその場で暴れ始めて終わると言うのではなく、何処かで暴れた後に通りすがったような状況、にさせて頂いた、と言う事なのですが。
 そして結果として、NPC対NPCとしてもあまり戦闘らしい戦闘になっていないような…。シルフェ様の視点で観戦と考えると、あまり激しい戦闘があってもその動きを追い切れなくて色々と描写が寂しくなるかも、と判断させて頂いたからだったりもするんですが…。そして同時に、シルフェ様のPCデータ内の一部要素からして、問題のNPCこと龍樹の方でもかなり早めに矛を収めそうだと判断させて頂いたから、もあります。
 …『彼方の嵐』シナリオでは相当珍しい事になるのですが、今回、恐らくはシルフェ様に剣を突き付けた段階から龍樹は殆ど正気に返っていますので。そんな訳で御希望にも添えまして、誰かさんの名前も出てきました。

 舞台ですが…色々考えたのですが、敢えてBardCageさんの方を選択させて頂きました。…若干気が引けたりもしたんですが…その割にはここまでやる辺りどうなんだって気はしますが(汗)
 勿論、当然の如く御本家BardCageさんの方とはパラレル無関係って事で宜しくお願い致します(礼)

 …如何だったでしょうか。
 少なくとも対価分は満足して頂ければ幸いなのですが。

 では、また機会を頂ける時がありましたら、その時は。

 深海残月 拝