<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


【楼蘭】楮・天雅







 山は、何事も無かったかのように春の色に染まり、せっかちな木々はそろそろ夏模様へと変わり始めている。
 邪仙が消えて、助けたと言うよりも彼にとって用無しになった瞬・嵩晃を連れて、庵に戻ったシルフェと桃。
 水操師として傷をふさぐことは出来ても、根本的なダメージを拭うことは出来ず、深い眠りの淵に落ちた瞬を見て、一度、シルフェは麓の町に戻った。
 何か、この事によって変わってしまってはいないかと、思って。
 けれど、町は何事も無かったかのように、日々の営みが過ぎ去り、邪仙が行ったことは、世を変えるような何かが目的ではなく、本当に自分の為だけに事を起こしたのだと分かった。
 しばらくは、町と庵を往復するような生活を送る。
 庵はそれなりに山奥深くにあるが、桃に道を教えられているためそう苦ではない。当の桃も、シルフェが来た日は姜・楊朱の元へ薬を貰いに行く日と決めたようだった。
 瞬が寝込んでから、庵の戸は、まるで拒絶するかのように閉ざされ、開けようと思っても仙術を扱う類の力がないシルフェでは、静電気のような痛みによって、戸に手をかけることさえできなかった。
 そのため、シルフェは庵の周りにある木々を眺めたり、小さな畑の手入れをしたり。そうしている内にいつの間にか桃が帰ってきて、シルフェは麓の町まで送ってもらう。
 今日もそうして1日が終わると思っていた。
 シルフェは姜の洞へと翔けて行く桃を見送り、庵の戸へと振り返る。
「あら?」
 何時もはしっかりと閉ざされていた戸が、微かに開いている。
 シルフェは恐る恐る戸に手をかけると、徐に庵の中へと顔を突っ込んだ。
「……こんにちは、瞬様?」
 天井に向けて腕を伸ばし、自らの手を見ていた瞬の瞳がゆっくりと戸の入り口に向けられる。
「…やぁシルフェ。どうしたんだい? そんな所で」
 体の半分だけ入っている状態のシルフェを見て、瞬はくすっと微笑む。
 シルフェは改めて体勢を整えると、にこっと微笑み、庵の中へと入った。
「目が覚めてらしてよかったです」
 庵の中へ入れるようになったことと、瞬が目覚めていることは比例しているのかもしれない。
「お休みのところにお伺いしてしまうと、うぅん、申し訳ないですし、けれど立ち去り難いですし、と悩むところでした」
 けれど、そのことを瞬自身は自覚していなかもしれないと思い、シルフェは何時ものように微笑む。
「そうかい?」
 濁ったような焦点の合わない瞳を入り口に向けて、瞬は薄い微笑みをその顔に浮かべる。
 シルフェはゆっくりと寝台に近づき、その傍らになった椅子にできるだけ静かに腰掛ける。
「少ぅしお傍に居させて下さいませね。何かわたくしに出来る事があれば致しますけれど…ふふ」
 瞬は一度自分の腕を見遣り、もう一度シルフェに視線を向ける。
「……私が、どれくらい寝ていたか、君に分かるなら、教えてもらえるかい?」
 瞬が邪仙に傷を負わされ、今日シルフェが戸を開けるまで、冬から春に季節は廻った。
「そうでございますね…。花がとても綺麗に咲きましたよ」
 直接的に何ヶ月と告げるのではなく、廻ることで変化した景色を告げる。
 そんなシルフェの気遣いに、瞬は、
「そうかい」
 と、微笑む。
「はい。木や花もとてもいきいきとしていますし、水も清らかで、ふふ。お土産に出来ればよかったのですけれど、ね」
「それは、自分で見てこそ価値があると思わないかい?」
「では、早く元気になられませんとね」
「そうだね」
 ゆったりとした淡い空気が流れていく。
 瞬のしゃべりは時々不自然に途切れたりするが、それは体調が万全ではない故に起こる、不規則な息継ぎによるものだ。
 それでも、久方ぶりの誰かとの会話の為か、瞬の口からは疲れたという言葉は出てこない。
 シルフェはできるだけ、瞬が相槌を打つだけで済むよう、移り変わった景色の小さな変化や、綺麗だったこと、町に居たときに起こったちょっとした出来事などを、話して聞かせる。
 やはりしばらく寝ていたせいか、瞬はそんなシルフェの話を楽しそうに聞き入り、時々横槍を入れながらも続きを促す。
