<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


【ソーン芸術祭2009】らくがきをはじめよう

■何故か絵筆を渡されて。

 芸術祭と言う事で、街の雰囲気も――その辺を歩いている連中も、どうも色々と浮かれている。
 そんな中を冷やかしがてら歩いていて、不意に目についた旅人らしい一人のガキ。
 …そのガキは、複数本の絵筆を器用に操り、家壁にらくがきをしている――俺は何となく、そのままずっと見ていてしまう。
 妙に上手い。
 と。
 描き上がったと思しきところで、そのガキはこちらを――俺の方を向いてにっこり笑い掛けてきた。
 そして。
 一緒にやるか、と自分の使っていた絵具滴る絵筆をいきなり一本渡してきた。
 タギングとか何とか言われた。
 …なんだそれ?と思ったところで、誰かが誰かを追っているような怒号が相次いで聞こえてくる。…どうやらエルザード騎士団らしい。…と、あ、ヤベ、とだけ残してそのガキはすたこらさと何処ぞへ駆け去ってしまった。
 思わずその姿を黙って見送ってしまう。

 見送ってしまったその視界の隅で。
 脈絡無く、いきなり何かが現れた気がした。
 ぎょっとする。
 何事かと思ったら――たった今ガキが描いていたらくがきが、目の前で盛り上がり、実体化して動き出していた。
 唖然とした。

 そこで漸く、エルザード騎士団はリルド・ラーケンの元にまで辿り着く。
 …今さっき逃げて行った旅人らしいガキからいきなり渡された絵筆一本を持っている、リルドのところに。



 一時停止。
 リルドのところまで来た時点で、そこまで駆けて来ていた騎士団連中はぴたりと足を止める。
「?」
 一瞬、リルドは何事が起きたのかよくわからない。
 が、よくよく確かめてみれば、騎士団連中の視線はびしっとリルドの手許に向けられていた。
 気付いた時点で、何を言われる前に、リルドの方でも気が付いた。
「ああ、この絵筆か? さっきそこの家の壁にらくがきしてたガキから突然渡されたんだけどよ。で…」
 そのらくがきが、どうもこれでよ。と、今現在目の前を――周辺を駆け回っている鼠と猫を指し示す。

 …。

 暫し間が開いた。
 …騎士団連中とリルドの間で無言が続く。
 それから、後。
 騎士団連中の視線が、疑わしげにリルドに向く。
「…んだよ」
 当然、リルドもリルドで睨み返す。…睨まれるような覚えは無い。自分は今ここで見た事あった事を全部正直に言ってるし、渡されたこの絵筆だってあのガキからただ勝手に貸されただけ。正直に見せているし、今だってこうやって――渡そうとしている。
 なのに。
 騎士団連中の声に険が籠もっている。
「おい、ちょっと一緒に来てもらおうか」
「…はぁ? なんでわざわざこれ以上あんたらに付き合わなきゃならねぇんだよ」
 正直に話したし、あんたらの方でこの絵筆持ってきゃそれで済むだろうが。
「いや、言い訳なら後で聞く。大人しくしていれば危害は加えない」
「…。…何言ってんだあんたら!? ちょっと待て、俺じゃねぇよ!!」
 傍迷惑ならくがき犯人は。
 …確かに、絵筆は持ってるし見ていた通りの説明も出来ているし、そもそも持っている絵筆から絵具が滴っていれば、説得力は無いかもしれない。
 けれどリルドにしてみれば完全に濡れ衣で。
「だから大人しくしろと言ってるだろうが!」
「だから俺じゃねぇっつってるだろ!!」
「貴様っ!!」
 最早問答無用。
 リルドは自分の肩を掴まれかかったところで、いなすようにして騎士団員の手を振り払う――同時に、ばちりと青白い火花が接触部分から騎士団員の手に掛けて走る。…放電。感情に任せて殆ど反射的に発してしまったそれ。リルドの肩に手を伸ばしていた騎士団員がその痺れにぎょっとして手を引っ込める――引っ込めたところで、目の色が変わる。

