<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


『旅立ちへの前奏曲』


●予兆
 妊娠が発覚してからというもの、カイは以前にもまして心配性になった気がする。
 そう、グリムは思わざるを得なかった。
 重いものなどはけして持たせようとはしないし、ちょっと買い物に出かけるだけでも付いて来る様になった。
 もちろん、その気持ちは嬉しいのだが、時期的にまだ早すぎるとも思うのだ。
(よ、夜の方もご無沙汰だし……)
 グリムの体の事を心配してという事もあるし、何やらジェイクからの仕事が忙しいのもあるようだ。
 彼らの仲間であるジェイク・バルザックがジェントスのギルドマスターに就任して半年。
 人手不足は色々な所で深刻化しているらしい。
 何より、信頼できる人間が多くないというのが辛いところなのだろう。昔の仲間に応援を頼む機会も多かった。
 それは、そんなある日の朝の出来事だった。
「仕事?」
「ああ。『迷宮』絡みの依頼でな。レグ・ニィと一緒に潜る事になりそうだ。鉱石竜が相手だから、もう一人くらい誰か連れて行くかもしれないけど」
 焼きたてのパンを齧りながら、少し疲労の残った顔で話すカイ。
 相変わらず、どんなに忙しくても朝食だけは一緒に取るようにしている。外ではいつもと変わらぬ態度でいるが、二人きりの時はややお疲れの様子を隠さない。
 別にお金に困っているという事ではない。
 冒険の報酬は、二人合わせればかなりの額が残っている。今のささやかな暮らしぶりなら、当分は大丈夫な筈だったが。
 ジェイクの窮乏を見ていられないというのが、実際のところなのだろう。
 本当ならグリムも手伝ってもいいのだが、カイがそれを許さなかった。その分、彼にかかる負担が増しているのが現状なのである。
「それならあたしが……」
「駄目だ」
 今回もやっぱり申し出は却下された。
「それほど深くまで潜るわけでもないし、その辺の階層ならお前に無理をさせるほどの事もない。誰か適当に見繕っていくさ。いよいよいなかったら、明花ちゃんにでも頼むさ」
 明花の事は知っている。
 天空の門事件でも一緒に戦った間柄だ。竹を割ったような性格で、仲間として何も心配する事は無い。無いのだが。
『旦那が浮気するのは、女房が妊娠した時だってさー』
 親友の言葉が思い出される。
「ん? どうかしたか?」  
 じっとカイの顔を眺めていたので気づかれた。
「何でもない。寝てていいよ。ちょっと買い物に行ってくるね」
 そう言い残し、グリムは部屋を出たのであった。


 考えすぎだとは解っている。
 解ってはいても、納得はいかないのが乙女心というものだ。
 今さらカイが浮気などするわけも無いのだが。
 石畳の上を歩きながら、当ても無く街を彷徨い歩く。
 最初はレベッカのところにでも顔を出そうかと思ったのだが、今行っても愚痴にしかならない気がしたので止めた。
 ここのところ、精神的に不安定になっている自分に、グリムは気づいていた。
 最初は妊娠のせいかとも思ったのだが、それとも違う。
 言葉にするのは難しいが、感覚的な部分で引っかかる部分があるのだ。
(そう。戦いの前のような……)
 頭を振って、その考えを打ち消す。
 街中にいて、そんなわけもない。少し神経過敏になっているのだろうと。
 その時は、そう思ったのであった。


●仕組まれた出来事
 気がつくと、街の南側の地区にまで来ていた。
 真新しい壁に行く手を遮られ、グリムは立ち止まった。
 これはあの事件の後、カグラとジェントスの市街地の復興を優先し、モンスターなどの残る地区を隔離したものだ。
 東と西の冒険者達がギルドの依頼を受け、少しずつ壁の向こう側を押し返して行ってるのが現状だ。
 ふと。
 目を向けた先には、五歳くらいだろうか、女の子が一人で歩いていた。
(可愛い……)
 妊娠が発覚してからというもの、どうしても子供の姿を目で追う機会が増えた。
 生まれてくる自分達の子供もこんな風であって欲しいと願う、母心というやつなのかもしれない。
 向こうから母親だろう女性が、こちらに向かって来る。
 きっと目の届かないところに行ってしまった我が子を捜しに来たんだろう。
 その時、急に心が不安で満たされていくのを感じた。
(あたしもきっと、あの人と同じ立場になるはずなんだ……)
 我が子だけではない。
 守りたいものはたくさん。
 お腹の子、カイ、仲間達、この街の人々……。
 今の自分にそれらを守り、戦い続けていく事が出来るかどうか。
 もしかしたら。
 仲間とカイ。どちらかしか助けられないという状況が来るのではないだろうか。
 あるいは。
 我が子と誰かを選ばなければならない時が……。
 目を瞑り、自身の心に問いかける。
 何かを守るために何かを切り捨てなければいけなくなった時、自分はどうするのか?
 答えは容易には出なかった。
ピシッ!
 最初、グリムにはその甲高い音が何を意味するのか判らなかった。
 判ったのは、右手の壁が大きく崩れ、一体の双角竜が姿を現したからだった。
 目の前の親子が息をのみ、動きが止まる。
 双角竜は高々と前足をあげると、彼らに向かって突進の態勢に入った。
 一瞬、何が起きたか理解出来なかったグリムであったが、目の前の母親が娘をかばうように抱き締めたのを見て、無意識のうちにジュエルアミュートを展開させた。
「茜色の朝焼けよ! 日を浴びて煌くその姿を現せ!!」
 眩いばかりの光の帯を身に纏い、グリムは瞬時に駆け出した。
「月よ!」 
 グリムの周囲に十数本の魔法の矢が展開する。
 今の彼女にとっては、造作も無い事だった。
 真の精霊剣技に開眼した事で、魔法の腕も飛躍的に上昇していた。
 かつての一本分に満たない精霊力で、今の彼女はこれだけのムーンアローを放てるようになっていた。
 絶対命中の矢が雨のように降り注いでいく。
 並みの剣なら刃も通さぬ角竜の甲殻を、易々とそれらは撃ち抜いていった。 
「グリム!」
 振り向くと、風のように走ってきたカイが、エクセラを投げて寄こした。
 左手をなぞる様に刀身に滑らせると、小剣は煌きと共に一瞬でシミターへと姿を変えた。
「はぁっ!」
 目にも留まらぬ速度で振り下ろされた後に、光と熱の波動が吹き抜けていく。
 かつてのそれに数倍する威力で放たれた精霊剣技は、一撃の下に双角竜を薙ぎ倒したのであった。


