<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


〜戻れる「時」に遡りたくて〜


 松浪静四郎(まつなみ・せいしろう)は、ふう、と大きく全身で吐息した。
 別に身体が疲れているわけではない。
 心の中に澱んで溜まった、暗く冷たい何かが、日に何度もこうして「吐息」として身体の外に出て行くのだ。
 出て行っても一向にそれは減らず、だからこそ何度も何度も、吐息ばかりをくり返すのだが。
 静四郎は、エバクトにある義弟の松浪心語(まつなみ・しんご)の家を出てから、まっすぐに聖都に戻って来た。
 普段と変わりなく、自分が身を寄せている城での仕事に復帰し、少し前から始めている白山羊亭での仕事にも返り咲いた。
 休みをもらってから、だいぶ時が経っていることに気付き、ルディアにはていねいに謝ったのだが、彼女は何も言わずに、にこにこと「今日の仕事はこれよ」と言って、まるで昨日も静四郎が仕事に来ていたかのように振る舞ってくれたのだった。
 彼女のさり気ない気遣いに感謝の意を示しつつ、静四郎は城の仕事がない日は一日中、白山羊亭で熱心に働いた。
 彼の働きぶりは評判になるほどで、気性の荒い者が多く来る白山羊亭も、最近はほんの少し、諍いや面倒ごとが減ったと噂になっている。
 静四郎の、物腰やわらかく、上品な対応にほだされて、荒くれ者たちも一様に毒気を抜かれてしまうようだ。
 ルディアは揉め事が少なくなったことに大いに気を良くしたようだった。
 昨今の静四郎の給金がやや増えたのは、自分の気のせいではないだろう。
 そうして特に大きな事件もなく、ひと月ほどが経ったある日のこと。
「静四郎さん!」
 木の無骨なお盆を小脇に抱えて、ルディアが小走りに静四郎に近寄った。
 店内は人でごった返し、酒や大声や調子外れの歌が乱れ飛んでいる時間帯である。
 静四郎もくるくるとよく働き、人と人の間をまるで縫うように歩き回っていたところだった。
「何でしょうか」
 にっこりと笑みを浮かべながら、静四郎はルディアに相対した。
 頭ひとつ半ほど小さいルディアは、静四郎を見上げながら、笑顔を絶やさず言った。
「あなたにお客様よ、静四郎さん。今日はもういいわ、上がって!」
「ですが…」
 周りを見回して、静四郎は心配そうに眉をひそめた。
 だがルディアは勢いよく首を横に振ると「大丈夫!」と元気な声で答えた。
「慣れてるわ、これくらい! それとね、明日から三日くらい非番でいいからね」
「非番、ですか…?」
 思いがけないルディアの台詞に、静四郎が不安そうな顔になる。
「わたくしが何か大きな失態でも…」
「そうじゃないわ、ちがうの! あなたはよくやってくれてるわ。でもね、人間には休むことも必要よ。今月はお休みも返上して働いてくれてるから、その代わりってこと」
 ぐいぐいと背中を押され、静四郎は厨房の方へ戻される。
「じゃ、裏口にいるから、早く行ってあげてね! 今日はお疲れ様!」
「は、はい…」
「また戻って来たらよろしくね! あ、はーい!」
 明るい笑顔で、ルディアは客の呼ぶ声に振り向き、去って行く。
 結局誰が待ち人なのか教えてはもらえなかったが、ルディアが言うのだから、おかしな相手ではないのだろう。
 手早く帰り支度を整え、静四郎は裏口から外へ出た。
 そこには、背の低い、少女にも見える少年が立っていた。
「心語…! どうしてここに…」
 問いかける声は途中で不自然に途切れた。
 心語の手が静四郎の腕をつかんで、強引に引っぱったのだ。
 半ば引きずられるようにして歩き出す静四郎に、心語は声をかけようともしない。
 そのまま大通りに出て、待たせていたらしい小さな馬車に静四郎を押し込めるようにして乗せると、自分も後から乗り込んで真向かいに座った。
「どこに行くのですか?」
「…ハルフ村だ…」
 不機嫌そうに、心語は答える。
 それがいつもの愛想のなさから来るものなのか、それとも本気で不機嫌なのか、静四郎には何となく判別がつかなかった。
 馬車の窓からななめに入る、橙色の夕日のせいかもしれない。
 ハルフ村、と聞いて、静四郎は以前、数度立ち寄った温泉のある村であることを思い出した。
「心語…どうしてハルフ村へ行くのですか?」
 腕を組み、心語は窓の外に視線を投げた。
 けれど、答えは、返って来ない。
 静四郎は問いを重ねた。
「理由を、聞かせてもらえませんか?」
 心語はその外見に似合わない、苦悩に満ちた深い深いため息をついた。
 それからぶっきらぼうにつぶやいた。
「…俺は…会わないとは…言っていない…兄上が来ないから…こちらから来た」
「心語…」
「後は…着いたら…話す」
 それきり、心語は貝のように口を閉ざした。
 これ以上踏み込めない雰囲気を感じて、静四郎は仕方なく追求をあきらめる。
 着いたら話すというのなら、ここで無理に聞き出さなくてもそのうちわかるはずだ。
 静四郎は、そう自分に言い聞かせて、ただ目を閉じた。
 
