<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


【炎舞ノ抄 -抄ノ参-】昼に訪れ

 …アルマ通りの裏通り。
 シェリルの店近くに当たる場所、だそうです。
 少し前からお部屋を借りている異界人の彫金職人さんが居るらしい、と話に聞きました。
 …それも、結構腕がいいとか。

 お散歩をしていて、不意にそんな話を思い出しました。
 何処で聞いたのかは、あまりはっきり覚えていません。
 えぇと…なら、何処かで…噂として耳にしたと言うことなのでしょうか?
 そんな気がします。
 でも。
 どうして今思い出したのでしょうか?

 …。

 ああ、今歩いているところが、ちょうどそのアルマ通りの裏通りに当たるからでした。
 場所の目印も聞いていたと思います。
 確か、看板がないのだとか。

 何となく目で探してみます。
 …ありました。
 どうやらここの通りは何かのお店であることが多いらしく、看板がないところの方が珍しいようです。
 見付けたそのお部屋の、扉の前まで行ってみました。
 何となく、中に声をかけてみます。
 ほんの少し間を置いてから、開いてるよ、と返されました。

 …。

 えぇと…。
 …開いていると言われた…と言うことは、招かれた、と思っていいのでしょうか?
 いえ、それ以前に。

 …今の声。何だか聞き覚えのあるお声のような。

 思い、恐る恐る扉から中に顔だけ覗かせてみます。
 部屋の奥、右左と前身頃を合わせる形の少し特徴のある黒い服を着た方が、作業台に向かって座り、何やら作業中のようでした。
 かつかつかつと細かく金属を叩く音が聞こえます。何かの細工をしていらっしゃるようです。
 服だけではなく、その方の髪の色も黒でした――黒く長い髪でした。
 癖のないその髪が、襟足の辺りで一つにくくられ、流されています。

 …まあ。

 驚きました。
 だって、お部屋にいらっしゃったのは――以前、月のない夜道で偶然お会いして、少しの間ですが一緒にお散歩をしたその方だったのですから。
 それも、夜道で遇ったあの時とは、随分と雰囲気が違ってらっしゃって。
 何と言うか、荒事に慣れてらっしゃるように見えたあの時と、見るからに職人さんらしく、お仕事に打ち込んでらっしゃる今、と言う意味での違いだけではなくて――もっと、何か。
 今のこの御方の方が、心の壁とでも言いましょうか、そんな感じのものが薄くなっているような、気がしました。あの時程には予め構えてらっしゃる様子がない、とでも言いましょうか…。
 何か、とても深い焦燥と、憂うべきことがあるようで。
 それが、ちょっと外から覗いただけで垣間見えてしまっているようでした。
 夜道で初めてお会いした時には、そんな気は全然しませんでしたのに。…あの時は、少し話し相手になって頂いている内に、この御方は何か抱えていることがあるのかしら? とほんの少しだけ――気のせい程度にだけ思えたくらいで。
 でも今は、気のせいで済ませられないような。
 そんな気がしました。
 で、そのまま暫く見ていてしまいます。
 暫くの後、かつかつかつと叩く音が不意に止まりました。
 細工をしてらっしゃったその手を止めたかと思うと――顔を上げこちらを見ています。
 その時点で、苦笑されました。
 …居るのがわたくしであることは、気付いてらっしゃったようです。
「入ってくれて構わねぇんだが。何か用があるんじゃねぇのかい?」
「いえ…あの…えぇと…ここに来たのは…職人さんがとは伺っていましたけれど…わたくしお散歩をしていただけなんです」
 声をかけて、覗いてしまったのは――ふと好奇心で。
「そうかい。…どうも見苦しいとこ見られちまった気がするが」
「?」

 見苦しいところ。
 …何のことでしょう。

「気付いてねぇってこたァねぇだろ」

 気付いていない。
 …と言うことは、今、わたくしがここに来て思ったこと、についてのことなのでしょうか?
 よくわからないので、確かめてみます。

「えっと…あの、何か…貴方様が悩んでらっしゃる様子だってことですか?」
「ほらな」
「…。…わたくしでよろしければ、いくらでもお聞きしますよ?」
「…」
「いえ、あの…解決のお役に立つのは難しいでしょうけれど、話すだけでも違うことはございますものね」
「…」