 話しに気を取られている瞬に、シルフェはそっと手を近づけ、水操師の癒しを試みる。
 けれど、何の変化も起こらず、シルフェは内心肩を落としながら、表面では気取られないよう微笑み、また別の話を始める。
 そんなやり取りをしばらく続けていると、ガタっと入り口の戸が開け放たれた。
「師父!」
 うろたえる様な声音で、桃が庵の中へと駆け込む。
「シ…シルフェ!?」
 そして、その寝台の傍らの椅子に腰掛けているシルフェを見て、驚きの声を上げた。
「桃様。どうされました?」
 着ていたことは知っているのに、なぜ驚いたのかと、逆にシルフェも驚く。
「結界の効果が必要なくなったのか、それとも、誰かが――」
 桃は眼を細め、考えるように口元に手を当てて小さく呟く。
「申し訳ありません、師父」
 が、すぐさま体裁を整え、瞬に向けて最敬礼の型を取る。
「どうして謝るんだい?」
 瞬の表情は、全てを分かっていながら、あえて尋ねているかのようだ。
「この庵に、結界を施したのは、私の一存」
「なぜそんなことをしたんです?」
 そのせいでシルフェはずっと瞬の様子を知る事が出来なかった。
「そうだね。簡単に言えば、私が毒だから」
「瞬様が毒だなんて、そんな…」
「どんなに良い薬でも、使い方を誤れば毒となる」
 瞬の言っている事が分かり、シルフェは口を噤む。
 そう、あの時、邪仙に奪われた人の血によって活性化させられた天人としての血が、急速に強まり、周りに力を撒き散らしていた。
 だから、桃は庵の周りに力が漏れ出て行かないよう結界を張った。
「桃はね、君を護りたかった」
「……申し訳ありません。師父」
 再度口にした謝罪の言葉は、創られた存在として、創造の父を第一に考えるべきであるのに、桃は、シルフェをその父から護ろうと動いたことに対して。
「もう、何も気に病むことはない。私もこうして目覚めたのだから」
 ただ、桃の結界が解けていたのは、きっと瞬が眼を覚ましたからではなく、この庵にあの子が来たから―――
「さあ、私はもう少し眠るよ。桃はシルフェを送ってあげるんだ」
 その言葉は事実上庵からの退出を命じている。
「また、参りますね」
 シルフェは椅子から立ち上がる。
 ちゃんと寝て、体を休めて、早く元気になってほしい。
 瞬が自分からそう言うのならば、その意思は尊重すべきだ。
 ちょっと気落ちしたような桃の背を押して、シルフェは庵から外へと出た。
 太陽の光があまり入ってこない庵と違って、外はとても明るく、眩しさに眼を細める。
 カタン…と、できるだけ小さな音で戸を閉めて、シルフェは桃を見上げた。
「なぜ、言ってくださらなかったのです?」
「……すまない」
「言ってくだされば、わたくし、痛い思いをせずに済みましたのに」
「開けようとしたのか」
 それはそうだ。寝込んでいる人が中に居るのだから、心配で様子を知りたいと思うことは何もおかしくない。
 桃はふっと笑い、町へ戻る道を歩き出す。
「開けるなと言っても、無駄だと知っていたからな」
「あら、酷い言いようですこと」
 少しむくれるように言ってみれば、桃はうろたえるように眼を瞬かせる。
「ふふ。分かっておりますよ」
 シルフェがふっと笑ってそう言えば、あからさまにほっと胸をなでおろす桃。
 桃は今までだってシルフェの安全を考えてくれた。
 このまま同じ話題では桃も気落ちしたままだろう。
 シルフェは空を見上げ、手扇を額に当てて空を仰ぐ。
「今日もいい天気ですね」
 もう少ししたら、太陽の光が最も強い季節がやってくる。
「お散歩しながら帰りましょう」
 シルフェがそう言ってにっこりと微笑めば、桃もつられたように笑顔を浮かべ、共に山道を歩き始めた。



























☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【2994】
シルフェ(17歳・女性)
水操師


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


 【楼蘭】楮・天雅にご参加ありがとうございます。ライターの紺藤 碧です。
 結局悠が登場するに至りませんでしたが、瞬はシルフェ様との会話を楽しんだことと思います。
 それではまた、シルフェ様に出会えることを祈って……