<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


蒼玉の円舞曲 sapphire-waltz passepied










 エルザード。天使の広場の昼下がり。人の往来激しいこの時間でも、先が尖り、鮮やかな蒼色の宝石がついた杖は、遠目にも良く目立つ。
 その先端を頼りに人を掻き分ければ、やはりあのフードが目に飛び込んだ。
 しかし、その杖は1つ。もう片割れはどうしたのだろう。
 この前の時のように、今回も単独行動でもしているのだろうか。
 驚かす意味も込めて、シルフェはこちらから腕を掴んでみた。
「こんにちは」
 腕を掴まれたことと、声をかけられたことで、蒼玉の少年ははっとしたように顔を上げ、シルフェに振り返る。
 その動揺した口元にシルフェは仄かに微笑む。
「わたくしのような者に気付かない程、考え事ですか?」
 蒼玉の少年は乱暴に掴まれた腕を払って自由を取り戻すと、向けていた視線を不機嫌そうにそらした。
 拒まれた手を一瞥し、シルフェは軽く瞳を伏せる。
「申し訳ありません」
 突然謝られたことに少年は微かに驚いて顔を上げる。
「わたくし気配を断ったりが得意というわけでもありませんのに、余程集中なさっておられたのかと」
 その集中の邪魔をしてしまったのなら申し訳ないと、シルフェは頭を下げる。
「……別に」
 向けていた視線をまた他にそらして、ポソリと一言。
 拒絶でも罵倒でもないのなら、一緒に居ても良いということなのだろう。
 しかし、シルフェは最初に感じた疑問のままにもう一度辺りを見回し、紅玉の杖を探すが、視線が許す範囲にその杖頭は見当たらない。
「もうお一方…紅玉の方とはご一緒ではないのですね」
「あいつに何のようだ」
 ここに着てから共通の知り合いよりも、お互いのみが知っている人物も増えた。この前自分と片割れを間違えた人のように。
 シルフェはそんな突き放すような蒼玉の少年にも、頬に手を当ててほうっと息を吐く。
「いえ、なんだか貴方様とばかりお会いするものだと」
「なら無視すればいい。話しかけんな」
 間髪いれずに返された言葉に、シルフェはあらあらと口を噤む。
 少年にしてみれば、シルフェのように“出会う”よう行動したわけでもないのに、勝手に話しかけておいて、その物言いは何なんだといったところ。
「そういえばムマの…といいますか、以前に請けた依頼のお話はしましたでしょうか。参考になるかはわかりませんけれど、経緯や状況などわたくしの知ることは説明させて頂きますよ?」
「別に必要ない」
 この世界だろうとも奴がやることは1つしかない。
 その記憶を、夢を、ただ腹を満たすためだけに喰らう。
 どれだけ回りに何か影響を及ぼしたとしても、最終的にムマを封じることができればいいのだから、知りたいのは確実な居場所以外ない。
 短く告げてまた沈黙してしまった少年にシルフェは薄く長く息を吐く。
「ムマは、なぜ心に踏み込むようなことをするのでしょうか」
 関わった人たちが廃人になっていることは知っている。けれど、その理由をシルフェは知らない。
「喰い易いからだ」
「喰う?」
 そうだ。と少年は頷く。
「奴は、ヒトの記憶や夢を喰らう。そういう種族だ」
「わたくしは無事でしたよ?」
 けれど、もしあの時、シルフェが彼の存在を認めていたら、受け入れていたら、シルフェも今頃は廃人となって他の被害者のようにベッドで眠っていたかもしれない。
「面倒だから、引き下がっただけだ。別にあんたじゃなくても簡単に喰えそうなヒトはこの国には一杯いるみたいだしな」
 確かに多種多様な種族が混在しているこの国には、普段からこうした荒事に身をおいていたり、巻き込まれてしまう人から、何も知らず、何事も無かったかのように暮らしている人まで、幅広い。
 平和に暮らしている人々は、耐性も無いため喰らうにはもってこいだろう。
「伺いたいのですが、あの事件の被害者の方々の回復はムマをどうにかするまで叶いませんかしら」
「何で?」
「どうにかしなくても回復するのならば、わたくしも何か力になれないかと思いまして」
 流石に失った記憶を水操師の力で元に戻すことは出来ない。
 それは不自然な流れではなく、奪われてしまったモノだから。
 けれど、廃人として生きる人形から、感情を取り戻すことが出来たなら、例え過去の記憶を無くしてしまっていたとしても、また新しく今の記憶を作り上げていくことが出来る。
「突然失った記憶に追いついてないだけで、そのうち“眼を”覚ますだろうさ。全てをなくした状態で」