 …。

 ………………えぇっと。

 黒い服のこの御方からの反応がありません。
 止まったままで、わたくしをじっと見ています。
 表情も動いていません。
 …何でしょう。何か、お気に障ることを言ってしまったのでしょうか…少し焦ります。
 どうしましょう。
 えぇと、何か…この御方が職人さんと言うことでしたら、何か依頼の品があった方がお話もしやすいのかもしれませんね。
 わたくしの持っている物で…見て頂くのにちょうどよさそうなものとなると。

 あ。ありました。

「あの、手持無沙汰では落ち着かないと仰るなら、この海皇玉の金具を見て頂けますでしょうか」
 そうお願いしながら、胸元に下げたペンダント――聖獣装具である海皇玉を外して手に取ります。
 この海皇玉、ちょうどこの間――何だかよくわからない内に使ってしまったものですから。
 何か、具合が変わっていたりするかもしれません。
 あんまり気にしていなかったのですけれど…例えば見えないくらいの細かい錆とか出来てしまっていたり、何か損傷してしまっていたとしたら、それは職人さんにお任せする範疇のことだと思いますし。
 お任せしてみるのもちょうどいいです。

「…ああ、金具?」

 あ、反応して頂けました。
 やっぱり依頼の品があった方がよかったようです。

「あ、はい。その…先日に不思議な方にばしゃーんと」
「…って。聖獣装具じゃねぇのかそれ」
「そうです」
 答えながら、海皇玉を手渡します。
 丁寧に受け取って頂けました。
 受け取った時点で、この方の視線は海皇玉の金具部分に向いています。
「…本体部分以外だって聖獣装具がそう簡単にいかれやしないって。…悪ィな。気ィ遣ってもらっちまってよ。で、その…不思議な方にばしゃーんてな何だい?」
「水です」
「水ね」
「はい」
「…」
「…」
「…。…水がどうしたよ」
「あ。はい。…えぇと、わたくしの守護聖獣は海皇魚――リヴァイアサンになるのですが、この海皇玉――マリンオーブは、とにかく水がたくさん出せる能力のある聖獣装具になりまして」
「その水を誰かにぶっかけたと。…不思議な方っつってたが」
「はい。突然現れて、突然居なくなってしまったみたいなのですが…貴方様に似た服装の方でした」
「おれに」
「はい。…あ、お話の前にお名前を。自己紹介は欠かせません」
 わたくしは前の時に名乗らせて頂きましたが、こちらは貴方様の名前を聞いていません。
「…あー、そういやこないだは結局名乗らず終いだったな。慎十郎だ。夜霧慎十郎」
「…」

 あら。

 何処かで聞いたようなお名前です。
 何処で聞いたのでしたっけ?
 少し考えます。

 …ああ。

 思い出します。
 ばしゃーんとお水をかけてしまった不思議な方が、居なくなる前に言っていました。
 慎十郎も絆される訳だ、とか何とか。
 取り敢えず、こちらの慎十郎様と名前の響きは同じです。
 それで、服装も似ていらっしゃる。

「…どうした?」

 あら。
 こちらの反応を促すような、慎十郎様の声が聞こえます。
 どうやらわたくしは…少し長く黙り込んでしまっていたようです。
 …なので、答えがてら、直接確かめてみることにしました。