 …ヤバい、と思う。

 これは、本気になった目の色だ。
 リルドがそう認識したのと同時。

 仲間の一人に放電した一連の状況を見ていた騎士団連中が、今度は一気にリルドを取り押さえに掛かって来た。
 …もう、様子見で話を聞こうと言う態度ではない。



 認識したのと同時に、リルドの身体の方はもう逃走に入っている。
 …そのくらいの危機意識は一応あの時点であった訳で。
 取り敢えず今の時点では――あちこち路地を入り駆け回った結果、さっきの騎士団連中を撒く事は出来ている。ただ、今は逃げ切れたようだとは言え――次に騎士団と名の付く連中に遇った時にはどんな扱いを受ける事やらと先が思い遣られる状況でもあり。
 周囲に視線を巡らせつつ、リルドは、ち、と舌打つ。
 …それもこれも全部あのガキが渡してきたこの絵筆が悪い。
「ったく…どこ行きやがったあのガキ!!」
 いきなり面倒事に巻き込みやがって。
 自分を取り押さえに来た騎士団連中から逃走がてら、当然の如くリルドは濡れ衣を腫らす為『あのガキ』を捜しもしている。…南方系なのか種族の問題――何となく竜の系統っぽい気もした――なのか黒褐色の肌に、鮮やかな紅色のツンツン頭。瞳は金色。風体は有り触れた旅装の小柄なガキ。が、両手には指に挟んで持っている複数本の絵具滴る絵筆――片手だけでも六本くらい持っていた気がする。俺に一本程度渡しても全然困らないんじゃないかと思えるくらいの本数はあった。
 …結果として、目立つ風体ではあると思う。
 が、どうも見当たらない。見付からない。
 辺りを見渡し、そこらを動いている様々な変なもの――恐らく画風からしてあのガキの描いた実体化した絵なのではと思われる――の出没頻度?を指針にリルドは移動。
 あの旅人らしいガキを捜して歩く。

 …歩いているところで。

 ずしん、と重そうな音がした。
 足音。
 同時に、唐突に影が差す。
 …その影の中に、自分が居る。
 そこに影を落とした主。
 今現在射している筈の陽の光と比較し、光を遮った影の主の大きさを想定。その姿を確認する為――見上げる。そこまで殆ど反射行動。

 と。
 …そこに居たのは――鬼。

 え? と思う。
 思ってから、その鬼の姿をじっくり見直す。気になる事があった。見逃せなかった。…それはただ街中に現れた魔物だかモンスターだったから、と言う訳ではなく。
 直感的に、何か不自然な気がしたから。
 見ている内に、ひょっとしたらと思い付く。何故なら、その『鬼』の姿が――『あのガキの画風と、重なる』。…となれば――これも、さっきの猫や鼠と同じ、実体化した、絵の可能性。

 その『鬼』は、リルドが見ている前でのしのしと何処ぞへ歩いて行った。…ちなみにリルドに見られていた事には気付いていなかったらしい。
 思わず黙って見送ってしまう。
 それからリルドは、まだ一応持ったままでいた――今思えばよく捨てていなかったものだと思う――件の絵筆を改めて見る。

 …今の『鬼』。
 足音は確り重かった。
 表情もあった。
 目の光もあった。
 ガタイもデカかった。
 もし直接対決するならば、歯応えがありそうだった。
 今の『鬼』は画風のせいか幾らかはコミカル寄りの設定らしく、殺気は感じられなかった。本気の危険さは感じられなかった。だからリルドもただ呆然と見送れた。
 …その『鬼』は少なくとも、本気で人を襲うような奴ではないようだった。が…もし。もしこれが、本当に『その気』で描かれたものだったなら…どうなるだろうか?
 想像してみる。

 …。

 イイ感じの相手になりそうな気がしてならない。

 …描いた奴と戦ったら面白いのか…?
 そんな要らん事を思ってしまう。

 思った時には、リルドは近場の家壁におもむろに絵筆を走らせていて――…。



 実際に描きながら、何を描こうか考える。
 出来るだけ強そうな――凶暴そうな奴が良い。
 戦ったら面白そうな相手。
 コロッセオの剣闘士。
 体格の良い魔獣。
 悪魔。
 さっき見掛けた奴より凶暴そうに脚色した鬼でも良いし。
 …考えてしまうと、迷う。
 描き損じを塗り潰し、新たに描き始めようとする。一時絵筆を止め、頭の中で描写するものについて纏める。纏めている間に描き損じの部分が実体化した。…極彩色の何だかよくわからないもやもやした綿埃のような物体になったかと思うと、数回弾んで、消えている。