 少年の返答はそっけないものだったが、シルフェはその答えにほっと胸をなでおろす。
「眼を、覚まされるのですね」
 あのままならば、やはりムマをどうにかする方法を考えなければいけないと思っていたが、まだこれで多少の救いはある。
「あの、もう1つ、ムマを倒せば、記憶を取り戻すことはできるのですか?」
「消化されてなければな」
 もしくは、誰かにあげていなければ。
 奴にとって、人の記憶や夢は生きるための食料だ。人が食べたものを胃で消化し、自らの命に換える営みの過程は、ムマにも同じことが言える。
 失った記憶がムマを倒すことで戻ってくるのならば、やはり、どうにかする必要はあるのだろうけれど。
「あんた如何したいわけ?」
 今こうして話しかけてきた理由。ムマに喰われた人が回復するかどうかを聞きたかっただけ?
「ムマを倒すかどうか、ですか?」
 返した質問に返答が無いということは、そのことを聞かれていると判断してもいいのだろう。
「単純に倒すかどうかといえば、倒せませんし、倒すつもりも…あまり」
 シルフェには傷を癒す力はあっても、他人を傷付ける力は持ち合わせていない。首にかけているマリンオーブだって、水を大量に呼ぶことは出来るが、相手を傷付けるものではない。
「心に踏み入られて許せないとしても、それだけで倒して解決と考えることは出来ないんです」
 ムマにもムマなりの考えがあるのではないか。倒すことがいつでも解決に繋がるわけではない。そういうことは何度もあった。
「あ、必要なら勿論倒すお手伝いはしますけど…」
「必要ない」
 言い終わる前に言い捨てられた少年の言葉。
「そもそも何が目的?」
 もう奴との関連がないことは分かっている。誤解は解けているのだから、これ以上自分達に関わる必要はない。なのに、なぜシルフェは話しかけてくるのか。
「お手伝いって何の手伝い? 倒すつもりもない上にそんな曖昧な考えでオレ達の周りをうろちょろすんな」
 倒すことを目的としている少年に、倒すつもりはないと言えば反発されてしまうのは当たり前の話し。
 けれど、それだけではダメなのではないか。シルフェはそう思ったのだけれど。
「あんたに手伝ってもらうようなことは何一つ無い。あるとすれば、オレ達にもう関わらないことだけだ」
 身を護る術も持たず、ムマと関わりを絶とうとしているわけでもない存在は、正直邪魔なだけ。
 奴との戦いは自分達にとって総力戦になる。うっかり巻き込まれて死なれえも面倒だ。
 目的、と、聞かれてしまったら、心はもやもやするし、シルフェにもまだ確かな答えは出ていなくても。
「わたくしにも何が出来るかわかりません。でも、見過ごしてしまうこともできないんです」
 もしかしたら、今この時もムマに喰われ、廃人と化してしまっている人が居るかもしれない。
 見ないフリをして背を向けてしまうのはとても簡単。だけど、どうしても気になってしまう。
「……損な性格」
 ボソッと呟かれた言葉に、シルフェは薄らと微笑む。
「わたくしにできることは、水操師として、皆様の傷を癒すこと。病を治すことだけ」
 自分の力が及ぶ範囲で、何を手伝えるかと考えたら、ムマと戦い傷ついたなら、その傷を癒してあげること。
「そうしたお手伝いでも、迷惑ですか?」
 少年の溜め息。
「物好きにも程があるっていうか…」
 突き放しているのに、突き放されない。この世界のヒトというのはどうしてこうも不思議な存在なんだろう。
「勝手にしろ」
 もう一度長く深く溜め息。少年はシルフェに背を向ける。
「もうお一方にも、よろしくお伝え下さいませ」
 翻るマント。追いかけることはしない。
 去っていく背中に、シルフェは手を組んでただ見つめた。





























☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【2994】
シルフェ(17歳・女性)
水操師


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


 紅玉と蒼玉の円舞曲 ruby or sapphire-waltzにご参加くださりありがとうございます。ライターの紺藤 碧です。
 少年にとって見れば極力関わってほしくないうえに、シルフェ様のスペックですとどうしても面と向かって戦うというのは無理なので、こういった形で手伝う方向に落としてみましたがどうでしょうかね。
 それではまた、シルフェ様に出会えることを祈って……