「慎十郎と言うのは貴方様?」
「…ん。ああ。まぁ、他にも名が同じ奴ァ居るかもしれねぇが…取り敢えずおれァ慎十郎ってんだが」
「そうでしたか。…いえ、その不思議な方が仰っておられたのですけれど、わたくしどなたのことなのか確認出来なくて」
「………………ちょっと待て」
「はい」
 待ちます。
「遇ったのか」
「はい」
 慎十郎様の名を出した不思議な方に。
「………………待て待て待て」
 何だか焦っているように慎十郎様は呟いています。…手許も止まっています。
 その科白はわたくしに対して言っているのかどうなのかちょっとわかりかねましたが、一応、待ちます。
「…そいつの服装はおれに似てるっつってたが、袴――つか何て言い換えれば良いんだここだと――まぁとにかくおれのこの格好の上に何か真っ直ぐ縦に折り目付いてる下穿きっぽいもん穿いてなかったか? で、髪は黒。長くてこの辺で縛って…つかそれよりこっちの方がわかりやすい特徴になるな、そいつの服の袖口から短い鉄の鎖垂れてなかったか? 一尺――あー、肘から手までくらいの長さのよ」
 と、慎十郎様はわたくしがお渡しした海皇玉を作業台に置く間も惜しんで、自分の頭の後ろ高い位置に手を当てたり何だりとやや慌てた様子でわたくしに訊いてきます。
 頷きました。
 だいたい仰られるような…そんな感じでしたので。
「…はい。確かに両の袖口から鉄らしい鎖が垂れていましたよ。それから…赤いような黒いような…土のような色の炎を纏っていらして」
「――」
 答えた途端に――炎の話を付け加えた途端に、でしょうか――とにかく慎十郎様は息を呑んでいました。
 そのまま、口を噤んでしまいます。
 何故でしょう?
 考えます。
 お心当たりがある方なのでしょうか。
 訊いてみることにしました。
「ところで慎十郎様も、あちらの…」

 …。

「…あら、あちらの方のお名前が今度はわかりません」
 そういえば、伺ってませんでした。
 と言うか、あの時は――その余裕がなかったとも言うのですけれど。
 どちらにしろ、直接お会いした方だと言うのにお名前の一つもお聞き出来ないとは。
 …慎十郎様の時と言い、何だかこんなことばかりで溜息が出ます。
 うーん。
「…今度お会いしたらお尋ね出来るかしら」
 お名前。
 と。
 思わずぼやいたところで。
「龍樹だ」
「はい?」

 慎十郎様がどなたかのお名前らしい響きの言葉を仰いました。

「…奴の名前は佐々木龍樹。それ以外にゃ無ぇ筈なんだ」
「奴?」
「…いや、だからな、あんたの言う『お名前を聞けなかった不思議な方』だよ」
「まぁ。やはりお心当たりが」
「言い切れねぇが。まず間違いねぇよ」
「…。…そうですか。あの方は龍樹様と仰るのですか…でもやっぱり、一応ご本人様に確かめてみなければなりませんね。慎十郎様の仰る通りこれだけの情報では言い切れませんし、よく似た別の方という可能性もあるかもしれませんし。やっぱり自己紹介はご本人からして頂かないと。…またお会い出来るといいんですけれど」
「…。…て、こたァ、あんたは奴に遇って、無事に済んだって事なのか?」
「?」