 …よし、こうしよう。

 改めて図案を決めてから、リルドは再び絵筆を走らせた。



 描き上がる。

 …こんなもんで良いか。
 リルドは自分で描いてみた絵を見直して、頷いた。
 と。
 その背後から何処かで聞き覚えのある――科白の内容にしてはやけに素っ気無い声を掛けられた。
「貴殿が犯人でしたか」
「…あ?」
 振り返る。
 そこに居たのは――年齢不詳の、身に纏う色素が全体的に薄い、これまたガキみたいな和装の男。
「…なんだ。あんたかよ」
 蓮聖。
 …獄炎の魔性の――佐々木龍樹の師匠。
 相手の正体がわかったところで肩の力が抜ける。
 それを認めてから、蓮聖は静かに微笑みかけてくる。
「はい。御無沙汰を」
「…ンなトコで何やってんだよ」
「拙僧は騎士団に駆り出されているだけですよ。…芸術祭と言う事で警邏の人手が足りないのだと伺いまして」
「――っ」
 騎士団。
 先程の件を思い出し、リルドは反射的に怯む。
 が。
 怯んだ途端、蓮聖に喉の奥で小さく笑われた。
 その時点で、騎士団への警戒よりこの相手にカチンと来る方が先になる。
「…おい」
「失礼。…ところでこの絵は…何かの魔獣、でしょうか?」
「お。わかるか?」
「ええまぁ一応。…個性的な画風だとは思いますけれども」
「…。…そりゃどういう事だよ」
「言葉通りです。他の方では同じ風には描けないだろうなと。…おや、絵の部分が盛り上がり始めた。…となるとやはり貴殿が犯人と見て良い、と」
 この状況の。
 と、蓮聖は己の背後を指で差す。…そちらには『あのガキ』が描いたと思しき、様々な騒ぎを起こしている実体化した絵がちらほら。
 リルドは違うと言い掛けて――けれど実際に今ここで自分も絵を描いてしまった事で更に説得力が無くなってしまった事にも思い至る。
 なら、もう言い訳は何も出来ない。
 それより、目の前に実体化し始めた魔獣の方に注意を払う事にした。こうなってしまえば、そちらへの対処が先。幾ら絵の実体化だとは言え、目の前に殺気立った凶暴な魔獣が現れれば――蓮聖の方だってグダグダ言ってられはしない筈だ。

 と、思ったが。

 リルドに聞かせる為にしたような、わざとらしい溜息が聞こえた。
「こうなってしまった以上、責任は取って下さいね」
 拙僧は知りませんから。
「――」
 言われ、リルドは思わず蓮聖の姿を目で追う。と、蓮聖はあっさりを踵を返してこちらに背を向けている――別れの挨拶のつもりか軽く片手を上げたかと思ったら、次の瞬間にはもう地面を蹴っている。…騎士団に駆り出されていると言いながら、あろう事か犯人と見た上で本当に放置して去る気らしい。それはリルドは言われなくてもこの絵を描いた責任は取る気だったが――それでも少し呆れた。
 が、そんな事を悠長に考えている余裕は今は無い。

 蓮聖が去るのと同刻、実体化した魔獣がリルドに躍り掛かって来た。



 …躍り掛かって来た魔獣の爪をぎりぎりで受ける。咄嗟に抜いていた剣が何とか間に合った。間近で凶暴に開かれている魔獣の顎。唾液を飛び散らせ牙を剥き出しにし、剣越しにリルドに迫るその姿。
 力尽くで突き放す。
 それだけの手応えがある。
 明らかな殺気。
 俺に向けた。
 …これは、相当だ。
 思わずぺろりと舌舐めずり。
 戦闘相手として、予想以上の出来。剣を構え直し、次の衝突を――次に訪れる歓喜の瞬間を期待する。

 が。

 互いに相手の様子を窺い、対峙しているそこで。
 不意に何者かがリルドの後方に飛び込んで来た。気配でわかる。ぶつかるかと思う――直前で身を翻し回避。相手を確認する。
 ぶつかりそうになったその相手は、身体中に呪符をぐるぐるに巻いた上にマントを靡かせた、流しっぱなしの長い黒髪の――野性的な印象を持つ赤い目の少女。
 千獣。