 
 
 村に到着するや否や、心語はさっさと屋台の方へと歩いて行く。
 その背中を見失わないように追いかけて、静四郎は黙ってついて行った。
 心語は、屋台の一角に設けられたベンチに座る。
 だが、それでもまだ何も言わないのを見て、渋々静四郎は心語の隣りに腰を下ろした。
 ベンチは2人掛けだが、少しゆとりを持って作られている。
 そのゆとりの分だけ、静四郎は心語から離れて座っていた。
 体温を感じるほどの近さで座るだろうと思っていた心語は、そのぽっかりとあいた空間を見下ろして、ため息をついた。
 ため息は静四郎の耳にも届き、ふたりの間に気まずい沈黙が落ちる。
 しばらく、屋台の方からのにぎやかな声や、子供たちの歓声などで気を紛らわせていたが、沈黙はやはり重かった。
 耐えられなくなったのは静四郎の方だった。
 心語の方を向き、彼はぎこちなく唇を開くと、先ほどと同じ問いを発した。
「なぜ、ここへ?」
 表情ひとつ変えずに、心語は地面に視線を落としたまま、静四郎に答えた。
「…兄さんは…俺達がここに来たことがあると…知らないはずだから…」
 その一言で、静四郎は心語が、彼の同族の義兄に何も告げずにここに来たことを悟った。
「どうしてこんなことを?」
「…誰にも…邪魔を…されたくなかったから…」
 ぽつりぽつりと、いつもの調子で心語は語る。
 時間はかかるが、追いつめてしまっては語ることも語らなくなってしまう。
 それを十分に知っている静四郎は、静かに義弟の次の言葉を待った。
「…兄上のこと…秘密…今までのこと…何もかもを…きちんと話したい…」
 言葉少なに、大事なことだけを心語は話す。
「腹を割って…話せば…きっと…解決できるから…解決、していきたいから…」
 だから、無理を承知でルディアに休みをくれるよう頼んだのだ、と心語は続けた。
 ふたりだけの時間を作りたいと、正直に。
 ルディアは快く承諾してくれた。
 あとは、出来た時間を大切に使うだけだ。
 心語の提案、ルディアの気遣い、そして何より、心語がここまで人の心を思いやれるほど成長したことが、静四郎はとてもとてもうれしかった。
 だが、彼は迷っていた。
 自身が抱えたものは重すぎて、自分ですら足を踏みしめて立つことがやっとなのだ。
 そしてその気持ちは、如実に彼の表情に出ていた。
 心語は立ち上がった。
 ゆっくりと静四郎の前に回り、膝を折って視点を揃える。
 驚くように見開かれた静四郎の目を、真正面からにらみ据え、心語は低く響く声で言った。
「重い荷は分け合えと…そう言ったのは兄上ではなかったか?」



 〜END〜



〜ライターより〜

 いつもご依頼ありがとうございます!
 ライターの藤沢麗です。

 静四郎さんと心語さんのわだかまりが大変気になっておりました。
 時間も経ち、お互いに新しく一歩を踏み出そうとしているのを見て、
 心からほっとしています。
 今後、お三方の関係がどのようになっていくのか、
 見守らせていただきたいと思います…!

 それではまた未来のお話を綴ることが出来れば、
 とても光栄です!

 この度はご依頼、
 本当にありがとうございました!