 無事?
 それはわたくしはご覧の通り無事ですけれど…ああ、そういえば。
 あの時は。

「無事…と言うか…たぶん…わたくしあの不思議な方に首を斬られたんじゃないかとは思うんですけれど…ですけれど、結果として居合わせた方はわたくし含め皆無事に済みましたし…いえ、お店が無事じゃありませんでしたか…いえ、あれはわたくしが水浸しにしてしまったんでした…」
 と、わたくしは考えながらそう答えていました。
 そうしたら。
 慎十郎様は――絶句なさっていたようでした。
 …わたくし、また何かまずいことを言ってしまったのでしょうか…。
 思っていると、慎十郎様は我に返ったようでした。…慎十郎様が我を忘れていたらしいことにその時点で初めて気付きます。
「…。…まぁ、何にしろ姐さんの方であんまり気にしねぇで済んでるようなら良かったが…本当の本当に大丈夫なんだろうな? 意地張ってるとか我慢してるってんじゃねぇだろうな? もしそうなら放っとけねぇぞ?」
「まぁ…ご心配下さいまして有難う御座います。ですが…本当にご覧の通りで」
 わたくしは、無事ですけれど。
 そう重ねると、慎十郎様は軽く息を吐きます。
 漸く落ち着かれたようです。…何と言うか、今度は――ふっと憑き物が落ちたみたいに唐突に落ち着かれました。
 それで、わたくしの顔を見ています。
「…。…ま、確かに…姐さんなら我慢とか意地とかそういう厄介なモンたァ縁遠いか…」
「…。…我慢とか意地ですか…確かに、言われてみればわたくし、あんまり我慢したことはありませんし…意地を張ったこともない気がしますね?」
「やっぱりな」
「はい。で。…やっぱりと言えば慎十郎様はその龍樹様に――やっぱり心当たりがあるらしいと言うことですが」
「ああ。だがその話の前にだ。…出来れば、あんたが龍樹と遇った時の状況教えてくれないか。頼む」
「? …ええ。構いませんけど」
 別に拘りはありません。
 あの不思議な方――たぶん龍樹様――とお会いした時のこと。

 ――…それは、少し前、とある喫茶店に来店した時のことでした。そのお店の方とお話していた時に、その不思議な方は何処からともなく――恐らくは何処かの戦いの場に居たような臨戦態勢のまま、予期せずいきなりその場に転移して出て来たようでした。どうしてそうなっていたのかはよくわかりません。とにかく、その時の衝撃?でお店の方が一人吹き飛ばされてしまったり、その方とはまた別のお店の方がそれで怒って…その不思議な方に対峙してらっしゃったりしたのですが…そんな時に、割って入るようにわたくし、ばしゃーんとしてしまいまして。
 そうしたら、その場は一度は止まったのですが…今度はその不思議な方はわたくしの方に来まして…それで…えっと、汝は何だ。とか訊かれたのですよね。で、訊かれましたので、わたくしもいつものように自己紹介をしまして…そうしたらその方は、慎十郎も絆される訳だ。とか何処か楽しそう?に仰っていて――それからわたくし首を斬られたようでして。で、その後…気が付いたらその方はいなくて、わたくしお店の方たちに起こして頂いたんですが…その時にはわたくしの斬られた筈の傷もお店の方たちの怪我もなかったんですよ…――。

 と、掻い摘んでそこまで慎十郎様に話します。
 慎十郎様は、わたくしの話をそこまで聞いた時点で、そうかい、としみじみ呟いていました。
 何だか、表情も違います。
「…その状況で――話せる意志がある場合も殺さねぇ場合もある、って事か。にしても。…おれの名が出るたァな」
 話す声は心なし、嬉しそうでもありました。
 …何故なのか、よくわかりません。
「あの、慎十郎様は…今の話で龍樹様だと思われますか?」
 わたくしがお会いしたその方が。
「ああ。龍樹だ。…おれがこっちに――ソーンに来てからずっと、捜してる奴だよ」
「…ひょっとして、先程の…」
 わたくしがここに来たその時。
 悩んでいらっしゃる様子だった――原因?
 と、わたくしはそこまで口には出しませんでしたが、慎十郎様はわたくしがそう思ったことを察しているようでした。
 具体的に肯定はされませんでしたが、そんな風な表情をわたくしに見せてから、慎十郎様は続けます。
「…やっぱりあいつん中にゃまだ確り龍樹は居る」
「?」
 えぇと。
 龍樹様…というのは、その方のお名前だと。なのに…言い方が少し変な気がしました。
 先程も、今も。