 そしてその傍らには、夜色の立派な毛並みを靡かせた、巨大な狼のような――魔狼が居た。



■更なる騒動勃発。

 互いに、一瞬、何が起きたかわからない。
 …千獣は渡された絵筆で自ら描いた『母親』と共に逃走、偶然飛び込んだ路地で――魔獣と対峙していたリルドの背中に激突しそうになったところ。
 …リルドは渡された絵筆で自ら描いた魔獣といざ対決――しようとし、そこで不意に背後から突進して来た千獣を慌てて回避したところ。
 次の瞬間には、その路地に顔を出す人がちらほら。千獣と『母親』が飛び込んだ先。そう見て何事かと思ったらしい――同時に、リルドの描いた凶暴な魔獣も再びリルドに向かって躍り掛かって来ている――結果的に千獣と『母親』、路地を覗き込んだ人々がその魔獣と正面から鉢合わせる形になる。幾つかの悲鳴が木霊した。咄嗟に目の前の魔獣の殺気に反応する千獣と『母親』。リルドも自分が描いた魔獣がひとまず現時点では一番危険と認識、抜いたままだった剣を振り上げ改めてそちらに躍り掛かる――千獣の方は今にも前に出ようとしている『母親』を押さえつつ――何故か庇うようにしつつ、精一杯警戒して防御に徹していた。

 目の前の状況。何だかよくわからないが、それでもこうなれば早々にケリを付ける必要がある事だけは確か。思いつつ、リルドは一足飛びに自分が描いた魔獣に肉薄、斬撃を浴びせる。雷撃の魔法を纏わせた上に、確りと膂力の乗った重い斬撃。身軽さで直撃は避けられてしまったが、雷撃が掠った時点で魔獣の裏返った悲鳴が発される――『絵』の元の素材の伝導率が良いのかどうなのか、雷撃がやけにあっさり効く。…こんなもんかよと思う――まぁ、状況からするとこんなもん程度の方が良い事は良いのだが。今のこの状況で周囲構わず自分の楽しみの為だけの戦闘行為を強行する程リルドも無神経では無い。…ノッてしまっていたらここまで冷静ではいられなかったかもしれないが、まだこの魔獣と交わしたのはたったの二手。それも千獣と遭遇する直前の拮抗した一手と、雷撃魔法を籠めた時点で圧倒してしまった一手だけ。
 …だからまだそのくらいの理性はあった。
 リルドは今の二手から思考する。熱に浮かされての絶対に相手を倒すと言う『願望』では無く、彼我の実力差からして実際に相手を倒せると言う『確信』が持てる。
 着地し、再びリルドを見る魔獣。リルドもすかさず魔獣に対し雷撃を纏わせた剣を構え直している。ほんの僅かな間の後、再び激突――するが、その時にぶつかったのは、魔獣とリルドだけではなかった。
 もう一体。
 魔獣と張るような――否、ひょっとするとその魔獣より大きいくらいの、大柄な体躯が割って入っている。
 三者が再び離れた時には、リルドが描いた魔獣だけがその場に残っている。刃で深い傷を刻まれた上に、噛み切られたように腹を深く抉られ――同時に全身に電撃の名残を纏って、倒れ伏していた。…時折ぴくぴくと痙攣を起こしている。…本当に生きている――それまでは生きていたように。
 魔獣以外の二者。少し離れた位置に軽やかに着地したのは――まだ剣に雷撃を纏わせたままのリルドと、たった今魔獣から噛み千切ったのだろう腹の肉を吐き捨てた千獣の『母親』。
 吐き出されたその『肉』は、地面に落ちるなり解けるように消滅する。前後して、リルドが描いた魔獣の方も掻き消えた。
 まだ戦闘態勢を解いていないリルドと、暗く目を光らせた千獣の『母親』が今度は互いを視界に入れる。
 そこで、千獣が『母親』の前に、リルドから庇うように――そして何処か『母親』に縋るようにも見える姿で、走り出た。
 …自分の『母親』を見るリルドの目に不穏な光が宿ったのに、いち早く気付いて。