●あたしらしく
 助けた親子が何度も何度も頭を下げながら去っていく後姿を、グリムとカイは見送っていた。
 一応、彼らもギルドの一員なので、壁を直すチームが来るまでは現場を離れるわけには行かないのである。
「ばいばい、おねぇちゃん」
 手を振る女の子に、自分も笑顔で手を振るグリム。
 先程までの不安が嘘のように、彼女の心は晴れ渡っていた。
 簡単な事だった。
 自分にはどっちを捨てる事も出来ない。
 それが甘い考えだと言われるのなら、どっちも捨てる事なく守れるほどに、今よりもっと強くなろう。
 そんな彼女の横顔を、カイはじっと見守ってくれていた。
(吹っ切れたみたいだな……)
 何かを思い悩んでいるようだったのは気がついていた。
 ただ、カイは信じていたのだ。
 グリムがけして自分の信念を曲げるような女性ではないという事を。
 今も昔も。
 結局のところ、彼女は自分の目の届く限り、守れる者を守ろうとその身を投げ出すのだ。
 そんなグリムだから好きになったのだし、心底誇りに思ってもいる。
 たとえ、言葉にすることはなくとも。
「さ、帰ろうぜ」
「うん!」
 差し出された腕に自らの腕を絡ませ、長身のカイにしがみつく様にしてグリムは歩き出した。
 あたしはあたしらしく。
 それが、彼女の出した答えであった。


●ファラの遺したもの
 迷宮へと潜って半月が過ぎても。
 カイが帰ってくることは無かった。
 確かに『混沌の迷宮』は時間の流れが外とは違うため、時間はかかると聞いていたが。
 それを差し引いても、帰還の時間はとっくに過ぎている計算だった。
 ギルドマスターの執務室へと向かうと、そこにはもちろんジェイク・バルザックの姿があった。
「やはり来たか……」
「ジェイク、どういうことなの? 何かあったのなら、救援を出して。出せないなら……あたしが行く」
 男の顔が僅かに歪んだ。
 彼女がそう言うであろう事は解っていたのだ。そして、カイがそれを一番望んでいない事も。
 本来ならば、自分が助けに行かなければならないはずなのだが。
 今の彼にはそうするわけにはいかない事情があった。それが何とももどかしかった。
「すまんな。やはりお前達の力を借りる事になりそうだ」
 心中でカイに謝りながら、ジェイクは彼女に事情を話した。
「『混沌の迷宮』の中は毎回構造が変化する。その中で、必ず通過しなければいけないポイントというのが随所にあり、今回カイにはそこの突破を依頼した」
「問題は、そこに行き着くまでの経路だ。ギルドの連中を救援隊として派遣したとしても、その場所まで行き着けるという保証が無い」
「レグに迷宮探査を一任していたのも、あいつの『魔眼』が必要だったからだ。あいつなら、構造の変化に惑わされる事なく、先へと進むことが可能だったからな」
 溜息と共に漏らした内容は、グリムにとっては不吉な内容ばかりだった。
「だったらどうしろって言うの? 手をこまねいて見ていれば、カイが戻ってくるって言うの!?」
「そこでお前の力が必要になるんだ」 
 ジェイクは執務室のソファから立ち上がり、彼女の元へと近づいてきた。
「地竜王の神殿で、ファラが最後にお前に渡した眼鏡。あれをまだ持っているだろう?」
 突然聞かれ、一瞬、何の話か解らなかったグリムだったが、ようやくそれを思い出した。
「そう言えば……あたしがもらったんだっけ」
「あれは、人の『想い』を読み取るマジックアイテムだ。ファラがお前に託したのは、月の精霊魔法に長けたグリムなら自分以上に使いこなせると思っていたからだろう」
 そして頭を下げた。
「これはギルドマスターとしてではない。共に冒険を潜り抜けた仲間としての頼みだ。カイとレグを……助けてやってくれ」
 もちろん、グリムに異存があろうはずもない。
 仲間達と連絡を取り合い、再び旅立ちの時が迫ろうとしていた。





                                            了






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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

3127/グリム・クローネ/女/17歳/旅芸人(踊り子)

【NPC】

カイ・ザーシェン/男/27歳/義賊 
レベッカ・エクストワ/女/23歳/冒険者
ジェイク・バルザック/男/35歳/ギルドマスター

※年齢は外見的なものであり、実年齢とは異なる場合があります。

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■         ライター通信          ■
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 どうも、神城です。
 毎度お待たせして申し訳ありません。 
 話の内容自体は、他の方々と僅かずつリンクしていますので、よかったらそちらも覗いてみてください。
 またしばらく間は空きますが、続く予定ではあります。
 子供の件は、先生のお力を借りたという事にして結構です。
 その時は、またよろしくお願いしますね。
 それでは。