 ――龍樹以外の名は無い筈。
 ――中にはまだ確り龍樹は居る。

 何だか、持って回ったような言い方です。
 慎十郎様は、その方のことが龍樹様だとご自分で仰っているのに、まるで――『龍樹様ではない』のだと同時に仰ってでもいるような。そして――それを否定したいとも思っていらっしゃるような。
 そんな口振りに感じました。
 慎十郎様を見返します。
 と、慎十郎様もこちらを見ていました。
 相変わらずわたくしの預けた海皇玉を机上で手に持ってらっしゃいますが、それでもどうも、これから話をしようと腰を据えたような感じにも見えます。
 思った通りに、話しかけられました。
「…色々面倒臭ぇ話になるぜ?」
「わたくしは全然構いませんよ? あ、でも慎十郎様の方でご面倒だと仰るなら…」
「そうじゃねぇよ。…あんたの方で面倒臭ぇかもって事だ。
 …おれァな、そもそもあいつが消えたって話を蓮聖様――ああ、龍樹の剣の師匠で実質あいつの親父みてぇなもんなんだが――に聞いてソーンに来たんだ。消えたっつってもただ失踪ってんじゃねぇ。…色々面倒な事情もあってな。ともかく何か、龍樹を連れ戻す助けになれればって思って来た訳だ。つってもまぁ、おれで何処まで出来るかってぇとわからねぇ。龍樹の居所の手掛かりは時々聞く『獄炎の魔性』の騒ぎしか無ぇからな」
「『獄炎の魔性』の騒ぎ…ですか?」
「ああ。その身に煉獄の炎の如き気配を纏った人型の魔物が段平振り回してあちこち無差別に襲撃してるって話だよ。…どっかで聞いた事ねぇか?」

 ?

「…。…だんびらふりまわして…ですか?」
 いえ、そもそも『だんびら』と言うのが何なのかわかりません。
 と、そこまで言わない内に、慎十郎様が軽く唸っていました。
 察して下さったようです。
「…。…あー、段平ってな日本刀の事な。…いやこっちで日本刀でわかるっけか…? …浅く湾曲した細身で片刃の刀なんだが、それがそいつの使ってる得物なんだよ。…どうだ?」