 今度は、リルドと千獣の視線がかち合う。
 リルドの青く冴えた左目が――新たな獲物の予感に期待する。

「なぁ…一つ訊くがよ。…『そりゃあ、何』だ?」

 …千獣の『母親』。
 その姿は夜色の毛並みを靡かせた、巨大な、魔狼。



 リルドの問い。
 受けて、千獣はすぐに答える。
「おかあ、さん」
「――は?」
 予想外の答え。
 リルドは瞬間的に反応に困る。
 けれど千獣の表情は――本気で。と言うより千獣はそもそも普段から殆ど無表情だし、冗談を言うような人物でもない事をリルドは改めて思い出す。
 ならば、その答えは信じて良い。
 けれど。

 …おかあさん、だと?

 リルドにしてみれば、まさかそう来るとは思わない。
 千獣は答えたそのまま、わかってくれとばかりにリルドをじっと見る。
 そして『母親』を庇ったまま、動こうとしない。
 と、その『母親』が――自分を庇う千獣のそのまた前に出ようとしてくる。だめ、と止める千獣。リルドはその一連の様子をじっと見ている。自分の描いたものより強そうな魔狼の姿。それが射抜くようにリルドを見ている。リルドも真正面から睨み返している。
 リルドは千獣の『母親』を見ながら口を開いた。
「…あんたはそう言っても、『おかあさん』の方はやる気みたいだけどよ」
 言葉だけは千獣に投げる。
 そしてまだ抜いたままの剣を――千獣の『母親』に向けた。途端、止めて、と叫ぶ千獣の声。『母親』の方も千獣を押し退けリルドに立ち向かおうとする――と。

 そこに更なる人が雪崩れ込んできた。
 …雪崩れ込んできたのは街中に魔狼出没の通報を受け駆け付けてきた、騎士団――そして同時に、リルドにとっては先程見た面子でもあった。思わず、げ、と口に出る。
 騎士団の方でも少し顔色が変わった。リルドを見、お前っ、と叫ぶ者も居る。
 そんな中、千獣は今度は――リルドではなく騎士団から『母親』を庇うようにしつつ、『母親』に対して逃げようと必死に促し始める。
 リルドもそれに気が付いた。途端、殆ど反射的に自分も騎士団の方に剣を向ける。その事でまた騎士団の面子から荒げられた声が上がる。…リルドにしてみれば元々言い訳不可能な相手ではあったのだが、それにしても何やら事態は悪化の一途。
 それでも取り敢えず、千獣の態度に騎士団連中の態度を瞬間的に秤に掛けてみれば、こうしてしまうのは――口では何を言おうが、リルドの性なのかもしれない。
 剣を騎士団に向けたまま、リルドは千獣に対して声を張り上げる。
「…何だかよくわからんが後で説明しろよ!?」
 ここは引き受けた。
 そこまでは声には出さず態度で示す。
 千獣はリルドに頷くと、更に強く『母親』を促した。
 させまい、と騎士団連中が地を蹴り出そうとする。
 リルドも剣のみならず一気に魔法を併用して、騎士団連中を足止めようとする。
 …全ての動きが一触即発。

 の、筈が。
 そこに。
 絶妙のタイミングで気の抜けるような声がした。

「まぁまぁまぁ皆さんそんな怖い顔しないでってば。戦うならグラフィティの質でやろうよ。…僕そんなつもりでタギングしてたんでも君たちに絵筆渡したんでもないんだけどなぁ。色々難しいもんだねぇ?」