 ああ。
 それならわかります。
 わかったところで、少し考えました。
 ご質問の通り、何処かで『そんなお話』を聞いたことがあるかどうか。
 結論が出ました。

「…えぇっと…ない、と思います」

 ただ。
 お話を聞いたことはありませんが、今のお話にあった、『そんなお姿』ならば――直接、見たような気がしますが。
 …先日。
 喫茶店で。

 龍樹様。

「そうかい。…あんたが龍樹に遇ったって言う喫茶店での話。多分『それ』なんだがな」
 やっぱり。
「…では、その龍樹様が、『獄炎の魔性』と呼ばれている方…だと言うことになるのでしょうか?」
 訊いてみます。
 と、慎十郎様は答える代わりに続けて来ました。
「…その『魔物』は神出鬼没。何の脈絡も無く何処にでも出るって話になってる。場所すら連続していない――ある一地点の近隣に被害が起きてるとかそういうんじゃねぇらしい。もっと全然関係無いような飛び地で、他の村で他の町で他の国で――同じ奴が移動してるとは思えないくらい全然違う場所で全部起きてるって話だ。時期もバラバラ。目撃証言からはその場から掻き消えたとか地面を水面に見立てたみたいに潜って消えちまったとか、まともじゃありえねぇ移動をしてるって話も聞いてる。実際蓮聖様も直接やり合ってる最中にありながら――何処で龍樹見失ったかわからなかった訳だしな。…ただ、現れた場所での破壊と大量虐殺。その凶悪な手口と姿だけは何処でも共通でな。違いと言えば被害が多かったかそれとも少なく済んだかだけの差だ」
「…」
「何か納得してねぇって面だな」
「わたくしのお会いしたあの方は、少なくともあの場所では…わたくしもお店の方も殺しませんでしたけど?」
 場所も…椅子一脚を真っ二つ、以外は何も壊していなかったと思いますし。
「…そういうこった」
「?」
「あいつァ本当は簡単に人殺めるような奴じゃねぇんだよ。問答無用なんてぇんじゃ尚更だ。…だが今おれが言った通りの話がその辺にゃ聞こえてる。実際にそんな被害に遭ったって奴の話も聞いた。だから今の龍樹は元々の龍樹とはどっか違うってこたァ覚悟してた。連れ戻すと言っちゃあいるが、それが可能かどうかなんざ考えても考えてもわからねぇ。どうしても連れ戻すと思っても頭のどっかで無理だって思っちまってる。…調べれば調べる程だ。無理だと思ってはそれを必死で打ち消してまた調べてる。あの女――とっくに死んだ筈の龍樹の許婚なんだがな、そいつがこの世界で暮らしてたあいつの目の前にいきなり現れて、どうやらそこで何かあって今の龍樹がああなっちまったらしいんだが…そっちから根本原因を調べりゃあまた別の道が開けるかとも思ってるんだがそっちもどうも上手く行かねぇ。…その許婚本人がどうしてこうなったか全然わかってねぇんだ。…真偽の程は知らねぇが、その女がした事っつやぁ龍樹と顔を合わせただけで――言葉の一つも交わしてないと来てるんでな。…そう来られりゃあどうしようもねぇ。…そう思ってたところにあんたの…姐さんのその話だ」
「わたくしの話、ですか」
「殺しをしてねぇ上に、話をしてるって言ったろ」
「はい」
「聞いたの二度目なんだよ。それ。て、事ァまぐれじゃねぇだろ。一度なら何かの幸運な条件が重なった結果の偶然、まぐれかとも思うさ。だがそれが、二度も続くか? …続かねぇよ。まぐれなら」
 はい。
 わたくしも、そんな気はします。
「ならまだ望みは持てる。…本来のあいつは魔物なんかじゃない。おれの方が余程そう言われておかしくねぇ事やって来てる。そりゃあいつは強いさ。おれよりな。だがその腕は滅多に振るわねぇ。人前で見せねぇ。見せたら余計な争いを呼び込むと思ってる。元々、争うのが嫌いな情け深ぇ奴なんだよ。…そりゃ一度地獄を見たら当然だろうがな。ただ、心の方でわかっててもそれでも戦場でしかまともに働けねぇと思ってる奴も居る。…おれもその口だった。それがあいつに遇ってから考える余地が出来た。…争いを避ける事。真っ当に生きる事。お前なら出来る事だろ。お前案外優しいよな。…言われれば言われる程調子が狂わされる。初めは不快だったさ。だがそれでもどうしてもあいつの事が切り捨てられねぇ。あいつの声が言葉が消えねぇ。何甘っちょろい事ぬかしてやがると思ってんのに、言う事聞いちまう。こっちの心持ちなんぞ知らねぇでどんどんおれん中に土足で入って来やがる。いつからかそれが厭じゃなくなってやがる…絆されたっつやァその通りだ。終いにゃ奴の為と異世界にまで飛んで来ちまう始末さ」
 と、慎十郎様は何処か自嘲気味に――ですが同時に、何処か暖かみも感じられる表情で微かに笑っています。
「…そういえばわたくしも…絆されたとか何とかそれっぽいことを言われたような?」
 龍樹様に。
 えぇと、何でしたっけ。
 …。
 確か、慎十郎も絆される訳だ、でしたか。
 …あら?
 この文脈ですと。
「…慎十郎様が、わたくしに?」
 思わず口に出します。
 出したところで、慎十郎様は苦笑いしていました。
「あいつァそう言いたかったんだろうな。…あんたがおれに遇った事があると勘付いてた。勘付いてたって事はあいつはまだおれの事を覚えてる…本来のあいつはまだちゃあんと居るって事だ」
「それで殺されなかったのでしょうか?」
 あの時の龍樹様に。
「…だったらこないだの『散歩』も姐さんの役に立ったと言えるが」
 はい。
「そうかもしれませんね」
 頷きます。
 それから、有難う御座いましたと慎十郎様に頭を下げてみました。
 と。
 おいおい、と慎十郎様が慌てていました。
「いや、そう言い切れる事じゃねぇんだからンな頭下げるなよ。ったく。不用意に軽口も叩けねぇな」
「え、軽口だったんですか?」
「…。…ま、とにかくな。あんたが遇ったのは、本来はそんな男なんだよ」
 慎十郎様はそう強調してきます。
 少し回想してみました。
 この間の、龍樹様のこと。
 はい。
「…言われてみると、そんな気もしますね」
 争いを嫌う、情け深い方。
 と。
 慎十郎様が目を丸くしてらっしゃいました。
 酷く驚いていらっしゃる様子です。
 …何故でしょう?
 思っていると、何処か茫然と訊き直されました。
「あんたがそう思うのか?」
「はい」
 頷きます。
 だって、そう思いましたから。
「…それは…現れたあの時は一見怖そうな方に見えましたけど…何やらそれが普段通りではないような…何処か尋常でない気配を放ってらっしゃって。ですから、もしそれが落ち着かれたなら、実はお優しそうな方なんじゃないかな、って、何となく思いまして」
 いえ、特に根拠はないんですけれど。
 …やはり、自分の首を斬った方に対してそんな風に思うのは、おかしいでしょうか。
 そう思いながら、慎十郎様を見ます。

 と。
 慎十郎様は――本当に嬉しそうに目を細めて、笑ってらっしゃいました。
 …それは、わたくしの話を聞いて、だったのでしょうか。

 まあ、とちょっと驚きます。
 いえ、慎十郎様のこんな素敵な笑顔は、初めて見せて頂いたので。
 思わず、まじまじと見てしまいます。
 と、慎十郎様の方でもすぐにわたくしの視線に気付いたようでした。かと思うと、ふっとその笑顔が消され――ばつが悪そうな表情に変わってしまいました。

 ?

 何故でしょう?
 とても素敵な笑顔でしたのに。勿体ない。
「慎十郎様?」
「…ん? ああ、事情何も知らねぇあんたでそんな風に思って貰えるようなら…ってな」
 その言葉も何処か上の空で…何かを誤魔化そうとしているような焦りまで見えた気がしました。
 …どうしたのでしょう。
 よくわかりません。
 ただ、何となく、ある特定の方についてのことでわかりやすく一喜一憂するような――先程からのこういう反応、何処か全然別のところでお見かけしたことがあるような。
 龍樹様とお会いした時ではなくて、慎十郎様が絡んだ時のことでもなくて…何か、もっと全然別の時に。

 …。

 ああ。
 思い出しました。

「あの、慎十郎様は…その龍樹様のことがお好きなのですか?」
 訊いてみます。
 …そう、まるで。
「えっと…あの、今のご様子…まるで恋してらっしゃる乙女のようでしたから」
 と。
 続けた途端に、慎十郎様の頭ががくりと倒れます。
 それで、今度はばつが悪そうな――どころか、眉間に皺を寄せた渋い顔をなさっていました。
「………………おい?」
「はい」
「…おまえな」
「?」
 何でしょう?
 慎十郎様はわたくしに何か言いかけたようでしたので、続けられるお言葉を待ってみます。
 が、予想に反し、沈黙が続きます。

 ?

「…あのなぁ」
「はい」
「…」
 暫くして一度また何か言いかけたかと思ったら、また沈黙が続きます。
 えぇと、これは。…ひょっとして照れてらっしゃるんでしょうか? うふふ。
 微笑ましく思いながらそのまま待ちます。
 慎十郎様の様子は変わりません。
 わたくしに対して、何をどう言い出そうか迷ってらっしゃる感じです。
 で、それから、更に暫くして。
「…ほっとけ」
 ぽつりとそれだけ呟かれました。
 それから慎十郎様は、片手でぐしゃりと髪を掻き回すようにして自分の頭を押さえています。
 何となく、話すことを――たぶん、言い訳するのを諦めたようでした。
 慎十郎様はそれから、少し態度を改めてわたくしを見ます。
「…ともかくな。あいつの名前は龍樹だ。獄炎の魔性なんかじゃない。その事、忘れないでやってくれ」
 そう纏めると、慎十郎様はわたくしがお預けしていた海皇玉を、わたくしの方に差し出してきました。
「こっちは特に問題ねぇよ」
「あ、そうですか。見て下さって有難う御座いました」
 お礼を言いながら、差し出された海皇玉を受け取ります。
 そうしたら、どう致しまして、と慎十郎様は普通に返して下さいました。
 けれど。
「…」
「…」

 ?