 声の源。
 すぐそこの、屋根の上。
 …鮮やかな紅色のツンツン頭に色黒な肌を持つ旅人らしい子供が――両手に絵具滴る絵筆を複数本持った状態で一同を見下ろしていた。



 まず我に返ったのは、リルド。
「てめぇっ!! よくも巻き込みやがったなこのクソガキ!!」
「? …巻き込んだ? …。…ああごめん、ひょっとして僕と間違えて騎士団に追われてた?」
「…コラ。そのくらい予想してから行動しろ俺は別に絵なんぞに興味ねぇ!!」
「え、でも君も描いてたよねさっき?」
「…う。…うるせぇっ!!」
 確かに描いた事は事実だが、絵自体が目的だった訳ではない。…あくまで良さそうな戦闘相手にならないかと思ってしまったまでで。
 だが、それでも描いた事実は変わりないので、強く言い返せない。
 リルドが歯噛みしたそこで、今度は千獣が――『母親』を庇いつつ、不安そうに離音の名をぽつりと呟く。
 と、そう呼ばれた紅色のツンツン頭――離音は千獣を安心させようとしてにっこり微笑んだ。
「大丈夫だよ。好きなだけ甘えたらいい。…何も害は無いから。芸術祭が終われば、全部元に戻るから。そういう事にしてあるから。騎士団の人たちも。大きな狼さんだからって心配しなくていいから。退治しようとか余計な事考えなければ誰も襲ったりしないから。…うーん。もーこうなっちゃったら…聖獣王陛下の方から話通してもらった方が早いかもしんないな? なんか反則技みたいだからあんまりやりたくなかったんだけど」
「!?」
 いきなり振られ、騎士団の面子もぎょっとする。
 聖獣王。
 ここでいきなりその名が出されるとは思わない。
 そしてその名が出た時点で――二つの可能性が浮かんでくる。
 単にその名を利用してこの場を凌ごうとする卑怯な犯罪者か、本当に聖獣王に話が通せるだけの材料があるかのどちらか。
 どちらにしても、放り出せない。
 騎士団の面子は思わず、千獣の『母親』と離音の両方を交互に見る。それから――取り敢えず千獣の『母親』が大人しくしている様子を確かめてから、騎士団連中の内一人が屋根の上の離音に向かって声を張り上げた。
「…取り敢えず降りて来い!!!」
「え、信じてくれないの。千獣ちゃんの事もあるし、僕もう逃げないよ?」
「…だからちょっと話を聞かせてもらおうと言っている」
 一緒に来い。
「えー、もっと描きたいんだけど」
 絵。
「…。…いい加減にしろ!!!」
 幾ら離音の言う通り芸術祭が終われば元に戻るのだとしても、今現在の時点で既に街は大混乱である。
 すぱっと言われ、離音は一度きょとんとしてから、渋々と言った風に屋根から降りてくる。と、着地するなり待ってましたとばかりに騎士団の方々がその両脇をホールド、ずるずるずると離音を引き摺り去って行く。えーちょっと待ってよここでも話させてよーとの妙に呑気な離音の抗議の声も少しずつ遠ざかっている。

 千獣の『母親』や、念の為残された数名の騎士団員含め――後に残された者は、思わず顔を見合わせた。



■後日談。

 …それから数日後、祭りの後。
 芸術祭が終わったかと思ったら、離音の言った通りに実体化していた絵は全て消滅した。同時に、その実体化した絵により街の人が被った物理的な被害も何故か何事も無かったように元通りになっている。…これもまた離音の言った通り。
 …千獣が描いた『母親』の絵も、その時に、消滅した。

 街中、天使の広場。
 造成された池の縁に座り込んで、何事も無かったようになっている街の様子をただぼーっと眺めていた千獣の前に――リルドが偶然通りがかった。リルドの方でもそこに千獣が居る事にすぐ気付く。
 気付いた時点で、側に来た。
 千獣に、話し掛ける。
「…よぉ」
 こないだは。
「うん…。説明、まだ、だった」
 芸術祭の時の。
 後で説明しろって言われたおかあさん、の事。
 声を掛けられた千獣がそう切り出すと、リルドの方でも察して先回りする。…あのガキ――離音の言っていた事、あの時の千獣の態度、そして今の状況を鑑みて、思い付く事。
「『あれ』、あんたが描いた絵って事か」
 千獣が『母親』だと言っていた巨大な魔狼。
「…うん。昔の。森で、生きてた、頃、の。私、育てて、くれた、おかあ、さん」
 思い出しながら、描いてみた。
「人間、じゃ、ない、から、追われ、てた。おかあ、さん、人に、傷付け、られ、たく、なかった、し、人を、傷付け、させたく、も、なかった、から」
 だからずっと、逃げていた。
「…そうかよ」
「うん」
「凄え強そうなのな」
「…うん。強くて、優しい…」
 千獣は何処か嬉しそうに頷く。
「今度機会があったら一手手合わせしてもらいたいてぇもんだが」
「…だめ」
 今度は何処か表情が陰る。
 その様を見て、リルドは話題を変えた。…まぁ、手合わせと言ってもどうしてもって訳でもない。
「…何だったんだろうな、あいつァ」
 離音と言う名の旅人…であるらしいあのガキ。
 騎士団に連れて行かれた後、全く音沙汰は無い。…ちなみにあの後、離音に渡された絵筆も騎士団連中に没収されている。それ以上は千獣もリルドも一応お咎めなしだったが。ただ、一応名前と住所――と言うか何かあったらすぐに連絡が取れるようにエルザード滞在中の所在地は確りと訊かれたけれど。
 けれど二人とも、特に改めて騎士団から呼ばれてもいない。
 …それで今に至っている。

 と。
 そんな二人の上に、不意に何処かで聞いたような声が降ってきた。

「…僕は芸術祭って聞いたから単に賑やかしに来ただけなんだけどなぁ」
 離音。
 声の源を振り返ってみれば、いつの間にそこに居たのか――造成された池の真ん中に立っている像の上、真っ赤なツンツン頭が座り込み、や、と片手を挙げている。
「…あ、離音」
「…つーか何処居るんだあんた」
 やや呆れ混じりのリルドの突っ込みを涼しげな顔でスルーし、離音は二人の前に着地。
 凝りを解しでもするような仕草で、ぐるぐると肩を回して見せている。
「やー、結構絞られちゃったよ。今に始まった事でも無いのにな。…あ、そういやエルザードでするのは初めてだったっけ。だからか」
「…絞られたで済むのかよ」
「そりゃー僕一応ソーンの主だった都市ではだいたい治外法権持ってるし。エルザードでもそう。…実際に被害は残ってないんだから街の人たちだって大丈夫でしょ?」
「…治外法権?」
「ん、僕、ティアマット地区にある竜都バブ・イルの議会前議長だからね、こう見えても一応。聖獣王陛下とは昔からの馴染み。…基本的にはそれ振り翳すの嫌いなんだけど、ああなっちゃったら使える肩書きだと思ってさ」
 そう言って、離音は千獣を見てばちりと片目を瞑ってみせる。
 千獣はその態度にきょとん。
 一拍置いて、その意味に気付く。…つまりは、千獣の『母親』を庇う為にあの時も皆の前に出て来て、その肩書きを使って騎士団から聖獣王の方にも話を通し、千獣とその『母親』に手を出させないようにした――と言う事なのだろう。
 事実、あの後千獣と『母親』は誰にも追われずに済んだ。
「…離音」
「で、いっぱい甘えられた?」
「…うん」
「また描いてみたい? 筆、一本くらいならあげてもいいよ?」
「…」
 言われ、千獣は離音を見上げる。
 それから、ふるふると首を横に振った。
 …そんな風に、逃げられるような慰めを持ってもよくないと思うから。あのひとときだけで、充分過ぎる。
 離音が頷く。
「そっか」
 離音は二人に絵筆を渡した時同様、ふわりと笑う。
 それで――今度はリルドに振って来た。
「君の方は?」
 絵筆、要る?
 話を振られ、リルドは反射的に一瞬考える。
 が。
 同時に――絵筆を渡されてからの一連の出来事が脳裏を巡る。
 その時点で答えが出た。
「…要らねぇ」
 面倒臭ぇ。
 …戦うのにイイ相手は、自分で描くより直接探した方がいい。
 心底嫌そうなリルドのその声に、離音は、そっか、とまた笑う。
「やっぱり蜃気楼はちゃーんと生きてる人たちにとっては結果的に要らなくなるモノみたいだよねぇ」
「…しんきろう?」
「あの絵だよ。僕の息が籠めてあるから、あの絵筆と絵具で何か描くとああやって一定期間だけ実体化する。結局正体は蜃気楼――幻ではあるんだけどね。で、どういう風に実体化するかは――画力も大事だけど、籠めた想いにも寄ったりする。色々になる。…千獣ちゃん、おかあさんの事、とっても大事だったんだね」
 離音に言われ、千獣は頷く。
 うんうんと同意するように離音は頷き返している――そこに、ぼそりとリルドの声。
「んじゃ俺の描いたのが雷に激弱だった件はどーなんだよ」
「想いの強さが足りなかったんじゃないかなぁと」
「…あーそうかよ」
「嘘嘘。…あの絵は雷には基本弱いんだ。それだけ」
「…。…つーかあんた…さっき竜都とか言ってたが、ひょっとして、竜なのか?」
「うん」
「…やっぱりな」
「もっとちゃんと自己紹介するとね、種族は蜃族雷竜種、竜都では『猛き幻に響む那由他の音』、の称号で通ってる個体が僕になる。…個体名は特に無いのが竜都の流儀なんだけど、他のところだとそれはあんまり通らない。で、外に来る時だけ使ってる便宜上の名前が『離音』。改めて宜しくね」
「…宜しくっつか…宜しくしたくねぇんだが」
 今回の事を考えると。
「あーそんなつれない事言うんだー。千獣ちゃんも同意見?」
「…ううん。私は…そんな、事、ない。宜しく。離音」
「そっか、よかった。…じゃあ僕は、もう行く事にするね? まだまだ描き足りないからさ」
 と、離音はあっさり告げる。
 言葉と共に見せ付けられたのは――両手の指に挟む形で複数本持たれた、また、絵筆。
 リルドが呆れ顔になる。
「…あんたまだどっかで同じような事やるってのか。懲りねぇなぁ」
「そりゃあねぇ。これが僕の生きがいだからね」
「…」
 何と言うか、傍迷惑な。
 と、思いはするが、この相手はどうもそれを言っても聞きそうにない。
「…そうかよ」
「うん」
 にっこり笑うと、離音は軽い足取りで踵を返し、背を向ける。
「じゃ、またね」
 千獣とリルドにそう言ったかと思うと、離音のその姿が不意に浮き上がった――浮き上がるようにその姿がずるりと長く上空に向かって伸び上がり、防塵ケープごと解けるようにして黒褐色の鱗を持つ太い柱のような蛇身に変化する。次いで、短髪のツンツン頭だった鮮やかな紅の髪はざっと伸び鬣の如くその身を――背筋を沿う。更には頭部に二本、鹿のように枝分かれした角まで伸び出した。
 そこに至り、千獣とリルドを微かに振り返ったその頭部は明らかに人のものではなく。
 金の眼と紅の鬣を持つ、黒い、竜。
 一度振り返ったかと思うと、すぐに向き直りその竜は空へと向かう――その過程で、竜身の姿自体が、あの絵筆で描かれた幻のように掻き消える。