 それ以上、お話が続きません。
 かと思ったら、また慎十郎様ががくりと項垂れていました。
「慎十郎様?」
「…まぁいいか」
「…。…あ、ひょっとしてお話、おしまいでしたか」
「…あーもう好きにしててくれ」
「そうですか? ではお言葉に甘えて」
 慎十郎様の対面辺りになる位置。部屋の上がり框に腰掛けてみます。それで、座っている慎十郎様の前の、作業台の上をじーっと見てみました。
 そこにあるのは、作りかけと思しき金属の細工物。それと、使っていた道具――鑢のような鑿のような、細長くて小さな、同じように見えるけれど先端が少しずつ違う道具が数本置かれています。それから、槌。脇に置かれている道具箱らしいものの中を見れば、そんな道具はもっとたくさんありました。細長く平べったい撥のようなものなども。他に石のようなものやら紙の包みやら何かが入っていると思しき小さな壺やら、何に使うのかよくわからないものも色々入っています。
 その内、慎十郎様は先程まで――わたくしが訪れる前までにしていた作業の続きを始めたようでした。
 わたくしが居ることなど忘れたみたいに。

 …。

 見ていると、結構面白いです。
 作業自体は単調ですが、その結果が――刻まれた図案が、少しずつ表面に浮かび上がってくるのが。
 かつかつかつと叩く音は、わたくしが訪れる前に聞こえていたものと全く同じ。
 …どうやら、慎十郎様は本当にわたくしの存在を気にしてらっしゃらないようです。
 好きにしててくれとは仰いましたが、それでも本当にお仕事を再開されてしまったのなら――お邪魔になりはしないかとちょっと心配だったのですが。
 大丈夫のようでした。
 それどころか…気のせいか、ここに初めに伺った時と比べて、慎十郎様の様子が少し変わっていたように見えました。何と言うか…お悩みが、解決とまでは言わないまでも、何処か薄らいで…和らいでいるような。

 となると、先程の話…何かお役に立てた、と言うことなのでしょうか?
 だったらよかったのですけれど。

 …気にはなりますが、確認は取りません。
 いえ、何となく、答えては頂けない気がしますので。ふふ。

【了】


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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
×××××××××××××××××××××××××××

 ■整理番号/PC名
 性別/年齢/職業

■PC
 ■2994/シルフェ
 女/17歳/水操師

■NPC
 ■夜霧・慎十郎

 ■佐々木・龍樹(名前のみ)
 ■風間・蓮聖(〃)

×××××××××××××××××××××××××××
          ライター通信
×××××××××××××××××××××××××××

 いつも御世話になっております。
 今回は【炎舞ノ抄】三本目の発注、有難う御座います。

 ノベル内容ですが、シルフェ様は…取り敢えずの面識はあるにしろ、慎十郎の家までは知らなかったと思うので、入ったのは偶然な方向で描写させて頂きました。
 で、慎十郎が誰かさんの事について滔々と語るのを聞いてみたい…との事ですが、恐らく叶えられたのではないかと(笑)。そして同時に、慎十郎がこれ程心の内を素直に吐露するような…べらべら喋りまくるような事は…以後、まず無いんじゃないかと思います。と言うかシルフェ様は…何だかんだで相当慎十郎を手懐けられている事になると思います(笑)
 これまでの状況とシルフェ様のPCデータ内の何処か、がやっぱり大きいのですが。
 それからプレイングですが、面倒などと言う事はないですよー。今回も名前の件から龍樹の話に移行するくだりで上手い事慎十郎の調子を狂わせるようなプレイングを頂きましたし。

 …そんな感じでしたが、如何だったでしょうか。
 少なくとも対価分は満足して頂ければ幸いなのですが。

 では、また機会を頂ける時がありましたら、その時は。

 深海残月 拝