 まるで離音自体が、幻ででも――彼の描いていた絵と同じものでもあったかのように。
 …呼び止める間も何も無いまま、離音はあっさりと何処かへ行ってしまった。

 恐らくは何処か――彼が描きたい絵が描ける街に、だろうが。

【了】


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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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 ■整理番号/PC名
 性別/年齢/職業

■PC
 ■3087/千獣(せんじゅ)
 女/17歳(実年齢999歳)/獣使い

 ■3544/リルド・ラーケン
 男/19歳/冒険者

■NPC
 ■離音

 ■風間・蓮聖
 ■佐々木・龍樹(名前のみ)

 □聖獣王(名前と存在のみ)

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          ライター通信
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 千獣様、リルド・ラーケン様共に、いつも御世話になっております。
 今回は予告の欠片も無いような突発も突発、更には募集期間も短いと言う非道なところを発注頂けまして、有難う御座いました。
 なお今回、「■何故か絵筆を渡されて。」部分が個別描写、「■更なる騒動勃発。」以降が共通部分になっております。

 内容ですが…千獣様のプレイングからして何だかちょっとしんみり?した感じにもなりました。放っておくと単にドタバタしそうなところでしたがあまりそうでもない感じに。
 また、リルド様の仰ってました顔見知りですが…何となく蓮聖が通りすがってみました。絵の評価については良い評価だったのか悪い評価だったのか謎な評価ではありますが…その辺は御想像にお任せします(笑)
 そしてどう終わらせるべきかどうも迷ってしまいまして…結果的にこんな感じになりました。

 ちなみに離音とそのバックボーンな設定ですが、今後黒山羊亭白山羊亭各冒険記やPCゲームノベルで(要は炎舞ノ抄以外の商品で)登場してくる可能性があったりもします。

 …如何だったでしょうか。
 少なくとも対価分は満足して頂ければ幸いなのですが。

 では、また機会を頂ける時がありましたら、その時は。

 深海残月 拝